弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年3月28日

睡眠の科学

著者  桜井 武 、    出版  講談社ブルーバックス新書
 
 動物は命がけで眠っている。それほど睡眠って、生き物にとって必要なものなんですね。
 惰眠をむさぼるという言葉があるが、睡眠は決して無駄なものではなく、動物が生存するために必須の機能であり、とくに脳という高度な情報処理機能を維持するためには絶対に必要なものなのである。身体とりわけ脳のメンテナンスのために睡眠は必須の機能である。睡眠中は、心身が覚醒状態とはまったく異なる生理的状態にあり、それが健康を維持するために非常に重要なのである。
ヒトは眠ると、まずノンレム睡眠に入る。ところが1時間から1時間半すると、脳は活動を高める。これがレム睡眠である。このとき、脳は覚醒時と同じか、それ以上に強く活動している。このレム睡眠のときの脳の強い活動の反映として夢を見る。レム睡眠時の夢は奇妙な内容で、感情をともなうようなストーリーであることが多い。これに対して、ノンレム睡眠のときに見る夢は、多くがシンプルな内容である。
 睡眠は記憶を強化する。シェイクスピアは、睡眠こそ、この世の饗宴における最高の慈養であると言った(『マクベス』)。たしかに、睡眠は甘い蜜の味がしますよね。
 睡眠不足は肥満になる。また心血管疾患や代謝異常のリスクを増加させる。
ノンレム睡眠は、一般的に脳の休息の時間だと考えられている。レム睡眠を「浅い睡眠」というのは間違いである。レム睡眠時には、不可解なことに、交感神経系と副交感神経系が両方とも活性化している。レム睡眠時には脳幹から脊髄にむけて運動ニューロンを麻酔させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眼筋や耳小骨の筋肉、呼吸筋などを除いて麻酔している。そのため、レム睡眠時には脳の命令が筋肉に伴わないので、夢のなかの行動が実際の行動に反映されることはない。ただ、眼球だけは、不規則にさまざまな方向に動いている。
 睡眠は脳が積極的に生み出す状態であり、外部からの刺激がなくなって起きる受動的な状態なのではない。
睡眠と覚醒はシーソーの関係にある。覚醒は、シーソーが覚醒側に傾いている状態である。大脳皮質の活動という点からみると、覚醒とは、脳の各部がさまざまな情報を処理するために活発に、かつ、ばらばらに動いている状態と言える。
 健康なヒトでは、オレキシン系が適切なときに覚醒システムに助け舟を出し、シーソーの覚醒側を下に押し下げることにより、覚醒相を安定化することが可能になっている。
 オレキシンの機能はいろいろあるが、そのもっとも中心的な機能は覚醒を促し維持すること。そして交感神経を活性化して、ストレスホルモンの分泌を促す。モチベーションを高めて、全身の機能を向上させる。意識を清明にし、意力を引き出す。
 ヒトが眠りにつく前、一時的に手足の温度が上がるが、これは手や足の血管を拡張させて、体温を外に放散させることによって深部体温を下げている。こうして脳の温度を少し下げることによって睡眠が始まる。あまり体温を上げず、しかし暖かくして眠ることが大切だ。眠気を払いたいときは、逆に考えて、手足を冷やすといい。
時差ボケを解消するのには、光だけでなく、食事によってもリセットが可能だ。これは、いいことを知りました。今度、ためしてみることにします。
睡眠に関する科学の最先端の状況が私のような一般人にもわかりやすく解説されていて、一気に読み通しました。
(2011年11月刊。900円+税)

