弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ロシア

2018年11月 5日

死に山

(霧山昴)
著者 ドニー・アイカー 、 出版  河出書房新社

今から50年以上も前、ロシアの冬山で大学生のグループが遭難し、9人全員が死亡しました。全員が長距離スキーや登山の経験がある大学生とOBたちですし、冬山の装備も当時としては十分でした。
ところが、9人の遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれ別の場所で、氷点下の季節だというのに、ろくに服も着ておらず、全員が靴を履いていなかった。
9人のうち6人は低体温症が死因で、残る3人は頭蓋骨骨折などの重い外傷で亡くなった。女性の1人の遺体には、舌がなかった。さらに、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出された。
いったいなぜ、9人もの若者が、このような異常な状況で死ななければならなかったのか・・・。
アメリカのドキュメンタリー映画作家が50年も前の遭難事故の謎を解くため、現地に出かけるのです。スターリンが死んで、ソ連に少し雪どけが始まっていて、大学生たちは野外活動に熱をあげていた時代に起きた事件です。
大学生たちはカメラをもって、ずっと冬山登山の状況を記録していましたし、そのカメラは回収されていますので、大学生たちのはしゃいでいる様子も写真で紹介されています。
現地の人に襲われたとか、雪崩にあったとか、いろんな説があったようですが、ついに真相が明らかになります。
ネタバレをするのは本意ではありませんが、推理小説ではないので、お許しください。要するに、山の恐ろしさを知り、また、お伝えしたいということです。詳しくは、ぜひ、この本を手にとって、お読みください。結末を知っても、それに至る過程は読みごたえがあります。
要するに、山で発生したカルマン渦列と、それにともなう超低周波音が原因なのです。
強風が丸みを帯びた大きな障害物にぶつかったときに危険な竜巻が発生する。それがカルマン渦列で、そのなかの渦が超低周波音を生み出す。
みんなでテントに入っていると、風音が強くなってくるのに気がつく。そのうち、南のほうから地面の振動が伝わってくる。風の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえる。地面の振動が伝わり、テントも振動しはじめる。
今度は北から、貨物列車のような轟音が通り抜けていく。より強力な渦が近づいてくるにつれて、その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり、と同時に超低周波音が発生するため、自分の胸腔も振動しはじめる。超低周波音の影響で、パニックや恐怖、呼吸困難を感じるようになる。生命体の共振周波数の波が生成されるからだ・・・。
9人は、これ以上ないほど最悪の場所にテントを張ってしまった。本当に耐えがたい恐ろしい状況に置かれた。超低周波音の影響により一時的に理性的な思考能力が奪われ、原始的な逃避反応という本能に支配された。いまはただ、この強烈な不快感を止めたい、逃げだしたい、それだけだった。テントから脱出せずにはいられなかった。どんな犠牲を払ってでも逃げろ、逃げろ、逃げろ、いまはそれしか考えられない。
ろくに服を着ておらず、足には靴下を履いているだけ。わが身に取りついた苦痛から逃れたい一心でテントから脱出したが、外の気温はマイナス30度。そこには別の苦痛が待っていた。
冬の竜巻は、時速60キロの速さで横を駆け抜けていく。周囲は漆黒の闇。テントに戻ることもかなわない。低体温症で身体が思うように動かなくなる・・・。
冬山の恐ろしさを明らかにした貴重な本でもあると思いました。
朝から読みはじめると、次の展開が知りたくて片時も目が離せず、午後、ようやく恐ろしい結末を知り、大自然の驚異を実感しました。9人の大学生たちの冥福を祈るばかりです。冬山に登る趣味がなくても、大自然の驚異を実感させる本として一読の価値があります。
(2018年11月刊。2350円+税)

