インド
2013年5月 9日
ラスキンの『この最後の者にも』、その真髄
著者 M.K.ガンジー 、 出版 加島・田中法律事務所
私の尊敬する大阪の加島宏弁護士が翻訳して送ってくれたガンジーの本です。わずか40頁ほどの薄っぺらな本ですが、まさしく現代に通用する鋭い指摘に驚嘆させられます。
それにしても、ガンジーが暗殺されたのは1948年、私が生まれた年だったのですね。
加島弁護士は、昨年8月に古希を迎えたのを期に、ガンジー全集の日本語版出版を決意したということです。といっても、マハトマ・ガンジー全集って、100巻あるそうですから、大変なことです。かげながら応援したいと思います。ここで紹介するのも、その応援策の一つのつもりです。
経済学は科学の名に値しない。労働者がストライキに打って出た場面では経済学は何の役にもたたないからだ。
何の経済的利益も期待しないで使用人に親切を施す者は、すべての経済的利益を手にするだろう。まさに、命を守ろうとする者はそれを失い、命を捨てる者は、それを得る。
兵士の務めは、実のところ人を殺すことではなく、人を守るために自分の命を投げ出すことにある。世間の人々が兵士を尊敬するのは、国を守るために兵士が命をかけているからである。
法律家、医師、聖職者が尊敬されるのも、自己犠牲の精神で働いてくれるからだ。法律家は、ひとたび裁判官席に座ると、どんな結果になろうとも、ひたすら正義にかなった判決を目ざす。医師は、どんな困難な状況の下でも、患者のために腕を奮う。聖職者も、同じように信徒たちを正しい道に導くことに努める。
文明国には、5つの偉大な知的職業がある。
兵士の仕事は、国を守ること。
司祭の仕事は、国を導くこと。
医師の仕事は、国民の健康を保つこと。
法律家の仕事は、国に正義を行き渡らせること。
商人の仕事は、国中に生活物資を供給すること。
工場の支配人は、常に、その息子を遇するように他の工員全てを遇さなければならない。これこそが、経済学における、唯一の、効果的で、まっとうで、かつ実際的な法則なのである。
富の本質は、人を動かす力にある。外見上はっきりした富であっても、もしこの力を失ったなら、それはもはや富とは言えない。
富を極めることは、新鮮な空気をいっぱい吸い、目を輝かせた、幸せいっぱいの人をできるだけたくさんつくり出すこと。
富を増やそうとして貧者から搾りとる者は、富を失う。乏しいからといって、貧者から奪ってはいけない。相手の弱みにつけ込む商売をしてもいけない。弱者を虐げた者の魂は、神によって壊されるだろう。
競争は国家の為になるという経済学者の説は間違っている。競争の結果、労働者はより安い賃金で働かされ、金持ちはますます豊になり、貧しい者はますます貧しくなる。長い目で見れば、国家はそうして滅んでいく。働く者は、その能力に応じた適正な賃金を支払われるべきである。
人間の強欲に起因して地球上のあちこちで繰り広げられている不正義の戦争は、現代の資本家たちの責任である。
お金というものは、使い方によって悲劇を生んだり、幸福をもたらしたりする道具なのである。
お金、富、貧困そして仕事をじっくり考え直すことのできる珠玉の言葉がここにあります。お互い、ゆっくりかみしめたいものです。
(2013年3月刊。非売品)
5月の連休、どこにも出かけず、仕事をしていました。ただ、例年どおり子どもの日には近くの小山にのぼりました。急勾配の山道をのぼるときはなんでこんな苦労するのかと思うのですが、見晴らしのよい頂上に立つと、気宇壮大な気分になって、先ほどの苦労が吹っとんでしまいます。
ウグイスの鳴き声を聞きながら、下界を見おろしつつ、おにぎり弁当をほおばるのは至福のひとときです。さすがに子どもの日なので、親子づれで頂上はにぎわっていました。
2012年6月 9日
インド・ウェイ、飛躍の経営
著者 ジテンドラ・シンほか 、 出版 英治出版
インドの企業はすごい。
2010年に、インドはアメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4の経済大国となった。日本のGDPは4兆3100億ドルに対して、インドは4兆100億だ。インド経済は、年7~8%の成長を続けている。
日本とインド企業との連携の好例は、スズキだ。インドの自動車市場の45%のシェアである。
