弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮

2017年4月18日

ルポ・思想としての朝鮮籍

(霧山昴)
著者 中村 一成 、 出版  岩波書店

ネットをみていると、いまの安倍政権を批判している人に対して、「反日思想を抱いている連中は、日本から出ていけ」と簡単に言う人がいて、本当に悲しくなります。
日本という島には多種多様な人がいるのを許容できない心の狭い、哀れな人です。きっと、幼いころから、周囲の人に愛されて育ったという実感のないまま成人してしまったのでしょうね。気の毒ではありますが、そんな自分の狭い体験にもとづく間違った考えを他人に押しつけてはいけません。
日本に朝鮮人がなぜ存在するのか、それはアメリカ人が日本にいるのとは違った歴史的経過があるということを、きちんと認識すべきだと日本人の一人として、そう思います。私の父も、戦前、三井の労務係員として強引に朝鮮人を日本へ連れてきたということを私自身は忘れてはいけないと考えています。
高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範、という6人の「朝鮮籍」にこだわっている人たちに、その理由をインタビューしたものをまとめた本です。なるほど、歴史は個人のなかに生きていると思いました。
2015年末現在の朝鮮籍者は3万4千人ほど。在日外国人全体の1.5%。韓国籍者は、その13.5倍。特別永住者に占める朝鮮籍者の割合は1割弱でしかない。
日本共産党が戦後の短い期間に無謀な軍事路線をとっていたとき、山村工作隊の隊長だった人物もいます。そこへ、元党員のナベツネ(渡辺恒雄)が取材に来るのです。その結果が、ナベツネの特ダネ(スクープ)となったのでした。
「潜水艦や金属活版だって朝鮮人が初めてつくった。天文観測を初めてやったのも朝鮮人だ」
本当なのでしょうか、私は知りませんでした・・・。
祖国とは、第一に民族。南か北か、総連か民団か、とかではなくて、民族としてどうあるべきかを考えてほしい。若い人に対して、こう言ってきた。
なーるほど、そうですよね。私も同感です。
1955年ころ、在日朝鮮人の生活保護受給率は2割をこえていた。これは全体の10倍になる。このころ、多くの「在日」は「今日のメシ」が課題だった。今では、世界有数の超大金持ちになった孫氏も鳥栖の朝鮮人集落で生活していたようです。
済州島4.3事件を描いた『火山島』の著者である金石範は、こう語った。
「私は、あくまで統一祖国を求める。実現すれば、そこの国籍をとり、国民となる。ただし、そのとき私は、もはや民族主義者ではない。それ以降は、必要に応じて国籍を放棄するつもりでいる」
この本を読むと、戦前と戦後は連続していること、そして、それが今につながっていることを実感させられます。私にしても、50年前の日本がどうだったのか、そう問われたら、思い出せないはずはありません。それは大学1年生の私がいたわけです(現在、68歳)。そして、大学1年生の経験があって、今の私があるわけなのです。連続性があってあたりまえなのです。
大変重たい内容の本でした。ずっしり感があります。
(2017年1月刊。2000円+税)
日曜日、春の陽気に誘われて庭に出て畑仕事をしようとして長靴に足を入れると、ふにゃりとした感触。あれ、どうしたんだろうと、逆さまにすると、なんと死んだ若モグラが出てきました。先日、風が吹いて長靴が倒れていましたので、起こしたのですが、倒れていたあいだに地上に出てきたモグラがトンネルと間違えて入っていたようです。可哀想なことをしました。
チューリップはそろそろ終わりかけていて、アイリスが咲きだしました。これからジャーマンアイリスそしてクレマチスが咲きそうです。
紫色のシラーもあちこちに咲いてくれています。ウグイスの美声の下、アスパラガスを収穫しました。太さも十分で、少し甘味があって美味しいアスパラガスでした。春らんまんの午後を楽しみ英気を養いました。

2016年11月15日

忘却された支配

(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版  岩波書店

中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)

