弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2011年4月29日

日本のロマネ・コンティはなぜ「まずい」のか

著者   渡辺 順子、 出版   幻冬舎ルネッサンス新書
 
 去年夏にフランスはブルゴーニュ地方へ出かけ、ロマネ・コンティのブドウ畑を見学してきましたので読んだ本です。
 ワインはボトルの大きさに比例して価値も価格も上がっていく。なぜなら、ボトルが大きければ大きいほど、ワインはゆっくり、かつじっくりと熟成し、生命が長くなるからだ。しかも、生産者は、品質のある年にしか大きいボトルを造らない。だから、通常のボトルに比べて味も格別である。ワインの大きいボトルは、希少価値も高いためオークションに出ると、ワインコレクターは競って手に入れたがる。
 ロマネ・コンティを飲むなら、ワインを愛する人たちと喜びを分かちあいながら、最高のシチュエーションで飲みたいもの。どうせ高いだけで、そんなにうまくはないだろうという気持ちで飲むのとでは、当然のことながら味わいもちがってくる。飲む側がワインに敬意を持ち、万全の態勢でのぞんではじめて、その本当の魅力を見せてくれる。
これは、まさしくそのとおりだと私も思います。ロマネ・コンティこそ飲んだことはありません。(ぜひ一度は飲んでみたいと思っています)が、やはり、レストランでこのワインは造り手がこんな人で、いつもの年よりこんなに味わい深いですよという講釈(能書き)を聞いていると、そうか、そんなに美味しいワインなのか、ありがたくいただこうという気になり、いつも以上に美味しくいただけるのです。食べ物も飲み物も、やっぱり雰囲気と、見た目が大切です。
 ロマネ・コンティは1年に6000本しか生産されない。12本入りの箱だと、わずか500ケースでしかない。だから、初めの卸価格が20万円ほどだとしても、流通階段で何倍も値上がりしていく。日本ではネットで買うと1本100万円というのですから、驚きです。
 ところで、ロマネ・コンティはラベルがシンプルで偽造しやすく、高価で売れるため、もっともフェイク(にせもの)がつくられている銘柄である。
 うひゃあ、ロマネ・コンティと思って飲んだら、そうじゃなかったということもあるのですね。そしたら、それを飲んだら当然、まずいと不満を言う人も出てくるでしょうね。
 ワインのオークションに参加できない人が事前に入札するのをアブセンティという。オークションでの売れ行きは、写真の出来ばえに大きく左右される。年代もののワインなら、できるだけホコリを積もらせたまま撮影し、古さが際立つようにするなど、万全の注意を払う。
 プレミアムワインとは、ロマネ・コンティのような高いワインのこと。それに対して、カルトワインとは、主としてアメリカはカリフォルニアのナパ・ヴァレーつくられている高品質かつ高付加価値のワインのこと。カルトワインなるものがあることを私は初めて知りました。
 カリフォルニア・ワインもフランスに負けないような高品質のワインを輩出しているようです。まあ、しかし、なんといっても、ワインは、かの地フランスで、ゆっくり休暇をとって、仕事に追われない日々のなかで味わうのが一番です。日本で、仕事のあいまに、あくせくしながら飲むものではありませんよね。
 それはともかく、日本女性がこの分野でも活躍していることを知って、その姿には頭が下がります。
(2011年2月刊。838円+税)