2011年1月16日

よみがえる脳

著者  生田 哲、  サイエンス・アイ新書  出版 
 
かつて脳細胞は大人になるにつれ、死滅していくだけとされていました。しかし、今では、脳細胞も生成していることが分かっています。だから、あきらめる必要はないのです。
この本は、運動が脳に良いこと、タバコは脳にも悪いことなども強調しています。
脳は、環境の変化に対応し、年齢に関係なく、どんどん変化していく。脳の本質は変わりやすいことなのである。
 カナリヤは平均して10年生きるが、毎年新しい曲を学んで歌う。毎春、同じ鳥がまったく違った歌をうたいだす。うへーっ、そうなんですか・・・・。一度じっくり聞いてみたいですね。
 タバコは頭を悪くする。タバコの煙にふくまれる一酸化炭素が血液中のヘモグロビンというタンパク質と結合することによって、脳が酸欠状態になり、脳に一過性の障害が起きる。また、タバコの喫煙によって発生するアセトアルデヒトという毒物がアセチルコリン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどといった脳内の伝達物質に存在するアミノ基と科学反応を起こして生成するシッフ塩基という毒物が、脳内の神経細胞にダメージを与える。うへーっ、こんな大切なことをもっと国は国民に知らせるべきです。小学生のときから教えておけば、こんなに有毒なタバコを吸う人は絶滅する可能性がありますよね。タバコは税収に貢献しているなんてことは、もう言わないでくださいね。
 エクササイズ(運動)でうつ病が治り、脳は活性化するといいます。抗うつ薬を服用してうつから回復した人で、改善効果を10ヶ月後も維持できた人は55%、再発率は38%。これに対して、エクササイズだけでうつから回復した人の88%が改善効果を10ヵ月後も維持していたし、再発したのもわずか8%でしかなかった。そうなんですか・・・・。
 エクササイズの達成感が自己評価を高め、気分を向上させ、うつを改善する。
瞑想でも脳の機能が改善するそうです。これはありうると思いますが、残念ながら、瞑想を体験したことはありません。分かりやすい説明で、すっと読んで納得できました。
(2010年12月刊。952円+税)

2010年10月 5日

ネット・バカ

 著者 ニコラス・G・カー、 青土社 出版 
 
 漢字のような表語文字言語を書いている人々と、表音文字であるアルファベットを用いた言語を書いている人々とでは、脳内の回路の発達の様子がかなり異なっていることを脳スキャンは明らかにしている。
 そうなんです。日本人が英語を何年も学校で勉強していても得意とする人が少ないのは、ここに大きな原因があるのです。決して学校の授業が悪いというだけではありません。
 2009年までに、アメリカの大人は平均で週に時間をネットに費やしている。2005年の2倍である。そして、20代の著者がネットに費やす時間は週19時間。2歳から11歳までの子どもは週11時間をネットに使っている。2009年、平均的なアメリカのケータイ利用者・は、月400通のメッセージを送受信している。これは2006年の4倍である。
 ネット使用が増えるにつれ、印刷物、新聞や雑誌そして本を読むのにつかれる時間が確実に減少している。ネットの勢力が拡大するにつれ、他のメディアの影響力は縮小していく。グリーティング・カードやハガキの販売枚数は減り、郵便総量が急激に減っている。
 ネットの影響によって、新聞業界ほど動揺した業界はない。大新聞は、どこも青色吐息です。私の長男もネット派で新聞は読んでいません。「疲れる」というのです。信じられません。
ネットは注意をひきつけるが、結局は、それを分散させる。メディアから速射砲のように発射される、競合する情勢や刺激のせいで、注意は結局、散らされる。
 ネットが助長する、絶え間ない時間の注意散漫状態、ネットの有する感覚刺激の不協和音は、意識的志向と無意識的志向の両面を短絡させ、深い志向あるいは創造的思考をさまたげる。脳は単なる信号処理ユニットになり、情報を意識へと導いたり、そこからまた元の場所に戻したりするようになるのだ。ネット使用者の脳が広範に活動することは、深い読みなどの集中を維持する行為が、オンラインでは非常に困難であることの理由にもなっている。
 オンラインで読むとき、深い読みを可能にする機能を犠牲にしている。コンピューターの使用は、読書よりもはるかに強い精神的刺激を提供する。読書が感覚に与える刺激は常に小さい。与える刺激が常に小さいという、まさにそのことが読書を知的な報酬を与えるものとしている。注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮めることで、深い読みは深い思考の一形態となる。熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり騒々しい頭脳ではないのだ。読書する人の目は、文字を追って完璧になめらかに動くわけではない。その焦点は、いくぶん飛躍しながら進んでいく。
オンラインで絶え間なく注意をシフトすることは、マルチタスクに際して脳をより機敏にするかもしれないが、マルチタスク能力を向上させることは、実際のところ、深く思考する能力、クリエイティヴに思考する能力をくじいてしまう。
 記憶には短期記憶と長期記憶がある。長期記憶の貯蔵には、新しいタンパク質を合成する必要がある。短期記憶の貯蔵にこれは必要ない。長期記憶を貯蔵しても、精神力を抑えることにはならない。むしろ、強化する。メモリーが拡張されるにつれ、知性は拡大する。
 ウェブは、個人の記憶を補足するものとして便利かつ魅力的なものであるが、個人的記憶の代替物としてウェブを使い、脳内での固定化のプロセスを省いてしまったら、精神のもつ裏を失う危険がある。神経回路の可塑性のおかげで、ウェブを使えば使うほど、脳を注意散漫の状態にしていく。きわめて高速かつ効率的に情報を処理してはいるけれど、何ら注意力を維持していない状態におく。
 コンピューターから離れているときでさえ、集中するのが難しくなったという人が増えている。脳は忘却が得意になり、記憶が不得意になっている。人間と他の動物とを分けていることのひとつに、人間は自分の注意力を制御できるという点がある。
 注意散漫になればなるほど、人間はもっとも微妙で、もっとも人間独特のものである感情形態、すなわち共感や同情などを経験できなくなっていく。穏やかで注意力ある精神を必要とするのは、深い思考だけではない。共感や同情もそうなのだ。
インターネットは現代に生きる私たちに必要不可欠のものです。でも、それに頼りすぎていると深い思考・創造力や人間らしい共感・感情などを失う危険があるという指摘がなされています。
 鋭い問題提起をいている本です。ぜひ、あなたもご一読ください。 
(2010年9月刊。2200円+税)

