弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

世界(フランス)

2008年8月11日

美食のテロノロジー

著者:辻 芳樹、出版社:文藝春秋
 いやあ、実に美味しい本です。本ごと食べてしまいそうになります。美食の極みですね。ぜひ一度は味わってみたいと思います。でも、たとえばオーストラリアのシドニーにある「テツヤ」という店は、世界でもっとも予約のとれないレストランだというのですから、この本の写真を見てよだれをたらすだけで我慢することにしましょう。
 「テツヤ」は4人の専任スタッフが常駐して予約を受けつけているのに、いつも6ヶ月先まで120席が予約で埋まっている。キャンセル待ちのウェイティングリストにも常時100人いる。うへーっ、恐れいりました。でも、行ってみたいですよ。
 オーナーシェフの和久田哲也は、フランスの雑誌の選んだ世界の三大シェフの一人である。あとの2人は、アラン・デュカスとフェラン・アドリア。アラン・デュカスは私も名前だけは知っています。
 ところが、この和久田哲也は、初めから料理の道を志していたわけではなかった。ワーキング・ホリデーを利用して、22歳のときにシドニーへ渡った。そして、皿洗いから、魚をおろす仕事に移り、工夫しているのが認められて、やがてシェフのアシスタントをしているうちに、料理の基本を叩きこまれた。
 娘の結婚式のレセプション用に200人分の寿司を握ってほしいとシェフに頼まれ、お寿司の雰囲気を感じとれる「かわりずし」を発案した。シャリは型で抜いて、その上に、たたきにした仔牛や、タルタル風にしたマグロをのせる。表面が乾かず、旨みをのせるためオリーブオイルとマヨネーズをつかった。そして、2日間、寝ないで、1人で500個の「寿司」をつくった。仕上がりが美しく、美味しいと大評判をとった。す、すごーい。すごいです。そして、いかにもおいしそうじゃあ、ありませんか。食べてみたいです。私がシカゴの大ローファームに行ったときに出された、とびきり美味しい寿司を思い出してしまいました。アボガド巻きのごまかしばかりではありませんでした。もう20年ほども前のことです。
 試作して納得した料理しかメニューにのせたくなかったので、毎日、試作に明け暮れた。
 店では、一晩に2500皿をつくり、並行して、その場で客の注文を受けての料理も出す。試作品は、まず哲也が1人でつくる。それを2人のシェフに試作させる。次に、シェフがスーシェフに教える。そのスーシェフがつくったものを哲也が食べる。こうやって第三者的な目で見る。
 哲也は、必ず味見をするようにシェフたちに求める。何百回つくっていようと、味見は大事である。味見をしない人間は、料理を単なる作業としか考えていない。パッションのない人間は味見をしない。ふむふむ、なるほど、そういうことなのですね。納得です。
 ミェル・ブラスは料理人にとって必要な資質について、次のように語った。
 繊細な感性が大事だ。料理は写真であるし、建築であるし、科学であるし、感動であるし、幸福である。豊かな感性であればあるほど、その表現は豊かになる。
 2007年。フランス人の料理人の所得番付によると、アラン・デュカスが飛びっきりの1位。2位は、ジョエル・ロブション。その差は大きい。
 アラン・デュカスは33歳で3つ星を獲得した。それ以降、18年間に、3つ星レストラン3ヶ所、1つ星レストラン3ヶ所の合計の星を獲得して、世界中をあっと驚かせた。
 いやあ、一度は行ってみたいですね、こんな美食の店に。写真を眺めているだけでよだれが口中にあふれてきます。美味しい料理を、いかにも美味しそうに撮る写真にもしびれます。
(2008年1月刊。1905円+税)

