弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮(韓国)

2017年7月20日

北朝鮮、終りの始まり

(霧山昴)
著者 斎藤 直樹 、 出版  論創社

本文500頁近くもある堂々たる大作です。北朝鮮の現代史をあますところなく論述していて、説得力があります。まずは現在の金正恩政権をどうみるか、です。
金正恩を後継者に選任するよう金正日に助言したのは、金正日の妹婿の張成沢だった。このとき金正恩は30歳にもなっていない青年。金正日は金正恩を補佐する後見人役を張成沢と夫である実妹の金敬姫に託した。この決定を意外と思ったのは、当時の組織指導部を牛耳っていた第一副部長の李済剛などの幹部たち。
金正日は、2011年12月17日に亡くなった。そして、2年後の2013年12月、張成沢が粛清された。
張成沢は2回も失脚し、左遷されながらも、復権を果たした人物である。
張成沢の取り仕切る党行政部は、権力中枢を占める党組織指導部、朝鮮人民軍、国家安全保衛部の幹部達と激しい利権争いを繰り広げた。
張成沢は金正恩を動かし、不可侵ともいえる朝鮮人民軍の利権を侵食しようとした。これに対して、朝鮮人民軍総参謀長・李英浩の配下は張と党行政部に対して激しい恨みをもった。総参謀長の解任が張成沢に対する人民軍の敵対心を一層強めたことは間違いない。
張成沢は、朝鮮労働党中央委員会行政部長、朝鮮労働党政治局委員、国防委員会副委員長などの要職を手中に収め、金正恩指導部で事実上の権力を掌握し、しかも中国指導部から北朝鮮における最も重要な人物の一人であると認知された。ところが、これについて北朝鮮の支配層のすべてが歓迎していたわけではなかった。
2013年7月、張成沢が催した盛大な酒宴の場で、側近たちが「張部長同志、万歳」と礼賛した。ところが「万歳」は、北朝鮮の最高権力者のみに許されたものだった。それを知って「万歳」したということは、張成沢が最高権力者を企むものという格好の口実を与えることになった。
張成沢は、朝鮮人民軍と外貨獲得競争で激しくしのぎを削った。漁業権は、朝鮮人民軍にとって重要な利権の一部であった。ところが、その漁業権が張成沢の取り仕切る党行政部が握るようになり、朝鮮人民軍幹部の怒りを買った。
2013年9月、金正恩は張成沢の側近たちをまずは逮捕して処刑した。そして12月には、張成沢を逮捕して、死刑判決が下され、即日処刑された。
張成沢は国家転覆陰謀行為に該当する。凶悪な政治的野心家、陰謀家、希代の友逆者というレッテルを貼られた。
祖父・金日成、父・金正日という二人の金は、自身の権力基盤に刃向う者たちに対して仮借なき粛清を続けながら、自身の権力基盤の確立と安定を図った。その意味で、金正恩が叔父にあたる張成沢を刃にかけたことも理解できる。金日成にはじまり、金正日を経て金正恩に至る三代にわたる金体制を通じて一貫して流れるのは、独裁体制の確立とその堅持のためには仮借なき粛清を常としてきた。金正日の葬儀で代表をつとめた7人のうち、これまで張成沢を含めた5人が既に排除されている。
金正日時代にまして、金正恩体制の権力構造は不透明で不確実であり、権力基盤は必ずしも盤石であるとは言いがたい。金正恩が朝鮮人民軍と手を組んでいる限り、「先軍政治」が優先され、中国や韓国などとの経済協力路線はなかなか進まない。金正恩は、基本路線として、経済再生と先軍政治の双方をかかげている。しかし、この二つは、本質的に相友するものなので、板ばさみにあうのは必至である。
いつ倒れるのか、周囲はひやひやしながら見守っているのに、なかなか倒れないという不可思議な国です。北朝鮮がミサイルを打ち上げるタイミングは、日本の支配層が苦境にあって、内政から目をそらしたときのことが多いという奇妙な現象があります。骨は折れますが、一読する価値が十分にある北朝鮮の研究書です。
(2016年3月刊。3800円+税)

