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<title>弁護士会の読書</title>
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<modified>2010-03-12T00:44:23Z</modified>
<tagline>福岡県弁護士会の弁護士・職員の読んだ本・オススメの本</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2010, 霧山昴</copyright>
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<title>Twitter  社会論</title>
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<modified>2010-03-12T00:44:23Z</modified>
<issued>2010-03-12T00:41:32Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　津田　大介　、　出版　洋泉社新書 　 　私がツイッター...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>社会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　津田　大介　、　出版　洋泉社新書<br />
　<br />
　私がツイッターという言葉を知ったのは最近のことです。アメリカのオバマ大統領が選挙戦以来愛用しているということでした。ブログとはどう違うのかなと疑問に思っていました。つい最近、初めてツイッターの画面を見ることができました。１４０字というので５～６行の短文がえんえんとつながっていました。ミニ情報の大洪水のようでした。このなかからどうやって選択するのか不思議でなりません。<br />
　ツイッターを運営するアメリカ、ツイッター社は、2009年９月、複数の投資会社から１億ドル（90億円）を獲得し、現在の企業価値は１０億ドル（900億円）に値する。<br />
2006年、アメリカのグーグル社は動画投稿サービス「ユーチューブ」を１０億５０００万ドル（1500億円）で買収した。<br />
ツイッター社は、ネットの世界にいち早くリアルタイム・ウェブの潮流を持ち込み140字という限られた文字数で放送メディア並みの瞬間的情報伝播力を持たせないことに成功した。　<br />
現在、全世界で５５００万人ものユーザーを抱えている。前年比から１２７０％の増加である。ツイッター社のサービスが始まったのは2006年7月のこと。アメリカのユーザーは2009年に１８００万人、2010年には2600万人になると予測されている。<br />
Twitterとは、ぺちゃくちゃしゃべるさえずるという意味。日本人ユーザーは、2009年<br />
1０月、100万人とみられている。<br />
ツイッターは、今のところ誰でも無料で利用できる。これから有料になるという話はない<br />
問題は、「なりすまし」だ。そして、デマも急速に伝播してしまう。これは情報の真偽を検証する機能が貧弱であるツイッターならではの問題だ。　<br />
英米に比べて日本のツイッター議員はやや少ない。ツイッターをつかって情報を発信している日本の公的機関もまだ少ない。<br />
ツイッターには、ブログについての「お気に入り」と同じようにフォロワ－というツイッターのフォローをする人々がいて登録するようです。そうでもないと洪水に埋もれてしまいますよね。<br />
（2009年12月刊。760円＋税）</p>]]>

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<title>東欧革命１９８９</title>
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<modified>2010-03-11T00:58:16Z</modified>
<issued>2010-03-11T00:57:50Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　ヴィクター・セベスチェン、　出版　白水社 　イギリスの...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>世界史（ヨーロッパ）</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　ヴィクター・セベスチェン、　出版　白水社</p>

<p>　イギリスのジャーナリストによる、１９８９年に起きた一連の革命的出来事がよくまとめられています。なるほど、そういうことだったのかと改めて東ヨーロッパの自由化のうねりを実感しました。<br />
　東ドイツのベルリンの壁崩壊の直接のきっかけは、広報担当者のちょっとした言い間違いであったこと、ポーランドのワレサ「連帯」の勝利は、望まない即時選挙によるものであったこと、ルーマニアのチャウシェスク大統領は、大群衆を前にした演説でやじに負けて哀れな姿をさらけ出したことで、４日後には銃殺されてしまったことなど、知らなかったことがたくさんありました。<br />
　そして、アメリカがこの一連の革命にどう対処したかは面白いものです。ＣＩＡはこの大変化を予測できていなかった。ブッシュ大統領は東ヨーロッパの暴走を恐れ、むしろ各国共産党政権を存続させることに必死になっていた。ポーランドのヤルゼルスキは、大統領選挙にあまり勝ち目がないようなので、不出馬を決意していたところ、ブッシュ大統領が強力に出馬をすすめた。うへーっ、なんということでしょう。アメリカのご都合主義がここでも明らかです。ポーランド国民のためになるかとか、民主化を推進するより、アメリカ国益最優先なのです。いつものことですが……。<br />
　東ドイツ政権は、ベルリンの壁を建設して３年後から人身売買に着手した。一定の代金と引き換えに、政治犯を釈放するのだ。１週間に２回、１０人ずつ西へ渡った。１人あたり当初は４万マルク、あとでは１０万マルク。この方法で西に渡った人は３万４千人。この収入は、東ドイツの国家予算として組み込まれていた。総額８０億マルクの収入をもたらした。<br />
　人口９００万人のチェコスロバキアでは、あらゆる職業に４５万人もの特権階級のポストがあった。政治が最優先だった。<br />
　ＣＩＡはワレサの「連帯」を支援するため、大量の資金、印刷、放送機材をポーランドに投入した。お金は、法王庁とつながりのあるカトリック団体を経由して、バチカン銀行などを使って届けられた。バチカンの支援を受けて、ＣＩＡが「連帯」に送った資金は６年間で５千万ドルにもなる。<br />
　東ドイツの秘密警察（シュタージ）は、常勤職員６万人、そして５０万人をこえる積極的情報提供者がいた。<br />
　ゴルバチョフはロシアの外では熱狂的に歓迎された。しかし、軍部はゴルバチョフによって痛めつけられたので、仕返しを考えていた。ゴルバチョフは国際社会では有名人の地位をほしいままにしていたが、国内での人気は急落していた。せいぜい無関心、ひどければあからさまの敵意に満ちていた。<br />
　実力を持つソ連共産党の重鎮のなかにはゴルバチョフを選んだことを後悔しはじめた者もいた。グロムイコもその一人である。ゴルバチョフは、東ヨーロッパの衛星諸国が独立に突っ走るとは考えていなかった。それは最大の誤算だった。ベルリンやプラハを訪問して「ゴルビー」と叫び、「ペレストロイカ」と書いたプラカードを振る大群衆に迎えられた時、ゴルバチョフは人々がゴルバチョフ流の改革共産主義を支援しているものと思った。ソ連が崩壊するまで、自分の間違いには気がつかなかった。あのデモの群集は、自分たちの支配者に抗議する手段として、ゴルバチョフを隠れ蓑にしているのだということを見抜きそこなっていたのだ。<br />
　なーるほど、そういうことだったのですね……。忘れてはいけない貴重な歴史の本です。</p>

<p>		（２０１０年１月刊。４０００円＋税）</p>

<p>　日曜日の朝、庭にツクシがたっているのを見つけました。土筆という名のとおりです。子どものころ、土手で摘んでおひたしにしてもらって食べていました。ちょっぴりほろ苦い、春の味わいです。<br />
　ジャーマンアイリスの球根を掘り出して植え替えをしてやりました。これまでとあわせると、数えてみたらなんと１５０本ほどになっています。６月にはジャーマンアイリス畑になってしまいそうです。青紫の気品ある華麗な花を咲かせてくれることでしょう。白い花、茶色の花も少しだけあります。チューリップのあとの６月の楽しみです。</p>]]>

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<title>九重の雲</title>
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<modified>2010-03-10T00:25:17Z</modified>
<issued>2010-03-10T00:22:59Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　東郷　隆、　出版　実業日本社 　闘将・桐野利秋。これが...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>日本史(明治)</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　東郷　隆、　出版　実業日本社</p>