2008年8月 4日

「情熱のシェフ」

著者:神山典士、出版社:講談社
 福岡出身のシェフがフランスでミシュランの星を獲得しました。それも、わずか28歳とは、恐るべきことです。この本は、その若きオーナー・シェフである松嶋啓介の足どりを丹念に追いかけています。いやあ、プロの料理人(シェフ)というのは、すごいものです。一度は、ぜひとも味わってみたいものです。
 この本の人物紹介を紹介します。
 1977年に福岡県で生まれる。高校を卒業したあと、上京し、料理学校「エコール辻東京」に学ぶ。渋谷「ヴァンセーヌ」などで働いたあと、20歳でフランスへ渡る。フランス国内で修業を重ね、南仏ニースに2002年12月、25歳のとき自分の店
「Kei’s Passion」をオープン。素材の魅力を存分に生かした斬新な料理が話題を呼び、3年後の2006年、28歳でミシュラン一つ星を獲得した。
 その後、店を拡張し、「KEISUKE MATSUSHIMA」に改めた。近く東京にも進出する。
 ケイは、食材の組み合わせは基本的なものであっても、完成したときに意外性を出す。料理はエンタテイメントなのだから、「驚き」は大切な要素だ。
 まずは食材・素材ありき。食材に対する感動こそ、料理人に対する最大の賛辞となる。料理人は、ある意味で、生産者の通訳である。
 ケイは味覚を複雑にせず、食材の良さを前面に出すような作品を心がける。その代わり、シンプルな料理は味覚の組み立てが完璧でなければいけない。
 ケイにとって料理をつくるのも楽しいことだが、一番うれしいのはフロアーに出て客から「メルシー」と言われた瞬間だ。料理は、自分のためではなく、人に喜んでもらうためにこそある。
 ケイの父は福岡市城南区に住む団塊世代の営業マン。祖父は太宰府に住む。1000坪の農地でニワトリを飼っていた。
 ケイは子どものころ、やんちゃの一言に尽きる悪さ坊主だった。ただし、味覚の良さは抜群だったし、母親はいつも手づくりの料理で、冷凍食品はめったにつかわなかった。
 ケイは東京で調理師学校に通うかたわら、東京の有名レストランを見てまわった。
 ニースのレストランが居抜きで1000万円に売りに出されるのを買ったのです。すごい決断ですね。24歳のときです。25歳の誕生日に店はオープンしました。20歳でフランスに渡って、わずか4年でフランスで店を構えるというのですから、その実行力と決断力は常識はずれのものがあります。
 しかも、開店して3日目には22席が満席になったというのです。
 今や、夏に月商13万ユーロ(2100万円)、冬でも10万ユーロ(1600万円)。1日の売上が平均4000ユーロです。店は150平方メートル(45坪)です。フロアと調理場をあわせて17人。うち日本人が6人(19万円の給与)、フランス人11人。平均年齢は、なんと22.6歳。最年少は15歳。調理場にも16歳2人、17歳、19歳がいる。ニースの料理学校から実習に来ている少年少女たち。
 ところが、スタッフの確保と養成は大変なようです。
 毎朝、市場にまで買い出しに行って、そこで生産者と顔を合わせながら、食材を自分の目で選び、その食材に合わせて料理を考えるというケイのスタイルに大いに魅かれるものがありました。これからも大いに活躍してほしい日本人、いえ福岡県人です。
(2008年6月刊。1700円+税)

