福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2018年1月号 月報

中小企業法律支援センターだより 創業応援セミナー~創業時のお金のハナシ~

月報記事

中小企業法律支援センター副委員長 牧 智浩(61期)

1 はじめに

みなさま、明けましておめでとうございます。新年最初のセンターだよりですので、少し夢のあるハナシ(=創業支援のハナシ)をしようと思います。

昨年の11月10日に、「創業応援セミナー~創業時のお金のハナシ~」を、福岡市スタートアップカフェにて、九州北部税理士会、日本政策金融公庫、福岡県信用保証協会と共催しました。この4機関でセミナーを共催することは初の試みであり、企画会議を重ね、最終的に、4機関で共催することによる相乗効果を最大限に引き出すために、講演、パネルディスカッション、交流会・相談会の3部構成でセミナーを開催いたしました。

2 第1部(講演)について

まず、最初に、「創業時の資金調達のポイント」というタイトルのもと、日本政策金融公庫福岡ビジネスサポートプラザ所長の高橋秀彰氏と福岡県信用保証協会保証統括部創業・経営支援統括課課長代理の馬場健氏に金融機関の立場から見る資金調達のポイントについてご講演いただきました。

高橋氏によれば、創業計画書の作成における留意点は、(1)簡潔に読みやすく記載すること、(2)具体的に記載すること、(3)自分の強みをアピールすること、(4)事業意欲を伝える重要な書類であることから丁寧に書くこととのことでした。また、創業計画書を第三者(弁護士、税理士、金融機関)に確認してもらい、何度もブラッシュアップしてほしいとのことでした。

また、馬場氏からは、創業時の融資審査の際には、(1)経験・ノウハウ・意欲があるか、(2)事業計画が過度な計画になっていないか、(3)自己資金が十分か、また、その形成過程に問題がないかをチェックしているとのお話がありました。

参加者の大半がメモを取るなどして真剣に講演を聴いており、参加者の資金調達に対する関心度の高さを感じました。

3 第2部(パネルディスカッション)について

次に、「専門家に聞く!これだけは知っておきたい創業のイロハ」というテーマでパネルディスカッションを行いました。高橋氏、馬場氏に加え、九州北部税理士会所属の寺井博志税理士、当会の日隈将人弁護士がパネラーとして登壇しました。

パネルディスカッションでは、まず、第1部の講演内容の掘り下げを行いました。寺井税理士や日隈弁護士からの突っ込んだ質問に対し、高橋氏や馬場氏が、はぐらかすことなく真正面からこれに回答していたため、他では聞くことのできない創業時の融資審査の実態を垣間見ることができました。

なお、寺井税理士、日隈弁護士からの質問の一部をご紹介すると、「初年度赤字の損益計画書でも大丈夫なのか?」、「創業計画あるいは事業計画に士業が関与している場合、融資審査の際の信頼度が上がるのか?」、「法人と個人とで融資の受けやすさに違いがあるという噂は本当か?」といったものでした。

他方、高橋氏や馬場氏からは、弁護士や税理士の創業時の支援活動の内容、弁護士や税理士へのアクセス方法などについて質問がありました。

日隈弁護士が、無用な法的トラブルを避けることの重要性を概説したうえで、契約書やビジネスモデルに対するリーガルチェックなど具体的な支援活動を複数紹介しました。参加者や金融機関を含む関係者各位に、我々弁護士の創業支援活動を知っていただくいい機会になったと思います。

セミナー後に回収したアンケートの回答結果をみると、パネルディスカッションに対する満足度が非常に高く、4機関共催によるシナジーを最大限に引き出せたのではないかなぁ、と思いました。

4 第3部(交流会・相談会)について

セミナーを開催した会場で、そのまま参加者と登壇者との交流会を、同刻に別会場で相談会を開催しました。

交流会場では、各登壇者のところに参加者が集まり、色々と個別に話を聞いているようで、各所で盛り上がっていました。

また、相談会場では、相談ブースを5つ設け、合計10件のご相談をお受けいたしました。相談会では、4機関がそれぞれ個別のブースを設けるのではなく、各ブースに日本公庫、保証協会、税理士、弁護士が同席して相談を受ける形をとりました。

守秘義務等の関係からブースの設置をどのようにすべきかについては悩みましたが、4機関で共催することによる相乗効果を最大限に発揮するため、上記のような形で行いました。

なお、相談の内容については、当初の予想どおり、ほとんどが融資に関するご相談でした(苦笑)。私も1枠担当させていただいたのですが、事業計画についての相談がメインでした。もっとも、その相談をお受けする中で、事業計画に潜在する法的リスクについて簡単にご説明したところ、非常に喜んでいただけました。

また、別のブースでは、パネルディスカッションを聞いて、契約書に関するご質問をされた相談者もあったようです。

個人的には、相談会も成功だったと思いますが、1枠の時間が30分しかないため、4機関が同席しても、各機関から十分な説明ができなかった部分もあったのではないかと思います。これは次回への反省としたいと思います。

