弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2018年5月15日

つくられた恐怖の点滴殺人事件

(霧山昴)
著者 阿部 泰雄 ・ 山口 正紀 、 出版  現代人文社

私の弁護士生活も45年となりましたが、残念なことに勇気ある裁判官、真実を直視しようとする気骨ある裁判官が本当に少ないと実感します。たまに出会うと感激ものです。
2001年に仙台で起きた「筋弛緩剤点滴殺人事件」が、実は何の科学的根拠もない警察による見込み捜査にもとづくものであり、警察とマスコミのつくりあげた「犯罪」だったことを明らかにした本です。
亡くなった小学6年生の女児は、その症状から筋弛緩剤中毒ではなく、別の急性脳症(ミトコンドリア病)だったというのです。ところが、医療の素人である裁判所が専門医の鑑定結果を受け入れないとは、いったいどういうことなのでしょう・・・。
そして、鑑定資料が警察鑑定によって全量消費されてしまって、残っていないというのにも驚かされます。これでは、追試ができません。警察による証拠隠し(いん滅)としか言いようがありません。
有罪が確定した守大助氏の父親は警察官でしたが、定年退職までつとめあげ、今では息子の無罪を訴えて、夫婦で全国をまわっているとのこと。すばらしいことです。
守大助氏は当初「自白」していますが、これを重視すべきではないのに、裁判所は鬼の首でもとったかのように考えています。まったくの間違いです。古今東西、やってない人が「自白」するのは、いくらでもあることです。その「自白」が客観的証拠と矛盾しないのかどうか、慎重に裁判所は検証していかねばなりません。
事件からすでに17年がたっています。裁判所には無罪の扉をぜひ開けてほしいと思います。私と同期の阿部泰雄弁護士の奮闘には心から敬意を表し、多くの人に一読をおすすめします。
(2016年12月刊。1700円+税)

