福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2014年1月号 月報

給費制本部便り ~12.4市民集会と福岡県弁護士会の取組みの報告~

月報記事

会 員 髙 木 士 郎(64期)

1 はじめに

平成25年12月現在、司法修習生に対する経済的支援を含めた法曹養成制度のあり方は、平成25年9月17日の閣議決定により発足した法曹養成制度改革推進会議(および、内閣官房に設置された法曹養成制度改革推進室や顧問会議)において審議・検討されています。この推進会議での検討のなかで、司法修習生に対する充実した経済的支援策が盛り込まれるよう、日弁連及び各単位会では、議員要請や団体署名への協力要請など様々な働きかけを行っているところです。その一環として、12月4日に日比谷図書文化会館コンベンションホール(東京)において『司法修習生に対する給費の実現と充実した司法修習を求める市民集会』を開催いたしましたので、現在実施中の福岡県弁護士会の取組みとあわせてご報告いたします。


2 12.4市民集会

12.4市民集会は、大盛況のうちに終わった10月30日の院内集会の盛り上がりを受けて、さらに広く市民を対象として実施されることとなったものです。ちょうど特定秘密保護法案の参議院での審議が大詰めを迎えており、国会の中も外も騒然とする状況での開催となりましたが、集会には国会議員ご本人の出席もいただくことができ、給費制問題に対する議員の関心はまだ高いことを感じました。特に、登壇してご発言くださった鈴木貴子衆議院議員(北海道)の、修習生や学生からの支援を求める声がこれほど上がっているのに、検討会議などがそれをことさら顧みようとしないのはおかしい、といったお話には会場中から共感の拍手が起きていました。

また、新66期司法修習生に対するアンケートの集計結果の分析も発表されましたが、中でも修習生の修習への意欲が下がってきていることを示すような回答が新65期に対するアンケートと比較しても増えていることが報告されました。経済的要因だけの問題ではないのかもしれませんが、貸与制のもとでの修習が与える影響がじわじわと広がり、修習制度そのものを蝕み始めているかのような薄ら寒い印象を受ける報告でした。

一方で、現在実施している、修習生に対する給費の実現等を求める要請に対する賛同の団体署名への協力要請についての報告は、これまで以上の支援の広がりを感じさせる心強いものでした。特に、医師会や農協など、従前協力をいただけてなかった団体から賛同をいただけることとなったのは、今の法曹養成のあり方、特に修習生に対する経済的支援の問題点が社会でも、危機感を持って認知されてきたことの現れではないかと感じました。


3 国会議員との面談

市民集会の当日には、市丸信敏給費制本部長代行、鐘ヶ江啓司給費制本部委員、髙木の3名で議員会館を訪ね、福岡県選出の国会議員との面談を行いました。これまで地元事務所での面談などをしてきた経緯もあってか、国会が大荒れとなり多忙を極めておられる中であるにもかかわらず、濵地雅一衆議院議員(公明)、宮内秀樹衆議院議員(自民)にはまとまった時間を取っていただき、議員ご本人と直接お話をすることができました。濵地議員は、弁護士のご出身ということもあり問題についても危機感を持っておられ、党の司法改革PTでの検討をさらに進めていきたいと心強いお言葉をいただきました。宮内議員は、先々月地元事務所で面談をした後に、給費制問題を含めた司法制度改革について情報を集められたようで、優秀な人材が法曹を目指さなくなりつつあるということに以前にも増して危機感を覚えておられるようでした。

また、三原朝彦衆議院議員(自民)、武田良太衆議院議員(自民)、遠山清彦衆議院議員(公明)は、政策秘書の方が時間を取ってくださり、しっかりとお話をすることができました。

今回の議員との面談を通じて、司法修習生への経済的支援の問題については以前にも増して国会議員のなかでも理解と共感が広がっているとの印象を受けるとともに、会長を始めとした地元議員への働きかけなどこれまで実施してきた福岡県弁護士会の地道な取組みがしっかりと根付いていることを改めて感じました。