5 最後に

当初、参加人数がどれくらい集まるか不安であった創業応援セミナーも、約40名(関係者を除く)の参加者があり、盛況のうちに終わることができました。

本セミナーを開催するにあたっては、多くの方にご協力いただきました。

特に、釜山地方弁護士会との交流会当日という非常にお忙しい時であったにも関わらず開会のご挨拶をいただきました作間功会長、執行部との橋渡しにご尽力いただいた内田敬子副会長、広報面での多大な援護射撃をしていただいた対外広報戦略PTの吉田純二先生、南川克博先生には、この場をお借りして、改めて御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

当センターでは、今後も、創業支援を含む法的支援を通じて、中小企業事業者の方たちに、弁護士をより身近に感じてもらえるように努めたいと思います。みなさま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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遺言セミナー・無料相談会(11/12・11/25) ~どんな方が参加するのか・どんなセミナーにすればいいのか~

月報記事

法律相談センター運営委員会委員 井手上 治隆(60期)

1 はじめに

平成29年11月12日(日曜)と25日(土曜)、天神弁護士センターにて、一般の方を対象とした遺言セミナーと無料相談会を開催しました。

当初は12日のみの開催を予定しておりましたが、朝刊3紙(毎日・朝日・西日本、掲載順)にセミナーの記事が載ったこともあり、12日分が定員(20名)に達したため、急遽、25日も開催することになりました。

当日は、まず、遺言・相続の基本的事項についてのセミナーを1時間行い、その後、希望者に対し無料相談会を実施しました。セミナー講師は、千綿俊一郎会員(12日)と吉永裕介会員(25日)が担当しました。

会員の皆様もこの種のセミナーの講師を務める機会があるかと思いますので、その際の参考になればとの視点から、以下報告させていただきます。

2 どんな人がやってくる?(参加者の実像)

年齢層でみると、やはり高齢者の方が多く、何らかの問題に直面している方が多かったようです。また、ご夫婦や親子での参加も一定程度ありました。

当然かもしれませんが、皆さん、「そろそろ」から「すぐにでも」と幅がありますが、遺言書を作成することに対する意識が高い方ばかりでした。なかには、遺言書の文案を自ら作成して持参され、相談時にこれで問題ないかと質問される参加者もいらっしゃいました。総じて、「ちゃんとしておきたい」という想いを共通して持たれているように感じました。

ただ、遺言・相続に関する知識・情報量及びその正確性については、かなりの幅があるように見受けられました。

3 どんな心配ごと?(疑問・悩みの中身)

各参加者の置かれている状況により、疑問・悩みも異なります。ただ、以下のように、いくつか共通する点もありました。

  • まず、どうしたらいいのか、何から始めないといけないのか。
  • 自分で作成する場合に、形式面で注意しなければならない点は、どのようなことか。
  • 自分の希望する内容の遺言が本当にできるのか、その遺言で問題が生じないのか。
  • 費用がいくらかかるのか(公正証書遺言を作成する場合や弁護士に依頼する場合など)。
  • 相続税はどうなるのか。等々

ここのところは、日々の法律相談で会員の皆さんが実感されているところと、大差ないと思います。

4 セミナーをより良くするには?(セミナーの向上)

セミナーでの参加者の質問や反応、またアンケート結果から、気づいた点・感じた点は以下のとおりです。

(1) 声と文字は大きく

参加者には、高齢で少し耳が遠い方もおられます。声は、少し大きいかなと思うくらいで丁度よい感じです。

資料は細かい字で書いてあると、なかなか読んでもらえません。文字の大きさは、少なくとも、高齢者が拡大鏡などの補助器具なしで読める程度にしておかねばなりません。

(2) 気軽に質問ができる雰囲気作り

今回は、講師の絶妙な雰囲気作りが功を奏し、参加者の皆さんは、セミナー中も、気兼ねすることなく、自由に質問されていました。講師が説明している途中でも、疑問に思ったら、割り込んで質問をするという状況でした。今回の規模くらいだと、「あとで質問時間を設けます」ではなく、「適宜、自由に質問してください」という形式でよかったように思います。この点は参加者にも大変好評でした。

ただし、講師にとっては、流れが断ち切られたり、時間配分などが予定どおりにいかなくなったりするため、大変ではあります。

(3) 導入部分と遺留分

今回は、導入部分で、「遺言があれば揉めなかったのに」という身近な事案をいくつか挙げて説明し、その後、相続と遺言の基礎知識について解説していきました。いきなり用語等の説明から入るより、身近な具体例から入った方が、興味が湧き、また、基礎知識の説明の糸口にもなるため、この構成は良かったです。