2018年5月10日

天文館強姦えん罪事件報告書

(霧山昴)
著者 伊藤 俊介 ・ 西田 隆二 ・ 野平 康博ほか 、 非売品

天文館事件が福岡高裁高崎支部で無罪判決が出て、検察官の控訴がなく確定したあと、控訴審弁護団がその教訓を座談会を通じて明らかにしたものです。私はゴールデンウィーク中は自宅に籠っていましたので、一気に読了しました。
控訴審(裁判長・岡田信、増尾崇・安部利幸裁判官)の無罪判決は30頁もあって詳細をきわめていて、読むとなるほどと説得力があります。それにひきかえ、一審で有罪とした判決文は9頁しかなく、拙劣としか言いようがありません(裁判長・安永武央、植田類・竹中輝順裁判官)。この3人の裁判官の名前はしっかり記憶しておくことにします。
一審判決は「典型的な路上強姦の事案」だとしながら、しかも路上に2回も倒されたという被害女性の着衣にも人体にも何ら損傷がなかったことを検察官も認めているのに、「客観的事実と矛盾」しないとしているのです。でも、まあ、これは許される事実認定の幅なのかもしれません。さらに重大なのは、路上での強姦行為が「45秒間」で成立したかのような事実認定をしたり、行動手順の時間経過を裁判所が勝手に入れかえたうえで「客観的に不可能」とまでは言えないとしているのです。そして、きわめつけは、被害女性から検出された精液が被告人のものとは認められていないのに、被告人を強姦罪で有罪としたのです。信じられません。開いた口がふさがりませんでした。
この点、控訴審はあらためてDNA鑑定をした結果、被告人とは別の男性の精子が検出され、被告人のものは検出されていないとしています。そして、これは、警察の鑑定結果が被告人のものではなかったことから、虚偽の報告をしてごまかしたのではないかと指摘しています。モリ・カケ事案においてアベ政権がやったことと同じですね。権力(警察と検察庁)がウソとごまかしをしてはいけません。
控訴審判決は精子のDNA鑑定で被告人のものが検出されなかったので、それだけで無罪にできるところを、前述したように、さらに他の論点まで触れて、被告人の無実を完璧に明らかにしています。ついでに、和久本圭介検察官(この人の名前も覚えておきます)が、こっそり鑑定したことを厳しく弾劾しています。
弁護団の座談会は47頁もあり、やや未整理で冗長なところもありますが、それだけに臨場感をもって苦労話を追体験できます。
そもそも鹿児島一の繁華街である天文館で、たとえ夜中の2時であり、裏の路地であっても、路上強姦が果たして可能なものなのか・・・。弁護士たちはその時間に現場に立ってみます。そして、街頭や店舗の監視カメラの映像を求めて聞き込みに歩くのです。なるほど、弁護人の無罪立証のためにはそこまでしなくてはいけないのですね・・・。今村核弁護士をテーマとしたNHKの「ブレイブ」を思い出しました。
それにしても、逮捕されてから保釈が認められるまで、被告人が2年4ヶ月も拘留されていたというのは裁判所は本当はひどいです。DNA鑑定で被告人とは別の男性の精子が出たことが分かってからかのことです。いま、モリトモ事件でカゴイケ夫妻が半年以上も拘置所に入れられています。逃亡も証拠隠滅もまったく心配ないのに、裁判所が保釈を認めないのです。人質司法というより、政治におもねる裁判所を許せません。広島で民商の女性事務局員が否認したら1年以上も拘留されていたことがありました。裁判所は、自分の頭で考えるべきですし、過ちを素直に認めるべきだと思います。本件で一審の安永武央裁判官たちは無罪確定のあと少しは反省しているのでしょうか・・・。
裁判所に青法協会員がいなくなり、裁判官懇話会が消滅してしまって久しくなります。真面目な裁判官は、どうやって励ましあっているのでしょうか・・・。大いに心配です。
いい冊子でした。DNA鑑定の実際を知ることができるなど、実務的にも大変勉強になる報告書です。弁護士のみなさん、ぜひ手にとって読んでみてください。
(2018年4月刊。無料)

2018年4月28日

弁護士50年、次世代への遺言状

(霧山昴)
著者  藤原 充子 、 出版  高知新聞総合印刷

高知県での弁護士生活が50年になった著者が、その生い立ちから弁護士になるまでの苦闘の日々を振り返っています。
戦前は高等女学校に入ると、戦争たけなわですから、軍需産業へ女子挺身隊として駆り出され、勉強どころではありませんでした。学徒動員で働いていた工場がアメリカ軍の爆撃で焼失し、恩師も亡くなっています。
戦後は、大学に入ることができず、神戸経済大学専門部に入ります。そして、中学教師になるのでした。英語と高等科目を教え、日記は英語で書いていたのです。すごいですね。私もフランス語で日記を書こうかなとチラッと考えたことがありますが、すぐあきらめました。語学の勉強は毎日それなりの時間を確保する必要があるからです。私は読書のほうを選びました。
教師生活1年半のあと、三菱信託銀行神戸支店で働くようになりました。銀行では男女差別と果敢にたたかい、労働組合に婦人部をつくろうと必死でがんばります。銀行内には、男女差別は当然だという声が強くて、著者が支店で活躍するのを心良く思わない上司がいたようです。残念ですが、本当でしょうね・・・。
銀行で与えられた仕事についての不満から、次第に銀行を辞めて法曹界への転身を考えるようになったのです。著者は苦労したあげく司法試験に合格し、司法修習20期生になりました。同期には、江田五月、横路孝弘、高村正彦、そして宮川光治・元最高裁判事がいます。
著者は、原発と同じくアベ改憲は許さないと叫んで訴え、これまでスモン訴訟をはじめとする大型裁判にはいくつも加わっています。弁護士としての50年の歩みは下巻で紹介されていますので、今から楽しみです。
(2017年6月刊。1389円+税)

