福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2013年11月号 月報

シリーズ―私の一冊― 「新世界より」(貴志祐介・講談社刊)

月報記事

会 員 佐 藤   至(35期)

このシリーズの最初の原稿を書かせて頂いた。そのとき紹介したのは、池上永一の「バガージマヌパナス」だった。このときの原稿の冒頭にナックルのような変化球でいってみようと書いたとおり、前回はかなり癖のある小説だったので、今回は速球でいくことにした。貴志祐介の「新世界より」、500頁2巻組の大作である。但し、SFである。

SFというジャンルは、作者が時代や状況を自由に設定することができるので、まず、設定された時代や背景事情を了解したうえで、作者のホラ話を楽しむという姿勢で読まないと面白くない。そして、設定が合理的なもので、かつ詳細でなければ物語が薄っぺらになってしまう。かといって、あまりに状況説明ばかりだと小説として面白くない。そこのところのさじ加減が難しい。

この小説では、まず、舞台となる町の農業用水路や溜め池には、田鼈(タガメ)、太鼓打ち、源五郎などの生物が豊富に生息していることや、空には朱鷺、鵯(ヒヨドリ)、四十雀、雉鳩をよく見かけると紹介されており、一見、長閑な田園地帯であることが示されている。しかし、そのような状況説明の中に突然、「ミノシロ」という1メートル以上の無数の触手を蠢かせる生物が紹介されていたり、「不浄猫」という正体不明の動物がちらっと出てきたりする。さらに、この小説の舞台が八丁標(はっちょうじめ)という結界に守られていること、さらに呪術が現実のものとして機能している場所であることが次第に明らかにされていく。

このような状況設定の説明が1巻の150頁あたりまで延々と続く。実をいうと最初に読んだときは、このあたりで「さっぱり分からん」と挫折した。しかし、「硝子のハンマー」や「天使の囀り」の作者がこのまま退屈な説明で終わるはずがないと思い直し、再度、挑戦すると、前回、挫折したところのほんの十数頁あとで、この世界のあらましが分かる仕組みになっていた。「自走式アーカイブ国立国会図書館つくば館」という移動式のアーカイブが登場して、このような世界に至った経緯を明らかにするという仕組みになっている。この移動式アーカイブの登場と人間との最初のやり取りには、アジモフのロボット3原則がさりげなく組み込まれていて、つい笑ってしまう。そして、この移動式アーカイブによって、この小説の舞台は、今からおよそ、1,000年後の利根川の流域で、文明社会が呪術によって崩壊したあと、何とか呪力を制御しながら文明社会を再建しようとしている世界であることが明らかにされる。この設定は、「ナウシカ」と少し似ているが、あちらが善意と再生の物語ならこちらは悪意と異形の物語である。そして、この物語は、そのような社会の中での少年少女の成長物語である。この点では「ハリー・ポッター」シリーズと軌を一にする。但し、この小説の方は全く子供を読者対象としていないので、かなりおどろおどろしい。「化けネズミ」という非常に醜悪な外貌の謎の生物が重要なバイプレーヤーとして登場してくるし、「業魔」や「悪鬼」などというとんでもないミュータントも登場してくる。そして、物語はこの呪術という不安定な要素で成り立っている歪な世界の崩壊に向かって、加速度的に突き進んでいく。誰がどうやってその流れを断ち切り、正常な社会を取り戻していくかという波乱万丈のホラ話である。勿論、物語の中では種々の謎が語られ、解決されていくが、最も大きな謎である「人間」と「化けネズミ」の関係を縦軸とし、人間と業魔や悪鬼、あるいは「化けネズミ」との戦いを横軸として、物語は複層化しながら進んでいく。書評家の大森実氏はこの小説を激賞し、是非、スピンアウト物を書いて欲しいと切望していた。私も全く同感である。この小説が日本のSF小説最近20年の最高傑作であることは間違いないと思う。作者は、このあと「悪の教典」、「ダークゾーン」を上梓しているが、「悪の教典」はサイコキラー物で、監督三池崇史、主演伊藤英明で映画化されている。

なお、本書「新世界より」は第29回の日本SF大賞を受賞している。そういえば、「バガージマヌパナス」は第6回の日本ファンタジー大賞の受賞作であることから、私の読書傾向に偏りがあるという偏見を払拭するために、SF、ファンタジー以外のお勧めも最後に挙げておく。横山秀夫の「64」、宮部みゆきの「小暮写真館」、吉田修一の「路(ルウ)」、佐々木譲の「警官の血」、今野敏の隠蔽捜査シリーズ、翻訳物ではアンソニー・ホロヴィッツの「絹の家」(コナン・ドイル財団が唯一、認定したホームズ物の続編)、ジェフリー・ディーバーのリンカーン・ライムシリーズ、S.ハンターのボブ・リー・スワガーシリーズ、R.D.ウィングフィールドのフロストシリーズなどは、どれも一読の価値がある。ノンフィクションなら堤未果の「貧困大国アメリカ」の3部作が出色のルポルタージュです。

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