ただ、遺言作成を考えている方は、法定相続分と異なる配分を意図し、相続人間の不均衡を気にされている方がほとんどです。今回のセミナーでも、導入部分の段階から、遺留分についての質問が出ていました。あとで説明しますと講師が言っても、その後も遺留分についての質問が何度も出ていました。皆さん、遺留分については非常に気にされているようでした。そのため、遺留分については、一般の方にとっては難しい概念かもしれませんが、比較的早い段階で説明しておいた方がいいと思いました。

(4) 基本的事項もかみ砕いて丁寧に

「嫡出子」「検認」など我々が日々接している用語でも、一般の方にとってなじみの薄い言葉については、丁寧に補足説明をしなければ、理解してもらえないなと感じました。

また、参加者の年齢層によるものかもしれませんが、参加者の中には、あまり配付資料を見ずに、話しだけを聞いているという方も一定数いました。説明する側は、文字(漢字)も当然の前提としていますが、聞く側にとっては、そうではない場合もあるんだなと気づきました。例えば、自筆証書遺言は、全て自分で書かないといけない、「じしょ」しなければならないと口頭で説明した場合、その段階で、条文の文言どおり「自書」の意味で受け取ってもらえる方もいます。その反面、それだけの説明だと、署名だけ自分で書けばよい「自署」を想定されている方がいるようでした。それに続く補足説明(内容が複雑だと全て手書きすることがいかに大変か、訂正することがいかに面倒か等)をすることにより、「あ~、何から何まで自分で書かないといけないってことね」と理解される方もいたようでした。

対象とする参加者の構成にもよりますが、基本的な事項もかみ砕いて、丁寧に説明する必要を再認識しました。

(5) どこまで説明するか

遺言の説明をするには、前提として相続の知識についても説明する必要があります。ただ、どの程度の知識まで説明するかは、時間との兼ね合いで難しいところです。あまり細かいことを話してもしょうがないので、ある程度割り切って、遺言に必要最小限の範囲にうまく絞る必要があります。

今回、配布資料については、一通りの基本的な知識を網羅したものを作成したものの、記載している事項を全て説明しておりません。資料については、セミナーの冒頭で、細かい事項も記載しており、全て言及しない旨を述べ、この資料はおみやげ的なものとお考えくださいと説明しております。この方法も良かったと思います。

(6) セミナーと相談会の役割分担

参加者の皆さんは、単に遺言・相続の基礎知識を修得することだけが目的ではなく、自分の悩みや疑問を解消するためにセミナーに参加されています。そのため、場合によっては、セミナーでの質問が個別具体的な事情に基づくものとなり、他の参加者とってあまり有益ではない場合も出てきます。

個々の参加者特有の事情に基づく質問は、セミナー後の相談で質問してもらうように冒頭で誘導しておいた方がいいかなと感じました。

(7) 課題(広報と集客、実施方法)

今回は、対外広報PTに尽力いただき、セミナーの開催が新聞に掲載されたこともあり、盛況となりました。しかし、掲載前は、県弁のHP等で広報をしていたものの、申込者が3名しかなく、どうしたものかと気を揉んでおりました。今後、このようなセミナーを継続的に開催するとした場合、毎回、新聞に掲載してもらえるとは考えづらいので、どうやって広報し集客していくかが課題です。

また、実施方法については、弁護士会の施設に来てもらうのではなく、コミュニティセンター等へ弁護士が出向いていくことも検討していかなければならないと考えております。

5 おわりに

今回は福岡部会での企画でしたが、各部会でもこの種のセミナーが開催されております。特に、筑後部会では先進的な取組がなされており、今回もいろいろ参考にさせていただきました。

現在、高齢者・障害者等委員会と法律相談センター運営委員会の有志で、遺言や相続に関する関連業務について、試行的にPTを立ち上げ、研修会や、継続的な遺言セミナー・相談会等の実施を検討しております。また、今後、会員の皆さんがセミナー講師を担当される際に利用いただけるようにレジュメ等を改良してサンプルを提供したり、法律相談センターでの遺言相談が増加するような取組を重ねていきたいと考えています。

まだ試行段階ですが、本格的な実施に至った場合には、会員の皆様にもご協力をお願いすることになると思いますので、その際は、よろしくお願いします。

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「修習給付金の創設に感謝し、「谷間世代」1万人の置き去りについて考える福岡集会」のご報告

月報記事

司法修習費用給費制復活緊急対策本部委員 市原 史雄(69期)

1 はじめに

平成29年11月19日(日曜日)の午後2時から午後5時30分頃まで、福岡市内のエルガーラホール7階多目的ホールにて、当会主催、日弁連・九弁連・ビギナーズ・ネットの共催で「修習給付金の創設に感謝し、『谷間世代』1万人の置き去りについて考える福岡集会」が開催されました。

2 いま集会を行う意味

本集会は、同年4月、修習給付金制度が創設されて以降、福岡では初めて行われた市民集会です。同制度創設にご協力してくださった国会議員や市民の方々等関係者への感謝を述べつつ、何らの手当てもされなかった修習新65~70期の貸与世代(いわゆる「谷間世代」)に対する救済を求める活動のキックオフ集会という意味合いがあります。

