弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年3月30日

社会脳からみた認知症


著者  伊古田 俊夫 、 出版  講談社ブルーバックス

 認知症とは、正常に成人になった人が、病気や事故などのために知的能力が低下し、社会生活に支障を来すようになった状態を指す。
64歳以下で発症した認知症を若年性認知症と呼ぶ。その多くは、40~50代で発症する。若年性認知症の患者は全認知症の1%を占める。40~50代で物忘れに深刻に悩む人は、高齢期に認知症になる確率が高い。
 若年性認知症は、症状の進行が早いという特徴がある。異常タンパクの生成が早いためだと考えられる。若年性認知症は周囲の人の気持ちを理解できない。他人への関心が薄くなる。性格の変化が目立つのも特徴。
 日本の認知症患者は460万人をこえ、その予備軍が400万人いる。
 認知症の人には、「配慮を受けている」という自覚が乏しく、同僚に感謝の気持ちを伝えられない。
 認知症の人に最初にあらわれるのは、新しいことを記憶できないこと。そして、物忘れしているという自覚が薄れてくる。
 日課や予定、約束や期限といった緊張感が失われると、人間の記憶力は低下していく。
 認知症の第二の重要な症状は、自分の置かれた状況が分からなくなること。さらに症状がすすむと、自分が病気であることを理解できなくなる。
 人の心の働きのなかで、もっとも重要なのは、他者の心や気持ちを理解するというもので、これは人間特有の働きである。
 認知症の人は、詐欺的商法の相手と長時間にわたって一緒に過ごし、すっかり信用しきってしまう。警戒心がまったくない。
 認知症に陥った人たちからは、苦悩が確実に減少していく。悩まなくなるのだ。
 うつ病が増加している。うつ病にかかった人は、羅患歴のない人に比べて、認知症になる危険性が2~3倍も高い。
 私の同級生も認知症になった人がいます。とても生真面目な性格でした。それと関係があるのでは、と思っています・・・。
(2014年11月刊。900円+税)

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2015年1月26日

自己が心にやってくる


著者  アントニオ.R.ダマシオ  、 出版  早川書房

意識の明らかな成果としては、生命の効率的な管理と安全の確保があげられる。
脳なんかまったくない生物ですら、単細胞生物にいたるまで、一見すると知的で目的性のありそうな行動を示す。
ニューロンは再生産しない。つまり、細胞分裂しないし、再生もしない。
植物はニューロンを持たず、ニューロンがない以上、決して心を持てない。水頭無脳症の子どもは何年も生き続け、思春期を迎えることさえある。決して、植物状態などではない。それどころか、目を覚まして行動している。世話係とも無視できないほどの意思疎通ができるし、世界ともやりとりできる。彼らは明らかに心をもっている。頭や目は自由に動き、顔には情動表現があり、おもちゃやある種の音にはほほえむ。くすぐられると笑って、通常の喜びさえ表現できる。痛い刺激には顔をしかめて手を引っ込める。
渇望する物体や状況に向けて、移動もできる。たとえば陽のあたっている床へはいって、日向ぼっこをして、明らかに暖かさから便益を引き出し、満足しているように見える。
さらに、特定の人物に対する選好を示す。知らない人にはおびえ、いつもの母親や世話係の近くにいると、もっとも幸せそうだ。好き嫌いは明確で、とくに音楽の場合には、それが著しい。子どもたちは、一部の音楽をことさら気に入る。耳の方が目よりもいいらしい。水頭無脳症の少女たちは、思春期には、生理にさえなる。
身体から脳への通信と同じように、脳には神経と化学の両方の経路で身体に語りかける。神経経路は神経を使い、そのメッセージは筋肉の収縮と行動の実行を引きおこす。化学経路は、コーチゾル、テストステロン、エストロゲンなどのホルモンを使う。ホルモンの放出が体内状態を変え、内臓の働きを変える。
脳内で生じた思考は、体内で生じる情動状態を引き起こせるし、身体は脳の風景を変え、したがって思考の基盤を変えられる。
脳の状態は、ある精神状態に対応するが、特定の身体状態を引きおこす。そして、身体状態が脳にマッピングされて、継続中の精神状態に組み込まれる。情動と感情とは区別される。情動と感情は、緊密に結ばれた周期の一部ではあるが、プロセスとして区別できる。重要なのは、情動の本質と感情の本質とか違っていることを認識すること。
情動の世界は、もっぱら体内で実行される行動の世界であり、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる。これに対し、情動の感情は、情動が動いているときに、心や身体の中で起こることについての複合的な知覚だ。
感情は、行動そのものではなく、行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ。情動は、アイデアやある考え方を伴う行動である。
情動は、脳内で処理されたイメージが各種の情動の引き金となる部位を活性化させると機能する。
目を覚ましているというのは、意識をもつ前提条件だ。
人は、レム睡眠中には活発に夢を見るし、一晩に何度も見ている。だけど、もっとも記憶に残るのは、睡眠から目を覚ましかけてだんだん水面下から、徐々にまたは急激に水面、つまり意識状態に戻ってくるときの夢らしい。
麻酔薬は、ニューロンを過分極させて、アセチルコリンをブロックすることで作用する。アセチルコリンは、通常のニューロン間通信では、重要な分子だ。
アルツハイマーは、人間にしか見られない病気である。典型的なアルツハイマー病をもつほとんどの患者は、病気の初期も、中期も、意識は阻害されない。初期には、新しい事実情報の学習がだんだん阻害されるようになり、過去に学んだ事実情報を思い出すのも、だんだん困難になっていく。初期には、この病気の影響は小さく、社会的な穏やかさは維持され、平常な生活に近いものがある程度は維持される。しかし、やがて自伝的記憶の基盤が浸食され、そのうちあっさりと消えてしまう。
意識と脳について、深く知ることのできる本です。
(2013年11月刊。2900円+税)