2016年9月 1日

金日成と亡命パイロット

(霧山昴)
著者  ブレイン・ハーデン 、 出版  白水社

 朝鮮戦争が休戦となってまもなく、北朝鮮のパイロットがソ連製の新鋭ミグ15戦闘機に乗ったまま韓国に亡命した。本当にあった話なんですね、驚きました。
ミグ戦闘機といえば、函館空港に降り立ったソ連のパイロットがいたことを思い出しました。ベランコ中尉と言ったでしょうか・・・。函館でも、韓国の金浦空港でも、警戒されることもなく、無事に着陸できたのでした。
北朝鮮のパイロットの父親は、実は、日本の「日窒コンツェルン」の幹部社員でした。あのチッソの前身の企業です。このような父親の出身成分をうまく隠して、北朝鮮のエリートとも言うべきパイロットになったのでした。
1950年6月25日、北朝鮮は南侵を開始した。朝鮮戦争の始まりです。北朝鮮軍は怒涛の勢いで南下していった。しかし、北朝鮮には、戦闘の初日から克服しがたい弱点があった。空から攻撃されたら、壊滅しかねないということ。空軍は生まれたばかりで、訓練されたパイロットは、まったく足りない。当時の朝鮮人民軍にはパイロットが80人しかいないうえ、いくらか役に立つのは、そのうち2人だけだった・・・。
北朝鮮の空軍は、パイロットの飛行技術より、政治的忠誠を重視していた。政治将校はパイロット訓練生を注意深く観察し、単独飛行の機会をとらえて韓国に亡命しそうな者を特定して排除しようとしていた。亡命を考えていた盧は、それを隠すために愛国心の隠れ蓑を着る必要があった。そこで、親共産主義の新聞を創刊し、熱狂的共産主義者として、その編集長に就任した。
ソ連製のミグ15は、アメリカのどの飛行機より時速160キロも速かった。ソ連は、ミグ戦闘機を1万2000機も製造した。しかし、ミグ15は、速度は速くても、壊れやすく、乗り心地は悪く、操縦が難しかった。
1953年3月5日、スターリンが死んだ。
1953年9月21日、盧は北朝鮮を朝9時7分に飛び立ち、韓国の金浦空港に9時24分に着陸した。5年8か月かけて亡命計画を立てたが、実際の亡命飛行に要したのは17分間のみ。金浦空港にいたアメリカ軍は不意打ちを喰った。誰も敵のミグ戦闘だとは気がついていなかった。
北朝鮮はこの亡命を発表できずに「無視」した。そのため、ミグ15機は、今もアメリカの空軍博物館にあって展示されている。そんなこともあるんだねって、不思議な気がしました。
(2016年6月刊。2400円+税)

2016年7月 4日

白磁の人

(霧山昴)
著者 江宮 隆之 、 出版 河出文庫 

日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮民族の文化を尊重して、地を這うように活動していた日本人がいたんですね・・・。
浅川巧という人物です。いまもソウル郊外の共同墓地に眠っています。韓国の人々によって浅川巧の墓は今日まで守られてきました。碑文には、次のように書かれています。
「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土地となれり」
日本帝国主義の先兵となった日本人ばかりではなかったことを知り、うれしく思いました。
浅川巧は明治24年(1891年)に山梨県に生まれた。生まれたのは山梨県北巨摩(きたこま)郡。この巨摩というのは朝鮮半島の高麗(こま)人が住んだところという意味。つまり、浅川巧には、遠い朝鮮民族の血が流れている・・・。
浅川巧の兄・浅川伯教は、近代日本人として初めて李朝白磁の美に着目した。李朝白磁は、それより前に高い評価が定着していた高麗青磁に比べて、まだその美しさが認められておらず、二束三文で当時の朝鮮で、古道具店に置かれていた。
日本に併合される前、朝鮮の山は、その多くが共同利用地となっていた。「無主公山」と呼ばれて、個人所有者こそいないものの、共同で入会権をもつ山である。ところが、日本政府は軍用木材を必要としていたことから、韓国政府に「無主公山」を国有林野とさせたうえ、日韓併合によって日本の国有林とした。それによって朝鮮の人々は、共同利用地としての入会権を失った。そして、次に朝鮮総督府は、「朝鮮特別縁故森林譲与令」という奇異な法令によって、日本人や親日派の朝鮮人地主に分け与えた。新しい地主は、軍用材の需要にこたえて、もらった山林を乱伐していった。こうやって、朝鮮の山が荒れていった。
浅川巧は、そんな状況下で林業試験場で働いた。
李朝の陶磁には、白磁が断然多い。それは李朝の人々が白を貴び、白を愛好し、白色についての認識と感覚に優れていたせいだろう。
白磁の原料である白土も全土で見つけることができた。量も質も、とても良好な白土だ。
李朝時代の人々は、清浄潔白に対する敬愛の念から人間としても『清白の人』を理想とした。着衣も、上下ひとしく白衣を用いた。祭礼用の儀器も祭器も、ほとんど白磁だった。
京城で、日本軍人から迫害される唯一の日本人・浅川巧を周囲の朝鮮人は、敬愛し、敬慕した。
浅川巧は、ひどい目にあってもチョゴリ・パジを脱ごうとせず、朝鮮語で話し、笑った。朝鮮人は日本人を憎んだが、浅川巧は愛した。
浅川巧は昭和6年(1931年)4月、40歳で病死した。
日本敗戦のあと、在朝日本人の立退を求めて朝鮮の民衆が押しかけてきた。浅川巧の遺族の家に来たとき、浅川巧の家であることを知ると、人々は何もしないで立ち去ったそうです。死せる巧は、最愛の二人、妻と娘を守った。
映画にもなったそうですね。残念なことに、私は知りませんでした。170頁ほどの文庫本ですが、涙なくしては読めませんでした。
(2012年6月刊。580円+税)

