弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年11月 1日

縄文美術館

日本史(古代)

(霧山昴)
著者 小川 忠博、小野 正文、堤 隆 、 出版  平凡社

縄文文化をしっかり見届けることのできる見事な写真集です。いま東京で縄文美術が展示されているようですが、なかなか行けません。仕方なく、この本を手にとって眺めることにしました。写真とあわせて解説も行き届いていて、とても分かりやすい本です。
フリーカメラマンの小川忠博氏は、35年ほども縄文時代の遺物を撮り続けてきたといいます。その圧倒的蓄積が、この写真集に見事に結実しています。
縄文時代とは、1万6千年前から3千年前までの1万3千年間をさす。
縄文人は、男性が身長160センチ弱、女性は150センチ弱。顔は短く、鼻は高く、目は大きく、唇は厚く、そして、耳垢は湿っていた。
平均寿命は40歳くらい。夫婦と子どもたちから成る家族が4件くらい集まって集落をつくっていた。
狩猟では弓矢を使い、犬を一緒にシカとイノシシを狩っていた。
縄文時代が1万3千年のあいだ続いたとして、はじめは数万人だった人口が、中頃には20万人以上にふくれあがったとみられている。
縄文人は、子宝、安産、豊穣、鎮魂など、日常の祈りをこめて土偶をつくっていた。土偶のなかには仮面をつけていたと思われるものもあります。土偶のなかには、有名な遮光器土偶、つまりまるで宇宙服を着ているとしか思えない顔のものもあります。小さな乳房、子を宿したお腹、豊艶を超越した大いなるお尻をもつビーナスには、ただただ圧倒されます。見事な身体曲線差です。
さすがに縄文人の着ていたものは、そのままでは残っていません。でも、編みカゴが現物そのままに残っています。なかにクルミが入っていたカゴです。ヒノキ科の針葉樹の樹皮を見事に編んでつくられています。
小さな石に丸い穴を開ける工法が紹介されています。もちろん鉄はありません。そして硬い石器を使うのでもなく、細い竹や鳥骨にヤスリの役割をする硬砂をつけながら回転させて揉み切りして貫通させるのです。大変な忍耐のいる作業だったことでしょう。 そんなペンダントの原材料になる原石が土器に入って見つかっています。
青森にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡に行ってきました。縄文文化に触れて日本の文化を考えてみました。
手にとって一見する価値が多いにある写真集です。
(2018年7月刊。3000円+税)