2018年4月27日

小説・司法試験

(霧山昴)
著者 霧山 昴 、 出版  花伝社

ほとんどの弁護士にとって、司法試験とは悪夢のようなもので、とても思い出したくない、早く忘れ去ってしまいたいものです。ところが、著者は、その悪夢の日々を当時の日記やメモをもとに刻明に再現していきます。
それは、司法試験の勉強って、どうやって何を勉強するのか、授業には出席したほうがいいのか、ゼミでは何をどうやって議論するのか、それがまず明らかにされます。
そして、毎日の味気ない勉強をどうやったら集中して続けることが出来るのか、スランプに陥ったときの脱出法も語られます。たまには息抜きも必要です。アルコールにおぼれないように、健康管理しながら、意気高く、集中力を維持するにはどうしたらよいか。そのときには、笑いだって必要です。ええっ、受験生が笑って過ごしていいのか・・・。いや、むしろ必要不可欠だと著者は断言します。何を、どうやって笑うのか。
ついに試験本番に突入します。試験会場で心を落ち着ける秘訣は何か、もっている実力を過不足なく発揮するには、どうしたらよいのか。体調管理、とりわけ良質な睡眠時間をいかに確保するか・・・。時間配分はどうするか、正解なのか迷ったときの対処法、論文式試験で答案を書きすすめるときの筋道(アウトライン)のたて方をどうするか、そもそも文章を書きなれておくために有効なことはないか・・・。最後に遭遇する口述式試験で、試験官と気持ちよく対話するためにはどんな心構えが必要か。頭が白紙状態になったとき、どうやったら泥沼から脱出するか・・・。条文をおさえ、定義を述べて重要な論点を落とさない、そんな受験生になるためには、毎日、何が必要なのか・・・。
夏に試験勉強をはじめて5月に短答式を受けてなんとか乗り切り、7月の論文式には実力のすべてを出し切って、8月に山歩きをして、9月下旬の口述式試験では、試験官となんとか対話して合格にこぎつけた。そんな苦闘の日々が手にとるように刻明に再現された画期的な本です。
悪夢の日々が目の前によみがえってきます。全国の受験生を大いに励ましてくれると確信しています。480頁もある大作なのに、なんと定価は1500円。価値ある1500円です。ぜひ、手にとって読んでみてください。『司法修習生』(花伝社)の前編にあたります。
(2018年4月刊。1500円+税)

2018年3月28日

ライブ講義・弁護士実務の最前線

(霧山昴)
著者 東京弁護士会法友全期会 、 出版  LABO

これはすばらしい。もちろん内容もいいし、本当に勉強になりますが、編集がすばらしい。表や写真のつかい方、カコミ記事の工夫など、編集も業と自称している私ですが、これは良く出来ていると驚嘆しました。
内容は4つのテーマですが、私には会社法とシステム開発をめぐる話は無縁ですので、パスしました。
第1講のGPS操作についての亀石倫子弁護士の話は別なところでも読みましたが、その語りが明快なので、実によく分かります。いったいGPS事件で弁護士報酬はいくらもらったのかなという下世話な関心を前からもっていましたが、報酬ゼロで着手金30万円を弁護団6人で分配して1人5万円ほどだということです。ただし、実費100万円は本人に負担してもらえたそうです。こんな事件だったら、私も同期の弁護士に呼びかけられたら手弁当で参加します。だって勉強になるし、同期で刺激しあえるじゃないですか・・・。
アメリカの連邦最高裁が前例のないGPS捜査は憲法違反だという判決を出していたのだそうです。でも、日本でもすぐに同じような判決がもらえるほど世の中は甘くありません。そして、先行事件では、GPS捜査では問題ないという判決が出てしまいました。
亀石弁護士たちは、GPSを実際に車に装備してラブホテルや病院の駐車場に置いて誤差を調べました。そして最高裁の弁護では、紙の文章を読みあげるのではなく、裁判官の目を見て弁論したのです。
実は、私も一般民事事件で最高裁の法廷で2回弁論したことがあります。どちらも逆転敗訴判決になったのですが、せっかくの機会ですので10分近く口頭弁論をしましたし、その場には東京で学生をしていた私の子どもたちを傍聴させ、社会科見学の機会としました。
亀石弁護士は、弁護団の作り方と運用についての工夫も語っていて、とても参考になります。亀石弁護士は、チームリーダーとして、人一倍の仕事をしたそうです。また、毎回の弁護団会議にお菓子持参だったとのこと。先ほどの5万円は、これに消えたのでしょうね・・・。
第2講の竹花元弁護士のメンタルヘルスと労働審判の話は、とても実務的で、ものすごく勉強になりました。ともかく詳しいのです。86頁も使って、様々な角度からアプローチし、実務的な問題点を解明しています。
会社側の代理人として訴訟に応じるときには、判決までいくと事件名として会社の名が公表されるという問題があることを依頼者である会社には知らせておくべきだということも参考になります。
メンタルヘルスの場合には、職場復帰が容易ではありませんし、会社側による休職命令も軽々しくは出せません。
本分250頁で2830円(単価のみ)というのは高いようですが、私などは前記2つの講義を受けただけでも十分にもとをとった気がしました。
(2018年2月刊。2830円+税)