3 プログラム

本集会のプログラムは、(1)修習給付金の内容と制度創設に至るまでの経緯紹介、(2)71期修習予定者による感謝の言葉、(3)国会議員ご挨拶、(4)若手弁護士の活動報告、(5)市民の方からの応援メッセージ、(6)パネルディスカッションという内容でした。

71期修習予定者として登壇した3名の方からは、「思いがけず給付金をもらえることなりうれしい」といった素直な感想や、制度創設に向けて活動した関係者らへの感謝の意が述べられるとともに、谷間世代となった先輩や友人らが、自分達と全く同じ内容の修習に従事したにもかかわらず71期以降の修習生と大きな金銭的格差が生じていることが不合理・不平等であるという思いも語られました。

当会の若手弁護士として、中小企業・小規模事業者支援活動に携わる松村達紀会員(65期)、今年の九州北部豪雨被災者支援活動に当たっている金谷比呂史会員(68期)から、それぞれ活動報告がなされました。いずれの活動も市民にとって大きな助けとなっていること、弁護士が公益的存在であること、「谷間世代」が公益活動の第一線で活躍していることが紹介されました。

市民の方からの応援ということで、東日本大震災で被災され、現在は福岡県に避難されている方にも登壇していただきました。原発避難者訴訟の原告となっている方で、自分たちが支えてもらっているような公益的な活動を若手弁護士に心置きなくやっていただきたい、これからの世代を担う若い弁護士の希望の芽を摘むようなことを国にはしてほしくはない、谷間世代の不公平感、心のもやもや、割り切れない思いを抱えたまま、若い弁護士の活動が阻害されるようなことがあってはいけないと、優秀な人材を集めるためにも谷間世代を救済することの必要を市民の目線から訴えかけられました。

パネルディスカッションでは、日弁連司法修習費用給費制存続緊急対策本部本部長代行の新里浩二弁護士(仙台弁護士会)、日本退職者連合事務局長で2010年来、司法修習生に対する給与の支給継続を求める市民連絡会事務局長としても給費制復活の向けた運動を支援してこられた菅井義夫氏(東京)、ビギナーズ・ネットの共同学生代表池田慎介氏(札幌)、「谷間世代」当事者の清田美喜会員(当会、66期)をパネリストに迎え、髙木士郎会員(当会対策本部事務局長)の司会で、それぞれの立場から、給費制の事実上の復活に向けた運動を振り返るとともに、残る課題としての給付金制度の問題点、谷間世代救済の必要性などが語られました。給付金制度創設に向けた活動を振り返り、一定の成果が得られたことへの評価はなされているものの、谷間世代の声としては、「谷間世代は切り離されたと思った」、「同じ修習を受けたのに自分たちだけ何らの手当てもないのは不平等・不合理だと思った」という率直な意見があることが紹介されました。また谷間世代については、毎年の貸与金返済が足枷となって採算の合わない事件に全力を傾注しづらくなるのでは、弁護団事件のように着手金や報酬が期待できない手弁当での活動に積極的に参加するのを躊躇してしまう傾向が出ないかなど、これまでの弁護士像と乖離をして行く恐れがあるという深刻な問題点が指摘されました。

このような谷間世代の抱く不公平感を解消するためにどのような活動を今後行っていくかという点について、一度できた貸与制という制度を改め給付金制度の創設を成し遂げることができたのは、当事者の声を集約し、それを国会議員をはじめ多くの人たちに届けるという活動を地道に続けてきたからであり、谷間世代の救済についても、谷間世代の声を多くの人たちに届けるとともに、法曹の役割の重要性と国が法曹を養成することの意義について多くの方々から広く理解を得られるよう、活動をもう一度、自信を持って行っていくということが再確認されました。

4 国会議員ご挨拶

本集会には、原田義昭議員(自民党・衆議院)、鬼木誠議員(自民党・衆議院)、河野義博議員(公明党・参議院)、田村貴昭議員(共産党・衆議院)に出席していただきました(いずれも福岡県選出議員)。また、出席いただけなかった議員についても、多くの秘書の方に代理出席していただくとともに応援メッセージも10通以上寄せていただくなど、国政における給費制問題への関心の高さがうかがわれました。

