弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年6月14日

老後も進化する脳

著者 リータ・レーヴィ・モンタルチーニ、 出版 朝日新聞出版

 著者はなんと、1909年生まれ。ええっ、100歳ではありませんか。はじめ目を疑いました。ムッソリーニの反ユダヤ人政策のためにタリアを脱出し、ベルギーそしてアメリカに渡って研究を続けた脳神経の研究家(女性)です。1986年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。そして、2001年からはイタリア上院の終身議員なのです。
 そんな著者の紡ぎ出す言葉ですから、千釣の重みがあります。
人生でもっとも恐るべき悲哀の時期と見なされている老年期を、いかにして生涯でもっとも晴れやかな、それまでに劣らず実り多き時期にするのか。
人生ゲームに賭けられたものは大きい。人生ゲームにおいて最大の価値をもつ札とは、自らの知的・心理的活動を巧みに運用する能力であり、それは一生、ことに老年期において一層ものを言うようになる。
 理屈では、人類のすべての個体にその切り札が備わっていることになるのだが、それを活用できる条件に恵まれているのは、ほんのわずかな人々にすぎない。
 人は、60歳、また70歳を超すと、毎年10万単位で脳細胞を失っていると考えられる。この莫大な損失は、老年期の創造的活動などとうてい不可能と考えたくなるほど、ドラマチックに感じられるかもしれない。しかし、脳を構成する神経細胞数がどれほど天文学的数字であるかを思えば、実は、たいした数ではない。すなわち、人間の脳は年齢(とし)をとるにしたがって、一部のニューロンを失い、生化学的に変質するのは事実である。しかし、それにもかかわらず、その変化は多くの個体において、認識能力や想像力の減退をほとんどもたらさない。
 人間には死の自覚がある。しかし、それにもちゃんとした対抗手段が存在する。私たちには、とてつもない脳の能力があることを自覚すればいいのだ。この能力は、他の器官とは異なり、いくら使い続けても消耗しない。それどころか、さらに強化され、それまでの人生を営んできた活動の渦の中では発揮しそびれた素質を改めて輝かせてくれるのである。
 還暦の年齢になり、この10年間をいかに充実したものにするか真剣に考えている私ですが、この本に出会って、脳こそ疲れを知らず、消耗することもなく、絶えず発展していける存在であることを改めて認識し、自信を持って次に足を踏み出すことができそうです。

 蛇(じゃ)踊りを体験しました。見ていると感嘆そうですが、やってみると意外に難しいことがわかりました。
 解説によると、龍の尻尾がぴくぴくと動いているのは、龍がいらついていることをあらわしているとのこと。龍の身体がくねくね回るとき、こんがらがらないようにする秘訣があるのですね。
 トランペットよりずい分と細長いチャルメラは、物悲しげな甲高い音をたて、ジャランジャランと銅鑼が叩かれるなか、龍が玉を求めてくねくねと踊るのは勇壮なものです。いい体験をさせてもらいました。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