2015年12月27日

朝鮮・東学農民戦争を知ってますか?

(霧山昴)
著者  宋 基淑 、 出版  梨の木舎

  日清戦争が始まったのは1894年。その年に、朝鮮半島で、農民が立ちあがりました。
  はじめ、敵は中国でも日本でもなく、朝鮮王朝の横暴な政治への抗議行動でした。
  1000人で始まった農民軍の戦いは、次第に増えていき、ついには、何万人、何十万人へとふくれ上がっていきます。朝鮮王朝の政府軍に対しては、農楽隊が景気づけをしながら、鶏かご作戦など、知恵と工夫で連戦連勝していきます。
  ところが、中国軍が登場し、さらには、日本軍が出てくると、農民軍は竹槍主体でしかなく、武器・弾薬がたちまち欠乏して、日本軍の近代兵器の前には、なす術もなく敗退していきます。日本軍は戦上手なうえに冷酷無比。農民軍を圧倒し、虐殺の限りを尽くすのです。
  日本人として、日本が朝鮮半島を植民地化していく過程をきちんと認識しておく必要があると痛感しました。
  この本には、初めにマンガで少し背景の説明があります。それで、イメージをもって本文にとりかかれます。本文は、子ども向けのように分りやすい文章で、農民軍のたたかいの苦労がよくよくしのばれます。
この本の最後に訳者あとがきのなかで、1995年に北海道大学の研究室で発見された「東学党首魁」の頭骨のことが紹介されています。日本にとっては単なる反乱軍のリーダーだったのでしょうが、朝鮮・韓国の人々からすれば、まさしく英雄です。遺骨を韓国へ無事に送り返すことができたのは大変すばらしいことだと思います。
  このあと、朝鮮では、日本の植民地支配に抗して1919年3月1日に3,1独立運動が起きます。民族の独立と自由ほど尊いものはないのです。
  この本は、そこに至る朝鮮の人々の姿を生き生きと描いています。
  
(2015年8月刊。2800円+税)