<p>　闘将・桐野利秋。これがサブタイトルです。この本は西南戦争で西郷隆盛とともに戦って倒れた桐野利秋の一生を描いています。<br />
　世に、桐野利秋ほど毀誉褒貶の定かならぬ人物もまた珍しい。<br />
　明治維新の前は中村半次郎。人呼んで「人切り半次郎」。剣の達人にして、その性、明朗闊達。明るく、度量が広く、こせこせしない性格。反面、粗雑にして、無学文盲。半次郎を嫌う人々は、そのがさつな性格を憎んだ。明治１０年の西南の役を引き起こした影の首謀者として、西郷隆盛を死に追いやった無知蒙昧な指揮官として、今も指弾する者は多い。<br />
　昭和４３年、明治百年記念展に中村半次郎の日記が公開された。半次郎の書体の流麗さは人々を驚かせた。大胆で力強く、誰が見ても美しく感じられた。無学文盲の徒ではなかったのか……！むむむ、どんな書体なのでしょう。見てみたいです。<br />
　西郷従道は、鳥羽・伏見の戦いで撃たれた。ほとんど助からないと思われ、西郷隆盛は「だれか介錯してやれ」と指示した。従道は、このとき兄の隆盛が自分を冷たく扱ったことを生涯忘れなかった。<br />
　うへーっ、そ、そんなことがあったんですか……。知りませんでした。<br />
　戊辰の戦いに出陣した下級・中級の薩摩武士節は、およそ６０００人を数えた。そのうち死者は１割。負傷者はその数倍に達する。帰国したあと、武力と自信をもとに藩政改革を始めた。なーるほどですね。<br />
　版籍奉還のころ、中村半次郎は桐野利秋と名乗った。<br />
　改革では下級士族のみが優遇されており、郷士級の者は禄高が５０石とされ、差別を受けた。これが。あとあとまで両者にわだかまりをつくった。西郷の改革は、主として己の身近にある城下の下級士族ばかりに目を向けていた。西南の役が起きると、彼ら郷士の中には、このときの恨みを持って出兵を拒否する者も多かった。西南の役に、鹿児島の男子すべてが西郷のために決起したかのように思う人は多いが、そうではなかった。<br />
　維新後、桐野利秋は３４歳で陸軍少将となった。官位は従五位である。肥前佐賀人の江藤新平による法治主義の導入は、目を見張るものがあった。大久保の外遊中の留守政府参議の構成員は、薩摩１、土佐２、肥前４であり、ほとんど佐賀人の内閣だった。江藤司法卿は、薩長閥政治の打倒をひそかに企んでいた。<br />
　薩人朴直にして女に弱い。長人は狡猾にして金に汚い。よって、汚職の体質を突いてまず長州を陥し、そのあと、おもむろに薩摩を打つ。<br />
　西郷隆盛は、明治政府を辞職したあとの５日間、静養と称して東京内に潜伏した。見た目と異なり、西郷は案外病弱だった。隆盛や桐野たちが辞職した穴を埋めた者がいる。およそ７０００人以上の人々が忽然と首都から姿を消した。<br />
　激戦地、田原坂では、日が経つにつれ薩軍の火線が弱体化しはじめた。その理由は、旧式小銃だ。明治以来使い続けてきたエンピールやヤーゲルといった先ごめ式の小銃は湿気に弱く、薩摩兵士はここぞというときの不発に悩まされた。政府軍兵士から装備を捕獲すると、争ってこれを用いたが、もともと敵の兵器だから、弾薬の安定供給など望むべくもない。<br />
　政府軍の兵士も１２種類以上の銃器を与えられ、初めは弾薬の受領に苦労した。しかし、兵站線に最新の注意を払っていた政府軍の補給組織は、田原坂の戦いが始まって数日すると前線の重点正面にある兵の所持重機をすべて後装式のものに交換した。使用弾薬の多くは金属薬きょうで、これは湿気に強く、発射速度も薩軍の２～３倍に跳ね上がった。その火力に依存して、政府軍兵士はかろうじて薩軍と同等の戦意を維持しつつけた。そして弾丸消費量は当初の予想を大きく超えて１日平均３２万発。多い日は５０万発以上が戦場に消えた。こうした消耗戦に釣り込まれた薩軍の補給線は、悲惨の一語に尽きた。弾薬から糧に至るまで、基本的に自弁であり、薩軍本営が初期に用意した弾薬は１５０万発でしかなかった。<br />
　西郷隆盛にはフィラリアの持病があった。陰のう水腫のため、睾丸が大きくふくれあがり、歩行も困難なありさまだった。<br />
　参軍の山県は、西郷が生きて城山から下ってくることを、もっとも恐れていた。<br />
　明治１０年９月２４日、城山で死者１６０人余人、捕虜２００余人。東京日日新聞は、午後には速くも号外を東京市中にまき散らした。西郷の死後わずか数時間で、東京市民は西南戦争の終結を知った。<br />
　明治１１年５月１４日、内務卿大久保利通は皇居に向かう途上、６人の刺客に囲まれて命を落とした。暗殺犯は加賀士族５人と島根県士族１人であった。<br />
　桐野利秋は明治１０年２月に陸軍少将正５位の官位を剥奪されていたが、没後３９年、大将５年４月、元の官位に復した。<br />
　「人切り半次郎」という呼び方は近年のものだそうですが、いずれにしても幕末期における京都の殺伐とした状況が、よくぞ正常に戻ったものです。６２０頁からの大作です。明治維新前後の状況と桐野利秋の人となりを十分なイメージを持って知ることができました。<br />
　<br />
		（２００９年３月刊。２２００円＋税）</p>]]>

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<title>知ってほしいアフガニスタン</title>
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<modified>2010-03-09T00:44:25Z</modified>
<issued>2010-03-09T00:42:19Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　レシャード・カレッド、　出版　高文研 　著者はアフガニ...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>世界（アラブ）</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　レシャード・カレッド、　出版　高文研</p>

<p>　著者はアフガニスタン出身のお医者さんです。今は日本に帰化して、静岡県の島田市で医師会長をしておられます。たいしたものですね。<br />
　ＮＧＯ「カレーズの会」の理事長として、アフガニスタンに診療所を開いて治療にあたっているといいます。ペシャワール会の中村哲医師といい、このレシャード・カレッドさんといい、その並々ならぬご努力に対して心より敬意を表します。<br />
　先日、「ペシャワール会」の伊藤さんがアフガニスタンで不幸にも殺害されてしまいましたが、この伊藤さんも初めは「カレーズの会」の所属でした。農業の分野で貢献したいという本人の希望により、「ペシャワール会」への移籍をすすめたということです。善意が時として戦争の中で通じなくなるという不幸なことが起きてしまって残念です。<br />
レシャード・カレットさんは生粋のアフガニスタン人ですが、日本に関心を持って大学生の時に日本に渡ってきて、千葉大学そして京都大学で医学を学んで、医師になったのでした。なれない日本語を身につけ、たくさんのアルバイトをして苦学していたことが書かれていますが、本当に大変だったと思います。<br />
　そして、アフガニスタンを見捨てることなく、現地でも診療活動を続け、ついに診療所まで建てたのです。大変治安の悪くなっているアフガニスタンでも、この「カレーズの会」の診療所にはアフガニスタン人の患者が殺到していると言います。地元の人々の絶大なる信頼を得ているわけです。<br />
　日本政府は、自衛隊なんかアフガニスタンへ送るのではなく、このような「カレーズの会」や「ペシャワール会」への援助を大々的にしたら、どれだけ現地の人々に喜ばれることでしょうか。<br />
　アメリカでオバマ政権が誕生しても、日本で民主党政権が生まれても、チェンジ（変化）が起きず、相変わらず軍事制圧しか考えないと言うのは悲しすぎます。<br />
　お前は甘っちょろいという人がいるかもしれません。でも、戦火をくぐってボランティアで献身しているレシャード・カレッド医師は何と言っているでしょうか……。<br />
　どんなに困難であっても、アフガニスタンは復興を目指して歩んでいかねばならない。当然、多くの国々から支援を続けていただかなくてはならないが、その支援はあくまでも武力を使っての援助ではなく、非軍事的な手段で平和構築に貢献してもらうことである。<br />
　今のところ日本は、アフガニスタンでもっとも信頼が厚く、信用のある国です。その日本の役割は、カンボジアや東ティモールで実績をあげた『対話路線』を推進することであると確信している。すなわち、日本がカンボジアでの道路整備をＰＫＯで行ったように、農業や飲料水の確保、ダム等の建設、空港や鉄道などのインフラ整備を、軍事的な手段を使うことなく進めていったら、それはアフガニスタン国民に対する友情の賜物として深く感謝され、かつ賞賛されることだろう。<br />
　まさに、この通りではないでしょうか。アメリカ軍の後ろに自衛隊がのこのこと尾いていくというのこそ、最悪の事態です。そして、それは日本の治安悪化までもたらしかねません。多くの人に、ご一読をおすすめします。<br />
		（２００９年２月刊。１６００円＋税）</p>