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2014年6月16日

脳の中の時間旅行


著者  クラウディア・ハモンド 、 出版  インターシフト

 脳と時間の関係の関係について考察した、楽しい本です。
 楽しいときは、本当に時間が飛んでいく。生命の危険を感じているときは、時間の流れが遅くなるように感じる。
 休暇は速くすぎていくのに、あとでは長く続いたように感じる。これをホリデー・パラドックスという。
キューバにある、アメリカのグアンタナモ収容所では、食事、睡眠、尋問の時間を決めず、予測できないようにしている。これによって囚人が時間を数えようとする気持ちをくじき、不安を感じさせるためだ。
 決まり切った日課は安心感を与えてくれる。その重要性は、高く、それに反するだけで時間の概念が乱れ、極端な場合には恐怖をひきおこす。
人間の自殺率は春が高い。春の訪れによって、陰うつな気分から救われるという期待が裏切られ、深い絶望に見舞われるからではないか。
 野球やサッカーの試合を見ていて、ひいきするチームが勝っているか負けているかで、時間の流れが違って感じられる。負けているときの残り時間は短く感じられる。逆に勝っているときには、時間のたつのがひどく遅く、相手チームには得点のチャンスが恵まれているような気分がする。このように、感情によって時間はゆがむ。
うつ病の症状が出ているときには、過去と現在だけが存在し、未来、とりわけ希望のある未来を想像できなくなる。うつ病の人にとって、時間は半分のスピードで流れている。
 退屈というのは、時間の流れのそのものに注意を向けたときに起こる。
人間にとっての一瞬とは、2秒から3秒を意味する。3秒という時間は、メモしたり長期記憶にゆだねたりせずに、何かを記憶しておける時間である。
 切断された死体の映像を見たり、悲惨なイメージに直面すると、身体と頭で闘争・逃走本能がはたらき、内なる時計の進み方が速くなり、パルスが増大するため、時間の流れが遅くなるように思える。
 年齢(とし)をとるにつれて時間の流れが速くなるという感覚がある。いったい、なぜなのか・・・。多様で、興味深い経験にみちた時間は早くすぎるように、感じられる。しかし、思い返すと、長く感じられる。子どもの毎日は、新しい経験に満ちている。子どもの生活には、全体として大人の休日と同じように面白いことに溢れていて、新しい記憶がたくさんあるため、あとで振り返ると、1ヵ月、1年がひきのばされたように感じる。
だから、できるだけ行動のバラエティを増やす。目新しくて、今が楽しいと思える生活をつくれば、あとで振り返ったときに、長かったと感じられる。
時間が早く過ぎていくのは、多忙で充実した生活を送っている証拠だ。楽しいときほど、時間が短く思える。時間が早く過ぎるのを止めるには、予定を積極的に入れ、テレビは覚えていられる時間だけみるようにすることだ。
 何かに没頭すればするほど、時間は速く過ぎていく。
 なーるほど、人間の脳と時間との関わりが少し分かりました。
(2014年3月刊。2100円+税)
 梅雨入りしてから、なぜか雨らしい雨が降りません。よそでは大雨のようですが・・・。田植えの準備はすすんでいますので、雨を待つ心境です。
 日曜日は恒例のフランス語検定試験を受けました。一級ですので、合格するはずもありませんが、ボケ防止のためにもチャレンジしています。もう10年以上にもなりますが、単語の忘れはひどいものです。新鮮な気持ちで毎日NHKのラジオ講座を書きとりし、なるべく暗誦するようにしています。
 試験は惨々でした。長文読解も前半はさっぱり、後半はなんとか。書きとりと聞きとりは、まあまあでした。仏作文は適当にごまかしたのですが・・・。甘あまの自己採点で55点(150点満点)です。11月は準一級です。がんばります。