2015年8月20日

北朝鮮の核心

(霧山昴)
著者  アンドレイ・ランコフ 、 出版  みすず書房

 北朝鮮の金正恩政権がいつまでもつのか、大勢の人が心配しています。もちろん、私も、その一人です。
 張成沢の電光石火の処刑には驚かされましたが、その後も副首相などの処刑が相次いでいるというニュースが流れています。
 いったい、なぜ時代錯誤のような政権が今もなお続いているのか、北朝鮮国内には抵抗勢力はいないのか、不思議でなりません。
 でも、日本も今の自民党を見ていると、同じようなものですよね。多くの国民の意見を無視して戦争法案の成立を強行しようとする安倍首相に対して、あれだけたくさん自民党議員がいるのに、ごく少数の議員を除いて、誰も公然と反対意見を述べれらないのですから。
 北朝鮮だと、それこそ銃殺されるか、強制収容所送りなのでしょうが、日本の自民党議員は自民党公認を得られないかもしれない、だから次は国会議員になれないかもしれないというだけで、安倍首相に文句の一つも言えないのです。情けなさすぎます。
 北朝鮮の指導層は、大国の足並みの乱れを最大限に利用している。理性を欠く国にできることではない。指導層は自分たちが何をしているのか、実際には、完全に分かっている。頭がおかしいわけでも、イデオロギーの虜(とりこ)になっているのでもなく、むしろ冷徹な計算のできる有能な人々である。現代世界で、もっと非情なマキャヴェリ思想の実践者といえる。
 1990年ころ、国内事情の事態が悪化したとき、エリートたちと金一族は改革を避けることにした。国と自民民を支配しつづけるためだ。別の方向に舵(かじ)を切るのは自殺に等しいと考えている。
10万人近い在日朝鮮人が北朝鮮へ「帰国」した。この帰国者たちは、特権を有すると同時に差別されているという奇妙な立場におかれた。1990年代はじめまで、日本からの送金は、北朝鮮にとって、大きな収入源だった。
朝鮮戦争では、平和条約は結ばれていない。1953年に調印されたのは、あくまで休戦協定にすぎない。
 1968年に、北朝鮮は1月と秋に2回、韓国に特殊部隊を送り込んだ。1月には31人が大統領官邸を襲撃しようとした。秋には120人規模で韓国の東海岸に上陸し、失敗した。
 1983年、ビルマのラングーンで韓国の大統領暗殺未遂事件が起きた。
 1987年1月、韓国の旅客機が空中で爆破された。1988年のソウル・オリンピックを妨害する目的だった。
 北朝鮮の社会には、厳然たるカースト制度がある。核心階層、動揺階層そして敵対階層である。この成分は、男親を通じて受け継がれる。
北朝鮮は収容所国家である。2012年の推計によると最大12万人が収容所で生活している。
2008年、北朝鮮の平均寿命は69歳。乳幼児の死亡率が低いのは、政府が個人のプライバシーに踏み込んで全国民を管理しているから。
 北朝鮮のインフラは、植民地時代末期から、ほとんど変わっていない。農業ほど、ひどい打撃を受けた分野はない。
 北朝鮮の平均月給は1995年から2010年まで、2~3ドル。しかし、実際の月収は25~40ドル。庶民の大半は、収入の多くをインフォーマルな経済活動によっている。
中朝間の国境警備は、今ほとんど機能していない。警備兵にリベートを払って、密輸業者が活躍している。
 北朝鮮を脱出して中国に隠れている人々は、常時1万人以上はいるとみられている。
韓国在住の北朝鮮難民の平均所得はわずか1170ドルで、韓国人の平均給与の半分でしかない。
 北朝鮮出身の学生には、韓国の大学で前提とされる基本的な知識やスキルがなく、この点で、韓国人学生に差をつけられている。
 北朝鮮のトップエリートとヤミ市場の流通業者は、根本のところで利害を共通にしている。しばらくのあいだ北朝鮮が分断国家として存続することを望んでいるのだ。
 北朝鮮の指導層は、はじめに危機をつくり出して緊張を高め、危機の生じる前の状態に戻す見返りに交渉相手から金銭と譲歩を引き出す。これに長けている。
 中国政府が何より恐れているのは、北朝鮮に内部崩壊が発生することで引き起こされる情勢不安定。難民の大量流入、大量破壊兵器の拡散である。そして、それは中国国内に何らかの社会不安を誘発する心配がある。
 中国政府の立場では、分断状態が続くことには、いくつもの利点がある。その一つが北朝鮮の鉱物資源を中国企業が安く手に入れることができるということ。
 北朝鮮のエリートは、政権が崩壊したら、敗者として処刑されるか、リンチで殺害されるという恐怖をいだいている。このようなエリートは、家族をあわせても100万人から200万人ほどで、全人口の5~7%にすぎない。しかし、彼らは武器を扱えるし、組織を掌握している。
長い目で見れば、北朝鮮の政権は持続不能だ。統一後の混乱に今から備えておく必要がある。北朝鮮の金一族に協力したことについて、一切を問わないようにしないといけない。   
とても説得力のある本でした。北朝鮮が今にも日本に攻めてくると真面目に心配している人には、ぜひ読んでほしい本です。北朝鮮は、それどころではないことが、よく分ります。
            (2015年6月刊。4500円+税)

鳥カゴのなかの幼鳥は、羽を広げることはできるし、少しは飛べる。あと何日かしたら自由に飛べるだろう。その直前にヘビに狙われて、巣から追い出されたわけだ。
 夕方暗くなるまで、ヒヨドリの親たちはうるさく鳴いていた。幼鳥たちも小さな声で応じている。
 夜は家のそばに置き、フタをしてふろしきで覆った。ヘビもいるけれど、猫が入ってくる。
 朝になった。鳥カゴのフタをはずして庭に置いてやる。親鳥が鳴いているのを聞いて、大きな幼鳥は鳥カゴを飛び出し、スモークツリーの枝にまで上がった。
 小さい方の幼鳥は鳥カゴのなか。親鳥は鳥カゴの中までなかなか入らなかったが、ついに餌を与えた。
 これで、なんとか大丈夫かな、、、、。