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2018年11月 2日

スペイン内戦(1936~39)と現在

スペイン


(霧山昴)
著者 川成 洋 ・ 渡辺 雅哉 ほか 、 出版  ぱる出版

スペイン内戦というと、スターリンの責任は重大だと思います。当時、スターリンはソ連国内で大量の粛清をすすめていましたが、スペインでも自分の都合のよいほうに引きまわしたのです。その手先になって踊らされた人々もソ連に戻ったら次々に粛清されていったのでした。
スペイン内戦では、アメリカから渡った日系人(ジャック白井)の活躍も忘れることは出来ません。この本では、ほかにもアナーキストの日本人が2人スペインに渡ったという説も紹介されていますが、当時の日本ではありえないと否定されています。
 スペイン内戦について、さまざまな角度から、大勢の人が語り、分析し、紹介している大作です。なにしろ783頁もあるのですから、一度では読み切れず、日曜日ごとに読んで1ヶ月以上も読了するのにかかってしまいました。
国際旅団の活躍も詳しく紹介されています。
国際旅団の義勇兵は世界各地から、50ヶ国から、続々とスペインに入国し、共和国の戦列で戦った。その合計は4万人。このほか、教育・医療・プロパガンダなどに従事する非戦闘員2万人がいた。彼らは、1938年11月の国際旅団の解散まで、激烈な戦場で戦った。
それから、80年がたっているのですね・・・。この本はスペイン内戦の勃発(1938年)から80周年を記念して出版されました。
ピカソの絵「ゲルニカ」で有名なゲルニカはバスク地方にあります。
1937年4月26日午後4時半ころから3時間、ドイツのコンドル兵団を中心にイタリア軍の飛行機も参加し、人口7000人のバスクの町ゲルニカが爆撃された。爆弾と焼夷弾が投下され、中心街の300家屋の建物の71%が破壊された。
この爆撃はドイツ空軍を試す機会だったと、ヘルマン・ゲンリングはニュールンベルグ法廷で証言した。
スペインの内戦に勝利したフランコ独裁政権は、スペイン国民をサッカーと闘牛に熱狂させ、政治に目をさせない、できる限り教育を受けさせず、政府批判の能力を持たせない、そして、外国人観光客による収入に満足し、どこの地方でも「スペイン料理」としてパエリヤをつくることを受け入れさせることにした・・・。
フランコ独裁政権は、戦後の配給制度によって与えられていた。
スペイン内戦において、早い段階からフランコ軍を支援し続けたのは、ヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニのファシスト・イタリアだった。国際旅団のなかでは指導権を握ろうとするソ連への反発も強く、一枚岩ではなかった。ジョージ・オーウェルも国際旅団の民兵組織には加わっていない。
2007年12月、スペイン歴史記憶法が成立した。これはスペイン内戦やフランコ独裁体制時に、政治的・思想的な理由により迫害された人々に対して、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復する権利を承認した。
こんな法律までつくったのですね、えらいですよね。
ジャック白井は1900年ごろ北海道の函館に生まれ、1929年にアメリカ・ニューヨークにたどり着いた。それまでは外国航路の船員(おそらくコック)だった。そして、最前線で銃をもって戦っていたが、1937年7月11日、敵の機関銃弾によって戦死した。
ジャック白井への追悼詩は、次のように書いている(ほんの一部です)。
同志白井は斃れた
彼を知らない者がいただろうか
あのおかしなべらんめい英語
あの微笑の瞳
あの勇敢な心
エイブラハム・リンカン大隊の戦友は彼を兄弟のように愛していた。
函館生まれのジャック白井
日本の大地の息子
故郷で食うことができず
アメリカに渡り
サンフランシスコでコックとなった
彼の腕は町の食通の連中の舌を満足させた・・・
(2018年6月刊。5800円+税)

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2018年11月 3日

書物と権力

日本史(中世)

(霧山昴)
著者 前田 雅之 、 出版  吉川弘文館

この本のオビには、書店も、取次も、図書館もない時代に、人々は何のため、どのようにして本を手に入れたのか・・・、と書かれています。
中世の人々にとって、本を読むというのは黙読ではなく、音読だったのですよね。そして、印刷というのがありませんので、すべて手で書き写していたのです。大変でした・・・。
私は、この本の訴えたいところより、『源氏物語』についての解説が目にとまりましたので、紹介します。
『源氏物語』の少女(おとめ)巻には、次のような場面がある。ことは、光源氏の息子である夕霧の教育方針をめぐって、光源氏と、その義母であり、夕霧にとって祖母となる三条大宮との対立。三条大宮は、上流貴族の子弟である夕霧を光源氏がどうして中下流貴族の子弟が入る大学寮という学校に入れたがるのか、分からない。光源氏は、不満たらたらの三条大宮に対して次のように説得した。
自分は、ちゃんとした教育を受けていないから、幅広い教養がないために、漢学を学ぶのも、管弦の調べを習うにも、不十分な点が多かった。私が子にはちゃんとした教育を受けさせ、・・・、我が子だけが取り残されないようにしたい・・・。そして、次のように言った。
なほ、才(ざえ)をもとにしてこそ、大和魂の世に用いらるる方も強うはべらめ
「才」とは、才能ではなく、漢学などの、教育手段によって後天的に学ばされる教養知のこと。「大和魂」とは、今はやりの民族的精神なんかではなく、「才」の対極にある経験や体験によって身につけることができる実践知の意味。
生き馬の目を抜く、冷酷非情な貴族社会に生きる人間にとって最後の砦となるのは、どちらかといえば、役に立たない、学問・教養としての「才」なのだ。そして、ついに、光源氏の主張が通って、夕霧は大学寮に入った。
なぜ、『源氏物語』の作者の紫式部がこのような認識をもつに至ったかは不明。しかし、紫式部が仕えていた藤原道長の知性のなさと卓越した実力が関係しているのではないか。
道長の日記は、極度に語順がデタラメな記録文になっていることから分かる「才」の欠如。そうは言っても、道長も和歌は詠(よ)んでいたし、漢詩をつくる能力もあった。
上流貴族の子弟は大学に入ることはなく、家庭で教育を受けていた。そして、大学が火災で焼失してから中世以降、大学寮は存在していなかった。
貴族社会における教育の伝播というものを考えさせられましたし、道長に知性がなかったというのが、私にとっては真新しい知見でした。
(2018年9月刊。1700円+税)