2018年3月27日

弁護士って、おもしろい!

(霧山昴)
著者 石田 武臣・寺町 東子 、 出版  日本評論社

私にとって、弁護士は、まさしく天職です。苦しい受験生活を経て司法試験に合格し弁護士になれて本当に良かったと思います。
私なりに一生懸命に弁護士をしているつもりなのですが、これでも事件の相手方(サラ金業者など)や、かつての依頼者から苦情申立や懲戒請求を受けたことが何回もあります。現役の弁護士である限り、苦情申立や懲戒申立をされるのは避けられないと今では悟(さと)りの心境です。無難にしておけば免れるかもしれませんが、「無難に」とか「大過なく」というコトバは私には無縁なのです。
この本には、老若男女の弁護士が弁護士の仕事の面白さ、やり甲斐を大いに語っています。なかには、本当にうらやましい話もあって、もっと私が若ければ・・・と思ったことも再三でした。
かつての法律事務所は「一見(いちげん)さん、お断り」があたりまえだった。今でも、それを高言するロートル弁護士がいないわけでもありません。要するに、ちゃんとした紹介者のない、見ず知らずの人が飛び込んできても、どこの馬の骨かわからないし、きちんと相応の謝礼を支払ってくれるという保証がないので相手にしない。そんな対応をするのが、普通でした。今でも高級料亭はそうだと聞いていますが、同じように特権的地位に弁護士はあぐらをかいていたわけです。
したがって、弁護士が御用聞きのようなことなんて見苦しいこと、恥ずかしい、もってのほかだという反発がありました。「アウトリーチ」なんて、とんでもないという発想です。福岡でも天神に法律相談センターを開設するにあたっては、似たような反発を受けました。今や隔世の感があります。
坪井節子弁護士が東京で子どもシェルターの活動を紹介していますが、本当に頭の下がる思いです。この13年間で、シェルターを利用した子どもは15歳から19歳まで、のべにして350人にもなります。そのうち、親との関係調整が出来て自宅に戻った子どもは2割にもなりません。多くの子どもは家には帰らない。高校を中退する。驚くべきことに、シェルター利用者の4分の3が女子なのです。親との関係では女の子のほうが難しいということでしょうか・・・。
子どもに寄り添うとは、想像を絶する苦しみを味わってきた子どもたちを前に、おのれの無力を痛感することから始まる。・・・すごい活動です。それでも子どもたちから教えられ、導かれていく喜びを味わうことが出来ると書かれていることが救いです。
弁護士のいない市町村は、まだまだ少なくありません。幸い、裁判所あるのに弁護士が一人もいないというゼロ・ワンの市はなくなっていると思います。ところが、過疎地に弁護士への需要はない、事件なんてない、もし、あったとしても都会にすぐ出てこれるから、なにも過疎地に弁護士が事務所をかまえる必要まではない。弁護士法人をつくって、法人の支店を置いて、週のうち何日間か、弁護士が交代で詰めておくだけで足りる(はず)。こんな考えの弁護士(会)がいます。
私は、乙号支部(今は正式には呼びません)に所属する弁護士として、これらは、とんでもない認識不足だし、誤りだと主張してきました。何らかのトラブルが身近におこるのは世の常ですが、そのときすぐに弁護士に相談しておけば、あとあとの対処がずいぶんと楽だったろうと思ったことは数えきれません。初期対応はとても大切なことです。
それにしても谷口太規(元)弁護士のレポートには驚嘆させられました。ひまわり公設事務所の弁護士として活動したあと、アメリカに留学し、今はミシガン州立の公設弁護人事務所で刑務所に長く服役していた人たちの釈放後の社会復帰を支援するソーシャルワーカーとして働いているのです。すごいことです。
この谷口(元)弁護士が弁護士とはいかなる存在なのか、次のように語っています。
弁護士は法律家だ。しかし、法律問題に直面するとき、その人は人生の曲がり角に立っている。このとき、人は負の出来事や感情と向き合い、自分の大切にしているものを考え、人生の意味を問う。弁護士は法律家であると同時に、そうした人々の、傷つきやすく、存在の根幹を賭した瞬間に立ちあう存在でもある。
そうなんです。人々の人生の重要な局面に、弁護士はそのすぐそばに立って支えることが出来るのです。弁護士って、だから面白いのです。
ぜひ、あなたも弁護士の世界に飛び込んでください。弁護士を将来展望の一つに考えている若い人に向けた、いい本です。ただ残念なのは、値段が少しばかり高すぎることです。
(2017年10月刊。2300円+税)