2011年4月21日

ヘルファイヤー・クラブ

著者   イーヴリン・ロード、 出版   東洋書林
 
 ヘルファイヤー・クラブとは、地獄(ヘル)の業火(ファイアー)という意味です。18世紀のイギリス社会にいくつもあった秘密クラブです。
 ヘルファイヤー・クラブには三つの構成要素があった。すべてのクラブは社会や教会が教える道徳や倫理を否定し、社会に対して集団的に破壊活動をおこなった。彼らは深夜、面白半分に罪のない通行人を襲った。第二に宗教に対する嘲笑的態度であり、第三に、セックスに眈溺した。会員は常に男性であり、若くて有閑階級の出身者だった。
 ロンドンの人口は、1700年に57万5千人(イギリスの総人口の7%)、1750年には67万5千人(同11%)。毎年7千人もの人々がロンドンに流入していた。
ヘルファイヤー・クラブは、宗教に対してますます懐疑的になっていった社会を如実に示すものであった。クラブ会員の多くは、ヨーロッパのグランド・ツアーに行ったことがあった。グランド・ツアーはヨーロッパの宮廷、飾り棚、珍品、結婚式、宴会、葬儀などをできるだけ見ようとするもの。グランド・ツアーは、送り出す一家にとってお金のかかるものだった。たいていの家が望んだのは、教育の仕上げであり、洗練と経験を得させしめることだった。多くの旅先が、ローマ・カトリックの国々という危険があった。ローマ法王に謁見することが普通だったが、カトリック教徒なら法王の履物に接吻しなければいけないところ、お辞儀をするだけで良かった。
 イギリス人は、イタリアでは夫も妻も浮気をすることにひどく驚いた。上流階級では、夫も妻も、愛人をつくっても表向きはプラトニックな関係だとしておけば許されることになっていた。そりゃあ、驚きますよね。でも、これはフランスでも同じでしたよね。
18世紀のイギリスでは、セックスはペンで生計を立てようとする作家やジャーナリストにとって格好の話題であり、性的に露骨な本がますます多く出版されるようになった。
女性は父権制社会がつくった規制によって現状にとめおかれ、その枠組みから外れることは許されなかった。男性は愛人を囲い、売春宿で快楽をむさぼることに呵責を感じなかった。性的に露骨な本を購入できたのは、それらを書斎やクラブに隠しもっていられるきわめて裕福な人々だけだった。「わいせつ本」は、ヘルファイヤー・クラブの会員のように、国会に議席を有しており、国法を制定したり、執行したりする権威ある人々、すなわち上流階級の人々の特権だった。
イギリスの都市における売春は頭痛の種で、街頭で誰の目にもつくものだった。
イギリスでは1837年に住民登録が確立させると、人生の大事な出生、結婚、死亡は、もはや教会の専売事項ではなくなった。
1840年代には国の調査委員会による国勢調査や労働者階級の状況についての調査が繰り返し実施された。これによって労働者の生活はいい方向に変わった。
18世紀のイギリス社会が分析されている本です。宗教のもつマイナス面が指摘されています。先日、アメリカのキリスト教会の牧師がコーランを焼き捨て、それに怒ったイスラム教徒の人々が国連機関を襲撃するという事件が発生しました。この牧師(神父でしたか・・・?)は博愛精神を身につけていないわけですが、アメリカ社会がそんな人を事実上容認しているというのは恐ろしいことです。やはり、世の中にはやってはいけないことが多々あるわけです。みんな違って、みんないいという金子みすずの精神は宗教の世界でも生かされなければ嘘でしょう。
(2010年8月刊。3600円+税)
静岡にある浜岡原発を直ちに廃止すべきだと毎日新聞に大きな見出しのコラム記事がのっていました。たしかにそうですよね。福島原発の大事故でも恐ろしいことですが、東海大地震が予測されているときに、「絶対安全」の神話が崩れてしまったからには即刻、手を打つべきでしょう。無為無策で手をこまねいていて、東京が住めなくなったら、日本はどうなりますか・・・。
日本人は、今もっと怒り、声を上げるべきではないでしょうか。あきらめてはいけません。投票率が5割を切るなんて、子孫のことを考えたら、許されませんよ。声かけあい、励ましあって、政府と電力会社を激しく監視すべきだと思います。