インド・ウェイとは、よその国とは異なるインド企業独特の組織能力、マネジメント慣行、そして企業文化の複合体だ。それは、作業員とのホリスティック・エンゲージメント、ジュガンドの精神、創造的な価値提案、高度な使命と目的の4つの原則から成っている。
アメリカのMBAプログラムに入学するために必要なGMATの受験者は、10年間にアジアで74%増加したが、中国は161%、インドは341%も増えた。
インドでの販売の最大の課題の一つは、従来のマスメディアが人口の半分にしか届かず、5億人をこえる人が企業の製品やブランドについてほとんど知らない。およそ60万の村落の分散している農村部の住民は、新聞、電子メディア、鉄道につながっておらず、また半分以上は道路でさえ都市と接続していない。
インド企業の驚くべき成功にもかかわらず、多くのインド人が貧困に窮しており、3億人以上の人々が1日1ドル以下で過ごしている。幼児期の死亡率は依然として高く、1000人の出生について57人が死亡する(アメリカでは7人)。
インドの中間層は急激に増えており、田舎の生活から離れ、新しい格差を生み出している。政府における汚職だけでなく、ビジネスにおける汚職も、インドでは日常的となっている。
ごく低収入の人々に、ごく安い価格でアプローチするビジネスが生まれました。
きわめて多数の顧客人口に対して、非常に低コストの通信サービスを提供した。世界でもっとも安いケータイ料金が1分10セントのとき、インドでは1分1セントというものだった。
なーるほど、数は力なりですね。どんなに安くても、数が多ければ商売として成りたつというものです。
世界に冠たるインド企業の内実を少しだけ知った気にさせる本でした。
(2011年12月刊。2200円+税)
2012年5月 3日
シャンタラム(上)
著者 グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 、 出版 新潮文庫
インド(ボンベイ)のスラム街の生活が描かれています。
長大な小説の第1巻ですが、自身の体験をもとにしていますので、その迫力は絶大なものがあります。
インドとインド人についての単純な、それでいて驚くべき真実は、インドに行ってインド人と付きあうときには頭より心に従った方が賢明だということだ。その真実がこんなにもあてはまる国は、世界中どこを探してもほかにない。
不誠実な賄賂はどの国でも同じだが、誠実な賄賂が存在するのはインドだけだ。
ええーっ、本当でしょうか。信じられませんね。そう言えば、最近もインドで、賄賂をなくせという集会とデモがあったと報道されていました・・・。
主人公はオーストラリア人。刑務所を脱獄したから、もはや本国には戻れません。
刑務所で暮らすということは、何年ものあいだ、午後の早い時刻から翌日の午前の遅い時間まで、毎日16時間も監房に閉じ込められ、日の出も日没も夜空も眼にすることがないことを意味する。つまり、刑務所で暮らすということは、太陽と月と星を奪われることを意味する。
刑務所は地獄ではなかったが、もちろん天国も見あたらなかった。それはそれで地獄にいると同じくらい悲惨なことだ。
人市場で子どもたちが売りに出されている。しかし、この子どもたちは人市場にたどり着かなかったら死んでいただろう。餓えに苦しめられ、すでに自分の子どもの一人かそれ以上が病気になって死んでいくのを見てきた親たちは、「人材発掘人」が来てくれたことに感謝し、ひざまずいて彼らの足に触れ、息子や娘を買ってくれと懇願する。せめて、その子の生命だけでも助けたいという思いからだ。
これって、本当なのでしょうか・・・。哀れすぎです。
主人公はボンベイのスラムで医師まがいのことをして、住民の生命を救い、頼りにされるのでした。インドは行ってみたい国ではありますが、とても行く勇気はありません。
そんなインドに住みついた白人脱獄囚の冒頭にスリルにみちた話が展開していき、次はどうなるのかと恐る恐る頁をめくっていきました。
(2011年12月刊。990円+税)
2011年1月 5日
必生・闘う仏教
著者 佐々井秀嶺、 集英社新書 出版
すごい本です。日本人の僧がインドに渡り、今やインド国籍も得てインドで仏教復興運動のリーダーになっているというのですから・・・・。