2018年3月19日

憲法の無意識


(霧山昴)
著者 柄谷 行人 、 出版  岩波新書

とてもユニークな憲法9条論です。ええっ、こんな観点で考えることもできるのか・・・、と驚きました。
9条は、むしろ「無意識」の問題。保守派の60年以上にわたる努力は徒労に終わった。
9条は 憲派によって守られているのではない。その逆で、護憲派こそ憲法9条によって守られている。
9条は明らかに占領軍の強制のよるもの。しかし、憲法9条が強制されたものだということと、日本人がそれを自主的に受け入れたこととは、矛盾しない。
憲法9条は自発的な意思によって出来たのではない。外部からの押しつけによるもの。しかし、だからこそ、それはその後に、深く定着した。もし、人々の「意識」あるいは「自由意思」によるのであれば、成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていただろう。
マッカーサーの意図は、天皇制を維持することにあった。戦争放棄は、そのことについて国際世論を説得するために必要な手段であった。しかも戦争放棄は、マッカーサーよりも、むしろ日本の幣原首相の「理想」だった。
昭和天皇の関心は、何より皇室の維持にあった。そのためには、忠臣だった東條英機を非難し責任転嫁も辞さなかった。昭和天皇にとって、次に重要だったのは、日本の安全保障。そのため、米軍による防衛をマッカーサーに求めた。
憲法1条と9条とは密接につながっている。9条を守ることが1条を守ることになる。
9条における戦争の放棄は、国階社会に向けられた「贈与」なのだ。贈与によって無力になるわけではない。その逆に、贈与の力というものを得る。日本が憲法9条を文字どおりに実行に移すことは、自衛権の単なる放棄ではなく、「贈与」となる。そして、この純粋贈与には力がある。その力は、どんな軍事力や金の力よりも強い。
新自由主義とは、それまでの自由主義の延長上にあるのではなく、その否を。新自由主義は新帝国主義と呼ぶべきもの。
日本がなすべきであり、かつ、なしうる唯一のことは、憲法9条を文字どおり実行すること。私たちは、憲法9条によってこそ、戦争からまもられる。思想的リアリストは、憲法9条があるために自国をまもることが出来ないというが、そんなことは決してない。
「無意識の力」、「贈与の力」というものに気づかされました。小宮弁護士(飯塚市)から強くすすめられて読みました。なるほど、目新しい視点から9条の意義を改めて考えさせられる本でした。あなたも、ぜひご一読ください。
(2016年7月刊。760円+税)