2018年8月16日

ソウル・ハンターズ

(霧山昴)
著者 レーン・ウィラースレフ 、 出版 亜紀書房

シベリアに住む少数民族、ユカギールの社会を研究した学者の本です。
ユカギール人は、トナカイ牧畜によって生活している。イヌが唯一の家畜である。
ユカギール人は、エルクを狩猟によって得ると、狩猟者たちのあいだで、森の中でシェアされる。
分け前は、集団内の狩猟者の数に応じて山積みにされ、全員が年齢や技術に関係なく平等な分け前を得る。
村に戻ると、肉は再びシェアされる。狩猟者は全員と分け合う義務はなく、親戚にだけそうする義務がある。親族は「よこせ」と言う。そこには「お願いします」とか「ありがとう」という言葉はない。肉が調理されてしまうと、それは再び、その場にいる者、通常は、世帯の全員にシェアされる。肉が保存とか貯蔵されることは、ほとんどない。ユカギール人は、新鮮な肉を食べることを好む。
ユカギール人の狩猟者は、森に行くとき、わざと食料は2日か3日分しか持っていかない。古い世代のユカギール人は、野草を食べることをかたくなに拒絶する。赤くて脂肪の多い肉が何より重要視され、そんな肉のない食事は、まったく正しい食事ではないと、ほとんどの人は考えている。
ユカギールの子どもたちは、寄宿学校に入れられて学ぶよう義務づけられるが、ほとんど6年くらいで脱走して、両親の元へ戻った。
学校を必要としない社会、親と子のつながりで生きていける社会もあるのですね・・・。
(2018年4月刊。3200円+税)

2018年4月19日

レーニン、権力と愛(下)

(霧山昴)
著者  ヴィクター セベスチャン、 出版  白水社

 私はソ連にもロシアにも行ったことがありません。レーニンの遺体は、その意思にさからって防腐処置をほどこして、公開展示されています。この処置には実は莫大なお金を要するようです。まったくもったいないお金のムダづかいだと私は思います。レーニンの霊魂が安らかに眠れることを願います。
 下巻は、いよいよロシア革命に突入します。1916年ころ、ロシアの自殺率は3倍に増加した。主として28歳以下の若者を襲った。ロシアの特高警察オフラーナは、大衆の気分に気がついて、政府に対して繰り返し警告した。体制が懸念すべきは、もろもろの革命グループではなく、人民である。いまや怒りは、政府一般ではなく、皇帝に向けられている。
皇帝は閣僚と参謀本部の助言に逆らって、軍の指揮を自らとっていた。これは、状況が悪くなったとき、野戦司令官に責任を負わせることができず戦争遂行に対する責任を自ら負うことになる。皇帝は、街頭示威行動について聞いてはいたが、その深刻さを理解していなかった。
 1917年2月に起きた二月革命は、完全に自然発生的、怒りの発露だった。このとき、ボリシェヴィキは、ロシア国内にせいぜい3000人と弱体で、ほぼ一文なしだった。
 レーニンは封印列車でスイスからドイツ経由でロシアに戻ってきた。ペトログラードの市民はレーニンを鳴物入りで歓迎した。レーニンは興奮していて、最後の2日間は眠っていなかった。しかし、すぐさま2時間に及ぶ演説を始めた。雷鳴のような演説で、聴く人々の心を打った。
 二月革命は、突如として、ロシアにかつてなかった。そして、それに人像もない、政治的自由をもたらした。
 レーニンは、1917年に巨額の資金源を手にして楽観することができた。ボリシェヴィキの党員は3月初めに2万3千人だったのが、7月までに20万人に達していた。
 ボリシェヴィキの運勢を大きく上向かせたのは、敵の無能ぶりが大きな要因だった。
 戦争で疲弊したロシアに戦争を継続するよう最大限の圧力をかける連合諸国の政策は、レーニンにとって利益となった。
 8月には、レーニンと「売国奴ボリシェヴィキ」に対する憎悪キャンペーンが最高潮に達した。
 歴史をつくるのは個人ではなく、広範な社会的・経済的権力だとするマルクスの観念の間違いを証明するものがあるとすれば、それはレーニンの革命である。レーニンは、策略と道理、怒鳴り声、威嚇、そして静かな説得をない交ぜにして使った。
 レーニンが3ヶ月のあいだ潜伏していたとき、党員になったばかりのトロツキーがボリシェヴィキの表の顔となった。トロツキーは、ロシア国内ではレーニンより、はるかに知名度が高く、はなばなしく脚光をあびていた。レーニンにはオフィスがいるが、トロツキーには舞台がいると言われていた。
レーニンは、トロツキーに大いに頼った。この二人は個人的には決して近くなかったが、両者のあいだに政治的な違いほとんどないことを、二人とも認めていた。
レーニンは、暴力の快楽を味わうことはしなかった。レーニンは他の多くの独裁者が好む軍服ないし、それに準ずるものを身につけることはなかった。
レーニンは、ろくに食事をとらず、健康にあまり気をつけていなかった。会議は午後5時に始まり、ほとんど休憩なしに6時間から7時間かけて降りてきた。
レーニンは、1918年7月に皇帝一家の殺害を副官だったスヴェルドロフに対して口頭で命じた。レーニンは王殺しに罪悪感はなかった。ロシア国内の世論を気にする必要もなかったことになる。
殺害される前、ロマノフ一家は、何人かの廷臣、6人の侍女、2人の従女、3人の料理人とともに元知事公邸で快適に暮らしていた。当時、ロシア皇帝はあまりに不人気だった。1918年に、レーニンの車は1日に3度も撃たれた。
レーニンの遺体をこれまで見たのは少なくとも2000万人。苦しいなかで、ロシア革命は社会主義を目ざすことになった。その結果をまったく全否定していいとも思われないのですが・・・。
(2017年12月刊。3800円+税)