2009年4月23日

奇跡の脳

著者 ジル・ボルト・テイラー、 出版 新潮社

 37歳の若さで脳卒中に倒れた女性脳科学者が、8年後に見事カムバックしたという、奇跡そのものの実話です。本人が脳卒中に倒れた直後の状況を生々しく再現しているのも驚きです。実況中継しているかのようです。
 著者が脳卒中を起こして倒れたのは、1996年12月10日の朝7時のこと。
 眠たくて仕方がなかったとき、突然、左目の裏から脳を突き刺すような激しい痛みを感じた。のろのろと起き上ったものの、目の後ろのズキズキする痛みは鋭く、ちょうどカキ氷を食べたときにキーンとくる、あの感じだった。
 茫然自失のうちに、ズキンズキンとする激痛が脳のなかでエスカレートしていく。
 頭の中に、予想外の騒音が、鋭敏になって、痛む頭を直撃した。
 何が起きてるの? こう自問した。正常な認識能力は途切れがちで、無能力状態になっていたが、どうにか身体を動かしてみた。脳は酩酊状態のような感じ。からだは不安定で重く、動きも非常に緩慢だ。右腕は完全に麻痺して、からだの横に垂れ下がってしまった。
 これほど劇的に精神が無力になっていくのを味わっていても、左脳の自己中心的な心は、生命は不死身だという信念を尊大にも持ち続けていた。いずれ完全に回復できると楽観的に信じていた。
 まったく自覚のなかった先天性の脳動静脈奇形によって大量の血液が大脳の左半球にどっと吐き出された。左脳にある高度な思考中枢に血液が降り注いだため、認知能力の高い機能が失われていった。
 これまでの、からだの境界という感覚がなくなり、自分が宇宙の広大さと一体になった気がした。まぶたの内側では、稲光の嵐が荒れ狂い、頭では雷に打たれたかのような耐え難い痛みが脈動している。体の向きを変えようとしても、限界以上のエネルギーを必要とした。空気を吸うだけで、肋骨が痛む。目を通して入ってくる光が、火炎のように脳を焼く。しゃべることができないので、顔をシーツに埋め、明かりを暗くしてくれるように訴えた。
 著者は精神的には障害を抱えたものの、意識は失わなかった。人間の意識は、同時に進行する多数のプログラムによって作られている。
 外部の世界を知るための知覚は、左右の大脳半球のあいだの絶え間ない情報交換によって、見事に安定している。皮質の左右差によって、脳のそれぞれ半分は少しずつ違う機能に特化し、左右が一緒になったときに、脳は外部の世界の現実な知覚を精密に作ることが出来る。
 自我の中枢と、自分を他人とは違う存在とみる左脳の意識を失ったが、右脳の意義と、からだを作り上げている細胞の意識は保っていた。
 いつもは右脳より優勢なはずの左脳が動かないので、脳の他の部分が目覚めた。
 脳卒中は、現代社会でもっとも人を無力にする病気である。そして右脳より左脳の方で、4倍以上の確率で脳卒中が起きていて、言語障害の原因になっている。
 脳が治っていく過程で、一番力を発揮するのは脳である。そして、睡眠のもっている治癒作用に重きをおくことが大切だ。睡眠、そして学習と認知の訓練の間を縫って睡眠を取ることを大切にすべきだ。
 うまく回復するためには、できないことではなく、できることに注目するのが非常に大切。成功の秘訣の一つは、回復するあいだ、自分で自分の邪魔をしないよう意識的に心がけること。感謝する態度は、肉体面と感情面の治癒に大きな効果をもたらす。
 統合失調症と診断された人の多くが動く物体を見るときに、異常な眼の反応を示す。
 すごい本です。これほど脳卒中で倒れた現場からの、生々しい体験レポートというのはないのではないでしょうか。そして、脳の回復力にも圧倒されます。あきらめるのは早すぎるのです。
(2009年3月刊。1700円+税)

2009年2月 9日

もうひとつの視覚

著者:メルヴィン・グッデイル、 発行:新曜社

 見えるというのはどういうことか。「見えない」のに見ている現実がある。意識としては見ていなくても、実は見ているというわけなのです。いやあ、人間の脳の仕組みって、本当に複雑なんですね。限られた容積内の脳を活用するとしたら、要するに組み合わせを変えていくしかないのだと、最近、私も思うようになりました。
この本に主人公として登場してくる女性はイタリア北部の村でプロパンガス中毒(一酸化炭素中毒)で危うく助かったものの、脳の一部が損傷してしまいました。彼女は外見上は何の障害もないように思われたのに、本人からすると何も見えなくなってしまった。ところが、形は分からないのに、物の色や濃淡を見分けることができたのです。なんということでしょう。それでも、やっぱり見えないことには変わりがありません。そして、運動能力には影響がなく、記憶や聴覚、触覚なども変わりませんでした。
彼女は、物が「見えない」のにもかかわらず、目の前にあるエンピツを指で正確につかむことができたのです。つまり、意識的な視覚ではない、気づかないところの視覚能力によって、運動できる能力を保持していたというわけです。
視覚システムにおいては、2つがまったく独立している。一つは行為を誘導し、もう一つは知覚を担当する。知覚を担当するのは腹側経路である。これは、外界に関する豊富で詳細な表象を伝えるが、自己を基準にした光景の詳細な計測情報を捨てている。
 行為の背側経路のほうは、行為に必要な自己中心座標で、物体の正確な計測値を伝えるが、その計算は一瞬のもので、たいていは選択された特定の目標物に限定されている。この二つのシステムはうまく調和しあう必要がある。たとえば、背側経路は、物体の大きさを計算していて、物体に手を近づけながら、空中で手の開き幅を調節している。
 背側経路は、いま現在の視覚入力にほぼ完全に支配されていて、単独では物体の重さを計算できない。背側経路だけでも物体の大きさを計算することはできるが、物体がどんな素材でできているかという点を理解するには、腹側経路が必要である。そして、腹側経路は大きさの計算も材質の計算もできる。結局、腹側経路は、ヒトの知覚体験を構築する上で、休みなく大きさを計算し続けているのだ。
テーブルの上にある物が何かを認識し、そこにある他のものと自分のカップとを区別できるのは腹側経路のおかげである。また、カップの取っ手の部分を選び出せるのも腹側経路のおかげである。しかし、カップの取っ手だと分かり、ある行為を決めてから、取っ手に手や指をうまく持っていけるかどうかは背側経路の視覚運動システムによる。
このように、外界に関する意識的な社会体験は、背側経路ではなく、腹側経路の産物なのである。そして、腹側経路の神経活動と視覚的意識との間には強い相関がある。腹側経路は視覚的意識の回路に必須である。腹側回路がなければ、視覚的意識は生じない。
腹側の知覚経路と背側の行為経路の間には、複雑だが、たえまない相互作用があって、適応的な行動が生み出されている。
うむむ、単に見るというだけでも、それって実は簡単なことではないのですね。とても面白い、脳に関する本でした。