2011年3月30日

ワルシャワ蜂起

著者  尾崎 俊二、    出版  東洋書店
 
 ポーランドのワルシャワで起きた一大事件が紹介されています。
1944年8月1日から10月2日までの63日間続いたワルシャワ蜂起によるポーランド人犠牲者は、民間人18万人、戦闘員2万人、合計20万人をこす。これは広島・長崎への原爆投下による直接的被害者21万人に匹敵する。
ワルシャワ蜂起の主体となった国内軍司令部の判断の誤りを批判する人も少なくないが、果たして簡単に誤りだったと言えるのか。1944年7月の時点で、被占領地の地下国家指導者と国内軍指導者には、他にどんな選択肢があったのか。蜂起直前まで、モスクワからの放送は連日、ワルシャワ市民に決起をあおっていた。そして蜂起のあと、すぐ近くまで来ていたソ連軍が追撃を突如としてストップするなど、誰が予想できたというのか・・・。
 さらに、ナチス・ドイツが叩き出されたあとソ連支配下のポーランドで、国内軍の指導者や蜂起兵は「反ソ」だということから「ナチスの協力者」「ファシスト」「裏切り者」として迫害され、秘密裁判で処刑された人も少なくなかった。
 うむむ、これはこれは、予想以上にワルシャワ市民は難しい局面に立たされていたことを知りました。
 1944年7月、ワルシャワは噴火寸前の火山だった。ワルシャワで4万人の将兵を擁する国内軍が、退却し混乱に陥るドイツ軍を攻撃もせずに傍観しているなどということは考えられなかった。もしポーランド人の支援者なしにソ連がワルシャワを制圧したとき、スターリンはポーランドの地下抵抗運動などなかったと言い通すだろう。そして、首都にいながら、その解放戦に参加できない軍隊とか国家など考えられもしない。
 ワルシャワ蜂起といえば、アンジェイ・ワイダ監督の映画『地下水道』を思い浮かべます。
蜂起で使われた地下水道ルートはいくつもあって、各地区をつなぎ、蜂起部隊の通信、連絡そして武器・弾薬の輸送、さらに脱走ルートとなった。この地下水道の案内人の多くは女性だった。
 カチンの森にポーランド軍の将校の埋葬地が発見されたのは、1943年4月のこと。スターリンの指令の下での大虐殺だったが、ソ連はナチス・ドイツの仕業だと宣伝した。しかし、ポーランド人の多くはナチス・ドイツの仕業だとは思わなかった。ポーランドの人々は、東方から進撃してくるソ連赤軍を単なる「解放軍」とみることはもはやできなかった。ソ連軍によるポーランド占領を危惧していた。実際、ソ連軍はポーランドに入って来ると、ポーランド軍を武装解除し、その司令官を射殺していた。
したがって、ソ連軍が侵入してくる直前に首都ワルシャワを制圧しなければならない。ポーランド国内軍は自分たちの手で、ワルシャワを解放し、ポーランド国家の主権者が誰なのかを明確に示さなければならない。しかし、このワルシャワでの蜂起作戦は、ドイツ軍に対するソ連軍の圧倒的優位に大きく依存するという根本的矛盾もはらんでいた。
 連合国軍は6月6日にノルマンディー上陸を果たしており、7月20日にはヒトラー暗殺未遂事件も起きていた。ワルシャワ蜂起は、早すぎても遅すぎてもいけなかった。
 うむむ、これはこれはきわめて難しい、いや難し過ぎる選択ですね。多くの人命と国家主権の存亡にかかっている選択です。
 国内軍司令部では即時開戦に賛成派と反対もしくは慎重派が5対5に分かれた。しかし、司令官が決断した。8月1日午後5時に蜂起することが伝達された。100万人都市が15分間で戦闘に巻き込まれた。ワルシャワの国内軍勢力は最大で5万人、そのうち銃器で武装していたのは10%に過ぎなかった。
 蜂起後数日間、ワルシャワ市民は5年ぶりに自由の空気を吸って熱狂し、蜂起兵にさまざまな支援を申し出た。しかし、この解放感は1週間も続かなかった。ナチス・ドイツ軍は犯罪者集団をつかって一般市民を組織的に大量虐殺しはじめた。
 映画『戦場のピアニスト』に登場するシュペルマンは、このときワルシャワに実際かくれて生き延びた人物です。ドイツ人将校と出会い、助けてもらいました。
 このドイツ人将校は、シュピルマンの「市街戦になったらどうやって生きのびればいいのか?」という問いに対して、「きみも私も、この5年間、この地獄を生きのびてきたのだから、それは明らかに生きよと言う神の思し召しだろう。とにかく、それを信じようではないか」と答えた。
 このように、ワルシャワ蜂起のあと、市内に隠れ潜んでいた人々は300人ほどで、「ワルシャワのロビンソン」と呼ばれた。
 ワルシャワ蜂起が失敗し、ナチス・ドイツに降伏すると、国内軍兵士はドイツ側の捕虜となり、ワルシャワ市民数十万人は収容所に移送されて、ポーランドの首都はからっぽになった。そして、ヒトラーの命令によってワルシャワは破壊され尽くした。
 チャーチルなど、連合軍はスターリンを怒らせないため、ポーランドの国内軍をあまり積極的に応援しなかったようです。2段組みで440頁もある大部な本ですが、ワルシャワの地域ごとに詳細に蜂起の状況が分かるという大変な労作です。前にも同じ著者の同じテーマの本を紹介しましたが、さらに詳細にワルシャワ蜂起の状況が書き込まれています。
(2011年1月刊。3800円+税)