2010年3月29日

脳に悪い7つの習慣

著者 林 成之、 出版 厳冬舎新書

 タイトルに魅かれて買ったのですが、なんとなんと大正解でした。うむむ、なるほど、なるほど、そうだったのか。よく分かったぞ・・・・。そんな気になりました。
 脳神経細胞がもつ本能はたったの3つ。生きい。知りたい。仲間になりたい。これだけだ。脳には本来、仲間になりたいという本能があるから、本質的に人は誰かが喜ぶのはうれしいものなのだ。
 この3つの本能のなかで、脳の思考や記憶に大きくかかわるのが、知りたいという本能だ。これは脳の原点ともいえるもの。
 子供の脳の発達過程を考えると、赤ちゃんのころに母親がたくさん声をかけることが非常に重要である。
 第2段階の脳の本能は、自己保有と統一、一貫性。人は、自分と反対の意見を言う人を嫌いになる。
頭がいい人とは、何に対しても興味を持ち、積極的に取りくめる人のことである。大切なことは、苦手なことを避けるのではなく、まずは興味をもってチャレンジしてみること。
統一、一貫性という脳のクセから、人間は整ったものやバランスのよいものを好む傾向にある。逆に、見た目がアンバランスだと、なんとなく嫌だなと感じてしまう。
 自分を嫌っている上司のもとで働くことは、自分のためにならない。関係の修復ができず、努力する余地が残されていなければ、居場所を変えるのも選択肢の一つである。
笑顔で脳のパフォーマンスを上げることができる。
 脳は、他人(ひと)のためになるとき、貢献心が満たされるときに、それを「自分にとっての報酬である」ととらえて、機能するようにできている。
 自己報酬神経群の働きをうまく活用するには、物事をもう少しで達成できるというときにこそ、「ここからが本番だ」と考えることが大切である。
 物事を達成する人と達成しない人の脳を分けるのは、この「まだできていない部分」「完成するまでに残された工程」にこだわるかどうかなのである。自分にはだいたい出来ているなんて思うと、自己報酬神経群は働かなくなってしまう。
 そろそろゴールだという言葉をかけると、脳の血流が落ち、正解率はダウンしてしまう。 
 脳の機能を活かすためには、「だいたいできた」というのはご法度なのである。一つの目標を成し遂げたあとで、やった!と思うことだ。 
 脳の達成率を上げ、集中してことを成し遂げるためには、コツコツは間違いなのである。達成し、完結したということこそ、脳にとっては最高の喜びなのである。
 目標を達成したいなら、プロセスにこだわることが大切である。人間の脳は、話すことで  新しい思考を生み、考えを深めることが得意である。このとき、大事なことは、考えっぱなしにせず、紙やパソコンを使って整理しておくこと。一度、形にすることが思考を深めるポイントである。
 脳の機能を活かすには、大事なことは早いタイミングでまとめて、くり返し考え直すこと。これが独創性を生む。
 本を読むときには、いつでも素直に内容と向き合うスタンスをもつこと。本はいかにたくさん読むか、ではなく、いかにいい本をくり返し読むかに重点を置くべきである。くり返し考えることでのみ、新しい発想を生むことができる。新しい発想をきちんとまとめ、ときには自分を疑い、立場を捨てて他人(ひと)の意見を取り入れ、間をおいて考え直すことができて、初めて独創的な思考が可能になる。
 コミュニケーション力をアップするには、うれしそうに人をほめることが有効だ。 ほめるときには、必ず相手のほうを見て、自分もうれしいという気持ちを込めて伝えることが大切である。
 いやぁ、予期せぬばかりの、いい本でした。大変勉強になりました。明日からも笑顔とともに生きていきましょう。
(2010年2月刊。670円+税)