著者は3回も自殺を試みています。もちろん、みな未遂に終わったので、今日があるわけです・・・・。1回目は、1953年ですからまだ18歳です。太宰治を愛読し、女性問題で悩んだあげく、青函連絡線に乗って海に飛び込もうとしたのです。そして、大菩薩峠でも自殺を試みました。さらに、乗鞍岳に登って、自殺を図ったのですが、寒さのなかで助けてくれーと叫んだのでした。いやはや、この本は、今や大変な高僧となった著者の人間像がかなり赤裸々に描かれています。
不惜身命(ふしゃくしんみょう)とは、他者の幸福のため、みずからの命を惜しまず、力を尽くすこと。
柔和忍辱(にゅうわにんにく)とは、他者の笑顔を守るため、みずから笑顔を絶やさず、屈辱にも耐えること。
著者は、アンベートカル博士を心から慕っています。
アンベートカル博士こそ、13世紀にムガール帝国による大虐殺によってインド史の表舞台から姿を消したインドの仏教を現代に復活させた正法弘宣の大導師である。
このアンベートカル博士は、1891年に不可触民階級のマハール(雑役)カーストに生まれた。ガンディーは、不可触民は神の子であると主張したが、アンベートカル博士は、これに強く反対した。人間は皆ひとしく平等であるというのなら分かるが、不可触民だけを神の子と呼ぶのはおかしい。ましてや、その神がカースト差別をするヒンズー教の神の子、総称「ハリ」というのは支離滅裂もはなはだしい。このように主張して、1956年10月、アンベートカル博士は、30万人の不可触民と共にヒンズー教から仏教への集団大改宗を挙行した。
仏教は不殺生が基本なので、その闘いは非暴主義に立つ。しかし、不当な暴力を前にして、それをただ受け入れるだけでは、相手の殺生罪を容認したことになる。そうならないためには、あらゆる手段、たとえば言論活動をはじめ、署名運動、抗議デモ、座り込みなど非暴力の闘争を展開する。それが不殺生(ふせっしょう)の闘いなのだ。非暴力を貫くためには、自己犠牲をふくむ必要最小限の力の行使をみずから選択しなければいけないこともある。
それにしても、日本人がまさしく生命をかけてインドの広大な大地を仏教再興を願って日夜かけずりまわっているのです。たいした仏教家です。驚嘆しました。
(2010年11月刊。700円+税)
2010年9月16日
レンタル・チャイルド
著者 石井 光太、 新潮社 出版
インドの悲惨な一断面が紹介されています。あまりにもおぞましくて、つい目を背けたくなります。それでも日本人青年が勇気をもって生命がけで突撃取材した結果の本ですので、ともかく最後まで読み通しました。超大国を目ざすインドの影の部分が掘り起こされている本です。
浮浪児たちは路地の片隅で育ち、大人の暴力に怯えながら寂しさを紛らわすように薬物に手をだす。やがては依存症になり、その薬物を手に入れるために、さらにか弱い浮浪児を傷つけるようになる。その、どうしようもない負の連鎖の中で、子どもたちの手や足が一本また一本と切り落とされていく。通行人の同情をひくように障害者がつくられていくのです。なんということでしょう・・・・。
ところが、警察が街頭から浮浪少年を追い出したあとにやって来たのは、ナイジェリアやコンゴなどアフリカ諸国からやってきた黒人である。彼らが替ってたむろするようになった。
次のように、うそぶく男がいます。
街には、ヤク中の女や売春婦が捨てたガキが腐るほど転がっている。そんな赤ん坊を拉致してきて、ある年齢までは女乞食に貸し出して金もうけをし、その後は、身体を傷つけて一人で物乞いさせる。7歳か8歳になったら、女乞食なしでやった方が金になる。マフィアが子どもの目や足の自由を奪うのは、子どもたちが人の助けなしに生きられないようにするためだ。そうすれば、子どもたちは逃げようとせず、マフィアとともに暮らすしかなくなる。
俺らにはガキが必要だ。奴らだって、俺らが必要だ。お互いに助け合って、うまく生きているんだ。
「パパは悪くないよ。ぼくが稼げなかったから、いけないんだ。悪いのは、全部ぼくなんだよ」
「あの男は、きみの目をつぶしたうえに、物乞いをさせ、今だって殴りつけたんだぞ。悪いのは、あいつに決まっているじゃないか」
「ぼくがいけないんだ。目を刺されたのは、ぼくが言うことを聞かない悪い子だったからなんだ。ちゃんと、お金を稼がないから、こんなことになったんだよ」
「お願いだから、パパの悪口を言わないで。追い出そうなんて絶対に言わないでよ」
「こう考えないと、こんなところでは暮らしていけないのよ。生きていくためには、すべてを自分のせいだと思わなければいけないのよ」