(2008年4月刊。2500円+税)

2008年12月26日

プルーストとイカ

著者:メアリアン・ウルフ、 発行:インターシフト

 サブ・タイトルは、読書は脳をどのように変えるのか?です。
 人類が文字を読むようになってわずか数千年しかたっていない。ところが、これによって脳の構造そのものが組み直されて、考え方に広がりが生まれ、それが人類の知能の進化を一変させた。読むというのは、歴史上もっとも素晴らしい発明のひとつだ。
現在のヒトの脳と四万年前の文字を持っていなかったころのヒトの脳に、構造的な違いはほとんどない。なーるほど、字を読むというのも大きな進化だったのですね。
 アルファベットは、文字数を節約したことで、ハイレベルの効率性を手に入れた。楔形文字は900字、ヒエログリフは数千字を数えるのに対して、アルファベットはわずか26文字である。今日、世界にある3000言語のうち、文字をもっているのはわずか78言語でしかない。
 日本語の読み手は、漢字だけを読むときには中国語と同様の経路を使う。ところが、規則性が高く平明なかな文字を読むときは、むしろアルファベットの読み手に近い経路を使う。かたかなとひらがな、そして漢字との間を行き来しながら読み進める能力を備えた日本語の読み手の脳は、現存するもっとも複雑な読字回路のひとつを備えていると言える。     
アルファベット脳は、左半球の一部の領域のみを賦活させているのに対し、中国語脳は左右両半球の多数の領域を賦活させる。その結果、脳梗塞になったとき、中国語は読めなくなったけれど、英語は読めるということが起きる。
 ですから、日本人の多くが英語を苦手としているのは、脳の回路の運用が異なるからだという説には合理性があります。
 脳は、自らの設計を順応させる驚異の能力を備えているので、読み手はどんな言語でも、効率性を極めることができる。
言語の発達にとって大切なことは、子どもに対する話しかけ、読み聞かせ、子どもの言葉に耳を傾けることである。
 幼児期に身につけた語彙が少ないと、その後の成長過程で大きな差となって現れる。親との接触に乏しい子どもが多いせいか、アメリカの子どもの40%が学習不振児である。
 文章を追う目の動きは、一見すると、単純のように見える。いかし、実は、眼球は絶えずサッカードと呼ばれる小さな運動を続けており、その合間にごく瞬間的に停留と呼ばれる眼球がほぼ停止する状態が起こる。読んでいる時間の10%は戻り運動という、既に読んだところに戻って、前の情報を拾い上げる運動にさかれる。
いやあ、そうなんですか。目の働きと視野って、単純ではないのですね。
大人が読むときにサッカードでとらえられる文字数は8文字ほどで、子どもはそれより少ない。このおかげで、文章の行にそって周辺領域まで先読みすることができる。このようにして、常に先にあるものを下見しているので、数ミリ秒後に行う認識が容易になって、自動性が一層高まる。
 ディスレクシア(読字障害)を持つ天才・偉人は多い。トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなどである。彼らは小児期に読字障害を抱えていた。
 ところが、ディスレクシアの人々の大半は、非凡な才能に恵まれている。なぜか?
 ディスレクシアの人々の脳は、左半球に問題があるため、右半球を使わざるをえなくなり、その結果として、右半球の接続のすべてが増強されて、何をするにも独自のストラテジーを展開するようになった。文字を読むには不向きでも、建築物や芸術作品の創造やパターン認識には不可欠なものがある。
ディスレクシアは、脳が、そもそも文字を読むようには配線されていなかったことを示す、もっとも分かりやすい証拠である。
日本人が英語を長年にわたって勉強していても、ちっともうまく話せないのは、決して日本人が他の国の人より劣っているからではなく、脳の回路の使い方なんだということがよくわかる本でもあります。
 東京にあるちひろ美術館に行ってきました。高田馬場から西武新宿線に乗って各駅停車で20分ほどの上井草の駅で降ります。駅前に案内表示がありますので、それを見て踏切を渡ります。両側が小さな商店街になっていて、昔懐かしい駄菓子屋もありました。電柱に案内が出ていて、迷うことなく右折し、左折し、また右折するといった具合に住宅街のなかを歩きます。土曜日のお昼前、11月上旬の陽気でしたから、ちょうどいい散歩です。ちひろ美術館は、元は松本善明代議士(弁護士)の自宅をそっくり改造した新しい建物です。すぐ前にマンションも建っていますが、まったくの住宅街です。高級住宅地というのではありません。昔は練馬大根でもとれていたのではないかという感じです。
 空調のよくきいた部屋にちひろの絵があります。やわらかい、ふっくらした子どもたちの顔がなんとも言えず心を落ち着かせます。昔からちひろの絵は大好きなので、うちの子どもたちにもたくさん童話を読み聞かせしてやりました。
 ちひろの絵は、幼い子の小さな手指までしっかり描かれているうえ、ボカシが見事だったり、色彩感覚にも素晴らしいものがあります。絵の中の子どもたちは、動きはありますがどちらかというとじっとたたずんで、こちらを見つめています。変に胸騒ぎのする絵ではありません。
 ただ、戦火の中の女の子は、厳しく、寂しげな表情をしています。視線はあらぬ方向を見ていて、決して私たちと目線をあわせようとはしません。目線をあわせてニッコリ微笑んでくれるなんて期待できないのです。みている人の気持ちを悲しませます。戦争反対とただ叫ぶのより、よほど気持ちがひしひしと伝わってきます。
 たくさんのちひろの絵を眺め、ちひろのアトリエをのぞいて、すっかり満ち足りた思いで、また住宅街のなかをゆっくり駅に向かいました。いい一日でした。
 今度は長野にあるちひろ美術館にもぜひ行ってみたいと思います。
(2008年12月刊。2400円+税)