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2014年2月10日

金持ち脳と貧乏脳


著者  茂木 健一郎 、 出版  総合法令出版

 この本を読んで、金もうけのヒントでも得ようかと思う人にとっては、その期待は裏切られます。脳科学者が金もうけのヒントを与えてくれるはずがありません。そうではなくて、人生を豊かなものにしたい、意義のある人生をまっとうしたいと思う人にとっては、役立つヒントが満載の本なのです。
 金持ち脳を持っている人は、夢中になれる好きなことを仕事にしているので、たとえ辛い場面に遭遇しても、我慢という感覚はない。これに対して、貧乏脳は何よりも自己欲求を満たすことで満足してしまう脳。
お金持ちになった人は、数多くの修羅場やリスクを経験しつつ、ピンチをチャンスに変えてきた人たち。リスクテイクに優れている。
 人間関係におけるネットワーク、信頼、そして自分のスキル、知識、経験、そういうものが総合的に脳の安全基地となって、確実性が生まれる。
 自信がないお金持ちほど、お金を使う傾向にある。お金を払うと、「お客様は神様です」とあがめてくれるから。
借金する立場は、お金を借りた人に支配されることになる。そうなんです。だから、私は、借金したくないし、他人に借りをつくりたくありません。いつだって、自由、フリーでいたいのです。
 経験以外に人間が持ち運べるものはいない。だからこそ、若いうちのお金は経験という経済活動に使うべきなのです。
 お金と幸せは必ずしも一致しない。人間の幸せや人生観というのは複雑系なので、お金では測れないもの。人間の本質的な幸せというのは、お金によって得られるものではないことを理解するためには、ある程度経験しないといけない。
 お金は、人間関係を目に見えるようにしたもの。人間関係が充実している人には、お金も集まってくる。お金を貯めるのと同じくらいに、人間関係や自己投資にお金を使うことが大切だ。
 仕事の満足は、決してお金で買えるものではない。仕事の面白さ、やりがいは、自分で決めるもの。
私は弁護士になれて本当に良かったと思っています。受験時代は苦しい日々でしたが、人助けをして、喜んでもらって、お礼を言われて、お金までもらえるのです。こんなに充実感の味わえる職業は滅多にありません。もちろん、すべてがうまくいくとは限りません。でも、一生けん命にやっていれば、いつかはなんとかなるものです。
(2014年1月刊。1300円+税)