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2016年7月 1日

揺れる北朝鮮

(霧山昴)
著者 朴 斗鎮  出版 花伝社  

金正恩の北朝鮮支配の実体に肉迫している本だと思いました。
金正恩政権の4年間で、父の金正日時代の党側近や軍の最高幹部は、ほとんど姿を消した。この急ぎすぎは、金正恩の未熟さと性格から来ている。
極度に中央集権化され、その権力が指導者一人に集中されている北朝鮮の政治体制(首領独裁)では、指導者の性格が国家の政策にそのまま反映される。
元在日朝鮮人の母から生れ、公にできない出自から、金日成にさえ秘密にされて育った金正恩は、生い立ちのコンプレックスから、「日陰者」「目立たない存在」が大嫌いな、わがままで感情の起伏が激しい若者に育った。
自身の権威不足と業績不足を後見人の活用でクリアしていくという「まだるっこい」方法は苦痛でしかたなかった。権威のない指導者の歩む道は、今も昔も「恐怖政治」しかない。
北朝鮮指導者の三代目選定は、手続省略ですすめられた。
金正日は、2008年8月に、脳溢血で倒れたあと、自分の寿命が長くないことを悟り、後継者選定を急いだ。消去法により金正恩を選んだと考えられる。
金正日は、自分の予想よりはるかに早く寿命を終え、後継者に十分な帝王学を授けないまま、この世を去った。
金正恩は、わずか2年間の後継者授業しか受けていない。金正恩は、準備期間も資質も足りなかったので、世襲ご後継者というイメージを否定せず、むしろ世襲であることを前面に出し、「白頭の血統」一本やりで正面突破をはかる方式を選んだ。
金正恩が、いつどこで生れたのか、その母親は誰で、金正恩はどのような学校を出て、いかなる役職について今日に至ったのかという経歴が北朝鮮の教科書には、まったく出てこない。
金日成が生存していたとき、正恩の母であるヨンヒの存在は隠されていた。だから、平壌にも母子は公然とは住めなかった。
金正恩が祖父の金日成と一緒にうつっている写真は一枚もない。
金正恩は、1996年から2001年まで、スイスに留学していた。正恩の母、高ヨンヒは、大阪・鶴橋で生れた、在日朝鮮人出身の舞踊家だった。最高権力者となって4年がたった今でも、金正恩は母親の偶像化に着手すら出来ていない。
金正恩は、重要会議で居眠りをする幹部は思想的にわずらっている人間だと決めつけた。玄永哲・人民武力部長を処刑したときの罪名も「居眠り」がつけ加えられている。
金正恩の思いつき現地指導は、幹部たちの悩みの種。金正恩が視察するところに資金と資材を集中させなければならないために、国家計画や企業計画が安定的に遂行できない。つまり金正恩の遊覧式視察は経済成長の妨げになっていた。
自信を偉大に見せようとした金正恩は軍の首脳をはじめとした幹部たちを頻繁に交代させ、祖父のようなとしうえの将軍に向かってタバコをふかす映像を意図的に流した。
張成沢は、金正恩体制をつくりあげる過程で、自分のシナリオどおり進んだことへの過信が油断とおごりをもたらしたのだろう。
張成沢は、人民保安部のなかの武力である内務軍を20万人まで大幅に拡大した。張成沢はクーデター防止の名目で党行政部の力を強化していた。外貨稼ぎをかされ、中国と関係悪化を望んでいなかった張成沢は、金正恩と意見対立を増幅させた。これに、張成沢に利権を侵害されていた軍が金正恩に加勢した。
張成沢は、2013年12月金正恩によって反逆罪で処刑され、遺体は、焼放射機で跡形もなく焼き尽くされた。享年67歳。その家族もまた、すべて処刑された。
金正恩の粛清は、これまでの粛清の枠から完全にはみ出た以上なもの。金正恩には、生涯を通じて義理の叔父殺し、叔母排除の汚名がつきまとうことになった。父親の金正日ですら犯さなかった親族殺しの犯罪に手を染めたということは、それだけ金正恩の能力に欠陥があり、その体制が機弱であることの証左である。
 経済的破綻だけでなく、道徳的正当性までも失った金正恩政権の将来は明るくない。「白頭の血統」とパルチザン伝統が色あせたら、北朝鮮の首領独裁権力の正統性は維持できない。金正恩は、自分の意のままに動く幹部で周辺を固めようとしている。金正恩は、伝統的権力の破壊に向かっている。
この本は北朝鮮内部の組織と人脈を具体的に明らかにしていて、とても説得力があります。ずっしり重たい280頁の本です。ぜひ、手にとって一読してみてください。