原田議員からは、谷間世代の救済に向けては、強固な理論的根拠が必要だということ、不公平でかわいそうだからという感情論も一つの材料にはなるが、それだけでは不十分であるということが説明されつつも、給費制の復活という稀有なことを成し遂げたのだから、谷間世代の問題についても、国家社会のために立派な法曹を育てるのが国の仕事だという観点から、皆さんとともに頑張っていくと、強い励ましの言葉を頂きました。鬼木議員からは、九大法学部時代の友人らが精神的にも経済的にも苦労して修習を乗り越えた話を聞いたため修習に専念させるためにも修習生の経済的不安は取り除かなければならないと思う、与党の政治家として軽々しくは約束できないが、何とかしてまずは世論を動かしてほしい、一緒に頑張るとの言葉を頂きました。河野議員からは、給費制に関する国会での活動、とりわけ、ビギナーズ・ネットの「青Tシャツ」の広がりや各弁護士会による議員要請活動を目の当たりにし、熱意に動かされたこと、党内の議論としては、まずは給費制の復活が第一歩だとなったが、引き続き、谷間世代の問題に取り組むことが述べられました。田村議員からは、修習専念義務を果たさせるという修習費用の趣旨からして、月額17万円(住宅補助3.5万円を含め)という給付金では生活が成り立たないこと、谷間世代の救済は超党派で取り組むべきであることなどのご発言がありました。

各議員が現状の問題点を指摘していましたが、共通して語られたのは、給付金制度創設で終わりではなく、何としても谷間世代を救済する必要があるということでした。立法に直接携わる国会議員の方々が、与野党を問わず、この問題点を認識・共有し、その解決に向けて前向きに取り組んで頂く姿勢であることを確認できたことで、谷間世代の救済を目指す当本部としては非常に勇気付けられる思いでした。また、弁護士会によるこれまで幾多の議員要請活動をはじめ国会議員との交流についても十分に浸透していることが実感でき、これら活動の方向性が正しかったことを再認識しました。

5 おわりに

当日は90人収容の会場がほぼ満席になり、非常に盛況となりました。北は札幌・仙台から、南は宮崎・熊本まで全国各地からも弁護士や市民の方々が駆けつけてくださいました。また、貴重な日曜日にもかかわらず足を運んでくださった当会会員のみな様方にも本紙面を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

キックオフ集会としては大成功となった本集会ですが、来年7月には新65期の貸与金弁済が始まってしまいます。ひとたび弁済が始まってしまえば、谷間世代救済はいよいよ困難になりかねません。このように時間の無い中で、早急に活動を広めていかなければなりません。

集会の後は、天神にて懇親会が行われました。全国各地から参加の弁護士や、本集会に引き続き作間功会長にもご参加いただき、交流と連帯を深める、楽しく充実した時間となりました。

どうぞ、会員の皆さまのなお一層のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

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あさかぜ基金だより ~「パブリックロイヤーへの道」司法修習生説明会に参加して~

月報記事

弁護士法人あさかぜ基金法律事務所 服部 晴彦(68期)

あさかぜ基金法律事務所の所員弁護士の服部です。

昨年12月2日(土)、日弁連会館2階のクレオにおける「パブリックロイヤーへの道~法テラススタッフ弁護士・日弁連ひまわり基金弁護士・偏在対応弁護士 説明会~」に参加してきましたので、説明会の模様を報告します。

「パブリックロイヤーへの道」司法修習生説明会とは

この説明会は、公設事務所への進路を希望または興味のある司法修習生を対象に、公設事務所弁護士、すなわち、法テラススタッフ弁護士、司法過疎地に設置されたひまわり基金事務所の弁護士、日弁連の支援を受けて独立開業する司法過疎偏在対応弁護士について、その制度や弁護士活動の具体的なイメージを広く知らせるべく、紹介、説明しようというものです。

説明会は、修習生向けガイダンス、公設事務所勤務の弁護士によるパネルディスカッション、事務所ごとにブースを出しての個別説明というプログラムで行われ、私はパネルディスカッションから参加しました。

「パネルディスカッション」

パネルディスカッションでは、あさかぜ事務所のOBで、熊本県の法テラス高森事務所に赴任したあと、鹿児島県で独立開業した細谷文規弁護士のほか、法テラススタッフ弁護士2名(北海道、愛知県)、ひまわり基金弁護士(北海道)の4名をパネリストとして、「どんな活動をしているのか」、「公設事務所の弁護士としてやりがいを感じること」、「公設事務所で働くうえで辛いこと」、「養成時代にやって良かったこと、しておけばよかったこと」、「公設事務所の弁護士に求められること、人物像」といったテーマ、そして修習生から出された疑問点について、回答する形で進められました。

その中で、公設事務所弁護士としてのやりがいについて、「弁護士が少ない地域なので、社会的に注目され、必要とされている実感がある」、辛いこととしては、「寒さが厳しく雪が積もるなど自然環境が厳しい」、「買い物するところが少ない」、「管轄地域が広く移動が大変」、「相談を受けて弁護士として何と答えていいか困ったときに周りに相談できる人がいない」、公設事務所に求められることとして、「目先にこだわらずに数年後の依頼者や相手方のことを考えられる」、「人の話に耳を傾けられる」、「知らない土地でも、その土地の良いところを見つける」といった話が印象に残りました。

パネルディスカッションは修習生向けでしたが、弁護士過疎地域への赴任に向けて養成中の私にとっても、公設事務所で働いている先輩弁護士の話を聞くことができ、とても参考になりました。