 まだまだ風は冷たいのですが、サクラが満開となりました。福岡の裁判所の裏の桜並木を、少しばかりそぞろ歩きして花見を楽しみました。桜はやはりソメイヨシノですね。ピンク色に染まった満開の桜並木を歩くと、なぜかしら心が浮き浮きしてきます。
 我が家のチューリップも全開となるのももう少しです。180本までは数えましたが、こうなると数えきれません。500本植えたものの7割は咲いていると思います。春らんまんです。花粉症のほうはおさまりました。

2010年3月19日

脳ブームの迷信

著者 藤田 一郎、 出版 飛鳥新社

 私の子どものころ、味の素をふりかけると頭が良くなる、身体にいいというのが大流行しました。それまでは耳かき一杯だったのが、サッサという音とともに大量にふりかける、味が良くなるだけでなく、多いほど身体に効果があるということでした。
 しかし、この本はそれを二重に否定しています。驚くべきことに、第一に味の素は、そんな広告・宣伝をしていないのというのです。本当でしょうか……。私には信じられませんでした。
 第二に、グルタミン酸を外部から脳に取り込むことが脳の情報処理に役立つかと言うと、答えはノーだというのです。これは私にも理解できます。ギャバも青魚(DHA)も、食べた後脳細胞に到達するのは難しいのです。経口摂取しても脳にまでは届かない。
 では、今はやりの脳トレはどうか?
 簡単な計算問題を速く解いていると、血流量が増加した。しかし、この血流量の増加と脳の機能の工場とは別の話である。なーるほど、ですね。
 英語の熟練度が高い人ほど、英語文法の処理に関わる前頭葉領域における活動領域は小さくなる。
 ある物事の情報処理を脳がくりかえるうちに、脳のなかに効率的に情報処理する仕組みが生まれ、より少ない神経細胞集団で情報処理をすることができるようになる。
 脳トレ・サプリは脳に効果のないことを警告する、脳科学者による100頁にも満たない薄い本ですが、面白くて一気に読みました。
 
(2009年11月刊。714円+税)

2010年2月 8日

つながる脳

著者 藤井 直敬、 出版 NTT出版

 人間の脳について、また新しい知見を得ました。こうやって学問の進歩を実感できるのも、うれしいことです。
 ヒトがユニークでおもしろいのは、複雑な社会を操作してうまく泳ぐことにある。その場の空気に合わせた振る舞いを、脳は実現できる。
 私も、たまに大勢の人の前で話す必要があります。そんなとき、あらかじめこれは言おうと考えてはいるのです。でも、その場になって、私を注視している人の顔を見て、それこそ当意即妙に自分でも思わぬ言葉を紡ぎだすことがしばしばです。潜在意識が働き、その場の空気を読んで、こう言ったらいいんだと、脳のなかの言語中枢に何かが指令するのです。実に不可思議なことですが、しばしば、そういうことが現実に起きています。
 ですから、マイクを握って話すときには、事前に原稿を用意することは多いのですが、原稿どおりに話したことがありません。ただ、私の特技は、自分で話した内容をあとで文書に書き起こすことができるということです。もっとも、そんなことは滅多にしません。これは、大学生時代に全身全霊をかけて打ち込んでいたセツルメント活動で身につけたものです。
 お互いに、見知らぬサルを向かい合って座らせてみる実験が紹介されています。
 どちらのサルも、相手を見ようとしない。完全に無視しあう。面白いことに、無視し合っているのに、相手の顔の辺りにはほとんど視線を向けない。つまり、相手の存在を分かった上で、相手が何をしようが気にとめないという態度をとる。
 この2頭のサルの中間にリンゴを置くと、どうなるか。2日か3日のうちに、この2頭のうち、どちらかのサルがリンゴを取るようになり、もう1頭は手を伸ばさなくなる。つまり、抑制こそが社会性の基本なのである。衝動を我慢することは、ヒトが生きていくうえでとても重要なことなのである。ふむふむ、なるほど、なるほど、ですね。でも、なかなか我慢できないことって世の中には多いですよね。
 基本的に、サルはヒトのような協調行動を自発的に起こすことはない。
 グルーミングはサルの生得的な行動の一つである。人間の白衣の裾が少し破れて毛羽立っていると、それを見たサルはグルーミング行動を始める。
 賢いサルの眼は、そうでないサルと比べて眼が違う。本当に賢いのは、上位のサルではなく、苦労している下位のサルの方なのである。
 人間の脳は、その内部に非常に複雑なつながり構造をもつ情報ネットワークシステムである。しかも、そのネットワークは、脳単位で閉じていない。脳は、常に社会や環境とつながりを持ち、そのつながりの中で働いている。つまり、神経細胞同士、友だち同士、国と国の間まで、そのすべてが異なる種類の多層的ネットワーク構造を介してつながっている。そのような「つながる脳」の仕組みを理解することは、脳だけでなく、脳が作っている社会の仕組みを理解することにもつながっている。
 大変面白く、分かりやすい、脳についてのまじめな本でした。