2011年3月 5日

オルレアン大公暗殺

著者  ベルナール・グネ、  岩波書店  出版 
 
 ジャンヌ・ダルクが活躍する直前の中世フランスの情勢が活写されている本です。
 フランスの政治状況がよく理解できました(実のところ、そんな気にさせられただけということかもしれません・・・・)。
 シャルル6世がフランスの王位についた1380年、フランス王国は平和と繁栄のうちにあった。その前には、飢饉があり、黒死病があり、イングランド王からクレシーとポアティエの二度にわたり、フランス王は屈辱的な敗北を味わせられた。
 1380年、シャルル6世は、弱冠12歳だった。そして1392年、シャルル6世は23歳にして狂人となった。ところが、1422年に死ぬまでの30年間、フランスの王様だった。したがって、その間フランスには導き手がいなかったことになる。
 1407年11月23日、ブルゴーニュ大公は自分の従兄弟(いとこ)にあたるオルレアン大公を暗殺した。その結果、またもや内戦が始まった。イングランド王ヘンリー5世は、この機に乗じてフランスの国土を侵略した。それはフランス軍にとってアザンクールでの壊滅的敗北(1415年)をもたらした。シェイクスピアがアザンクールの戦いを描いていますよね。
 1419年9月、ブルゴーニュ大公が暗殺された。復讐が果たされたのだった。
 フランスで1300年に存在していた名門(旧家)の大部分は、1500年には断絶していた。貴族の割合こそ変動していなかったが、その内実は変動していた。
 戦争だけが貴族の活動ではなかった。実は、貴族は教育を受けていた。大学で学んだ貴族は信じられた以上に多かった。
 乗物は社会的地位を示した。交通手段として欠かせない馬が、社会を対照的に二分していた。貧しい人々は馬を持てず、裕福な人々は馬を所有していた。いやしくも地位のある人物は、一人だけで騎行することはなかった。
 暴力は見世物として喜ばれ、ひとを魅了した。暴力は合法的であり得た。それどころか暴力は高貴でもあり得た。子どものときから武器を操る習慣のある貴族は、それを携帯する権利を持ち、戦闘と同じくらい危険な戦争遊戯に加わったが、貴族にとって武器の使用は自分たちの身分特権であった。殴りあいは平民にまかせておき、貴族は武器をつかった暴力に高貴で騎士らしい何かを認めていた。うへーっ、これって怖いですね。
 1400年には、西洋の多くの国々で、君主の近親者あるいは君主自らがその手を地で汚していた。シャルル6世の時代には、暴力はありふれた現象であった。だが同時にそれは、貴族のものであり、王侯のものであった。王侯貴族の暴力こそ、他にもまして警戒しなければならなかった。その点は、昔も今も変わらない気がしますね。
 国王の第一の義務は、常に裁判によって平和を強制することだった。なーるほど、です。
 宮廷は、あらゆる秩序あらゆる野望、あらゆる敵対関係、あらゆる憎悪、あらゆる危険に満ちた場であり、宮廷人はみなそこを呪ったものの、一方で、人はみな望んでそこで生活し続け、そこで認められようとした。そこで死ぬか、あるいは殺すかという事態も辞さなかった。
当時、ブルゴーニュ大公はフランス筆頭諸侯の称号と権勢を富を有し、年齢と経験において王国の真の主人であった、それに対してオルレアン大公は王国のただ一人の弟である。王国に次ぐ者は彼であった。
アザンクールにおけるフランスの大敗のあと、ブルゴーニュ大公は重みをさらに増大させた。1429年、ジャンヌ・ダルクが登場し、シャルル7世と会見した。
 フランス中世史の分かりやすい概説書です。

(2010年7月刊。4900円+税)

