福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2003年2月号 月報

「精神保健欧州視察団」同行記 

月報記事

副会長 市丸信敏

1 なぜ今、精神保健の旅か?

前年秋の臨時国会で衆議院を通過して、目下の通常国会で参議院に付議されている「精神障害者医療観察法案」が、もはや時間の問題で成立しそうな情勢にある。この法案は、当会の昨年来の常議員会決議はじめ、各方面から重々指摘されてきているように、「再犯のおそれ」という極めて曖昧で判断が困難な要件で、事実上、触法精神障害者に対する拘禁を半永久的に容認してしまいかねない制度内容となっており(衆議院で通過した修正案であっても実質は異ならない)、人権保障の見地からは到底看過しがたい問題性をはらんでいる。にも関わらず、一般市民のみならず、実は弁護士の関心も薄く、却って「池田小事件」などを引き合いに世上の不安感が煽られるようにして、法案はついにここまで来きてしまった。

かかる状況下、当会の精神保健委員会(池永満委員長)では、わが国における精神障害者処遇制度のモデルとなったと言われているイギリス、そして、今、最も進んだ精神医療への取組を実践していると伝えられるオランダを緊急視察して、この法案の問題性を再検証するとともに、今後のわが国における触法精神障害者の処遇のあり方、ひいては、精神障害者に対する医療や社会的ケアのあり方について学ぶため、このほど「精神保健欧州視察」(一月四日〜一三日)を企画・敢行したものである。

(*私は、今年度の精神保健委員会の担当副会長という立場から視察団に同行させて頂いたが、正直に告白すると、本来この分野に関してはずぶの素人であり、肝心の視察内容については報告の責を果たす任に無い。視察団ではおって報告書が作成される予定であり、また、当会の精神保健当番弁護士制度一〇周年記念集会(三月一六日)での報告もなされる予\定であるので、私からは、取り急ぎ、視察の概要と簡単な感想を述べさせて頂くに留めることをお許し頂きたい。)

なお、池永会員は、今から六、七年ほど前に、事務所を他のメンバーに委ねて、二年間の英国(若干の期間はオランダ)留学を敢行するという離れ業を行い周囲を驚かせたが、今回は、まさにそのとき築かれたであろう人脈を活かして、超一流の報告者や視察内容等を取り揃えて頂いた。そればかりか、旅行中はツアコンよろしく、視察団一同の世話を終始一手に引き受けて頂き、まことに恐縮の限りであった。視察団一同に成り代わって、厚く感謝の意を表させて頂きたい。

2 視察の概要

視察団は、団長である池永満会員と奥様、当会から梶原恒夫会員と奥様、久保井摂会員、私(長男帯同)、さらに熊本から吉井秀広弁護士(熊本における弁護士としての精神保健活動の中心メンバー)、東京から池原毅和弁護士(全国精神障害者家族会連合会顧問。平成13年9月の当会の精神保健シンポジウムのパネラー)にも加わって頂き、更に当会から呼びかけて参加をお願いした、大学講師の藤井千枝子さん、福岡や東京のNPO関係(薬剤師、看護婦、ソーシャルワーカー等)である猿渡桂一郎さん、土屋眞知子さん、平田孝さん、吉原幸子さん、加々見陽子さんらにも加わって頂き、合計一五名での編成であった。かように法律家と精神医療の現場での専門家からなる視察団であった故か、次に報告する各視察先でも、きわめて友好的ながらも真摯に、そして高度で専門的な内容のレクチャー及び質疑がなされた。

◆イギリス

〔1日目〕午前:ロンドンの中心部に位置するソーホー地区(若者の歓楽街)にある精神保健デイケア施設を訪問。警察段階における精神障害者の迅速な振り分けを行っているという精神看護婦はじめ、触法精神障害者に対する警察、裁判、矯正の各段階の取組状況に関する三件のレクチャー。午後:チャリングクロス警察署を訪問。警察における精神医療看護施設や取組等、三件のレクチャーと留置施設の視察。

〔2日目〕午前・午後:ロンドン市内の施設を借り、一日がかりで、イギリスの精神保健法(八三年法)の改正に関する専門家チーム委員長であるリチャードソン教授、欧州人権裁判所の活動に関わっている医事法専門家であるサラルド教授、内務省精神衛生課係官(国側の言い分)、民間支援団体で働く弁護士(ソ\リシター)などから、イギリスにおける触法精神障害者の処遇や改正法案を巡る論議の状況など、四件のレクチャー。

〔3日目〕午前:ロンドン大学セントジョージ医学部に付属する触法精神障害者に対する中間的強制処遇施設の視察。その後、同医学部を訪問して、精神科医で法律家のイーストマン教授(全国精神医学会の法律関係の委員長)からイギリスの精神医療の歴史と問題状況等のレクチャー。

◆オランダ

〔4日目〕午後:アムステルダム大学付属病院を訪問。パンドラ基金関係者から、精神障害者に対する正しいイメージ形成のための広報活動への取組状況や、WHO「患者の権利促進宣言」(九四年)の起草者の一人であり医事法の専門家である同大学のヘルベス教授から、精神障害者にとっても患者の権利が重要であることなど、三件のレクチャー。

〔5日目〕午前:ユトレヒト市を訪問。パンドラ基金の従事者(元患者ら)から、オランダにおける精神医療の向上のための諸制度や支援団体の活動状況などのレクチャー。午後:同市内にあるオランダ最古の精神病院を訪問。ユトレヒト大学の教授のレクチャーの他、患者評議会代表(入院患者)のレクチャーも受ける。その後、病院内を視察。

