福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2008年2月15日

憲法リレーエッセイ 第2回国民投票に行こう

憲法リレーエッセイ

会員 八尋 八郎(32期)

【缶マイク】

 楽しい夕餉のひととき、上機嫌の私が「イラク戦争の現状」なんて話を始めると、空けたビールの缶を娘が差し出す。マイク代わりに使えって意味だ。その真意は「ウザい」ってことだと気づかずに、缶マイクを持った私がさらに声高に演説すると、娘達は小声で会話をはじめる。
それを無視して続けようものなら、一人ずつ部屋に戻り、誰も居なくなる。たとえ敬愛する父の話であっても「ウザい」って反応できる娘を、私はエライと思う。

【ひまわり一座】

 劇団ひまわり一座で19年連続で憲法ミュージカルをやった。来年で20年というわけだ。チケットは1,000円で、出演者が1枚ずつ売ることで講演は満席になる。
娘にウザがられて臆病になった私は、毎年買ってくれている常連サンにだけ売っていれば応分のノルマを果たしたことになると考えて、この頃、新規顧客を開拓するということが全くない。

若い出演者はちがう。チケット1枚のセールストークこそが憲法普及活動だとガンガン新規顧客を開拓していゆく。

ところが、ここ数年、セールストークがウザがられることが多くなったという。さっきまで歓談していたその場を、まるでカルト教団に入会勧誘しているかのような空気がサ〜っと覆い、相手はまるで踏み絵を求められたように困惑するというのである。

【棄権の呼びかけ?】

 なる程、だから護憲派は、最低投票率規定などを設けて棄権を呼びかけるという戦略なのかな(失敗したけど)、と笑ってみたが、棄権の呼びかけなんてやってりゃ必ず負けるぞ!オイなどと考えた。それよりか国会が発議した改憲案に対する賛否は問わない、とにかく投票に行ってくれと、選挙管理委員会の宣伝カーのエンドレステープと同じことを言うほうが勝機はある、というべきだろう。

【直接民主制】

 近頃の国会は、強行採決の連続でろくに審議もせずに重要法案が次々に成立している。ジャン・ジャック・ルソーは、「イギリスの人民は、自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無にかえしてしまう」といっている。元官僚と2世議員だらけ国会なんてこんなもんだ。この調子で行けば2010年の改憲案発議の確立はほとんど100%に近い。何をどんなに頑張ろうと国会には改憲発議を止める力はないという気がしている。そうであれば国会議員のポイントごとに負けイクサを取組むよりは、お好きなように改憲発議して頂いて、国民投票で否決するほうが合理的だ。

私は少年法と教育基本法の「改正」に少しかかわった。そして、国会では負けイクサとなった少年法と教育基本法の「改正」について、もし国民投票をやっておれば圧勝したという負け惜しみが強くある。国民には、元官僚や2世議員よりも子育てについて適切に判断する能力があるからだ。平和についても同じで、元官僚と2世議員の言うことは無理がある。国民は主権者なのだ。国民投票で道理をとうせばよいのだ。

【憲法普及活動】

護憲派は、国民投票に向けて何をやるのか。ルソーは「それが大切な教訓であればある程、教えてはならない。気付くまで待つことだ」なんてことを言っている。
相手は主権者国民なのだ。改憲案の是非を説くなどは出すぎたことだし、説教がましい知ったかぶりの押しつけはウザい。教えることは相手に対する侮辱となりうることを知るべきだろう。投票に行ってくれと言うだけでも主権者の投票意欲を挫くのに充分なウザさを備えている。主権者はナイーブなのだ。国民投票は権利だから、自由に放棄して咎められることはない。従って、主権者のナイーブをワガママだと認識は直ちに改めなければならない。正しいと信じてやることでも悪しき結果を招くとき(相手がウザイと感じる事は)過ちなのだ。

憲法派のテーマは憲法普及活動である。憲法が暮らしに生かされているとはいい難い現実がある。そんななかで、ひまわり一座の笑いと軽さは貴重である。チケット1枚売れない私だけど、あと3年は続けたい。

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