2011年2月19日

聖灰の暗号

著者 帚木 蓮生、   出版 新潮社
 いやはや、なんと・・・。すごいんですよ、巻来の主要参考文献はフランス語の原書のオンパレードです。さすが仏文科卒だけはあります。私もフランス語を長らくかじっていますが、残念ながら日常会話に毛のはえた程度のレベルでしかありません。著者はフランス語で書かれたカタリ派についての専門書を読み尽くして、この本を書きあげたようです。
 主人公はフランス語だけでなく、方言のオクシタン語まで読み書き、そして話せる日本人です。著者もひょっとしてオクシタン語までできるのでしょうか・・・。
 14世紀のフランス。スペインに近い南フランスにはカタリ派が流行していました。宗教的権威をひけらかすローマ・カトリック教会に楯ついたため、大弾圧を受けることになります。
 私が3年前に行った南仏のツールーズやアルビなどがカタリ派の拠点となっていました。今も原型をそっくり残っているカルカッソンヌ城もカタリ派の拠点でした。ロートレックの生地であり、立派な美術館のあるアルビでもカタリ派が繁栄していました。カトリック教会が形式に流れていたのを、信仰の原点に立ち戻って信仰していた人々がいたわけです。
 この本は、日本人の研究者がカタリ派の弾圧を目撃した修道士の手記を偶然に発見して学会で発表したところ、そんなことは隠しておきたいカトリック教会側から迫害を受けるというストーリーです。 さすがに、生々しい迫力があるタッチで展開していきます。次はどうなるのか、手に汗を握る場面の連続です。1年に1作という著者の小説づくりは、いつ読んでも驚嘆するばかりの見事さです。
 カタリ派の興亡は、天草の乱、そして日本の隠れ切支丹を連想させるものがあります。
 我が身がどんなに拷問されても、神のもとに近づけると思って喜んで死んでいくという点では、まったくうりふたつです。
 上下巻2冊を、時間を惜しんで読みふけってしまいました。
 
(2007年7月刊。1500円+税)

2011年2月 3日

帝国の落日(上巻)

著者 ジャン・モリス、  講談社 出版 
 
大英帝国の繁栄から衰退までを描いた帝国史です。
1897年6月、ヴィクトリア女王は即位60周年記念式典を心豊かに祝うことができた。
19世紀末の時点で、英国民は帝国民としてふるまうのが習い性になっていた。世界の4分の1を統治する技量からいっても他国に負けない力を持っていた。
この時期、ヨーロッパ各国の野望が集中したのはアフリカである。そこではアフリカ争奪戦と呼ばれる取りあいと自己弁護の醜い争いが繰り広げられていた。やりたい放題だった。当時のヨーロッパ人にとって、アフリカ先住の黒人は、ほとんど人の数にも入らない存在で、アフリカの土地をヨーロッパ人が占領し、思うままに支配し、改善し、搾取するのは当然とみなされていた。
南アフリカにおいて、英国人とボーア人は長年の仇敵同士だった。ボーア人は容易に融和しなかった。ボーア人は生まれながらの非正規兵で、世界でもっとも優れたゲリラ兵といってもよかった。武器はヨーロッパの国々から入手した最新のものであり、生まれ育った土地を知り尽くしていた。
1902年5月、ボーア人はついに降伏した。しかし、英国兵の戦死者は2万2,000.その3分の2がコレラと腸チフスの犠牲者だった。ボーア人の死者2万4,000人、そのうち2万人が婦女子だった。すぐに戦闘は終わると思ってイギリスと出た派遣軍は8万5,000人。しかし、戦争終結時には、45万人となっていた。英国の首相は、戦費がかさみすぎて英国は三等国に成り下がったと公言した。
ヴィクトリア女王が亡くなり、あとを継いだエドワード7世は大英帝国にあまり関心がなかった。第一次大戦が始まった。
英国にとって、トルコ軍とのガリポリの戦いは、アメリカ独立戦争以来、最大の敗北となった。帝国特有の虚勢が再燃するなかで作戦が開始され、最終的には帝国の伝統に押しつぶされるようにして敗北した。英国軍の将軍たちは、兵と距離を置くことが多すぎた。
英国は大戦によって決定的に変化した。70万人もの若者が死んだのだから、当然といえば当然だった。
英国は第一次大戦への参戦諸国のなかで、もっとも強大なまま終戦を迎えたように見えた。工業はまったく被害を受けず、財政も大打撃を受けたというのにはほど遠かった。軍事力も、世界最強の空軍、最強の海軍と、世界有数の強力な陸軍を有していた。しかし、多くの悲哀を経験するなかで、成功に伴うはずの生気を失って、革命に揺れるロシアが発する共産主義の狼煙(のろし)や米国が提案するウィルソン流のリベラリズムに対抗する壮大な理念も、希望や変化を思わせるメッセージも提示することはできなかった。ドイツとの講和条約が調印され、戦後世界の運命が決定されるヴェルサイユ会議にあって、英国は決定的役割が果たせなかった。
英国にとって、アジアやアフリカでも悩みは尽きなかったが、何にも増して悩ませたのは、帝国領土のなかで、もっとも地理的に近く、もっとも古く、もっとも不満の大きい場所、アイルランドだった。たしかに、アイルランド紛争はごく最近まで続いていましたね。このあと、インドの独立に至るガンジーの活躍が記述されています。パックス・ブリタニカの実情を知ることのできる本格的な歴史概説書です。
                   (2010年9月刊。2400円+税)