(2016年3月刊。2000円+税)

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2016年6月 2日

解剖・北朝鮮リスク


(霧山昴)
著者  小倉 和夫・康 仁徳 、 出版 日本経済新聞出版社

北朝鮮は、建国の父である金日成が抗日パルチザン活動をしていたことから、ゲリラ的な活動が得意な「遊撃隊国家」と呼ばれた。
金正日総書記の政治活動について、韓国では「カムチャックショー(びっくりショー)」と言われた。金正恩の手法もそれを継承している部分が少なくない。
朝鮮半島には、今も冷戦構造が残っている。最新鋭の近代兵器をそろえたアメリカ・韓国を相手として、年々広がる一方の通常兵力の劣勢。これを挽回していくほどの経済力はなく、この差を補うには核兵器などの大量破壊兵器が手っ取り早い。
北朝鮮の中国への貿易依存度は9割をこえている。
北朝鮮の経済は、表向きは上向いているとされるものの、決して国民に胸をはれるほどではない。
金正恩体制の主な特徴の一つは、軍中心から党中心へ、国政運営と統治方式が変わってきているということ。軍に対する党の統制を強化し、金正恩体制が軍隊ではなく、党を通じて国政を運営できるように制度的な裏付けをした。金正恩は、軍部の特定の人物や勢力に権力が集中しないようにした。軍部が首領と党に絶対的な忠誠を果たすようにするためである。
金正恩の権力継承過程で重要な役割を担った張成沢-金慶喜-李英鎬-崔竜海のグループは崩壊し、北朝鮮の権力エリートの新たな再編が始まった。
つまり、党組織指導部および党宣伝扇動部の地位と権限が強化され、黄炳瑞などの親政勢力が権力を掌握するようになった。
金正恩政権が発足して抜擢された人物も粛清することで、忠誠を尽くさない人物には例外がないことを示している。
金正恩政権には、軍の元老実力者がおらず、第2グループを形成して分割統治をするほどの権力基盤が構築されているとは言えない。支柱の役割をする勢力もいまだ形成されていないため、力による統治を行うしかなく、これにより反対勢力を牽制し、取り除く作業を継続していく。
金正恩政権下で、物価は比較的に安定し、住民の消費生活は維持されている。
北朝鮮の権力構造が横のつながりを許容しないため、集団的反発が発生する可能性は、ほとんどない。すなわち、北朝鮮の党・政・軍のエリートや住民のあいだに組織的な不満や抵抗の兆候は見られない。金正恩自身は、新たなリーダーシップを確立するため、オープンで型破りな行動を続け、「愛民指導者」とされた。
1993年12月の朝鮮労働党の中央委員会で長期経済計画が発表された。それ以降、北朝鮮は一度も長期経済計画を実施していない。
北朝鮮の経済状況と金正恩による政治の実態を知るうえで欠かせない本だと思いました。
(2016年2月刊。3000円+税)