なんという哀れな言葉でしょうか・・・・。この会話を読んだとき、私は子どもたちの心をここまで傷つけてよいものか、涙が止まりませんでした
(2009年2月刊。1600円+税)
2008年8月 8日
ブータンに魅せられて
著者:今枝由郎、出版社:岩波書店
ブータンは小さな王国。人口は60万人。国土の72%は森林で、20%は万年雪に覆われている。農耕地は8%しかない。ブータン人口の5人のうち4人が農業で生計を立てている。
ブータン国立図書館は、民家としては大きいといえる程度のごく普通の木造2階建て。中には経典が山積みにされているが、多くはない、目録もなかった。図書館員は堂守で、図書館長は僧正である。
チベット仏教の伝統は、師資相承で伝えられるのが原則であり、お経は自分で勝手に選んで読むものではない。先生が弟子の資質を見きわめて、このお経なら理解できる、あるいはこのお経を学習すべきであると判断して初めて、弟子にそのお経を授けて学習させる。ブータンでは、お経が死蔵されることなく、生きている。
ブータンは、つい最近まで、かたくなに鎖国を続け、一度も外国の植民地になったことがなく、現在でも小さいながらも独立国家として近代化の道を着実に歩みつつある。だから、ブータン人は外国人に対して何のコンプレックスも持っていない。
ブータンでは、少なくとも女性が従属的でなければならないという社会的通念が非常に薄い。そもそも隷属的な地位を経験したことのない、自然な奔放さがある。
田畑も家も、すべて女性のもので、男は外部から来て、労働と生殖に関わるだけである。これがブータンの女系社会である。ブータンの家では、女性のほうが実権をもっている。
財産はすべて女性のものだし、男性は労働力の一部でしかない。男は、よく家から放り出される。離婚率も高い。
ブータン人は決して排他性がなく、異文化に対して非常に寛容である。
ブータンには、ネパールのようなポーターを生業とするシェルパはいない。
ブータンの国王は、農民を登山隊のポーターとして徴集することを禁じた。ブータンの国会は、登山永久禁止条例を発令したので、ブータンの7000メートル級の山々は、今でも世界の例外として未踏処女峰のままである。ふむふむ、なるほど、そうなのですか。
ブータンの特徴は、農家の一軒一軒がかなり離れて建っており、集落がないこと。
ブータンは、チベットからの政治亡命者によって打ち立てられた国家のようなもの。インドとブータンの優劣関係は明らかで、一種の不平等条約だ。ブータンはインドの属国ではないが、完全にインドに依存していて、少なくとも経済的には自立していなかった。GDPではなく、GNH。国民総幸福という指標がある。人生の充足度を計ったもの。これによると、1位はデンマーク、2位はスイス、3位がオーストリア。ブータンは8位。アジアでもっとも幸せな国にランキングされている。ちなみに日本は、178ヶ国のうちの90位。
ブータンは時間がありあまっているから、時間を世界に輸出したらどうか。これは、通産省の産業振興会議で出された意見だそうです。うひゃあ、そんな・・・。びっくりしますね。ブータンという、おおらかな国民のゆったりと時間の流れていく国の姿を少しだけ知ることができました。それにしてもGNHという指標はいいですね。そして、日本が世界の中くらいでしかないというのは残念でなりません。まあ、そうなんでしょうね・・・。
物質的豊かさは必ずしも幸福を意味しないということですよね。アメリカなんて、GNHでみると最低のほうでしょうね、きっと。
(2008年3月刊。740円+税)
2008年2月 8日
インドの衝撃
著者:NHKスペシャル取材班、出版社:文藝春秋
インドで理工系の大学・学部で学ぶ学生が2006年に44万人だったのが、2007年には50万人になった。毎年4〜5万人ずつ増えている。その最高峰は、インド工科大学(IIT)。5000人の定員に対して、受験者は30万人。競争率は60倍。IITには、全体で2万6000人の学生がいる。
IITの試験は1日。午前中に数学・物理・化学について3時間。午後からまた3時間。合計6時間で、問題は132問。理解力と分析力、そして論理的思考能力が評価される。日本の試験も、このように暗記重視をやめたほうがいいと思うのですが、残念ながら、そんな声はあまり聞けません。