2010年12月 3日

スウェーデンはなぜ強いのか

 著者 北岡 孝義、 PHP新書 出版 
 
 スウェーデンは不思議な国である。国民の幸福感は、日本よりはるかに高い。税金の高い国なのに、国民からの反発は小さい。スウェーデンの国民は勤勉であり、労働生産性も日本より高い。福祉が行き届いた国なら、国民はやる気を起こさないはずなのにそうはなっていない。
 国民の政治への参加意識は高く、4年に一度の国政選挙の投票率は、常に8割を超えている。実にうらやましいですね。日本は良くて6割、下手すると半分以下の4割の投票率という低迷ぶりです。これでは日本は良くなりませんよね。あきらめていたら、いつまでたっても政治はいい方へは変わりません。ところが、今の日本は議員を減らせの大合唱ばかりです。マスコミも大きく唱道しています。国会も地方議会も、どんどん議員を減らせというのです。少数異(意)見の尊重どころじゃありません。そして、公務員の人数を減らせ、その給料が高すぎるというばかりです。いやになってしまいます。大企業の経営者が何億円というべらぼうな報酬をもらっていても、まったく問題にはしないのです。おかしな話です。
オンブズマン制度は、スウェーデンでは国営である。これまた驚きですよね。
 教育や医療サービスの分野で、スウェーデンは市場の機能は使われない。原則として、学校や病院は公立か国立であり、政府が運営している。スウェーデンでは、ながく社会主義政権が政権をにぎってきた。しかし、同時に国王をいただいてもきた。しかも、その国王の先祖はフランス人なのだ。ナポレオン配下のフランス人ベルナドッテ将軍が、時のスウェーデン政府に頼まれ、カール14世としてスウェーデン王国として即位した。いやはや、なんと・・・・。
 スウェーデンは、1995年にEUに加盟したが、ユーロは導入していない。
 スウェーデンの消費税は25%。医療費は、20歳以下なら原則として無料。20歳をこえても年間の医療費は上限で1万2000円。これはタダ同然ですね。教育費も原則として大学はもちろん、大学院まで無料。そのうえ、月額1万3000円の児童手当、託児所の無料化がある。
 スウェーデンの福祉は、育児、教育、医療、老人介護は、原則として個人の負担ではなく、国の負担であるという理念にもとづいている。スウェーデンでは女性が働くことが奨励されている。そのため、ソフトとハードの両面の政策が実行された。ソフト面では、女性が社会で働くことはいいことだという徹底した意識改革をすすめた。ハード面では、女性の就業を支援するための経済支援、環境整備である。なーるほど、そうなんです。日本でも少子化対策が必要だというのですから、この二つが欠かせません。
 現在のスウェーデン社会では、離婚は普通のことであり、男女の同棲、母子家庭、父子家庭、片親の異なる兄弟・姉妹はまったく一般的な現象である。スウェーデンの子どもは、このような家庭環境で育つ。だから、個性が強く、精神的に自立心の強い大人に育つのは、しごく当然のことである。うむうむ、そういうことなんですか、なるほどですね。
 スウェーデンという国を知ることによって、日本社会の変革の方向、目指すべき道も明らかになると思いました。
 
(2010年8月刊。0円+税)