2008年8月29日

イチローの脳を科学する

著者:西野仁雄、出版社:幻冬舎新書
 7月末にイチロー選手が日米通算安打3000本を達成したというニュースが大きく報じられていました。すごい記録のようです。
 私はテレビを見ませんし、見るスポーツは、野球も相撲も、もちろんサッカーにも、まったく関心がありませんので、イチロー選手の活躍状況をナマで見たことはありません。でも、すごい選手らしいというのは、活字を通して知っています。この本は、そのイチロー選手のすごさを脳の働きから迫り、解明しています。なるほど、すごい選手だと思いました。
 イチロー選手のすごさは高校時代に始まります。高校での通算打率は5割を超え、本塁打も19本放ち、三振はたったの3回だけ。
 1994年から2000年まで、イチローは7年のあいだ、パリーグで連続首位打者を獲得した。アメリカのメジャーリーグに移ってからも、1年目から242本の安打を放って首位打者となり、新人王とMVPに選ばれた。2004年には、262本という年間最多安打の世界記録を打ち立てた。
 イチローの特色は、非常に体の反応がよく、内外角高低の変化、直球・変化球に対して柔軟に対応できること。ピッチャーマウンドからホームプレートまでの距離は18メートルあまり、時速150キロだと、球は0.44秒でバッターの手元まで来る。イチローは、この2分の1秒以下のあいだに、内外角、高低直球・変化球を見きわめ、バットを振ることができる。うむむ、すごいですね。
 野球選手は、肩胛骨と股関節の連鎖の動きが大切。この動きがスムースだと、たとえ姿勢を崩しても、それなりの対応ができる。
 イチローは、自分の愛用する野球道具であるバット、グラブ、スパイクを入念に手入れすることでも有名だ。遠征に出かけるとき、イチローは、自分専用の枕、電動の足もみ器を持参する。そして、昼食は毎日、奥様の手づくりカレーライスを食べる。
 イチローは、かたくなに規則正しく、きちっと決まった手順で、準備し、ベストの条件になるように心がける。イチローの几帳面さ、一徹さを示している。
 イチローは小学生のころから、1年365日、1日に7、8ゲームの球、合計250球をバッティング・センターで打ち込んでいた。うへーっ、す、すごいですね、これって。
 時速150キロの球を、中学3年生のときに、イチローは打てた。そして、ストライクではないボール球は絶対に打たないようにしていた。ひゃあ、これは、すごーい。
 自分の意思で自主的に運動することが、脳の活性化に大きく影響している。
? 運動を自主的にすると、ドーパミン神経系が活性化する。
? ドーパミンが放出されると、神経幹細胞が活性化する。
? 70〜80歳になっても、脳の中には神経幹細胞が存在している。
? 脳の活性化には、幼少期はもちろん、年をとってからも、何ごとも積極的な気持ちで、前向きに行動するのが大切。
 日本人がアメリカで野球をやろうと思ったら、何より大切なことは、自分で自分を教育できること。
 これはイチローの言葉です。
 物事を一歩はなれたところ客観的に観察し、全体像を冷静に感じとる能力にイチローは長(た)けている。さすがは、イチローです。
(2008年3月刊。720円+税)