2014年10月22日

北朝鮮、首領制の形成と変容


著者   鐸木 昌之 、 出版  明石書店

 北朝鮮の現在をどうみたらよいのか。その点について深く究明した本です。本当に大変勉強になりました。
 金正恩は張成澤を死刑にし、即刻、処刑した。張成澤は、金正日の妹である金敬姫の夫。ときに大将の階級章をつけて軍服を着て登場していた。
 張成澤は2013年12月8日、党中央委員会政治局拡大会議で、反党反革命宗派行為を犯したとされ、すべての職務から解任し、一切の称号を剥奪し、出党、除名された。その4日後の12月12日、国家安全保衛部の特別軍事法廷で、張は「国家転覆陰謀行為」が刑法60条に該当するとされ、死刑となり、直ちに処刑された。
 なぜ処刑されたのか、しかも秘密裏にではなく、報道して知らせたのか。今回の粛清は、北挑戦粛清史でも異例である。
金正恩は中国の介入を恐れた。張成澤は、北朝鮮で唯一外貨を豊富につかって国内の多くの問題を解決できる存在にあった。他方、金正恩は真綿で首を絞められる状態に陥った。張成澤の処刑と報道は、金正恩が中国と国際社会の要求する核兵器の放棄を拒絶したことを明らかにしたもの。首領制の核心は、核兵器であることを中国と国際社会に公然と示した。
 しかし、張成澤の処刑後、金正恩は、恐怖によって矛盾を一時的に押さえつけたものの、直面している問題を何ら解決できていない。金正恩が問題解決できるのか、そのカギは中国が握っている。北朝鮮が内閣中心制にかえようとしても、北朝鮮の外貨資金は中国の掌中にあるからである。
 金正日は、軍が非政治化する、すなわち党の統制から離れることをもっとも恐れた。党の統制から離れた軍は、いつ自分に刃を向けるか分からない。それがソ連崩壊から学んだ教訓だった。
 金正日は、金日成政治を継承すると言いながらも、それを部分的に否定し、自らの独自性を主張した。金正日は、父親を部分的に否定しなければ自らの時代を切り開けないことを知っていた。だからこそ、父親の百喪を契機に、「先軍政治」を言いはじめた。先軍政治の要締は、人民軍が金正日に対して無限の忠誠を誓っていることにある。
 先軍政治とは、朝鮮人民軍を金正日護衛軍としてつくることから始められた政治方式である。金正日は、自分の周囲の人々を信頼できず、徹底的に孤独だった。金正日の孤独感が、北朝鮮の孤立にも投影している。
 先軍政治は、軍隊に依拠すると強調しつつも、実際には、軍隊に対する党の優位は、金日成から金正日、そして金正恩時代になっても一貫している。人民軍は、党綱領にも憲法にも規定されているとおり、労働党の領導を受ける革命武力である。
金日成の時代は、人民武力部が総参謀部の上に常に位置していた。しかし、先軍政治が始まると、人民武力部長は総参謀長の次に座るようになった。
 金正日は、総政治局長、総参謀長、人民武力部長の三線垂直体制をつくり出した。金正日は、この三人を相互牽制するようにした。その結果、総政治局、総参謀部、人民武力部の順位となった。そして、護衛司令部、人民保安省、国家安全政治保衛部など、その麾下に実力部隊をもつ機関も人民軍と相互牽制させた。金正日は、それらのバランスの上に立って、独裁権力を維持しようとした。
 イデオロギー上の説明とは異なり、先軍政治とは、人民軍を中心としたものではなかった。その中核は、特殊部隊と核兵器だった。北朝鮮は、ソ連・中国という後ろ盾がないなかで、特殊部隊と核兵器に頼らざるをえない。核は体制の護持そのものである。
 特殊部隊は、人民軍の上に置かれた。そのため、党作戦部が先頭に立った。党作戦部は、特殊部隊のなかの特殊部隊となった。この結果、先軍政治を強調されながらも、最大の被害者は、皮肉にも人民軍だった。
 先軍政治は「首領の経済」と呼ばれるものが支えた。金正日は、外貨を内閣の管轄下や計画経済のもとに置くことを望まなかった。人民経済は、金正日の登場とともに、内閣の管轄に属されない特殊経済機関と単位によって浸食された。
 人民経済の市場化が進行した。北朝鮮は、社会主義でもない。
 国家の制度的統一性と継続性が失われていった。金日成と金正日の教示の絶対性がこれに拍車をかけ、社会を無秩序化し、混乱させた。北朝鮮社会は変化を起こしているというより、崩壊の過程に入っている。
 それでも体制が維持されているのは、むき出しの暴力が人々に向けられているから。
 とても納得できる分析が満載の本です。北朝鮮の内情に少しでも関心を有する人へ一読を強くおすすめします。
(2014年1月刊。2800円+税)