2010年12月 2日

ギリシャ危機の真実

 著者 藤原 章生、 毎日新聞社 出版 
 
 ギリシャには行ったことがありません。パンテノン神殿とか、一度は行ってみたいと思ってはいるのですが、少しは言葉の分かるフランスにどうしても魅かれてしまいます。
 それでも、先の選挙のとき日本がギリシャのようになってはいけないというキャンペーンが自民党や財界筋から出てきましたので、ギリシャの国の実情を知りたいと思って読んだのでした。この本を読んでギリシャの国の一端が少し分かった気になりました。ギリシャって、日本とはかなり異なった国家と国民性がある。つくづくそう思ったことです。
 まず第一に、ギリシャの公務員の総数を政府も把握しきれていないというのです。これには驚きというより、呆れてしまいました。
 公務員は選挙のたびに増え、2009年は2000年に比べて3割増の114万人になった。これは労働人口の21%、雇用者の3分の1に及ぶ。ところが、これは推計であって、実数は政府もつかめていない。
 新たな政権ができると、閣僚の顧問や局長職は総入れ替えになり、閣僚や次官などの政治化が好きなように身内や友人などをそのポストに就ける。このときに臨時雇用だったはずが、いつのまにか正規雇用になっていて、政権が交代しても解雇されない。
官僚の給料は安いので、副業にいそしむ人は多い。これは民間企業でも同じこと。無税で働く非公式のお金、闇経済の社会がギリシャにはある。
 そして、ギリシャの総計はまったく信用できない。実に怪しい数字をもとに算出されたマクロ経済の総計だけでこの国の実態は語れない。
ギリシャでは、政治すなわち公職を得る手段だと思われてきた。特権層に集中していた悪習を、パパンドレウ父首相は、左派の庶民にまで広げてしまった。ギリシャでは縁故主義が根強い。
ギリシャ共産党の得票数は1割でしかなく、議会政治のなかでは、決して主流になれない。しかし、ギリシャでは共産党員は孤立しておらず、庶民の中にふかく浸透している。
 ギリシャ共産党は、庶民の目から見れば、訳の分からないこと、実現しそうもない理想をうたう人々である。しかし、困ったときに、また自分が国の犠牲になったときには親身に相談に乗ってくれる相手である。
 共産党の古臭いスタイルのデモに、ごく一般の穏健な人々から極左まで参加している。そこには、レジスタンスを率いながら、戦後いい目にあえなかった被害者としての歴史がからんでいる。ギリシャ共産党は、主流のプレーヤーにはなれないが、庶民を動かし、世界に国のイメージを植えつける社会の一つのツールとしては機能している。
ギリシャ人は現状にすぐ慣れる。そして変化には強い。今回の危機など、長い歴史の中でみると大したことはない。周りが騒ぎ過ぎているだけ。
 何を言われようと、どれだけ困ろうと、頑固にギリシャ人は生活スタイルを変えようとしない。ギリシャ人は、したたかで図太い。ギリシャ人は、ドイツ人のようなあくせくした生活を嫌っているようです。でも、決して怠けを好んでいるのではありません。だって、2つも3つも副業して働いているのですからね・・・・。世界はなかなか広いですよね。
 
(2010年8月刊。952円+税)

2010年7月 8日

戦場からスクープ!

 著者 マーティン・フレッチャー、  出版 白水社 
 私と同じ世代のイギリス人記者の半世紀です。よくぞ危険な戦場を生き延びたものだと思います。私には、とてもこんな勇気はありません。
 地雷には、対人と対車両の2種類がある。地雷は地面の下2インチの深さに埋められる。対人地雷を爆発させるには、ほんの10~40ポンドの重さがあればいい。対車両なら350ポンドだ。
 対人地雷は、地表で爆発し、兵隊の足に損傷を与える。1人の兵隊が片足を失えば、その男を安全な場所にまで運ぶのに兵隊が別に2人必要となる。合計で3人の兵隊が戦闘から排除される。いやはや、とんだ計算がなされています。
 アフガン人は、尻を拭くのに左手を、食べるのに右手を使う。だから、盗人の右手を切るのは、きわめて厳しい罰になる。盗人は右手だけでなく、友人たちと食事をする能力をも失う。なぜなら、男の左手が使った碗から食べる人間はいないから。つまり、男はアウトカーストになってしまうのだ。これって、辛いことですよね。
 ボスニアにNATOが介入したのは、2年間で20万人が死亡したから。だが、ルワンダでは4週間で20万人が死亡した。にもかかわらず、世界はそっぽを向いていた。なぜか?
ルワンダには、戦略的重要性もなく、語るべき資源もなかったからだ。
 キャンプにいる難民25万人のほとんどが、ジェノサイドを逃れてきたツチ族ではなく、ツチ族の報復を逃れてきたフツ族だった。つまり、キャンプで救援機関が助けていた人々のほとんどは、フツ族の殺人犯とその家族だった。フツ族は逃げ、ツチ族は死んでいた。
 歴史は、欧米のメディアにとって、アフリカの血の価値がヨーロッパの血の価値ほど重くないことを示している。メディアには、たとえば10年間にわたってバルカン半島を重点的に取材する余裕はあったが、ルワンダのことは手遅れになるまで無視した。
 戦争ジャーナリストのすさまじい日常生活が描かれています。いやはや、世界にはかくも悲惨かつ過酷な戦場があるのですね。平和を守りたいとつくづく思ったことでした。今こそ日本国憲法9条2項を守り抜きましょう。暴力と戦争の連鎖は御免です。これを平和ボケなんて言わないでくださいね。
(2010年1月刊。2600円+税)
 先日新聞の訃報欄で、後藤竜二氏が亡くなられたことを知りました。私が司法試験の受験勉強をしていたとき、友人から「面白い本があるよ、読んでみたら」と勧められたのが、『天使で大地はいっぱいだ』と言う本でした。
 難しい法律議論の世界で頭を悩まし、失語症になったかと思うほど日常会話をしなくなったなかで、生き生きと躍動する子どもたちの世界は、まさに一服以上の清涼剤とでもいうべきものでした。苦しかった受験生活とともに思いだされる本です。
 昨日の新聞に、法人税率の引き下げを管首相が前倒しで実施すると報じられていました。日本の大企業の実効税率は、20%もないところがいくつもあるようです。それをさらに引き下げるつもりのようですが、それではいったい、消費税率の引き上げは何のためなのでしょうか。疑問だらけです。