2018年3月15日

変動期の日本の弁護士

(霧山昴)
著者 佐藤 岩夫・濱野 亮 、 出版 日本評論社

このタイトルだと、弁護士生活も40年をとっくに過ぎた私は手にとって読まなければなりません。なぜなら、私はいったい日本の弁護士として、どんな位置にあるのか知りたいからです。もちろん、場所的には片田舎の弁護士でしかなく、大企業の顧問など無縁ですし、国際取引などしたことも、しようとしたこともありません。そして、労働者の側に立ちたいと思って弁護士になりましたが、実際に労働者側代理人として事件にあたったことは数えるくらいしかありません。もちろん、企業側に立って労働事件をしたことは、もっと少ない(業務上横領事件で解雇する側につきました。今でも、受任したのはやむをえなかったと考えています)のです。
この本は、2010年の日弁連による弁護士経済基盤調査のデータをもとにして議論されています。この調査は、私も一会員として回答したように思います。
弁護士人口は急増中。1980年に1万1千人だったのが、1990年に1万3千人をこえ、2000年に1万7千人をこえた。ところが、2000年代に入ると増加のスピードが加速し、2010年に2万9千人近くになり、2014年には3万5千人を突破した。これは2000年からの10年で日本の弁護士が一挙に2倍に増えたということ。
この弁護士急増については、弁護士会のなかには司法改革失敗だったと批判する人が少なくありませんが、この本は別の視野で問題提起をしていて、私はなるほどそういう面はあるよね、そう思いました。
弁護士人口の拡大は、中長期的に見れば、弁護士が果たしうる役割の対する日本の社会・経済の期待が従来よりも多様かつ広範囲に拡大していることに理由がある。
そうなんです。弁護士の知恵と力は、もっと社会の隅々にまで浸透する必要があると思います。それは過疎地だけでなく、過労死するまで働かされている大企業の職場にまで、弁護士の影響力が及ぶべきだということです。企業内弁護士は増えていますが、それは企業側の立場でしかありません。それとは別の視点からの弁護士活動があってもいいように私は思います。
かつて(1980年代)の弁護士の仕事は、債権回収と不動産を扱う訴訟事件が中心だった。しかし、今や、それが大きく変わりつつある。なるほど、私の扱う事件も大きく変わりました。今では家庭内のさまざまな争いに関与することが圧倒的に多くなりました。強烈な感情がからむことの多い事件ですから、関与する私たち弁護士の側も相当に疲れます。
弁護士の勤務形態としては、単独弁護士が減って、大量の「勤務弁護士」が増えている。私の法律事務所も最高で6人、今は4人の事務所です。
私は「単独」でやっていく自信はまったくありません。というのは、ネット検索をする意思も能力もないからです。今どき珍しいと笑われるかもしれませんが、スマホではなくガラケーですし、いつもはカバンの中に入れていて、ケータイを使うことはほとんどありません。
メーリングリスト(ML)は見てはいます。私の個人ブログもありますが、入力はしませんし、できません。するつもりもありません。こんな私もワープロの時代までは自分で入力していました。
この本によると、大規模事務所ではタイムチャージ方式で経営が成り立っているとのことです。訴額が小さく、弁護士報酬がそのままでは低額になりそうな事件では、たしかにタイムチャージが良さそうです。でも、私の40年以上の経歴のなかでタイムチャージはやったことがありませんし、パソコンそのものが苦手なので、挑戦しようと考えてもいません。
集中審理方式について、私は一般論としては賛成しますが、自分について言えば、やってほしくない審理方式です。大量の訴訟・交渉案件をかかえている「田舎の弁護士」としては、回転率を上げることが必要不可欠なのです。
弁護士の所得が一般的に低下したことは間違いないと私は考えています。しかし、東京の大企業を顧問先としている弁護士たちはアベノミクスの意思を受けて相変わらず超高景気のようです。地方の弁護士は、昔ほどはもうかってはいないというレベルではないのでしょうか・・・。一定年齢以上の弁護士は、そこそこの収入を確保していると考えています。
そして、国民一般の弁護士に対するイメージの低さには驚かされます。「大企業の味方」、「金持ちの味方」、「国・行政の味方」とあります。
弁護士自身は、私も含めて、弁護士イメージは、社会的弱者や少数者の味方であるとしています。このギャップは埋める必要があるように思います。
学術書なので、仕方のないことなのでしょうが、これで5000円は高いと思いました。