 東京は大雪で大変だったようですが、私のところはこの冬はまだ雪が降っていません。それでも寒い日が続いています。
 庭から小鳥の澄み切った流れるようなさえずりが聞こえてきました。声のするほうを見ても姿は見えません。名前も知りませんが、春先になると聞こえてくる小鳥の声です。とうとう春告げ鳥がやって来たのでした。
 庭の紅梅や白梅が咲いています。黄水仙も咲きはじめました。チューリップの芽があちこちに顔を出しています。
 もうすぐ春になります。うれしいことです。

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2012年10月29日

脳には妙なクセがある

著者   池谷 裕二 、 出版   扶桑社 

 生後2日から5日という新生児の脳を調べると、すでに母国語と外国語を聞いたときで、左脳の反応が違っている。これは、胎児のとき、母親の腹のなかで、ずっと母国語を聞いていたからと考えるのが自然だ。
 笑顔は楽しいものを見出す能力を高めてくれる。
 人口の4%は音痴だ。音痴の人は、空間処理能力が低い。もともと音階は空間として表現されるもの。一般に男性のほうが女性よりも空間把握にすぐれている。ある実験で音痴であると判定された人の半数以上は女性だった。
20歳以前まで高かった幸福感は、20代で一気に落ち込み、40代から50代前半ころまでが最低迷期となる。そして、これを過ぎると回復を始め、調査された範囲では、最高齢である85歳に向けて上昇していく。つまり、歳をとると、より幸せを感じるようになる。
 働き盛りのビジネス人は、とかく時間に追われて心を失いがち。しかし、しかるべき時期を耐え抜けば、幸せなときが待っているということなのだろう。
 食欲のコントロールはもちろん、覚醒状態や記憶力に至るまで胃腸の支配を受けている。内臓をふくめた全身がバランスよく機能して、初めて脳の健康を保つことができる。
直感もひらめきも、「ふと思いつく」という状況は似ている。しかし、思いついたあとの様子がまるで違う。「ひらめき」は、思いついたあと、その答えの理由を言語化できる。ところが、直感は、本人にも理由の分からない確信をいう。そして、重要なことは、直感は意外と正しい。
単なる「ヤマ勘」や「でたらめ」とは決定的に異なる。ひらめきは「知的な推論」、直感は「動物的な勘」。ひらめきは陳述的、直感は非陳述的なもの。ヒトは、自分自身に対して他人なのである。
 自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存している。よく生きることは、よい経験をすることである。人の成長は、反射力を鍛えるという一点に集約される。反射を的確なものにするためには、よい経験をすることしかない。
 いつも脳についての刺激的な指摘があり、大変参考になります。
(2012年9月刊。1600円+税)

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2012年10月 9日

挑戦する脳

著者   茂木 健一郎 、 出版   集英社新書  

 人間の脳の成り立ちは複雑で、多様である。脳の100億の神経細胞がお互いにどのような結合し、パターンを作るのか。その組み合わせの数は、無数にある。
天才とは、すなわち世間の既成概念にとらわれずに物事をなす人のことである。高度な創造性を示した人は、物理世界に提示される情報に支えられた視覚的一覧性に拘束されずに考え、感じるということを実行していたケースが多い。
 人生は続く。なんとか生きていかねばならない。ながらえる術(すべ)を見出さなければならない。そのとき助けになる「認知的技術」の一つが「笑い」である。
 「笑い」の背後には厳しい人生の現実がある。不安がある。恐怖さえある。「笑い」は、存在を脅かす事態に対して脳が機能不全に陥らないための、一つの安全弁である。そして、「笑い」は私たちが生きるエネルギーを引き出すことのできる、尽きることのない源泉なのだ。人は、笑うことができるからこそ挑戦し続けることができる。
大らかに笑うことができる人が、結局のところもっとも深く人生の「不確実性」というものの恵みを熟知している。杓子定規な真剣さは、往々にして臆病さの裏返しでしかない。
 本来、人間の脳のもっともすぐれた能力は、何が起こるか分からないという生の偶有性に適応し、そこから学ぶことである。予想できることばかりではなく、思いもかけぬことがあるからこそ、脳は学習することができる。
 今の時代、日本人は、「挑戦する」気持ちが足りないとされている。なぜ、日本人は「挑戦しない脳」になっているのか?
 脳は、自分の置かれた環境に「適応」する驚くべき能力を持っている。この世に生まれ落ち、育っていく中で、周囲の環境に合わせて脳の回路が形成されていく。日本人が「挑戦しない脳」になっているとすれば、挑戦しないことの方が適応的であるという、そんな因子があるのに違いない。
人間の脳は、本当に不思議です。たとえば、人前で話すとき、あらかじめ思っていたこととかなり違う話を自然と口にすることがあって、我ながら驚くことがしばしばあります。そんなとき、いったい、この思考回路は誰に指示されているのかと不思議に思えてなりません。
 これも100億個の細胞と無数の回路の組み合わせのなせる技(わざ)なのでしょうね。
 脳への関心は尽きることがありません。
(2012年7月刊。740円+税)