 すっかり春めいた陽射しとなりました。早くもメジロが飛び交っています。ウグイス色で、目の周りが白くて、まさに目白です。チッチッチっと可愛い泣き声で来たことを知らせます。桜の木の枝にミカンを半分に切ってさしてやると、すぐについばみにやってきます。
 先日から膝が痛くて、びっこをひいて歩いています。外科医に診てもらったところ、老化現象による関節炎だと言われてしまいました。膝の関節のところにあるホネって、老化すると摩耗するのではなく、部分的にとがってしまうのですね。初めて知りました。それが無用に刺激して痛みます。じっとしていたらなんともなく、夜もぐっすり眠れますので、仕事にあまり支障はありません。それでも室内をちょっと歩いただけでも痛いので、悲鳴をあげています。
 ヒアルロン酸を関節内に注射してもらいました。とても痛くて泣きたい気持ちでした。
  
(2009年11月刊。2200円+税)

2010年2月 1日

つぎはぎだらけの脳と心

著者 デイビッド・J・リンデン、 出版 インターシフト

  人間の脳にはすごく関心があります。人間ってなんだろう、心はハート(心臓)にあるのか、脳にあるのかなど、知りたいことだらけです。
 脳の設計は、どう見ても洗練などされていない。寄せ集め、間に合わせの産物に過ぎない。にもかかわらず、非常に高度な機能を多く持ちえている。機能は素晴らしいが、設計はそうではない。脳やその構成部品の設計は、無計画で非効率で問題の多いものだ。しかし、だからこそ人間が今のようになったという側面がある。我々が日頃抱く感情、知覚、我々の取る行動などは、かなりの部分、脳が非効率なつくりになっていることから生じている。脳は、あらゆる種類の問題に対応する「問題解決機械」だが、そのつくりは何億年という進化の歴史のなかで生じた種々の問題に「その場しのぎ」で対応してきた痕跡を、すべて、ほぼそのまま残している。そのことが人間ならではの特徴を生み出している。
 海馬には、事実や出来事に関する記憶を貯蔵するという独自の役割がある。海馬に貯蔵された記憶は、1~2年くらいの間、海馬にとどまった後、他の組織に移される。
 軸策末端と樹状突起のわずかな隙間は、塩水で満たされており、「シナプス間隙」と呼ばれる。このシナプス間隙を5000個並べても、ようやく髪の毛の太さくらいしかない。シナプス小胞から放出された神経伝達物質が、シナプス間隙を通って渡されることで、信号が隣のニューロンに伝えられる。
 各ニューロンが対応するシナプスの数は、5000ほど(0~2万の範囲)。ニューロンごとに5000のシナプスが存在し、脳に1000億のニューロンが存在するとすれば、概算で、なんと500兆のシナプスが存在することになる。即効性の神経伝達物質は、何らかの情報を運ぶのに使われ、遅効性の神経伝達物質は、情報が運ばれる環境設定をするのに使われる。一つのニューロンが1秒間に発生させることのできるスパイクは、最大でも400回。スパイクの伝達速度は、せいぜい時速150キロメートル。
 個々には性能が悪いとはいえ、脳にはプロセッサが1000億も集まっている。しかも、なんと500兆ものシナプスによって相互に接続されている。多数のニューロンが同時に処理し、連携することで、さまざまな仕事をこなしている。脳は非常に性能の悪いプロセッサが多数集まり、相互に協力しあって機能することで、驚異的な仕事を成し遂げるコンピュータなのである。うへーっ、そ、そうなんですね……。
 人間の遺伝子は、その70%までが脳を作ることに関与している。人間は1万6000の遺伝子で、1000億個のニューロンをつくっている。遺伝子は、個々のニューロンを、具体的に、どのニューロンに接続するかまで逐一指示したりはしない。
 人間の脳が高度な処理をするためには、多数のニューロンを複雑に相互接続せざるをえない。個々のニューロンは、状態、信頼性が低いからだ。脳が大きくなると、産道をとおれなくなる。そして、シナプスの配線の仕方をあらかじめ遺伝子に記録するのが難しくなる。500兆もあるシナプスを、どのように相互接続するかを逐一記録していたら、大変な情報量になってしまう。このため、遺伝子は脳の配線をおおまかにだけ決めるようにするしかない。そして、本格的に脳を成長させ、シナプスを形成するのを、誕生後まで遅らせるようにする。そうすれば、胎児の頭が小さくなり、産道をとおりぬけられるようになる。脳の細かい配線は、感覚器から得られる情報にもとづいて行う。
 記憶の書き換えは、驚くほど簡単に起こる。書き換えは、過去についての記憶を現在の状況に合うように歪めてしまうこと。子どもが自発的に話してきたときには、それは本当であることが多い。しかし、そうするだけの社会的誘因さえあれば、子どもは嘘の証言をする。子どもは嘘をつかないというのは、事実に反する。
 脳のことを図解しながら、かなり分かりやすく説明してくれる本です。