(2015年2月刊。5000円+税)

2018年3月12日

決断


著者 大胡田 誠 ・大石 亜矢子 出版  中央公倫社

全盲のふたりが、家族をつくるとき。全盲の弁護士と同じく全盲のピアニストが出会い結ばれて二人の子どもをもうけ、家庭を築きあげていく過程が語られています。
実際には毎日、大変な苦労があったことと思いますが、読み手の心を重くするどころか、ああ、人生って、こんなに素敵な出会いがあるんだねと、何かしら明るい希望をもたせてくれる爽やかなワールドへ誘ってくれます。
ちょうど花粉症の症状が出はじめていた私は、電車のなかで読みながら、目と鼻から涙なのか汁なのか分からず水様性のものがポタポタ垂れてきて、周囲に変なオジさんと思われないようにするのに必至でした。
妻は、出生したとき1200グラムの未熟児度。そのため、保育器に入れられ高濃度の酸素を与えられて網膜が損傷して失明した。光を認知できないので昼と夜が逆転してしまうことがある。昼も夜もない世界に住んでいるので、深夜を昼間と勘違いして深夜の3時ころ、靴音の違いを知ろうと遊んでいたころがある。
夫は、新生児の3万人に1人にあらわれる遺伝性の先天性緑内障のため小学6年生に完全に失明した。父親は、失明する前も失明したあとも、子どもたちを山のぼりに連れでいった。弟も同じ病気で失明している。FMラジオの音を頼りに、前へ、前へと進むうちに、見えないにもかかわらず、つまずいたり、転んだりしながら、前にある障害物や危険な穴などを察知する能力を体得すること、これを父親は求めた。すごい父親ですね、すばらしいです。勇気もありますね。
夫は中学生とき、学校の図書館で、竹下義樹弁護士(京都)の『ぶつかって、ぶつかって』という本に出会います。そして、そうだ、ぼくも竹下さんのような弁護士になろうと思ったのです。竹下さんの本はこのコーナーでも紹介したと思いますが、あらゆる苦難を乗りこえる力強い呼びかけに満ちています。そして、その呼びかけに中学生がこたえたのです。夫は、5回目の司法試験で合格しました。全盲の受験生は、4日間で36時間30分の試験時間ですから、朝から夜まで試験を受けている感じ。一般の受験生は22時間30分ですから14時間も余計に長いのです。これは大変ですね・・・。29歳で合格し、今は弁護士として立派に活動中です。前の本『全盲の僕が弁護士になった理由』はテレビドラマ化させたそうですね。
耳が慣れているので、パソコンでの読み上げ速度は普通の2倍に設定している。おかげで目で文字を追うのと遜色ない早さで文章を耳で読むとことができる。たいしたものです。
読むとモリモリと元気の湧いてくる本です。負けてはおれないなと気にさせてくれます。人間の能力のすごさ、無限の可能性を実感させてくれる本でもあります。決してあきらめてはいけないということです。
これからも、お二人には無限なくがんばっていただくことを心より願います。

(2017年11月刊。1500円+税)