2008年4月21日

シェフの哲学

著者:ギイ・マルタン、出版社:白水社
 パリの三ツ星レストラン『グラン・ヴェフール』のシェフが語った美味しい話です。読むだけで思わずよだれがこぼれ落ちてきます。フランス人は食に人生をかけているのです。
 私がフランスが好きなのは、そこに魅かれるのです。あっ、中国人も食を大切にしていますよね。それに比べてアメリカ人って、なんであんなに食事を粗末にするのでしょうけ。ファーストフードなんて、身体にも良くありませんよ。
 原産地証明つきの食材でしか仕事をしない。そのためには納入業者の質が重要だ。その質こそが食文化を洗練するための基礎になる。そして、もっとも時宜にかなった最良の食材を探し求める。季節の移り変わりに完全に合致した旬の食材追求を片時も中断してはならない。これには、強い好奇心が必要だ。
 著者は冷凍魚や長期にわたって氷漬けになっていた魚は断固拒否します。ブルターニュや地中海から直接に取り寄せたものですし、養殖物ではありません。
 食材のなかの最良のものを探し出すのが、シェフの挑戦なのだ。
 な、なーるほど。やっぱり、まずは素材なんですね。インチキ産地はいけません。
 人は単に食べるためだけにレストランにやって来るのではない。期待にみち、喜びを求めてやって来る。だから料理には、香り、味わい、彩りはもとより、質感、たとえばぐっと凝固しているとかスポンジ状であるとか、蜂の巣状であるといった姿。さらに柔らかい、溶ろける、パリパリした、カリカリしたという食感が求められている。
 料理は、感覚全体、つまり味覚は当然のこととして、さらに嗅覚、視覚、触覚そして聴覚の五感で賞味されるものだ。シェフはこんなあらゆる要求を満足させるように、あらゆる期待感を呼び起こすように自分だけのレシピを入念に仕上げる。
 シェフは幸福を売るセールスマンのようなものである。
 多くのシェフと違って、著者はゼロから始めました。業界内にコネはなく、家系も別にありません。今日の有名シェフの多くは、その両親もこの業界に身を置いていたそうです。
 プロフェッショナルな試食・試飲は、冷静に、技術的に、客観的に行われなければならない。著者が自店でつかうすべての食材をパリで試食・試飲するのは、そのためだ。余人を交えずに比較し、メモをとり、議論し、最後に自分たちだけで決める。
 たとえば、フォワグラの生産者が売り込んできたら、その鴨はどのように飼育されたのか、どこから来た鴨か、何日間肥育したのか、肥育にはどのような穀物のどのバリエーションをつかったのか、その原産地はどこか、などを訊く。それに答えられなかったら、話はそこで終わる。それに詳しい説明ができたら、その人が有機農法規則にしたがって仕事をしていたら、見本を求める。そして試食してみる。見本をみて、このフォワグラは、処理場まで生きたまま運ばれたのか、殺されて処理場で取り出されたのか、などを確認する。
 うむむ、おぬし、そこまでやるか・・・。驚きました。
 私はフランス料理のなかでは、リ・ド・ヴォーが大好物なのですが、日本ではなかなかめぐりあうことができません。もし、あなたがリ・ド・ヴォーを食べたことがなかったら、一度、挑戦してみてください。もちろん、人によって好きじゃないということになるかもしれませんが・・・。
 厨房では、舞台裏と同じく、秩序ある興奮が支配していなければならない。
 料理という芸術を実践することは、毎日、綱渡りをしているようなものなのだ。シェフは独奏者であると同時に、オーケストラの指揮者でもある。常に自分の協力者たちの真ん中にいて、ジュを味わい、火入れの加減を確認するまさにその瞬間に、これから起こることを想定し、うまくいかないであろうと思えることを見分け、修正し、改めて必要な説明を行ない、安定して質的に統一されたやり方で、正確なリズムをチームにもたらすことができなければならない。
 もし、シェフが美食の殿堂の警護を自認するなら、それぞれの皿のごく細かい部分までコントロールしなければならず、料理人たちの驚きを誘うことにこだわりながら、新しいレシピを構成しなければならない。そのためには、まず何をおいてもオリジナリティ、創造性、新しいアイデアが不可欠である。
 あらゆる料理は、いくつ作っても同じ出来でなければならない。シェフと同等と考えられているセカンドたちと、スー・シェフは、シェフが不在であっても、火入れの加減、香り付け、盛り付けを変えることなく、それぞれのレシピが料理できなければならない。
 シェフの協力者たちは、単に創造のプロセスを全体として理解しているだけでなく、シェフ固有の感受性にいたるまで、ミリ単位ですべてを転写するように、また、シェフのどんな細かい眼差しの違いにもいちいち対応させられるように同化していなければならない。
 うひょー、これってすごいことですよね。たしかに、毎回ちがった味では困ります。といっても、マックといったファーストフード店のように、全世界どこでも同じ味つけというのはいやですね。私はマックは食べません。合成的な味つけに舌を慣らしたくないからです。あんなものを食べるくらいなら、メロンパンにしておきます。
 フォワグラは、曲げの力を加えたときに割れずに曲げられなければならないし、かといって、あまりにも柔軟であり過ぎてもいけない。つまり、固すぎても柔らかすぎてもよろしくない。その次に、見た目、色、肌理(きめ)が検証される。目に快い仕上がりでなければならない。小さな粒子感があって、高密度に締まっており胆汁の痕跡は無視できる程度でなければならない。
 料理人には味覚がもっとも重要だ。味覚を訓練し、繊細なものにしていかなければならない。これは一朝一夕ではつくり出せない。さまざまな味に徐々になじんでいく必要がある。繊細な舌、繊細な味覚をもつというのは、必ずしも生まれつきの才能ではなく、勉強であり、一つ一つの味や匂いを記憶していくことだ。薫り(アローム)は、個々の食材や香辛料の香りがきわめて複雑にまざりあって出来あがっているものだが、シェフであるからには、さまざまな香辛料を含んだ料理を味わったとき、直接的に何がつかわれているかを識別できなければならないし、つかわれた主な香辛料は何か、これをだいたい把握出来なければいけない。
 むひゃあ、すごーい。とても私にはできそうもありません。さすが三ツ星レストランのシェフですね。そのプライドがよく伝わってくる本です。
 高級レストランの経営も大変なんだという話も出てきます。こんなお店で、気のおけない友だちとおしゃべりしながら美味しく味わいたい、そんな本です。
(2008年2月刊。2700円+税)