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2015年9月 2日

朝鮮と日本に生きる

(霧山昴)
著者  金 時鐘 、 出版  岩波新書

 著者は、少年時代を済州島で過ごしました。
 若者の父は、謎めいた人物だった。築港工事の現場で働いていたにしては、相当の物知りだった。朝日や毎日という日本語の日刊新聞も読んでいたし、日本語の本が家にたくさんあった。トルストイ全集まであった。
 しかし、父親は著者に対して家のなかで日本語を話すことはなかったというのです。
 著者は、このトルストイ全集を小学(国民学校)6年生のころから読みはじめました。トルストイの『復活』を読んだというのです。すごいですよね・・・。
 日本軍が敗れ、済州島が解放されると、徴兵徴用で徴発されていた3万人の若者をふくめて6万人もの済州島出身者が島に帰還してきた。島の人口は29万人にふくれあがった。
 日本の敗戦直前の大阪市には、32万人もの在日朝鮮人がいた。そのうちの6割強が済州島出身者だった。
四・三事件の前後、済州人は「済州の輩」という悪し様に呼び捨てされるほど、嫌われた。
 「謀利輩」(もりべ)と済州島民は本土の人たちから、さげすんで呼ばれた。もうけのためには、なりふりかまわない輩(やから)たちという意味のコトバ。
 これは、日本から帰国してきた済州島民の一部が思いあまって始めた密貿易に由来する。済州島の人民委員会は本土の組織が滅亡したあとも健在だった。それだけに、本土からみると、済州島は「赤(パルゲンイ)の島」に見えていた。
 1945年、解放された韓国では、筋金入りの右翼反共主義者・趙炳玉がアメリカ軍政によって重用された。国防警備隊は趙炳玉の配下にあり、趙は6.25事案のときに内務部長官をつとめた。趙炳玉は、アメリカの「マッカーシズム」が青ざめるほどの共産主義撲滅推進者だった。趙炳玉にとって、アメリカ軍政に同調しない者は、すべて「アカ」であり、撲滅しなければならない赤色分子だった。
 著者は、1946年暮れ、18歳のとき、南労党に入党した。朴憲永指導部は南労党に改編してまもなく、指導部の拠点を北朝鮮に移した。南労党に入った著者は予備党員として、レポ(連絡員)の仕事についた。レポ要員に決まると、党事務所への出入りが禁止された。非合法活動に入ったのです。
 南労党は済州島内に3000人からの党員をかかえた。そして、その指導する青年組織である「民愛青」は、四・三武装蜂起時の核心勢力となった。
 四・三事件のあと、民愛青の同盟員は、それだけで討伐隊に惨殺された。しかし、四・三事件の前には、同知事が祝辞を述べ、警察署の主任が結成時に臨席して祝うという関係にあった。
 1948年に起きた四・三事件の直前の3.1島民大会には島民の1割をこえる3万人もの大群衆が大会に結集した。3.1島民大会のとき警察が発砲して死傷者が出た。これに対する抗議行動は、ゼネストに広がり、官吏の75%がストライキに参加した。
 4月から5月10日ころまでは、「山部隊」(蜂起側)が抗争の主導権を握っていた。しかし、その後、アメリカ軍に支援された韓国政府は焦土作戦をとり、山部隊を根こそぎ殺戮していった。
そのさなかに著者は済州島を脱出して、日本へ渡るのでした。まさしく間一髪の危機の下の脱出です。四・三事件当事者の一人としての貴重な体験記です。
(2015年2月刊。860円+税)


 8月26日、東京の日弁連会館で法曹と学者の合同記者会見があり、その他大勢の一人として参加しました。前列に最高裁元判事、内閣法制局の元長官、学術会議の前会長、長谷川、石川といった名だたる憲法学者などが座り、一人ひとり自分の言葉で安保法案は憲法違反だと明確に断言します。いわば政府側にいた人たちが、口をそろえて安保法案は違法だと言っていることの意味はとても重いと思います。私は、歴史的な一瞬を目撃している気分でした。
 この共同会見を取材している報道陣は50人ほどもいたと思います。言論、表現の自由も危ないのだから、マスコミ陣も「中立」とかではなく、廃案めざしてともにがんばりましょうという力強い呼びかけが学者からなされたのが強く印象に残りました。
            