3 最良の社会防衛は最善の治療にあり 〜視察雑感〜

我が国では、厳重な精神鑑定を経て、刑事手続からの離脱ないし不処罰が行われる。ところが、イギリスでは、精神看護婦(特別資格の看護婦)のアセスメントのみで、いち早く、警察段階の刑事手続から切り離しての処遇を行ったり、精神障害の故に裁判過程で公訴を取り消して入院させる場合でも、入院先(原則として本人の地元)等の処遇案を裁判官に報告した上でその決定を求める、また、刑務所内に専門的治療チームと精神障害者の区画を設けて治療に当たる、あるいは、触法精神障害者専門の多少緩やかな強制入院施設を設けてそこに入院させて処遇する(この間は刑期に参入される)、また、社会内における強制処遇(通院による)をも導入しようとしている等々、医療に重点を置いた処遇が試みられていることが印象的であった。まさに、最良の社会防衛は、最善の治療にこそある、とでもいうべき発想が根底にあるように思われた。それにしても、最後に聞いたイーストマン教授の「危険の評価は全く精度がなく、大変難しい。」「マスコミや政治的圧力によって、医療側が護身的になり、必要以上に拘束を受ける者が増えてしまう。」という言葉は、まるで我が国の現法案を初めとする問題状況をズバリ指摘されたかのような錯覚を覚えた。

オランダでも、患者を対等に位置づけて処遇する理念が更に徹底しており、極めて感銘深かった。各病院には、法律に基づいて苦情委員会が設置され、他方、全ての入院患者をPA(PATIENT'S ADVOCATE患者の弁護人。もと患者が多くを占めるボランティア組織(パンドラ基金)がこれを担っている。)が助言・援助する制度が確立している。さらには、病院内には患者評議会という患者組織が置かれ、毎週ミーティングを開き、病院側と協議し、マスコミ取材さえも受けるという。視察した病院では職員の制服が廃止されていたが、制服は患者の差別につながるからとの理由であった。そして、触法精神障害者の処遇については、刑務所でもあり病院でもある特別の施設を設けて、そこで治療が行なわれている旨であった。

我が国でも、一度法案が通ってしまったら、弁護士の役目はそれで終わりでは決してない。むしろ、新しい法制度の下では、弁護士は、「国選付添人」として触法精神障害者の処遇問題に関与せざるを得ないことになる。当会が奮闘してここ一〇年来取り組んできている精神保健当番弁護士活動を、さらに全国に展開・充実させてゆきつつ、今後もねばり強い持続した取組みが益々重要になるであろう。

4 旅情

近年、競争原理、市場原理主義、自己責任主義という言葉に完全に覆い包まれてしまった我が国にあって、もっぱらアメリカとせいぜい中国位にしか関心が向かず、何かに付け、アメリカンスタンダードこそ世界標準であるかのごとき感覚に陥ってしまっている自分自身にとって、あくまでも福祉を重視しつつ調和ある発展を目指しているヨーロッパの、そしてEUとしての大統合への歩みにともなう宿題(欧州人権条約に基づく諸指令等)を自他を高める契機にして努力している姿を、精神保健というテーマから垣間見ることができたことは有意義であった。

厳冬のヨーロッパであり、真昼のお天道様でも30度くらい?にしか上がらず、日の暮れも早い。

前評判通りに?ロンドンでは、物価は高く、食事もお世辞にも旨いとは言えない。パブの生ぬるいビールも私にはいまいちに感じた。たまたま何年かぶりの積雪ということで、土地の人でも滅多に見られない美しい雪景色のロンドンを愛でることができたことをラッキーと思っておこう。

オランダでは、土地の人が凍り付いた川面でスケートを楽しんでいた。夜の外歩きは耳が痛くなり、持参した毛糸の帽子が威力を発揮した。しかし、さすがはハイネケンの地元。レストランで「ビール」と注文すれば、黙ってハイネケンの生ビールがジョッキで出てくる。定番のインドシナ料理や、中華料理、イタリアン等ともども、堪能させて頂いた。オランダ、イズ、デリシャスであった。

オランダは、かねて、安楽死やダッチカウント(割り勘)、フリーセックス、そして最近ではワークシェアリングでの「オランダモデル」の成功、また先般の日弁連司法シンポでアムステルダム高裁長官から伺った弁護士任官の充実ぶり等々、個別的、断片的にはその合理的国民性を十分に伺い知っていた積もりであった。が、今般、現地に赴いてみると、確かに質素で寛容の国民性、省エネ、省資源の理念も国民に行き渡っており、現にアムステルダムの都心部でも、張り巡らされた自転車専用道や自転車レーンを人々が寒風を物ともせず自転車でガンガンと走り抜けてゆく(従って、歩道では日本のように後ろ(自転車)を気にせず安心して歩ける)。街角の分別収集ゴミ箱も充実していた。学校では、普通に二、三カ国語の外国語を教えるらしく、現に視察で接した人たちは、公用語のオランダ語をさておき、英語とドイツ語のどちらでレクチャーしたらよいか、と視察団側に尋ねてくるほどであった。これらの諸条件の故か、日本のある調査機関によれば、オランダは「潜在成長力」で堂々の世界第三位にランキングされている(日本は残念ながら第一七位程度)。オランダに学ぶべき点は、まだまだ沢山ありそうに感じた。

かくして、次は是非、花の季節の欧州を再訪してみたいと想いつつ、無事、岐路についた。

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