<p>　チューリップがいよいよ咲き始めました。先発隊ですね。今５本がピンクの花弁を閉じています。庭の数区画に球根５００個をまとめて植えています。今月末から４月上旬にかけて我が家はミニミニハウステンボスとなります。<br />
　青紫色のヒヤシンス、朱色のクリスマスローズ、白とピンクのクロッカス、紫色のツルニチニチソウそして可憐な黄水仙が庭のあちこちで咲いています。<br />
　そして春にはウグイスです。ずいぶん上手くなりました。ホーホケキョと住んだ泣き声を聞きながら花々を見ると春到来を実感します。</p>]]>

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<title>大腸菌</title>
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<modified>2010-03-08T00:46:45Z</modified>
<issued>2010-03-08T00:44:50Z</issued>
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<created>2010-03-08T00:44:50Z</created>
<summary type="text/plain">著者　カール・ジンマー、　出版　ＮＨＫ出版 　この本では大腸...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>人間</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　カール・ジンマー、　出版　ＮＨＫ出版</p>

<p>　この本では大腸菌はＥ・コリと呼ばれています。<br />
　Ｅ・コリのほとんどは無害。人間の腸内には何億というＥ・コリがいて、平和に暮らしている。腸以外のところにも何億といるし。Ｅ・コリは川や湖に、森にも庭にも棲んでいる。<br />
　そうなんですね。このありふれたＥ・コリは研究の対象となって大いに人間に役立ってくれます。<br />
　Ｅ・コリはＤＮＡを折りたたんで数百の輪にして、ピンセットのようなもので固定している。その輪はねじれているが、ほどけて広がるのをピンセットが防いでいる。<br />
　Ｅ・コリは増殖するとき、つまり細胞分裂するとき、ＤＮＡの複製を作らなければならない。全ＤＮＡ鎖を両端まで引き離し、半分に分かれる。Ｅ・コリはそれを２０分で完璧に正確にやり遂げる。ＤＮＡ複製のエラーが起きるのは、１００億基につきたった一つという優秀さだ。<br />
　一人の人間の腸内に共存する微生物種は、１０００種類。人間は人生のどの時点でも、体内に３０種類のＥ・コリ株を棲まわせている。Ｅ・コリに棲みつかれていない人間は、いない。人間の方も、腸内微生物のジャングルに頼っている。食べる炭水化物の多くは、消化するのに細菌の助けを借りなければならない。腸内細菌は人間の身体に必要なビタミンやアミノ酸を合成してくれる。食物から身体組織へと移行するカロリーをコントロールする役も担っている。だから、腸内細菌は、人間を病気から守っている。医師が早産児に病気予防のためのＥ・コリ株を与えるのは、このためだ。つまり、人間とＥ・コリは共同体のメンバーなのである。<br />
　ウィルスは、かつて取るに足りない寄生体だと思われていた。しかし、今ではウィルスは地球上でもっとも豊かな生命体の形態で、その個体数は１０億×１０億×１兆と見積もられている。生命体の遺伝子情報の多様性のカギは、ウィルスのゲノムが握っている。<br />
　人間の腸内には、１０００種のウィルスがいる。ウィルスが宿主の遺伝子を拾って別の宿主に挿入するとき、それは種から種へとＤＮＡを行き来させる進化上の基礎を作り上げる。海洋にいるウィルスは、新しい宿主に毎秒２０００兆回、遺伝子を移動させている。このように、ウィルスは進化に重要な役割を演じている。<br />
　微生物の生産するインスリン「ヒューミソン」は１９８３年に発売され、世界中で４００万人がお世話になっている。Ｅ・コリはビタミンやアミノ酸まで生み出している。<br />
　チーズはウシの胃で産出されるレンネットという酵素で乳を凝固させて作られてきた。今日では、Ｅ・コリ製レンネットからチーズが作られている。<br />
　すごいですね、大腸菌って、汚い・怖い存在というより、必要であり、かつ有用な存在なのですね。最後まで知らないことだらけで、面白く読みとおしました。<br />
　<br />
		（２００９年１１月刊。２１００円＋税）</p>

<p>　３月５日の朝日新聞夕刊で、このブログを大きく紹介してもらいました。取材していただいた山本亮介記者に対して心よりお礼申し上げます、おすすめしている本の中には、まだ紹介していないものもありました。なるべく早くアップしますので今しばらくお待ちください。<br />
　この「弁護士会の書評」がたくさんの方々にもっと広くお読みいただけることを願っています。</p>]]>

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<title>からだと心を鍛える</title>
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<modified>2010-03-05T07:16:21Z</modified>
<issued>2010-03-07T07:15:56Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　　宇都宮　英人　　明永　利雄　、　出版　　日の里空手ス...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
</author>
<dc:subject>社会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　　宇都宮　英人　　明永　利雄　、　出版　　日の里空手スクール</p>

<p>空手の達人であり、畏友の弁護士より贈呈された本です。熊本高校（クマタカ）空手道部<br />
主将であり、京都大学でも空手道部主将であった宇都宮弁護士は、本業のかたわら子どもたちに空手を教える日の里空手スクールの主将としてがんばってきました。達士7段・師範といいますからすごいものです。私も何度かその型を見せてもらいましたが、それはそれは見事なものでした。<br />
　この本にある、日の里空手スクールから巣立っていった子供たちの手記が心を打ちます。他人から自分の尊厳を脅かされない。自分が他人の尊厳を脅かさない。自分が自分の尊厳を脅かさないというのがモットーである。それが護身なのだ。<br />
なるほど、と思いました。<br />
　日の里空手スクールは、大人と子どもとが空手を媒介として集う広場としての機能を持っている。そこに多様なおとながはいることで子どもたちは、コミュニケーションの仕方を学んでいく。包み込まれつつ鍛えられていく。<br />
　子どもたちが空手の練習を重ねるなかで、強くなっているのを認めると、その成長をはっきり子どもに伝える。上手になっている、強くなっている、と声を出す鏡のようなもの。そのことで子どもは、自分の成長を確認できるし、自体を深めていく。小さな成功物語を集積する。<br />
　子どもたちが、身体を動かす機会が少なくなっている。ましてや、身体をぶつけあう機会は非常に少ない。そこで、意識的にそんな機会をつくり出していくことが必要なのである。<br />
なるほど、と思います。これからも一層のご健闘を期待します。<br />
　ありがとうございました。<br />
（2009年12月刊。非売品）</p>]]>