合格順位にしたがって、IITの、どの学部に進むかを決める権利が与えられる。受験できるのは2回まで。
入学したら、全員が大学内の寮で生活する。寮の部屋は3畳ほど。テレビも冷蔵庫もない。IITの試験科目は1科目につき3時間。10問あって、すべて記述式で解答する。IITでは暗記は重視されない。
IITの卒業生は、20年前は80%が海外へ行っていたが、今ではわずか10%のみ。卒業生も、海外からインドへ続々と戻ってきている。
インド式計算法が日本でも評判になっている。インドは、生徒が算数を大好きになるように工夫した授業をしている。1年生のときから暗算を始め、習慣として身につけさせる。そのため、生徒の机の上には教科書もノートも鉛筆も一切ない。
インドでは、年収9万ルピー(26万円)以下を貧困層、100万ルピー(290万円)以上を富裕層とみている。そのあいだが中間層となる。この中間層が2001年に2億2000万人(人口の20%)から、2005年に3億7000万人(34%)に急増した。
行ってみたいインド、でも行ける自信と勇気のないインドのことを少し知ることができました。
(2007年10月刊。1714円+税)
2007年4月19日
ITとカースト
著者:伊藤洋一、出版社:日本経済新聞出版社
インド・成長の秘密と苦悩。こんなサブ・タイトルがついています。
インドの離婚率は1%。えーっ、ウソでしょ・・・。インドの結婚は、お見合いの比率が高く、80%に近い。インドでは結婚が神聖視されていて、未婚の男女に対する管理はとても厳しく、結婚前の男女関係は非常に保守的。結婚相手は基本的に親が決める。だから、ラブ・レターという言葉はインド社会では否定されている。
えーっ、そうなんですかー・・・。インド映画を見て、なんだか恋愛至上主義のような気がしていたのですが、まったくの誤解だったようです。
インドでは結婚後の浮気も、事実上不可能だという。たとえば、インド人の男女がホテルに泊まるときには、身分証明書を呈示して夫婦であることを立証しなければならない。
ヒンズー教では、生きている間はカーストで身分も職業も変えられない。しかし、現在のカーストでの人生の結果によっては、次の生など、来世で高いカーストに上がることができる。つまり現世の身分の低さは、最初からあきらめ、死後に希望がもてる仕組み。現在のカーストは過去の生の結果であるから、今の置かれている環境を受け入れて、人生を生きるべきだ。こうなる。
選挙のとき、現世で大地主に奉仕すれば、来世では良いカーストに生まれ変わると、今でも多くの人が信じている。これって、支配者にはものすごく都合のいいものですよね。
父親と母親とが違うカーストから出ている場合を含めて、誰がどの階級にいるのかと決めつけるのは実に難しい。
カースト以下の人々は一般にアンタッチャブルと呼ばれる。その人々は自分ではダリットと呼ぶ。ダリットとは、壊された民という意味で、2億人いる。
インドの最大の財閥はパルシーと呼ばれる。タダ・グループはパルシーのなかのグループ。パルシーとは、ヒンズー語で、プルシャという意味。
シーク教徒は、全人口の2%しか占めないが、インドでは、その存在感は大きい。
ヒンズー教徒は頭にターバンなど巻かないが、シーク教徒は頭髪やヒゲをそらない掟をもつため、ターバンを頭に巻く。シーク教はイスラム教の影響を受けてヒンズー教を改宗した宗教であり、カースト制を否定し、人間の平等を強く訴える教えをもつ。軍人や政界にシーク教徒は多いが、ビジネス・交通運輸の分野でも存在感は大きい。
インドはあれだけの人口(11億人)をかかえていながらオリンピックでほとんどメダルをとっていない。インドは個人競技に弱い。
たとえインド最下層の階級出身であっても、今までカースト制度では分類のなかった ITの分野には挑戦できる仕組みができあがっている。
アメリカにはインド系の人々が240万人いる。25歳以上のインド系の67%が大学卒以上の学歴を有し、世帯収入の平均は6万7000ドル。
インドでIT事業がすすんでいるのは、アメリカとの時差が12時間ほどあることもプラスしている。アメリカ人が寝ている間にコンピューターへのデータ入力や処理ができたら、朝までにアメリカに情報をふまえたアドバイスができるだろう。
インドのIT系新卒者は、日本人技術者の3分の1の給料で働いている。
インドって、ホント不思議な大国です。







