弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

イタリア

2016年5月14日

イタリア現代史

(霧山昴)
著者  伊藤 武 、 出版  中公新書

 私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、ローマにもポンペイにも行ったことがありません。イタリアといったら、なんといってもスパゲッティとピザですよね。
 イタリアの政治と言えば、現在の政党の名前は、みんな新しいものばかりなんですね、不思議です。日本では共産党が戦後ずっと同じ名前ですし、イタリア共産党と言えば、強大な党でしたよね。ところが、今は存在していません。そして、イタリアといったら、かのマフィアの存在も忘れることができませんね。裁判官も検察官も次々に暗殺されてしまいました。マフィアと政治家との結びつきの強さは、日本でいうと大型公共土木工事をめぐる自民党政治家(一部でしょうが・・・)と暴力団との結びつきと同じことなのでしょうね・・・。
 日本以上に変転きわまりない(と思える)戦後イタリアの政治史をたどっている本です。
 1930年代、ムッソリーニの独裁は安定していた。そのファシズム独裁は、ファシスト党の独裁というより、ムッソリーニ個人を頂点とする国家の支配だった。ムッソリーニは、党よりも国家官僚機構を重視し、政府の長として集権的統治を目ざした。
1945年4月、スイス国境へ逃れようとしていたムッソリーニは捕えられ、裁判を経て処刑された。
武装パルチザン活動をふくめたレジスタンスが北部の自力解放に結びついたことは、その後に「レジスタンス神話」を生み出す。レジスタンス神話の浸透は、戦に多くのイタリア国民がファシズム独裁の歴史的問題の清算はすんだととらえる副産物をもたらした。
ファシズム時代、アフリカ侵攻におけるガス使用、ホロコーストへの協力など、神話と相いれない歴史的記憶は深層に潜り込んでしまった。
レジスタンス側も、暴力の責任から無縁とは言えない。
1946年6月、共産党のトリアッティ法相は、ファシズム関係者のパージの幕引きを図った。
1946年6月、イタリア史上はじめて女性に選挙権が認められた。そして、国民投票で君主制の廃止が決まった(54%の賛成と46%の反対)。選挙では、キリスト教民主党35%、プロレタリア統一社会党21%、共産党19%で、三大政党が全有権者の4分の3を獲得した。
共産党は、知識人のなかに改革の党として強い影響力をもった。統一社会党は、内部の激しい派閥抗争などから、やがて左翼第一党の座を共産党にまもなく明け渡した。
アメリカは、イタリア政権に左翼と決別するよう、強い圧力をかけた。
1960年8月、ローマでオリンピックが開催された。
大学生は、1950年に2万人だったのが、1962年には30万人、1968年には45万人へと急増した。
1968年1月、大学占拠の波がイタリア全土に広がった。日本でもフランスでも同じようなことが起きました。私が大学1,2年生のころです。
若者の抗議、新左翼運動の勃興、共産党の勢力拡大はイタリアの社会に新たな緊張をもたらした。
1970年から73年は、極右勢力が盛り返し、「右翼の3年」と呼ばれた。黒いテロリズムが勢いずき、多数の死傷者を出した。そして、「赤いテロリズム」を呼び起こした。
1970年12月、離婚を合法化する法律が制定された。
1976年の総選挙では、キリスト教民主党が38.7%、共産党が34,4%を獲得した。
1978年3月、アルド・モーロが「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。事件の真相は、今なお闇の中にある。
1981年5月、P2事件が発覚した。フリーメイソンの支部の名簿が公表された。
1983年、共産党は大きく支持を減らした。ソ連共産党との関係を清算しきれず、そのことがマイナスに動いた。
1987年の総選挙で、共産党は26.6%しかとれず、敗退した。「正直者の党」の共産党による権力監視の機能が衰えた1980年代は、政党や行政機関、財界を巻き込み、利益誘導と政治腐敗は悪化していった。腐敗の拡大と表裏一体で進行したのが、マフィアの全国的進出だった。シチリアのマフィア、カンパニーニャのカモッラ、カラブリアのンドラゲタなどの犯罪者集団が我が物顔で横行した。
日本の政治も、いびつな小選挙区制度をやめて比例代表制にしたら、国民の意思がよりよく反映されて、すっきり風通しのいい政治になると思います。
(2016年1月刊。900円+税)

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2015年9月22日

古代ローマの庶民たち


(霧山昴)
著者  ロバート・クナップ 、 出版  白水社

 ローマ帝国で庶民がどんな生活をしていたのかについて、多角的に明らかにした本です。
 なにより驚かされたのは、ローマの公衆浴場が、実は不潔だったという記述です。お風呂に入るというと、日本では、かけ流しの温泉のイメージで、清潔そのものというイメージです。ところが、マルクス・アウレリウスは、入浴の汚さを次のように記している。
入浴とは、油、胸の悪くなるような臭いのごみ、汚物まみれの水、吐き気がするようなものすべてある。
 なんだか恐ろしい浴場ですよね・・・。
何もかもが混ざった場が接触感染者を蔓延させていた。病気を治すはずの場から、人々は新しい病気をもらっていた。それでも、ローマにおいて浴場は、貴重な社交の場になっていた。日々の生活の根本的な部分だった。酒と女と浴場こそが人々の楽しみだ。
 ローマには正規の警察組織はなかった。ローマに住む人々にとって、窃盗は重大な関心ごとだった。あらゆる種類の物品が盗まれた。泥棒も多種多様だった。
ローマの女性は、法的な地位がなく、投票できず、高等教育からも排除されていた。
 結婚は、男中心の性質のものだったが、女性は積極的な伴侶だったし、背景に押し込められてはいなかった。
女性は3人か4人の子どもの母親になることで、完全な司法上の人格を獲得することができた。そして、財産の所有権や契約書・遺言状の作成ができた。嫁資をもつことで、結婚したあとで夫の支配力を和らげるのに役立った。
古代ローマだからといって、現代に生きる私たちとまったく別次元で生きていたわけではないということも、よく分かる本となっています。
(2015年6月刊。4800円+税)

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