2014年4月 2日

北朝鮮経済のカラクリ


著者  山口 真典 、 出版  日系プレミアシリーズ

 北朝鮮が日本にとって不気味な国であるのは間違いありません。ところが、安倍首相は、そんな日本国民の心理を利用して、北朝鮮にミサイルを先制攻撃できるようにしようというのです。それは戦争です。恐ろしいことです。北朝鮮が反撃として、日本に50以上ある原発にミサイルを撃ち込んだら、たちまち日本は破滅してしまいます。やめてください。安倍首相の危険な「火遊び」につきあわされて、日本という国が消滅するのを指をくわえて眺めているわけにはいきません。
この本は、北朝鮮経済のいびつな構造に迫っています。
 金正恩は、2012年4月に朝鮮労働党第一書記に就任し、主要な最高権力ポストをすべて引き継いだ。
 金正日の「遺言状」のなかには、海外銀行の資金は金正恩が管理しろ、原子力発電所を少なくとも3個は建設しろ、というのがあるそうです。前者は既に実現しているのでしょうが、後者はどうなのでしょうか・・・。
 父親の金正日の哲学は、権力を持つ第二人者(ナンバーツー)の台頭は絶対に許さないことにあった。頂点に立つのは、最高指導者ただ一人だけで、残りの側近は、全員を水平的に配置して、互いに牽制させた。自らを脅かす勢力が台頭してくる前にその芽を摘む。
 金正恩が、先日、張成沢を銃殺してしまったのも、その哲学を実践したということですね。
北朝鮮には、国の公式経済とは別に、予算数字に計上されない非公式の経済が存在する。軍需経済と王室経済だ。軍需経済は、労働党の中央軍事委員会と軍需工業部が統括し、第2経済委員会が傘下の武器工場や商社、金融機関などを通じて執行する。
 王室経済は、単に金正日ファミリーがぜいたくするためだけの資金ではない。自らの体制を支えてくれる幹部の忠誠心をつなぎとめる目的のための仕組みだ。この秘密資金を管理するのが労働党39号室だ。ところが、近年、北朝鮮では指導部の把握できない「ヤミ経済」がどんどん膨らんでいる、蔓延する「賄賂文化」もヤミ経済の一部だ。
 北朝鮮の社会は、出身成分でも将来が決まる。成分は大きく分けて三つ。核心階層、動揺階層、敵対階層。日本からの帰国者は敵対階層という低い成分に分類され、日常生活でもいろいろな制約を受ける。
どんなに庶民が貧しくても、平壌に住む幹部の生活さえ保障していれば、体制が揺らぐことはないとされる。
 平壌市民250万人のうち、十分な食料品や生活用品の確保など、手厚い庇護を受けている党や郡の幹部が50万人いる。なかでも2万人の高級幹部は、優遇されている。
 エリートたちの忠誠をたもつためには、現金や物資にあわせて年に10億ドルが必要だ。
 北朝鮮の全人口は2400万人。核心階層と労働党員が300万人いる。
北朝鮮の庶民が沈黙している理由の一つは、徹底した相互監視システムにある。
収容所にも二つある。生涯出所できない「完全統制区域」と、比較的罪の軽い政治犯で出所の可能性がある「革命化区域」。
 北朝鮮で軍のクーデターが起こる可能性は、まずない。その根拠は、ローヤルファミリーを警護する護衛司令部の存在。護衛司令部は、陸海空あわせて5~6師団の10万人。これは人民軍から切り離して、軍よりも最新鋭の武器や装備を供給した。
 軍は、クーデターを防ぐため、陸・海・空軍の指揮命令系統を別々にしている。
 平壌付近には、大規模な兵力を配置していない。軍の部隊が決定を下す際は、3人の指揮官全員の合意が必要だ。
 金正日の外交術には一定のパターンがあった。緊張を高めたあとで、少しだけ譲歩し、最大限の見返りを得る。日米韓の連携を揺さぶる。
 金正日の統治は、絶対に自分から指示しないことが特徴だった。失政の責任は全部を部下が負う。最高指導者の決定に間違いはありえないのだ。
 北朝鮮は、武器輸出で年に1~4億ドルの外貨を稼いでいる。アヘンや覚醒剤の生産もしていた。アメリカ・ドルの偽造もしていた。ニセ・タバコもつくっていた。
 北朝鮮は海外出稼ぎ大国である。世界40ヶ国に5万人の労働者を派遣し、年間3億ドルを稼いでいる。
北朝鮮人民軍は117万人。予備役は740万人をあわせると、全人口2400万人の4割が軍人となる。男性人口の1割は軍人だ。
 北朝鮮兵士の平均身長は韓国兵に比べて15~20センチも低い。これは栄養状態の違いによる。
北朝鮮という国が、いつまでもつのか分かりませんが、本当に異常な状況だと思います。そして、韓国も中国も、そして日本もアメリカも、すぐに国(金正恩体制)が崩壊しないように支えているというのが現実なのではないでしょうか・・・。
 そして、脅威だけはあおって、安倍首相のように利用しているのです。
(2013年12月刊。850円+税)
 月曜日に東京に行ってきました。日比谷公園の桜が見事に満開でした。しだれ桜もありましたが、これもソメイヨシノなのでしょうか。奈良から来ていた弁護士が、うちは5分咲きと言っていました。大阪は、なぜか東京より遅いのですよね。
 3年近くつとめていた日弁連の委員長職から解放されました。重責で肩の重味がとれて、ほっとしています。
 わが家の庭のチューリップも満開です。庭のあちこちに500本のチューリップの花が咲いて、春到来をまさしく実感させてくれます。
 紫色の豆粒のような、ハナズオウの花も咲いています。

