弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

リトアニア

2017年10月20日

マーシャの日記

(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版  新日本出版社

マーシャは、1927年にリトアニアに生まれたユダヤ人。父は弁護士で、ナチス・ドイツと戦った。母と妹・弟はゲットー閉鎖のときに射殺され、マーシャだけ強制収容所に入れられ、苛酷な環境の下で、奇跡的に生きのびました。
14歳から17歳の少女になるまでの3年間、ずっと書いていた日記をもとに当時の状況が刻明に再現されています。
マーシャはあちこち移動させられていますが、日記を持ち歩いていたようです。その意味でも幸運でした。「生きて帰れたら、自分で話そう。帰れなかったら、日記を読んでもらおう」と日記の冒頭に書いています。
マーシャは、非人間的な状況のなかで記録することを使命としてメモを書き続けた。ゲットーで、また強制収容所で。紙と鉛筆を探し、書いたメモを隠し、書けないときには「記憶術」で頭に焼きつけて、記録し続けた。
解放された直後のマーシャの顔写真がありますが、いかにも聡明な美少女です。
マーシャの父親は弁護士として、さらに国際革命運動犠牲者救援会(モップル)に所属して、地下活動をしている共産主義者たちを裁判で弁護していた。
マーシャは、明日死ななければならないと思うと、恐ろしかった。ついこの間まで勉強したり、廊下を走ったり、授業で答えていたのに、突然、もう死ぬなんて、嫌だ。だって、まだ少ししか生きていないのに・・・。それに、誰ともお別れをしていない、パパとさえ・・・。
ユダヤ人はゲットーに入れられた。ゲットーの門の外側には、「注意!ユダヤ人街区。伝染の危険あり。部外者の立入禁止」と大書した看板がある。
第二ゲットーが閉鎖された。そこには9000人がいた。明け方、マーシャたちのいる第一ゲットーの門の近くで、第二ゲットーからはいずって逃げてきた産婦が見つかった。路上で子どもを産み、たどり着けずに死んだのだ。生まれたばかりの女の子はゲットーに運び込まれた。赤ちゃんには、ゲットーチカという名前がつけられた。
ゲットー内でコンサートが開かれていたのに驚きました。劇も上演されていたのです。
やはり、苦しいときでも文化は生きる希望として必要なのですよね。
コーラスもあった。困難なほど、情熱が燃える。オーケストラには団員が集まっている。
ナチスは、女性が化粧品を使うことを禁止し、装飾品をつけてはいけないと命令した。干からびた口紅が路上にあるのを見て、そばにいた女性を殴りつけた。
ユダヤ人警察として熱心にしていた男性が銃殺された。どんなに特権を与えられていても、どんなに熱心に占領軍・ナチスに尽くしても、結局のところ、ユダヤ人共通の運命は避けられなかった。
収容所のなかで、マーシャは幸運にも針を見つけた。ほんものの、ちゃんとした針。拾うためにかがみこんだのを見られて護送兵に殴られたけれどマーシャは平気だった。少なくとも、服をちゃんと繕えるから・・・。
マーシャは木靴をもらうとき、囚人番号5007が受領したと記録される。ここでは、姓も名前もなく、あるのは番号だけ。
この世には、収容所と作業と空腹と、そしてものすごい寒さ以外には存在しない気がする。点呼中に誰かが動いたように思われると、罰として、極寒の中に夜中まで立たされる。
大勢の男性が収容所から連れ去られた。道路や野原の地雷を除去するために。それは、地雷に触れて飛ばされるまで、地雷が埋まっている野原をただ歩かされるということ。
マーシャは、ソ連赤軍により解放されたときには18歳になっていました。そして、マーシャは、戦後になって自分の日記を出版し語り部になったのです。
マーシャは昨年(2016年)に亡くなりました。89歳だったのですから、少女期に苛酷な体験しても長生きできたわけです。
このような体験記は永く読み継がれていく必要があると思いました。戦争の愚かさを知るために。安倍首相のように力づくで北朝鮮をおさえこもうとしても悪い方向に動くだけです。もっと、広い心で対話を試みるしかないと思います。この秋、一読をおすすめします。
(2017年8月刊。2200円+税)

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