2008年3月17日

脳研究の最前線

著者:理化学研究所、出版社:講談社ブルーバックス
 脳科学総合研究センター編で上下巻あります。個人論文の寄せ集めですが、興味深い内容です。人間って、いったい何者なんだろう、と考えたとき、脳の作用を抜きに語ることはできません。ですから、私は、高校生のころに大脳生理学の研究をしたいなどと大胆不敵なことを妄想したこともあって、脳科学にはいつも関心をもってきました。このブログでも、何回も脳に関する本を紹介しています。ところで、高校3年に進級する直前、私は自分をふり返りました。能力と適性を考えたとき、数学的思考力がまったく乏しいことを自覚せざるをえません。幸いにして文章のほうだけは少々の自信がありましたので、それなら文系を目ざすしかない。そう決断したのでした。その決断は間違っていなかったと、40年以上たった今でも確信をもって断言できます。それでも、高校3年までは、一応、理系進学クラスにいて、数?まで履修しましたし、今でも、物理や化学そして生物系統の本は大好きです。ところが、数学については、からっきし苦手です。こればかりはどうしようもありません。久留米に、毎年の大学受験問題を解くのが趣味だという弁護士がいますが、すごいですね。私なんか問題文を新聞紙上で見るだけで尻ごみしてしまいます。
 アルツハイマー病は、全世界に2000万人の患者がいる。一番多いのはアメリカで 500万人。患者の増加速度が大きいのは、中国とインド。
 アルツハイマー病を発症すると、記銘力をふくむ認知能力が進行的に低下し、さらに、せん妄(意識混濁、幻覚、錯覚)などの精神症状を呈することがある。認知能力の低下は、通常、エピソード記憶(最近、自ら行ったことや見聞きしたことに対する記憶)の異常から始まり、言語能力や判断力が失われ、自分の居場所や家族の顔がわからなくなるほどに進行する。一般に、運動失調は少ないので、徘徊などの問題行動の原因になる。精神症状としては、性格の変化、うつ症状、異常な攻撃性、根拠なき嫉妬、妄想などが典型である。
 ほとんどの人間が、長生きしたらアルツハイマー病を発症する宿命にあることが判明した。65歳以上で1割、85歳以上で5割、100歳以上で9割が認知症を患っている。
 アルツハイマー病は、早期発症型と晩期発症型に分類される。早期発症型は、20代後半から60歳ころまでに発症する。60歳以降の発症は、晩期発症型。
 これを読んで、私の叔母もアルツハイマー病だったんだと思い至りました。同居していた甥が物を盗ったとか、あらぬことを口走るようになっていたのですが、単なる被害妄想とばかり思っていました。
 家族性アルツハイマー病患者は、正常に成長し、成人に達したあと、30歳ころから 60代にかけて発症する。生まれる前から原因遺伝子変異を有するのだから、潜伏期間が30年以上あるということになる。
 明確な遺伝性のないものを、孤発性アルツハイマー病と呼び、晩期発症型の大半が、これに相当する。
 アルツハイマー病が特徴的なのは、高齢者の罹患率の高さ。人類は、文明の進歩によって、予想もしなかった難問に直面した。孤発性アルツハイマー病の原因は、加齢にともなう脳内ネプリライシンの活性低下である可能性が強い。
 現在、アルツハイマー病治療のために世界でもっともつかわれている医薬品はドネベジル(製品名はアリセプト)。これはエーザイの杉本八郎博士が開発した、世界に誇る日本の成果。年商1000億円。
 脳を効率よく動かすには、「活性化」するだけではダメ。脳は、それぞれ異なる機能をもつ、たくさんの脳領域が協調して形づくっているシステム。だから、もし一部の脳機能だけを突出させることができたとしても、システムとしての全体のバランスを壊してしまい、脳機能は低下するだけになってしまう。脳というシステムをうまくつかうのに一番大事なのは、まずバランスを取ること。
 今の日本で、働けなくなってしまう病気というのは、トップ5のうち4つまでが精神疾患。うつ病、アルコール依存症、統合失調症、躁うつ病。精神科病院の入院患者の平均年齢は60歳。ということは、新たに入院する人は多くないことを意味している。
 統合失調症は、いわゆる遺伝病ではない。しかし、その発症に遺伝子が関係していることは間違いない。統合失調症は、その発症前から、ひきこもり、友人と遊べない、新しい環境に慣れにくい、動作がぎこちないといった行動特徴が認められる。
 統合失調症は、思春期以後に発症する疾患である。
 私のクライアントにも、これらの病名をもつ人が何人もいます。それから、最近はパニック障害だという人も少なくありません。どうして、こんなに増えたのでしょうか。
 揺れる電車の中で本が読めるのはなぜか。電車が揺れると頭が動き、それにつれて目もずれるから、見つめている活字がずれてしまう。しかし、頭が動くと、耳の奥にある三半規管が動きを感じて信号を脳に送る。この信号が小脳に伝わり、ここのニューロンの指令で、目の筋肉を反対方向に動かす。頭が動くと、ちょうどその分だけ目を反対側に動かして補正する。これが素速くできるので、揺れる電車の中でも、目は活字からずれない。これは、フィードフォワード制御で、正常の機械でなされるフィードバック制御とは違う。先回り制御というフィードフォワード制御である。  
 私は大学生のとき以来、電車のなかで本を読んでいますが、不思議なことに、目は悪くなりません。今でも近視のままですし、メガネをはずさないと本は読めません。
 人間の記憶は、コンピューターの記憶とは、まったく違う。コンピューターでは、記憶すべき事項は、そのまま記号の形で書かれ、記憶装置に蓄えられる。脳の記憶も、ある程度は局在していて、場所場所にちりばめられている。
 海馬は、大脳皮質と連携を保ちながら記憶を整理し、時間をかけて大脳皮質に長期記憶をつくり出す。大脳皮質では、情報を処理する場所に、それに関連する記憶が蓄えられ、記憶を用いた情報の処理が行われる。処理と記憶は一体となっている。
 人の記憶の特徴は、連想性にある。組みあわさった事項は、その一部から全体を思いさせる。一つの記憶事項から、芋づる式に、関連した事項を次から次へと思い出す。連想は、いろいろな飛躍をともなうことがある。創造性は、この飛躍から生まれる。
 脳の不思議さ、人体の神秘を考えると、この精妙なる存在である人間をもっと大切にしたいなと思います。
(2007年10月刊。1140円+税)