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2015年8月18日

戦争ごっこ

(霧山昴)
著者  玄 吉彦 、 出版  岩波書店

 済州島四・三事件を子どもの目を通して自伝的小説です。
 戦前、数えで7歳になって小学校に入った。牛をたくさん飼っているので、村の人たちからは金持ちの家だと言われている。
 叔父は、漢文の本をたくさん読んだ長老として尊敬されている。
 叔父に召集令状がきた。家の中に雰囲気が一変した。ぼくは、叔父が兵隊になるのがこの上もなくうれしかった。ところが、他の人はそうでもないのが不思議だった。
 ぼくたち子どもは、戦争ごっこをした。日本兵と米軍とに別れて戦う。戦いは、いつも日本軍が勝った。
 ぼくは、日本の兵隊も死ぬということが理解できなかった。銃もある。刀もある。大砲もあるのに、死ぬなんてバカなことがあるものか。
 5歳上の兄がぼくの頭にげんこつを喰らわして叱った。
 「兵隊になるって?人を殺す兵隊になるというのか。このバカ!」
 叔父が戦死した。叔父は米軍のやつらと戦って死んだ。本当に立派で勇敢な人だと心から思った。
日本が戦争に負け、われわれが植民地支配から解放されたその時、ぼくは数えの8歳だった。それまで、学校では日本語ばかり勉強してきたので、ハングルはまったく知らなかった。
父は町長になった。ある晩、若い男たちがやって来て、父を連れ出した。父は帰って来なかった。二日目、村はずれの海岸の崖下の岩のあいだに死体で発見された。両手をしばられたままだった。
 パルチザンの襲撃で家を失った村人たちは、焼け跡に急場しのぎの風よけをして数日をすごした。やがて、派出所と小学校を中心にして、石で城壁を築きはじめた。
 山から下りてきたパルチザンは村を襲撃し、おおぜいの村人を殺した。討伐隊にとらえられたパルチザンザンたちは、学校や村はずれの海岸で処刑された。
 ぼくら子どもたちは、またもや戦争ごっこに熱中した。ゲリラを捕まえて処刑する戦争ごっこは、1年生にのときにやっていた米軍と日本軍の戦争ごっこより面白く興味をそそった。ぼく自身が父を殺されてパルチザンに憎しみをもっていたからだ。
 パルチザンは、本当にぼくの敵だったから、遊びといえども、やつらと戦って勝つと、気持ちがよかった。共産ゲリラによって家を失い、家族を失った子どもたちは、ゲリラを討伐する戦争ごっこに熱中した。ぼくらの戦争ごっこは、実際に起こりうる事件だった。
 「戦争って、だれが起こすのかしら?」
 「人間だろう」
 ぼくは、ためらうことなく答えた。
戦争中には、ぴりぴりして、浮き足立っている人々がいた。
 戦争に行った叔父やそれを見送った村の人たち、四・三事件のときの近所の人たちの目つきもそうだった。人が起こした戦争で人が死に、家を失い、故郷を去り・・・。
 戦争が、どのような状況で起きるのか、そして進行していくときの社会状況を生々しく再現した小説です。いま、安倍首相と自民・公明の両党は日本と世界の平和を守るためと称して、嘘八百を平気で並べ立て、国民をだまして戦争へ駆り出そうとしています。
 弁護士会は、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局元長官などとともに、この憲法違反の安保法制法案の廃案を目ざしてがんばっています。ぜひ、一緒に声をあげてください。
(2015年3月刊。2700円+税)

巣から何かが落ちてきました。
 ヒヨドリの幼鳥です。あっ、子育て中だったんだ、何があったのか。幼鳥は、地上の草むらで鳴いている。どうしよう・・・。
 まだ2羽のヒヨドリはうるさく鳴いている。あれれ、巣からヒモがぶら下がってきた。えっ、ヘビだ。ヘビ。ヘビが木の枝にぶら下がって、口には、もう1羽の幼鳥をくわえている。緑っぽい、白いヘビ。そして、揺れたあげく、どさっと落ちた。
 きっとアオダイショウだ。あーあ、2羽目の幼鳥は食べられてしまったな。
 一羽目の幼鳥が地上で鳴いているのを見つけた2羽のヒヨドリは、近くを飛びまわる。
 このままにしたら、2羽ともヘビに食べられてしまう。それも可哀想。とりあえず、ダンボール箱にその幼鳥を入れてみた。
 すると、ヘビが落ちた草むらで何かが動いた。もう一羽も助かったのだ。

 