4 団体署名への協力要請

現在、弁護士会では、司法修習生に対する給費の実現と充実した司法修習を求める要請への協力の要請を関係諸団体に対して行っています。コンセプトは、これまで協力をお願いしていなかった団体へも支持の輪を広げていこう、というものです。

福岡県弁護士会ではこれまでに、2010年来の運動の成果の蓄積のおかげで、全国に先駆けて福岡県医師会からの賛同を頂くことができ、また、その勢い駆って、日弁連としても日本医師会から団体署名を頂くことができました。さらには、古賀前会長のご尽力で農協諸団体からも賛同をいただいております。その他にもたくさんの会員の先生方のご協力で多くの賛同の署名を得つつあります。

今後も団体署名への協力要請を続けてまいりますので、更なるご協力のほどよろしくお願いいたします。


5 終わりに

推進会議での修習生に対する経済的支援策についての検討はまさにこれから(平成25年12月17日から)です。自民党の司法制度調査会では、推進室からの修習生に対する経済的支援がこれ以上必要であるとの立法事実はない旨の報告に対し、実態をあまりにも無視するものだとの強い非難が加えられたという話があるように、法務省、最高裁が主導して進める現在の検討状況についての疑問が国会議員の間でも共有されてきているように感じます。特に、自民党の司法制度調査会(法曹養成制度小委員会)では、この3月にも法曹養成制度改革の各重要論点についての提言を出す予定とのことであり、私たちは、ここで今一度、充実した司法修習を行うために必要な、給費制も含めた環境整備のあり方について再検討すべき、との声をしっかりとあげていかなければならないと思います。
会員の皆様、お力添えのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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◆憲法リレーエッセイ◆ 危険な秘密保護法~反対の声を~

憲法リレーエッセイ

会 員 井 上 敦 史(62期)

昨年11月29日、自民党の石破茂幹事長が、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と、あまりに非常識な発言をしました。

この発言は、秘密保護法案に反対する国民のデモ活動に対するものです。

あまりにも危険性を孕んだ法案であるので、国民は反対しているということを全く理解していないのでしょう。

当会でも秘密保護法案に反対する活動を行いましたので、秘密保護法にはどのような危険があるのかとともにご報告させていただきます。


昨年12月4日、12時から天神パルコ前で、秘密保護法案に反対する街頭宣伝活動を行いました。

橋本千尋会長を先頭に、30名を超える会員が大きな声を上げ、約1000枚のビラを配って、町の皆様に秘密保護法案の危険性を訴えました。

道ゆく人々の中には、私たちが配っていたビラを受け取り、「あの法案は危険だねぇ」、「頑張って」、「どういったところが危険なのですか」と話された人もいるほど、国民が関心を持っており、反対の声が大きい法案でした。


残念ながら、この法案は、強行採決となり12月6日に「秘密保護法」が成立してしまいました。

「秘密保護法」は国民主権原理の根幹を揺るがす大きな危険性を孕んでいます(秘密保護法の成立に至るまでの経緯で、すでに国民主権原理がないがしろにされているように思えますが・・・)。

この「秘密保護法」が孕んでいる大きな危険性は、以下のようなものです。

まず、「知る権利」(憲法第21条)を侵害しているという点があります。

「特定秘密」に指定されてしまうと、国民には何の情報も得ることはできません。私たちの国家で何が行われているのか、どのような方針で動こうとしているのか全く分からないようになってしまいます。その結果、私たちが国家統治に十分な情報を持って関われなくなり、「国民主権」という言葉は形骸化してしまいます。

また、ある情報を「特定秘密」に指定するのは行政機関となっているので、行政機関が自己に都合の悪い情報を秘匿できるようになります。国は情報操作をすることにより、「知る権利」を容易に侵害することができるのです。