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<title>知の現場</title>
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<modified>2010-03-05T07:16:16Z</modified>
<issued>2010-03-05T07:14:00Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　知的生産の技術研究会、　出版　東洋経済新報社 　あるモ...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
</author>
<dc:subject>社会</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fben.jp/bookcolumn/">
<![CDATA[<p>著者　知的生産の技術研究会、　出版　東洋経済新報社</p>

<p>　あるモノカキの人は、毎日、規則正しく朝９時に書き始め夕方６時には終了する。１日に５０００字のノルマを書いたら、そこで打ち止めする。<br />
　うまくいかないときでも、書くしかないのでとにかく書く。書くときには、ＮＨＫラジオの外国語講座を聞き流す。静かだと眠たくなる。意味が分からないところがいい。素晴らしい音楽だと、そちらに気を取られてしまう。書けないときでも、なんとか書いていると、いつのまにか乗ってきて書けるようになる。<br />
　ほんとなんですよね。私も、ともかくひたすら書く派です。<br />
　アウトプットするコツは、なんでもいいからとにかく書くこと。本を書くときの一番の妨げは、自分が書いていることをつまらないと思ってしまうこと。人間タイプライターになったと思って、ひたすら書くしかない。<br />
　いやあ、まったくそうなんですよね。でも、ときどき、こんなことしてていいのかしらんとつい思ってしまい、悩むのです。凡人の辛いところです。<br />
　文章が説教臭くならないように、また読み手に伝わるように、できるだけ感動的な実際のエピソードをオブラートに包んで、思いを心に届けるようにする。<br />
　知を生産するためには、日頃から書物だけに頼らず、人に会うことが大切だ。<br />
　しかし、そうはいっても主たる情報源はやっぱり本である。<br />
　団塊世代は、自分たちの経験や体験を世代を超えて次の世代に継承するよう働きかけるべきだ。そして若い人たちをもっと褒めてほしい。なーるほど、痛いところを突かれました。<br />
　長く仕事をしていても自分を飽きさせないために、自分はすごいものを書いている、オレは天才だ、誰も書いていないようなことを書いている、誰も気の付いていないことを書いている、このように自分自身に思わせるようにしている。ふむふむ、私もやってみます。<br />
　書くテクニックを使いこなすためには、練習を重ねること、他人の作品をたくさん見ること。まさにその通りです。書くのには、すごいエネルギーを要します。<br />
　作家活動にとって一番大切なのは健康だ。<br />
　時間管理が下手な人のなかで偉くなった人はいない。<br />
　文章を書こうというときには、まず自分が書きたいことを書く。駄文でもいいからと割り切って、まずは文章を書き始めることが大切だ。書いた文章の断片を後から編集する。編集するときには、執筆者としてではなく、編集者として文章を客観的に眺めるようにする。<br />
　読んだ人が楽しい気持ちになる、勇気づけられることを考えて書く。<br />
一つのパラグラフを５行以内にするなど、レイアウトを工夫する。見た瞬間に字がありすぎると読みづらい。一つの章を３０分で読めるようにする。<br />
　もっとも大切なのはタイトル。タイトルができてから本の執筆に入る。日本語に気をつけ、誰が見ても傷つかない、不快に感じない、誤解されない表現を選ぶ。これは私のモットーでもあります。<br />
　モノへのこだわりを無くすため、愛用品をつくらない。愛用品を持つと、それがなくなったらストレスになる。いかにストレスをためないようにするか、その発想で行動する。<br />
　本を書くのに喫茶店はいい。他人の視線があるから、ちょっとした緊張感が生まれ、原稿がすすむ。いやはや、私も同じです。あまりに騒々しい店は困りますが、近くでおばさんたちの世間話があっていても書けるようにはなりました。<br />
　テレビは大嫌いだ。視覚情報は具体的すぎるので、意識して遠ざけている。ヒヤヒヤ。大賛成です。<br />
　パソコンのような便利な道具に頼りすぎるのは、知的活動を道具に束縛されること。<br />
　ブログは忘却のためのすばらしいツールだ。書いたら、もう脳に残しておく必要はない。<br />
　その道のプロは、その場に必要な何かがないことが分かるかどうかということ。ムムム、この指摘は鋭いですよね。<br />
　人間は『生産』はできないが、『編集』はできる。これが能力だ。<br />
　私にとって大変役に立つと同時に、共鳴できるところの多い本でした。<br />
　<br />
		（２０１０年１月刊。１６００円＋税）</p>]]>

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<title>チャップリンの影</title>
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<modified>2010-03-05T00:57:31Z</modified>
<issued>2010-03-05T00:55:41Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　大野　裕之、　出版　講談社 　チャップリンを支え、全面...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>アメリカ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　大野　裕之、　出版　講談社</p>

<p>　チャップリンを支え、全面的に信頼されていた秘書は、なんと日本人だったのです。そして、チャップリンは来日したとき、５．１５事件で犬養首相とともに暗殺されようとしたのを危機一髪で免れました。そのとき高野秘書が苦労していたのでした。<br />
　日本人の多くがこよなく愛しているチャップリンと、日本人秘書・高野（こうの）虎市との、うるわしき関係が明らかにされ、感動を呼びます。そして、スパイの濡れ衣を晴らした後の晩年の高野元秘書の悲惨な生きざまも語られています。<br />
　天才チャップリンのすぐそばにいて、大変だったことでしょうが、高野秘書はきわめてもっとも充実した人生を過ごしたと言えると思います。<br />
　広島生まれの高野虎市は、名家出身ではあったが、身内を頼りにして15歳のとき単身アメリカに渡った。そして、苦労して働きながらも、アメリカの学校に通い、英語を身に付けた。いったん日本に戻って結婚し、アメリカに戻って妻とともに生活した。高野の夢は、飛行機のパイロットになること。今でいえば、宇宙飛行士になる夢に匹敵するものでしょうね。<br />
　ところが、夢破れて、当時は珍しい自動車の運転手になったのです。そのとき、チャップリンに出会い、その運転手になりました。チャップリンは既に週給1万ドルという最高の大スターでした。チャップリン27歳、高野31歳の出会いです。やがて、高野の妻も、チャップリン家の料理係として雇われます。<br />
　高野の長男は、チャップリンからスペンサーというチャップリンのミドルネームをもらって名づけられた。そして、高野はチャップリンの兄が住んでいた建物を与えられて、住むことになった。それほど信頼されていたのですね。<br />
　高野は、チャップリンのプライベートな部分に関する秘書だった。チャップリンは高野に全幅の信頼を置き、自分の代わりに小切手に「チャップリン」とサインする権限も与えていた。運転手から秘書に昇格したわけである。<br />
　チャップリンが『黄金狂時代』を作ったころ、高野はチャップリンの右腕として絶大な権力をもっていた。チャップリンに近づきたい映画監督や俳優たちは、みな高野に近づいた。<br />
　１９２６年ころ、チャップリン家の使用人はみな日本人だった。多いときには17人もいた。<br />
　チャップリンは、勤勉な日本人を大いに気に入った。<br />
　チャップリンは、使用人に対して本当に優しく、公平に、友人として接した。<br />
　チャップリンはユダヤ人ではない。しかし、ナチス・ドイツはチャップリンをユダヤ人の軽業師だと紹介した。チャップリンは「残念なことにユダヤ人であるという幸運に恵まれていない」と言っていた。「愛国心と言うのは、かつて世界に存在した最大の狂気だ」というチャップリンの言葉を、イギリスのマスコミは徹底的に叩いた。<br />
　チャップリンが東京駅に着いたとき、一目でも見ようと日本人が3万人も駅に押し寄せた。いやはや、日本人の熱狂ぶりはすごいものです。<br />
　チャップリンの秘書だった日本人男性を通じて、チャップリンの偉大な人柄も知ることのできる本でした。いい本です。一読の価値があります。<br />
　<br />
		（２００９年１２月刊。１９００円＋税）</p>