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2012年8月26日

リハビリの夜

著者   熊谷 晋一郎 、 出版    医学書院 

 出産のときの酸欠から脳性マヒとなり、手足が不自由のなったにもかかわらず、ナントあの超難関の東大理Ⅲに入学し、東大医学部を無事に卒業して、今では小児科医としてフツーに働いている著者が書いた本です。
 すごいね、すごいなと思いつつ読みすすめました。自己分析力が、すごいのです。感嘆してしまいました。
 図解もされているのでたいへんわかりやすいのですが、意思という主観的な体験に先行して、脳の中ではすでに無意識のうちに運動プログラムが進行している。自らの意志は、実は無意識のかなたで事前につくられており、それが意識へと転送される。著者は発声器官の障害がないため、言葉でのやりとりには大きな支障がない。ところが、首から下の筋肉が常に緊張状態にある。
 いったん目標をもった運動を始めようとすると、とたんに背中から肩、腕に至るまでが、かちっと一体化してこわばる。背中から腰、足にいたるまでも同時に硬くなっている。つまり、身体が過剰な身体内協応構造をもっている。
 パソコンをうつにしても全身全霊で打つ。手首、ひじ、指の関節などの末端にある部分だけが動くということはない。ところが、夢のなかでは自由に歩いたり走ったりしている。風を切って走っているときの身体の躍動や弾むような爽快な気分も夢の中では味わっている。
 著者は大学に入った18歳のときに一人暮らしを始めた。トイレに行くのも、着替えをするのも、風呂に入るのも、車いすに乗るのも、みんな自分ひとりでできないのに・・・。
 いつか、これを始めなければ、両親亡きあと、生きていかれないのではないかという不安からだった。すごいことですよね。これって。
まずはひとりでトイレに行くことから始まりました。そして、物の見事に失敗したのです。でも、そこでくじけなかったのですね。えらいです。さすが、ですね。トイレは改装してもらいました。さらに電動車いすによって外出が自由にできるようになったのです。
電動車いすという身体を手にすることによって、地を這っていたときには触れることもできなかった本棚や、冷蔵庫や、自動販売機にも手が届くようになった。電動車いすは、つながれる世界を二次元から三次元へぐんと広げてくれた。
 今では、車いすから降りたとたんそれまで近くにあったモノが急に遠くへ離れていってしまうような感覚がある。
人間は、他の多くの生き物と違って、外界に対して不適応な状態で生まれ落ちる。この不適応期間があるからこそ、人間は世界との関係のとり結び方や動きのレパートリーを多様に分化させることができた。無力さや不適応こそが、人間の最大の強みでもあるのだ。
この本では、脳性マヒによって身体が思うように動かないということの意味が図解され、同時に人間をふくめた外界との関わり方が考察されています。そして、トイレ・トレーニングというか、不意の便意への具体的な対処法まで紹介されています。
 リハビリ、トレーニングの意義についてもたいへん勉強になりました。世の中には、これほどの身体的ハンディにも屈せずにがんばっている人がいるのですね。私も、もう少しがんばろうと思いました。
(2010年10月刊。2000円+税)