(2009年9月刊。2200円+税)

2009年12月24日

忘れられない脳

著者 ジル・プライス、 出版 ランダムハウス講談社

 いやはや、こんな人も世の中にはいるのですね。日常のこまごまとしたことまで全部を覚えていて、忘れられないという人がいるなんて、信じられません。
 人間は「自分は何者なのか」という自己観念を形成するうえで、記憶は強く影響している。一般的に、人は膨大な記憶のなかから一部の記憶を抽出して、あるいは蓄積した膨大な記憶のかなりの部分を捨て去って、自己を規定していく。そして、その自作の物語を絶えず軌道修正し、巧妙に作り変えながら生きている。
 ところが著者は、すべての記憶を忘れることができないため、自在に自己修正することができない。自然な作り変え作業ができないのだ。
 その記憶は、さながら生活を再現するホームムービーのようだ。なにかのきっかけで記憶がよみがえる。次にどんなことがフラッシュバックしてくるのかは分からない。そして、走り続ける記憶を制止することもできない。その情景の一つ一つがあまりにも鮮明なので、楽しかったことも辛かったことも、いいことも悪いことも、記憶がよみがえるだけでなく、そのときの自分の感情も追体験させられる。当時の喜怒哀楽がそのまま乗り移ってくる。だから心を落ち着かせて生活するのが、とても難しい。
 うへーっ、すごいですよね。こんな人が世の中にはいるのですね……。
 著者は、特定の日を示されると、瞬時にその日のある時刻に行くことができる。そのとき、何をしていたか、そのころ何が起きていたか、ぱっと頭に浮かんでくる。
 これらの記憶は、日付や曜日と密接に結びついている。
 ところが、こんな著者なのに暗記はとても苦手だというのです。
 小学2年生のとき、掛け算の九九ができなくて、算数の家庭教師が必要だった。幾何学は特に苦手で、定理はまったく覚えられなかった。暗記が苦手なのは、絶え間なく浮かんでくる過去の記憶が頭の中を常に駆け巡っているため、物事に集中しにくいからだ。だから、成績はほとんど「可」であり、良と優はわずかだった。
 何でも忘れられない人が、実は暗記を苦手としているなんて、とても信じられませんよね……。不思議な話です。
 著者の記憶力の特徴のひとつは、どんなことでも優劣をつけずに、すべて保存していること。人生における出来事として、すべて同列・同格で記憶にとどめている。
 これは困りますね。やはり物事には優劣があるのですよね……。
 著者は、実は、忘れるという動作や状態自体を嫌っている。あの日に何をしていたのかをすべて思い出せることが気持ちいい。記憶の正確さは非常に重要なことなのだ。几帳面であることについて、強迫観念のようなものを持っている。
 驚異的な記憶力があり、いつでもそれを引き出すことが可能なのに、著者は日記をつけはじめた。それは、紙に書きとめると心が休まるからだ。日記をつけているときは、記憶が暴れまわる状態を自分でも驚くほど制御できる。書くことは、やはり意味があるわけですね。
 自分の記憶を他人に話すことによって他人と記憶を共有することになり、それが脳の活性化につながる。
 著者は44歳のユダヤ系アメリカ人です。いやはや、この世にはこんな変わった人間がいるなんて……。世界は広いですね。