2008年1月 7日

夢に迷う脳

著者:J・アラン・ホブソン、出版社:朝日出版社
 私は毎晩のように夢を見ています。でも、朝になって活動しはじめると、いつもすっかり忘れてしまいます。
 ネコの睡眠パターンは、人間ととても似ている。ネコの睡眠周期は人間と同じように規則的。ただし、周期は90分ではなく、30分でめぐっている。ネコは非常に寝つきが良く、そのうえよく眠る。
 レム睡眠のあいだに視覚野がアセチルコリン信号を処理することによって、幻覚が生じる。睡眠中も、脳内の機能は多くのことを処理し、高いレベルを維持している。
 夢のあいだ、人間は実際には目の前にないものを見たり、真実でないものを真実だと考えたりしてしまう。完全に見当識が失われると、その錯乱状態の中で、人間は脈絡のない物語を創り上げる。そして、結局、恐らく都合のよいことに、寝ているときの錯乱についてさえ、忘れてしまう。
 コリン系の破天荒な活動が、脳回路を夜通し働かせてしまう。要するに、夢とは、夜間に行われる脳の試運転で生じるもの。夢とは、思い出されることのない一連の記憶なのである。
 毎晩レム睡眠に入り、脳の調整機能をもつ化学物質が変化すると、はるか昔の記憶を思い出す傾向が高まる。
 レム睡眠のときこそ、脳内の運動プログラムは、もっとも活性化している。レム睡眠には、走る、運転する、飛ぶ、泳ぐなどといった行動の錯乱がともなう。日中、私たちを動かしている中枢プログラムがレム睡眠のあいだにぱったり休んでしまうということはない。それどころか、中枢プログラムには、ひときわ力が加わる。中枢プログラムが使わないうちに劣化してしまうことを防ぎ、覚醒時にプログラムを作動させるための予行演習をしているのだ。
 未熟児で生まれてくる赤ん坊ほど、レム睡眠ですごす時間が長い。このとき、脳の神経回路は配線され、テストされる。原始的な運動は、行為の基礎単位であり、脳と中枢神経系の配線作業と修理を担っている。
 情動の測定で、男女間に著しい違いはまったくない。おそらく、男も女も、深い部分においては、さして感情に違いはないのだろう。
 うつ病の人はうまく眠ることができず、しばしば疲労感を訴える。常に眠りたいのだが、眠っても気力が回復しない。覚醒時に脳の回転を高め、睡眠時にはアセチルコリンを激しく放出させるアミン作動系の効力が、うつ病では低下する。うつ病の患者は、脳と身体の化学能力の衰退を直ちに体験している。うつ病は、エネルギー疾患である。脳内の無数の情報の部分的な自覚こそが意識であり、心とは脳内の情報すべてである。
 レム睡眠はうつ状態を悪化させ、逆にレム睡眠を奪うと、うつ状態が改善される。
 抗うつ剤の薬剤のすべてが、アミン系の脳細胞を強化する好適な効能を備えている。抗うつ剤の多くは、アミン系を促進するだけでなく、抗アセチルコリン性をあわせもっている。
 睡眠は究極の治療薬である。十分に睡眠をとることで、時間のバランスを意識的に変えている。健康の実践としては、睡眠がもっとも基本的だ。
 心脳は自己治癒能力をもっている。心身の状態を変えることで治癒能力を操ることができる。元気でいる確率を高める最善の方法は、健康と結びついた行動を選択すること。つまり、あなたにとって最良の医師はあなた自身なのである。
 私は大学を卒業して以来、徹夜をしたことがありません。高校生のとき、一度だけしてみて、翌日まったく頭が働かなかったので、バカげていると思ってそれ以来しませんでした。大学生のときは、合宿で好きな彼女との会話に夢中になって徹夜してしまいましたが、もちろん幸福一杯でしたので、翌日はなんとかなりました。弁護士になってからは、夜中1時すぎまで起きていたことは全然ありません。頭がまったく働かなくなるからです。
 明けましておめでとうございます。今年も書評を書き続けます。どうぞご愛読ください。今年こそ平和でおだやかな世界と日本であることを願っています。
(2007年7月刊。2300円+税)