2018年3月14日

レーニン、権力と愛(上)

(霧山昴)
著者  ヴィクター・セベスチェン 、 出版  白水社

 大学生のころ、レーニンの著書は私の愛読書でした。日本語訳の出来が良かったこともあるのでしょうが、社会分析と運動論が鋭くて、いつも驚嘆、感服していました。
 レーニンが若くして病気で亡くなっていなければ、スターリンによる暴政(圧政)もなかったと思うのですが・・・。プーチン大統領の祖父がレーニンの料理人だったというのも不思議な縁ですよね・・・。
この本は、レーニンが妻のクルプスカヤ(ナージャ)とは別に愛人(イネッサ・アルマンド)がいたことも重視しています。なるほどレーニンの私生活では大きな比重を占めていたのかもしれません。でも、フランスのミッテラン大統領が、「エ・アロール?」(それで、何か問題なの?)と言ったというセリフを私も言いたくなります。
 1917年10月のペトログラードでは、銀行も店も工場も正常どおり操業していて、路面電車も走っていた。劇場には満員の観客がいて、レストランも満席だった。誰も革命が進行していることを知らなかった。200万人の人口の大都市で、蜂起に加わったのは、最大でも1万人だ。
 レーニンは母親とほとんど会っていないけれど、定期的に母親へ手紙を書いて送っていた。母親はレーニンが無条件で愛情を示した唯一の人間だった。レーニンの母親にはユダヤ人の血が入っていたが、レーニン自身は、そのことを知らなかった。
レーニンの兄はロシア皇帝の暗殺未遂によって、21歳で絞首刑となった。帝政ロシアの最後の25年間に大臣、県知事、高級官吏、陸軍高級将校など、2万人ほどが革命グループによって暗殺された。
レーニンは弁護士資格をとったが、弁護士として活動した期間は長くない。レーニンは、弁護士を憎んでいた。
「弁護士は強権的に支配し、非常事態下に置き続けなければならない。なぜなら、このインテリのくずは、しばしば汚い手を使うからだ」
ええっ、そこまで言わなくても・・・と、弁護士である私は悲鳴を上げます。
 レーニンは、その一生涯に家族や友人などへの手紙を除いて1000万語以上を執筆し、出版した。レーニンの文章は明晰で説得力があり、非常に効果的にアイロニーを使った。レーニンは自分では外国語に堪能だと考えていたけれど、実際には、そうではなかった。ドイツ語、英語、フランス語を勉強していたが、会話は初め、あまりできなかった(あとでは話せた)。
 ロシアの秘密警察はレーニンがどこにいて、何を書いているのか、どの集会で演説しているのかを常に把握していた。
レーニンは、あまりにも人を信じやすい人柄だった。レーニンは、マリノフスキーを信用していた。マリノフスキーが秘密警察のスパイだという証拠が出てきて初めて、レーニンは「ろくでなしの正体が見抜けなかった、なんたる豚野郎だ」と自分自身をののしった。陰謀と謀議に明け暮れ、他人に対して容赦がなく、猛烈に秘密好きな人間にしては、レーニンは無邪気にも信じやすい一面があった。
レーニンは、組織運営に関する洞察力をもっていた。レーニンは、鉄のような意思と不屈のエネルギーを体現していた。レーニンは食べ物に興味がなかった。レーニンは猫を愛した。レーニンは整理整頓を旨とした。レーニンは、コミューンから離れたアパートに住むことにこだわった。
レーニンは金持ちだったことはなく、派手な生活をしたこともない。しかし、お金に困ることもなかった。質素に暮らしていた。
初期のレーニンがもっていた最大の手腕は、楽観的な考え方と希望を鼓舞する力である。レーニンは、意気盛んで、快活な人間に囲まれていることを好んだ。ゴーリキーは、レーニンについて、人間としては好きだが、政治家としては嫌いだという立場を崩さなかった。
レーニンは、個人の暗殺や体制の特定メンバーを暗殺の標的にすることに意味があるとは考えなかった。それは無意味な「一騎打ち」だと論じた。
レーニンの最大の特技の一つは、会議をまとめること。レーニンは、相手を取り込み、命令する能力をもっていた。レーニンは、それが自分の主張にあうと考えたら、戦術を180度転換することができた。
レーニンは祖国ロシアの敗戦を望んだ。敗戦が革命の火種(ひだね)になると考えた。
ロシア革命が起きて100年たちました。今では「資本主義、万歳!」と叫んでいるのは1%の人々だけなのではないでしょうか・・・。多くの人々は、共産主義はひどい結果をもたらしたけれど、資本主義だって似たようなものだと今では考えているように思います。マルクスやレーニンの目ざしていた理想を今あらためて考えてみてもいいように思うのです。なんといっても、99%の人々が明るく、食べていける生活を実現すべきだと思うからです。
(2017年12月刊。3800円+税)