 日曜日庭に出てエンゼルストランペットを根元のところから切ってやりました。霜にあたるとしおれて見苦しくなるのです。
 見通しが良くなったらロウバイが花盛りだったことに気が付きました。広い葉も黄色でロウができたとしか思えない小さな花も黄色です。においロウバイですのでふくよかな香りを漂わせています。
 玄関脇にチューリップを植えました。去年の球根を掘り上げると分球して小さくなっていました。捨てるのはかわいそうなので別のところにまとめて植えてやりましたが恐らく花は咲かないでしょう。チューリップの球根は10個入り280円と安売り中です。80個ほど植えましたので春が楽しみです。
 
(2009年8月刊。1900円+税)

2009年8月13日

なぜ年を取ると時間の経つのが速くなるのか

著者 ダウェ・ドラーイスマ、 出版 講談社

 人間の一番古い記憶は、反復と決まった型が背景になければならないが、これは3歳より前には起こらない。幼児期健忘は、ハードウェアの欠陥が原因なのではなく、プログラム、つまりソフトウェアの問題なのである。 一番古い記憶は、その人のアイデンティティの獲得と関係している。
子どもは、実年齢に関係なく、18か月の精神レベルに達すると、「私」としての自分自身を理解するようになる。
 匂いほど、突然に自分の思考の流れを止める刺激はない。
 感情が高ぶると、通常より短時間のうちにより多くの詳細を貯蔵せよという命令が脳に下される。
 既視感(デジャヴュ)について、左右2つの脳半球の存在から証明されています。
 2つの映像の時差は、ほんの一瞬。既視感において2度目だと感じるのも無理はない。2つの脳半球は交替で活動する。一方の脳半球が活動しはじめていても、他方の脳半球がまだ休止していないと、一種の「2重像」が現れる。現在の像のなかで、休止状態に入りつつある他方の脳半球の像が明滅し続けるので、まるで同じことを2度経験しているように見えるのだ。
 既視感は3つの錯覚をともなう。一つは、思い出のように感じるが、実際はそうではないというもの。二つは、これから何か起きるのか知っているような気がすること。三つには、漠然とした不安をかきたてられるというもの。これらの錯覚が心に混乱を招く。
 ほとんどの自分史に共通する特徴がある。つまり、語り手は、自分史をできるだけ筋の通ったものにしようとする。
 高齢者に思い出を語ってもらったところ、50歳から80歳までを全部あわせた期間の出来事よりも、10歳から20歳までのあいだの出来事のほうがずっと多く語られた。自伝的記憶と自叙伝に共通しているのは、そのなかにある思い出がテーマ・動機・話の筋に適合していること。それらは一つの発展の要素として、少しずつ現れる。自分や他人に向けて話す想い出話は、「公」に向けられているので、もはや出来事そのものではない。
 老人は若いころの思い出に自分自身を書き込んでいくのだ。
 人生が変化に富んでいるときには、記憶の標識の数が多い。年齢の高い人の方が、20代のころの出来事を比較的楽に思い出せるのは、利用できる時間標識がその期間に非常に多いことの結果である。
 時間標識は、期間や日付を記すだけでなく、老年期に夢想をも生じさせる。
 たくさんの思い出の詰まった期間は、振り返ってみたときに伸びるだろうし、思い出がほとんどない同じ長さの期間より長く続いていたように感じられる。逆にいうと、中年以降には時間標識の数が少なくなるので、そうした空白時期では、時間は主観的に速く過ぎるのだろう。
 時間を測る能力は、年齢とともに上昇し、20歳でピークに達し、その後は下降していく。高齢者の能力は幼児のレベルにまで低下する。
 何かをしていて忙しいときには、時間がかなり速く過ぎる。
 老齢とともに、人間はだんだん、ゆっくりと時を刻む昔の旅行用携帯時計になっていく。体内のメトロノームが減速していくために、外界のほうが加速しているように思えてくる。
 客観的な原則が主観的な加速を生み出す。体内時計の速度が一定の役割を果たす。体内時計のほうは、老人よりも若者の体内の方が速く動く。だから、子どものころの日々はとても長かったのに、年をとると時間は驚くほど速く過ぎていくことになる。
 また一つの解を得ました。でも、ということは、日々の生活を充実させるしかないということなんですね。
 
