福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2013年2月号 月報

災害対策委員会報告 「被災地視察のご報告」

月報記事

東日本大震災復興支援対策本部 青 木 歳 男(60期)

平成24年11月25日から28日にかけて、福島県二本松市、浪江町、南相馬市、宮城県南三陸町、気仙沼市の各所を視察いたしましたので、ご報告いたします。なお、本報告は、視察3日目、4日目についてのものです。前半部分の報告は、前号の通りです。

27日午前8時30分に、宮城県南三陸町の宿泊施設を発つと、午前中は同町の被災状況、ボランティア活動の実態、復興の現在を視察しました。

この日は、南三陸町の中心である志津川地区の視察です。南三陸町は、宮城県北東部に位置するリアス式海岸の町で、人口約1万5000人、中心部は15m超の津波で壊滅状態、1000名を超える犠牲者が出ています。

志津川地区は、市街地の瓦礫はほとんど片付けられ、市街地はほぼ更地の状態である一方で、海沿いの一カ所に集積された瓦礫は山のように積まれています。町役場職員が最後まで防災無線を発信し続けたことで有名となった南三陸町役場防災対策庁舎跡場所ですが、引っかかった瓦礫の撤去は済んだものの、鉄骨部分だけが残っていました。未だ町の多くの地区が立ち入り禁止区域に指定され、建物を建てることはできないため、街の復興は進んでいないのが現状でした。

他方、このような状況を少しでも改善しようと、志津川地区に存した店舗の有志が仮設の商店街「南三陸さんさん商店街」を建てています。

また、Yes工房(南三陸復興たこの会)では、職を失った町民を中心に雇用の創出を図り、地域活動を維持しながら、被災した住民の自立を支えることを目的として、南三陸のゆるキャラ「オクトパス君」製品の製造をしていました。オクトパス君は「置くとパス」とのダジャレとかわいい風体が受けて、全国(主に受験生)から注文が殺到していました。同工房にて木彫りのストラップを彫る技術を提供しているのは民間会社で、代表者が震災後に一人南三陸町を訪れて協力を申し出たことが、同工房の成功を支えた要因の一つです。複数のNPO団体や支援企業の動きが洗練され、進化していることは特筆すべき今回の視察の発見です。

その後、気仙沼市を訪れ、復興支援Cafe「NONOKA」と宿泊先であるホテル望洋でそれぞれお話を伺いました。気仙沼市は、人口約6万8000人の三陸海岸沿いにおける一大漁業基地でしたが、震災による20m超の津波、大火災で千数百人の犠牲者を出しています。

気仙沼市でも、復興のあり方とスピードが問題となっていました。復興計画を進める上での住民の意見集約については、自治体と住民との意見の相違、地区ごとの意見の対立、世代間の考えの相違など克服すべき課題は山積しています。意見を集約できずに時間ばかりが経過し、人が(特に働き盛りの)都会へと流出している現状に皆強い危機感を抱いていました。

翌28日午前は、気仙沼市内の鹿折地区の仮設商店街「複幸マルシェ」を訪ねました。周囲は以前基礎コンクリートだけが残る荒地のままであり、近くには陸に打ち上げられた大型船「第18京徳丸」が見えます。復興は進んでいないという印象を受けたまま、気仙沼市を後にし、帰福しました。

震災から1年9ヶ月が経過し、震災に対する国民的な注目が減退する中、逆に復興問題の本質である地域社会の再生は正念場を迎えています。地域間での意見の調整が進まず、行政もリーダーシップを発揮するのが難しい中、地域の空洞化が進んでいるという現状は、視察をしてみなければわからない課題を明確にしてくれました。対策本部において、今回の大震災に対する復興支援が、長期的視野に立った息の長い活動でなければならないことは宮下弁護士の前号の報告の通りです。

弁護士会として、今後は大規模災害時の対策・対応だけではなく、災害後の各種支援団体の設立・運営に対する支援(NPO法人、一般社団法人、ファンドの設立・運営)、復興の際の「街作り」にいかに住民の意思を最大限かつ迅速に反映させるスキームを作るかといったことが新たな課題です。

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