2013年5月29日

近代朝鮮と日本

著者  趙 景達 、 出版  岩波新書

両班(ヤンバン)とは、本来、東班=文官と西班=武官の総称であり、文部官僚を意味する言葉であった。両班とは官僚を意味したが、いつしかその意味が拡散し、長きにわたって官僚を輩出していない家門のものであっても、在地社会では両班と認知されることがあった。
 両班とは、一貫して、法制的な手続を通じて認定された階層ではなく、社会慣習的に形成された階層であり、両班がそうでないかの基準は非常に相対的で主観的なものであり続けた。両班には、大きく京班(在京両班)と郷班(在地両班)があったが、在地両班の場合には、ある地方では両班と認められても、他の地方に行けば両班と認定されないこともあった。
 地方官志願者は多数存在し、それを勝ち抜くには賄賂が必要であり、地方官は君子然としてばかりいてはなれるものではなかった。また、胥吏(しょり)は役務であったために俸給がなく、給与の自己調達=行政手数料のようなものとして、勢い民衆収奪するしかなかった。民衆の側も、納得できる範囲であれば、権力の側の収奪を必ずしも不正とは考えなかった。救難事には、守令は確かに賑恤(しんじゅつ)を行おうとした。胥吏も、凶作時には収奪をゆるめて徴税に手心を加えた。
 民衆は、儒教的民本主義に訴えて、賑恤を正当な権利として要求した。治者と民衆との間には、奇妙な共生関係=秩序が成り立っていた。
 朝鮮社会にあって、氏族と農民は村々で共生した。民衆の両班観は、愛憎相反ばするアンビバレントなものであった。やがて、両班に士族とは何かが問われはじめていった。士とは朝鮮の固有語ゾンビに対応する漢語であり、本来、身分を超越して学徳を備えた人格者を指称する語である。
 朱子学にもとづく仁政イデオロギーは、朝鮮でも日本でも確かに機能したが、朝鮮では統治の原理そのものであった。日本では統治の手段であった。原理をもった社会というのは、そうたやすく自らを変えることができない。
 民衆をもっとも不安にさせたのは、何よりも飢餓の恐怖だった。民衆はもはや真人の出現を待つ余裕をなくしていた。
 東学は、人間平等の論理をはらんでいた。
 近代日本の膨張主義のうえで重要な人物は吉田松陰である。松陰は、将来ロシアに奪われるであろう富の代償として、朝鮮を手はじめとする大陸への侵攻を構想した。松陰にあっては、朝鮮は日本の下位に位置づけられ、古来、日本に朝貢すべき国として認識されていた。兵威をもって朝鮮を屈服させるべきだとけしかけたのは、松陰の弟子・木戸孝允だった。木戸孝允は、朝鮮が天皇に朝貢してこないときには、侵略すべしと岩倉具視に提言していた。明治維新は、その初めから侵略思想を内包していた。
 大院君の改革は士族の反感を呼び起こしたが、民衆の大院君に対する人気は絶大だった。しかし、景福宮再建工事は、大院君失脚の大きな一因となった。
 1987年5月の辛未(しんぴ)洋擾では、朝鮮軍はアメリカ艦隊に敗北はしたが、大変な激戦だった。これはアメリカの公使や指揮官にとって意外なことだった。崇文の国だと自負する朝鮮が、武威の国だと自負する日本以上に頑強に抵抗したのであった。
高宗の妃である閔氏は戚族と組んで、大院君の失脚を企んだ。そして、ついに失脚させることに成功した。1873年12月のこと。
 1876年2月、黒田清隆全権大使は、軍艦6隻を率いて江華島に現れ、兵員4000名と号した。ペリーの故知に倣うような威圧外交である。朝鮮側は、日本の威圧外交に憤慨はしたが、御前会議では開国やむなしが大勢を占めた。そして、江華島条約が結ばれ、日本の治外法権が認められ、朝鮮の関税自立権も否定された。しかし、治外法権は、倭館外交対馬藩に認めていたこともあって、不平等条約という認識は朝鮮側にはなかった。
 1882年7月、壬午軍乱によって大院君は政権に帰り咲いた。しかし、翌月、中国軍が大院君を拉致して、大院君の反乱は終息した。
 1884年12月、甲申政変が起きた。開化派は信頼していた日本にも裏切られた。
日清戦争直後の1895年10月、日本軍は、朝鮮王宮に侵入し、閔妃を殺害して死体を焼き払った。閔妃虐殺事件である。一国の公使が赴任国の王妃をほぼ公然と虐殺するというのは、世界史に類例をみない驚天動地の事件である。しかも、事件の背後には大本営が控えていた。首相の伊藤博文も同意していた。
 日清戦争後、日本人は朝鮮各地に入り込んで高利貸しを行い、朝鮮人の名義で土地を入手しはじめた。日本は朝鮮半島を丸ごと軍事占領しようとした。これが日露戦争につながった。
 韓国併合に先立って、朝鮮は実質的に日本の植民地になっていた。
日本と朝鮮との密接なかかわりを改めて知り、考えさせられました。
(2012年11月刊。840円+税)