2018年1月23日

オクトーバー、物語ロシア革命


(霧山昴)
著者  チャイナ・ミエヴィル 、 出版  筑摩書房

 1917年10月に起きたロシア革命が刻明に再現されています。まさしく情勢は混沌としていて、決してレーニン率いるボルシェヴィキが情勢を切り拓き、リードしていったという単純なものではないことがよく分かりました。
 レーニンは始まったときにはロシア国内にいませんでした。始まったあとでドイツを封印列車で通過してロシアに帰還します。でも、それは大歓迎されることを予測してのものではありませんでした。レーニンはペトログラードに4月3日、到着する前、逮捕の危険があるのかと尋ねたほど。しかし、駅には数千人が歓迎に出迎え、花束を手渡し、敬礼した。そして、革命の遂行過程では、フィンランドへ身を隠すしかなかったのです。それほどレーニンの支持勢力は弱小だったということです。ところが、後半になって、情勢が一気に逆転していくのです。はじめて兵士と労働者が急進化して、一気に武力で権力中枢を支配するのでした。ロシア革命は決して一直線で進行していったのではなく、大変な紆余曲折があって進行します。いわば難産だったのです。
 レーニンには、並みはずれた意思力があり、それを誰もが認めた。レーニンには血や骨の髄まで、政治以外には何もない。レーニンに会った人は誰もが魅了される。レーニンが特に傑出しているのは、政治的な時期を見きわめるセンスだ。
当時のロシア皇帝・ニコライ二世を定義するのは、欠如だ。表情の欠如、想像力、知性、洞察、衝動、決断力、覇気の欠如。妻は、夫に輪をかけて人気がない。
皇帝ニコライ二世は、日本人を「猿」と呼び、劣等民族とみなしていた。ところが、楽に勝てるはずの日露戦争で、次々に日本軍に敗退する。
ロシア帝国の当時の人口は1億2600万人。人口の5分の4が土地にしばられた農民、農奴。
3月9日、臨時政府を初めて承認し、祝福したのは、アメリカだった。その次に、イギリス、フランス、イタリアが続いた。
スターリンは、古くからのボリシェヴィキの活動家。才気煥発とは言えずとも、有能な組織者だった。よく言えば、まずまず。インテリ。悪く言えば、面倒な人物、党内の左派でも右派でもない。風見鶏的存在。
7月には、レーニンはスパイだ、ドイツの手先だ、裏切り者だという噂が広まった。ボリシェヴィキは身の安全を求め、上層部の多くは、進んで身を隠した。
10月、軍事革命委員会は銀行を占拠した。そして、レーニンは権力を握ったとする声明書を発表した。そこに書かれた内容は事実ではなく、願望だった。しかし、10月26日午前5時、レーニンの声明書は圧倒的多数で可決された。
レーニンは、1924年1月、病気のため死亡。そのあと、レーニンが危惧していたとおり、スターリンの暴政が始まります。しかし、そのことにレーニンも責任を負うべきではないかという指摘があります。