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2015年8月13日

なぜ書きつづけてきたか・・・

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー

 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

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2015年1月20日

降りられない船

著者  ウ・ソックン 、 出版  CUON

 昨年(2014年)4月16日に起きたセウォル号の沈没事件についての本です。
 私は、この事件について、残念でたまりませんでした。ニュースを読みながら、無念の涙を流してしまいました。だって、前途有為の高校生が300人近くも一挙に亡くなってしまったのですよ。信じられない大事故です。
 どうして、こんな大事故が起きてしまったのか、ぜひとも知りたいところです。
 このセウォル号は、韓国の前は、鹿児島と沖縄のあいだで運行していた船だったのですね。そして、韓国で船体が大幅に改造されています。
 船体の後部が増築されたため、本来なら左右をつないでいた船体後尾の甲板は、新設されたサンドイッチパネルの壁で最初から塞がれていた。残りの非常口も施錠したまま運行する習慣のため、開けることができなかった。
 セウォル号の船体が完全に傾いてからは、ドアは開かなかった。すでに海水が入り込んで傾いた船体から海に飛びこみ、水面下へ泳いで出て行った数人だけが最後に生きて戻った。船長以下の船員は脱出しています。
 高校生は、「じっとしているように」という船内放送の命じるままに、じっとしていたのです。これを書きながら、私は無念の涙が止まりません。いったい、この船内放送は、誰が、何のために出したのでしょうか・・・。
 この6千トンを超えるセウォル号の船長は、契約職であり、契約して1年にも満たなかった。
 もちろん、船長の責任は重いと私も考えます。現に裁判で重い有罪判決を受けました。しかし、問題は船長の個人的な資質にあったというのではないということです。
 セウォル号は済州島に行く船だった。済州島にいくのに簡単なのは飛行機だ。格安航空便もある。ところが、高校生が修学旅行で済州島に行くのを船で行くように行政がすすめていた。なぜか?
 1万トン以下のフェリーは、石油の高騰と交通手段としての競争力の低下などで居場所がなくなっていた。そこで、高校生の修学旅行が、教育当局の勧誘によって、カーフェリーに集中した。そして、この修学旅行生によって、途絶えていた路線の運行が復活したのだ。
 そのとき、船の寿命を20年から30年に延長して、日本では経済的寿命が尽きて退役する船が、韓国では中古として再稼働することが可能になった。
 日本の船を鉄くず同然の値段で買った人たちが、船についての基本的な原則と常識もないまま、都合のいいように改造した。船体が傾いたときの復元力に必要な、負荷を均等に合わせる最低限の作業もできなかった。縦方向の増築などで船尾がいじられてしまったため、左右のバランスをとることすらできなかった。
 この日、午前8時52分に船内にいた高校生から、「船が沈没中です。助けください」という電話を消防本部、そして海洋警察は受けている。ところが、午前9時30分に船長たちが海洋警察の船で救助されるとき、高校生は一人として救助されていない。何ということでしょうか・・・。
そして、セウォル号に近づいた警備艇は、二次被害を恐れて、船内に乗客がいることを知りながら、みすみす手をこまねいていた。しかも、他の船には接近するのを禁止してまで・・・。
これまた、信じられません。何があっても船内に侵入せよとの命令が出されるべきだったと著者は指摘しています。私も、まったく同感です。
 韓国の体育の授業には水泳の時間がなく、学校にプールがないそうです。これには意外というか、驚きでした。日本と同じように海に囲まれた国なのに、なぜなのでしょうか・・・。
 ともかく、国民の安全第一で行政はあってほしいものです。日本だって、フクシマの原発事故についての政府の対応をみていると、とても韓国政府の対応を批判できるとは思えません。放射能を今なおたれ流しているのに、早々と「収束宣言」するなんて、そして、原発再稼働を狙うなんて、日本政府も狂っているとしか言いようがありません。
 政府は、国民の安全第一で政治を進めるべきです。怒りが改めて湧きあがってきました。
(2014年10月刊。1500円+税)
 日曜日の午後から、ジャガイモを庭に植えつけました。メークインとキタアカリです。ダンシャクは店に売っていませんでした。いつものようにジョウビタキが近寄ってきましたので、写真にとってやりました。私の個人ブログで紹介します。とっても可愛いです。
 チューリップの芽が地上に出はじめました。春が近づいています。

