弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年5月 1日

貧者のホスピスに愛の灯がともるとき

社会


(霧山昴)
著者 山本 雅基 、 出版  春秋社

山田洋次監督の映画『おとうと』のモデルの一つとなったホスピス「きぼうのいえ」の施設長だった著者の本です。心温まる話が多いのですが、つい胸に手を当てて考えさせられるエピソードもたくさんあります。著者は55歳ですが、最近、大病したということです。やはりストレス、心労が見えないところにたまっていたのではないでしょうか・・・。
なにしろ、15年間に270人もの人を見送った(看取った)というのです。私には、とても真似できることではありません。前著『山谷でホスピスやってます』(実業之日本社)に続く本です。
「きぼうのいえ」は、山谷地区でホスピス・ケア(終末期医療)を目的に、医療・看護・介護といった分野の専門職と連携して運営される在宅ホスピスケア対応集合住宅。
元ホームレスなど身寄りない人のための、日本ではじめてのホスピス。
銀行から1億円の融資を受けて、定員21人の施設をつくったのです。毎日10万円、年間3650万円の赤字が生まれる施設です。それは浄財・寄付金でまかなうしかありません。
日本のホスピスや緩和ケア病棟の平均在院日数は40日ほど。「きぼうのいえ」は、入所後2日で亡くなる人もいれば、何年も入所することになる人もいて、さまざま。
入居者は、はじめ信じられない。
「うまい話には絶対に裏がある。ひとが善意だけで、いいおこないをするわけがない」
「製薬会社から裏金をいくらもらっているのか」
「死んだら、内臓をどこかに売る気だな・・・」
そんな不信のかたまりの人たちに、愛情をおもてなしのシャワーを浴びてもらって、不信感を溶かしていく。これがスタッフの役割。
「きぼうのいえ」のスタッフのケアの中心は、積極的な傾向にある。無理して聞き出すのではなく、本人が語ってくるままに、そのひとが言いたい範囲で積極的に話を聞く。
「きぼうのいえ」では、入所者の飲酒は自由。自分で買いに行くのは何も言わないし、飲む量にも何も言わない。究極的には、お酒を飲んで死ぬ自由もある。
また、入所者の外出も自由。
「病気」になってひどく動揺するのは、会社の社長とか立派な学者という人に多い。それまで自分の人生をコントロールして(できて)きた人は、「自然」が運んでくるものを素直に受け入れることができない。
「きぼうのいえ」では、入居者がうれしそうでしあわせそうであればいい。こころの底から共鳴して、一緒に大笑いしたら、すばらしいこと。
「きぼうのいえ」のスタッフには、バーンアウト(燃え尽き症候群)がない。
これは、実にすばらしことです。大変な仕事、辛い目にあうのもたくさんな仕事を毎日続けているのに、燃え尽きないというのに本当に驚嘆します。
このような施設を私たちは本当に大切にしないといけませんよね・・・。
とてもいい本です。ぜひ、ご一読ください。著者に対して、十分に健康に留意したうえでの引き続きの健闘を祈念します。
(2019年1月刊。1800円+税)

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2019年5月 2日

プラハの子ども像

チェコ

(霧山昴)
著者 早乙女 勝元 、 出版  新日本出版社

先日、「ナチス第三の男」という映画をみました。ヒトラーの片腕とも言われたハイドリヒがチェコで暗殺される話です。題名は忘れましたが、同じテーマで別の映画もかなり前にみたことがあります。
ハイドリヒ暗殺のあと、ナチスは報復としてリディッツエ村に襲いかかり、罪なき村人を、男性と老女192人は全員射殺し、女性と子どもは追放して村を根こそぎ破壊し尽くしたのでした。1942年6月10日のことです。
203人の女性が強制収容所へ送られ、村の跡地に生還できたのは143人。連れ去られた15歳以下の105人の子どもは17人(男子7人、女子10人)しか戻らなかった。その亡くなった子どもたちの群像がリディツエ村跡地に建てられています。
よく出来た子ども像です。
「忘れないでよ、ぼくたちを!」
口ぐちにそう叫んで、追いすがってくる・・・。
そして、ハイドリヒを暗殺したグループ7人がこもっていた教会堂が密告者の手引きで6月18日に襲われます。360人のSS精鋭大隊とゲシュタポを含む1000人の武装部隊に包囲され、午前4時に始まり午前11時までの激しい銃撃戦のなか、7人全員が戦死ないし自決死したのでした。今も、この教会堂は水攻めされた地下室をふくめて保存されているそうです。
ハイドリヒを暗殺したとき、その仕返しを考えたら計画は中止すべきだと現地レジスタンス側は意見をあげたのですが、ロンドン側がハイドリヒ暗殺を強行させたといいます。ハイドリヒ暗殺の報復で5000人もの人々が殺害されたそうです。
それにしても、プラハの子ども像はよく出来ています。表情豊かで、個性が伸びのびとあらわされています。こんな子どもたちの将来を奪ってしまった戦争の野蛮さに改めて怒りが湧いてきました。
1995年のチェコ取材が本になっているのですが、この本自体はごく最近出版されています。リニューアル本のようです。
(2018年12月刊。1800円+税)

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2019年5月 3日

中国の若者が見つけた日本の新しい魅力

中国・日本

(霧山昴)
著者 段 躍中 、 出版  日本僑報社

博多駅は、いつ行っても外国人旅行客であふれています。安心・快適な旅を楽しんでほしいと心から願いつつ、横を通り過ぎます。団体客というより、家族・個人旅行者が大半です。団体行動しているのは、むしろ日本人ツアーの人々です。外国人には、韓国・中国の人々が断然多いと思います。たまに遠いアジアの人たち、さらにたまにヨーロッパ系の旅行客です。
この本は、日本にやって来た中国人青年たちによる日本語作文コンクールの受賞作品を紹介しています。幸いなことに、中国では日本語を学ぶ若者たちが増えているようです。日本でも大学で中国語を学ぶ学生が増えたと聞きましたが、最近はどうなのでしょうか・・・。
嫌韓・嫌中、日本ファースト、ヘイトスピーチだとか、差別的なコトバをまき散らす大人が目立つ社会風潮ですが、そんなものに負けてはおれませんよね・・・。
ヘイトスピーチを繰り返すネトウヨは、実は若者ではなく、いい年齢(とし)をした中年に多いと言われています。先日発覚したネトウヨ、ヘイトスピーチ発信者は東京の年金事務所長でした。とんでもない男です。
この日本語作文コンクールには、中国全土から4288本もの応募があったそうです。受賞作品は、やはり読みごたえがあります。
福岡県弁護士会でも、新会館落成記念行事の一つとして「法について」をテーマとして高校生作文コンクールを呼びかけたところ、県下の高校生から500通以上の作文が寄せられました。それには授業の一環とした高校もあったからのようですが、私も審査員の一人として、その多くに目を通しました。今どきの日本の高校生も、やはり考えている人は考えているということを知り、なんだかうれしくなりました。若者をバカにしてはいけないのです。
最優秀賞は、「車椅子で東京オリンピックに行く」というタイトルの作文です。60歳の祖母は交通事故にあってから車椅子で生活している。京都に短期交流にきた孫娘はバスに車椅子の人が乗り込む様子をみて、ぜひ祖母を日本に連れてきて、東京オリンピックを一緒に見たいと書いています。
車椅子の人たちが、日本できちんとした処遇を受けているとは思えませんが、なるほどそんな人たちを大切にしようという取り組みもたしかにあります。この動きを大切に育てなくてはいけないと思わせる作文です。
日本人の多くは『三国志』を読んでいる。それは本であり、マンガであり、最近ではゲームだ。私は高校生時代に吉川英治の『三国志』をハラハラドキドキしながら読んだ。
多くの中国人青年が日本発の『三国志』ゲームをしたことから『三国志』の本を読みたいと思うようになった。今、中国の若者たちはスマホとコンピューターに溺れるばかりで、中国の伝統文化にまったく興味がない。
まあ、これは日本の若者にも共通しているように思えますが・・・。
中国の若者たちの目を通して日本を改めて知ることのできる本です。
中国が攻めてきたとき、日本の領土をどうやって守るのかと真面目に心配している弁護士がいます。アベ政権は、沖縄周辺の諸島に自衛隊を数百人ずつ配置することを先日発表しました。戦争になったとき、数百人の自衛隊員で島を守れるなんて幻想というか夢のようなものです。それでも、軍需産業だけは確実にもうかります。こうやって戦争へ駆り立てられていくのかと思うと恐ろしい気がします。
やはり、人々同士の交流をもっと広め、深めることこそが戦争にならない最大の効果的対処法です。政治はそのためにこそあるべきだと思います。
(2018年12月刊。2000円+税)

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2019年5月 4日

東大卒筋肉弁護士の超効率勉強法

司法

(霧山昴)
著者 小林 航太 、 出版  主婦と生活社

私はテレビを見ませんので、実際には知りませんが、NHKの筋トレ番組『みんなで筋肉体操』に出ていて、紅白歌合戦(私は高校生のとき、「総白痴化番組」だというコメントを読んで以来、みるのをやめています)にも出演したという有名な筋肉ムキムキ弁護士が、その勉強法を語っています。
神奈川の名門・栄光学園から現役で東大に入学したものの、入学後は燃え尽き症候群に陥って、引きこもりに近い生活を4年間すごし、大学生活6年間。そして、法科大学院では、未修コース3年間を経て、一発で司法試験に合格したのでした。
その東大受験と司法試験受験で実践した勉強法のエキスが紹介されています。いずれも、私もまったく異論のない、きわめて合理的な勉強法です。そして、筋トレです。
間違ったトレーニングをいくら一生けん命に続けても、ほしい筋肉はつかない。司法試験では、文章力、作文力がなければ合格できない。
勉強も筋トレも、カギは習慣とすること。
勉強は、言うまでもなく、自分との勝負だ。勉強とは、すなわち効率を追求するゲームでもある。
東大文系の合格ラインは全科目総得点の5割強。つまり6割とれたら合格できる。司法試験も同じだ。
何時間、勉強するかより、まず1日の生活リズムをつくるほうが大切だ。そして、意識をできる限り勉強に向けない。
夜は12時に寝る。毎日、6時間は眠る。
何を訊かれているのかを察知する知識量が必要だ。
ほれぼれする筋肉のかたまりの肉体美をもつ弁護士です。といっても、私にはマネできそうもありません。
(2019年2月刊。1300円+税)