次に、「特定秘密の対象範囲が広範で不明確だ」、という点があります。

「特定秘密」とは一体何なのか、法律に定義規定はあるものの明確には示されておらず、広範なものとなっています。

その上、「特定秘密」を取得する行為や、取得しようと話し合う行為などが処罰対象となっています。

そのため、記者が取材をしようとしたときに、実は取材の対象が「特定秘密」と指定されていたものであれば、罰せられることになってしまいます。記者は取材を萎縮するようになり、「取材の自由」、「報道の自由」を侵害することにもなっているのです。

さらに、罰せられる場合においても、「特定秘密」が明確でなく広範であるために、なぜ自分が罰せられるのか、裁判においてどのように防御すればいいのか分からない状態となってしまいます。

「特定秘密」が明確でなく広範であるために、様々な問題が生じています。

最後に、「適性評価制度」によりプライバシーが侵害されるという点があります。

「適性評価制度」は、「特定秘密」を取り扱う者を管理するために、住所歴などの人定事項だけでなく、信用状態や犯罪歴などの事項を調査して、「特定秘密」を取り扱う者としてふさわしいかどうかを判断されるというものです。

調査の対象は、本人だけでなく、家族などの周辺の者や医療機関、金融機関などまで含んでいます。

このようなセンシティブな情報を行政機関や警察が収集し、利用することにより重大なプライバシー侵害が生じるのです。


このように、秘密保護法は大きな危険性を孕んだまま成立してしまいました。
まだ今からでも遅くありません。この法律の危険性を訴えながら適用させず、廃止するよう声をあげていきましょう!!

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シリーズ―私の一冊― 「海賊とよばれた男」 (百田尚樹著 講談社)

月報記事

会 員 萬 年 浩 雄(34期)

私は人の生き様や人間力を描いた小説が好きである。百田尚樹著の「海賊とよばれた男」は久方振りにスケールの大きい人物を描いている。

出光興産の創業者である出光佐三をモデルにしたドキュメント小説である。私の知人の姉が出光家に稼しており、私はかねてから、馘首なし、タイムカードなし、定年なしの出光興産の経営の実態はどこからくるのであろうかと思っていたし、創業者出光佐三の人間力には非常に興味をもっていた。

佐三が石油小売会社から出発し、既存の石油元売や官僚からの徹底的な弾圧や国際メジャーとの激しく厳しい闘いに臨み、ついにはイランから石油採掘し、輸入に成功した歴史を読んで、私は、スケールの大きさと創業者オーナーの経営哲学に感服した。そして佐三の創業の資金援助をし、かつ自分の財産を投げ出して今日の出光興産の基礎を築きあげた、日田重太郎というスケールの大きい男の存在に度肝を抜かれた。日田が佐三に惚れたとしても、全財産を投げ打って資金援助する度量の広さはどこからでてくるのか。昔は日田みたいな人が数多くいたとは聞いていたが、ここまでの人間の描写を私は初めて読んだ。佐三は日田の恩義には日田が死ぬまで報いている。この佐三の義理と人情、そして人間力には全く感動した。

私が人間力に興味をもったのは、人間が大成する、あるいは成功するのは、知識ではなく知恵の勝負、そしてその人がどういう哲学をもった人間如何によるかではないかと思ったことによる。その意味で経営者の経営哲学を知るとその人間力の大きさがわかる。

この問題点に気付いたのは、私が弁護士稼業に嫌気がさした時である。

弁護士5年目位に、尊敬する故國武格弁護士の私に対する発問があった。「萬年君、弁護士稼業にもそろそろ飽いてきたろう」と尋ねられ、私は「いやいや弁護士は私の天職ですから飽きることはありません」と回答した。そうすると故國武先生は悲しそうな顔をされて一言も発せられなかった。私はその故國武先生の表情を忘れることができなかった。

弁護士10年目位に、私は弁護士になったのは道を間違えたのではないかと、弁護士稼業がイヤになった。弁護士の仕事は民事、刑事にしろ所詮人間の欲望処理ではないか。苦労して司法試験に合格したものの他人の欲望処理のために仕事をするのかと弁護士稼業に疑問をもったのである。