<p>　朝、ウグイスが大きな声で元気よく鳴いていました。ずいぶんと上手くなりました。春告げ鳥です。<br />
　近くの電線に鴉が止まって、ゴミ袋を狙っています。<br />
　ハクモクレンがシャンデリアのような白い花をたくさん見事に咲かせています。<br />
　チューリップの咲くのももうすぐです。<br />
　庭のジャーマンアイリスを整理して、球根を久留米や福岡の地人におすそ分けしました。６月が楽しみです。</p>]]>

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<title>「村長ありき」</title>
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<modified>2010-03-04T00:57:06Z</modified>
<issued>2010-03-04T00:55:11Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　及川　和男　、　出版　新潮社 　映画『いのちの山河』を...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>社会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　及川　和男　、　出版　新潮社</p>

<p>　映画『いのちの山河』をみました。泣けて泣けて仕方ありませんでした。コンクリートより人間。いまの民主党政権はそれをスローガンに大きく掲げて国民の支持を得たと思うのですが、政権に就くと、かなり後退してしまったようで残念無念です。<br />
この映画は「日本の青空Ⅱ」として日本国憲法、とりわけ２５条の意義を具体的に明らかにしています。<br />
　すべて国民は健康で文化的な最低限の文化を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。<br />
岩手県の山奥、貧しい沢内（さわうち）村の深沢村長は次のように語りました。<br />
人命の格差は絶対に許せない。生命・健康に関する限り、国家ないし自治体は格差なく平等に全住民に対し責任を持つべきである。<br />
本来は、国民の生命を守るのは国の責任です。しかし、国がやらないのなら、私がやりましょう。国は後からついてきます。<br />
生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません。政治の中心が生命の尊厳・尊重にあることを再確認し、生命尊重のために経済開発も社会開発も必要なんだという政治原則を再確認すべきであります。<br />
うむむ、すごい語りですね。鳩山首相にぜひ聞いてもらいたい、この映画を見て貰いたいものだ、と思いました。<br />
半年間は雪に埋もれてしまう沢内村。冬のあいだでもバスを通すために深沢村長は、村の予算規模４千万円のところ、６トンのブルドーザー１台５００万円の購入を決定した。<br />
ところが、中古のブルドーザーはすぐに故障して使いものにならなくなった。そこで、さらに１０トンのブルドーザー５５０万円を２年払いで買った。だから、深沢村長はブルドーザー村長と名づけられた。雪国の暮らしの大変さが伝わってきます。<br />
沢内村の乳児死亡率は７０．５（出生１０００人比）。これは岩手県の平均６６．４、全国平均４０．７の２倍という全国最悪だった。<br />
これに深沢村長は取り組んだ。保健婦を２人採用し、苦闘の末、病院に東北大学から優秀な若手医師を派遣してもらい、村内に保健委員会をつくり上げ、ついに乳児死亡ゼロを達成した。これは全国の自治体でも初めての偉業だった。いやはや、本当にすごいことです。涙なくして見られません。<br />
深沢村長は、次に老人医療費の１０割負担を打ち出した。岩手県は当初それを違法だと指導した。しかし、ついには折れて協力するようになった。村議会でも、はじめのうちこそ反対意見が出たが、とうとう全会一致で１０割負担を成立させた。たいしたものですね。反対派も黙り込んでしまったのです。<br />
　７０歳以上の年寄りに「長寿の証」を贈り、年１２００円を毎年支給した。該当者２２０人を公民館に集めて、一人ひとりに深沢村長みずから手渡していった。　<br />
　そんな深沢村長に対して、反対派は沢内村のカマド返しと悪罵し、村長選で林業組合長を立てた。投票率９０％、第１回開票結果では、実は対立候補がリードしていた。しかし、２回目に逆転して、300票というきわどい差で再選を勝ち取った。<br />
ところが、そのように村民の健康福祉行動に身を捧げた深沢村長自身は大の医者嫌い。大腸癌が発見されたときには手遅れで、59歳で亡くなりました。その遺体が雪の中、村に帰ってきたときには６０００人の村民のうち２０００人が迎えたといいます。映画のなかでも、実に感動的なシーンでした。<br />
悲しみの雪は、全村を深く覆って降りに降った。<br />
　いま、老人医療費は当然のように有料。わずかな年金から介護保険料さえ天引きされる。国民年金をもらえない人、国民健康保険すらもたない国民が日本全国に満ち満ちています。どこかが間違っています。いえ、日本の国にお金がないわけではないのです。<br />
　だって大赤字必至の九州新幹線、赤字を出し続けている佐賀空港など、大型公共工事にまわすお金はあっても、人間を大切にするための福祉にまわすお金がないのが日本の政治です。こんな政治が依然として続いています。<br />
　このおかしな状況をぜひ変えたい。そのために私ももうひとがんばりしたいという気になりました。いい本、いい映画です。ぜひ、読んで、見てください。<br />
（1984年３月刊。1100円＋税）</p>]]>

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<title>ドキュメント高校中退</title>
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<modified>2010-03-03T00:46:44Z</modified>
<issued>2010-03-03T00:46:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　青砥　恭、　出版　ちくま新書 　高校中退者のほとんどは...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>社会</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　青砥　恭、　出版　ちくま新書</p>

<p>　高校中退者のほとんどは、日本社会の最下層で生きる若者たちである。親の所得によって進学する高校が決まり、高校間の格差によって子どもたちの人生、生き方や文化さえも決まる。<br />
ある底辺校（公立高校）では、掛け算の九九が完全にできる生徒は全校生徒１６０人のうち２０人ほどしかいない。そのため、学校は分数計算や小数計算は教えない。<br />
　歯磨き習慣がなかったり、虫歯が多くても治療しなかったりで歯がボロボロの生徒が多い。ネグレクトを受けている子どもたちは、虫歯だらけのことが多い。<br />
　中退した生徒たちのさまざまなケースが紹介されていますが、どれも親たちから大切に育てられていない、親たち自身が生活できていないという悲惨な状況にあります。本当に日本と言う国はおかしくなっていると実感させられるケースのオンパレードです。<br />
　これらの生徒、そして親たちに、自己責任だ、仕方ないだろうと言って切り捨てるのは簡単です。でも、それは日本という国、日本社会が弱肉強食の国であり、社会であることを意味します。そこで生まれるのは、憎悪・絶望からくる自殺的犯罪でしょう。社会不安が強まります。切り捨てて自分だけは安泰と思っていても、実はそうではないということです。<br />
　食事・睡眠などの日常生活、安心して暮らせる住居、日常生活の訓練、社会的な常識を身につけさせるための教育、子どもの心のケア、十分なコミュニケーションなど、子どもたちにとって欠かせないさまざまなケアをするのが親であり家族だが、そういうことのできない家族が増えている。<br />
　６０億円もの予算をつかって実施される全国学力テストは、子どもの学力低下や格差の解消を目指すものではない。<br />
　この２０年間の最大の変化は、子どもたちの体力が落ちたこと。朝から疲れたという子どもたちが増えた。とくに生活リズムがひどい。親の生活時間で幼い子どもも暮らしていて、大人と一緒に夜の11時、12時まで起きている。だから朝食抜きの子がすごく増えた。<br />
　高校を中退する生徒の半数以上が1年生。入学するとき、必ず卒業しようとは思っていない。高校で学習したり、いろいろな自主活動に参加して身につけ、将来の社会生活に備えようという意欲や希望を初めからもつことなく高校に入った。高校に求めるものが無ければ、やめることに迷いが生じることはなく、やめる決断は早い。仲間が中退したら、次々に落ち葉が散っていくようにボロボロと辞めていく。<br />
　底辺校の生徒たちの勉強に対するストレスは、想像以上のものだ。長年にわたって学習集団から排除されてきたという経験は、すっかり学校嫌いにしている。<br />
　貧困世帯の若者たちへの支援は、教育面からも雇用の面からも、生活面からもまったく行われていない。文科省や知事が進学競争をあおる学力テストの公開には大変な関心を示す一方で、日本の若者たちの貧困問題に政治も教育行政もまったく無関心である。貧困で、しかも低学力の子どもたちは、政治から捨てられている。<br />
　私の大学生のころ、もっとも愛したスローガン（キャッチフレーズ）は、未来は成年のもの、というものです。今は、金もうけと自己保身しか考えない保守的な大人が多いけれど、革新的な考えをもつ今の若者たちが大人になったときには、日本社会は大きく変わっていると考えていました。バラ色の夢を描いていたのです。ところが、現実はどうでしょうか……。<br />
それでも、私は昔より悪くなったとは思いません。まがりなりにも政権交代が実現しました。しかし、アメリカの圧力を跳ね返せずに、ウロウロしている政権のありようには落胆しきりです。そして貧困問題が依然として深刻なのが実態です。放置しておけませんよね。日本の現実を知るための必読の本としておすすめします。<br />
　<br />
		（２００９年１０月刊。７４０円＋税）</p>]]>

