弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

日本史(室町)

2018年12月 6日

徳政令

(霧山昴)
著者 早島 大祐 、 出版  講談社現代新書

徳政とは、ある日突然、借金が破棄され、なくなってしまうこと。公権力が徳政令という法令を出して債務破棄を追認していた。
徳政一揆というものがあり、当時の庶民がおしなべて徳政、つまり借金の破棄を求めていたというイメージがあります。でも、この本によると、必ずしもそうとは限らないようです。
徳政をめぐる摩訶不思議な社会のカラクリを見事に謎解きしてくれる新書です。といっても、それはあまりに謎にみちみちていますから、私が全部を理解できたというわけではありません。ほんの少しだけ分かったかな・・・というところです。
中世の公権力であった朝廷や幕府は、基本的に金銭貸借などの民事紛争には関心がなく、裁判のような面倒くさいことに関わりたくはなかった。ところが15世紀以降、室町幕府は民事訴訟を積極的に取り扱うようになった。
中世前期・鎌倉幕府は御家人救済政策として債務破棄のための徳政令を発布した。そして、中世後期には、民衆による徳政一揆が主体となって債務破棄を主張する徳政要求があった。つまり、徳政観念と徳政を求める主体が変化したのだ。
京都近郊の農民を中心とする徳政一揆は京の高利貸である土倉(どそう)を襲撃し、幕府はその動きに突き動かされて債務破棄を認める徳政令を発令した。
ところが時代が移って、武士・兵士たちが兵粮代わりに土倉たちを襲撃し、幕府がその動きを追認するかたちで徳政令を出した。これを人々は嫌った。
中世社会では、借りたお金は返さなければならないという法が存在すると同時に、利子を元本相当分支払っていれば、借りたお金は返さなくてもよいという法も、条件つきながら併存していた。
中世の利子率は、一般に月利5%。年に60~65%で、2年ほど貸せば、元本と利子をあわせて2倍になる。
中世の人々は、勝つまで何度も訴訟を提起した。
室町幕府の第四代将軍の足利義持は、訴訟制度を整備するなど、裁判に熱心な権力が誕生した。
日本人は昔から裁判が嫌いだったという俗説がいかに間違っているか、ここでも証明されています。
徳政は、当初は民衆が結集する旗印だったのが、次第に変わっていき、ついには逆に社会に混乱をもたらし、民衆を分断させる要因へと変質していった。
戦争に参加する兵士たちを除けば、多くの人々にとって徳政令のメリットは減少し、ただ単に秩序を乱すものに過ぎなくなってしまった。
徳政とは借金帳消しという単純なものではなく、当時の人々の意識、土地売買契約など、さまざまな観点から考えるべきものだという点が、よく分かりました。
中世社会を知るために欠かせない視点が提示された新書だと思います。
(2018年8月刊。880円+税)

2017年7月22日

足利尊氏

(霧山昴)
著者 森 茂暁 、 出版 角川選書

足利尊氏の実相に迫った本として、興味深く読みとおしました。なにより後醍醐(ごだいご)天皇との関係については目新しい説であり、なるほどと驚嘆してしまいました。
そして、足利尊氏は聖なる天皇に反抗した「逆賊」なのかという点の考察にも感嘆するほかありませんでした。足利尊氏逆賊説は、狂信的な南朝正統論の落とし子だった。
足利尊氏は後醍醐に対して、最後まで報謝と追幕の念を抱いていた。
足利尊氏と後醍醐とは、政治的また軍事的に対立する立場に立ったことは事実だが、かといって尊氏が後醍醐を追討や誅伐(ちゅうばつ)の対象とした事実は史料的に裏付けられてはいない。
足利尊氏は後醍醐に対して明確な謀叛(むほん)を企んだとはいえないので、尊氏に「逆賊」というレッテルを貼るのは、歴史事実のうえからみて、御門違い(おかどちがい)と言わなければならない。
足利尊氏は歴史的人物であるが、その評価は、英雄と逆賊の間をゆれ動いた。これほど、評価の振幅の大きい人物は、日本史においては珍しい。
後醍醐天皇の主宰する建武政権の存続期間は、2年半ほど。
御教書(みぎょうしょ)は、どちらかというと、私的性格をもつ文書。下文(くだしぶみ)は所領をあてがう公的文書。
尊氏の尊は、後醍醐天皇の偏諱(へんき)の尊をもらって「高氏」を「尊氏」としたもの。尊氏は、20ヶ国にわたる45ヶ所の北条氏旧領を天皇から獲得した。
恩賞納付のための文書の様式として、鎌倉将軍にならって袖判下文(そではんくだしふみ)を初め発給した。
歴史上に有名な人物を見直すことができる本でした。
(2017年3月刊。1700円+税)

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