2007年8月30日

記憶力を強くする

著者:池谷裕二、出版社:講談社ブルーバックス新書
 脳は頭蓋骨という堅い容器に囲まれ、外の世界から堅固に隔てられている。身体のほかの場所には見られない独特の構造。脳の重さは、体重のほんの2%を占めるだけなのに、酸素やグルコース(ブドウ糖)などのエネルギー源は全身の20〜25%も消費する。
 脳は1000億個の神経細胞(ニューロン)によって複雑な働きを営んでいる。
 世界の総人口が今60億人をこえたところなので、それよりも1桁以上に大きい。
 1個の神経細胞の直径は10〜50ミクロン。これは髪の毛の太さの2分の1から10分の1の太さに相当する。それが1000億個もぎっしりと詰まっているわけである。
 ひとつの神経細胞が、1万個の神経細胞と神経回路をつくっている計算になる。しかも、個々の神経細胞は、1分間に数百個から数万個も連絡をやりとりしている。
 神経細胞は増殖しない。そして、死んだ神経細胞は二度と復活しない。一日に数万個も死んでしまう。自然に死んでいく神経細胞のほとんどは脳の中で必要とされていなかった神経細胞である。
 1000億個もある神経細胞のうち、人が意識的に活用できる細胞の数は10%にも満たない。
 人の海馬には、1000万個の神経細胞がある。目、鼻、手、耳、舌などのさまざまな感覚の情報が海馬に入力され、そこで統合されている。いつ、どこで、何を見て、何を聞き、何を感じたかといった材料を総合的に関連づけて「経験」という記憶をつくる。これがエピソード記憶になる。
 神経細胞は突起を伸ばす。それは自分の仲間を探すため、ついには、仲間と出会い、神経細胞は、互いに神経繊維で結びつく。1万個の神経回路が1000億個もある。
 神経回路に流れるのは電気。しかし、その実体は、イオンである。電子ではない。ナトリウムイオン(金属イオンである)が流れることで電気信号が伝えられる。
 電気回路では電子が電線にそって流れるので、光と同じ速さで流れる。しかし、神経細胞では、ナトリウムイオンの流れることによるので、1秒間に100メートル程度。それでも、これは新幹線の速度に匹敵する速さではある。
 シナプス伝達をみてみると、シナプス間隙の距離は20ナノメートル。髪の毛の   4000分の1ないし5000分の1ほどしかない。非常に狭いすき間である。
 電気信号は、シナプスにおいて、いったん神経伝達物質という科学信号に翻訳される。そして、この化学信号は、シナプスの受け手にある受容体チャンネルによって、再び電気信号に戻される。このように、シナプスでは、電気信号→化学信号→電気信号と変わる。これを1000分の1秒という恐ろしいほど速いスピードによる。
 ひとつの神経細胞に3万個ものスパインがある。樹状突起が他の神経細胞とシナプスをつくっている場所。1個のスパインは1万分の1ボルトのシナプス電位をつくり出す。だから100個以上のスパインが全開に活動して、ようやく活動電位をおこす判断がくだされる。つまり、神経細胞は、100個以上もの入力情報を受けとってようやく目を覚ます。
 それほど慎重である。この慎重さこそが神経細胞に備わった大切な性格である。
 生命という不可思議な現象を研究すればするほど、見えてくる答えは、生物とは物理化学の法則に素直にしたがう構造物であるという事実である。
 なーるほど、やっぱり唯物論が正しいのですね。
 神経回路の変化こそが記憶の正体なのである。記憶とは、神経回路のダイナミクスをアルゴリズムとして、シナプスの重みの空間に、外界の時空間情報を写しとることによって内部表現が獲得されることである。
 脳は記憶容量を確保するため、いろいろやりくりしながら神経細胞を使い回す。この神経細胞の使い回しという脳の「宿命」こそ、記憶のあいまいさの元凶なのである。
 不断では覚えられないようなことでも記憶できるように助けるのが扁桃体の役割。興味をことにもってのぞめばものごとをすんなりと覚えるられるようになる。つまり、自分が感動していれば、脳は自然にそれを覚えてくれるのだ。
 感動する心を失ってはいけない。感動する心を失ったら、何ごともなされない。
 作家のサン・シモンのこの言葉は真理なのである。ふむふむ、なーるほど、ですね。
 ひとつのことを記憶すれば、自然と、ほかのことの法則性を見いだす能力も身につく。記憶には相乗効果がある。したがって、多くのことを記憶して使いこなされた脳ほど、さらに使える脳になる。つかえばつかうほど消耗して故障するようなコンピューターとちがって、脳はつかえばつかうほど性能が向上する不思議な記憶装置である。
 努力と成果は比例関係にあるのではなく、累乗関数の関係にある。いまは差があっても、努力を続けていれば、いつか必ず天才たちの背中が見え、そして彼らを射程距離内にとらえることができる。こうした成長パターンを示すのが脳の性質である。たとえ効果が目に見えなくとも、つかえばつかった分だけ着実に、能力の基礎が蓄積されていく。私も、ときどき悲観しそうになります。いつになったらフランス語がペラペーラと話せるようになるかしらん・・・、と。でも、そのとき、いつかきっと効果が現れるから、もっとがんばろう、という著者のコトバを信じて毎日、毎朝、フランス語の聞きとり、書きとりを続けています。もう、30年になりますが・・・。
(2001年1月刊。980円+税)