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<title>こんな日弁連に誰がした？</title>
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<modified>2010-03-02T00:50:15Z</modified>
<issued>2010-03-02T00:49:52Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　小林　正啓、　出版　平凡社新書 　たいへん刺激的なタイ...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>司法</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　小林　正啓、　出版　平凡社新書</p>

<p>　たいへん刺激的なタイトルです。私の身近な弁護士から、なぜ書評に取り上げないのかと尋ねられたのですが、そのときには私はこの本の存在を知りませんでしたし、もちろん読んでもいませんでした。慌てて東京出張の折に浜松町の大型書店で探し求め、その晩に一気に読みました。大変よく調べてあります。でも、本を読むだけではなかなか真相は分からないものだと実感させる内容でもありました。私は、この本で問題となった日弁連総会の全部に出席して、現場の雰囲気を体験しています。それをふまえて、この本の言う陰謀論って、ええーっ、何のこと……という疑問を禁じざるを得ません。<br />
　この本は、翌日、日弁連会館の地下の書店では正面の一等地に平積みしてありました。タイトルに惹かれて買う人が多いことでしょう。売れないモノカキの私としては、羨ましい限りです。<br />
　司法改革について、ひとつの参考文献になるものだとは思いますが、後付けだけではよくわからないので、この本にも紹介されている大川真郎弁護士の書いた『司法改革』（朝日新聞社）とか、日弁連執行部の内情をリアルに紹介する『がんばれ弁護士会』『モノカキ日弁連副会長の日刊メルマガ』（いずれも花伝社）も、ぜひ読んでください。<br />
　弁護士人口増員に必死で抵抗する日弁連の態度は、「既得権擁護」「思い上がり」という世論の集中砲火にさらされていた。<br />
　これは、まったくそのとおりです。決して財界だけが非難、攻撃していたのではなく、ほとんど全部のマスコミ、そして消費者団体も同調していました。このことから来る重圧はかなりのものがあります。日弁連執行部は、マスコミの論説委員や司法記者と緊密に懇談の場を持って、日弁連の主張を理解してもらうよう努力したのですが、あまりに溝は深く、容易に克服できるようなものではありませんでした。増員反対論者は、実情をよく話せば国民はきっと増員に反対する理由を理解してくれるとよく言いますが、私の実感では、それほど容易なものとは思えません。<br />
　老いてますます盛んな団塊世代の弁護士が会務を牛耳っている。<br />
これは大半あたっていると団塊世代である私も認めます。しかし、実際には、司法改革をリードしてきたのは、団塊世代より一世代上の世代であることは客観的な事実であることを忘れてはいけません。それは中坊公平元会長をはじめとして、法曹三者をふくめた各界の指導者は残念ながら、みな団塊世代といったら失礼にあたる年長者の方々です。１９６２年生まれの著者からすると、団塊世代もその上の世代も同じように見えるのかなあと思ったことでした。<br />
　そして、「このままでは戦争になる、日本は再びアジアを侵略すると言う黴臭い議論」を唱えている弁護士のなかに、団塊世代もいることは事実ですが、日弁連総会で前面に立ってアジるのは、団塊世代というよりさらにその上の世代です。そして、これは「族」支配の構造とは無縁ではありませんが、直結しているわけでもありません。<br />
　「族」弁護士がいることは事実です。しかし、それは必要不可欠の専門家集団です。たとえば、倒産企業の再建や整理手続について、専門弁護士集団がいないと実務的に大変なことになって、日本経済が混乱することは必至ではないでしょうか。同じことは消費者や公害・環境問題、憲法そして司法問題についても言えるのです。<br />
　人権派弁護士は、弁護士人口を少数のまま抑え、経済的な余裕を確保することを人権活動の基盤と認識していた。これを弁護士の「経済的自立論」という。しかし、この理屈は根本的な弱点をかかえていた。日本では、弁護士が少ないために人権救済がいきわたっていない、という批判に耐えられないのだ。日弁連主流派は、経済的自立論を１９９４年頃までは主張するが、世論の支持をまったく受けられなかったため、以後、この理屈を封印する。<br />
　私も「経済自立論」には与しません。しかし、この考えには、今でも人権派弁護士かどうかを問わず、弁護士界の内部に根強い支持があることは間違いありません。<br />
　司法試験に合格するまでは合格者を増やせと声高に主張していたのに、合格したとたん、食えなくなるから増員には反対するという者が増える。これはいかがなものかという批判がかねてよりありました。<br />
　日弁連主流派という明確な潮流があるのか、私には判然としません。ただ、日弁連の歴代執行部を支持する勢力は、私をはじめとして相当数いて、強力であることは間違いありません。<br />
　近年、弁護士が経済的に困窮していることなどから、裁判所に政策形成を促す訴訟は減っていると思われる。<br />
　ええーっ、これって、どうなんですか……。とても弁護士が書いた文章だとは思えません。だいいち、日本の弁護士がすべて経済的に困窮していると言う事実は果たしてあるでしょうか。若手の弁護士、老齢の弁護士のなかに経済的に困窮している人がいることは間違いないと思います。しかし、弁護士が全員、「経済的に困窮してきている」などという事実は、私の周囲を見ましても認められませんし、弁護士白書にもそのような指摘はありません。政策形成を促す訴訟という意味では、私が長年やっている住民訴訟もその一つですが、少なくなっているとしたら、それは「経済的困窮」以外の要因にもとづくところが大きいと思います。<br />
　著者は１９９４年１２月２１日の日弁連臨時総会について、陰謀があったとし、日弁連の歴史上最大の失敗として記録されるべき大失態だと言います。しかし、私もこのときの総会に出席していましたが、陰謀があったなどと今も思っていませんし、「歴史上最大の失敗」「大失態」とも考えません。<br />
　あくまで司法試験合格者増に抵抗する日弁連の態度は、「ギルド社会の既得権擁護の思い上がり」として激しい批判にさらされることになった。その結果、日弁連は国民からまったく指示されなくなり、発言力を失って、当事者のイスから引きずりおろされることになる。<br />
　この「国民からまったく支持されなくなり、発言力を失って、当事者のイスから引きずりおろされ」たというのは、いささか言いすぎだと私は思います。ただ、それに近い状況が生まれていたことは事実です。この当時、マスコミ論調は極めて厳しいものがありました。<br />
　ところで、この本は、一方でこのように書きながら、「法曹人口の大幅増員が経済界の総意、あるいは、相対多数であったかについては疑問である」ともしています。これは、あとになって冷静に考えれば、という類の批判の典型ではないでしょうか。たとえば、小泉元首相が実現した郵政民営化について、あれは国民の総意でも経済界の総意でもなかったことは、今になってすれば明らかだと私は考えます。しかし、あのとき、それを押しとどめる勢力もいるにはいましたが、圧倒的に孤立させられ、奔流の中に押し流されてしまったのではないでしょうか。<br />
　著者が、「日弁連が法曹人口増に徹底抗戦せず、早期に一定の増員に応じていれば」としているのは、実は、私もまったく同感です。少しずつ増やしていき、地方における弁護士過疎も具体的に解消していっていれば、いきなり毎年３０００人増ということにはならなかったと考えます。しかし、日弁連内には強固な増員反対論があり、それが足を引っ張っていて、徐々に増員するのを難しくしてきた経緯があります。<br />
　　執行部、とりわけ日弁連会長のリーダーシップは大きいものがあります。それは認めます。それでも、日弁連が強制加入団体であって、右から左まで、自民党議員から共産党議員まで構成員とする団体である以上、そしてそのことが発言権の裏付けである以上、執行部が独走したり、内部の不団結をもたらすような方針は提起できないのです。そうすると、必然的に一歩足を踏み出すべきときに、時間が遅れたうえに半歩しか踏み出せないということが起きてしまいます。私も、日弁連執行部にいたとき、そのもどかしさを十分に体験しました。<br />
　たとえば、日弁連が強制加入性であることを批判し、任意加入性にせよという攻撃は最近こそ弱まりましたが、強烈なものがありました。結局、弁護士も行政の指導下に置き、その力を減殺してしまおうと言う動きは強力だったのです。日弁連がいろいろな政策提言をするのを嫌う政界・経済界の意向を反映した動きです。なんでも規制緩和という動きが大手をふるっていて、それとのたたかいに日夜苦労していたのです。<br />
　法曹一元に熱狂した多くの弁護士は、法科大学院構想を支持し、司法試験合格者の大幅増加を容認することになった。<br />
　著者はこのように書いていますが、この点についても違和感があります。「法曹一元化に熱狂した多くの弁護士」という書き方には、どれだけの根拠があるのでしょうか。私は法曹一元化になったらいいと今も昔も考えていますが、だからといって熱狂していないし、それを実現するために法科大学院を支持したという気持ちはほとんどありません。合格者を増やすのなら、確かに何年間かみちり勉強してもらった方が良いと考えたのでした。<br />
　著者は議論の現場におらず、あとから本を読んだだけで批判のための批判をしている気がしてなりません。著者自身は法科大学院について、当時どのように考え、また、今どのように考えているのでしょうか……。<br />
　著者は、「日弁連の惨敗」とか、「日弁連には、権力闘争の当事者となる能力がまったくない」と決めつけていますが、自身が弁護士であるのに残念だなとしか言いようのない表現です。<br />
　いろんな人のいる日弁連が、しっかりした議論をふまえて、一定の方向性を出すならば、それが全員一致でないとしても、世論にそれなりのインパクトを与えることができる力を日弁連は依然として持っていると思います。また、それを期待する国民は少なくありません。その点についての積極的意義が語られていないのは、残念無念としか言いようがありません。<br />
　<br />
		（２０１０年２月刊。７６０円＋税）</p>]]>