「個別説明」

ブースでの個別説明では、私が所員弁護士として、事務所の業務内容や弁護士過疎地解消という設立目的、所員弁護士の養成といったあさかぜの特色について、ブースを訪れた修習生に説明しました。修習生は、熱心に説明を聞き、質問をしてくれました。説明を聞いていた修習生からは、公設事務所で働きたいという熱意を感じました。

修習生の熱意を感じて、私も弁護士となったときの初心を思い出し、日々の業務に邁進していきたいと改めて思いました。

司法修習生に向けて

あさかぜ基金法律事務所は、九弁連管内の弁護士過疎地域に赴任する弁護士養成を目的とした都市型公設事務所です。あさかぜは、司法修習生向けの事務所見学会を随時実施しています。弁護士過疎問題、公設事務所に興味のある修習生は、福岡県弁護士会天神センター、法テラス福岡が入った南天神ビルの2階に事務所がありますので、是非お立ち寄りください。首を長くして連絡を待っています。

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憲法リレーエッセイ 天皇の基本的人権

憲法リレーエッセイ

会員 前田 豊(28期)

1 10年前出た本に、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店・2006年)という本があります。明仁さんと美智子さんとは天皇陛下と皇后陛下です(以下、敬称を略します。)。

著者は元宮内庁記者(共同通信)のイタさんこと板垣恭介氏。友人からの「そんなモノを書くと殺されるぞ」との忠告をものともせず、今の非人間的な皇室制度は本当に必要なのか、いまこそ国民的な論議を、と問題を投げかけたのが、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」という本でした。

2 天皇・皇后を「さん」呼ばわりとはケシカランという方もあるでしょう。でも、京都では昔から天皇を陛下と呼ばず「天皇さん」と呼んでいたと、高坂正尭氏(元京大教授)が書いていました。いまでも、天皇が京都に行くと、「天皇さん、おかえりなさい。」という声が沿道からかかるそうです。「天皇さん」には京都の人の親しみを、また、「明仁さん」には身近に見てきたイタさんの親しみを感じます。

イタさんは、天皇と皇后の人間性に敬愛をこめ、象徴をやめて、ふつうの人間になりませんかという意味で、「皇族やめませんか」というのです。

3 2005年(平成17年)、小泉首相のとき、皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇・女系天皇を認める報告書を出しました。

しかし、イタさんは、一人の女性に苦労を負わせて天皇制を存続させるのには反対といいます。

なぜなら、天皇には基本的人権がない。参政権がない。養子が認められていない。戸籍がないから母子手帳もない。皇室会議の議決がなければ婚姻もできない。公務を拒否することもできない。そもそも定年すなわち「生前退位の自由」がない。いま考えなければならないのは、このような人権を認められない制度がこれからも必要なのか、日本人にとっての「天皇」「皇室」とは何かを根源的に問い直すことだというのです。

4 憲法の教科書によれば、選挙権、被選挙権、婚姻の自由、財産権、言論の自由などに対する一定の制約も、天皇の地位の世襲制と職務の特殊性からして合理的とされています(芦辺信喜「憲法第三版」86頁)。

また、皇位継承資格からの女性の排除や皇族身分の性差別的な取扱いが憲法第14条に違反しないかどうか。一般にそもそも憲法が平等原則の例外として世襲を認めている以上違憲とはいえないとして、憲法第14条、24条に違反しないといわれます。

しかし、女性差別撤廃条約第2条をめぐって、女性学の立場から憲法学への批判が提起され、憲法学説でもしだいに女性排除の違憲論が説かれるようになったとされます(辻村みよ子「憲法第二版」207頁)。世襲制を憲法上の例外と解しつつ、世襲制に合理的に伴う差別以外の差別は認められるべきではないとする学説もあります(横田耕一「皇室典範をめぐる諸問題」48巻4号43頁)。

辻村みよ子氏は、世襲原則は当然に性差別を内包するものでない以上、女性排除は、合理的理由のない差別的取扱いであり、女性差別撤廃条約第2条に明白に抵触するとしています(前出・辻村みよ子207頁)。

5 私は、10年前にイタさんの「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」を読み、おおいに共感しながらも、「なるわけないよなぁ」と思って本棚にしまっておいたのでした。

ところが、明仁天皇が、2016年(平成28年)8月、退位をにじませるビデオレターを公表すると、国民の大多数が賛同し、有識者会議が生前退位妥当の報告を出し、2017年(平成29年)6月9日国会で「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、天皇の意図のとおりに生前退位することになりました。

そして、同年12月1日の皇室会議で、2019年(平成31年)4月30日に退位、同年5月1日に新天皇の即位となることが決定しました。

変われば変わるものです。なるわけないよなぁと思ったことに反して、殺されるぞと忠告されたイタさんの提言がそのとおりになって実現したわけです。

6 振り返ると、1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、新天皇が即位しましたが、そのときの雰囲気は異様で、古い時代に戻ったような感じがしました。連日、天皇の下血が何ccあったという報道が続き、重苦しい自粛ムードが広がりました。