それはともかくとして、ロシア革命の複雑な過程を400頁あまりの本によって、一見することができました。大晦日(12月31日)に、事務所内に一人こもって読了した本です。2017年に読んだ単行本は580冊になりました。
(2017年10月刊。2700円+税)

2017年9月 8日

現代史とスターリン


(霧山昴)
著者 不破 哲三、渡辺 治 、 出版  新日本出版社

この本を読んで、スターリンという独裁者は、ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと同じレベルの最悪・最凶の人物だったとつくづく思いました。
たとえば、朝鮮戦争が始まったとき、国連の安保常任理事会にソ連代表は欠席したわけですが、これまで私はなぜなのか不思議でした。この本によると、スターリンは、アメリカを朝鮮半島で戦争に巻き込みたかったのです。それは、アメリカがソ連との間で二正面作戦をとることにつながり、それだけソ連への直接的な圧力が弱まることを狙ったというのです。アメリカとソ連がヨーロッパで直接対決する事態が生じないように、「第二戦線」をアジアにつくる狙いがあったわけです。
毛沢東も、スターリンの思惑を承知して、新生中国の力を見せつけるべく大量の人民義勇軍を朝鮮半島に送り出したということなのです。
うひゃあ、そうだったのか・・・、そんな驚きに満ちている本でした。
そして、ヒトラーによるナチス・ドイツ軍の電撃的なソ連侵攻をスターリンが最後まで信じなかったのは、スターリンはヒトラーと手を組んで、世界を独・伊・ソ連そして日本の四ヶ国で再分割しようという、ヒトラーの謀略的誘いに騙されていたからだというのです。ヒットラーのほうが、スターリンより騙しの役者の点では一枚上だったというわけです。
ところで、この本は、スターリンがヒトラーの侵攻で不意打ちを喰って1週間ほど雲隠れしていたという説をとっていません。ええっ、本当でしょうか・・・。ヒトラーにすっかり騙されたスターリンが、しばらく気落ちしていたというほうが私にとって素直に理解できるのですが・・・。
フランス共産党がフランス人民戦線政府に参加していたら、もっと世の中はいいほうに変わっていたと思うのですが、スターリンは断平として、それを認めませんでした。フランスの進歩など、スターリンにとってはどうでもいいことだったのです。
そして、ポーランドです。スターリンは、ドイツと分割統治の秘密合意を成立させ、ポーランドの共産党を壊滅させ、反対しそうな知識層を一掃しようとしました。すべては、自分のソ連領土の拡張のためなのです。
いま安倍首相の下に内閣人事局が置かれ、警察官僚がトップにすわっています。トップが「一強」としてすべてを支配しているとき、身内びいきから腐敗が起こり、官僚政治がズタズタにされるという状況が日本で展開しています。これにメスを入れてたださないことには、完全な独裁政治体制になってしまうと思います。
大変知的刺激にみちみちた本でした。80歳をすぎても学問的に究明しようとする不破さんには心から敬意を表します。
(2017年6月刊。2200円+税)