あの全共闘世代では学生運動に熱中したのは当然であり、私は逮捕歴こそないもののその寸前は何回もあった。逮捕された友人に、警視庁でお前の写真は何十枚もあったぞと言われ、就職することはあきらめた(現に司法研修所の検察教官からは、君は青法協の大幹部だろう、国家権力は公安を使って君の身上経歴は徹底的に調査していると言われた。ただ私は、青法協の会議には100パーセント出席していたが、組織嫌いであったため青法協の会員にはならなかった)。

学生運動に熱中し、大学の授業をほとんど欠席していた私は、卒業後独学で法律を勉強し、昼夜逆転の生活でアパートに閉じ籠もって勉強し、やっと司法試験に合格した。そして社会正義と基本的人権を確保するために弁護士稼業を始めたものの、前述の他人の欲望処理に嫌気がしたのである。ここで5年前の故國武先生の発問の意味が初めて理解できたのである。

そして、弁護士の仕事は形としての成果物が残らないし、この空しさを覚えていた。

私は幼児のころ、毎日隣家の大工さんの作業場に遊びに行き、大工仕事を一日中飽きもせず見ていた。大工仕事は仕事が成果物として残る。やはり仕事は、形として仕事の成果物が必要ではないかと思っていた。

丁度その頃、企業再建の仕事がきた。企業再建に成功すると、依頼者であるオーナー、従業員、取引先、金融機関等関係者全員が喜び、又その企業名を見聞するたびに仕事の成果物を味わうことができる。これは丁度私が幼児の頃、大工仕事に憧れていたのと同じでないかと気付いた。すると私は企業再建の仕事がおもしろくなり、弁護士冥利を味わうことができるようになった。

そうすると企業再建するには何が必要か、それは経営者の経営哲学や人間力如何にかかるのではないかと思い、経済、経営、企業実態、経営者の生き様を描いている本、雑誌、新聞等を乱読するようになった。特に創業者オーナーの創業の経緯や哲学等は興味津々である。そこに共感するのは、独創的発想はするものの、強固な哲学に裏付けられた経営の理念、そして人の生きる道を考えた人生訓である。出光佐三が会社経営を、従業員を家族とみなして大事にする思想が理解できた。この考えであれば労働組合も不要だし、従業員も必死になって働くだろうと思った。会社という組織をいかに機能させるかを本能的に理解し、それを経営ビジョンにして会社運営しているのである。私の知る伸びている企業経営者にはそういう人が多い。

そこで、企業が倒産するのは経営者の人間力の弱さが露呈したに過ぎないのでないかと思った。その場合は旧経営陣は経営責任をとって辞職し、人間力に富んだ経営陣を選出するしかなかろう。その人間力に富んだ経営陣か否かは、人間力に関する幅広い知識と洞察力が問われ、幅広く勉強する必要があるのだ。

私はその意味で日経新聞の「私の履歴書」や経済人のエッセイ、そして日経ビジネスの「敗軍の将、兵を語る」シリーズは勉強の糧となる。企業再建するには金融法務の知識は勿論のこと、会社法、経営論、日本経済、世界経済の知識は前提事実である。そして人間力の根底にある哲学、人間性をも理解する必要がある。そうすると読書の範囲は必然的に幅広くなるし、文学だけではなく、映画の世界を見て人間の性や情を学ぶ必要がある。

私は人間の生き様や死に様に興味をもち、それを究めたいと熱望している。この「海賊とよばれた男」を読んで、私が弁護士稼業に嫌気がさして、弁護士稼業で成果物を見ることができる「企業再建」の仕事に熱中し始めた原点を想起させた本であると思った。

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「沈黙の12歳」

月報記事

会 員 安孫子 健 輔(62期)