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2015年1月18日

韓国・北朝鮮とどう向き合うか


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 韓国へ日本から5億ドルが支払われた。朴正熙大統領のときである。しかし、この5億ドルは、ひもつきのお金だった(タイドローン)。日本から物を買う。日本から技術を購入する。日本から人材を必要とする。そのための5億ドルだった。すなわち、この5億ドルは賠償金ではなく、あくまで商業ベース的なレベルで日本は拠出した。
 ソウル地下鉄とか、浦項(ポハン)製鉄所(現ポスコ)への資金も、この「賠償金」5億ドルから流れていっている。そして、日本にもキックバックされた。
 金正恩が張成沢を処刑したのは、金正恩はそうせざるを得なかったということ。それを進言したのは、北朝鮮の党・軍のなかの元老グループ。
 北朝鮮の労働党政治局員20人の3分の2は、70代、80代が占めている。
 4人の副委員長のうち、張成沢が切られて、残る3人は89歳の元軍政局長、84歳の元総参謀長、78歳の軍総参謀長。
 金正恩からすると、軍のほうから張成沢を外す方がいいと言われたら従うしかない。
 軍は軍で、この若さの三代目について、自分たちの権益・利権を守る。金正恩は彼らに乗っかかって金正恩体制をつくっていこうということなので、利害関係が一致している。そこに、弾き飛ばされる人間が出てきた。
 北朝鮮でも、韓流が入ってきていて、多くの若者の心をとらえている。韓流の映画俳優の顔に近づけたいといって二重まぶたにするというのは、そこらじゅうでやっている。医師でもない人が手術して、金もうけしている。
 情報閉鎖と教育をセットにし、かつ恐怖統治をそこに組み合わせると、人々はいろんな不満があっても、それがトップのせいだというよりは、身近にいる自分の真上にいる幹部がトップのいうことをよく聞かないでやっているせいだと思い込んでしまう。中間職が悪いんだと不平を向けさせることで、ガス抜きをする。
 金正恩には、思想・理論もないし、統治してきた経験もないから、金正日の遺訓ですべてを治めている。日本でいうと、水戸黄門の印籠をかざして、これが見えないかという形になっている。
 中国は、もしも金正恩が中国の国益を前面から害するような行動に出た場合は、金正男をカードとして抑えておこうとしている。
 北朝鮮では、朝鮮労働党の組織指導部が中核権力となっている。組織指導部は、国家保衛部と軍を動かせる。したがって、組織指導部を中核とする金正恩体制と言える。
 組織指導部では、部長は一貫して空席で、金正日時代も金正日総書記が兼任していた。組織指導部の内部に党、軍、政府それぞれの担当者がいて管理している。軍総政治局は、組織指導部の一課に過ぎない。
 先軍政治というのは、軍事を優先する政治であって、それを推進する権力中枢は組織指導部である。だから、権力の中枢は組織指導部に、権力の基盤は軍に置いている。
 工作機関が一つにまとまっているのが偵察総局。労働党の作戦部、調査部、そして軍の偵察局。この三つが拉致の実行犯。この特殊機関について、国家保衛部には監察能力はない。
 今回の北朝鮮側の特別調査委員会には、実際の権力を持っている機関が入ってない。
北朝鮮は中国の支援なくして戦争はできない。中国の習近平が訪韓したことから、北朝鮮は、戦争行為は、もはや出来なくなった。中国は金正恩政権を見放してもいいという状況になっている。
鳩山由紀夫・元首相の主宰する真面目な研究所における深く突っ込んだ分析が満載のブックレットです。価値ある1000円だと思いました。
(2014年10月刊。1000円+税)

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2014年9月14日

漢拏山へひまわりを


著者  金 昌厚 、 出版  新幹社

 済州島四・三事件を体験した金東日の歳月。これが、この本のタイトルです。
 済州島に生まれ育ち、四・三事件そして朝鮮戦争が始まってからは山中のゲリラ隊に参加もした。それから密航船で日本に渡って、東京は江戸川区で弁当屋を営んでいる女性の半世紀の聞き書きからなる本です。すごい経歴であるのに驚くと同時に、読みやすい文章なので、すっと頭に入ってきます。
 金東日は1932年(昭和7年生まれ。13歳のときに解放の日を迎えた。1947年に朝天中学院に入学。民愛青(民主愛国青年同盟)で活動をはじめ、連絡係としてビラを運んだ。
 四・三事件(1948年)のあと、山に入った。武装蜂起が起きたからには当然それに従わなければいけないと考えていたし、当然、勝てると思っていた。最後の血の一滴までもすべて捧げて闘うという気持ちだった。国のために、自分が死んでも国が生きのびるのなら・・・。
 言いたいことも言えないで生きていく生活のことを、冷蔵庫の中の凍った肉という。金東日たちは、すぐにでも解放されると信じていた。組織には楽観論が支配していた。
ところが、本の少し前までの山の人(ゲリラ側)にあんなに協力して食糧も届けていたような人々が、いつの間にかがらりと変わって敵に回ってしまった。山の人たちに勝ち目はなくなり、生き残ろうと思ったら、警察側につくという人が目立った。
 非合法生活をしているとき、逃亡だけだったが、かえってそれは希望があると思い込んでいた。なぜなら、これほど弾圧されて苦労しているのだから、済州島民が決起するに違いないと考えたのだ。指導部は当時の判断力不足で情勢を見誤った。
漢拏(ハルラ)山では、つらい毎日だった。死に向きあいながら、いつかきっと自分たちの世の中になると堅く信じていた。本人は意気揚々としていたが、人々が金東日を指さしながら、「この暴徒のアマ!」と言いながら集まってきた。それが、村で一緒に活動していた人たちばかりだった。
 朝鮮戦争が始まると、金東日は今度は智異(チリ)山で郡島委員会の秘書になった。18歳だった。そして捕まってしまうのでした。
金東日は、二回も捕まったのに、運が良く、再び済州島で母と生活するようになった。
 金東日が若いころに命をかけた戦いは正々堂々としたものだった。漢拏山や智異山に入ったことを後悔もしていない。
 2000年1月に本国(韓国)で四・三特別法が公布され、四・三事件真相相究明と犠牲者の名誉回復事業が本格的に始まり、「まるでひまわりに花が咲いたように」金東日の心を明るくした。
 済州島で大変な体験をした少女が、戦後50年以上も日本で生活していたことが発掘されたのでした。ご本人と、その発掘作業を本にした人たちへ、心より敬意を表します。
(2010年5月刊。1500円+税)