2017年4月12日

プーチンの世界


(霧山昴)
著者 フィオナ・ヒル・クリフォード・G・ガディ 、 出版  新潮社

 ロシアのプーチンとは何者なのか・・・。それが知りたくて読んでみました。この本は決してプーチン賛美のキワモノではありません。手ごたえ十分の本です。
 現代の著名人のなかで、プーチンはもっとも謎多き人物だ。プーチンの妻や子どもがメディアで紹介されることもないし、プーチンの個人資産も明らかにされていない。
 プーチンという人間を単純な言葉で説明したり、たった一つのレッテルを貼りつけたりできると考える人は間違っている。プーチンは非常に複雑な人間である。
プーチンが世界のほかの指導者ともっとも異なる点は、その個人的な経歴として諜報機関で訓練を受けたプロの工作員であるということにある。
 プーチンは、ソ連崩壊後に形成された現在の世界政治と安全保障秩序は、ロシアの「特別な役割」を否定するだけでなく、主権国家としての存続を脅かすほどロシアを不利な立場に置くものと考えている。そのため、プーチンは、現在の秩序を変えることを自らの責務としている。
 西側諸国の多くの人々はプーチンを見くびりすぎている。プーチンは目標実現のためなら、どれだけの時間や労力、汚い手段をも惜しまない人間だ。使える手段は何でも利用し、残酷になることもできる。
プーチンは戦士であり、サバイバリストである。決してあきらめないし、勝つためには汚い手も使う。だからプーチンの言葉は常に真剣に受けとめなければならない。
プーチンは嘘の約束や脅しはしない。プーチンが何かをすると言えば、いったん準備がととのったら、あらゆる手を尽くして、その実行方法を見つける。
国内・国外対策の両方において、相手よりも優位に立つことがプーチンの主たる戦術である。
プーチンがもっとも重視するのは経済だ。プーチンが大統領になってからの10年間に、ロシアは世界でもっとも急成長を遂げた国の一つになった。それは、石油と天然ガスの価格高騰によってもたらされた。この10年間にせっせと外資準備を築きあげたおかげで、ロシア国家とプーチンは、2008~2010年の世界金融危機を乗り切ることができた。
 プーチンは、側近たちを資産とみている。だから、プーチンのチームは常に少人数だ。人材を見つけ、側近グループへ勧誘し、その動きを管理する人物は自分だけ。それがプーチンの考えだ。プーチンの企業モデルは、少人数のグループの上に成り立つもの。
「株式会社ロシア」の上層部の人間関係は、すべてプーチンとの関係によって成り立っている。
 プーチンの源泉を知った気にさせる本格的なプーチン解説書です。


(2017年3月刊。3200円+税)