2007年11月14日

ある日、あなたが陪審員になったら・・・

著者:オリヴィエ・シロンディン、出版社:信山社
 フランス重罪院のしくみ、というサブ・タイトルがついています。日本の裁判員制度にフランスの陪審制は参考になるという紹介がありましたので、フランス語が少々できる私としてはぜひ読んでみようと思った次第です。
 フランスでは、毎年2万人ほどの市民が陪審員になるべく招集される。1978年以来、選挙人名簿に登録された23歳以上のすべての市民は陪審員に任命される可能性がある。パリだと1800人、その他の県だと人口1300人に1人の割合で選出される。
 市長は公衆の面前で、選挙人名簿をもとに23歳以上の人からくじを引いて、定数の3倍までしぼりこむ。そこから、法曹三者などから成る委員会が不適格者を除外する。そして、2度目のくじ引きが裁判の始まる30日前までに行われる。これも公開の法廷でのくじ引き。40人と予備員12人を選び、期日に召喚される。そして、開廷日の初日に3度目のくじ引きとなる。
 重罪院は、3ヶ月に一度、2週間の開廷期で開かれる。
 陪審員は、5年間のうち一開廷に限られる。
 人を裁くなんて、神以外の誰にもできるはずがないと言われた。私が人を裁くなんてできるはずがないと思ったし、自分の意見をもつのも得意ではないので悩んだ。それでも、政治意識から召喚を拒否しなかった。
 理由なく陪審員が欠席したら、3750ユーロの罰金が科される。
 困難な任務にもかかわらず、いつも陪審員の熱意と真面目さと努力に驚かされる。
 もし重罪院が舞台なら、そこで演じられているのは悲劇だ。陪審員のなかには、泣いたり、気を失ったり、部屋を出てもいいかと頼む者がよく出てくる。救急車が重罪院に頻繁にやって来る。
 陪審員は、あなたは心底から確信しているか、と自らに問いかける。
 評議室は閉ざされ、出入り口は守衛によって警備される。評議室から出ることはできず、トイレに行くときも、警備員が付き添う。外部からの接触は一切排除される。
 ここは、人間がふだんの自分以上の、崇高な存在になれる場所なのだ。
 陪審員による投票は2回に分けて行われる。まずは有罪か無罪かについて。そして有罪と決まったときには、量刑について投票する。有罪についての評決は12人のうち8票の多数を必要とする。量刑については7票でもいいが、法定刑の最長期の刑を言い渡すときには8票を要する。ちなみに、フランスは死刑判決はない。
 フランスの弁護士は3万9000人いるが、刑事弁護士と呼ばれるごく少数が重罪院で活動している。
 重罪院にかかった事件のうち無罪になるのは7%。2002年から無罪判決に対して検事長は控訴することができるようになった。控訴率は24%。
 2002年に重罪院の判決は2825件だった。17%は故殺、13%は凶器所持強盗、52%が強姦事件。
 いろいろ勉強になりました。イラスト入りでかかれた読みやすい本です。
(2005年11月刊、3200円)

