福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2014年10月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆

憲法リレーエッセイ

会 員 迫 田 登紀子(53期)

○ある少女の話○

私が登録して間もなくの2002年2月、全国に先駆けて福岡県弁護士会で当番付添人制度が始まった。おかげさまで、50名を超える少年たちとの出会いの機会を戴いた。

中でもA子さんのことは、とりわけ強く記憶に残っている。出会った頃のA子さんは17歳。背の高い、健康的な美人で、清潔感にあふれ、礼儀も正しい。およそ鑑別所に似合わないな、というのが第一印象だった。

非行事実は覚せい剤の自己使用。痩せる目的で、売人から短期間に頻回に購入しては、自分で注射したという。

面会を重ねるにつれて、彼女が幼いころに、実父から種々の凄まじい暴力を受けたことを知った。生きることに意味が見いだせないでいること、深い孤独をかかえていることなどが分かった。私は、母親が彼女のことを愛しているというメッセージを発し続けることしかできなかった。

審判結果は、残念ながら少年院送致。罪滅ぼしに、少年院でも面会を続けた。

1年後、帰ってきました、と電話をもらった。昼食を、と誘った席で、彼女は少しずつ話をしてくれた。

"先生。私、少年院に行ってよかったと思っているよ。覚せい剤を注射されたお母さんネズミが、赤ちゃんネズミを食べる映画を観て、怖かった。覚せい剤をやった子たちが、輪になって、自分たちのことを話し合った。ああ、私とおんなじなんだって分かった。みんな、さみしいんだよね。とっても勉強になったし、もう覚せい剤はしない。

でもね、本当の勉強は今からだと思っている。だって、これからは、家族と喧嘩になったり、好きになった人から嫌われたりするかもしれない。たぶん、たくさん辛いことがあるよね。その時がきても、薬とかに頼らないで、乗り越えるね。それが、私の本当の勉強。"

わずか1年あまりで、生きる力を取り戻した彼女に、私はただ感服するしかなかった。

そして、それが実現したのは、鑑別所、家庭裁判所、少年院等の彼女に携わった多くの公務員の方々が、彼女に対して「個人として尊重する」という姿勢を貫いてくださったおかげだと感じている。憲法13条は、今も確かに根づいている。

○私の実感○

借金、離婚、生活保護、学校や職場でのいじめ、刑事事件。弁護士として日常的に接しているこうした事件。その背景に、何らかの暴力が絡んでいることが多い。

誰かからの暴力が、受けた者の生きる力を奪う。生きる力を奪われた者は、引きこもり、社会から逸脱し、時に死に追いこまれる。あるいは、別の誰かに暴力をふるうことでしか自己回復ができない。

このマイナスの連鎖を食い止める手立ては、1つしかない。暴力を受けた人も、振るった人も、周囲から人間として承認され、安心して自らの思うところにしたがって自己決定できる主体として回復していくこと。

これらのことに、客観的根拠があるかは分からない。しかし、A子さんをはじめとする依頼者の方々との出会いを通じて、私が確かに感じている実感である。

そして、多くの法曹の方々も同じような体験をお持ちではないかと推測する。

○平和を考えるにあたって○

平和の問題を考えるとき、国家を人間から切り離されて存在する得体も知れない力と考えることは危険ではないだろうか。

国家の三権を担っているのは公務員という名のつく生身の人間であるし、国家を構成しているのは言うまでもなく個々の国民である。とすれば、現実の国民の集合体が国家であると考える方が自然である。

個々の国民に対する暴力が、その個人を身体的・精神的のみならず社会的にも破滅させるのならば、国家に対する暴力も、その国家の構成員を、身体的・精神的・社会的に破壊することになる。そして、その構成員は、いずれ別の誰かに暴力をふるうことで回復を図ろうとするのではないだろうか。

武力による紛争解決は決して平和をもたらさない、と思えて仕方がない。 暴力と人間と国家の関係。司法という国家権力の一部に関わっている体験を、今こそ、多くの人に語らないといけないと感じている。

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