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<title>動物病院２４時</title>
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<modified>2010-03-01T00:51:04Z</modified>
<issued>2010-03-01T00:48:53Z</issued>
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<created>2010-03-01T00:48:53Z</created>
<summary type="text/plain">著者　ニック・トラウト、　出版　NTT出版 　アメリカの動物...</summary>
<author>
<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
</author>
<dc:subject>生き物</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fben.jp/bookcolumn/">
<![CDATA[<p>著者　ニック・トラウト、　出版　NTT出版</p>

<p>　アメリカの動物病院の一日２４時間を紹介するスタイルの本です。もちろん、患者は犬だけではありませんが、なぜか犬が多いのです。<br />
　僕は天性の外科医ではない。いわゆる手先の器用さには恵まれなかった。ありがたいことに、外科手術の技術は練習で身につけられる。ピアノを弾くのにちょっと似ている。やる気があって、それなりの時間をかけて努力すれば、初めは一本指でたどたどしく弾いていたのが、やがて上達し、鍵盤を正確にたたいてメロディを奏でられるようになる。<br />
　ペットの人気の第１位は猫、２位は犬。そして第３位は、なんとインコ。インコはアメリカだけでも８００～１４００万羽も飼われている。<br />
　アメリカ人は、ペットの世話のため年間４００億ドルもつかう。アメリカでは、この１０年で専門資格を取得した獣医師が７６％増加し、８０００人以上が専門分野をしぼっている。<br />
　ところが、医療従事者全体のなかで、自殺者の率が一番高いのは獣医師である。<br />
　この動物病院の平均治療費は３００ドル（３万円）。しかし、人口股間接置換手術は５０００ドル（５０万円）、心臓ペースメーカー手術は３５００～４５００ドル（３５～４５万円）。背骨のMRI検査は２０００ドル（２０万円）、CTスキャンは１０００ドル（１０万円）。放射線治療は１コース３０００～４０００ドル（３０～４０万円）。化学療法の平均的なコースは３５００ドル（３５万円）かかる。アメリカのペット保険加入率はわずか１～３％でしかない。ちなみにイギリスは２０％が保険に加入している。では、日本は……？ペットを世話するのにもお金がかかりますね。<br />
　臓器が動かなくなり、余病が猛威をふるい、感染症が牙をむき、苦痛を和らげてやれなくなるところまで病気が進行しても生かされている動物を見ると、飼い主の気持ちが分からなくなる。身勝手な動機から意味もなく動物を苦しませ、保護者としての基本的な責任を安易に放棄しているように思えてならない。<br />
　犬や猫の面倒を一生涯見てやることが飼い主のつとめであり、悲しいことだけれども不快感や苦痛を取り除いてやることも保護者としての義務の一部なのだ。たとえそれが、安楽死を選ぶということであっても……。<br />
　動物は嘘も裏切りも不貞も絶対にない関係をくれる。わずかな努力でうまくいき、しかもいつまでも長続きすることが約束された結婚だと思えばいい。結婚前の取り決めはいらないし、離婚の心配もない。つまり、ぎくしゃくし、ひびが入り、２度と元に戻らない危うい関係ばかりのこの世の中で、真実の愛が見つかる可能性がある。心から安心できる愛が見つかる可能性がある。<br />
　なーるほど、だから人間はペットを愛するのですね。そして、深刻なペットロスが生まれるわけなんです……。<br />
　獣医にとってもっとも大切なスキルは、人間とのコミュニケーション術を磨くことにある。獣医の仕事は動物を治療することだが、それは人間のためにすることなのである。<br />
　飼い主の話にしっかりと耳を傾け、共感という言葉になりにくい心の底からの通じ合いを求めようとする。これは難しいことではない。短い診察時間にありったけの誠意とおもいやりと信頼をそそぐこと。そして何よりも、ただ黙って聞き役に徹するべきときを知ることである。<br />
　うむむ、これって弁護士にも共通するものがありますね。大変勉強になりました。面白い本です。動物好きの人には、ぜひ一読をお勧めします。</p>