(2009年5月刊。2400円+税)

2009年7月27日

単純な脳、複雑な「私」

著者 池谷 裕二、 出版 朝日出版社

 日本の高校で、高校生相手に話をした内容が本になっていますので、大変分かりやすく、しかも興味深い内容が満載です。うへーっ、脳って、こういうものなんだ。人間って、こういう存在だったのか……、と目からウロコの数々です。さあ、読んでみましょう。
 人間は、長時間接しているほど好きになってくる。これは脳の性質による。社内結婚が多いのは、そのため。何度も会っていると、もうそれだけで好きになってしまう性質が脳にある。なーるほど、ですね。だましの手口として、足しげく通っているうちに、甘い話に断りきれなくさせるというのがあります。
 恋愛関係にあるのか自信がないとき、周囲から反対されると、緊張してドキドキしてしまう。ところが、このドキドキ感を脳は相手がより魅力的なのだからこうなるんだと間違ってラベルづけしてしまい、どんどん好きになっていく。うむむ、だから本心で反対したいときには、表面上は反対せずに放っておいたほうがいいのですね。
 直感は意外と正しい。というのは、直感は学習、つまり本人の努力の賜物(たまもの)だから。直感は訓練によって身につく。経験に裏付けられていない勘は、直感ではない。
 大人になっても、成長する脳部位が2つある。一つは前頭葉で、もう一つは基底核である。直感は、年齢とともに成長していくのである。
 記憶というのは、覚えていると意識できること、「これは私が覚えている内容」というものばかりではなく、もう一つのタイプもある。
 たくわえた情報は、それ単体で思い出されるのではなく、そこに付帯された情報によって影響を受け、記憶そのものがすり替わってしまう。つまり、人間の記憶というのは都合よく捻じ曲げられてしまうものなのだ。情報は、きちんと保管され、正確に読み出されるというより、記憶は積極的に再構築されるものなのである。とりわけ、思い出すときに再構築される。
 記憶は、生まれては変わり、生まれては変わる。この行程を繰り返して行って、どんどんと変化していく。だから、「見た」という感覚というものは、怪しいものでしかない。そうなんですよね。私も、大学時代、紛争の最前線にいたことは間違いないのですが、たとえば寮食堂で開かれていた代議員大会が全共闘の集団に襲われたとき、寮食堂の中に代議員としていて襲われたのか、外にいて救援活動をしていたのか、今なお自分の体験が思い出せません。今のところ、内側にいて襲われたことにしているのですが……。ちなみにこのとき、かの有名な舛添要一大臣は中にいて、10人の代表団のメンバーに立候補したのですが見事に落選しました。これは記録が残っていますので間違いありません。彼は当時から右翼的行動をしていて、学生のなかに支持を集めることができませんでした。
 感情と行動はどちらが変えやすいか。既成事実を変えるのは大変だが、心の方は容易に変えられる。だから、脳は感情を行動に整合するよう変化させてしまう。
 むひょう。そうなんですね。そんなことまでするのですか……。
 脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由づけして説明してしまう。現状に合わせて都合よく説明するのが脳の働きである。ええっ……。
 人間って生き物は、主観経験の原因や根拠を無意識のうちにいつも探索している。ぼくらは本当は自分が道化師にすぎないことを知らないまま生活している。根拠もないくせに妙に自分の信念に自信をもって生きている。
 脳は、ノイズから生まれる秩序をエネルギー源として用いているため、外部供給として必要なエネルギー量はわずか1日400キロカロリーで済む。電力量に換算すると、20ワットという驚くべき少量のエネルギーである。
 脳、そして人間を知り、考えさせられる本です。
 
(2009年6月刊。1700円+税)

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