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2014年8月21日

済州島、四・三事件(第3巻)


著者  済民日報四・三取材班 、 出版  新潮社

 1948年、済州島で発生した韓国現代史上最大の悲劇「四・三」の惨状は、米軍政下において韓民族がかかえていた矛盾が集中的に作用して引きおこされた事件だった。
 済州島において、米軍政と韓国政府側の討伐作戦が本格化していた5月13日、それに反抗する武装隊による逆襲事件が発生した。警察署が襲撃され、7人の警官が死んだ。また、武装隊が民家に放火し、百余戸が火災にあった。事態は「血の報復」の様相を呈しはじめた。
 当時は、山側(武装隊)のほうが力があるように見えた。情報も、山からのほうが早かった。警察は、毎日のように、避難嫌疑者の家族を署内に連れこんで拷問を加えた。
 住民にとって、応援警察隊は悪夢のような存在だった。応援警察隊が来ると聞くと、男も女も、年寄りも子どもも、みな身を隠すのに必死になった。法を守るべき警察官の存在によって、一帯は無法地帯と化した。討伐開始の1ヶ月間で、逮捕された「捕虜」が6000名に達した。これは、無差別逮捕を意味している。
 1948年5月20日、第九連隊所属の下士官11人をふくむ将兵41人が兵舎を抜けだし、武器・弾薬とともにゲリラ側に加担するという事件が発生した。米軍政は、この事件の後、第九連隊に不信感を抱いた。第九連隊は、全兵力の9割が済州島出身者で占められていた。
 警察と「西青」に反韓を抱く兵士が多かった。これらの将兵は「左翼思想」に染まっていたというより、警察と「西青」に対する反感が強かった。そして、このうち半数の20人は、2日後につかまり、射殺されてしまった。脱営そのものが緻密に計画された、組織的なものではなかった。
 1948年6月、ソウルに法曹人が済州島に入って現地調査をした。ソウルの検察官は、次のようにまとめた。
 「今回の事件の導火線は共産党系列の策動にあるとは言っても、その原因は警察官の済州島道民に対する誤った行動にあると断言することができる」
 彼らは、同じく済州島事態は、左翼系の扇動だけでなく、警察と「西青」、官公吏の蛮行と腐敗等が大きく作用していると指摘した。
 1948年6月18日、第11連隊において連隊長の朴珍景大佐が暗殺された。29歳だった。犯人ら4人の将兵は1948年9月に銃殺された。
 1948年8月、済州島道民保団が創設された。1949年4月には、この民保団は5万人を擁した。
 1948年8月、大韓民国が樹立し、韓米暫定軍事協定が締結された。
 駐韓米軍司令官は、韓国軍の指揮権とあわせて、米軍駐屯に必要な基地と施設の支配権を継続して確保した。
 「四・三」流血事態に、米軍指揮部が直接・間接に介入していた。
 10月20日以降、軍の行動が終了するまで、全島の海岸線から5キロメートル以外の地点と山岳地帯の無許可通行が禁止された。この布告に違反するものは、理由のいかんを問わず、暴徒とみなし、銃殺に処される。
 この中山間焦土作戦によって、6ヶ月間の内に少なくとも1万5000人以上の島民が虐殺された。
 「四・三」事件は、韓国社会にとって忘れることの出来ない歴史的汚点の一つだということがよく分かりました。
(1996年6月刊。4500円+税)

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