崩御の翌日、1月8日には、福岡県弁護士会でも、会館に半旗をあげるかどうかの議論が起きました。しかし、結局、国旗国家法が成立する前であったため半旗はあげませんでした。

7 宮内庁は否定しますが、天皇代替わりの即位式後の大嘗祭では、神が天皇の身に乗り移る秘儀が行われるとされます(折口信夫等)。

すなわち、江上波夫氏によれば、御殿の床に八重畳を敷き、「神」を衾(ふすま。掛け布団のようなもの)でおおって臥せさせ、「天皇」も衾をかぶって臥せ、1時間ほど絶対安静の「物忌み」(汚れを避けること)をする。それで神霊が天皇の身に入り、天皇は霊威あるものとして復活する。地上の人間が神霊を招き、霊的な君主としての資質を身につけて「人間として現れている神」となるというのです(江上波夫「騎馬民族国家」(中公新書231頁))。

これには尾ひれがつき、そのとき、新天皇が前天皇の遺骸と同衾するとの説、新天皇と巫女が同衾するとの説など、種々の説があるとされますが、真実は闇の中で分からないとしかいいようがありません。

明仁天皇の即位式の後の大嘗祭でも、その儀式が行われたと思われますが、実際は不明です。テレビ報道では秘儀を示唆していました。

しかし、国民の総意に基づく象徴天皇制は、このような「人間として現れている神」を観念することとは無縁なはずです。明仁天皇の即位のときは、衆議院の小森龍邦議員が、宮内庁に対して、そのような秘儀を行うのは問題であると質問する主意書を提出しています。

これに対し、生前退位だと、天皇は死亡していないのですから、前の天皇から新天皇に神が乗り移るということは観念しにくくなります。明仁天皇は、生前退位をすることによって、身をもって示そうとしたようにも思えます。2019年の代替わりのときにはどのような儀式が行われるのか、注目したいと思います。

8 それにしても、私たちは、天皇や日本の歴史を知っているようでいて、案外、正当に認識していないのではないかと思います。

とりわけ、魏志倭人伝が伝える卑弥呼や邪馬台国連合の事実(西暦240年前後)、古事記と日本書紀が記述する神話や大和政権の関係、3世紀から6世紀ころにかけて何があったのかということについては、私たちの理解は一貫性を欠き、一元的な理解を困難にしていると言わざるをえません。その原因の一つは、万世一系の天皇制の歴史、日本人と朝鮮半島との関係について、正面から向き合う機会が少ないからではないかと思うことがあります。

この点、韓国の韓流ドラマは、はるかに自由で刺激的です。例えば、新羅の女王を描いた「善徳女王」もそうです。

「善徳女王」の時代は西暦600年から647年ころ、白村江の戦いの前です。朝鮮半島では百済、新羅、高句麗の三国が覇権を争い、中国では隋が国内を統一し、唐が隋にとって代わり、日本(倭)では推古天皇や聖徳太子が百済と交流し、中国に遣隋使を派遣するころの物語です。

新羅の善徳女王の幼少時代の名前は金徳曼(キム・トンマン)。トンマンは、王に男子がなく双子の女子として生まれたので不吉の前兆として国外追放され、男装しながら朝鮮半島から中国長安を経てタクラマカン砂漠まで逃亡し、ローマまで行けばよかったのに新羅に戻って人心を掌握し、父王の跡を継いで新羅の女王となり、百済と戦うというストーリーです。ユーラシア大陸の東から西へ、西域との交流や遠くヨーロッパのローマまで視野に入れて希有壮大であり、わくわくしながらドラマに引き込まれます。脚色はあるにしても、基本は史実に基づいていると思われます。

隋の使者が新羅に暦を持ってくること、水時計を作って時間を知ることなど、天智天皇が時間を権力の源としたことと共通であり、女帝が登場した点も類似します。新羅は善徳女王と姉の真徳女王、日本は推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇が女帝として統治しています。韓流ドラマから日本の同時代が透けて見えます。

日本では、歴史ものといえば多く鎌倉時代、戦国時代、江戸時代に限られ、このような時代設定のドラマには滅多にお目にかからないのが残念です。

9 その白村江の戦い(西暦663年)のころのことです。

私は、高校時代、蘇我蝦夷(そがのえみし)という人の名前がおかしいと思いました。蘇我蝦夷は推古天皇や聖徳太子の時代の豪族で権力者であり、娘を天皇に嫁がせるなど天皇との関係も深い人です。