2013年2月10日

拉致と決断

著者  蓮池 薫 、 出版  新潮社

著者は1957年に生まれ、1978年、21歳のとき、中央大学法学部3年に在学中に拉致され、以来24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされました。
 何の落ち度もないのに、異郷の地に連れ去られ、仮面を被った生活を過ごさざるをえなかったのです。どれほど悔しい思いをしたことでしょうか・・・・。
 日本で考えられている自由の基準からすると、拉致被害者はほぼ完全に自由を奪われていた。「身体の自由」もままならない状態だった。行きたいところには行けず、連絡したい人とも連絡ができない。その理由は、拉致という事実、拉致被害者が存在するという極秘事項の漏洩と拉致被害者の逃亡を防ぐことにあった。招待所の周辺を散歩する自由くらいしかなかった。
 一番悔しかったのは、人生の幸せを追い求める自由を奪われてしまったことだった。
 著者一家は、日本人ではなく、「帰国した在日朝鮮人」と偽装した。著者たち拉致被害者が帰国できたのは、北朝鮮経済の不振が極限に達していて、指導部を窮地に追い込んでいたことによるものだろう。
 著者は子どもたちに日本語を教えなかった。それは、将来、工作員のような危険な仕事をさせられることのないようにするためだった。これは、夫婦で話しあって、ひそかに決めた。
 北朝鮮の社会はほぼ慢性的に食糧不足に苦しんでいた。だから、北朝鮮の人々は、食糧配給にことのほか敏感だった。引っ越しはもちろん、出張・旅行するときにも、配給制はついてまわった。配給制は、北朝鮮の人々の運命を大きく左右する国家のかなめの制度だったが、1990年代に入ってから、それがほころびを見せはじめた。
 子どもたちが寮に入ったとき、食べ物を小包で送ることはできなかった。届く前に郵便局員に奪われるのが常だったから。そこで、寮に戻る前に、子どもたちには煎った大豆をもたせた。十分に成長できないまま大人になってしまうのを心配して、1日2回、5、6粒ずつ数えて食べろと念を押して送り出した。うひゃあ、これはすさまじいことですね。
北朝鮮では、食べられるものが捨てられることなどない。
 節酒令や禁酒令は国民の健康や社会風紀維持のためというより、穀物(トウモロコシ)の浪費を防ぐのが重要な目的だった。著者も、トウモロコシが1粒落ちていても、拾っていたということです。厳しい社会環境ですね。日本にいると、とても想像できませんよね。
 著者は日本に帰国したあと、中央大学に復学し、今では著述業、翻訳家として活動しています。この本を読みながら、とても理知的な人だと思いました。
(2013年1月刊。1300円+税)

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