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2019年5月 5日

オスマン帝国

トルコ

(霧山昴)
著者 小笠原 弘幸 、 出版  中公新書

オスマン帝国は600年続いた。それは、日本でいうと鎌倉時代から大正時代までに相当する。
どひゃあ、す、すごーい。なんという長い帝国でしょうか。日本では鎌倉のあと室町そして戦国時代から江戸時代、明治、大正へ続くのです。
ひとつの王朝が実権を保ったままこれほど長く存続したのには、もうひとつハプスブルク帝国がある。広大さを誇るモンゴル帝国は、わずか150年ほどで消え去った。
そして、このオスマン帝国は現代トルコで「偉大なる我々トルコ人の過去」として再評価されている。
この本は、なぜ、これほど長命の帝国だったのか、その謎を解明しています。なるほど、そうだったのか・・・、知らないことだらけでした。
オスマン朝では、君主(カリフ)の生母のほとんどは奴隷だった。オスマン朝では、生母の貴賤が問われることはなかった。イスラム法では、母親の身分にかかわらず、認知さえされていれば、子がもつ権利は同等である。母が奴隷であることは、カリフたちの権威をなんら貶(おとし)めるものではなかった。奴隷だった母親は、非トルコ系の元キリスト教徒だった。
ムラト1世の時代に、常備歩兵であるイェニチェリ軍団が創設された。イェニチェリとは、新しい軍のこと。イェニチェリ軍団は、ムスリム自由人ではなく、元キリスト教徒の奴隷によって構成されていた。
イスラム法のもとでは、奴隷にも一定の権利が保障されていて、かつ、奴隷の解放は宗教的な善行として推奨されていた。
奴隷部隊は、精強であるのみならず、君主以外には地縁・血縁による後ろ盾をもたないことから、諜返の可能性は低かった。
奴隷を王子の母とするには、王朝にとって2つの大きな利点があった。そのひとつは、外戚の排除。というのも奴隷は基本的に親族から切り離された存在であり、その外戚が国政につけ入るスキがない。このように、オスマン帝国が、長命を保った理由の一つには奴隷が王の母として選ばれていたことによる。
もう一つは、男児の確保。奴隷をもちいることで、世継ぎを得る可能性が高まる。
チンギス・ハンの権威を利用しているティムール朝に対して、オスマン朝は、理念的には、より広いオグズ・ハンの後継者として主張することでチンギス・ハンとは異なる出生というのを主張した。
メフメト1世、ムラト2世はキリスト教徒臣民の少年を徴用する人材制度を始めた。デヴシルメと呼ぶ。キリスト教徒の農村から頭が良くて身体壮健な少年たちが選ばれた。とくに優秀な者は宮廷に入り、それに次ぐものは常備騎兵軍団に入り、残りはイェニチェリ軍団に入り、さらに残ったら、イェニチェリ軍団に組み込まれた。
イスラム法では、支配領内にいるキリスト教徒臣民を奴隷にするのは本来なら認められない。そこを、なんとかしようとして、取り込んでいる。
オスマン朝の王位継承をめぐっては血塗られた歴史がある。兄弟殺し。スルタン即位時にその兄弟を処刑する慣習があった。これがオスマン帝国が長く命脈を保つことのできた大きな理由だ。君主と同年代の王位継承候補を制限したのだ。王子が子をもうけると、現君主は、もはや子を生さず、若すぎる王位継承者をつくらないという慣習があった。
世界の秩序のためには、兄弟を処刑することは許されるというのが、法令集に堂々と記載された。そして、メフメト3世が即位したときには19人の王子が処刑され、人々の悲嘆をまねいた。そのため、それ以降は、王子たちはオートマチックに処刑されることはなくなった。
そして、殺されなかったスルタンの兄弟は、宮殿の奥深くに隔離され、そこで外界との接触を断って育てられた。これを鳥籠(とりかご)制度と呼ぶ。君主の「控え」が存在するようになったのだ。
戦国そして江戸時代との比較を考えながら、世の中は本当にさまざまなのだと実感されられました。
(2019年1月刊。900円+税)

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2019年5月 6日

顔真卿伝

中国

(霧山昴)
著者 吉川 忠夫 、 出版  法蔵館

唐の顔真卿(がんしんけい)は、中国の書家として、東晋の王羲之(おうぎし)と並んで、あまりにも有名です。
先日も東京・上野で顔真卿の書画展があっていました。
顔真卿が生まれたのは、唐の中宋のとき(709年)。詩人の杜甫(とほ)も、ほぼ同じころの人です。
顔真卿には「世捨て人の趣味人」というイメージがありましたが、本当は唐の王朝で高い地位についていた高級官吏でもあったのです。
その最期は、唐王朝に叛旗をひるがえした人物に派遣されたあげくの壮絶な死でした。
唐代において顔氏は、名家だったが、政治上で華々しい活躍をしたというのではなく、あくまでも学問を家業とする一家であった。
顔真卿は、26歳のとき、高等文官資格試験である科挙試験に合格した。
安禄山が突如として挙兵し、唐政府と戦うようになった。そして、安禄山は、寝ているところを息子に殺された。ときに55歳だった。
顔真卿なる人物を知ることが出来ました。
(2019年2月刊。2300円+税)

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2019年5月 7日

地球一やさしい宇宙の話

宇宙

(霧山昴)
著者 吉田 直紀 、 出版  小学館

久しぶりに宇宙についての本を読みました。たまには、こういう本を読んで気宇壮大な気分に浸るのもいいことですし、必要です。宇宙に関する最新の知見が盛り沢山で、知らなかったことばかりでした。
地球が月に及ぼす力によって、月の内部は現在も温められ続けている。
月の地下には巨大な空洞がある。幅100メートルの空洞が50キロにわたって続いている。これは、かつての火山活動で流れた溶岩がつくった空洞。内部には、氷や水が存在する可能性がある。月は活火山なのかもしれない。
月の誕生には諸説あるが、生まれたばかりの地球に、火星ほどの小天体がぶつかり、地球の一部と小天体の残骸が集まって月が生まれたという説が今は最有力。
月は地球から少しずつ遠ざかっている。毎年、3.8センチという速度で離れていっている。月は潮汐によって地球の自転を遅らせ、自らは地球から離れていっている。
月がいなくなると、月は地球の自転を遅くする働きをしているので、そのタガが外れて地球の自転速度が速まり、1日が8時間になる。すると、月のおかげで安定していた地球の大気は、バランスが崩れて、常に大嵐が吹き荒れる状態になり、生命が存続し続けられるか怪しくなる。
宇宙にも色がある。若いときには青緑色をしていて、年齢を重ねて、138億歳になるとベージュ色になった。
宇宙はいまから138億年前に無から生まれた。宇宙は、広がりのない一点、つまり何もないところから生まれた。
GPSは、相対性理論にもとづいている。物体の速度や重力によって、時間の進み方が変わるという理論にもとづいて、GPS衛星の時計を調整し、位置情報を正しく保っている。
宇宙が始まったころ、まだ星のない「暗黒時代」があった。このころは水素やヘリウムの「ガス」と「ダークマター」が薄く漂い、ビッグバンの名残である「弱い電磁波」が飛び交うだけだった。そして、ガスは一様に広がっていたのではなく、少しだけ濃い部分も薄い部分もあった。濃いガス雲は、やがて薄い円盤をつくり、回転しながらさらに中心に集まる。中心部は高温・高密度になり、やがて赤外線を放出しはじめる。小さな小さな星の赤ちゃん「原始星」が誕生した。この原始星の質量は、太陽の100分の1、中心の温度は1万度をこえ、密度は1立方センチあたり、0.001グラムほど、水と空気の中間くらい。ぷよぷよしている感じ。
太陽質量の100分の1ほどだった原始星は、太陽の20倍ほどの重さになったとき、核融合反応を始めて、太陽の10万倍もの明るさで輝きはじめた。
「ファーストスター」をコンピューター・シュミレーションでつくってみたというのです。すごいです。とても面白い本でした。
(2018年12月刊。1300円+税)

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2019年5月 8日

近江絹糸人権争議

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 本田 一成 、 出版  新評論

まだ、日本に労働運動が名実ともにあった時代の湯名な争議が豊富な写真とともに紹介されています。
やはり写真の訴求力はすごいものです。いま私は大学生時代に体験した東大闘争について冊子をつくっていますが、とんでもないことを言う人が少なくないのに対するもっとも有効な反論は写真だと痛感したばかりです。「わずか100人ほどのゲバ部隊に守られた代議員大会」と言っても、写真だと何百人どころか千人単位の人がいることが分かるのですから、デマ宣伝を打破するのは容易です。ただ、それを広く伝えるには、出版部数の差を克服する必要があります。これが実は大変なのです・・・。
三島由紀夫が『絹と明察』という本を、この近江絹糸人権争議を取材して書いているというのを初めて知りました。三島由紀夫は、例の防衛庁での割腹自殺などから、私にとってはまったく否定すべき人物なので、ふり向きたくもない小説家なのです・・・。
労働争議の実際の現場は大変だったようですが、写真でみると、みんな若いし、笑顔もあって、元気はつらつとしていて、頼もしい限りです。
未公開写真を200点以上も集めて、本書で一挙公開したというのは画期的なことです。おかげで、具体的にこの争議をイメージすることができました。そして、若い労働組合員のたちあがりを大勢の市民が支えたことを知り、他人事(ひとごと)ながら、心あたたまる思いでした。
今ならどうでしょうか・・・。あたたかい声援や差し入れどころか、せいぜい自己責任だと冷たく無視されてしまうのではないでしょうか・・・、残念ながら・・・。
この会社では、食事代が給料から天引きされていた。それにもかかわらず食事がないという状態は、飢えを通して大問題となった。この食事を奪う会社側の行為は、人権問題だと受けとられて、世論から徹底的な非難が集まった。
争議が始まって3ヶ月たった1954年9月16日、中央労働委員会による「あっせん案」を労使双方が受諾し、争議は労組側の勝利に終わった。すごいですよね、労働組合のあり方についても大変勉強になる本でした。
(2019年2月刊。2400円+税)

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2019年5月 9日

朝鮮人強制連行の記録

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 朴 慶植 、 出版  未来社

今から50年以上前に刊行された古典的名著(1965年5月刊)の2005年2月版(53刷)を改めて読み直しました。
巻頭のグラビア写真として、虐殺された朝鮮人の屍体があり、炭鉱で働かされていた朝鮮人労働者の集合写真、そして、亡くなった朝鮮人の軍人・軍属・労働者の遺骨が紹介されています。日本政府と日本企業は朝鮮人をタダ同然でこき使い、死に至らしめ、今日までその責任をとっていません。
炭鉱だけではありません。大牟田にある三池染料(今の三井化学)は、昭和16年か18年に、朝鮮から数百名の青年を連れてきた。通勤服も仕事着も一つで、着替えをもっている人はいなかった。
朝鮮人を徴用に行った労務の係長に聞いた話。
「憲兵とともに釜山に上陸し、トラックを持って町を歩いている者、田園で仕事をしている者など、手あたり次第、役立ちそうな人は片っぱしからそのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。まったく今(戦後になっての意味)考えると、無茶苦茶ですよ。徴用というか、人さらいですよ」
三池染料の徴用課労務係長というと、私の亡父がまさしく該当します。そして、亡父は生前この連行の模様を子どもである私に少しだけ語ってくれました。そのときには、列車で500人を乗せて引率してきたが、日本の化学工場では、そんな徴用労働者は役に立たなかった。化学工場で働くには、炭鉱と違って一定の教育水準のある者でなければまったく役に立たない。そのことを亡父は強調したのでした。
朝鮮半島から、1939年から1945年までの間に34万人が集団的に日本へ連行された。1945年6月時点で、12万4000人がいて、日本の全炭鉱労働者の31%を占めていた。
石炭鉱山に連行された朝鮮人の半分は九州に、4分の1は北海道に配置された。
1939年に始まった朝鮮人連行は、「募集」という形をとってはいるものの、官吏や警察、面(日本の村ですね)有力者が加わって、半ば強制的なものだった。できる限りの方法で狩り出したと当時の担当者は明言している。
1939年、国民徴用令が発表され、大々的な動員がはじまった。朝鮮については、徴用令そのままの適用を避け、「募集」形式での動員計画が立てられて実施された。
1939年7月28日付の内務・厚生両次官名義の通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」として、同年度は8万5000人の朝鮮人の集団連行があった。これは、従前の募集許可による個別的渡航と並行して新たに計画されたものであった。8万5000人のうち、福岡県には6780人が割り当てられた。
加害者はすぐ忘れてしまうものですが、被害を身体に刻まれた被害者は死ぬまで忘れることはできません。
韓国の最高裁判決が異常なのではなく、今や集団ヒステリー状態にあるとしか言いようがない日本のマスコミ、それを真に受けている日本人の側に多大の問題があると思います。きちんと歴史を振り返るのは、決して自虐史観などというものではありません。
(2005年2月刊。2500円+税)

朝、雨戸を開けると純白のサボテンの花が二輪並んで咲いていました。青葉若葉の候となり、庭はお花畑です。キショウブの黄色、ヒオウギの橙色、ショウブのライトブルー、クレマチスの紅白。そしてジャーマンアイリスはブルーの花が終わって、今は黄色と純白の花があでやかさを競っています。
アスパラガスもそろそろ終わりですが、朝3本摘んで、夕方、春の香りを楽しみました。ジャガイモが順調に伸びていますし、梅の実ちぎりも間近です。ラズベリーも小さな実をつけています。
5月の連休中は事務所と自宅の大片付けに精を出しすぎて、椎間板ヘルニアがまた少し痛みだしましたので、あわてて病院のリハビリ科に駆けこみました。
ばったり知人に会い、年齢を考えて無理なことはしないようにと忠告されました。もっともです。反省しています。

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2019年5月10日

あの頃、ボクらは少年院にいた

司法

(霧山昴)
著者 セカンドチャンス!編 、 出版  新科学出版社

少年少女時代にヤンチャをして、少年院に入っていた人たちが、今は必死にがんばっているという話です。読んでいて胸が熱くなりました。非行に走った原因はさまざまですが、親との関係も大きな原因となっています。
少年院の出身者が再犯して少年院や大人の刑事施設に再入院する率は3割と言われています。しかし、それは7割の人は、なんとか捕まるようなこともせずに暮らしているということです。そこを私たちは信じたいものです。
少年院では、更生する気はまったくなかったけれど、資格取得のための勉強だけはがんばった。一年間、何も身につけないよりは、いつか役に立つだろうと思い、暇さえあれば勉強した。おかげで資格も8個もっている。
いま考えると、十代のころは社会すべてが敵で、親さえも信用していなかった。捕まって初めて親のありがたさに気がついた。あれだけ迷惑かけたのに、一度も見捨てずに母は本気でぶつかってくれた。立ち直ることができたのは、多くの周りの支えがあったから・・・。
父は暴力団員、母は風俗嬢。両親が仕事からイライラして帰ってくると、殴られ蹴られの日々。生きていく意味がないと思う毎日だった。親の虐待やネグレクトが知れて、児童相談所に保護されて面会に来たときの母親の言葉。
「おまえみたいな子ども、産まんけりゃ良かったわ。疫病神なんて、火事を出したときに焼け死んでしまえばこんなことにならんですんだのによう。なんで、こんな出来損ないに人生を壊されなあかんのか・・・」
いやはや辛いですね。産みの母親からこう言われたら・・・。
少年院出身者たちを励ますセカンドチャンスは、2009年1月に設立された。すでに10年の実績がある。2011年には福岡で初めての交流会をやった。今では、「セカンドチャンス!女子」という女子の会も始まっている。
この本のなかに、かつて自分を少年院に送った裁判官にお礼を言いたくて会いに行った話が紹介されています。
本当にあの出会いはうれしかった。その裁判官は、審判の席で、すごく心配してくれていて、感じが良かった。真剣に、「もうあなた、いい加減にせんと、人生大変なことになってますよ」と言われた。ああ、いい人だなあと感じて、この裁判官の名前を憶えておこうと思った。
最近、会いに行くと、その山田裁判官は弁護士になっていた。視力がほとんどなくなっていたけれど、裁判官を40年やっていて、会いに来てくれた人は初めてなので、すごくうれしいと言ってとても喜んでくれた。
いい話ですね。司法にもこうやって心を通わせる可能性があるのです・・・。
このセカンドチャンスには、杉浦ひとみ弁護士がずっと関わっています。すごいことです。
セカンドチャンスの基本ポリシーは正直、平等、尊敬です。
少年院出身者が人生をやり直したい、犯罪をやめてまっとうに生(行)きたいと本気で願ったとき、それを温かく支える社会環境を早くつくりあげたいものです。
私は、いま少年院に2回も入った27歳の青年の常習窃盗事件を担当しています。彼が、この本にあるように心を入れかえて愚直に歩み続けてくれることを改めて願いました。
(2019年3月刊。1500円+税)

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2019年5月11日

KID キッド

警察

(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版  幻冬舎

この本を警察小説と言ってよいか、やや疑問はあります。というのは、警察庁の高級幹部を相手としてたたかうのは元自衛隊員だからです。それでも警察内部の公安と刑事の派閥抗争、そして首相官邸のなかに喰い込んでいる警察官僚と三つどもえの内部抗争のすさまじさがよく描かれているので、警察小説のジャンルに入れてみました。
自衛隊には、日本にゲリラやテロリストが潜入したときに即時対応できるよう訓練された特殊部隊「特殊作戦群」がある。この部隊については、防衛大臣、官邸の幹部、そして自衛隊のなかでも統合幕官僚長や陸自の幹部が詳細を知るだけ。
高速道路や幹線道路には、警察庁のNシステムが稼働している。あらゆる車両のナンバーと運転手、助手席に乗る人間を鮮明な写真データで保有する仕組みだ。
ドラッグネットは、アメリカの国防総省傘下の諜報機関、国家安全保障局(NSA)が構築したプリズムというシステムをもとにつくられた。
アメリカは9.11のあと、愛国者法を制定し、国民ひとり一人のもつ膨大な量の個人情報の収集を始めた。大規模収集という手法で、通信会社の協力を得て、国民の通話やメール履歴をすべて監視している。
アメリカ政府は、ネットのプロバイダーだけでなく、通販大手やSNS大手のサーバーも監視の網を広げ、個人の発するありとあらゆる情報を吸い上げている。
日本はこの仕組みを導入し、その際、独自にシステムを整備・改造して構築したのが底引き網という名のドラッグネットだ。
狙いをつけたメディアに対しては、固定電話、主要な取材スタッフの携帯電話、社用メール、個人のSNSもほとんど公安が盗聴し、モニターしている。公的権力の監視網は徹底的だ。
個人を特定する顔認証システムも半年間で5回もバージョンアップしている。
もちろん、当然のことながら小説ですからフィクションです。それでもアベシンゾー首相のような視野狭い人物が首相になっていて、狡猾・陰険なスガ官房長官のような人がいて、フィクションと言いながらも現代日本の政治状況をほうふつとさせる場面展開があり、手に汗握るアクションの連続です。政治の舞台裏はかくにありなむと思わせ、私たち国民も手をこまねいていたり、冷笑するだけではすまないと思うばかりです。
アベ・スガ批判の本では決してありませんが、狂人のような集団に政権を握らせると怖いという実感をひしひしと感じさせてくれる本でもあります。そんなストーリーなのに、産経新聞に連載していたというのに少し驚きました。
(2019年3月刊。1600円+税)

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2019年5月12日

斗星、北天にあり

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鳴神 響一 、 出版  徳間書店

秋田美人で有名な秋田市。
戦国時代、ルイズ・フロイスの書簡にも「秋田という大市あり」と書かれているそうです。蝦夷に近く、秋田人もときどき蝦夷に赴くと書かれています。
この小説のなかでは、蝦夷(アイヌ民族)だけでなく、ロシア大陸の民族・東韃(とうたつ)人との混血児まで登場してきます。恐らく古代から、そのような交流はあったことでしょう。
ブナ林で有名な白神山地を背後に控えた港町を安東(あんどう)氏は治めていた。
安東氏は、鎌倉時代後期から室町時代中期にわたって、日本海北部の海運を完全に掌握していた一族である。
天然の良港である津軽半島の十三湊(とさみなと)を根拠地に、蝦夷地のアイヌはもとより中国、朝鮮とも交易を続けていた。かつて安東氏の当主は、東海将軍、あるいは日之本(ひのもと)将軍との称号を用いていたこともある。
十三湊は、三戸(さんのへ)に根拠を置く甲斐源氏の南部家によって百年ほど前に奪われていた。安東氏から十三湊を奪った南部家は敵と呼ぶほかない。
載舟覆舟(さいしゅうふくしゅう)。海の水は安らかなるときは船を浮かべ載せる。海の水が荒れれば、直ちに船を覆す。民を海の水と考えるのだ。
枉尺直尋(おうせきちょくじん)。一尺分を折り曲げることで、一尋(ひろ。8尺)をまっすぐにできたらよい。危急に望んでは、小の虫を殺して大の虫を助けることが肝要。
安東愛季(ちかすえ)は15歳で家督を継いで檜山安東家の若き当主となった。長尾景虎と武田信玄が川中島で干戈(かんか)を交えようとしたころである。
豊臣政権下では、安東家は、出羽国内の5万石の安堵が認められたが、実高は15万石だった。そして、関ヶ原の戦いのあと、常陸国宍戸5万石に頼封されたことにともなう措置だった。
秋田における安東家の活躍を紹介する小説として、最後まで面白く読み通しました。
(2019年3月刊。1800円+税)

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2019年5月13日

母の老い方、観察記録

人間

(霧山昴)
著者 松原 惇子 、 出版  海竜社

面白い本というか、身につまされるというか、大変勉強になる本でした。
病院(目下、椎間板ヘルニアの治療のためにリハビリ科に通っています)の待ち時間で読みはじめ、そのまま昼食休憩に突入して読了しました。
著者は、私と同じ団塊世代の71歳の「おひとり様」。ところが、実家に戻って92歳の母と同居するようになったのでした。いえ、決して老母の介護のためではありません。住んでいたマンションが水漏れ問題発生のため売却して退去したのです。ところが高齢独身女性は借家を見つけるのも容易ではありません(私も知りませんでした・・・)。やむなく、50年ぶりに戻った実家で、相互不干渉を宣言し、借家人として2階で生活するようになったのでした。
夫(著者の父親)を亡くして独身の母親は、90歳です。まさしく妖怪のように元気も元気。すごいものです。
妖怪を知る人は、口をそろえて母をほめる。
「お母様は、すばらしいわ。90歳であんなにきれいに丁寧に暮らしている方を見たことがないわ。お母様は、わたしたちの憧れよ。お母様こそ、現代の高齢者の生き方モデルよ」
妖怪は運動しない。毎日散歩するということもない。ただし、生活にはリズムがある。毎日、同じルーティンで生活している。驚くほどきちんとしている。
妖怪は椅子の背にもたれることがない。まめに家の中をちょこちょこ動くものだから、わざわざウォーキングに行かなくてもいい。
午前6時にセットした目覚ましで起床し、パジャマ姿ではなく、起きた時間から、誰が来ても困らない服を着ている。
朝食にハムやソーセージは欠かさない。肉好きなのだ。ヨーグルトと納豆も欠かさず、小魚も食卓に出ている。そして、朝食のあとは、必ず緑茶とお菓子で、朝のテレビ小説を見る。そのあとは、手にモップをもって床を磨きはじめる。室内は、いつもピカピカ。掃除が終わると、新聞に目を通しながら、二度目の緑茶タイム。このときも、お菓子は欠かさない。
一日中、テレビの前にいるようなことはない。
夕食は自分でつくって食べる。牛肉を欠かさない。ステーキ肉や霜降りのロース肉が冷凍庫のなかにびっしり入っている。食べ物にはうるさい。
お風呂は自分で掃除をし、自分で沸かす。いつもピカピカ。用心して、最近は昼間にお風呂に入っている。
夜は9時から10時までに寝る。通い猫に「また来てね」を声をかけて送り出してから寝る。
妖怪のファッションセンスは抜群。友人も、おしゃれな妖怪を自慢するために誘ってくれる。ピンピン長生きの秘訣は、おしゃれであること、老いてますます楽しく暮らすためには、おしゃれをして外出することに限る。
行動しようという気持ちが心身ともに元気にしている。
老いるというのは、ひとつずつ上手に諦めること。今できることは、惜しみなくやるべきだ。今やれることを精一杯やって人生を謳歌する。嫌なことがあったら、近所を散歩するなり、お風呂に入るなりして忘れたい。終わったことは終わったこと。振り返らないのが一番、精神衛生上いい。
65歳をすぎれば、あとは死ぬだけなのだから、楽しく暮らさないと損だ。
病気の予防や薬の知識に強くなることにより、病気のことを忘れて生きるほうが賢い。
ひとつひとつ、もっともな指摘で、同感しきりです。元気の出るいい本でした。妖怪と一緒の著者がうつっている表紙の写真を見て、ほっとします。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2018年10月刊。1300円+税)

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2019年5月14日

朝鮮人強制連行

日本史(戦前)・朝鮮


(霧山昴)
著者 外村 大 、 出版  岩波新書

朝鮮人の強制連行をめぐっては政府や議会そして企業側にもさまざまな相反する意見があり、朝鮮総督府や朝鮮社会にもいろんな矛盾、利害相反の状況があったことを知ることが出来ました。
当時の朝鮮社会は就学率が低く、文盲の人も少なくなかったということを改めて知りました。朝鮮人の就学率は、1935年に17.6%(男子が27.2%、女子は7.3%)。1936年の日本語理解率は9.8%(男子は16.1%で、女子は3.4%)。
朝鮮人の就学率が上昇するのは、戦時期であった。
炭鉱では、増産を担うべき十分な労働力を確保できずにいた。
朝鮮総督府は、1937年6月27日付新聞で、九州の炭鉱からの朝鮮人労働者の斡旋の信頼に対しては許可しない方針であった。その理由として、それまでの炭鉱が朝鮮人を安い賃金のもとで酷使した「賤待事実」があったため。朝鮮統治の責任者としては、詐欺的募集と悪辣な労務管理が朝鮮人の不満を強めることに警戒せざるを得なかったからである。
官僚だけでなく、民間にも、朝鮮人導入については、否定的意見があった。それは戦争が終了して平時に戻ったときの失業問題が予想されることなどからであった。しかし、朝鮮人労働者の導入への消極論は、日本内地の炭鉱等での労働力不足の現実の前に押し切られた。
当時の朝鮮では、むしろ駐在所の巡査のほうが面長より権力をもっていると見なされるような実情があった。
1939年(昭和14年)は、かつてない大旱魃のあとだった。人びとは木の根、草の根を食べて飢えをしのいでいた。そこで募集をかけると、救いの神があらわれたといって人々が集まってくる。それでも、朝鮮総督府としても、農業生産の維持、さらには朝鮮の工業化のための労働力の確保の重要性は十分承知していたので、言われるがまま日本内地へ労働者を送り出そうとしていたわけでない。
2年間という期間経過したら、朝鮮に労働者を戻さなければならないというシステムは、定着を防ぐという意味では、日本内地の治安・労働行政担当者の思惑が一致していた。
韓国社会の中心人物が非協力的であれば、企業から派遣された人物が必要な人員を確保することが可能だった。
官斡旋は地域社会の事情を考慮することなく、そこに責任もつながりもない労務補助員が、自分の所属する企業のために労働者確保のみを追求することを制度化したものだった。朝鮮で徴用工の発動が遅くなったのは行政機構が貧弱だったことにもよる。徴兵対象者の戸籍の記載事項すら不正確な状態であった。
そして、朝鮮社会では、動員忌避がますます強まっていた。面の労務係は、動員で手一杯。面の人々は徴用を襲って労務係を仇的のように考えている人々がいた。
女子は全員が文盲、男子青壮年の7割は文盲。徴兵準備のための錬成を受けた男子の日本語ボキャブラリーは、日本人の幼児と同じレベル。朝鮮から来た者で、戦争については、100人のうち5人しか知らなかった。
日本内地の炭鉱労働者全体では戦争末期でも日本人が70%を占めていた。
朝鮮民衆はあきらめて無抵抗でいたのではなかった。徴用が自分たちの生活の破壊につながりかねないとみていた人々は必死の抵抗を試みた。なかには、面の職員が徴用対象となる面民を引率して山中に隠れようとして警官に見つかって衝突するという事件も起きている。面職員にとって、動員計画のための要員確保はよけいな業務の負担であるばかりでなく、危険を伴う仕事にすらなりつつあった。動員をさけようとする民衆の抵抗、動員によって働き手を奪われた家族の怨嗟から、危害を加えられるケースも発生していた。
村落の朝鮮人有力者らは動員に非協力ないし反対していた。それは、同情していたというより、最下層の朝鮮人が相対的に良い日本内地の職場を選択することによって、村落で農村労働者が減り、その賃金が上昇するのが痛手だったから。
炭鉱でも、熟練労働者を確保して操業効率を良くしようという意見もあった。
さまざまな複雑な思惑と利害があるなかで強制連行がすすんでいったことがよく分かりました。大牟田の三池染料でも朝鮮人連行があり、私の亡父は徴用係長として、その責任者だったのでした。
(2012年3月刊。820円+税)

日曜日の午後、梅の実ちぎりをしました。驚いたことに今年は梅の実が少ないのです。昨年の3分の1ほどしかありません。いわゆる裏作の年なのでしょう。それでもザル一杯にはなりましたので、梅酒が2瓶つくれそうです。
ジャガイモの生育が遅れています。隣のジャガイモは私より1週間以上も遅く植えたのに、緑々した葉っぱが繁っていて、早くも花が咲いています。うちは花どころではありません。隣の芝生は青いといいますが、うちのジャガイモたちは大丈夫かしらん・・・。

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2019年5月15日

「核の時代」と憲法9条

司法

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版  日本評論社

私たちは現在、核兵器や原発という制御不能なものとの共存を強いられている。
核エネルギーは「神の火」ではなく、「地獄の業火」だ。私たちは核地雷原の上で生息しているようなもの。にもかかわらず、核兵器や原発を脅しの道具や金もうけの手段としている連中がのさばっている。
つい先日も、日本経団連会長(原発をイギリスに輸出しようとして失敗した日立出身です)が、日本には原発が必要だと堂々と恥ずかし気もなく高言していました。恐ろしい現実です。3.11のあと原発反対の声は広く深くなっているとはいえ、まだまだ原発停止したらマンションのエレベーターが停まってしまうんじゃないかしら・・・、なんていう日本人が決して少なくないのも現実です。
著者は、私と同じ団塊世代。埼玉・所沢で、この40年間、「くらしに憲法を生かそう」をスローガンとして弁護士活動をしてきました。同じ事務所の村山志穂弁護士によると、事件処理に関しては、ガチンコ対決、つまり白黒つけるというより、仲裁型の事件処理が多いようだということです。所沢簡裁の調停委員として、調停協会の会長も最近までつとめていたそうです。
この本を読んで初めて知り、驚いたことは、第二次大戦終了後まもなくの1946年1月24日の幣原喜重郎首相とマッカ-サー連合国最高司令官の二人だけの会談の内容です。終戦直後のマッカーサーは、今から思うと信じられないようなことを断言していたのです。
「戦争を時代遅れの手段として廃止することは私の夢だった。原子爆弾の完成で、私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高度に高まった」
これを聞いた幣原首相は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、こう応答した。
「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後には私たちは予言者と呼ばれます」
いやあ、すばらしい対話です。これを知っただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。
さらに、同じ年(1946年)10月16日、マッカーサー元帥は昭和天皇とも会談します。そのときマッカーサーは、こう述べました。
「もっとも驚くべきことは、世界の人々が戦争は世界を破滅に導くことを、十分認識していないことです。戦争は、もはや不可能です。戦争をなくすのは、戦争を放棄する以外に方法はありません。日本がそれを実行しました。50年後には、日本が道徳的に勇猛かつ賢明であったと立証されるでしょう。100年後には、世界の道徳的指導者になったことが悟られるでありましょう」
こんな素晴らしいことを言っていたマッカーサーが、朝鮮戦争のときには原爆使用を言いだして罷免されるのですから、歴史は一筋縄ではいきません。
アメリカのトランプ大統領は世界の不安要因の一つだと私は思いますが、アメリカ国内の支持率は46%だといいます。恐ろしいことです。そのトランプ大統領は、「アメリカは核兵器を保有しているに、なぜ使用できないのか」と外交専門家に、1時間のうちに3回も同じ質問を繰り返したそうです。安倍首相が100%盲従しているトランプ大統領の実体は危険にみちみちているとしか言いようがありません。
原爆も原発も、核エネルギーの利用という点で共通している。核エネルギーの利用は、大量の「死の灰」を発生させる、人類は、その「死の灰」、すなわち放射性物質と対抗する手段をもっていない。放射性物質は、軍事利用であれ、平和利用であれ、人間に襲いかかってくる。原爆被爆者は、「死の灰」が人間に何をもたらすかを、身をもって示している。
著者は、最近の米朝会談や南北首脳会談について、日本のマスコミが、おしなべてその積極的意義を語らず、声明の内容が抽象的だとか非難して、その成果が水泡に帰するのを待っているかのような冷たい態度をとっていることを厳しく批判しています。私も、まったく同感です。2度の南北首脳会談を日本人はもっと高く評価し、それを日本政府は後押しするよう努めるべきです。そして、アメリカと北朝鮮の対話が深化して、朝鮮半島に完全な平和が定着するよう、もっと力を尽くすべきなのです。それが実現してしまえば、イージス・アショアは不要ですし、F35だって147機の「爆買い」なんて、とんでもないバカげたことだというのが明々白々となります。
この本は、著者が自由法曹団通信など、いわば身内に語りかけたものをまとめたものですので、一般向けのわかりやすい本になっているとは必ずしも思われません。とくに、それぞれの論稿に執筆年月日が注記してあるのは目障りです。これは貴重な資料だと途中から粛然とした思いになって、最後まで一気に読み通しました。お疲れさまでした。
(2019年5月刊。1900円+税)

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2019年5月16日

大いなる聖戦(下)

日本史(戦前)・ドイツ

(霧山昴)
著者 H.P.ウィルモット 、 出版  国書刊行会

第二次世界大戦についての本格的な研究書です。読みながら、その深く鋭い分析に驚嘆してしまいました。
日本とドイツが連合軍から受けた爆撃の規模は、ドイツが136万トンであるのに対して、日本は16万トンにすぎない。しかし、このように格段の相違があったにもかかわらず、被害の程度は似たようなものだった。これは、日本のほうが人口密度が高く、都市部に人口・家屋・民生産業が集中していたため、ドイツよりはるかに被害を受けやすかったことによる。
そして、日本はドイツより心理的にも物理的にも空襲に対する備えを甚だしく欠いていた。ドイツは4年間にわたって小規模な爆撃を受けていたので、適応していくのに必要な態勢が整っていて、心理的な準備もできていた。ところが、これに対して日本は、勝利は約束されていると信じ込まされていて、自国の敗北が現実のものとして迫っていることに国民がまったく気がついていなかった。1945年3月から8月にかけての空爆によって物質上の損害は大きかったが、それ以上に大きかったのは、国民の士気に与えた悪影響だった。敗戦気運が突如として日本社会全般にわたって蔓延した。1944年6月の時点では日本は戦争に負けると考えた人は50人に1人の割合だったが、1年後の1945年6月には46%となり、8月の敗戦直前には68%に達していた。
アメリカ軍による空襲は、日本国民の軍部への信頼を失わせ、その士気を阻喪させるうえでもっとも重要な要因となった。
さらに、アメリカ軍が事前に爆撃目標を公表していたこと、それでも空襲を受けたということは、自国の航空戦力がいかに無力であるかを日本国民は思い知らされた。日本軍は本土決戦に備えて最後に残った通常の航空戦力を温存しようとしたため、B-29はほとんど迎撃を受けなくなった。
戦争が万一、1946年まで続いていたとしたら、大凶作が見込まれているなかで、日本は大々的な飢餓状態に陥ったことは確実だった。
ポツダム宣言が発せられた1945年7月26日時点で、日本の産業が完全に崩壊するまで、数ヶ月いや数週間しかなかった。
ところが、自国の敗戦が避けられないことを認識している者が、統帥部で決定権限を有している者のなかにはいなかった。
これは、ドイツも同じ。ドイツの指導層には、自国の敗戦という現実を認識して終戦工作を試みることのできる者は皆無で、最後の最後まで自国が生き残れるという幻想にしがみついていた。限りある手段で際限なき目標を達することを目指したドイツと日本の戦争は破滅的な結末に終わった。そのような結果は、日本については予見できたが、ドイツについては必然ではなかった。敗戦の深刻さはドイツのほうが大きかった。
質量両面で世界に冠たる軍事力を誇り、勝利をもたらすうえで決定的となりえた利点をもちながらも、ドイツは敗北に追い込まれた。そして、国土の中枢地帯を敵軍に踏みにじられたうえで敗戦を味わったのみならず、国家が消滅したという点に照らしても、ドイツの敗北の程度の大きさを計ることができる。
著者は本書の最後で、次のように総括しています。私は、なるほど、もっともな指摘だと受けとめました。
ドイツがヨーロッパで、そして日本がアジア・太平洋で勝利したときに払うことになったであろう代償は、組織的大量殺人の企国にとどまらず、ヨーロッパ大陸とアジア大陸における物的・精神的・知的次元での奴隷化である。それに比べたら、このような害悪を阻止するために要した人的損失は、むしろ小さいものと考えられる。5700万人という死者は、忌まわしき害悪を世界から除去するための意味ある代償だった。
そうなんです。日本帝国主義(天皇と軍部)が勝利でもしていたら、世界はとんでもないことになっていたことでしょう。「聖戦」だったなんて、とんでもないことです。
クルスク大戦車戦、マーケット・ガーデン作戦、アルデンヌの戦いなどが当時の国際情勢と軍事力・指導力などを踏まえて総合的見地から論評されていて、理解を深めることができました。
下巻のみで450頁ほどもありますが、第二次大戦とは何だったのか、詳しく知りたい人には欠かせない本だと思います。
(2018年9月刊。4600円+税)

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2019年5月17日

「自由都市」の灯をかかげて半世紀

司法

(霧山昴)
著者 堺総合法律事務所 、 出版  左同

堺総合法律事務所が50周年を迎え、記念誌を発刊しました。同事務所が堺・泉州の地に誕生したのは1969年春のことです。このとき、私はまだ大学3年生でした。
所員の一人が、NHKの「プロフェッショナル」に主人公として登場した(2009年)村田浩治弁護士です。労働弁護士としての活動がNHKの特集番組となって光があてられたのは画期的です。そして、自由法曹団の本部事務局次長として、井上耕史弁護士、次いで辰巳創史弁護士が活躍しました。どちらも、クレジット・サラ金、商工ローン問題でも大活躍しています。
さらにこの人こそ堺総合というべきなのが、平山正和弁護士です。NHKの再現ドラマ「逆転人生・奇跡の逆転無罪判決」にも登場しています。コンビニ強盗事件の犯人として逮捕されたミュージシャンの青年の無罪を母親の執念の努力とともに勝ちとったのです。
以下、平山弁護士のエッセーを紹介します。平山正和弁護士のエッセーは出色です。そのタイトルは「70代は黄金期?洟垂れ小僧?」です。泉州の地・堺で弁護士生活50年を迎え、「今も青年弁護士当時とほとんど変わることなく(と自分で考えている)」現役で、弁護士活動を元気に続けています。
「意欲と気力、体力が続く限り引退という言葉はありません。私ながら職業として弁護士を選んだこと、働く人々とともに活動する弁護士を選択したことを、おおいに得したと実感し」ているのです。問題は、では、どうやって、平山弁護士はそれを可能にしたのか、です。
実は、平山弁護士は42歳の厄年に油断大敵、原因不明のままインシュリンがまったく出なくなるというⅠ型糖尿病を発症して今日に至っているのです。ですから、インシュリン注射は欠かせません。そして、食事療法のおかげで「30年たっても合併症がないとはおかしい」と主治医が頭をひねって不思議がるのです。
たとえば、お昼は野菜たっぷりの塩分なしの健康(愛妻)弁当を30年以上も続けています。決まった時間に、どこでも食べる。たまには移動のタクシーのなかで食べて、運転手から驚かれます。
野菜・海藻・キノコはカロリーがないので、いくら食べてもよく、大量に食べるので、糖尿病の食事療法をするとお腹が空くというのはまったくの誤りだと平山弁護士はキッパリ断言します。おかげで70歳をこえた平山弁護士の頭髪は黒々、ふさふさ、額もはげあがっていません。
70歳になった私は、濃さと硬さが自慢だった頭髪が薄く、弱々しくなってしまい、今せっせと1日2回、養毛剤をすりこんで回復しようと、はかないあがきをしています。
それでは、平山弁護士の一日の生活をみてみましょう。1日8時間の睡眠を確保。アイフォンのクラシック音楽で目覚めます。朝食は30分かけて自分でつくります。自分で鋭く研いだ包丁で、玉ねぎ、ニンジン、ショウガ、ピーマンをみじん切りにして水にさらして辛味を逃がし、リンゴ、かまぼこ、チーズを刻んで入れ、ヨーグルトをかけて味つけし、大きなお椀一杯のサラダをつくります。調味料もドレッシングも不要。ご飯は茶碗半分ほどに納豆、黒ニンニク、とろろ昆布、ジャコをかけて、30分かけて食べるのです。
朝食後はストレッチ。開脚ベターに挑戦します。これに30分かけます。こんな「朝活」の1時間のあと、事務所では、毎日、夜8時まで疲れを知らないで一日を過ごします。
外に出て歩くときは、意識してフルスピードで大股で歩きます。電車に乗ったら、空いていても座らず、立ったまま、つま先立ち。テニスのステップを踏みながら本を読みます。
平山弁護士は42歳のとき、堺市長選に立候補して、市長になりそこねました。
そして読書量は、わずか年100冊でしかなく、その少なさに平山弁護士は愕然としています。私は、この30年以上、年に500冊を下まわったことはありません。そこだけが、平山弁護士に勝っているところです。
他人様の生活と権利、財産を守るために、そして権力に立ち向かう活動に全精力を傾けてたたかうわけですから、弁護士の活動は脳を活性化し、身体も動かして「健康寿命」の伸長におおいに効果がある。社会的弱者の用心棒、また牧師か坊さんの人生相談のような弁護士活動なので、「健康寿命」が続くかぎり弁護士の「現役活動寿命」も続く。平山弁護士は、こう考えています。
私も、平山弁護士のあとに続くよう、無理なくがんばります。
(2019年5月刊。非売品)

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2019年5月18日

千里の向こう

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者  蓑輪 諒、 出版  文芸春秋

坂本龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎について、初めて具体的イメージをもつことができました。
坂本龍馬は、その実家の坂本家は才谷屋という高知城下の豪商の分家。龍馬より4代前に、武士株(武士の身分)をお金で買い、にわか侍になった。
中岡家は、安芸郡北川郷において14ヶ村を束ねる「大庄屋」である。
江戸時代、封建制社会は、えてして身分にうるさいが、なかでも土佐藩の厳しさは特筆すべきものがあった。
藩内の武士階層は、「上士」と「下士(郷士)」に大別され、下士は、たとえば下駄を履くことや、夏に日傘を差すことも出来ず、原則として城の総構えの内側には住んではならないなど・・・、細々とした禁則があり、上士から差別された。
土佐侍たちは、剽悍(ひょうかん)で知られ、かつて長宋我部氏は彼らを率いて近隣をことごとく切り従え、1時は、四国全土をほぼ併呑した。その恐るべき長宋我部遺臣たちが万が一にも諜叛などを起こさないようにするため、山内氏は彼らを「下士」として取り立てて懐柔しつつ、古参の山内家臣である「上士」と明確な差をつけ、身分によって屈服させようとした。下士は上士に逆らっては生きられない。
この幕末当時の「尊王攘夷」という語には複雑な意味がある。この語自体は、過激思想でもなければ、政治的な立場の違いを表わすものでもない。このころの日本人にとっては、天皇を尊ぶことも攘夷を望むのも、ごく普遍的な考えであり、条約を結び、国を開いた江戸幕府でさえ、建前としては尊王攘夷を奉じている。
ただ、その攘夷をいつするのかで大きく分かれてくる。多くの強硬派・過激派の志士は、即時に攘夷を断行すべしとしている。もう一方は、現在の不当条件であっても、当面は容認し、将来、交易によって国力が整ったら、攘夷を断行する。なーるほど、ですね。
長州藩は、攘夷成功の栄誉に酔いしれていた。長州藩は、1ヶ月もしないうちに完敗を喫し、存亡の危機へと立たされてしまった。
慎太郎と龍馬は、これでも同じ土佐人かと思うほど、気質も考え方も正反対だ。
慎太郎は、土佐藩士たちを啓蒙するため政治論文を書いた。時勢論と呼ぶ。理屈屋の慎太郎らしく、緻密な理論と冷静な源氏認識に立脚しつつ、その語調は大いに熱っぽく真剣だった。富国強兵というものは、戦の一家にありと慎太郎は表現した。
残念なことに龍馬とともに慎太郎は30歳で果てた。
(2019年2月刊。1700円+税)

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2019年5月19日

シベリア抑留者への鎮魂歌

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 富田 武 、 出版  人文書院

日本軍は第一次世界大戦後のシベリア出兵(1919年)で歩兵1個大隊が全滅(戦死者280人)したことの報復として、イワノフカ村をパルチザンの巣窟(そうくつ)とみなして掃討作戦を展開した。日本軍は村人257人を虐殺したが、うち女性が10人、子どもも4人いた。
そのため、ロシア人は日本人を「人間を食べる人種」だと怖がった。
シベリアに抑留された元日本兵は、極寒のなかでの重労働を余儀なくされた。
ある収容所には、元日本兵が1000人いたが、その6分の1が飢え、寒さ、重労働、病気のために亡くなった(6分の1というと、170人前後の死者が出たということです)。
飢えは、捕虜の人間性を損ねた。寝床で隣の者が下痢をすると、もっと続けばよいと願った。その食糧を自分が食べられるからだ。死者の遺体は身ぐるみ剥がして埋めた。衣類をパンに代えるためだ。入院患者が危篤だと知ると、周りの者が早々に「形見分け」した。品物をパンに代えるためで、危篤から脱した者が帰ってきても、持ち物は本人に戻らなかった。
関東軍情報部(特務機関)のロシア語教官だった女性(中村百合子。1923年生まれ)は、アメリカのCICのエージェントとして北朝鮮で活動し、スパイだと発覚して1956年までソ連の政治犯収容所に8年も拘留されていた。この中村百合子は、CICのエージェントになる条件として、日本にいる母親への毎月5000円の送金をCICに約束させた。
シベリア抑留の実態に迫る貴重な学術書です。
(2018年10月刊。1600円+税)

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2019年5月20日

子どもには聞かせられない動物のひみつ

生物・

(霧山昴)
著者 ハーシー・クック 、 出版  青土社

タイトルに「子どもには聞かせられない」とあるのは、なぜなんだろう・・・、そう思いながら読みすすめていきました。要するに、学校での性教育が遅れている日本だったら、まさしくあてはまりそうな話のオンパレードなのです。
東京の養護学校で教師が苦心のすえつくりあげた性教育について、自民党の議員などが偏向教育として中傷し攻撃したため、教育現場はますます萎縮し、性教育を敬遠して触れたがらないという現実があります。
女性天皇は認めない、夫婦別姓にも反対する。LGBTの人は生産性がない。そんな時代錯誤の考えにこりかたまった人が議員として、もっともらしく議会で「質問」と称してまともな性教育を攻撃するのです。たまりません。性をタブー視するのは良くありません。
ニホンウナギの卵は2009年に太平洋のマリアナ海溝で見つかった。しかし、野生のウナギが交尾しているところはまだ誰も見たことがない。
ナマケモノの胃は、2週間ほどかけて木の葉に含まれる植物繊維や毒性を分解する。ナマケモノの胃袋には、ほぼ丸のままの葉が送り込まれ、友好的な腸内細菌の助けをかりて分解するしかない。だから、ナマケモノはできるだけエネルギーを消費しないように進化した。樹上でのんびりくつろぎ、ゆっくり葉を消化することで、不要な努力を回避している。
こんなナマケモノは、6400万年前から今日まで生きのびている。ナマケモノは一日中、瞑想状態にあるように見えて、実は1日平均9.6時間しか眠っていない。意識はあるが、動作をしない状況こそ、エネルギーを節約し、生きのびるためのカギになっている。
ハゲワシは腐った肉を食べるが病気にならない。それは、動物界のなかで一、二を争う強力な胃酸によって病原菌を撃退しているから。胃酸のPHは希硫酸に匹敵する。ハゲワシの糞は、消毒剤として非常に有効だ。
コウモリは恐ろしい吸血鬼だと思われているが、本当は深刻な病気を媒介し、作を台なしにする昆虫をコウモリが食べてくれているおかげを人間は受けている。また、熱帯の植物にとって主な花粉媒介者の役目も果たしている。
チスイコウモリの寿命は長く、30年もある。
太平洋戦争のころ、アメリカは小さな爆弾をコウモリの大群に背負わせて、日本の都市の上空に放つ計画をたてて、準備してみたそうです。ところが、実験段階で思うように行かず、本番に移る前に中止されました。あたりまえでしょう。でも、その代わりが原子爆弾の投下でした・・・。
パンダ(ジャイアントパンダ)は原初のクマ属の末裔で、2000万年ほど前に別の道を行くようになった。今でもクマとあまり変わらない。
パンダのメスは、セクシーな匂いを木の一番高いところにつけたオスが好みだ。競争に勝ったオスは、ご褒美として、半日で40回もセックスする。
パンダは竹をかじるという食生活を通して、強力な顎(あご)の力を手に入れ、肉食動物のかむ力の比較では、ライオンとジャガーにはさまれて5位に食い込んでいる。
ほとんどのペンギンは一夫一婦制とは言いがたい。コウテイペンギンの85%は、毎年パートナーを取り替えている。ところが、ドイツの動物園にはオスのカップルがいて、10年も一緒だ。そして、ヒナを養子に迎えて子育てまでしている。
メスのフンボルトペンギンの3分の1近くは不貞行為を働き、多くの場合、その相手は同性だ。アデリーペンギンは地球でも数少ない売春に走る動物だ。小石を集めるため、独身のオスに流し目を送り、交尾を求めているそぶりをして、オスと交尾をし小石を得る。ときには交尾せずに小石を得るだけのこともある。
野生のチンパンジーは、いつもお腹のひどい張りに悩まされていて、大きな音でおならをする。湿っぽくて、一瞬のためらいもない。
ギニアのチンパンジーは、葉をつかってスポンジをつくり、ヤシの実からつくった純度の高いアルコールを飲んでいる。ウガンダでは、若いメスのチンパンジーが、お人形遊びのように棒をいじり、抱っこして、寝床をつくって、夜は一緒に寝ていた。
子どもたちに聞かせられないというより、なかなか高度な話なので、それなりに基礎的知識がないと理解するのがたやすくはないという内容の本でした。私は、連休中に面白く読み通しました。
(2019年1月刊。1900円+税)

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2019年5月21日

「砂漠の狐」ロンメル

ドイツ

(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版  角川新書

これは面白い、そう思いました。ナチス・ドイツの高名なロンメル将軍の生身の正体をあますところなく描き切った新書です。
ロンメルは勇猛果敢、戦術的センスに富み、下級指揮官としては申し分なかった。とはいえ、昇進し、作戦的・戦略的な知識や経験が要求されるにつれ、その能力は限界を示しはじめた。「前方指揮」を乱用し、補給をまったく軽視するといったように、軍団・軍集団司令官にはふさわしくなかった短所が目立った。
ロンメルはドイツのなかでは傍流でしかないシュヴァーベン人で、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校というキャリアを歩んでおらず、そのため大戦略を理解するだけの資質もなければ、そのための教育も受けていなかった。
大きなハンデを負っていたロンメルは、陸軍で出世のはしごを昇っていくためには、危険を冒してまでも成功をつかむ必要があったし、自らの功績を誇張しなければならなかった。
ロンメル将軍をゲッペルス率いるナチスの一大プロパガンダ機構は大いにもてはやした。自ら陣頭に立ち、ときには敵の銃火を顧みずに前進するロンメルは、ナチスの理想を体現する将軍として称揚するのにうってつけだった。
ヒトラーもロンメルに好意を抱いていた。国防軍の保守本流ともいうべきプロイセンの参謀将校たちをヒトラーは嫌っていた。ロンメルは彼らとまったく逆のタイプだったことから、ヒトラーは気にいっていた。
東部戦線のドイツ軍がソ連軍の反攻によって敗走しはじめている時期に、ゲッベルスのプロパガンダ・マシーンは全力をあげて「英雄」ロンメルの戦功を報じた。ゲッベルスは、ドイツ国民の関心をロシアからアフリカに振り向けようとしたのだ。
アフリカ戦線で、ロンメルは結局、イギリスのモントゴメリー将軍に敗退します。それは、戦術的にいくら奇襲しても、補給が続かなかったせいです。海上補給はなんとかなったとしても、陸路での補給が出来なかったのでした。
ロンメルはヒトラー暗殺に関与していたのか・・・。著者はありうるとしています。
ロンメルは言った。「総統は殺さねばならない。ほかに手段がない。あの男こそが、すべてを推進している源なのだ」。
ロンメルは1944年10月14日、ヒトラーのすすめで毒をあおいだ。7月20日ヒトラー暗殺が失敗したあと、ヒトラーはロンメルに対して自決しなければ反逆罪で死刑にすると通告したのでした。
ロンメルのひとり息子は、戦後、西ドイツで保守政党であるキリスト教民主同盟の有力政治家となり、ながらくシュトゥットガルト市長をつとめた。
300頁ほどの濃密な新書で、一気に読みあげました。
(2019年4月刊。900円+税)

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2019年5月22日

国際線機長の危機対応力

人間

(霧山昴)
著者 横田 友宏 、 出版  PHP新書

いつも飛行機に乗るとき、落っこちないでくださいと願っています。だって、怖いじゃないですか、こっぱみじんになって死ぬなんて・・・。ですから、機中では、一心不乱に本を読むのに集中して、怖さを忘れるようにしています。
そんな私ですから、飛行機のパイロットって、どんな人種なのか、とても興味があります。この本はパイロット、とりわけ機長について書かれていますが、大変面白く、また勉強になりました。イソ弁からパートナー弁護士、そして独立弁護士になるときの心得に共通したものも大きいと思いました。
パイロットにとって、何か一つのことに集中するのは大変に悪いこと。パイロットは常に一つのことに意識を集中させないように、何かに心を留めないようにしなければならない。
うひゃあ、そ、そうなんですか・・・。
機長として大事なのは、自我の抹消。
機長は猛々しいライオンであってはならない。機長は長い耳をもつ、臆病なウサギでなければならない。機長はウサギと同じように、常に強い警戒心を持ち、自分に不利な情報や危険の徴候を探さなければならない。
理想の機長は、さまざまな緊急事態にてきぱきと対応する機長ではない。緊急事態が起きないように見えないところで手を打って、何事も起こらないフライトをするのが理想の機長である。
なるほど、そうなんですね・・・。
自分でも懸念をもちつつも、何らかの理由をつけて合理化し、懸念を解消しない機長は危険だ。
機長は自分の感情や心理状態をコントロールできなければならない。
機長が副操縦士にアドバイスされたときの第一声は、必ず「ありがとう」でなければならない。そして、副操縦士のアドバイスが間違っていたとしても叱ってはいけない。
機長と副操縦士は同じことに関わってはいけない。操縦中は、どちらか一人は操縦に集中しておかなければならない。
みんな、もっとも、当然のことばかりです。
アルコール類は、フライトの12時間前から一滴も飲んではいけない。
これから副操縦士になる訓練生を教えるとき、一番重要なことは、機長の指示どおりに動くのではなく、自分の頭で考えるパイロットを育てるということ。
どうやって後進を育てていくかについても、大変示唆に富んだ話が満載の新書でした。
(2019年1月刊。880円+税)

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2019年5月23日

よみがえる戦時体制

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 荻野 富士夫 、 出版  集英社新書

「一強」のアベ首相のもとで、今や日本は「戦前」の時代に突入しつつあるのではないか・・・。そんな思いに駆られることがあります。
「令和」フィーバーは異常です。「令和」おじさんの株が上がって、ポスト・アベにスガ官房長官が躍進しているなんて、悪い冗談にもほどがあります。
本人は連休中でゴルフに出かけ、東京の集会にはビデオレターで登場し、「2020年には改正憲法を施行する」なんて、号令をかけました。とんでもない首相です。憲法を誰より率先して守る義務のある首相が国民に向かって改憲を呼びかける、そんなことは決して許されるべきことではありません。
昭和天皇は早くから思想問題に関心を抱き、とくに日本開戦時や配線前後の治安状況についての情報収集に熱心だった。組閣時には、警保局長などの内務省人事にまで注文をつけることがあった。
昭和天皇は1936年、共産党を消滅させた功労者として、内務、司法官僚を叙勲した。
戦前の特高警察官は最大時、総数で1万人、警察前全体の1割に達した。
治安維持法の「目的遂行」罪は、かつてのように「結局のところ」とか「窮極において」といった飛躍の論理を用いる必要をなくした。
横浜事件のとき、特高刑事たちは、こう言ってせせら笑った。
「きみたちの考えは、まったく甘い。今はもう何もやれないことは、こちらが百も承知している。しかし、将来、万一のときに、お前たちが何かをやるに決まっているような精神構造そのものを問題にしているのだ」
うひゃあ、これって恐ろしいですよね・・・。これでは、どうしようもありませんね、内心の自由なんて、まるでありません。
1941年12月、真珠湾攻撃とそれに続く連勝に、国民の「戦意」は一挙に沸騰し、99%以上の国民が「我々の戦争」ととらえて、戦争を支持し、協力する側に位置した。ところが、1944年になると、厭戦・悲観気分が広がり、7月のサイパン島失陥により、明らかに「戦意」は低下しはじめた。このような戦いぶりで勝てるだろうかという疑念が生じ、戦争指導に対する政府や軍の拙劣さへの批判が表面化してきた。
敗戦後も、昭和天皇の治安感覚は変らなかった。ストライキの頻発や共産党の進出を憂慮した。
「共産党に対しては何とか手を打つことが必要だと思うが・・・」(1948年3月)
アベ政権の天皇を政治的に利用する姿勢は露骨です。連休中に実施された一般参賀にしても、秋の予定だったのを宮中の意向を排して5月の連休中に早めにさせ、政権の人気とりに結びつけたのでした。ひどいものです。
いま、アベ首相に対してはっきりモノを言わないと、まさしく「戦前」に突入しかねない状況です。とてもタイムリーな新書の内容になっています。
(2018年6月刊。860円+税)

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2019年5月24日

少年たちの戦争

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 徳永 徹 、 出版  岩波書店

太平洋戦争の敗戦当時に高校生(17歳から18歳)だった著者と、その仲間たちの書簡が紹介されている貴重な記録集となっています。
軍国主義教育まっさかりのなかで著者たちは陸軍士官学校や海軍兵学校を希望しますが、教員が海兵への志望書を破棄します。
「将来、科学技術の面で、国に奉公するように」と教員が生徒を諭すのです。立派です。
著者の父親も、「こんなに世界中の人が殺しあっている時代だから、逆に人の命を助ける仕事もよいではないか」と医科への進学を勧めたのでした。偉い父親です。
日本軍が真珠湾を攻撃し、戦争を始めた時点で、すでにドイツ軍は敗退をはじめていました。そして、1945年1月にはソ連のスターリン首相がついにベルリン攻略を宣言。このとき、著者は、「ドイツ、がんばれ」と心念じたのでした。
このころ病気療養中の著者は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んでいます。昨今の日本でベストセラーになった、あの本です。いま読んでもすばらしい内容の本ですが、戦争末期の敗戦間近なころに読んだときの率直な感想を知りたいものです。
1945年4月3日の日記に次のように書きました。
「死の足音は刻々に近づいている。しかしオレは不注意にも、否、故意にその足音を聞こうとはしない。臆病者!」
まだ17歳の身で、死が間近に迫っているという実感は切ないものがあります。
4月14日の日記には「ソ連赤軍がベルリンに突入したらしい」と書かれています。いよいよ敗戦必至です。
5月10日の日記。
「もしも敵の空挺部隊が阿蘇の外輪山の中の平地に降下した場合、五高生も出動するという。無条件降伏は、断じて取るわけにはゆかぬ。日本人たる以上、国体が破壊されるのをどうして座視することができよう。ならば即ち、忠良なる日本人の大部分は敵の物量の前に玉砕するだけである」
長崎医専に1番で合格し、戦争中なので、長崎の工場で働いていた級友は原爆死してしまったのでした。本当に残念です。
それにしても、小学校の担任だった田中先生はいい仕事をされましたね。おかげで、戦死してしまった級友のことをふくめて、こんな立派な記録集ができあがりました。
戦争はダメ。軍備を増強したら戦争が近づき、平和は遠のくばかりです。安倍首相の言いなりになっていると、そんな戦前のあやまちを繰り返すことになります。
(2015年2月刊。1800円+税)

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2019年5月25日

助監督は見た!実録「山田組」の人びと

人間


(霧山昴)
著者 鈴木 敏夫 、 出版  言視舎

今秋に公開予定の『男はつらいよ』を私は今から楽しみにしています。
映画『男はつらいよ』は私が東京で大学3年生のときに始まり、年に2回、はじめは一人で、やがて家族とともに正月の楽しみとしてみていました。ですから、山田洋次監督は私のもっとも敬愛する映画監督です。その「山田組」の実態が実況中継のように描かれた興味深い本です。
山田監督って、他人(ひと)を笑わせることには長(た)けているわけですが、自身は人前ではあまり笑わない人のようです。そして、あからさまにほめることもしないとのこと。意外でした。ですから、助監督は撮影現場の雰囲気をなごませるのも大きな仕事の一つなのです。
撮影現場で、俳優たちの表情が硬く、緊張している、その要因は山田監督の仏頂面。
愛想良くしなくてもいいけど、せめて不機嫌そうな顔をやめてほしい・・・。
山田監督はテレビドラマは見ない。映画はよくみているようですが・・・。
「はい」「はい」と返事をしすぎる俳優は、まずダメ。言われたことを理解していない。その場を逃れようとしているだけのこと。
山田監督は、「東京家族」の撮影のとき、林家正蔵さんに「顔で芝居しようとしないで!」と、よく叱責した。
ええっ、落語家って顔で芝居するものではないのか・・・。
子役に対する演技指導のポイントは三つ。その一は、相手に分かる言葉で話すこと。その二は、ほめること。「さっきより良いよ」、「すごいね、できちゃうんだね」。その三は、空いている時間は、寄り添って相手をする。山田監督は、この三つとも苦手だ。山田監督は、子役の俳優にこういう芝居をしろと命じるだけで、具体的に指導しているのは助監督たち。子どもはほめるに限る。ほめれば、やる気が出てくる。
山田監督は、「面と向かってほめるなんて、照れ臭いじゃないの」という。
山田監督は、緊張をときほぐす技をもちあわせていない。むしろ、どんどん追い込んでいく。山田監督は、俳優への注文が多い。
山田ジョークは相手に伝わらないことがある。
俳優は、一般の人が経験しないことも対処しなくてはいけない。それが嫌なら、できないのなら、俳優なんかにならないことだ。
山田組の撮影現場は、いつもピリピリした緊張感に包まれている。俳優への要求も多く、ときには激怒し、容赦なく罵声を浴びせることも・・・。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・。そんなフンイキのなかでつくられた映画なので、腹の底から、何のわだかまりもなく笑えるのでしょうか・・・。
山田監督はあきらめが悪い。カット割りが決まるまで、悩みに悩みぬく。芝居のテストを何度も何度も繰り返す。ロケ撮影になると怒鳴りまくる。残業が多くなる。
そんな山田監督のつくった映画の出来はよい。
助監督として著者が復帰して、山田監督が怒鳴る回数が減ったそうです。
早く『男はつらいよ』で、渥美清を久しぶりにアップで見たいです。
(2019年3月刊。1600円+税)

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2019年5月26日

日本のヤバい女の子

日本史(古代)

(霧山昴)
著者 はらだ 有彩 、 出版  柏書房

私は、この本を読むまで著者を知りませんでした。「ありさ」と読むんですね。イラストが素敵です。マンガを描き、エッセイも書く女性です。
そして、「ヤバい女の子」というから、てっきり現代日本の若きギャルたちが登場してくるとばかり思って、その習俗を知りたいというオジサンの願望で読みはじめたのです。ところが、たちまちその期待は見事に裏切られてしまいます。なんと、第一話は鎌倉時代のベテラン大工の妻の話です。第3話は「今昔物語」。女盗人はSM嗜好だったりという話です。ええっ、本当ですか・・・。
そして第4話には、かの有名な「虫愛(め)づる姫君」が登場します。「堤中納言物語」です。お歯黒をつけず、眉を整えず、毛虫がお気に入りで、手のひらに乗せて可愛がるお姫様です。ところが、若き男性にこっそり姿を見られたことを知ると、家の中に逃げ込んで姿を隠します。どうして変人の娘が、身を隠さなければいけないのか、理解しがたいところです。
それにしても、毛虫が蝶に変身するのを知って、それを観察するのを楽しみにしているって、フツーの女の子なんじゃないかしらん・・・。著者もそう言ってます。
鬼として登場してきたり、蛇になったり、人(男性)殺しをしたり、怖い女性が次々に登場してきます。いやあ、日本の女性は昔から怖かったのです。今も、ご承知のとおり、怖いですけど、なよなよと泣くばかりなんてことは決してないのです。
それにしても、「番町皿屋敷」(落語)のお菊さんが、ある晩、なんと18枚まで皿を数えてしまったという話には笑ってしまいました。本当は9枚まで数えて1枚が足りないことに気がついて、恐ろしい死の場面に至るはずだからです。なんと、お菊さんが18枚まで数えたのは、「私、明日休むから、2日分かぞえたのさ」ということでした。ええっ、そんな・・・、一杯喰わされました。
「あとがきマンガ」のなかで、「芸大にて、女とか男という概念のない空間で4年間を過ごし」たとあるのが印象に残りました。そのあとブラック企業(広告会社。かのデンツーか・・・?)に3年間つとめたあと、テキストレーターになったとのこと。さすが芸大出身者らしく、発想が枠にはまっておらず、自由奔放で、みる眼を惹きつけます。
(2018年9月刊。1400円+税)

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2019年5月27日

じゃがいも父さん

人間

(霧山昴)
著者 日色 ともゑ 、 出版  文芸春秋

宇野重吉一座、最後の旅日記というサブタイトルがついています。劇団民芸とは別に、宇野重吉が地方巡行したときの模様が熱く語られていて、読んでいる私の胸まで熱くなりました。1986年(昭和61年)9月の第一次巡業はじめから、翌1987年10月までの第五次巡業まで、全国をまわりました。福岡にも八女や福岡に来ています。そして沖縄にも・・・。
行く先々で大変な歓迎を受け、舞台は大いに受けて、大笑いと大拍手、そしておひねりが舞台に飛んできました。おひねりは、すぐに受け取らなければいけないものだそうです。米倉斉加年は、セリフを話しながら、上手に拾っていったとのこと。
宇野重吉は肺ガンが発見され、体重は40キロ台にまで落ち、点滴を受けながら舞台に立ったといいます。すごいですね、まさしく神業(かみわざ)です。
演ずる劇は「おんにょろ盛衰記」と「三年寝太郎」の二つ。宇野重吉は三年寝太郎役です。舞台の本番の前、著者は1時間かけてたっぷりストレッチ体操をし、楽屋入りしたら1時間は発声練習。開演1時間前にメーキャップにとりかかる。この手順をきちんと守る。まだ40歳台の著者が老婆役を演じるのです。
福井出身の宇野重吉は、なんでも福井のものが「日本一」なんだそうです。酒・魚・越前ガニ・ソバそして青くび大根・米・・・。イカ大根を宇野重吉が料理し、好んでいたというのも初めて知りました。
宇野重吉は演出家でもある。
大学の応援団のように、台詞(セリフ)をがなっていてはダメなんだ。
舞台の様子を録音しておいて、テープを聴きながら、勉強会をする。どういう声で、どういうしゃべり方をしているか、自覚すること・・・。
「台詞が一面的で、自分の演じる人物のキャラクターの個性がない。台詞の音の高低、強弱、遅い、速い、ということがはっきりせず、前の日との台詞にひっぱられてしまっている」
「同じことばかり言われているのに、台詞の調子が変わらないのは、どういうことか。台本をよく読んで、どこがどう足りないのか、注意深く読みとること。人間のうらのうら、一人ひとりの意識、そのたぐいとりが足りない。今からでも遅くはないから勉強しなさい。そうすれば、ましな役者になるでしょう。貧乏しても役者をやっていようと思うでしょう」
「芝居というのは、90%が台詞術で、あとの10%が動き。一にも二にも台詞、そして声」
福岡では嘉穂劇場でも演じています。福岡の昼食は「多め勢」のおそば。そして、夕食は「まめ丹」。今もある店なのでしょうか・・・。
若い著者がおばあさんになるには、メイク、かつら、着付けと40分はかかる。開演の15分前には舞台袖にスタンバイして気持ちを整えておきたい・・・。
宇野重吉は、毎日毎日、台本を読んで、毎日毎日、工夫している。台詞の言い方、間のとり方、緩急が毎日ちがう。幕開きにしても、寝ころんでいたり、障子によりかかっていたり、いろいろな工夫がされている。
宇野重吉が亡くなって30年がたちました。私は、残念ながら舞台でみたことはありません。テレビと映画だけです。滝沢修とあわせて、とても存在感のある役者でした。
宇野重吉の息子が寺尾聡です。
昭和63年5月刊行のこの本を五月の連休中に読んだのは、不要本を一掃する大片付けをしているとき、たまたま発見して、宇野重吉一座の地方巡業ってどんな様子だったのかなと気になったからです。いい本でした。今では、日色ともゑも本物のお婆さんになりましたね・・・。
(1988年5月刊。1200円)

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2019年5月28日

海底に眠る蒙古襲来

日本史(鎌倉時代)

(霧山昴)
著者 池田 栄史 、 出版  吉川弘文館

伊万里湾は蒙古襲来(元寇)のとき、弘安4年(1281年)に総数4400艘とされる元軍船の多くが暴風雨によって沈没したとされる。
その沈んだ元軍船を海中で発見し、その保有をすすめている学者のレポートです。
4400艘も沈没したのなら、海底には船体がたくさんあってもよいのに、発見されるのは、ごくわずか、今のところ、1号船と2号船だけのようです。なぜ、そんなに少ないのか・・・。
要するにフナクイムシが元軍船を蚕食(さんしょく)したからのようです。船体の木材をフナクイムシが文字どおり食べ尽くしたのでした。
伊万里湾の海底に大量の元軍船が累々と折り重なった状態で沈んだ。この船体の木材がフナクイムシの格好の餌食(えじき)となった。通常ではありえない膨大な量の木材が一夜にして海底に沈んだ伊万里湾では、フナクイムシにとって空前のバブル期が到来したような環境となった。フナクイムシが大量に発生し、海底に沈んだ元軍船の船体を次々に蚕食していった。
ところが、海底堆積層深く潜り込んだ元軍船の船体や木製椗(いかり)はフナクイムシの蚕食から免れ、辛うじて現在まで残った。
フナクイムシは酸素を必要とするので、下手に残った元軍船をそのような状態に置かないような配慮が求められます。そして、引き上げて保存するには莫大な費用がかかります。どうして、さっさと海上に引き上げて保存しないのか不思議に思っていましたが、技術的な問題とあわせて相当額の資金の手当が必要なことを知り、納得しました。
元軍船団のうちの江南軍は伊万里湾の鷹島に移動して集結のための待機中、7月30日夜に暴風雨に見舞われ、壊滅状態になった。元軍主力は帰国することにしたが、鷹島周辺に置き去りにされた元軍の残兵は鎌倉幕府軍による掃討戦にさらされて全滅した。このときの戦闘の様子は有名な竹崎李長の『蒙古襲来絵詞』に描かれている。
捕虜となった3万人ほどは博多へ連行され、蒙古兵、高麗兵、女真兵は斬首され、旧南宋兵は助命されたあと、奴隷(下人)となった。
海底の元軍船を探すのに使われるのは、光でも慈破でも電波でもなく、音波なのだ。
 光波は水中で屈曲し、磁波や電波は生物への影響を考えて、容易に使用できない。
 音波は水温が8度Cだと1秒間に1438メートル伝わり、空気中より4倍以上の速さとなる。音波は空中より水中のほうが伝わる速度が速い。
ええっ、そ、そうでしたっけ・・・。
1回の潜水時間は、人体の安全管理からすると水深30メートルでは45分ほど。
そんな大変ななかで元軍の沈没船を2つも見つけ出したのですから、たいしたものです。
F35のような超高価(1機113億円)の欠陥戦闘機をアメリカから147機(1兆円以上)も買うより、このような調査研究にこそ私たちの税金を投入すべきだと痛感させられる本でもありました。
(2018年12月刊。1800円+税)

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2019年5月29日

ハンターキラー(上・下)

アメリカ・ロシア

(霧山昴)
著者 ジョージ・ウォーレス、ドン・キース 、 出版  ハヤカワ文庫

原子力潜水艦同士の息づまる戦いが詳細に描写されていて、頁をめくるのももどかしいほどです。上下2冊の文庫本です。それぞれ400頁をこす部厚さですが、車中で3日かけて読み通しました。こんな速さで読めたのも、ゴールデンウィークの途中にこの本を原作とする映画をみたからでもあります。潜水艦の構造などは、やはり映画をみないと視覚的イメージがつかめないのですが、話のディテール(詳細)は文庫本のほうがはるかに勝っています。
文庫本のほうは、株式取引という金もうけの話と連動した陰謀、そしてクーデターが進行していきますが、映画のほうは経済的な側面は全面カットされ、ひたすら原潜同士そして駆逐艦との戦いに焦点があてられています。
それにしても、ロシアで軍部がクーデターを起こし、アメリカとの全面戦争をのぞむという筋書きで話は進行していきますが、同じことはアメリカでだって、そして、わが日本でだって起こりうるのではないかと、私はひそかに恐れました。
そして、アメリカの原潜には女性兵士が乗り込んでいるのにも驚きました。いくら男女同権といっても、女性兵士は考えものです。しかも、潜水艦という狭い密室のなかに、大勢の若い男の兵士のなかに女性兵士が何人かいるって、あまりにも危険ではないのか・・・と、ついつい「余計な」心配をしてしまいました。
訳者あとがきは大変参考になりましたので、少し紹介します。
第二次世界大戦のころは、潜水艦は、「海にも潜れる水上艦」だった。エンジンや技術の制約上、潜航できる時間が短かったので、ここぞというとき以外は、水上を航行していた。それが、原子が潜水艦の登場によって状況は一変した。ほぼ無限の重力と電源、そして空気を得られたことで、乗組員の体力と食糧が尽きないかぎり、半永久的に潜航できるようになった。
探知されることなく、速力よりむしろ静かに潜航すること、つまり静粛性が緊要だ。このため、世界の海軍をもつ国は、潜水艦を重視し、静粛性を高めることと、敵の潜水艦を探知する技術を磨くことにしのぎを削っている。潜水艦には窓がなく、周囲の音だけを頼りに漆黒の暗闇を航行する。光の届かない、鋼鉄に囲われた狭い密閉空間で長時間生活することから、乗組員のストレスは大変なものがあるだろう。このため、潜水艦の乗組員には、高い能力もさることながら、高い協調性が求められる。誰でもなれるというものではない。
いやあ、閉所恐怖症の私なんかとても、いえ絶対に潜水艦で何ヶ月も生活するなんて、ご免蒙るしかありません。超近代的なはずの原子力潜水艦は、実は超古典的なしろものなのです。海中での潜水艦の働きもよく分かる本でした。
ロシアもアメリカも、そして日本だって軍部独走にならないよう、しっかりと国民が声を上げる必要があると実感させられました。
(2019年3月刊。900円+税)

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2019年5月30日

動物園から未来を変える

アメリカ・動物

(霧山昴)
著者 川端 裕人、本田 公夫、 出版  亜紀書房

アメリカはニューヨークのブロンクス動物園で働いている日本人がいるのですね。その本田さんを川端さんが取材して一冊の本になっています。
私も旭山動物園には二回行きましたが、なるほど行動展示というのはこういうものなのかと感動しました。自然の生態系に近い場所に動物たちがいて、それを間近で観察しているという実感をもてるのです。
ニューヨーク市内に4つの動物園と1つの水族館があるそうです。すごいですね。いったい東京には、いくつの動物園と水族館があるのでしょうか・・・。この5施設は、野生生物保全協会(WCS)が運営しています。
いま、動物園は絶滅危惧種を保全するセンターになっている。いわば種の方舟(はこぶね)だ。しかし、野生動物を飼育しながら繁殖させるのは、家畜の繁殖とは根本的に異なる。まず何より、その発想が違っている。遺伝的な多様性をできるかぎり維持するのが動物園。家畜はなるべくたくさん繁殖してくれたらいい。動物園の目標は、100年ないし10世代以上にわたって遺伝的多様性を90%より高く維持すること。
「アフリカの草原」では、ライオンとウシ科の草食動物ニャラが同じ平原で共存しているのかのように見える。しかし、実は、見えないところに濠があって、ライオンはそれを飛び越せないようになっている。
いま、アフリカで密漁しているグループは、ハイテクの赤外線カメラやGPSをもって、マシンガンで武装している。その背後には、国際的犯罪組織、マフィアとかテロ組織がいる。麻薬や武器を扱っている組織がアフリカの野生生物を喰いものにしている。
欧米では、ゴリラは群れ飼育されているので、繁殖は普通のこと。しかし、日本の動物園ではゴリラ飼育は残念な結末をやがて迎えようとしている。日本のゴリラ個体数の減少に歯止めをかけようとしたときには、時すでに遅し、だった。
うひゃあ、そうなんですか、残念ですね。なんとかなりませんでしょうか・・・。
子どもが小さいときには、私も近くの動物園によく行きました。私自身にも楽しいひとときでした。子どもが大きくなって動物園には縁が遠くなりました。今では孫と一緒に動物園に行くのを楽しみにしています。
最近の動物園の意欲的なさまざまな取り組みを知って、動物園にまた行きたくなりました。そう言えば、大牟田の動物園をテーマとした映画がつくられていますよね。武田鉄矢も登場しているようです。ぜひ、みんなでみにいきましょう。
(2019年3月刊。2000円+税)

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2019年5月31日

経済学者の勉強術

人間


(霧山昴)
著者  根井 雅弘 、 出版  人文書院

たくさん本を読み、たくさん書評を書いている人のようですが、申し訳ないことに、私はまったく知らない人でした。私もたくさんの本を読み(この30年間、年間500冊を下回ったことはありません)、たくさんの書評(この20年近く、1日1冊の書評も欠かしていません)を書いていますので、大いに共感するところがある本でした。
読書は、自分の好きな本を読めばよい。
時間は、30分でも1時間でもよいから、無理してでも作ったほうがよい。30分でも、毎日、継続的に読書に励めば、1年、5年、10年とたつうちに大きな力となるだろう。
30分でも、長年実践していると、新書1冊ぐらいは読めるようになる。私も電車のなかで、たいていの新書は30分で1冊読んでしまいます。専門書でも、30分で1章ほどは読めるようになる。継続が大事である。
私が著者に絶対かなわないのは、専門書のなかに英文も含まれているということです。私は法律書(もちろん日本文)なら、それなりに早く読めますが、英語もフランス語も、まるでダメです。
本は買って読む。自分の所有物なら、どこに線を引こうと書き込みをしようと自由である。
文章は理路の通ったものであるだけでなく、魅力ある生きた文章を書きたいもの。あまり平板な文章が続くと、読者がついていけない。
いやはや、本当にそのとおりなのです。その点も、私の永年の課題です。分かりやすく書けるようにはなったつもりなのですが、味わい深さがまだまだです。
書評は読んだ本の悪口は書かない。欠陥の多い本なら取りあげなければいいだけのこと。本当にそのとおりです。私は読んだ本の7割を書評として紹介するようにしています。それも、なるべく本の内容を紹介するのを主体としています。忙しい読者に、ほら、こんな内容なんですよ。もっと読みたくなったでしょ。ぜひ、手にとって、あなたも読んでごらんなさい。そう呼びかけています。
「私が」とか「我々は」、「彼らは」といった主語は、日本語の文章では省略されるもの。ただし、学術雑誌は違う。英文では、必ず主語が必要だ。
自分の稼いだお金で本を買い続けることが大切だ。自分の蔵書が少しずつ確実に増えていくことは「知的生活」のために必須だ。
私もこれを永らく実践してきましたが、70歳になって、一大決心し、蔵書の2割を捨てて、本箱は背表紙が見える状態に整えることにしました。この10連休に、かなり達成しました。すると、今までの読書遍歴をたどることも出来て、なんとなく豊かな気分に浸ることができました。
(2019年1月刊。1800円+税)

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