2017年1月22日

ラーゲリのフランス人

(霧山昴)
著者 ジャック・ロッシ、ミシェル・サルド 、 出版 恵雅堂出版

スターリン時代のソ連の収容所に24年間も入れられていたフランス人がいただなんて、知りませんでした。『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』を書いた人物です。
ジャック・ロッシは、ソ連のたどってきた道、あまりに多くの犠牲について、その原因はレーニンの路線にあったと明確に指摘する。
スターリンの間違いではなく、レーニンの路線が間違っていたというのですね・・・。
大学生のころ、レーニンの歯切れのよい文章を一生けん命に読んで、なるほど、そうなのかと何度も思った身としては、いくらか違うような気もするのですが・・・。
ジャック・ロッシは、自分のグラーグでの苦難は、自分の選んだ主義、理論、行為の代償であって、当然の報いだとしている。
ヒトラーのナチズムと、レーニンのボリシェヴィキのいずれの責任が大きいのかという問いかけは、虎と狼のどっちが恐ろしいかというのと同じで、その問いかけには意味がないとする。
ジャックの母親はフランス人で、母親はポーランド人の貴族と再婚した。ジャックは16歳のときに非合法のポーランド共産党に入党したが、すぐに逮捕された。出獄すると、コミンテルンの秘密謀報員になった。スペイン戦争のときは、共和国軍のために働いた。このとき、モスクワに召喚されて逮捕された。28歳から、スターリンの死後まで20年間、ジャックはグラーグ(収容所)に入れられた。
グラーグとは、オーゲーペーウーの強制収容所のこと。グラーグの囚人をゼックとも呼ぶ。
ソ連の刑罰のシステムは、ヤクザが他の囚人を手荒く扱うことを奨励していた。もっとも強力なヤクザは、グラーグで支配的な階層をつくって、それを自慢していた。その階級的利害は、ソビエト権力のそれと混じりあっていた。
語学に堪能だったジャックはソ連の刑務当局から日本人の政治犯が入っていた監房に入れられた。そこには、近衛首相の長男の近衛文隆もいた。ジャックは、ここで内藤操(内村剛介)と、親しくなった。
すさまじいラーゲリの内情が静かに語られている本です。繰り返してほしくない歴史です。
(2004年9月刊。3000円+税)

2017年1月 3日

僕とおばあさんとイリコとイラリオン


(霧山昴)
著者 ノダル・ドゥンバゼ 、 出版  未知谷

不思議なストーリー展開の本です。
今はジョージアと呼ばれていますが、少し前までグルジアと呼んでいた国で、少年が大人になっていく過程がつづられています。
ソ連時代のグルジア共和国ですので、ナチス・ドイツがソ連に攻めてきたころのことから物語は始まります。そして、ソ連ではスターリン圧政の下で粛清の嵐が吹き荒れていて、少年の父親も、その犠牲になりました。だから、少年は父方の祖母(おばあちゃんです)のもとで暮らすのです。
グルジアの歴史が訳者によって紹介されています。
グルジアの最盛期は12世紀から13世紀にかけて。タマル女王の治世下です。そのあとモンゴルが来襲し、さらにチムール帝国がやってきて、グルジアは壊滅的な打撃を受けた。西グルジアはオママン帝国に、東グルジアはペルシアによって分割して支配された。グルジアはソ連邦を構成する一共和国だったが、1991年に独立して、現在に至っている。
大人たちは、何かというとすぐウォッカを飲みます。
変てこな大人たちばかりのなかで、少年は、ひょうひょうと生きていきます。
こんな会話が出てきます(70~71頁)。
「ドイツは、モスクワのそばで身動きできないんだ」
「第二戦線はどうなってる?」
「大した変化はないな。それにしても、イギリスはとんでもなく卑怯な奴らだぜ。ソヴィエトは放っておいて、俺たちは手を貸してくれって、アメリカに頼むんだ」
「で、アメリカは何て言ってる?」
「それは、おまえの仕事じゃないだろうって」
・ ・・
「じゃあ、日本は?」
「日本はドイツが尻を叩いているんだよ。じっとしていないで、早くおっぱじめろよって。すると、日本が答えるんだ。そっちがモスクワのそばでじっとしてるってのに、オレたちはいったいどっちに行ったらいいんだよ、ってな」
「それでドイツは何て言ってるの?」
「ラジオで二回言ってた。我々はスターリングラードを征服したって・・・それで日本をだまし
通せるとでも思ってやがる」
「ドイツは、もう終わったな」
日本の参戦はドイツ軍のスターリングラードでの敗北のあとだったようです。
独特のグルジア語らしきものが本の表紙に飾られています。私はまったく初めての文字で
した。グルジア(ジョージア)文学って、こういうものなのかと、初めての体験に戸惑ったというのが正直なところです。
(2004年3月刊。2500円+税)