「先生、付添人サポート研修のお願いです。12歳の女子。虞犯です。」

「12歳!?」

「私も家裁に何回か聞き返したんです。間違いありません。」


ここ最近、どういうわけか女子のケースばかり配点されてくる。このあいだはシンナー依存の16歳女子、その前は虞犯の16歳女子。そだちの樹で受理したケースや未成年後見のケースも例外なく女子。気がつけば、私のスケジュールには年ごろの女の子の名前ばかり並んでいる。

そして今回も女子。たださすがにローティーンの経験はなかった。この年齢で虞犯立件されるとは、いったいどれほど過酷な環境に身を置いていたのだろう。出動要請の電話から受け取れるわずかな情報でも、受話器をギュッと握らせるのに十分だった。


いざフタを空けてみると、それは想像を遥かに超える困難ケースだった。否、困難かどうかすら量りかねるケースだったと言ったほうが正確かもしれない。彼女は私にも、一緒に担当した徳川泉先生にも、調査官にも、観護教官にも、鑑別技官にも、家裁送致した児童相談所のケースワーカー(CW)にも、まったく口を開こうとしなかった。こちらが問いかけても、首を傾げたり、天井を仰いだり、俯いたまま両手の指を絡ませてみたりと、じっと何かを考えているのか、何も聞こえていないのかすら分からない。

ケースワークのきっかけになる情報が何も引き出せないことに、私たちは焦った。とにかく関係をとらないと始まらない。毎日面会に行こう。話ができなくても、顔を見に行くつもりで通ってみよう。そんな方針しか立てられなかった。記録を読んで保護者とコンタクトを取り、児相CWから話を聴き、鑑別技官にもカンファレンスを申し入れた。皆、悩みは同じだった。そうしているうちに、もう家裁送致から10日が過ぎていた。

しかし、子どものケースに急展開は付きものだ。徳川先生が面会のたびに送ってくれるメモが、ある日突然、すごいボリュームになっていた。彼女が堰を切ったように話を始めた様子が、その中に伝えられていた。

どうして彼女が急に話を始めたのかは今でも分かっていない。ただ、徳川先生だけが彼女から話を引き出せるようになったことは確かだった。それから私たちはようやく、審判に向けて動き始めた。


記録には児相の苦労がにじみ出ていた。児童自立支援施設への同意入所を目指してかかわってきたものの、その頑張りが実を結ぶ見込みはない。だから最後の手段として、家裁に施設送致を認めてもらいたい。詰まるところ、それが児相の見解だった。

しかし、彼女をいま施設に送致していったい何が解決するのか、私にはうまく飲み込めなかった。少年院と違って、児童自立支援施設を出た後は保護観察に付されない。児相CWが丁寧にかかわっていく以外に彼女の要保護性を解消する途がない状況は、今と何も変わらない。ここで彼女の納得を得ないまま施設送致を進めても、児相との関係が悪化して、施設から帰ってきた後のケースワークにも悪い影響を与えかねない。結局、このケースで司法ができることと言えば、「次に何かあったら少年院だよ。」と、懇切で和やかに、しかし絶望的なプレッシャーを伝えることだけではないか。私は、18条1項を使ってケースを児相に戻すべきだと考えた。

審判結果は施設送致。抗告も蹴られた。彼女はいま、送られた施設でどうにか前を向こうと頑張っているが、気力はそう長く続かないようだ。色んなものを溜め込んでは吐き出して、それを受け止めてもらって、そうしたことを繰り返す中で、大人への、そして社会への信頼を獲得していってくれることを願うしかない。鑑別所で徳川先生と一緒に自分と向き合った時間は、その過程できっと大きな糧になる。そう信じて、彼女の成長を見守りたい。

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あさかぜ基金だより ~KBCラジオ「ひまわり号」出演記~

月報記事

弁護士法人あさかぜ基金法律事務所 弁護士
青 木 一 愛(35期)

去る平成25年11月19日、KBCラジオ「ひまわり号」において、「弁護士過疎地域」をテーマとして採り上げて頂きました。このテーマとの関係で、当事務所に出演のお鉢が回って参りまして、私が当事務所を代表して出演いたしましたので、ご報告させて頂きます。