2007年1月31日

老いて賢くなる脳

著者:エルコノン・ゴールドバーグ、出版社:NHK出版
 私と同じ団塊世代のソ連生まれで現在はアメリカで活躍している認知神経科学者です。名前から分かるとおりユダヤ人です。
 知恵は不思議に思うところから始まる。これはソクラテスの言葉だそうです。この本を読むと「定年」が間近に迫り、日頃、モノ忘れがひどくなったと嘆いている私ですが、年齢(トシ)をとっても脳は立派に活動できることを知って元気が出ました。
 著者は今、58歳。私と同じです。昔なら思いもしなかったような、面白い発想が出てくるようになった。年齢が上がるにつれて、頭をふりしぼるような作業はできなくなったが、洞察力は格段に伸びた。これでいいのかと思うくらい、楽々とものごとが見通せるようになった。
 神経の発生は大人になったらまったくなくなり、一路、減るばかりだと考えられてきた。しかし、これは間違いで、当初の勢いこそなくなるものの、神経の発生は生涯にわたって続くものである。
 ゲーテが「ファウスト」の第一部を刊行したのは59歳のとき、第二部はなんと83歳のときだった。
 ロナルド・レーガンは、二期目の大統領の途中から認知症を発症していた。レーガンの母も兄も認知症だった。
 ヒトラー、スターリン、毛沢東、そしてルーズベルトもチャーチルも晩年は認知症だった。しかし、死ぬまで政治力を発揮できた。それは、若いころに鍛えた認識能があったから。
 一度覚えてしまったことを忘れない人がいる。しかし、当の本人は不便きわまりないことに困惑している。どうでもいいこともすべて記憶しているので、重なりあう記憶やイメージがいつも洪水のように押し寄せて耐えがたくなるのです。だから、忘れるのは良いことなんです。
 脳のなかで揺るぎない長期記憶が形成されるまでには、かなりの時間がかかるし、多くの助けを必要とする。新皮質にある神経回路を繰り返し活性化させて、化学的・構造的な変化をうながさなければいけない。
 記憶とは、脳のなかで起きる電気的、化学的、構造的なプロセスによる相互作用である。
 記憶が保存されるのは、あくまで新皮質であって、脳幹や海馬ではない。ただし、海馬をはじめとする脳構造も、長期記憶の形成に必要不可欠な役目を果たしている。
 知恵とは、ほかの人が気づかない展開を予測できる能力のことである。
 パターン認識能力は、問題解決のための最強かつ最高のメカニズムである。
 優れた知恵をもつ人は、けたはずれに豊富なパターンを認識できる。これは脳のなかのアトラクタ数がちがうから。年齢とともに高くなるので、直感的にものごとを判断する能力だ。直感は、過去の膨大な分析経験が圧縮され、結晶化したもの。
 パターンの数が増えて一般性が高くなり、幅広い問題に対して瞬間的に解決策が導き出せるようになれば、それは知恵と呼ぶにふさわしいものになる。そして、精神活動のなかで、パターンを頻繁に活性化させていれば、脳の老化や痴呆の悪影響を受けにくくなる。パターンの種類は年齢とともに増えていく。知恵となるパターンを蓄積するには、どうしても年をとらないといけないのだ。
 そうなんです。年をとればとるほど人間は賢くなるというわけなんです。
 人生の早い段階では、右脳が中心的な役割を果たしているが、年齢を重ねるにつれて、右の右脳は少しずつ左脳に主導権を明けわたしていく。そして、左脳はアトラクタの形で、効率的なパターン認識の「在庫」をひたすら増やしていく。
 過去の膨大な経験をもとに新しいことを咀嚼する左脳は、成熟と知恵の年代にとって重要な存在だ。左脳には役に立つ情報、当人にとって良いことがぎっしり詰まっている。右脳は、新しいことに対処するための脳である。
 左脳は、認知活動によって強化されるため、老人の影響を受けにくい。団塊世代のみなさん、ホントに良かったですね。お互い、安心して老後を生き抜きましょうね。

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