福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2004年5月号 月報

当番弁護士日誌

月報記事

中野 俊徳

1 刑事弁護の覚悟

私は、修習生の前期・後期に、月に一、二度、クラスメイトらと、第二東京弁護士会の神山啓史先生の刑事弁護ゼミに通っていました。このゼミは、公設事務所赴任希望の新人弁護士が現に受任している刑事事件を題材に、どのような弁護活動をすべきかを一緒に検討しあう内容のものでした。このゼミで印象深いことは、私が「勾留取消請求します」等と答えた際、神山先生から「本当にやるのか」と再度問われたことです。

この再度の問いは、勾留取消請求等は弁護人が期待しているような結果を得られる可能性は少なく、周囲の目も「どうして、そのような無駄な活動をするのか」と冷たくなりがちであり、そういう状況下でも自分が本当に必要だと判断した弁護活動を貫く覚悟があるのかという問いだと、私は理解しています。

2 当番弁護出動と前半戦

そして、弁護士になった私は、昨年12月、当番弁護研修のため、指導担当弁護士の田中裕司先生と博多署の前で待ち合わせして、被疑者と接見しました。罪名は、公務執行妨害です。

深夜の中洲で、酔っていた被疑者のグループと別の酔っ払いグループが揉め事になり、中洲交番の警察官らが止めに入ったのですが、被疑者の相手方と警察官が一緒に転倒し、相手方に襟首を掴まれていた被疑者も警察官の上に転倒しかけて、被疑者の足が倒れた警察官の後頭部あたりに当たりました。

被疑者は、それを見ていた別の警察官らから、故意に警察官を蹴ったと判断され、公務執行妨害で現行犯逮捕されたのです。接見した日は勾留初日でした。

被疑者の話を聞いて、これは弁護人を受任して争う必要があると判断した田中先生と私は、被疑者にも被疑者の親にも資力がないことから、法律扶助で被疑者弁護を共同受任することにしました。

そして、とりあえず、交代で毎日接見することと、被疑者の家族には田中先生から連絡を取ることが決まりました。

こうして、被疑者弁護が始まりましたが、私は具体的に何をすればいいのかわからず、勾留3日目にたまたま時間ができたので、検察庁に行き、担当検事に面会して、在宅捜査への切替えを求めて、すげなく断られた以外は、最初の数日間は、接見と勾留状謄本の取寄せくらいしか弁護活動をしませんでした。

今振り返れば、共同受任ということで、自分から積極的に動く気持ちを持たず、指示待ちの状態になってしまっていたと思います。修習生の頃に思っていた覚悟を忘れた状態でした。

3 後半戦での巻き返し?

勾留5日目、私は、刑事弁護の勉強会に参加するため、静岡に行っていました。

前述の神山ゼミに一緒に通った、刑事弁護オタクとも言うべき、元クラスメイトが静岡県沼津支部で弁護士となり、東京の高山俊吉先生や静岡の小川英世先生を巻き込んで、刑事弁護の勉強会を事実上主催しており、なぜか私も強制参加させられていたのです。

この日は、オウムの麻原の弁護団長を務められた渡辺脩先生をお招きし、講演会が開かれました。

渡辺先生のお話を聞き、また、その後の懇親会で元クラスメイトから叱咤され、私はようやく自分から行動する気持ちを持てるようになりました。

勾留6日目、福岡に戻った私は、早速、被疑者と接見しましたが、被疑者は長引く身柄拘束に疲れと焦りを持ち始めていました。被疑者に対する取調べは、2、3日に一回度、一回あたり1時間程度しか行われておらず、被疑者は逮捕直後から一貫した供述を維持し続けていましたが、身柄拘束されている時間の中で、つい悲観的な考えをしてしまっているようでした。

私も、落ち込み気味の被疑者を前にして、安易に慰めることもできず、できる限りの弁護活動を約束することしかできませんでした。

勾留7日目、私は、被疑者の妻に事務所に来てもらい、「被疑者の身柄拘束がこのまま続くと被疑者の妻と幼い子の生活が脅かされる」という内容の陳述書と身元引受書を作成したうえで、田中先生の承諾を得て、勾留取消請求しました。そして、請求書を提出する際、裁判官面接を申し入れておいて、勾留8日目、田中先生と共に担当裁判官に面会し、被疑者の家庭の窮乏と事案の内容から見て、逃亡のおそれ、罪証隠滅のおそれがなく、勾留の必要性もなくなっていることを訴えましたが、取消請求はあえなく却下されました。

事務所で却下の知らせを聞いた私はかっとなって、その場で準抗告の申立書を起案して、慌てて裁判所に行きましたが、慌てすぎて、何とも恥ずかしいことに抗告の申\立書を書いてしまっていたのです。それを受付で指摘された私は恥ずかしさに顔を真っ赤にして受付にお詫びしつつも、翌日の受付開始時間に準抗告の申立てをすることを予\告しました。

そして、勾留9日目、予告どおり裁判所で勾留取消却下に対する準抗告の申\立をした私は、その足で検察庁に行き、担当検事に「仮に準抗告が棄却されても勾留延長請求しないように」と求めました。

しかし、私の願いもむなしく、この日の午後六時頃、裁判所から準抗告棄却の知らせが届き、勾留10日目、10日間の勾留延長請求がなされました。そして、担当裁判官と面会して、延長しないことをお願いしましたが、これまた願いは届かず、10日間の勾留延長決定の知らせが届いたのでした。

4 釈 放

勾留11日目、私は、勾留延長決定に対する準抗告書を準備し、田中先生に資料をお借りして、勾留理由開示の申立書の起案にも着手していましたが、次に何をすべきか、悩んでいました。2日前に出た準抗告棄却決定によれば、関係者複数(被疑者の仲間と喧嘩相手のグループ)の検察官調べが終わっていないことが主な理由になっていて、今、準抗告しても、同じ理由で棄却されるのではないかと少し弱気になっていたのです。

別件の打ち合わせ中の私のところに、突然、被疑者から電話がかかってきました。釈放されたというのです。私は、わけもわからず、ただ、嬉しそうな被疑者の声を聞いて、涙ぐみそうになってしまいました。後日、検察庁に確認したところでは、起訴猶予処分ということでした。

5 最後に

こうして、私の弁護士になって最初の被疑者弁護は終わりました。今回の被疑者弁護は、私にとって多くの反省材料を与えてくれたものになりました。

この事件で弁護活動が果たして起訴猶予処分という結果に結びついたのかどうかすら、私にはわかりませんが、私にとっては良い経験になったと思います。最後に、ご指導いただいた田中裕司先生に感謝します。

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