福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2006年8月号 月報

筑後弁護士会館完成!

月報記事

松本 佳郎

筑後弁護士会館が、遂に完成しました。
筑後弁護士会館

鉄骨造4階建て、延床面積648.88・、1階に事務室、応接室外、2階に相談室3、弁護士談話室、弁護士執務室外、3階にADR委員会室1、ADR当事者待合室2、委員会室、評議委員会室外、4階には大会議室(74名収用)の堂々たるものです。

6月1日、筑後部会員による内覧、点検の後、一部修正変更の工事をへて、正式に引渡を受け、同月25日に備品等を搬入、30日に間借りしていた裁判所の一室の控室兼弁護士会室、法律相談センター(パークノヴァ)からの引っ越しを終え、7月3日から、正式に供用を開始しました。

思えば、当会館の建設は、平成12年の部会忘年会の酒席における某先生の裁判所隣の空き地に弁護士会館を建てればいいのにという無責任な、いや貴重な一言に端を発したものでした。もちろん、筑後部会員が50名を超える会員数を擁することが現実のものになっており、誰もが独自の会館の保持についてはその必要性は感じていたところでした。ただ、用地の取得は? 財源は? 会員の負担は? 建設までの手続やスケジュールは? 等々の難問が山積みであり、皆頭に描いてはいるものの言い出しっぺが火中の栗を拾うことになることにもなりかねず、誰も正面切って言い出すことはなく、何らの現実の行動には結びついてはいませんでした。従って、この瓢箪から駒の一言は、貴重な一言でした。

筑後弁護士会館

これを聞きつけたのが、次期県弁会長に決まっていた永尾先生でした。当時の春山県弁会長とともに、早速、会館建設のプロジェクトが始動しました。

しかしながら、当部会においても堺紀文会員を委員長として会館建設委員会を立ち上げたものの、当初は用地の取得すらままならず、計画は遅々として進みませんでした。他方、当部会においても上記のような有様であり会館建設のための準備資金などの積立も行っておらず、財政をどうするかの議論も詰めないままで、内部の意思統一も不十分なままで動き出したというのが実情です。

この流れが一気に加勢したのは、平成16年1月に用地取得がなってからでした。この時点において、ようやく会館建設のイメージが部会員全員に共有され始めました。

その後の経緯等については、これまで月報等でお知らせしてきたとおりです。

なお、新たに興味深い史実が判明しました。

まず、関ヶ原の戦いがあった1600年頃、本部会会館敷地には、久留米城主毛利が建立したキリスト教会堂があったことです。当時、久留米とその周辺には約7000名ほどのキリシタンが在住しており、教会堂には一人のパードレ(宣教師)と二人のイルマンが駐在していたとのことです。その後、キリシタン弾圧があり、教会堂の歴史は終焉しました。

その後、町屋敷となり、火災があったこと、今回の発掘でその遺構が発掘されたことなどについては、以前、お知らせしたとおりです。

もう一つは、昭和11年、現在立て替えが進んでいる検察庁の敷地付近に久留米弁護士会館が建設されていたということです。記録によると、建設費と調度備品を含めた建設費は総額1,700円、これを部会の大先輩弁護士10名の寄付1,170円と他部会からの応分の負担で賄ったそうです。ちなみに、当時小さな一軒の借家を建てるのに300円から400円かかっていたとのことですから、当時の弁護士の懐具合なども窺い知れるところです。

福岡県弁護士会の会史(上巻)によると、この頃から弁護士の数が急増し、弁護士が貧窮していったことが記されています。中には、着手金ゼロ、成功報酬一割を謳った広告により客集めを始めた弁護士も現れてきたそうです。

何か咋今の状況と似ており、今後の司法改革の行方と行き着くところが気になるところです。

いずれにしても、このようにして新会館は始動しました。皆さん、是非、お立ち寄り下さい。ゆったりした談話室もありますし、遠来の先生方のための執務室(個室:パソコンを持ち込んでの作業もできます。)も用意しております。

最後になりましたが、今回の建設にあたり、部会員はもとより、久留米・筑後に縁のある他部会の先生方からも多額の寄付を頂きました。深謝に堪えないところであります。本当にありがとうございました。

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