しかし、蝦夷という名前は東北、北海道の当時の辺境の地域や人を指すはずなので、権力者にふさわしい名前ではないと思ったのです。

最近、蘇我一族は朝鮮半島からの渡来人であるという有力説があることを知りました(水谷千秋「謎の豪族蘇我氏」文春文庫)。満智という人が百済から来て、子孫が韓子、稲目、高麗、馬子、蝦夷、入鹿と続いたというのです。そういえば蝦夷に限らず、韓子、高麗などは渡来人風の名前です。馬子、稲目、入鹿は動植物の名前をつけることで渡来人に限りませんが、これだけ続くと、やっぱり変です。私は、変わった名前は渡来人のせいかと思って疑問が解消したと思いました。しかし、それなら、推古天皇や聖徳太子など天皇の血統にも母方を通して渡来人の血が色濃く入っていることになります。

学説には、満智が朝鮮半島から渡ってきたという記録がないとして、蘇我氏の渡来人説に異を唱える説もあるようです。

10 5~7世紀の日本には、朝鮮半島からの渡来人が続々と渡ってきて、大和朝廷国家に帰化し、色々な技能や知識をもって、古代日本の経済的・文化的発展に非常に貢献したといわれます。集団移民で、同族の長を頭にいただき、東漢(ヤマトノアヤ)氏や秦(ハタ)氏はその代表格で、一説によると、平安時代の文献では、帰化人系統の氏は支配層の3割を占めたといわれています(前出・江上波夫「騎馬民族国家」212頁)。

ちなみに、弥生土器から須恵器に変わるのもそのころで、野焼きでわらの上に土や灰を覆って焼く弥生土器に比べ、新羅、百済からの渡来人が焼成技術を伝え、ロクロを使い、半地下式窖窯(あながま)で1200度以上の高温で焼くようになり、灰青色の固い須恵器の陶器を作ることができるようになりました。

11 西暦645年、蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿は、宮中で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足に暗殺され、蘇我蝦夷は自害して蘇我一族は滅亡します。かわって、中大兄皇子による大化の改新という名の天皇中心の政治改革が進められます。

西暦660年、朝鮮半島で百済が新羅と唐の連合軍に破れます。

百済は、残党勢力で百済・唐に対抗するとともに、日本へ援軍要請と、百済復興のため、日本に住んでいる百済王子の余豊璋(よ・ほうしょう)を王にするから百済に返してくれと要請します。余豊璋は、百済での政争に敗れ国外追放された後、日本へやってきた王族の一人です。日本にとって、この百済の救援に応じるか否かは国の存続に関わる重大な決断でした。

斉明天皇と中大兄皇子は、余豊璋に兵5000人をつけて百済に送り、阿倍比羅夫等を指揮官とする2万7000人の兵を派遣しますが、西暦663年、白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に破れます。天智天皇となった中大兄皇子は報復を恐れ、北部九州に東国から防人を配置し、百済亡命人を使って対馬に金田城、壱岐に烽火台、太宰府に大野城と水城、基山に基肄城を築き、瀬戸内海に山城を築き、都を難波から近江に移します。対馬、壱岐から「のろし」をあげて敵侵攻を伝え、水城、大野城、基肄城で太宰府を守る作戦だったのでしょう。

それにしても、3万人以上を派遣したのは、百済と日本(倭)との間に単なる同盟軍以上の深い関係があったと考えるべきでしょう。

私は、2000年、対馬弁護士センター勤務のとき、対馬の金田城に行ったことがあります。海から上がってくる低い山の山城で、敵の大軍が押し寄せたらひとたまりもありません。守備を命じられた防人は、死ぬしかないと思われました。ただ、死ぬ前にのろしをあげ、太宰府に敵来襲を知らせ、近江の京に知らせることが使命と知りました。

そう考えると、万葉集の防人の歌には、深い哀しみを感じます。

天智天皇の死後、弟の天武天皇は、大化の改新に沿って天皇制国家を進め、日本の正史を作ることを発起し、死後に「古事記」(712年)、「日本書紀」(720年)が作られます。このとき、神武天皇から持統天皇まで「万世一系の天皇神話」が完成するのです。

12 明仁天皇は、1990年(平成2年)11月の即位式で、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し・・・」と述べられました。明仁天皇にとっては、平和憲法、基本的人権、民主主義と象徴天皇制の憲法を順守することは天皇の使命と思っておられたと思います。

明仁天皇は、2001年(平成3年)12月、68才の誕生日の前日、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本記に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」と述べられました。桓武天皇(794年平安遷都)の母・高野新笠(たかののにいがさ)は百済の渡来人の子孫で、桓武天皇を初め万世一系の天皇は渡来人の血をひいていることになります。

明仁天皇は、2004年(平成6年)10月、秋の園遊会で、都教育委員の米長邦雄氏(将棋元名人)が「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます。」と述べたのに対し、すかさず「やはり、強制になるということではないことが望ましい。」と答えられました。憲法遵守の気持ちの表れと思います。

13 天皇制は、国民の問題であり、憲法の問題です。天皇を元首に祭り上げるのは方向が真逆です。人間として解放する方向に議論が向くべきではないかと思います。

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