2010年7月 3日

インドの鉄人

著者:ティム・ブーケイ、バイロン・ウジー、出版社:産経新聞出版

 2006年6月、ロンドンに本社をおくインド人のラクシュミ・ミッタルの率いるミッタル・スチールが、フランス人のギー・ドレ率いるアルセロールの買収に成功した。
 このとき両サイドに顧問を派遣した13の銀行は、その顧問料として合計2億ドルを請求した。ミッタルがアルセロールを取得するために銀行顧問、法律顧問、ロビー活動、広報活動に支払った金額は1億8800万ドルにのぼる。これは1日あたり100万ドルになる。
 この本は、この買収劇をドキュメント・タッチで紹介しています。日本の新日鐵だって、いつミッタルに買収されてしまうか分かりません。
 その前年(2005年)までに、55歳のラクシュミ・ミッタルは、15年間に47社を合計150億ドルで買収していた。世界最大の鉄鋼会社の経営者であり、世界第5位の富豪であって、その資産は150億ポンド。
 ラクシュミ・ミッタルはどちらかというと貧乏な家族の出身である。裕福な家族の出身ということは出来ない。
 1995年の時点で、ミッタルは年間1120万トンの鋼鉄を生産していた。そして、このとき目標は2000万トンだと言って笑われた。当時、世界一の新日鐵が年2700万トンの時代だから、それも当然のこと。
 鉄鋼業の不景気が、2000年から2002年に続くなか、多くの会社が買収戦線から遠ざかるなかで、ミッタルは逆に会社買収につとめた。スピード、意外性、多様性、そして忍耐。これがミッタル社のスローガンだった。
 ミッタルは、たった20年で、277億ドルの財産を築いた。ミッタルをこえる資産はビル・ゲイツなどわずかしかいない。ミッタル・スチールは世界中で17万9000人の従業員をかかえ、アメリカの自動車メーカーのつかう鋼鉄の30%を供給するまで成長した。
 会社が敵対的買収に直面したとき、経営者が守るべきもっとも重要なことの一つは、よく眠ること。戦いは疲れるものなのである。なーるほど、睡眠不足は判断を誤らせますよね。
 アルセロールは、日本の新日鐵に救いを求めることも考えた。しかし、日本人は交渉にやたらと時間をかけるので評判が悪い。アルセロールは日本人を尊敬してはいたが、日本人とゆっくり時間をかけている余裕はなかった。
 アルセロールの買収に成功したことから、新会社は世界の鉄鋼生産の10%、つまり毎年1億2000万トンの粗鋼を生産するようになった。従業員は32万人。時価総額460億ユーロである。売上高は1052億ドルに達しようとしている。年間総生産量2億ドルも「史上初」になりそうである。
 インド人の起こした製鉄会社が、またたく間に世界中を席巻したわけですが、その内実の一端を知ることのできる本です。
(2010年2月刊。2000円+税)

 消費税を10%にするのは、ギリシャのようにならないためと管首相が言っているようですが、ギリシャと日本は事情が違うのではないでしょうか。日本の国債は大半が日本国民が買っていて、ギリシャは対外債務が大きい。そして、ギリシャは消費税を上げたけれど、法人税率は大きく引き下げた。それで国家の財政収入がひどくなったと聞いています。
 それが本当だとしたら、日本で消費税を10%にするのと合わせて法人税率を大きく引き下げたら、ギリシャと同じように財政破たんしてしまうのではありませんか……。

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