2007年6月15日

フランス父親事情

著者:浅野素女、出版社:築地書館
 フランスは日本と違って出生率を回復しています。EU諸国の平均が1.5に対して、フランスは2.0です。いろんな出産優遇措置の成果だとされています。
 たとえば、2002年から、父親手帳なるものが誕生し、父親にも2週間の出産休暇が認められました。先の大統領選挙で惜敗した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルが家族・児童担当大臣だったときにスタートした制度です。父親学級だってあります。妻の出産に立ち会うのも、今や普通のことです。私は3人の子どもたちの出産に一度も立ち会ったことがありません。いつも、部屋の外で待っていました。
 フランスでは、2人に1人の子どもが婚姻関係にない父親から生まれる。フランスでは、生まれたときの名前が生涯を通じての正式名であり、日本のように結婚して名前が変わるという制度はない。
 2006年には、100組のカップルのうち42組が離婚する計算となる。カップルの寿命はますます短くなる傾向にある。1990年に共同生活を始めたカップルの15%が5年後に別れ、10年後には30%が別れている。
 中絶権は、女性たちの手にあり、父親の意思が反映される余地はまったくない。
 いまや、世界の真理は女性たちの手に握られている。そして、男たちは表面上は女性に対する理解にあふれている。だが内心、男たちは、戦々恐々、強くなった女性たちに畏れをなしている。
 父親の2週間の出産休暇は、3人に2人が活用している。このとき、給料の8割が保証される。これって、いい制度ですよね。うらやましいですね。
 父親は、子どもの前に、「他者」として立ちはだかる最初の人間だ。一方的に、母親の伴侶としての現実の父親の存在があって、もう一方に、頭の中につくられる父親像がある。むしろ、頭の中でつくりあげられた父親のイメージを通して、息子たちは、今度は自分が父親になるのである。なーるほど、ですね。
 フランスには、パクス(市民連帯契約)という制度があります。
 同性カップル、男女のカップルでも結婚したくないけれど、ある程度の社会的認知や保護がほしいときに有効です。これは結婚とちがって、市役所を通さず、裁判所の書記官を通すこと、ひとりの一方的な決断だけで契約解消できること、双方が自動的な遺産相続人とはならないことが大きな違いです。健康保険や税金面では、婚姻関係にあるカップルと同じ優遇措置が受けられます。
 うむむ、これはすごいですね。日本ではまったく考えられませんよね。日本の少子化を政府が本気で心配するのなら、若い人たちが安心して子どもを産んで育てられる環境をととのえるべきだと思います。その点が今の日本にはまったく欠けています。