2016年9月14日

スターリン批判

(霧山昴)
著者  和田 春樹 、 出版  作品社

スターリンは、同時代のヒトラーに次いで悪虐な独裁者だったと私はいま考えています。ヒトラーは根っからの独裁者であり、初めからユダヤ人をはじめ「敵」を虐殺するのにためらいがありませんでした。スターリンのほうは、どうなるのでしょうか・・・。当初は社会主義の理想に燃えていたこともあるでしょうか・・・。これは、引き続きの研究課題とすることにしましょう。
この本は、独裁者スターリンの死の前後のソ連の状況を活写しています。
ソ連が成立したころ、ソ連共産党の幹部にはユダヤ人が大勢いた。ジノヴィエフ、カーメネフ、トロツキー、カガノーヴィチはユダヤ人。モロトフ、ブハーリン、カリーニンの妻はユダヤ人だった。だから、スターリンには、もともとは反ユダヤ主義ではなかった。
スターリンの長男ヤローフは、ユダヤ人女性と再婚した。スターリンの娘スヴェトラーナは、22歳も年上のユダヤ人の映画監督に恋をし、大学2年生のときに、ユダヤ人と学生結婚した。これって、インテリにユダヤ人がいかに多かったか、ということを示していますよね・・・。
1953年3月5日、スターリンが死んだ。スターリンの死にあたって、後継者たちは混乱とパニックを恐れた。絶対的な指導者の死は、ソ連の国家体制にとっては前代未聞の危機だった。
新政権のなかで、もっとも張りきっていたのはベリヤだった。ベリヤが真っ先にやったことは、スターリンの死に関する後始末だった。
100万人の一般囚人が釈放された。これは関係者には大きな喜びを与えたが、犯罪者を社会に送り込むことによって、恐怖をまき散らすことにもなった。囚人が釈放されたシベリアでは、犯罪が多発した。
ベリヤを暴力的に排除しなければならないと最初に判断したのは、フルシチョフだった。
スターリンの死によってソ連国民の誰に期待を与えたかというと、なにより収容所の政治犯だった。1954年の早春から、マレンコフとフルシチョフの対立が顕在化してきた。フルシチョフは、重工業優先政策を強く押し出した。
1956年2月、ソ連共産党の第20回大会が開かれることになった。そこでスターリン問題がどのように扱われるのかが一大焦点だった。
6月4日、アメリカのニューヨークタイムズがフルシチョフ「秘密報告」の全文を公表した。アメリカ共産党はイタリア共産党と同じくスターリン体制を批判した。日本共産党は、フルシチョフ秘密報告の公表を黙殺した。
フルシチョフ秘密報告が当時の世界に与えた衝撃は絶大なるものがあったと思います。なにしろ、「英雄スターリン」が、実は、とんでもない大虐殺をした独裁者だったということが鋭く告発されたのです。スターリンを太陽のようにあがめていた人にとっては暗黒の日々だったのではないでしょうか・・・。
ひるがえって現在の日本では、アベ首相について、よくやっているとみている日本人が少なくないのに私は驚かされます。マスコミというのは、こんなにも人々の意識を簡単に操作してしまうものなのですね・・・。
アベ首相なんて、我が身を安全にしておいて日本を戦争にひきずり込んでひどい状態におとし入れようとしているだけではありませんか。どうしてそんなことも気づかない人がいるのでしょうか・・・。もっと目を見開いていたいものです。
(2016年6月刊。2900円+税)

1  2  3  4  5  6

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー