弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月 1日

物語カタルーニャの歴史

スペイン


(霧山昴)
著者 田澤 耕 、 出版 中公新書

カタルーニャというのは、スペインの地中海岸の北東部、フランスと国境を接する地方のこと。広範な自治権を有する自治州であり、その州都はバルセロナ。カタルーニャの人口は700万人。デンマークを上回る。
交通の要衝として、古代から栄えてきた。現代では、その地の利と、勤勉な国民性をいかし、スペイン随一の先進工業・商業地域として、スペイン経済の牽引車の役割を果たしている。
カタルーニャは中世(711年)イスラム教徒に支配された。フランク王国が取り戻したのは759年のこと。中世においては、イスラム教圏こそが先進文明圏であり、キリスト教圏は、戦いに明け暮れる未開の蛮族と貧弱な農法に頼る貧しい農民たちの地にすぎなかった。すなわち、ギリシャ・ローマの文明は、イスラム教圏で保持され、磨かれていたのだった。
修道院は、当時の学術・文化の中心であり、すぐれた修道院をもつことは、すぐれた政治顧問国を持つことにも等しかった。
アルモガバルスという傭兵部隊が存在した。アラビア語起源で、「突然、侵入してきて荒らしまわる者たち」という意味のことばだ。14世紀、地中海の国際情勢が安定してくると、アルモガバルスはやっかい者となり、危機を迎えた。
1939年1月、バルセロナが陥落し、フランコはカタルーニャ自治憲章を廃止し、カタルーニャ語を使用禁止とした。フランコ政権による厳しい報復を恐れてピレネー山脈をこえてフランスに亡命した人は50万人にのぼる。
フランコ独裁政権は「強い統一スペイン」を標榜して、徹底的な反カタルーニャ主義政策をとった。カタルーニャ語を公の場で使うことも禁止した。
1975年、独裁者フランコが82歳で病死した。
1978年に、スペインの原稿憲法が制定され、カタルーニャ州に自治を認め、自治憲章の制定を認めた。
2014年9月、バルセロナで180万人が参加する大規模なデモがあり、スペインからの独立を求めた。バルセロナの人口は160万人であることから、180万人というすごさが分かる。
カタルーニャ自治州は、人口ではスペインの16%だが、GDPでは20%を占める。工業、農業、漁業、そして観光業まで、スペイン産業界をリードする豊かな地域なのだ。
2014年11月の住民投票では、230万人が投票し、8割以上の人がカタルーニャの独立を支持した。しかし、投票率は有権者の3割でしかない。
2017年10月の住民投票では、投票率44%で、独立賛成が90%をこえた。
なかなか住民意思の実現が難しいのは、どこも同じなんですね...。
スペインの北部、カタルーニャの興味深い歴史と現在を知ることができました。
(2019年12月刊。920円+税)

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2020年5月 2日

あやうく一生懸命生きるところだった

韓国・人間


(霧山昴)
著者 ハ・ワン 、 出版 ダイヤモンド社

韓国で25万部も売れてベスト・セラーになった本です。
イラストレーターになって、しゃかりきにがんばったこともある著者が、ある日、ふと、いったい自分は今、ここで何をしているんだろう...と振り返ってみたのです。すると...。
必死に努力したからといって、必ずしも見返りがあるとは限らない。
必死にやらなかったからといって、見返りがないわけでもない。
人生とは、実に皮肉なものだ。
2000年代の初め、テレビで有名女優がカード会社のCMで、こう叫んだ。
「みなさーん、お金持ちになってくださーい」
私はテレビを見ることはありませんが、日本のテレビでこんなCMが流れるとは、とても思えません...。この「お金持ちになってください」という言葉は、韓国では、またたく間に国民的流行語になった。それ以降、韓国では、「お金持ちになろうフィーバー」が吹き荒れた。そして、韓国は、お金が最高という、物質万能主義社会になった...。そういうものなんでしょうね。
ほかの選択肢はないと妄信(もうしん)してしまうのは、いかに愚かなことか...。
世の中、そして人生は、決して一筋縄ではいかない。世の中のすべてが自分ひとりで解決できるレベルの問題ではないからだ。
理想どおりにならなくても人生は失敗じゃない。人生に失敗なんてものはない。
自分が自分の人生を愛さずして、誰が愛してくれるだろうか。自分の人生だって、なかなか悪くないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。
幸いにも、万人ウケしそうなものをやっても結果は変わらない。
結果なんか分からないのだから、自分の好きなことをやったほうがいい。
「一生懸命がんばります」と言うとき、嫌いなことを我慢してやり遂げるという意味が含まれている。つまり、楽しくないのだ。
だから、一生懸命に生きるのは、つらい。それは我慢の連続だから。同じ人生、どうせなら「一生懸命」より、楽しく、のほうがいい。
天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない。
つまるところ、人生は一回こっきり、あまり肩肘張らず、ゆったり気分で、1日を過ごしたい。たしかに、そんな気にさせてくれる本でした。
(2020年3月刊。1450円+税)

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2020年5月 3日

松本清張が『砂の器』を書くまで

人間


(霧山昴)
著者 山本 幸正 、 出版 早稲田大学出版部

あまり本を読まない、小説を読まない人でも、日本人なら松本清張の名前を知らない人は、まずいないと思います。
松本清張は1960年ころが最盛期だったのでしょうか。平均で毎月11本もの作品を発表していたのです。驚くべき作家です。
この多作を支えていたのは、松本清張が口述筆記をしていたからで、専属の速記者がいまいした。そして、松本清張は、文語体で話していたのです。これまたすごいことです。
朝9時から仕事にかかり、夜の11時にはどんなことがあっても終わりにした。徹夜は絶対にしない。午後4時ころ、30分間は必ずお昼寝した。
1日に20枚から25枚の原稿を書く。1日10時間、1時間に2枚の割合だ。
週刊誌4本、月刊誌5本の連載をかかえていた。
松本清張は地方紙、ブロック紙、全国紙の夕刊そして朝刊というように一歩一歩ステップアップしていった。
『砂の器』は、その前の1960年5月から翌年4月まで新聞小説として読売新聞の夕刊に連載された。
そして、この『砂の器』は、ミリオン・セラーといっても436万部もの超ベストセラーだ。2位が『点と線』206万部、3位が『わるいやつら』228万部、そして4位は『ゼロの焦点』215万部となっている。
松本清張の作品は今なお、繰り返しテレビでリメイクされて放映されている。今もやってますね。なので、松本清張は、まぎれもなく現役の作家なのである。2019年3月、フジテレビは『新・砂の器』を放映した。死してなお、松本清張はますます健在である。
新聞小説は特殊な小説だ。400字詰め原稿用紙3枚半の原稿を毎日掲載し続ける。読者の興味をつなぐ工夫が必要とされる。新聞小説は、小説を読むことを第一には考えていない購読者を満足させなければならない。こった表現は避け、会話をできるだけ多くして、紙面を文字で覆い尽くさないように心がける。
新聞小説は、読者という他者を、否応なく書き手に意識させてしまう特殊なジャンルの小説なのだ。読者を退屈させないために、筋も境遇も人物も、みんな創作しようとする姿勢は、まさしく松本清張のものだ。
野村芳太郎監督の映画『砂の器』は、橋本忍と山田洋次が脚本を担当している。そして、『砂の器』は、この映画のあとは、すべて原作ではなく、この映画を規範としている。
映画の感動をもとに原作を読むと、「あまりのつまらなさに愕然とする」と酷評する評論家すら存在する。ええっ、そ、それは、いくらなんでも言い過ぎでしょう...。
本書は早稲田大学の博士論文を出版したものですから、やや学術論文としてくどい(難しい)ところもありますが、松本清張が『砂の器』を書くに至った前後を深く掘り下げたものとして、関心のある人には一読をおすすめします。
私はコロナ問題で仕事が暇になったので、喫茶店にこもって半日で読みあげました。
(2020年3月刊。4000円+税)

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2020年5月 4日

奇妙な瓦版の世界

江戸


(霧山昴)
著者 森田 健司 、 出版 青幻舎

瓦版(かわらばん)とは、江戸時代に大変な人気を博していたマスメディア。明治に入ってからも20年以上は存続していた。ただし、もっとも勢いのあったのは、江戸時代の中期から末期にかけてのこと。
和紙に記事と絵が摺(す)られていた木版画で、簡易な新聞のようなもの。
江戸時代には瓦版とは呼ばれず、読売(よみうり)、一枚摺(いちまいずり)、絵草子などと呼ばれていた。
瓦版は基本的に違法出版物であり、幕府は瓦版によって庶民に情報が流通することに危機感をもち、早くも1684年(貞享元年)には瓦版の禁令を出している。それでも、瓦版は庶民のなかでしぶとく生き続けた。
瓦版は店舗販売ではなく、町中で読売という売子が売っていた。売子は深い編笠で顔を隠して売っていた。瓦版は墨摺1枚4文、100円ほどで、多色摺だと倍以上した。
瓦版は商売のため、もうかるためのもので、作成者に社会的使命はなかった。
黒船に関する瓦版の絵は大変迫力がありますが、これは長崎版画のオランダ船図を模倣したものという解説に、なるほどそうだろうなと納得しました。単なる遠くからの目撃で、これほど細密に黒船を描けるとは、とうてい思われません。
九隻の黒船について、八隻が瓦版で紹介されていますが、船や乗組員の名前に正解に近いものが多い。例えば、船名のレキスンタンはレシントン、ホウハワタンはポーハタン。通訳のホツテメンは、ポートマン、五番船の大将「フカナン」はブキャナンなど...。
ペリー一行に対して日本の高級料亭として名高い「百川」(ももがわ)の料理を提供した。その費用は1500両(今の1億5千万円)。ただ、魚介類中心の料理だったので、ペリーたちの評価はあまり高くなかった。瓦版は、その食事風景を描いています。当時の庶民の好奇心を満たしたことでしょう。
幕末には写真が登場しますが、その前には絵しかなかったわけですので、瓦版の絵とそれを紹介する文章は大変貴重なものだと思います。楽しく眺めることのできる瓦版の世界でした。
(2019年12月刊。2500円+税)

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2020年5月 6日

はたらく浮世絵

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 橋爪 節也・曽田 めぐみ 、 出版  青幻舎

浮世絵師の三代歌川広重が描いた大日本物産図会です。
なるほど、写真でなくても、こんなに当時の職業の実際が生き生きと描けるのかと驚嘆しました。なにしろ驚くほど写実的なのです。まるで、目の前で本当にたくさんの人々が、それぞれの職業を営んでいるかのようです。
大日本物産図会は、明治10年(1877年)の第1回四国勧業博覧会に出品された各地の名産品を描いた錦絵のそろいもの。
明治10年というと、西南戦争があった年です。ですから、薩摩の名産品はありません。
描いた三代歌川広重は天保13年(1842年)に船大工に生まれた、本名は後藤寅吉という。三代広重が浮世絵師としてデビューした翌年、明治となり文明開化がすすんだ。当時は写真が普及していないことも幸いして、三代広重は浮世絵師として順風満帆だった。
団扇(うちわ)をつくって売る店の内部が描かれています。それも、団扇づくりにみんなで励んでいる店の奥のほう(バックヤード)を前景とし、店先に客がむらがっているのを後景にするという珍しい配置図です。なので、そうか、こうやって明治の初めに団扇をつくっていたのか、その製造工程がよく分かります。
菅笠(すげがさ)をつくっている店の店内を描きつつ、店先を洋鞄(カバン)を手にもち、洋傘を差し、洋靴をはき、洋帽をかぶった和服の男性が歩いていく絵もあります。まったく奇妙な絵です。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする...より、少しだけあとの世相をあらわしています。
駿河国(静岡)では、ミツマタの皮を原料とする「駿河半紙」をつくっていた。全体に赤褐色を帯び、裂けやすいという欠点があったが、安価なため重宝されていた。
生糸をつくるための蚕の養殖の絵もあります。当時、ヨーロッパでは微粒子病が流行していて、日本産の蚕紙(さんし)に対する国際的な需要が高まっていた。
当時の日本は、ジャパン・ブルー(藍染の青)であふれていた。日本に藍染の衣類が多いことが分かる。
土佐の浜辺で、漁師とその妻たちが集合し、カツオをさばいて商品化している。
対馬でとれるなまこは古くから珍重されていたということで、海上でのなまことりの状況も描かれています。このなまこは清(中国)へ輸出されていました。
北海道では、ラッコの猟も描かれています。このころ、ラッコの毛皮に対する需要は高く、ロシア帝国の南下政策を支えた一因でもあった。
熊の胆(い)をとるため、雪深い加賀の山中で猟師が斧で冬ごもり中の熊をおびき寄せて殺す絵もあります。
カラフルな浮世絵のオンパレードです。当時の世相を楽しく学ぶことができました。明治初めではありますが、江戸時代の人々の生活が描かれている気がしました。
(2019年12月刊。2300円+税)

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2020年5月 5日

トキワ荘の時代

人間


(霧山昴)
著者  梶井 純 、 出版  ちくま文庫

 私が小学生のころ、『少年サンデー』が週刊誌として発売されました。1959年(昭和34年)のことです。しがない小売り酒屋の三男坊だった私は、そんなマンガ週刊誌なんて親に買ってもらえませんでした。でも、同じクラスに医者の息子がいて、彼から借りて読むことができたのです。
そのなかに「スポーツマン金太郎」というのがありました。作者は寺田ヒロオです。スポ根ものというより、ほのぼのタッチに近いというイメージが残っています。トキワ荘では「テラさん」として登場したのでした。
テラさんは、仲間たちから愛され、信頼される人柄でした。トキワ荘アパートがあったのは豊島区で、このころ木造賃貸アパートが東京一密集していたうちの一つだったのです。
トキワ荘アパートが建ったのは1953年(昭和28年)初めのこと。ここに手塚治虫が入居し、その年の暮れに寺田ヒロオも住むようになった。一部屋の家賃は月3千円。寺田ヒロオのマンガは、なんかふんわりした、笑いだとしても微笑するくらいのマンガ、それが一番好きな世界だった。
手塚治虫は、けっして見下した態度をみせず、誰に対しても励ましの言葉を忘れなかった。これは、才能というより、生来の気質だった。
寺田ヒロオは、他からは落ち着いているようにみえたが、本人に言わせると、動作ものろいうえ、うまく口もきけないので、無口になるしかなかったからだということになる。
安孫子は、かしこく、陽気さと筋道だった思考による積極的な対話を得意としていた。安孫子は、マルクス『資本論』も読んでいたとのこと。さすがです。
そして、若いマンガ家たちは、よく映画をみていたようです。赤塚不二夫も石森章太郎も映画キチガイだったとのこと。
トキワ荘にいた若いマンガ家たちにとって、寺田ヒロオは常におとなびたまなざしで仲間を見守る存在だった。寺田ヒロオへの信頼感は、無限にやさしい家父長に対するもののように、ほとんど絶対的なものだった。
赤塚不二夫は、従業員わずか6人の零細工場で働く中卒の工員だった。それで偉大なマンガ家になったのですから、すごいことですね。
1957年ころ、池袋の居酒屋で寺田や安孫子が飲んでいる写真があります。なんだか、ほのぼのしてくる雰囲気の写真です。
トキワ荘によって立つ若いマンガ家たちの息吹のなかで苦闘する寺田ヒロオの足どりを知り、なんだかほっとする思いでした。読後感のすがすがしい文庫本です。
(2020年2月刊。880円+税)

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2020年5月 7日

僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う

人間


(霧山昴)
著者 常見 陽平 、 出版 自由国民社

43歳にして父となり、今は2歳児の子育てに専念してはいない、専業主夫業です。
朝5時に起きて、娘が起きてくる7時までの2時間だけが唯一、自分の自由になる時間。
まず風呂に入って、防水仕様のスマホで朝刊を確認する。紙ではないのですね。
朝7時になると、家族の朝ごはんをつくる。
朝7時から9時までの2時間は、妻と娘のために使う。
自分の思いどおりになる時間はほとんどなくなった。
子どもは大人の思いどおりには動いてくれないもの。
イクメンという言葉は嫌いだ。イクメンと呼ばれるのには強い抵抗がある。
子どもは、会社や社会全体で、助けあい補いあいながら育てていくべきもの。
今しか見ることのできない世界を見に行くというスタンスで、子育ての時間を楽しむようにしている。家事は仕事、労働だ。家事・育児・介護は「いのち」がかかっているので、サボることができない。
著者は1日7時間睡眠を死守しているとのこと。私も以前はそうでしたが、今は1日6時間です。ただし、昼か夕方に20分ほど横になるよう努めています。やはり40代、50代と同じようにはいきません。
大事なことは、優先順位とクオリティ。
朝、娘が熱を出すと、著者と妻の一日の仕事のスケジュールが一変してしまう。子育て中は、娘のご機嫌など、そもそも不確定な要素が多く、いつも追われているような生活になる。
子育ては、模索の毎日。子育ては現実。子育てしていると、知らないことばかりなのを自覚し、猛反省させられた。
本当にそのとおりです。弁護士生活46年になっても、世の中、知らないことばかりなのです。
男性にとっての子育ての大変さと楽しさがよく伝わってくる本でした。私も5歳と2歳の孫が半ば同居していますので、彼らを見ていると、なるほど、人間ってこういうものなのかと教えられます。
(2019年8月刊。1200円+税)

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2020年5月 8日

歴史としての日教組(下巻)

社会


(霧山昴)
著者 広田 照幸 、 出版 名古屋大学出版会

日教組の実体をよく理解することができました。
まずは、1995年の日教組と文部省との「歴史的和解」です。
これは、村山内閣のとき、与謝野馨文部大臣が主導したものと言われています。その内実が、明らかにされていて、興味深い記述です。
 1994年6月、自民党と社会党が新党さきがけとともに連立政権をつくり、総理大臣に社会党委員長だった村山富市が就任した。このころの自民党は、小沢一郎の率いる新生党―新進党への対抗上、左にウィングを伸ばすことで政党としての党勢回復を図ろうとしていた。自民党がもっともリベラルになっていた時期だった。それで憲法改正を棚上げにし、日教組を含めた労働組合との良好な関係づくりに熱心な状況になっていた。
そして、日教組のほうは、内部に救援資金問題をかかえていた。日教組はストライキを構えて闘った時代の負の遺産として、巨額の救援資金が組合財政を深刻に圧迫する事態となっていた。年間78億円の予算のうち3分の2近くを処分された組合員の給与補填に充てていた。これを解決するには各地の教育委員会との話し合いが必要だが、そこへ自民党と文部省が圧力をかけていた。日教組の組織力を弱めるため、自民党と支部省は「兵糧攻め」までしていた。
和解の糸口を切り出したのは村山首相その人だった。そして与謝野文部大臣は慎重にことを進めた。最終的に文部省と日教組で合意した文書は今も公開されていないようです。信じられません...。
次に、「400日抗争」です。実は、私は知りませんでした。1986年(昭和61年)8月から翌87年3月までの間、日教組主流派の内部で主導権争いがあり、大会が開かれず、人事も予算も決まらなかったのでした。この対立は、ストライキも辞さないという左派と協議優先の右派。労線問題で、結局あとの連合へ合流していくのか、それに反対するのか...、など。発端は、日教組の田中委員長が自民党候補の激励会に参加したことでした。
このころ、反主流派の共産党と、左派の一部であり、中核である社会主義協会系とが「共協連合」をつくっていると非難されていたが、この「共協連合」なるものには何の実体もなく、いわば幻の存在でしかなかった。
結局、この「400日抗争」は終結したが、一般組合員の関心には薄く、むしろ多くの組合員は、失望し、不満をかきたてた。結局、日教組の弱体化につながっていた。
民主党政権下で自民党が大きく右に揺れるなか、ネット上で荒唐無稽な「日教組けしからん」論が横行するようになった。かつて右翼の街宣車が大きなスピーカーで「民族の敵、日教祖を撲滅しましょう」なんて叫んでまわっていたのを思い出します。今では、それがネット上の叫びに変わっているわけです。さらに、国会審議のなかで、突然、脈絡なしに安倍首相が「日教組...」と叫んだりするという茶番まで加わります。
そんなアベ首相と「ネトウヨ」が目の敵にする日教組の実体を知ることのできる貴重な学術書です。下巻だけでも300頁、3800円もしますが、全国の図書館にせめて一冊は備えておいてほしい貴重な文献です。
(2020年2月刊。3800円+税)

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2020年5月 9日

癒されぬアメリカ

アメリカ


(霧山昴)
著者 鎌田 遵 、 出版 集英社新書

アメリカ先住民社会の現状が詳しく紹介されています。
アメリカには300万人近い先住民が暮らしている。3億人をこえる人口の1%にもならない。部族は573。平均年齢は31.4歳で、全米平均の37.7歳より若い。25歳以上の人で、4年制大学を卒業しているのは18.5%。これは、全米平均の30.1%をはるかに下回る。貧困率は28.3%。
先住民は糖尿病の疾病率が高く、白人の2倍。そして糖尿病が原因の腎不全を患う先住民人口の割合は白人の5倍。
先住民は、強制的に定住させられ、極度の運動不足と、食糧難に陥った。そして、安価で高カロリーの食糧が政府から配給された。これらが原因だ。
先住民にとって、砂漠はスーパーマーケットのようなもの。風邪薬や食べもの、食器や家財道具などの日常生活に必要なものは、すべてここで手に入る。必要なものは、すべて砂漠で調達する。風邪の症状が出たら、砂漠に生えている雑草をそのまま口にする。
モハベ族の先祖たちは、白人の侵略者の要求に応じた。そうすれば、自分の世代はともかく、子や孫の世代は、白人と一緒に生きていけると思ったからだ。しかし、白人の要求は底なしだった。伝統文化の継承を禁じ、弾圧によって尊厳までも奪うとは、誰も予想できなかった。
モハベ族の人たちには死んだ人の悪口を言ってはいけないという不文律がある。自分の先祖と同じ場所にいる人を批判することになってしまうからだ。
先住民の居住地がドラッグ密輸の経路になっている。
先住民の12.3%がドラッグを使用していて、23.5%が過度の飲酒の問題をかかえている。
先住民の居留地内には、複数の女性ギャング組織があり、ときに抗争にまで発展している。
先住民が刑務所に収監される割合は高い。先住民の収監者は、1999年の5500人から2014年の1万400人に増えた。毎年平均して、4.35%ずつ増加している。ほかの人種の増加率1.4%より3倍以上も高い。
過去5年間に連邦刑務所での先住民の収監者は27%も増えた。
先住民の逮捕者は10万人のうち4268人で、黒人の5393人に次いで多い。これは白人の2386人よりはるかに多い。
先住民の10万人あたりの自殺者は21.5人で、ほかの人種よりも高い。
アメリカでは、現在、247の部族が全米29州の居留地でカジノの経営に参入している。520施設だ。カジノ経営によって、雇用機会は増加し、その収益で居留地のインフラ整備や少額金制度などが強化されている。
 居留地でのカジノ経営は、人種差別に苦しむ先住民の貴重な収入源になっている。また、部族が守り抜いた自治権の象徴でもある。
先住民のカジノ収益は、おもに居留地内の社会福祉事業や伝統文化の維持するものであり、それを通じて部族社会再建のために確立していた(はずだった)。
もともと居留地には、アルコールとドラッグの問題があった。でも、今はギャンブル依存症が深刻化している。
アメリカ先住民女性の46%はレイプ、家庭内暴力、交際相手からのストーカー被害のいずれかにあっている。先住民の女性がレイプされる割合は高く、その加害男性が先住民以外の人種である割合は86%と、とても高い。レイプの被害者が先住民だったとき、警察は動かない。
アメリカの先住民をインディアンと呼ぶのは、おかしい。インド人ではないからだ。
先住民であることを隠して、多くの人が生きている。
インディアンとも呼ばれているアメリカ先住民の置かれた状況は大変だということがよく分かる新書でした。
(2019年12月刊。1000円+税)

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2020年5月10日

探偵の現場

社会


(霧山昴)
著者 岡田 真弓 、 出版 角川新書

不倫の相談を受けたとき、私立探偵に頼みましたといって調査報告書なるものを示されることはしばしばです。
ちょっと前までは、それはひどいものでした。10万円単位ではなく、300万円も支払いましたといって馬鹿馬鹿しい作文しかない報告書を読ませられて腹の立つことが何度もありました。弁護士の着手金30万円を高いと言うような人が不倫調査のため私立探偵に支払った300万円は高いと考えていないようなので、この落差はいったい何なのだ...と怒ったということです。
でも、今では私立探偵の費用も、ネットが発達したこともあるのでしょうが、50万円以下のことがほとんどで、私からしてもリーズナブルだと思えますし、GPSなどを駆使して、証拠としてバッチリ使えそうなものが大半です。
探偵業界で売上ナンバーワンという会社の代表者をつとめる女性が探偵の現場を教えてくれる本として面白く読みました。
この本ではGPSをつかった調査が基本になっていること、スマホがいかに便利かということが紹介されています。スマホによる動画は、決定的に重要だというのは私もまったく同感です。ですから、バッテリーとメモリーの残量チェックが欠かせないというのも本当です。
この本では不倫調査の結果と、その後のアフターケアまで紹介されています。
不倫が発覚しても、7割は、夫婦関係を継続させていると書かれているのには、いささか驚きました。でも、たしかにそうかもしれないと弁護士生活を46年も続けて思うところはあります。
夫は不倫をしていると妻が疑っているケースでも、実は夫のほうは不能(インポ)で悩んでいるケースがあったり、夫はゲイだったり、話は必ずしも単純ではありません。
大会社の幹部社員はあまり不倫には走らないそうです。これも、これだけネット社会になると、そうかもしれないと思います。
それにしても、今はネット上のやりとりで、不倫していることがバレバレなのに、平気だということが少なくないのにも驚かされます。
いずれにしても、世の中が大きく変わろうとしていることを私立探偵の仕事を通じて教えてくれる新書になっています。
(2020年2月刊。880円+税)

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2020年5月11日

ゴリラに学ぶ

ゴリラ


(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 出版 ちくま文庫

京都大学総長であり、日本学術会議会長もつとめる著者は、ゴリラ研究の世界的権威でもあります。著者は、ながくアフリカで野生のゴリラの生態や社会を研究してきて、オトコという存在に気がついたといいます。
オトコは、文化的なカテゴリーを含んでいる。人間の男は、生物としてのオスから出発し、生物学だけではとらえきれないオトコを経て今の姿になった。
オスがメスより大きくなったのは、外敵からの防衛をオスが担うようになったから。
オスは、メスにない派手な特徴を身につけているが、これは、見せかけだけでなく、外敵と実際にたたかう能力をオスが発達させた結果である。
ゴリラのオスは一度ソリタリー(独り暮らし)になったら、二度と他の群れに加入できない。ゴリラの群れは、複数のオスの共存を許さないからだ。
ゴリラのオスは、移籍しそうなメスを誘い出して自分の群れをつくるか、群れのオスが死んでメスだけになったときに入り込むしか、ソリタリーの生活を脱却する道は残されていない。
ゴリラのオスは、一度自分の集団を持てば、追い出されることはないので、老後は恵まれていると言える。
ゴリラのオスは、基本的に観客がいるときしかディスプレイをしない。
ゴリラのオスのドラミングは、他のオスに対しては手強い相手だと思わせ、メスには信頼できるパートナーとしての力と技量を示し、子どもたちには頼りがいのある保護者として見えるように、見栄を張る手段なのである。
ところが、メスは、オスの思惑どおりには動かない。交尾が成立するか否かはメス次第。人間以外の霊長類のメスは、自分の排卵日をきちんと分かっている。メスは排卵日までは優位なオスにつきあって、排卵日になると、別のオスと交尾する。その結果、優位なオスでも劣位なオスでも、同じように子孫を残すことになる。
メスは見知らぬオスを好む。そして、ゴリラのメスは発情特徴をほとんど示さない。ゴリラのオスはメスの発情刺激によらずに性欲を覚える能力を発達させている。
類人猿たちは、思春期を過ぎても同年齢や年下の仲間と熱心に遊ぶ。遊ぶというルールの中で、ふだんの自分とは別の役割をつくり出し、それを演じる能力がある。
交尾も遊びと同じように、相手に強要できない。サルには強姦という手段はない。
ゴリラの赤ん坊は、2キログラム弱の小さな体で生まれる。とても甘えん坊で、3年間は母親の乳をせがむ。出生後の1年間は、母親がめったに赤ん坊を離さない。他のゴリラに触らせない。
母親が赤ん坊をオスに紹介し、赤ん坊が徐々にオスに馴れ、自分からオスを頼るようになって初めてオスと幼児の親密な関係が生まれる。ゴリラのオスは、母親と子どもから二重の選択を経て、やっと父親たる行動を示せるようになる。
ゴリラの集団は、なわばりを持っていない。
メスや子どもゴリラが地上にベッドをつくらないのは、ヒョウを恐れているから。体重200キログラムをこえるオスのゴリラが近くで目を光らせてくれなければ、彼らは安心して地上で夜を過ごせない。
ベッドは毎日つくり替える。繰り返し利用すると、排泄物で汚れ、寄生虫の温床となるからだ。
人類の発明は、食物を採集する場所と食べる場所とを分けたこと。この二つを分けたことで人間らしい特徴が生まれた。それは想像力と仲間への信頼だ。
ゴリラの観察はヒトの観察に通じることがよく分かる本でもあります。
(2019年9月刊。820円+税)

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2020年5月12日

ハリエット・タブマン

アメリカ


(霧山昴)
著者 上杉 忍 、 出版 新曜社

「モーゼ」と呼ばれた黒人女性の話です。奴隷でありながら、自ら逃亡したあと、今度は家族や黒人の仲間を次々に救出していったのでした。大変勇敢な女性です。
アメリカの20ドル紙幣の表面に肖像がのることになっていますが、トランプ大統領が横ヤリを入れているそうです。女性参政権100周年を記念した動きの一環です。
アメリカでは子どもたちは教室でタブマンのことを学ぶので、タブマンのことを知らない人は珍しいとのことです。アメリカでも1960年代になってタブマンの存在が知られるようになり、1986年のテレビドラマ『モーゼと呼ばれた女性』で一気にアメリカ全土で有名になったと言います。今では、アメリカの小学生は、ハリエット・タブマンについて学ぶことを通じて初めて黒人奴隷制を学ぶとのこと。
タブマンは、奴隷だったので学校に行くこともなく、読み書きができなかった。それで本人が書いたものはない。
所有者は奴隷を自由に売買することが出来た。そのとき、家族をバラバラにして売りに出すこともあった。また、奴隷主は、奴隷を「貸し出し」することもあった。
奴隷の身分から解放された自由黒人も存在した。自由黒人と黒人奴隷とが接触するなかで、逃亡奴隷に隠れ場所を提供したり、逃亡の手助けをする自由黒人が出現し、奴隷主の頭を悩ませた。
奴隷の逃亡が急増すると、奴隷主は、報奨金100ドルという広告を出して、発見しようとした。
タブマンの出生登録はないので正確な出生年月日は不明だが、恐らく1822年の2月か3月だと推定されている。タブマンが奴隷として生まれたのは、母親のリッツが奴隷だったから。このリッツの父親は白人だった。
黒人奴隷は、白人たちの世界と並存する秘密の世界をつくりあげていた。
タブマンは、そのなかで人並み以上の集中力をもって、コミュニケーション能力、具体的には口頭や身振りでのコミュニケーションの方法、暗号化された霊歌、表情、一瞥、歩き方、手の動かしかた、服装や欺く技術を身につけた。
クエーカー教徒は、その教義から奴隷を所有していなかった。それで、奴隷の逃亡を助けた。
タブマンは1849年に逃亡に成功し、その後は、南北戦争が始まるまで、何度も故郷のメリーランド州のイースタンショアに戻って、「地下鉄道」と呼ばれる支援運動によって、家族や仲間の逃亡を助けた。1830年から1860年までの30年間に年1000人から5000人、合計13万5000人の奴隷が逃亡に成功した。
タブマンは、周到な準備と緻密で考え抜かれた作戦によって、10回以上の作戦で一度も失敗しなかった。タブマンは銃を携行していたが一度も使っていない。
タブマンは、13回、70人を自ら救出した。このほか、50人に指示して逃亡させている。
「19回、300人」という数字は根拠のない誇大な数字だとされている。
タブマンは、慎重のうえにも慎重を重ね、情報収集を怠らず、十分な準備の下に作戦を実行し、成功させた。すべてはタブマンの単独指令にもとづいて運用された。
映画『ハリエット』が近く公開されるようなので、ぜひともみてみたいと思っています。
(2019年3月刊。3200円+税)

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2020年5月13日

崩壊の予兆(下)

アメリカ


(霧山昴)
著者 ローリー・ギャレット 、 出版 河出書房新社

新型コロナ・ウィルスで全世界が震えていますが、2003年8月に日本語訳で出版された本書は2000年8月にアメリカで出版されていて、今の事態を予言した本だと言えます。
動揺する何百万人。地球上に住む何十億もの人間。何兆トンもの積荷、農産物、動物。そして、その行為がもたらす、あらゆる人々への危険の増加。その行く手には、公衆衛生に手痛い代価を要求するような地球規模のリスクが潜んでいた。
世界の人口は高齢化しつつある。これは、公衆衛生に二つの重要な影響を及ぼす。
まず、経済に対する影響、そして感染症に対する影響。インフルエンザや肺炎は、若い成人にとっては数日のあいだ、体調を崩す程度のものにすぎないが、その同じ病原体が高齢者にはしばしば致命的な感染症をもたらす。集団免疫の概念は、20世紀に有名になったものの、驚くほど不明な点が多い。
豊かな国で高齢者人口が30%を超し、貧しい国で10%を超したとき、その社会に何が起きるのか...。年老いていく身体にワクチンがどう働くのか...。
豊かなアメリカと貧しいコスタリカが公衆衛生指標ではほぼ同等であるが、それはいったいなぜなのか...。
平均寿命や乳児死亡率には、国民1人あたりのGDPよりも、成人の識字率のほうがより密接に関連していることが分かっている。
アメリカにとって大きいのは、人種問題、そして社会階層の問題である。
アメリカでは、今や100億ドルをこす規模で、化学製品、薬品、食品の製造を支配する長大企業をつくりあげている。
世界のほとんどの死亡や病気は、地球上の最貧層の市民に起こっている。
頼れるのは、地元と国と地球規模の公衆衛生基盤しかない。
信頼を構築するには、一種の共同的意識が不可欠だ。その共同体は、全体として自分たちの未来を信じていなくてはいけない。ところが、現実には、人類は孤立し、ときには敵対しあって生きている。
今の日本はコロナ・ウィルスの関係で、外出8割削減が叫ばれている今、人々はじっと家に閉じこもって先行きの見通しのなさにイライラしています。とはいっても、うっぷん晴らしで、誰かにあたったりしてはいけません。アベノマスクはまだまだ届きません。粗悪品をつかまされたようで、いったん全量回収といのも、とんでもない政権です。せめて自民党内のよりましな首相に変わってもらえないものでしょうか...。日本の最大のピンチのときに最悪の首相をかかえた日本人の悲劇から一刻も早く脱け出したいものです。
(2003年8月刊。2400円+税)

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2020年5月14日

「大東建託」商法の研究

社会


(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社

「サブリースでアパート経営」に気をつけろ、というサブタイトルのついた本です。大東建託だけはなく、大和ハウス、東建コーポレーションそしてレオパレスも取りあげられています。この本を読むと、素人がアパート経営に手を出すと、それこそ火傷(やけど)で重傷を負うことが多いと思わされます。
実は、私も大東建託を相手として契約解除を求めて交渉したことがあります。なにしろ70歳代後半の素人の男性が1億円をこす建築費を借金してアパート経営に乗り出そうというのですから、初めから無謀というしかありません。その男性はストレスのあまり病気になりました。そのこともあってなんとか契約解除にこぎつき、家族からは大変喜ばれました。
たとえば大東建託は次のように提案します。
木造アパートを1億3000万円でつくる。毎月90万円の家賃収入があるから、銀行への返済分60万円を差し引いても、手取り25万円になる。
大東建託が一括借り上げて家賃を支払ってくれると思って安心していると、入居者が減るなか、途中から家賃収入が減額される。文句を言うと、会社から「将来の収入を約束したものではない」と冷たく事務的な文面が返ってくる。そして、一括借り上げ契約が解除されてしまう...。
これでは、トホホ...ですよね。
圧倒的に巨大な企業と銀行が、ほとんど無防備の一市民に高額かつ高リスクの商品を売りつけ、資金を貸しつけて高い利益をあげる。その結果、家主がどんな目にあおうと知ったことではない。あとは野となれ、山となれ...だ。
ランドセット方式なるものもある。第三者所有の土地をあらたに購入して、そこにアパートを建て、大東建託が一括借り上げて、経営するというもの。
アパート建築の総工費8000万円。家賃保証があり、毎月10万円の利益(手残り)が出る。家賃保証があると言って安心させる。しかし、1億円の借金で、月の手残りが10万円ということは、利回りでみると1%。そんな事業は初めから無理。木造アパートは22年で減価償却が終わる。すると、それ以降はそれより格段に高い所得税を支払わなくてはならなくなり、収支がマイナスに転じる。
高齢の土地所有者の息子が協力を断ったときには、身内を養子縁組させてまで借金させようとする。あまりにも無茶苦茶だ。
大東建託が建てたマンションが欠陥マンションだった話も紹介されている。
そして、大東建託内での社員に対する壮絶な社員教育に名をかりた「いじめ」も発生する。契約締結を大東建託では「一筆啓上」と呼ぶ。また、大東建託では、新規客に対して嘘も方便として平気だったが、社内でもパワハラ、セクハラが横行していて、病気になった社員も多い。
基本給28万円のうち、営業手当が11万円。これが6ヵ月無契約だと6万円減り、さらに無実績10ヶ月になると、トータルで11万円減って、手取りは10万円ほどとなる。
ハローワークの求人広告はウソ、インチキだった。
この本を読んで、アパート経営を口実とした新手(あらて)の詐欺商法だと私はますます確信しました。
(2020年3月刊。1500円+税)

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2020年5月15日

ふくしま原発・作業員日誌

社会


(霧山昴)
著者 片山 夏子 、 出版 朝日新聞出版

東京新聞の記者が9年間にわたって福島第一原発の後始末処理にあたっている作業員に取材したものが一冊の本になっています。
作業員は大きなフィルターの付いた全面マスクをかぶらされるが、この全面マスクは毎回、返却し、アルコール消毒はされるものの、使い回しになるので、臭いがする。納豆、にんにく、アルコールなどの強烈な臭いがすると、気持ち悪くなるほど。うへっ、これは困りますよね...。
この全面マスクは慣れないうちは、かなり息苦しい。隙間から放射性物質が入ってくるのを恐れて、全面マスクをきつく締めすぎると、作業できないほど激しい頭痛に襲われる。緩くすると、外気でマスクが曇るだけでなく、放射性物質が入りこみ、内部被ばくする恐れがある。
防護服の素材はポリエチレンの不織布(ふしょくふ)で、放射性物質の付着は防ぐが、ほとんどの放射線を通してしまう。防護服といっても、完全に身を守ってくれるものではない。
原発の仕事の受任は複雑に入り組んでいる。
東電が、日立や東芝、大手ゼネコンなどの元請企業に仕事を発注し、元請企業の下に、第一次下請企業、さらに第二次下請企業と、いくつもの企業が重なる多重下請構造になっている。実際には、7次や8次下請までいるし、下請企業のあいただに、作業員を紹介して紹介料や仲介料をとる仲介業者が入っていることもあり、何次下請企業までぶら下がっているのか分からない場合もある。そして、なかには暴力団関係者がからんでいることがある。
下請企業同士で仕事のとりあいをすることもあり、そんなときには、元請や上の下請の幹部を接待することがある。
福島第一原発の復旧工事の現場では、作業員が次々に亡くなっている。ところが、病名が心筋梗塞だったり、急性白血病だったりして、会社は責任ないと逃げるばかり。
作業途中で汚染れを頭からかぶってしまい、バリカンで丸坊主にされたという人もいる。
3.11のときは菅首相でしたが、そのあとの野田佳彦首相は、12月16日、「事故そのものは収束に至った」と、無責任に断言した。これは、安倍首相の東京オリンピック向けの「アンダーコントロール」発言につながるわけです。
現場作業員は被ばく線の上限がある。3.11の事故前は15~20ミリシーベルトだったのが、事故後は30~50ミリシーベルトへ大幅に緩和された。そして、5年で100ミリシーベルトという国の制約もあった。ところが、これは、年度で「リセット」されるのだった。もちろん、生身の人間への影響が「リセット」されたからといいてゼロになるわけではない。
3.11事故によって、1号機から4号機まで、みな「炉心溶融」したことは今では間違いない事実だ。ところが、今なお東電も政府も公式にはこれを認めていない。東電は清水正孝社長(当時)が、「炉心溶融という言葉は使うな」と指示していた。原発事故の恐ろしさをそのまま伝えてしまうコトバなので、あくまで軽く見せかけようとしたのです。
また、高濃度汚染水も、「滞留水」なるコトバに置き換えられました。これまた、ひどい隠蔽工作です。
3.11事故のあと、東電の社員は次々に辞めていった。社員数3万9千人のうち、例年だと130人くらいの退職者が460人にのぼり、29歳以下が4割超だった。
現場の作業員は仕事をしてお金を稼ぎたいがために、線量を低くしようと工作する。すると、将来、病気になったとき、こんな低線量では病気との因果関係はないと会社から反論される恐れがある。
日当が2万5千円だったのが、1万3千円となり、残業手当がつかなくなった。そして危険手当として1日1万円出ていたのが4千円になった。食費も1日1500円出ていたのがゼロになった...。
現場作業員にガンが多発しているのでは...というレポートがありますが、なんと著者自身が喉頭ガンと診断されたとのこと。これには驚きました。のどのポリープから出血し、吐血したのです。
460頁にのぼる大作ですが、この9年間はあっというまのことです。そして、肝心の原子炉のデブリはまったく手つかずの状態なのです。いったいあと、何十年、何百年と続くのでしょうか...。それでも原発が必要だと言いはる人の気がしれません。
フクイチの事故は決して他人事(ひとごと)ではないのです。
ちなみに、私は映画『フクシマ50人』もみています。吉田所長以下の皆さんが必死でがんばったというのはまったく間違いないわけですが、原発そのものは人間の手にあまる存在だというのを、もう少し強調してほしかったというのが私の感想です。
よく出来た本です。一人でも多くの人に読んでもらいたいと思いました。
(2020年4月刊。1700円+税)

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2020年5月16日

せき越えぬ

江戸


(霧山昴)
著者 西條 奈加 、 出版  新潮社

東海道は箱根の関をめぐる人情話です。ころは文政の時期。シーボルトが時代背景として登場してきます。そうです、蘭学に目を向ける人々もいた時代です。
私は、この本を読みながら山田洋次監督による時代劇『たそがれ清兵衛』に出てくる下級武士のつつましい暮らしぶりの情景を思い出しました。
主人公は武士といっても、わずか四人扶持でしかない武藤家の跡取りです。勉学よりも行動力で世の中をまっすぐ渡ろうという正義感があります。
主人公が少年時代に通った道場では、出自や家柄はまったく斟酌(しんしゃく)されず、平等に扱われた。この道場には町人の子も参加していたことになっています。果たして本当にそんな「平等」優先の道場が江戸時代にあったのでしょうか...・。
また、主人公の親友は、蘭学を教えてくれる塾に通っていたということになっています。そして、それが周囲の圧力から閉鎖されたというのです。
これまた、本当にあった話なのだろうか、と疑問を感じました。
恐らく、どちらも本当のことなのでしょう。身分制度が固定していたと言われている江戸時代でも、お金をもつ町人が大金を出して武士になれていたようです。やはり、お金の力は偉大なのですね...。
関所の役割、関所破りの実態、そもそも江戸時代の旅行というのは、どんなものだったのか...。関所破りは、どれほどあっていたのか、失敗して処刑されたという人はどれほどいたのか...、いろいろ知りたくなります。
それにしても、じっくり読ませるストーリーでした。いろんな伏線がどんどんつながっていくのには、小気味の良さも感じられます。江戸情緒たっぷりの良質の時代劇映画をみている気分で、最後まで一気に読みすすめることができました。
(2019年11月刊。1500円+税)

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2020年5月17日

知りたい!ネコごころ


(霧山昴)
著者 髙木 佐保 、 出版 岩波科学ライブラリー

私はイヌ派で、ネコ派ではありませんし、ネコを飼ったこともありません。
それでも、わが家の周囲には絶えずネコが巡回していますし、庭にまで平気で入ってきて、追い出そうとしても、遠くだと、なんで怒ってるの...、と平然としています。
この本はネコ派の著者がネコのこころを科学的に究明しようと、涙ぐましい実験をくり返した成果を紹介しています。
ネコカフェ。海外にもあるけれど、これほど町中にありふれているのは日本だけ。わが町にもありましたが、そんなにもたずに閉店してしまいました...。
縄張りをもつネコにとって、自分のテリトリー以外は、すべて「そと」。そこに飼い主がいようと関係ない。
ネコはとっても気まぐれで、人間の思うようには決して動いてくれない。
ネコはとても鋭敏な感覚をもっているので、「雰囲気」という、目に見えない空気感のようなものを本当に鋭く察知する。
ネコもイヌと同様に、「さっきはおやつがあった」ことを思い出し、それに応じてお皿を探索できることが実験で判明した。
実験にあたって、一度機嫌を損ねたネコの機嫌を取りなおすのは、それはそれは大変。ネコは嫌なことはすぐに覚えるので、モニターの前に2度と落ち着いて座ってくれなくなる。
飼い主の声を聞かせたあと、知らない人の顔写真を示したとき、知らない人の声がしたのに飼い主の顔写真を示したとき、ネコは画面を長く見ることが分かった。これを期待違反の結果という。つまり、ネコも飼い主の声を聞いて顔を想像していることを示唆する実験結果なのだ。
ネコカフェのような、毎日、知らない人に接触している超特殊な環境にいるネコを調べることによって、同じ刺激を見せても成育環境によって反応に違いが生じることが分かった。
いやはや、たくさんの気位の高いネコを相手に地道な実験を繰り返したなんて、本当にお疲れさまでした。でも、おかげで、こうやって猫の心理状態を少し解明できたのです。大きな拍手を送りたいと思います。
(2020年2月刊。1200円+税)

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2020年5月18日

眠れる美しい生き物

生き物


(霧山昴)
著者 関口 雄祐 、 出版 エクスナレッジ

鳥は飛びながら眠ることができる。高高度で、上昇気流に乗っているときは、捕食のリスクもなく、衝突・墜落のリスクもない。ただし、グンカンドリは地上では10時間も眠るのに、飛行中はわずか40分ほどしか眠らない。
鳥類は半球睡眠できる。大脳半球を交代に休ませるのだ。鳥類の先祖は恐竜なので、恐竜も半球睡眠していた可能性はかなり高い。
ウシは、食べる時間と眠る時間の両立を図った。食べながら、うとうと眠り、眠っているあいだも食べ続ける。
動物園のカバのオスは毎日20時間も眠っている。ところが、メスが同居すると、わずか5時間しか眠らなくなった。相手のメスは、一貫して7時間以上は眠っているのに...。
イヌも、近年、ヒトと同じく、睡眠時無呼吸症候群があるのが発見され、問題となっている。
オオカミには天敵がいないので、ぐっすり眠るが、仲間とぴったりくっついて眠ることはない。
オオカミ1頭が暮らすのに30平方キロが必要とされ、7頭の群れを維持するのには東京都全域の相当する自然が必要となる。
ミーアキャットは、群れの順位は厳しく、ボスは日中37%も休んでいるのに、下っ端だとわずか10%しか休めない。
ライオンとトラが併存しているところではトラが強い。トラの安眠を妨害する唯一のものは空腹だ。なーるほど、ですね。
ナマケモノは、野生の環境では9~10時間しか眠っていない。それほど怠け者ではない。
コアラの活動時間は、夜中の6時間だけ。
マッコウクジラは海の中で、垂直姿勢で眠る。睡眠時間は7時間で、最長30分は眠っている。
タコは夜行性で、睡眠中に筋肉が無意識で動いてしまうので、色を激しく変化させながら眠っている。
脳のないクラゲも実は眠っている。
ゴリラが眠るのは、寄生虫のいないところで、眠りを妨害するゾウの群れから離れているところ。
睡眠は生き物に必要不可欠なものですが、生き物がいろんな眠り方をしているのが写真でよく分かりました。ほほっとする、楽しい写真集でもあります。
(2020年1月刊。1600円+税)

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2020年5月19日

女たちのシベリヤ抑留

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 小柳 ちひろ 、 出版 文芸春秋

戦前の満州にいた日本兵がソ連軍によってシベリヤに連行され、極寒の地で過酷な労働を強いられたことはよく知られていますが、この本は、シベリヤに連行・抑留された日本人看護婦など日本人女性も多数いたことを発掘しています。
1945年8月、満州にいた日本軍兵士60万人がソ連の収容所に連行され、強制労働に従事された。これが、いわゆるシベリヤ抑留だ。そして、実は、そのなかには数百人もの日本人女性がいた。たとえば、チャムス(佳木斯)第一陸用病院の看護婦150人。
看護婦は二つの系統があった。陸軍看護婦と日赤看護婦。日赤看護婦になるのは非常に難しく、合格倍率は、ときに100倍をこえた。当時の軍国少女たちにとって、憧れの存在だった。
この本には「独ソ戦の直後に満州に攻め込んだソ連のしたたかさ」という間違った歴史記述があり、また、シベリア抑留された元日本兵のなかの「民主化」グループについても偏見にみちた記述としか言いようのない決めつけがあったりして、歴史認識に欠けるところが気になるのが残念でした。しかし、それでもシベリヤに抑留されていた日本人女性の存在、その生活状況を掘り起こした点は高く評価したいと思います。
シベリヤで日本人女性はたくましく生きのびたことを紹介しているのには目を開かされました。やはり、女は強しです。
男性が栄養失調になってフラフラしているときにも、同じものを食べているのに女性はやせなかった。同じものを食べて、男性は下痢したり病気したりしたが、女性は病気しなかった。食べる量が少なくてもガマンできた。女性は、体力も気力も男性に比べて強かった。男性は、気持ちでも体力でも、ポキッと折れてしまった。ただし、男性は、「あの食事で、あの重労働じゃ、耐えられない」のもあたりまえだった。
班単位でまとまってシベリヤに抑留されたのはチャムス第一陸軍病院467班だけだったが、少なくとも450人以上の看護婦が満州でソ連軍の捕虜とされた。
引揚第一便は1946年11月に日本に帰国したが、そのなかにはチャムス第一陸軍病院の看護婦20人もふくまれていた。ソ連は国際社会からの非難をかわすために、人道的姿勢をアピールすべく女性を第1号帰還者リストに加えたのだった。
NHKのBS番組を本にしたものです。シベリヤ抑留に関心のある人には欠かせない本だと思いました。
(2020年3月刊。1700円+税)

 雨上がりの日曜日、午後から庭に出て畑仕事をしました。朝のうちにアスパラガスを4本収穫していましたが、その隣に大きなアマリリスが見事に咲いていて、つい、「ややっ、キミもいたんだね」と叫びそうになりました。去年も咲いていましたが、今年ははるかに大きいのです。
 ジャガイモ畑の雑草を孫と一緒に取り除きました。隣の畑のジャガイモは地上部分が盛大に葉を大きく伸ばしていますが、私の畑は、それに比べると、いかにも貧相です。でも、それは去年もそうでした。それでも、地中のジャガイモは、ちゃんと大きくなってくれましたので、今年も、きっと地中では大きな実をつけてくれることと固く信じています。
 畑仕事を終えようとすると、梅の実がいくつか落ちていました。来週は梅の実ちぎりをしなくてはいけません。梅酒用です。
 夕食のとき、2歳の孫がアスパラガスをむしゃむしゃ食べてくれました。
 夜7時半、ようやく暗くなりましたので、毎年恒例のホタル探索に出かけました。歩いて5分足らずのところの小川にホタルが出るのです。いるかな...、あっ、いた、いた。いました。ほのかに明滅するホタルが、フワリフワリと飛びかっています。今年は、コロナのせいか、「ホタルの里」の手入れがされていないため、そこより、むしろ近辺の小川あたりにホタルをたくさん見かけることができました。
 歩いて5分もかからないところにホタルを見て楽しめるのは、田舎暮らしの良さのひとつです。

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2020年5月20日

幸福の科学との訣別

社会


(霧山昴)
著者 宏洋(ひろし) 、 出版 文芸春秋

幸福の科学の大川隆法の長男が父・隆法の実像を伝えています。まことに父と息子との関係は難しいものだという感想をもちました。
どうやら隆法一家は家庭的な落ち着きと親しみに貧しい雰囲気だったようです。
長男の著者は中学受験に失敗してから、隆法の後継者からドロップアウトしたとのこと。二男の裕太は麻布高校から東大法学部を卒業したのですが、離婚問題をおこしたので、一気に格下げされたとのこと。
今は、後継者として最有力なのは長女の咲也加。咲也加は2代目教祖を目ざしていて、名誉欲、権力欲、自己顕示欲の3つがとても強い。副理事長兼総裁室長。『娘から見た大川隆法』という本を書いている。咲也加は性格がきつく、内弁慶で、友達がいない。
著者は東大法学部に進んでほしいという父・隆法の期待を裏切り、青山学院大学法学部に進み、今は映画づくりにいそしんでいます。後継者候補からはずれたあとも、教団ナンバー3の理事長になったこともありました。3ヶ月でやめたあとは父親・教団のコネで、清水建設に入社しています。
著者は女優の清水富美加との結婚を父・隆法にすすめられ、断りました。清水富美加について、感情の浮き沈みが激しく、二面性がある人、幸福の科学の教義はほとんど読んでおらず、理解していない。しかし、非常にビジネスライクな人物なので、著者との結婚についても打算したのではないか...としています。
著者は大川隆法について、一度も神だと思ったことはないが、感謝の気持ちでいっぱいだとしつつ、自分にとっては、路傍の石の一つ、取るに足らないガラクタにすぎないと言い切っています。
大川隆法という人間は、自分だけよければいいという考えがすごく強い。自分の考えに異論をはさむ人間は徹底的に叩く。
大川隆法の妻・きょう子はずっと教団ナンバー2だった。きょう子本人は、自分のおかげで教団が大きくなったと主張しているが、組織が大きくなりすぎて、そのポジションをつとめることが能力的に難しくなり、隆法と夫婦ゲンカして教団から追い出された。
きょう子は、離婚するまで、警察に相談に行ったり、自宅保全の仮処分を申請したりしている。
隆法は妻きょう子とは実は離婚したくなかったのだと思う。
両親の離婚に際して5人の兄弟(姉妹)が集まり、「きょうだい会議」を開き、全員一致で父親につくことを決めた。稼いでいる父親につかないと、生活できなくなることが最大の理由だった。
きょう子はヒステリーがひどい人。これに対して、父・隆法の唯一良いところは、ブチ切れることがないこと。怒ったら、怒鳴りつけるのではなく、10分間も2時も、ネチネチ説教するタイプ。暴力は一切ふるわない。むしろ、母・きょう子は瞬間湯沸かし器みたいで、よくぶたれた。
幸福の科学の信者は、公称で1100万人というが、実数は1万3000人だと著者はみています。2019年の参議院選挙の得票は20万票だった。そして、信者の高齢化のため財政状況が悪化している。信者の平均年齢は65歳。これは64歳の大川隆法と同じということ。
2011年のお布施は300億円あった。このほか、本の売り上げや各種祈願の代金収入などがある。
大川隆法の話は、とにかく長い。聞いているうちに疲れてしまう。内容はたいしたことないけれど、何時間も聞かされると、「すり込み」効果があって、洗脳される。
著書は500冊をこえる。大川隆法の「霊言」は、台本もリハーサルもなく、全部アドリブで2時間は軽く話し続ける。
教団の信者は、自分の意思をもたず、自分では何も決めずに動くことができる。これがカルト宗教の一番の魅力だ。
教団から懲戒免職され、6265万円という巨額の損害賠償請求裁判の被告とされていることから、いくらか割引して受けとめるべきかもしれませんが、書いてあることのほとんどは、よく分かることばかりでした。あなたにも一読をおすすめします。
(2020年3月刊。1400円+税)

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2020年5月21日

大東建託の内幕

社会


(霧山昴)
著者 三宅 勝久 、 出版 同時代社

大東建託は1974年(昭和49年)に大東産業として多田勝美が創業し、以来、36年間にわたって企業オーナーとして君臨した。
多田会長の年収は2億5800万円(ストックオプション含む)。田園調布の高級住宅地の敷地500坪に地上2階建、地下1階、のべ床面積300坪という豪邸に住んでいる。
2010年の時点で、大東建託のアパートは全国に6万棟超。戸数は60万戸。2017年では累計で17万棟。管理戸数は100万戸超。実は、私の娘もそのアパートに住んでいます。年間の売上高は9548億円、経営利益739億円、従業員1万3000人、という巨大企業。
そして役員報酬は、常勤取締役10人の平均は1億2000万円。社外取締役7人の平均は1650万円(2017年3月期)。
ところが、従業員の自殺が相次いでいる。厳しいノルマに追い込まれるのだ。朝8時から深夜まで、毎日15時間以上の長時間の労働で疲れてしまう。
建築営業は「終日時間」という飛び込み営業をさせられる。大変な苦痛だ。そして夜8時半に支店で終礼をする。
ノルマには、「契約のノルマ」と「プロセスのノルマ」の二つがある。「契約のノルマ」は、毎月、アパート建築の契約をとれというもの。「プロセスのノルマ」には「八六四三」と称されるものがある。「立地審査」を月8本、「家賃審査」を月6本、「プラン提示」を月4本、「最終業績」を月3本とれというもの。
支店の数字を上げるため架空契約するのは、よくあること。「テンプラをあげる」という。親しいオーナーに頼んで、本当は建てる気がないのに、契約書だけつくってもらい、それを支店の成績として報告する。
埼玉県の中央支店では7人が解雇され、所沢支店では支店長以下14人がクビになった。
30年間の家賃保証というが、実は、これは試算であって、この金額を継続保証するものではないと、小さな文字で契約書には書かれている。10年たつと、この条項によって家賃を減額し、それに応じないと「一括借り上げ」を解消されてしまう。すると、たちまちアパート経営による利益なんかないどころか、大赤字をかかえてしまう。
なので、大東建託でアパートを建てることを考えているのなら、やめたほうがいい。
そうなんです。素人がアパート経営に手を出してうまくいくと考えるほうが甘すぎるのです。世の中、甘い話は怖い話でしかありません。
(2019年7月刊。1500円+税)

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2020年5月22日

国策・不捜査―森友事件の全貌

社会・司法


(霧山昴)
著者 籠池 寿典、赤澤 竜也 、 出版 文芸春秋

森友事件で籠池夫妻のみが強制捜査の対象となり、刑事裁判になっているのは、どう考えても納得できません。巨悪を逃れしてはいけないのです。
森友事件の本質は、9億円の土地が1億円に大幅値引きされたこと、この8億円の値引きは地下3メートルより深い地点に「新たなゴミ」が発見されたからという理由から。しかし、実は、そんな「新たなゴミ」なんてなかったし、8億円もの値引きにつながるものではなかったのです。
では、何があったのか。それこそ、ズバリ安倍首相案件だったからです。昭恵夫人が前面に出てきますが、その裏には首相本人がいたのです。そのことを当事者として関与した近畿財閥局の担当官A氏(赤木氏)は、苦悩したあげく、ついに自死されました。
いったい、誰がそこまで追い込んだのか...。ところが、財務省の上司たちは、その後、実は、順調に昇進していき、現在に至っています。信じられません。昭恵夫人の秘書役だった谷氏もイタリアの駐日大使館へご栄転の身です。
私は、つくづくこんなキャリア官僚のみちに足を踏み入れなくて良かったと思いました(いえ、大蔵省なんて望んでも入れない成績でしたけど...)。
稲田朋美氏は弁護士として古くから籠池氏と関わりがあるのに、国会では、「ここ10年ほど会っていない。かすかに覚えてほどで、はっきりした記憶はない」、「籠池氏の事件を受任したこともなければ裁判をしたことも法律相談を受けたこともない」などと答えていた。
ところが、籠池氏は、この本のなかで稲田朋美・龍示夫妻(いずれも弁護士)に森友学園の顧問弁護士になってもらい、担保権抹消の裁判を依頼したりして、深く関わっていたことを明らかにしています。
ということは、稲田朋美弁護士(議員)は、とんでもないウソをついていたことになります。そんな人物が自民党を代表してテレビ討論会に堂々と登場してくるのです...。
「安倍晋三記念小学校」という名称は、実は、安倍首相の自民党が野党のときのことで、首相になったあと、昭恵夫人が、現役の首相になったので、この名前を辞退したいと申し入れたとのこと。
なーるほど、と思いました。それほど、籠池夫妻は安倍晋三という議員に思い入れがあったわけです。
ところが、安倍首相は、そんな籠池氏を国会という公の場でバッサリ切り捨てたのでした。
「非常にしつこい人物」
「名誉校長になることを頼まれて、妻は、そこで断ったそうです」
「この籠池さん、これは真っ赤なウソ、ウソハ百...」
すべては、安倍首相が「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということをはっきり申し上げておきたい」と、2018年2月17日の国会で答弁したことに端を発している。
これだけ「関係していた」ことが明らかになっているのだから、今なお安倍晋三が首相どころか、国会議員であることが不思議でなりません。世の中、ウソが通れば、マコトがひっこむというのを地で行っています。
しかも、このような人が「道徳教育」に熱心なのだから、世の中はますます狂ってきますよね...。プンプンプン。
堂々480頁もある本です。籠池氏の怒りがびんびんと伝わってきます。保守主義者、天皇主義者そして生長の家信者というところは何ら変わっていないとのこと。それでも安倍首相を支持する側から、反対する側にまわったことは明確です。いわば、日本人として良識を取り戻したということなのでしょう...。
(2020年2月刊。1700円+税)

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2020年5月23日

旅人の表現術

人間


(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版 集英社文庫

著者の旅行体験記である『空白の五マイル』そして『極夜行』には、ため息を吐くのも忘れてしまうほどに圧倒されてしまいました。もちろん、その旅行から無事に生還して体験したことを文章化しているわけですが、その旅行では極限の窮地に置かれ、どうやってこの死地から脱出するのか、つい手に汗を握ってしまいます。
著者は初めから文章や本を書くことを前提に探検や冒険に出かけている。
はじめのころは、行動者としての自分、表現者としての自分が分裂し、自己矛盾をきたしているのではないかというジレンマにかなり悩まされた。しかし、今では、このジレンマに苦悩することは、ほとんどなくなった。それは探検家としての行動者的側面と、書き手としての表現者的側面が自分のなかで無理なく一つにまとまっていると感じることができるようになったからだ。
なーるほど、ですね。なんだか悟りの境地にある仙人みたいです。
冒険とは、死を自らの生の中に取り組むための作法である。
経験とは、想像力を働かせることができるようになることだ。自分だけの言葉で語ることのできる事柄を、自分の中に抱えこむということだ。冒険のあいだ、死にたいする想像力をもつことができる。
探検は冒険の一種だ。冒険というのは、個人的な行為だ。主体性があって、生命の危機にかかわる行為であれば、それは冒険だ。探検は、それに未知の部分が加わる。
探検はアウトプットを必要とする。冒険はアウトプットを最終的な目的としない。
本多勝一、開高健の作品もすごいと思って読みましたが、著者の探検記も、生と死の極限状態をギリギリのところまで究めようとしている壮絶さがあります。
この本は、そんな著者がいろんな人と対談しているので、さっと読めますし、ああ、そういうことだったのか...と、いろいろ教えてくれました。
(2020年2月刊。700円+税)

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2020年5月24日

リープ

社会


(霧山昴)
著者 ハワード・ユー 、 出版  プレジデント社

優位性が揺るがないような、独自のポジショニングを追及しても、それは幻想にすぎない。どんな価値提案も、それにどれほど独自性があっても、脅かされないことはない。よいデザインや優れたアイデアも、それを企業秘密にしても、特許があっても、結局はまねされる。
こうした状況の下で、長期にわたって成功するための唯一の方法はリープ(跳躍)すること。先行企業は、それまでとは異なる知識分野に跳躍して、製品の製造やサービスの提供に関して、新たな知識を活用するか、創造しなければならない。そうした努力が行われなければ、後発企業が必ず追い付いてくる。
「模倣の国」と呼ばれたスイスでは、化学会社は自由に海外企業のまねができた。それどころか、模倣が推奨されていた。模倣は大成功し、チバは1900年にパリで開かれた万国博覧会で大賞を受賞している。
企業の経営者は、複雑で、変化する環境を相手にしている。数年前にうまくいったことが、永遠にうまくいくとは限らない。企業は、まだ時間があるうちにリープすればよい。
正しいシグナルに耳を傾けるためには、忍耐力と規律が必要だ。チャンスをつかむためには、必ずしも最初に動くのではなく、最初に正しく理解することが求められる。そのためには、勇気と決断力が必要だ。リープを成功させることとは、一見すると矛盾するこの二つの能力をマスターすることである。この待つための鍛錬と、飛び込むための決断力をバランスよく組み合わせることができれば、その見返りは大きい。
自らが置かれた状況を理解しようと頭を悩ませ続けられる能力こそが、知的なマシンの時代に人間がもち得る最大の強みだ。
大規模で複雑な企業の生活を脅かす最大のリスクは、内部の政治的な争いと、誰も率先して行動を起こさないこと。
企業の寿命は、1920年代には67年だった。今日ではわずか15年だ。アメリカの大企業のCEOの平均在籍期間も、この30年のあいだに短縮している。
いま、私たちは変化が加速している世界に生きている。
そうなんですよね...。でも、昨日と同じ今日があり、明日があると、ついつい思ってしまうのです。その点も大いに反省させられるビジネス書です。
(2019年12月刊。2200円+税)

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2020年5月25日

その犬の名前を誰も知らない


(霧山昴)
著者 嘉悦 洋、北村 泰一 、 出版 小学館集英社

圧倒的な面白さです。ページをめくる手がもどかしく感じられました。
日本が初めて南極で越冬したのは1957年から翌58年にかけての1年間のこと。1958年2月、第一次越冬隊は無事に全員が南極観測船「宗谷」に収容された。引き続き第二次越冬隊が昭和基地で越冬するはずだった。ところが、悪天候のため急に中止となり、第二次隊も「宋谷」にひき戻された。すると、第二次隊のため昭和基地に残された15頭のカラフト犬は見殺しにされる...。
日本の国民世論は怒りに沸騰した。カラフト犬たちは、第二次隊員のため、逃げないよう鎖につながれたままなので、餓死するに決まっている。そして、大半はそうなった。
ところが、北大の犬飼教授は、1頭か2頭は生き延びる可能性があると予言した。
そして、1年後の1959年1月14日、第三次観測隊が昭和基地に到着すると、なんと、タロとジロという2頭が生きていたのです。
私も小学生でしたので、この感激ははっきりとした記憶があります。日本中が震えました。
捨てられた恨みからかみついてくるのを心配し、犬の世話係は恐る恐る近づいたのでした。そして、タロもジロも自分の名前を呼びかけられて、やっと安心して近寄ってきたといいます。恨んではいなかったのでした。顔をペロペロなめて、とても喜んだのです。
そして、この本は、実はタロとジロが生きのびたのには、この2頭をリードした先輩犬がいたのだということを解き明かしています。それは、1968年2月に昭和基地の近くで1頭のカラフト犬の遺体が発見された事実にもとづく推測です。この事実は、同時に行方不明になっていた福島隊員の遺体が見つかった報道のかげにひっそりと隠れてしまい、報道されることがなかった。
タロとジロは発見されたとき、やせおとろえていたのではなく、丸々と肥え太っていた。いったい、何を食べていたのか・・・。それは、昭和基地にあった貯蔵庫の食糧品などをリーダー犬とともに掘り出して食べていたのだろうと推測されています。そして、タロもジロも、昭和基地に着いたときには幼犬だったのでした。これも生きのびた理由のようです。
なーるほど、と思いました。
ペンギンとかアザラシを襲って食べて生きのびたという説もありましたが、それは、あまり現実的ではないようです。
この本の面白さは、このような謎解きもさることながら、カラフト犬を犬ゾリ用に訓練し仕立て上げていく過程、南極での犬ゾリ旅行の大変さは、まさに手に汗握る迫真の状況描写の連続だからです。
カラフト犬にも、本当にいろいろ性格の違いがあること、極限状態に置かれたら、ヒトもイヌも一緒になって困難を乗りこえようと心を通わせる必要があるというところに、心打たれました。犬にも感情があり、プライドがあり、根性があるのです。あとは、それを人間がどうやって奮い立たせるか、これは信頼なくしてはやれないことです。
5月の連休最後の日曜日、寝食を忘れて(ウソです。でも、おかげで昼寝しそびれてしまいました)一心不乱に読み通しました。
少しでも犬に関心のある人には絶対におすすめの本です。犬って、やはりすごいですね...。
(2020年4月刊。1500円+税)

 土曜日の夜、うす暗くなったので、孫たちとホタルを見に行きました。歩いて5分のところに小川があり、まさにホタルが乱舞していました。これまでになく、たくさんのホタルがフワリフワリと明滅しながら漂っていました。ときどき手のひらに乗せてホタルの光を手でも感じました。孫の手のひらにも乗せてやると喜びます。
 土曜日の午後は、梅の実をちぎりました。バケツに2杯とれ、早速、梅ジュースを味わうことができました。
 日曜日の午後はジャガイモ掘りです。池中から大小さまざまなジャガイモが姿を見せ、孫も大喜びで、夕食のとき小さなジャガイモをバタジャガでいただきました。
 田舎に住む良さをしっかり味わっています。

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2020年5月26日

ベルリン1993(上)

ドイツ


(霧山昴)
著者 クラウス・コルドン 、 出版 岩波少年文庫

ヒトラーが政権を握るまでのベルリンの労働者街の日々が描かれた小説です。主人公は、もうすぐ15歳になる14歳の少年。姉と屋根裏部屋で生活しています。
父親は元共産党員として活動していたが党と意見が合わなくなって脱党。兄は共産党員として活動している。一緒に生活している姉は、なんとナチ党の突撃隊員と婚約し、それを合理化する。怒った父と兄は、もう姉とは絶好だと宣言する。
では、なぜ姉はヒトラーのナチスに惹かれるのか...。
「社会民主党は口先ばかりだし、共産党は世界革命だとか、全人類の幸福だとか、できっこないご託(たく)を並べているばかり。私の望んでいるのは、そんな大きな幸福じゃなくて、個人のささやかな幸福なの...」
「きのう、共産党を選んだ600万人のほうが、ナチ党を選んだ1400万人より賢いって、どうして言えるのよ」
「あたしたちは、馬車に便乗して、すいすい行くことにしたの。乗らなければ、置いてけぼりをくうわ」
ドイツ共産党の党員の多くは知識階級を好まない。労働運動に真剣に取り組むのは労働者だけ、知識階級は偏向しやすいと考えている。
共産党だって世の中の不正に反対している。ただ、やり方を間違えている。ドイツの良心を忘れ、モスクワの言いなりになっている。
姉の婚約者は次のように言う。
「ヒトラーは、経済を立て直す方法を知っているんだ。国会議員は、おしゃべりばかりだ。しゃべるだけでしゃべって、なんの行動もとらない。民主主義なんて、役に立つものが今は強い男が必要なんだ。
おれたちは世の中を変えたいんだ。平和とパンが望み。そして、みんなが仕事をもてること。これを、ヒトラーは約束している。突撃隊のホームに行けば、毎日、スープが飲めるんだ。ここは、ちゃんと話しかけてくれるし、話も聞いてくれる。ヒトラーが政権につきさえすれば、みんな仕事がもらえるんだ...」
主人公はヒトラーの『我が闘争』を読んだ。退屈な本だった。ヒトラーの言葉は、ふやけていて、おおげさだ。読み通すのに苦労した。
ヒトラーは、いざとなればフランスと戦争するつもりだ。そして、ユダヤ人を排斥しようとしている。どちらも信じられないことで、あまりにリスクを伴う...。
この本ではナチ党の脅威を前にして、なぜ共産党と社民党が統一行動をとらなかった、とれなかったかの事情を明らかにしています。
要するに、共産党は社民党について、真っ先に打倒すべきものとしている。社民党は、今の国家体制を維持したがっている。共産党は転覆させたがっている。この両党には、長い歴史がある。政治的対立というのは、ウサギをオオカミに変えてしまうもの。
ナチ党の突撃隊員は主人公の職場にもいて、「ハイル・ヒトラー」の敬礼を唱えないと、ボコボコにされてしまいます。工場内では孤立無援になるかと心配していると、助っ人も登場します。
街頭でも職場でも、むき出しの暴力が横行しています。ナチス突撃隊の集団的暴力に対抗して、共産党の側も暴力で立ち向かうのですが、警察はナチスの側につきますし、共産党の側は不利になるばかりです。
むき出しの暴力に暴力で対抗しても、本質的な解決にはならないことを、私は東大闘争の過程で全共闘の「敵は殺せ」の暴力を目のあたりにして、身をもって考え、体験させられました。
そして、当時のドイツ共産党については、スターリンの狡猾なヒトラー接近策のなかで踊らされてしまったという側面は大きかったと思います。
「少年文庫」ではなく、大人向けレベルの本です。
(2020年4月刊。1200円+税)

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2020年5月27日

凛凛(りんりん)チャップリン

人間・スイス


(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社

チャップリンに関する本は、それなりに読みましたが、この本はスイスのレマン湖畔にあるチャップリン博物館のガイドブックでもあり、新鮮な思いでチャップリン映画に改めて浸ることができました。
私は30年以上も市民向け法律講座を毎年6月ころ開催してきました(今年はコロナのため中止)が、当初は冒頭、チャップリンの短編映画(8ミリ)をみんなで楽しくみるようにしていました。浮浪者チャップリンのドタバタ喜劇なのですが、どれも、心なごむものばかりでした。
スイスに晩年のチャップリンが25年間も住んでいた邸宅が、そのまま博物館になっているそうです。コロナ禍がおさまって、自由に旅行できるようになったら、ぜひ行ってみたいものです。
チャップリンと日本の深い結びつきを改めて認識しました。
チャップリンがアメリカで生活していたときの運転手であり、秘書だったのは日本人の高野(こうの)虎一。一時は、チャップリン邸の使用人17人全員が日本人だったこともあるとのこと。驚きです。そして、チャップリンのトレードマークのステッキは滋賀県の根竹という日本製。これまた初耳でした。
チャップリンは日本に深い関心をもっていて、歌舞伎をみて感激していたこと、銀座のテンプラが大好物だったこと、日本に4回も来たが、4回目は、日本の「近代化」に幻滅したことが紹介されています。
チャップリンが1回目に日本に来たのは、五・一五事件の直前。首謀者となった青年将校たちは犬養首相がチャップリンを歓迎するのを知って、そこを襲う計画だったとのこと。ところが、5月15日の朝、チャップリンが急に相撲を見に行きたいと言い出して(天才は気まぐれなのです)、結果として難を逃れた。ただし、著者はチャップリンが予定どおり首相官邸に行っていたら、チャップリン・ファンの群衆が首相官邸に押しかけ、警備が厳重になって、五・一五事件で首相官邸は襲われなかった可能性もあるとしています。なるほど、それもありうべしです...。
チャップリンは、2歳のとき両親が離婚し、兄とともに母親から育てられた。両親は、いずれもジプシー(ロマ)の血を引いているとのこと。そして、両親ともミュージック・ホールの芸人だった。貧乏な母は、チャップリンをパントマイムで笑わせた。「最高の名人」だった。
チャップリンは、家にお金がなくなると、街頭で踊って、見物人から小銭を集めた。チャップリンのパントマイムは単なる趣味の得意技ではなく、貧しさのなかで生きのびるために渾身の力を込めて身につけたもの。
すごいですね。なにしろ、5歳のとき、母親の代役として舞台に立ったというのです。そして、7歳のとき、救貧院に入れられました。小学校は中退です。チャップリンの自筆の手紙はごくごく少ないのは、字や文法の誤りが多々あることを気にしたからのようです。学校嫌いというのではなくて、学校に通う経済的余裕がなかったということ。
チャップリンが12歳のとき、深酒のため肝硬変だった父親は死亡。まもなく、母親は、精神病院に入れられた。なので、チャップリンはアルコールはたしなむ程度で、アルコールの広告・宣伝には一切協力しなかった。いやあ、これまたすごいことですね...。
18歳で舞台に立ち、21歳のとき主役を演じた。そして、アメリカに渡った。
チャップリンの映画のすべてをみているわけではありませんが、『街の灯』、『キッド』、『ライムライト』、『モダンタイムス』、『独裁者』、...、どれも見事です。熱くほとばしる涙なくしてはみることができません。
驚くべきことに、撮影は50回の撮り直しはザラで、200回以上も撮り直したことがあるとのこと。完成した映画に使われたフィルムは、撮影したフィルムの4%とか3%...。これには思わず息を呑んでしまいました。完璧を期して、練りに練った珠玉の結果だけを私たちは目にしているわけです。
チャップリンは、アイデアを一体どうやってひねり出していたのか...。
アイデアは一心不乱に求め続けていると訪れる。そのためには、気も狂わんばかりに我慢し続ける。長期間にわたって不安感に押しつぶされながらも、熱意を保ち続ける努力が必要だ。アイデアを生み出す能力ではなく、アイデアをひねり出す努力こそが大切なのだ。
いやあ、超天才としか思えないチャップリンだって、そんなに努力しているというのですから、私も負けずに、もう少し努力してみたいと思います。たとえば吉村敏幸弁護士(福岡)が、私の文章に面白み、ユーモアが弱い(欠けている)とのコメントを寄せてくれました。私の努力目標です。
著者は、チャップリンの喜劇は人間性を目覚めさせてくれる、人間の心を真っすぐにさせると書いています。まさに、そのとおりで、生きていて良かった、明日はきっと何かいいことがあると思わせてくれます。この本もまた、そんな幸せな気分に浸らせてくれます。
著者から贈呈を受けました。届いたその日のうちに読んで、この感想文を書きました(コロナのため、これまでになくヒマなのです)。元気のでる、すばらしい本を、ありがとうございます。
(2020年4月刊。1700円+税)

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2020年5月28日

神さまとぼく、山下俊彦伝

社会


(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社

松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、......なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません...。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか...。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが...。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね...。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが...。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)

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2020年5月29日

日本史からの問い

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 三谷 博 、 出版 白水社

著者は私と同じ団塊の世代です。東大闘争のとき、私と同じ駒場寮で生活していましたが、まったく関わっていないようです。
著者は1968年4月に東大に入学(私は1967年4月入学です)し、6月から紛争が勃発して、やがて授業がなくなり、麻雀に走ったようです(「何もしなかった」ともありますので、よく分かりませんが...)。
同じ部屋の全共闘の先輩が「東大解体」を主張したので、東大を壊したあと、どうするのか問うと、「京大に入る」と先輩は答えたとのこと。とんでもない答えです。大学解体を叫んだ全共闘とそのシンパは多かったのですが、東大を中退した人はごく少数でしかありません。
私自身は、せっかく苦労して入った東大を中退するなんて考えたこともありません。むしろ、どうやって社会に還元できるかを真面目に議論していました。これは、今でも間違っているとは考えていません。それにしても、今、全国の大学の卒業式の大仰さには強い違和感があります。なんだか「特権階級」意識を共有する儀式のように思えてならないのです。
それはともかくとして、駒場寮の食堂や屋上で開かれた代議員大会について「共産党系の団体が主催」としたり、「ストライキ解除のための集会」と書いたり、「歴史家の常道に反し、一切当時の記録を見てない」と書いて活字にする神経は信じられません。これは「記憶の誤り」以前の良心の問題ではないかと私は思います。
以上のような著者の記述を批判しつつも、明治維新についての著者の指摘には、大いに目が開かされ、勉強になりました。
まず、著者は、明治維新について、世界の革命史学で注目されることはほとんどないが、これは、19世紀の世界で起きた、もっとも大規模な革命の一つだったと強調しています。
明治維新は革命であったが、その犠牲者はわずか3万人にとどまった。フランス革命では、内戦で40万人、対外戦争で115万人、あわせて155万人の犠牲者が出たのに比べて、2桁少ない。20世紀のロシア革命や中国革命と比べると、3桁は違っている。
明治維新のなかで、長州は当初は関与していなかった。王政復古クーデターのなかの5大名にも長州はいない。
徳川権力の打倒は王政復古によっては決まらなかった。徳川幕府の崩壊と新政府の樹立にともなく内乱は東北のみ限定された。その結果、死者は1万4千人にとどまった。
武士の解体は、人口の6%を占めた武士の3分の2が官職を失い、さらに全員が家禄を定額の国債と引き換えに奪われた。これは、世界史上まれにみる大規模な階級変動だった。
明治維新は、世襲・身分制を廃止した。これも革命の根拠とする一つである。
明治政府で政策決定を実際にしたのは2等官以下であり、西南内乱(西南戦争)までに高等官の20%は庶民出身になっていた。
明治維新は外発的な革命であり、いかなる内部的予兆もペリー到来の前に見出すことはできない。
著者は、江戸時代の日本の政治構造を次のように説明します。
国の頂上に、江戸に本拠を構える徳川氏の「公儀」と、京都の「禁裏」の二つの政府がある。そして、国の基礎単位は2百数十の大名の「国家」だった。このような一つの国家の頂上に2人の君主とその政府が併立するというのは世界史に珍しい。他には18世紀後半のベトナムにみられるだけ...。このような分権的構造が国家体制の解体を容易にし、かつ君主が2人いたために片方が権威を失ったとき、ただちに他方に権力を集中できたのだ。
明治維新とは、どういうものだったのか、果たして革命だったのか、大いに考えさせられる刺激的な本です。
(2020年3月刊。2500円+税)

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2020年5月30日

ザリガニの鳴くところ

アメリカ


(霧山昴)
著者 ディーリア・オーエンズ 、 出版 早川書房

泣けた、泣けた、泣けました。あまりの興奮で今夜は眠れないかと心配してしまいました。おかげさまで、いつものとおり、ぐっすり眠れましたが...。
全米500万部突破とありますが、たしかに、なるほどと読ませる出来ばえの本です。
作中の人物にずずっと感情移入し、あまりに切なくて、ついつい涙が出てくるのでした。年齢(とし)をとると涙腺がゆるんでくるというのは真実ですが、これも決して悪いことではありません。それだけ感情の高まり(高ぶり・高揚)があるというのは、まだまだこの世に生きているという、何よりの証(あかし)なのですから。
なんで、そんなに泣いたのかというと、なんと主人公の女性は、まだ、たった6歳の女の子だったとき、両親からも姉兄たちからも見捨てられて、湿地の一軒家で一人で過ごすことになったのです...。
なぜ、そんなことになったのか...。誰が、こんな哀しいストーリーを創作したのか...。
まず、原因は父親にあります。父親は戦争に行って、ドイツ軍との戦場で足をケガして戻ってきたが、戦後は障害者手当だけで、飲んだくれの毎日。妻と子どもたちへの暴力がひどく、妻が家を出たあと、姉も兄も末っ子の主人公を置きざりにして出ていった。もちろん、父親は、残った女の子の面倒なんかみない。近所の親切な黒人夫婦の助けで、ようやく生きのびた。7歳になって、1日だけ学校に行ったけれど、みんなからバカにされて学校には行かなくなった。そして、母の帰りをひたすら待って、たまに帰ってくる父からお金も得て、なんとか一人で湿地で暮らしていった。カモメたち大自然を友だちとして...。
でも、読んでいるうちに、大自然のなかの一人ぼっちのほうが、大都会のなかでネグレクトされて一人ぼっちにされるより、まだましなのかもしれないと思いました。たしかに、真暗闇でしょうが、それでもカモメやたくさんの生き物が大自然の隣人として存在しているのです。彼らと交流できたら、決して悪いことばかりでもないのでしょう...。
いったい、だれが、こんな哀しいストーリーを創作したのでしょうか...。
すると、訳者あとがきによると、著者はなんと、ジョージア州出身の69歳の動物学者だという。つまり、小説家としては、この本でデビューしたというわけ。これには腰が抜けるほど驚きました。まさしく、おったまげた...、というところです。
なるほど、湿地の生態の描写が実に細かくすばらしい理由が納得できます。
この湿地の少女は、学校に行っていませんので、まったくの文盲のはず。ところが、救いの主が登場します。少女よりは少しだけ年長の、自然を愛する少年です。少年が算数そして読み書きを少女に教え、少女は次第に湿地に生息する動植物の生態の研究もはじめるのです。そして、二人のあいだに恋愛感情が芽生えます。それがまた切ないのです。
ところが、その少年との恋が実らず、別のプレーボーイが登場します。なぜ、そんなことになったのか、そして、それはどういう結末を迎えるのか...、ここも読ませます。
また、少女を捨てた母親そして兄たちは、いったいどうしていたのか...、それがもう一つ知りたいところです。
500頁の本ですが、昼間、裁判のあいまに読み始め、結末をどうしても知りたくて、夜12時前になんとか読み終えました。
殺人事件が起きる、推理小説でもありますので、ネタバレしないように紹介したつもりです。深い満足感とともに、安らかに眠ることができたことが私の読書の喜びです。ご一読を強くおすすめします。
(2020年4月刊。1900円+税)

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2020年5月31日

興行師列伝

社会


(霧山昴)
著者 笹山 敬輔 、 出版 新潮新書

「仏の嘘を方便といい、軍人の嘘を戦術といい、興行師の嘘を商いという」
これは松竹の創業者(大谷竹次郎)の言葉。なるほど、そういうことなんですか...。
興行の真髄は大衆の欲望を充たすことにあるから、興行師は、そのために巨額のおカネを動かし、複雑な人脈を操る。実体のないものをかたちにするという点で、興行の世界は、裏も表も、嘘が誠で、誠が嘘の世界だ...。
興行師は過大なリスクを背負い、ときに「悪役」をも引き受けなければならない。
これはハイリスク・ローリターンなのが現実で、決して割のよい商売とは言えない。それでも興行の魔力に一度ハマってしまうと、抜け出すことができなくなる。いったい何が興行へ駆り立てるのか...。
興行師には、あくどいところもあり、強欲なところもあるが、その反面、よほどのお人好し、この商売の好きな馬鹿でなければつとまらない、可哀想なところもある。
最近は、うさんくさいイメージのともなう興行師とは言わず、プロデューサーとかマネージャーと呼ぶ。
江戸時代から明治初期にかけての芝居小屋は、暗い、汚い、臭い、だった。だが、多くの観客が、その環境の中で芝居を楽しんでいた。観客は暗い空間で芝居を見ていた。色鮮やかな衣装は、暗くても分かりやすくするためだった。
興行の世界がきれいごとですむはずがない。ヤクザから身を守るためにヤクザを使うのは興行界の常識。松竹が勢力を拡大するのに、裏の世界と無関係ということはありえなかった。
松竹の創業者である大竹は1年を通して興行を行い、損益を1ヶ月単位ではなく、通年で計算した。これは、興行を博打(ばくち)から経営にしたということ。
吉本興業の会長だった林正之助は兵庫県警によると「山口組準構成員」とされていた。そして、吉本興業の『百五年史』には、正之助と山口組三代目、田岡一雄との交流が明記されている。
ヤクザと興行の関係は吉本に限らない。松竹や東宝にも結びつきはある。しかし、吉本とヤクザの関係は距離が近すぎたと言える。
永田ラッパで有名な永田雅一(まさいち)がヤクザ出身だということを初めて知りました。
永田は京都の千本組(せんぼんぐみ)に出入りしていたヤクザだった。永田は、親分子分の仁義を守り、思想信条よりも義理人情を重んじた。それでも、いざとなれば大胆に裏切る。永田は学歴がなく、インテリでもなかった。ヤクザから権力の中枢へ駆け上がった。永田は、いざというときには義理人情よりも野心を優先させる。それくらいでなければ大人物にはなれない。
永田雅一の復帰第一作の映画である『君よ憤怒の河を渡れ』は中国で8億人がみたという大ヒット作品。中国で文化大革命が終了した直後に、中国全土で大人気だったということです。私もテレビでみましたが、ええっ、こんな映画が...、と思いました。
宝塚大劇場(4000人収容)は小林一三による。小林が東宝を発展させた。
長谷川一夫がカミソリで左頬を斬られた事件が起きたのは昭和12年(1937年)11月12日。この事件の黒幕は永田雅一だった。長谷川一夫は死ぬまで、この事件のことを語らなかった。
戦前・戦後の日本の興行界の歩みを知ることのできる面白い新書でした。
(2020年1月刊。820円+税)

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