2007年3月26日

ブドウ畑で長靴をはいて

著者:新井順子、出版社:集英社インターナショナル
 ロワール地方にはたくさんのシャトーがあります。ブロワ城や有名なシュノンソー城もロワール河の支流シェール川沿いにあります。そのシェール河近くに日本人女性がワイン畑のオーナーとなり、無農薬でブドウを栽培してワインをつくっているのです。すごーい。日本女性をまたまた見直しました。
 1ヘクタールに6000本のブドウの樹が植わり、8ヘクタールのうち2ヘクタールは休耕地になっているから、6ヘクタールだと3万6000本。これを一本一本、手で剪定していく。一本の樹に5分から15分かかる。
 ブドウの赤ちゃんに「元気に育ってね。たくさんお世話するからね」と話しかける。ブドウの樹は人間よりずっと頭がいいから、フランス語でも日本語でも分かる。
 ブドウの樹は6月ころ花を咲かせ始める。気がつかないほど小さな白い花がプチプチ咲く。とても愛らしい。花が咲いて100日後にブドウの収穫が始まる。花が咲くと、その年の収量を調整するため芽かき作業をする。一本の樹から多くて10房までとした。ゴメンナサイネと謝りながら、残酷にもブドウの芽を摘んでいく。
 ワイン用の樹は小さく育て、皮を厚く実を小粒にして糖度を上げていく。
 8月は放っておいてもブドウが熟成するので、ワイナリーはバカンスをとる。
 ブドウジュースを樽に移し替えるとすぐに発酵が始まる。
 「チチチチ・・・・」
 木樽に耳を当てていると、発酵の始まった音が聞こえてきた。ワインが息をしはじめ、発酵が健全に動き出した証拠だ。音で確認できる。
 足踏み作業は醸造の大切な過程だ。水着の上にTシャツを着て、素足で開放桶に飛びこむ。ズボボボーと足がブドウの粒の中に沈んでいく。踏むというより、まるで底なし沼でもがいているようだ。それも酸欠状態で。笑いごとではない。桶の中にいる人間は要注意だ。ときどき桶から顔を出して息継ぎする。
 著者はスポーツ・ウーマンでもあります。19歳から29歳までの10年間、空手にいそしみ、3段をとっています。お稽古事にもいろいろ手を出しました。料理、華道、茶道、着付け教室、そしてワインスクールに通うようになったのが、彼女の運命を決めたのです。
 一級テイスターに合格第1号でした。なにしろ、1時間で15アイテムのワインをブラインド・テイスティングで14アイテム以上の銘柄を正解しないと合格できないというのです。よほど繊細な舌をもっているのでしょうね。私などは、これがまったくダメです。コンビニの安ワインの方を高級ワインよりおいしいと思ってしまうほどの舌でしかありません。残念です。年に4000本から6000本のワインをテイスティングしたというのですから、さすがプロを目ざす人は違います。
 彼女は、ワインは自分でお金を出して飲みなさいとすすめています。
 生徒の前に3つのコップがおかれる。どれも一見すると、タダの水。一杯を飲む。なんともない。2杯目、うむ、なんかある。3杯目、いよいよ何かある。3杯目のコップに何も感じなかったら鑑定家のプロになる資格はない。2番目のコップには、1リットルあたり1ミリグラムの砂糖が入っており、3番目のコップには3ミリグラムの砂糖が入っていた。これが分からないような舌では、まるでつかいものにならない。うーむ、厳しいんですね。恐らく私はダメでしょうね。
 丹精こめてブドウの樹を育て、心をこめてワインをつくっている姿が写真と文章でしっかり伝わってきます。実にうらやましい。生き生きした笑顔が輝いています。一度、彼女のワインを飲んでみたくなりました。
 庭にチューリップの花が50本ほど咲いています。まだまだ、これからが本番です。ピンクに白いふちどりのあるチューリップの花に気品を感じます。クロッカスの白い花、青紫色のムスカリの花が並んで咲いてくれました。お互いにひきたてあっています。まさに春到来です。雨戸を開けて庭を見るのが毎朝、楽しみです。

前の10件 1  2  3  4

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー