弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

世界史(現代)

2008年7月30日

大量虐殺の社会史

著者:松村高夫・矢野 久、出版社:ミネルヴァ書房
 アメリカのカーター大統領は、1976年にはバンコクのアメリカ大使館を通じてカンボジアの虐殺の事実をつかんでいながら、ポル・ポトのクメール・ルージュを支持し、ポル・ポト政権崩壊後も10年間にわたって国連代表権を認めた。
 南米のチリ、アルゼンチン、グアテマラでの虐殺は軍事政権下で起こったが、これらも背後でアメリカのCIAや軍部が関与していた。
 1984年のルワンダにおける80万人のツチ虐殺は、100日間にわたって1日あたり8000人のツチが虐殺されたことになるが、アメリカのクリントン大統領は、国連安保理への影響力を行使して、国連平和維持軍をルワンダから引き上げさせた。その結果、100日間にわたってアメリカをはじめとする外国からの干渉をまったく受けず、文字どおり自由自在にフツに虐殺させた。
 これってルワンダで起きた大虐殺にアメリカは直接的に手を貸したと同じですよね。映画『ホテル・ルワンダ』には、国連軍としてフランス軍が頼りにならないけれど少しは頼れる存在として登場していました。アメリカは自分にとって利権のない国は見向きもしないわけです。日本はアメリカにとって大変な利権をうむ国ですから、やすやすと手放すことはしないでしょうが・・・。
 この本を読むと、世界が人権意識に目覚めた20世紀のはずが、実は大量殺りくの絶えない「戦慄の20世紀」であったことがよく分かります。まったく、うんざりするほど、殺し合いにみちみちた世の中です。
 でも、こうやってこの本を紹介しようとしているのは、お互いに現実から目をそらさないようにしようということです。だって、それが現実の人間社会なのですから。私の、日本国憲法9条2項には世界に広めるべき今日的意義があるという確信は、こんな本を読むとますます深まります。
 1915年4月。トルコはアルメニア人80万人を虐殺した。これは自然発生的な行動ではなく、周到に準備され明白な計画的国家犯罪だった。
 ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺は、ここでは紹介を割愛します。別の本で紹介することにします。
 朝鮮戦争のさなか、1950年7月、アメリカ軍が避難民を老斤里で虐殺した事件が紹介されています。避難民に前線を越えさせるな、前線を越えようとする者は誰でも殺せ、という命令が出ていたのです。アメリカ軍は空爆で300人の避難民を殺した。これは、避難民のなかに朝鮮人民の兵士がまぎれこんでいるという情報にもとづいた行動でもあった。アメリカ軍は、直接的な虐殺を韓国でもしていたのです。
 インドネシアでは9.30事件というものがありました。1965年9月からインドネシア共産党とその支持者が軍隊によって大量虐殺された事件です。その時点までインドネシア共産党は250万人の党員をかかえ、得票率16.4%で、国会に39議席を占めていました。その共産党が殺害者リストをもっているというデマ宣伝があり、殺される前に殺せといって、共産党とシンパ層が非合法に殺されていったのです。1968年6月までに殺された被害者は50〜100万人とみられ、正確なデータは今も不明のままとなっています。
 事件に深く関与していたインドネシア国軍のなかには、真相究明に対して根強い抵抗があり、軍やイスラム勢力との強調を重視する政府は、思い切った政策がとれない。ともあれ、この大虐殺事件とその恐怖がインドシナ社会に与えた影響はとてつもなく深刻なものだった。
 私もインドネシアの作家がこの9.30事件にふれて書いた本を2冊ほど読んだ記憶がありますが、深く重く沈んだテーマだと思いました。
 この本は最後に次のように書いています。
 21世紀に生きる我々に課せられたもっとも重要でかつ緊要な課題は、戦争と虐殺のない世界を創出することである。それは、20世紀に戦争と虐殺の被害を受け、犠牲となった人たちが現代に生きる者に発したであろうメッセージである。このメッセージを真摯に受けとめ、戦争と虐殺のない世界を構築するためには、国民和解をふくむ歴史和解が必要であろう。しかし、歴史和解はいかに達成されうるのか、その道筋は明確になっているわけではないし、また容易でもない。歴史和解を達成するためには、真相究明が必要不可欠であることについても疑いの余地はないであろう。
 そうなんです。私たちは、もっともっと現実を知り、真相を探るべきだと思います。そして、軍事的報復に走る前に何をなすべきなのかを考えるべきだと思うのです。
 ずっしり重たい本ですが、心ある人は読むべき本だと思いました。
 7月の半ばに沖縄へ行ってきました。泊まったホテルがモノレール「おもろまち駅」から歩いたところにありましたが、あれっ、この地形はなんだか見たような気がすると思いました。前に紹介した『沖縄シュガーローフの戦い』(光文社)に写真つきで紹介されています。この「おもろまち駅」周辺は、まさに沖縄戦の最激戦地だったのです。
 1945年5月12日から18日の1週間、この丘をめぐる争奪戦でアメリカ第6海兵師団は2000人をこえる戦死傷者を出した。日本軍は首里防衛戦にいた5万人の将兵のうち、無事に撤退できたのは3万人。残る1万5000人がアメリカ軍によって戦死させられた。今は平和で、のどかな沖縄市街地ですが、63年前は猛火に包まれて、人々は殺されていったのでした。無惨です。
 残念なことに、当時をしのぶ説明板は駅周辺に見あたりませんでした。どこかにあって、私が見落としただけでしたら、すみません。
(2007年12月刊。4500円+税)

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