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2012年7月17日

脳はすすんでだまされたがる

著者  スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版   角川書店

 この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
 あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
 この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
 目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
 視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
 一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
 脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
 記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
 手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
 手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)

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2012年7月 2日

ソウルダスト

著者  ニコラス・ハンフリー  、 出版   紀伊國屋書店

 人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
 彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
 まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
 意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
 人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
 恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
 それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
 第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
 第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
 目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
 100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
 「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
 子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
 私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
 この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)

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2012年5月21日

眠りをめぐるミステリー

著者   櫻井 武 、 出版   NHK出版新書

 なぜ、あらゆる生き物は眠るのか?
泳ぎながらも眠るイルカ。脳の半分ずつ眠るのだそうです。横になって身体を休めるだけでは足りず、やっぱり睡眠が必要だというのは、なぜ?
眠っているはずなのに、目玉をキョロキョロ動かす。はては、眠っているのに動き出して、ウロウロする。料理を作って食べる。絵を描く。しかも、その絵は昼間にはとても書けない精密そのものの絵。さらには、眠っているのに、起き出して車を運転して人まで殺してしまう。そして、それをまったく覚えていない。
 ええーっ、ウソでしょ、単にとぼけているだけでしょ、と叫んでみたい気がします。でも、どうやら、本当に無意識のうちに行動するようなのです。監視カメラの映像を見て自分で驚いたというのです・・・。考えれば考えるほど不思議なのが眠りです。死は永遠の眠りだとよく言われます。本当にそうだとしたら、何も怖いものではありませんよね。
 それにしても、眠るとき、目覚めがあることを当然のように思っていますが、そのまま目が覚めずに亡くなっていった人は幸せだった(幸せな)のでしょうか・・・?
 夢はレム睡眠中に行われる、いわば記憶に対する情動によるタグ、あるいはアイコンをつける作業中、それがノイズとして意識にのぼったものなのではないかと考えられている。
 じっと休んでいのると、睡眠をとっているのとには、厳然たる差がある。眠りは、休んでいるという消極的な状態ではなく、積極的に脳のメンテナンスと情報管理を行うという能動的な過程なのである。人は一日の3分の1を眠って過ごし、その睡眠時間のうち、4分の1がレム睡眠である。
 ノンレム睡眠は、一般的に脳の休息、メンテナンスの時間だと考えられている。脳のエネルギー消費は一日の中で最低になる。ただし、必要に応じて寝返りなど運動することは可能な状態にある。ノンレム睡眠では、起床することはかなり困難だ。
 レム睡眠は、非常に特殊な状態にあり、脳は覚醒時に難しい数学の問題を解くなど、知的な活動をしているときよりも、さらに活発に活動している。
 レム睡眠中に覚醒させると、その人は見ていた夢の内容を詳細に話すことができる。
 レム睡眠のときには、脳幹から脊髄に向けて運動ニューロンを痲酔させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眠筋や呼吸筋などを除いて痲酔している。そのため、レム睡眠のときには、脳の命令が筋肉に伝わらないので、夢の中での行動が実際の行動に反映されることはない。そして、眼球は、不規則にさまざまな方向に動いている。中枢である脳はフル回転している。つまり、身体と脳のあいだの情報交換をカットした状態の中で、脳自体は活発に活動しているのがレム睡眠だ。夢中遊行の人が徘徊しているときには、深いノンレム睡眠の状態なのである。
生物にとって不利であるはずの睡眠が進化の過程でなくならなかったのはなぜか?
 逆に、進化するほど睡眠の必要性は高くなっている。脳の記憶システムが、シナプスの可塑性を記憶システムとして用いている限り、睡眠は必要なものなのである。
 安らかに眠り、爽やかに目が覚める。これが人生最良の日々ですよね。快眠は快便より快食より、何より優先するものですね。
(2012年2月刊。780円+税)

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