<p>		（２００９年１１月刊。１９００円＋税）</p>

<p>　昨日の日曜日はたっぷりの陽光も優しく、春らんまんでした。朝、雨戸を開けるとウグイスのホーケキョという鳴き声が聞こえてきます。まだ長くは鳴かず。発声練習中と思わせる初々しい泣き声でした。<br />
　庭に黄水仙があちこちで咲いています。チューリップの芽はぐんぐん伸びています。サクランボの桜の木が、白い花をたくさん咲かせています。ソメイヨシノと違って地味です。<br />
　膝はおかげでなんとか歩けるようになりましたが、今度は花粉症に悩まされています。うれしい春にも困ったところがあるのです……。</p>]]>

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<title>歴史と花を巡る旅</title>
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<modified>2010-02-26T08:35:40Z</modified>
<issued>2010-02-28T08:33:29Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　福山　孔市良、　出版　清風堂書店 　大阪の先輩弁護士に...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>世界史（ヨーロッパ）</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　福山　孔市良、　出版　清風堂書店</p>

<p>　大阪の先輩弁護士による旅行エッセーですが、なんと『弁護士の散歩道』シリーズの第５弾なのです。実は、私も同じようなものを書いていますが、最近は文章より写真を主体にしています。ちなみに、私の方は、『スイスでバカンスを』（１９９９年２月）、『北京西安そしてシルクロード』（２００４年８月）、『サンテミリオンの風に吹かれて』（２００５年１２月）、『南フランスの夏』（２００８年１１月）、『ちょこっとスイス』（２００９年１２月）です。いずれも１６頁の大判で写真を主体とする旅行記です。その前は文章を主体とする新書版の旅行記でしたが、写真で知ってほしいという思いが強くなったのと、文章を短くしたいという手抜き発想から変えています。<br />
　著者の福山弁護士は、遺跡をいくつも歩いているようです。私もこのなかの三内円山遺跡（青森）と、菜畑遺跡（佐賀）だけは行ってきました。そして、遠野には花巻に行ったときに出かけたのです。途中で時間がなくなって引き返してしまいました。残念です。日本にも、まだまだ生きたいところはたくさんあります。それにしても、弁護士はその気になれば、いくらでもあちこち全国どこへでも行けるので、本当にいい職業です。ありがたいことです。<br />
　著者はスペインの旅に何回も挑戦しています。私はスペインは行ったことがありません。やっぱり少しだけ話せるフランス語を頼りにフランスに行きたいと思います。なんといっても言葉が通じるというのは安心なのです。<br />
　奥付を見ると、ちょうど私より１０歳だけ年長だと言うことがわかりました。まだまだ大変お元気のようです。今後とも大いに旅行して下さい。<br />
　花の名前を実によく知っておられるのにも感心しました。山を歩いていて、咲いている花を見て、ただきれいだねというだけでなく、花の名前を言えて、少しくらい花について開設できること。これが旅行の楽しみを深めるものです。<br />
　著者はアルコールを卒業されたようです。私はまだ卒業はしていませんが、美味しい赤ワインを少々飲めればうれしいというところです。ビールのほうは私も卒業しました。ビールはもう２年ほど飲んでいません。</p>

<p>		（２０１０年１月刊。１４２９円＋税）</p>]]>

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<title>カメムシはなぜ群れる？</title>
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<modified>2010-02-26T05:27:05Z</modified>
<issued>2010-02-27T05:20:21Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　藤崎　憲治、　出版　京都大学学術出版会 　ホオズキカメ...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>生き物</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　藤崎　憲治、　出版　京都大学学術出版会</p>

<p>　ホオズキカメムシは成虫が体長１センチほどの黒褐色をした地味な色合いのカメムシ。ホオズキという植物の語源は、ホウがつく植物のこと。ホウというのは、カメムシをさす古語。私の家の庭にもホズキがありますが、それがカメムシ由来の名前だと言うのには驚きました。<br />
　ホオズキカメムシは、幼虫のとき、強い集合性を持っている。寄り集まって、みな外側を向いた円陣隊形をとる。<br />
　ホオズキカメムシが襲われたとき、その個体が警報フェロモンを発するため、他の個体は速やかに逃避する。自らが犠牲になることによって兄弟が助かると、遺伝子は兄弟経由で次世代に受け継がれていく。利他的な行動のように見えて、実は利己的な行動なのである。<br />
　ホオズキカメムシは成虫になっても初めのうちは幼虫のときと同じく、オスもメスも一緒に仲良く集合して吸汁している。ところが、性的に成熟し、繁殖期が始まると様相が一変する。オス同士が互いに排斥しあうようになる。<br />
　ホオズキカメムシのオスはハレムをつくり、１０匹のメスを占有する。<br />
　カメムシたちが群れることには意味があることを、実証的に明らかにした面白い本です。学者って本当に偉いですね。こんなことをじっとじっと見つめていて、その違いを掘り下げて研究し、論文を書いていくわけなんですからね。たいしたものですよ。<br />
　<br />
		（２００９年１０月刊。１８００円＋税</p>]]>

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<title>江戸の本屋さん</title>
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<modified>2010-02-26T00:41:52Z</modified>
<issued>2010-02-26T00:41:27Z</issued>
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<summary type="text/plain">著者　今田　洋三、　出版　平凡社ライブラリー 　江戸時代には...</summary>
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<name>霧山昴</name>

<email>gamioibg+kiriyama@gmail.com</email>
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<dc:subject>日本史（江戸）</dc:subject>
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<![CDATA[<p>著者　今田　洋三、　出版　平凡社ライブラリー</p>

<p>　江戸時代には、大量の本が出版されていて、本の買えない庶民には貸本屋があって、大繁盛していたのでした。<br />
　そうなんです。日本人は、昔から本大好き人間が多かったのです。今の日本と同じです。<br />
　江戸時代に出版業者は刊行物の目録を作るようになった。１６７０年の目録には３９００点の書物が登録されており、１６９２年には７２００点にも達している。元禄時代の日本に刊行されていた書物は、１万点にものぼる。流通していた冊数は１千万冊にも及ぶものとみられる。<br />
　うへーっ、す、すごいですよね。私も読書家の一人ですが、蔵書は１万冊あるでしょうか。年間５００冊以上の本を読み、購読して読んでいない人も相当ありますので……。<br />
　江戸時代、書物の読者が増え、劇場の観客が激増したのは、都市の発達と関連していた。京都も大阪も３０万都市であり、江戸には武士と町人あわせると１００万人に達した。この時代に人口１００万人を超える都市は、世界中探しても他に見つからない。<br />
　文化・文政期は三都がかつてなく繁栄した。江戸では文化の享受層が、田沼時代の上層町人中心から、中下層の町人・職人層に拡大し、文化の大衆化が進行した。都市における読書人口は、かつてなく増大した。毎年４０種近く発刊される合巻は、それぞれ５千部から８千部も売れた。近世前期に、上方中心であった出版界は、完全に江戸中心となった。<br />
江戸時代には、どの地方にも貸本屋があった。大坂には３００人の貸本屋がいて、江戸の貸本屋は８００軒と言われていた。江戸だけで１０万軒に及ぶ貸本読者がいた。こうなると、有料図書館とでもいうべき存在である。<br />
　貸本屋は出版統制・言論統制のまことに厳しい江戸時代にあって、とくに政治批判や政治の実態を曝露する文献を、読者にひそかに貸し出す人々でもあった。<br />
　江戸の講釈師・馬場文耕は、金森氏が藩政不行届のかどで改易されたのを講談にしたところ、浅草で獄門に処された（１７５８年）。<br />
　日本人の読書好きには歴史があり、権力への反骨精神も太々としたものがあったことが、よくわかる面白い本です。<br />
　<br />
		（２００９年１１月刊。１３００円＋税）</p>]]>

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