まず、出演に先立ち、当日の台本を作成致しました。私は、高校、大学時代と演劇部に所属し、脚本をやたらと書いておりましたので、当時を思い出しながら、ラジオ用の台本を作成致しました。

「ひまわり号」は、5分間ほどのコーナーですが、少しでも多くの話題を詰めたいと思うと、あっと言う間に10分間位の台本になってしまいます。一方、あまりに専門用語が飛び交う台本になってしまうと、耳だけで聞くリスナーの方には、何のことだか良く分からないことにもなってしまいます。この辺りの塩梅を考えながら、台本を仕上げる作業は、意外と骨の折れるものでした。


台本の内容については、耳に残りやすいキーワードということで、「ゼロワン地域」を切り口として話を始めることに致しました。ご存知のとおり、現在、「ゼロワン地域」については、「ゼロ」が解消、「ワン」も大分の佐伯支部を残すのみとなってきたので、そういう意味では、「ゼロワン地域」は、旬を過ぎた話題かもしれません。しかし、一方で、一時は、弁護士ゼロ地域が復活したり、ワン地域が増加したりするような出来事もありましたから、決して「終わった」問題であるということではないと思います。そのため、今回の放送においても、改めてゼロワン問題から話題をスタートすることに致しました。


放送当日は、放送1時間ほど前に、リポーターの方が事務所に来られ、早速、リハーサルとなりました。何回かリハーサルを重ねていくと、これまた、昔取った杵柄なのか、台本を「読んでいる」感じではなく、「自然な会話をしている」感じで話したい、と言った余計な目標が気になってしまいます。しかし、そうは言っても、リポーターの方から質問されるごとに、「えー」とか「はい」とか答えてしまうと、かえって聞きにくくなってしまいます。さて、どうしたものかと、あれやこれやと考えてみましたが、こうなってくると、「インタビューを受けている」というより、「演技をしている」といった方が近くなってきてしまい、心の中で苦笑してしまいました。


そうこうしている内に本番の時間を迎えることとなりました。結局、どのように話すと「自然な会話」に近いのかは皆目見当がつかなかったので、「大事な部分は早口で話さない」「しっかりと聞き取ってもらえるように滑舌よく話す」という、ごくごく当たり前のことを意識することに致しました。


本放送においては、地域に弁護士が少ないことによって生じる問題、このような弁護士過疎問題を解決するために九弁連が当事務所を設立したこと、当事務所の出身弁護士が九州各地のいわゆる「過疎地」に赴任し、地域の司法サービスの一翼を担っていることを中心にお話し致しました。また、法的トラブルに直面した方が弁護士に辿り着けるか否かが重要である、ということを日々の業務の中で改めて痛感しておりましたので、ありきたりな言葉ではありますが、「法律トラブルに直面されたら、お気軽にご相談下さい」ということもお話し致しました。このように、多方面な話題を織り込んだ結果、あっという間に、5分ほどの放送時間は終了を迎えました。内容面は散漫になってしまったかもしれませんが、何とか、皆様に聞きやすく話すことはできたのではないかと思っております。


最後に、この度のラジオ出演にあたっては、原田直子先生、網谷拓先生をはじめとした、対外広報委員会の皆様に大変お世話になりました。月報の場ではございますが、改めて、御礼申し上げます。

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「転ばぬ先の杖」

月報記事

広報委員会委員長
田 邊   俊(53期)

1 はじめに

福岡県弁護士会の月報は、昨年、500号という節目を迎えましたが、当初は純然たる会内広報誌という性格を有していました。しかしながら、その性格も徐々に変化しており、現在では、会員の各弁護士や弁護士会以外に、記者クラブ、県立図書館、地方自治体等の外部にも配布されるようになり、市民の目に触れる機会も増加して来ました。