2018年3月 9日

憲法的刑事弁護


(霧山昴)
著者  木谷 明 、 出版  日本評論社

 今や日本の刑事弁護人の最高峰の一人として名高い高野隆弁護士の実践が語られ、刑事弁護人とはいかなる存在でなければならないかが明らかにされている本です。
 この本が高野弁護士の還暦を記念するものであることに少々驚かせられました。というのも、古稀を迎えようとしている私より10歳も年下になることを知って愕然としたのでした。
 編集代表の木谷明弁護士は浦和地裁で裁判長として刑事法廷で高野弁護人と何回となく対峙した経緯を有しています。
 高野弁護人の法延における弁論は、いずれも事件の本質を突くもので、容易に排斥することができない。主張・立証の仕方も実に巧みであった。そして、高野弁護人は裁判員裁判において、天馬空を行くがごとく、次々に無罪判決を獲得していった。
 いったい高野弁護士は、他の一般の弁護士と、どこが違うのでしょうか、、、。
 「一貫して本当のことを言えば、真実は必ず解明される」
 これは弁護人、検察官そして裁判官に共有されている観念です。しかし、この本はそんなものは、まったくの神話にすぎず、偽計だとします。高野弁護士は見事に喝破したのです。
 この本に、木下昌彦准教授が接見禁止が例外的な制度ではないとする小論を載せています。それによると、1994年までは接見禁止のついた裁判は2万件程度で、増えていなかった。ところが、1995年から増加に転じて、2003年には5万件を突破した。その後、2010年に3万6千件に減少したものの、2015年には再び4万件をこえている。
 そして、接見禁止率は1995年に25,7%だったのが、2015年には37,8%となっている。接見禁止は例外的な制度ではないと言わざるをえない。かつてのような暴力団事件や公安事件だけではない。そして、第1回公判期日まで、というのも公判前整理手続に長期間かかると、接見禁止期間も長くなる傾向にある。
 この本では、座談会がとりわけ読んで面白い内容になっています。高野弁護士は弁護士になって4年目にアメリカに留学し、2年間、憲法、証拠法、刑事手続法を猛勉強した。そして、アメリカで弁護士の仕事は、憲法価値によって依頼者の人間性を守る最後の砦となることだと学んだ。
 わが国の刑事被告人は、裁判官による裁判を本当に受けているのか、という問いが投げかけられる世の中に、高野弁護士は日本で弁護士として再スタートした。そして、弁護士には絶望する権利はない。なぜなら依頼者にとっては弁護士しかいないからだと高野弁護士は喝破する。
「赤ん坊殺し」とされた被告人の供述調書に、出産経緯のない警察官が勝手な想像で、現実にはありえない現状を刻明に記述しているというものがあったとき、やはり出産経緯のある女性弁護士の追及は力になります。男にはまったく分からない世界ですね、、、。まあしかし、現実には、それなりにつじつまのあう供述調書を裁判官はそのまま鵜のみにすることが残念ながらほとんどです。
裁判官が公正な第三者としての立証を捨てて、検察官の後見人になってしまっている。そんな法廷を、この40年以上のあいだ、私も何度も体験しました。
 高野弁護士は、法廷で次のように弁論する。
「裁判長。刑事裁判というのは、イメージや推測で行われてはなりません。刑事裁判は、証拠にもとづいて行われなければなりません。証拠を検証し、常識にしたがって判断して、被告人が訴因について有罪であることは間違いない、そういう確証がなければ、被告人は無罪でなければなりません。証拠を検証し、常識にしたがって判断して、被告人が有罪であることに一つでも疑問があったら、無罪の判断をしなければなりません。これは刑事裁判の鉄則であり、絶対に守られなければならないルールです。このルールが守られることによって、我々の自由な社会が維持されているのです」
 法廷で、この真理をゆっくりした口調で、しかも明快に目の前で説かれたら、聞いている人は皆、金しばりにあったようになること間違いありません。それだけ、高野弁護士の言葉には重みというか力があります。
 375貢と大部で、4200円もする本ですが、弁護士にとって一読の価値は大いにある本です。
(2017年7月刊。4200円+税)

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