そのような観点から、橋本執行部より、月報における対外広報という側面も強化されるべきではないかという意見が出され、広報委員会としても、対外広報の意味合いを有する連載記事を掲載することの検討を始めました。もっとも、対外広報とは言っても、月報は会内広報誌という性格も有するため、弁護士の自慢話と捉えられる記事を掲載することには躊躇を覚えざるを得ません。

そこで、この平成26年1月号から、実験的に、「弁護士が付いていれば、大事に至らなかった」、「当初、弁護士に相談していなかったので、大変なことになった」という事案をご紹介することで、弁護士の必要性ということを考えていただくコラムを掲載したいと考えております。題して、「転ばぬ先の杖」という連載記事ですが、第1回は、責任上(?)、私からはじめさせて頂きます。


2 事案

甲社は、上場企業の子会社で、機械販売を主たる業務とする株式会社であり、乙社は、福岡県に本拠を持つゼネコンでした。

乙社は、甲社の代理人Aとの間で、甲社がBより発注を受ける予定であった老健マンションの建設工事につき、乙社が甲社の下請けとなることにつき協議を重ね、その後、乙社の代表者らは、甲社の親会社である丙社を訪問し、応接室にて、甲社の専務取締役らの社員の面前で、Aに対し、乙社の記名押印済みの請負契約書(契約金額15億円)を手交しましたが、当日は、甲社の専務取締役の呼びかけで会食をしたのみで、その後、乙社は甲社の専務取締役名で記名押印された請負契約書をAから受領しました。

さらに、乙社はJ社との間で金12億円にて請負契約(孫請契約)を締結して建設に着手しましたが、地鎮祭には甲社の専務取締役らの社員が出席し、乙社は、毎月、甲社に対して、工事報告書を送付し、甲社の専務取締役、部長らも、工事期間中に工事現場を訪問していました。そして、本件マンションが完工し、乙社が、甲社に対して、引き渡しを行おうとしたところ、今まで甲社の専務取締役が関与していたにも拘わらず、「甲社は契約を締結していない」と拒否されたことから、契約の履行を求めて、乙社が、私の事務所へ相談に来られました。

その後も、甲社は、「専務取締役には代表権限がない。」、「契約書に押印された印鑑は、正式な社印ではなく、専務の私印である。」、「そもそも、Aへ代理権を授与した契約書も偽造されたものである。」、「地鎮祭に甲社の専務取締役が出席したのは、Aから頼まれたからに過ぎない。」等と主張をして本件マンションの引取りを拒んだ上に、注文者であるBにも支払能力がなかったことから、乙社は、J社への請負代金の支払いに窮することとなり、メインバンクに融資を求めたものの、メインバンクは、本件で乙社が多額の負債を抱えることを畏れて融資を拒否したことから、民事再生を申し立てざるを得なくなり、結局、自己破産に追い込まれることとなりました。

破産手続において、私が管財人より委任を受けて、甲社に対する損害賠償訴訟を提起し、過失相殺の結果、5億円の認容判決が出され、甲社が支払ったものの、お金は乙社の債権者に配当されたのみで、乙社はその50年の歴史にピリオドを打つことになりました。


3 結語

この不可思議な事件の背景には、甲社内における社長派と専務派の派閥抗争が存在し、新規事業で勢力拡大を図った専務派が社長派に敗れたこと、さらに、事業としての採算性に疑問の目が向けられたことから、甲社が本件マンションの引取りを拒んだのではないかと推測しています。

この事案において、もし、契約締結の段階において、弁護士に対して、「専務取締役との契約締結で法的な問題がないのか?」という相談がなされていれば、弁護士としては、「代表権限の確認が必要である」、「印鑑登録証明書での確認が不可欠である」との法的助言を与えたことは確実ですので、乙社が50年もの歴史にピリオドを打つことは避けられたはずであり、そのことが今でも悔やまれてなりません。

現在では、予防法務の重要性が叫ばれていますが、私は、予防法務という言葉を聞くと、本件を必ず思い出しますし、このような事案こそ、弁護士が転ばぬ先の杖であることを雄弁に物語るものだと感じています。

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