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2018年11月 4日

おじいちゃんのノート

社会

(霧山昴)
著者 中村 輝雄 、 出版  セブン&アイ出版

開くと真っ平になるノートが付録として付いている本です。いわば奇跡のノートですよね、これって・・・。
「このノートは、書きやすくコピーやスキャンも影が出ない、画期的な水平開き製本の新時代ノートです。左右ページ単独に、または両面をワイドに使用!テーマに合わせて使い方いろいろです」
なるほど、どのページもたしかに水平開きになるノートです。
そこで、問題は、誰が、どうやってこんなノートを開発したのか、です。
誰が・・・。零細そのものの「中村印刷所」という会社です。80歳になる製本職人と70歳の社長の二人して2年がかりで完成させたのです。すごい執念です。2012年に始めて、2014年に完成しました。
どうやって・・・、というと、製本職人と社長が二人で、試行錯誤を繰り返したということに尽きるようです。でも、零細な町工場が画期的なノートをつくったからといって、一挙に市場で注目され、売れるものではありません。
そこに、SNS(ここではツィッター)が登場します。
「うちのおじいちゃん、ノートの特許をとってた・・・。宣伝費用がないからできないみたい。どのページを開いても見開き1ページになる方眼ノートです」
このツィッターがたちまち拡散して、半日たたずに2万件をこえた。やがて、10万をこえるアクセスがあり、テレビ局や週刊誌から取材したいと電話がかかってきた。
在庫はたちまちなくなり、引き戸を閉め、カーテンを引いて、部屋の電気も消して居留守を使った・・・。
いきなり、大騒動になったのです。ツィッターの威力って、すごいんですね、見直しました。
すでに10万冊以上の水平開きノートが販売されたそうです。おめでとうございます。
きっかけは、印刷所が不景気になって、仕事がなくなったことにあります。そこで、なんとか売れる商品をつくろうとがんばって世に送り出したのが、水平開きノートだったのです。
「ノドが膨らまないノート」です。ノドとは、見開いた本の真ん中、ページを閉じた部分のこと。水平開きノート開発のカギは、接着剤にある。
いやあ、いい話ですね。苦労が報われる社会というのはいいものですよね。
(2016年8月刊。1500円+税)

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2018年11月 5日

死に山

ロシア

(霧山昴)
著者 ドニー・アイカー 、 出版  河出書房新社

今から50年以上も前、ロシアの冬山で大学生のグループが遭難し、9人全員が死亡しました。全員が長距離スキーや登山の経験がある大学生とOBたちですし、冬山の装備も当時としては十分でした。
ところが、9人の遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれ別の場所で、氷点下の季節だというのに、ろくに服も着ておらず、全員が靴を履いていなかった。
9人のうち6人は低体温症が死因で、残る3人は頭蓋骨骨折などの重い外傷で亡くなった。女性の1人の遺体には、舌がなかった。さらに、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出された。
いったいなぜ、9人もの若者が、このような異常な状況で死ななければならなかったのか・・・。
アメリカのドキュメンタリー映画作家が50年も前の遭難事故の謎を解くため、現地に出かけるのです。スターリンが死んで、ソ連に少し雪どけが始まっていて、大学生たちは野外活動に熱をあげていた時代に起きた事件です。
大学生たちはカメラをもって、ずっと冬山登山の状況を記録していましたし、そのカメラは回収されていますので、大学生たちのはしゃいでいる様子も写真で紹介されています。
現地の人に襲われたとか、雪崩にあったとか、いろんな説があったようですが、ついに真相が明らかになります。
ネタバレをするのは本意ではありませんが、推理小説ではないので、お許しください。要するに、山の恐ろしさを知り、また、お伝えしたいということです。詳しくは、ぜひ、この本を手にとって、お読みください。結末を知っても、それに至る過程は読みごたえがあります。
要するに、山で発生したカルマン渦列と、それにともなう超低周波音が原因なのです。
強風が丸みを帯びた大きな障害物にぶつかったときに危険な竜巻が発生する。それがカルマン渦列で、そのなかの渦が超低周波音を生み出す。
みんなでテントに入っていると、風音が強くなってくるのに気がつく。そのうち、南のほうから地面の振動が伝わってくる。風の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえる。地面の振動が伝わり、テントも振動しはじめる。
今度は北から、貨物列車のような轟音が通り抜けていく。より強力な渦が近づいてくるにつれて、その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり、と同時に超低周波音が発生するため、自分の胸腔も振動しはじめる。超低周波音の影響で、パニックや恐怖、呼吸困難を感じるようになる。生命体の共振周波数の波が生成されるからだ・・・。
9人は、これ以上ないほど最悪の場所にテントを張ってしまった。本当に耐えがたい恐ろしい状況に置かれた。超低周波音の影響により一時的に理性的な思考能力が奪われ、原始的な逃避反応という本能に支配された。いまはただ、この強烈な不快感を止めたい、逃げだしたい、それだけだった。テントから脱出せずにはいられなかった。どんな犠牲を払ってでも逃げろ、逃げろ、逃げろ、いまはそれしか考えられない。
ろくに服を着ておらず、足には靴下を履いているだけ。わが身に取りついた苦痛から逃れたい一心でテントから脱出したが、外の気温はマイナス30度。そこには別の苦痛が待っていた。
冬の竜巻は、時速60キロの速さで横を駆け抜けていく。周囲は漆黒の闇。テントに戻ることもかなわない。低体温症で身体が思うように動かなくなる・・・。
冬山の恐ろしさを明らかにした貴重な本でもあると思いました。
朝から読みはじめると、次の展開が知りたくて片時も目が離せず、午後、ようやく恐ろしい結末を知り、大自然の驚異を実感しました。9人の大学生たちの冥福を祈るばかりです。冬山に登る趣味がなくても、大自然の驚異を実感させる本として一読の価値があります。
(2018年11月刊。2350円+税)

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2018年11月 6日

家庭裁判所物語

司法


(霧山昴)
著者 清水 聡 、 出版  日本評論社

敗戦後まもなくの日本で家庭裁判所がつくられスタートしていく日々を温かいタッチで描いていて、読むと心も温まります。
宇田川潤四郎、内藤頼博、三淵嘉子らは、家庭裁判所第一世代の裁判官たちだった。それぞれの理想とする司法の姿を胸に、人も物も足りないなか道を切り拓いて、家裁をつくりあげた。第二世代は、初代の苦労を間近で見て、家庭裁判所の理想主義の空気を胸一杯に吸い込んで成長していった。
そのスローガン(標語)は、「家庭に光を、少年に愛を」だった。
「家裁の5性格」とは何か・・・。
家庭裁判所は独立的、民主的、科学的、教育的、社会的性格を具有している。
ところが、これに対して裁判官は裁判をするのが仕事であって、裁判所は教育機関、福祉機関ではない。このような反発があった。
少年部の調査官を当初は「少年保護司」と呼んでいたことを初めて知りました。
戦後まもなくは、戦災孤児が浮浪児になっていることが大きな社会問題になった。
昭和24年(1949年)には少年による刑法犯の検挙者が11万人をこえた。このうち8万人の罪名は窃盗だった。このころ、少年院に収容されている少年は3千人に満たなかった。そのうえ、逮捕・収容しても半数以上が逃走していた。
家庭裁判所といっても、庁舎がない、電話もない。車どころか自転車もない。参考書もない。鑑定してもらっても謝礼金を支払うお金がない・・・。まことに大変な状況だった。
家裁調査官研究所の所長に内藤頼博が就任すると、講師は「一流」ではなく、「日本一」だった。たしかに、そうです。
憲法は宮沢俊義と佐藤功、刑法は平野龍一、法社会学が川島武宜、社会保障論が大内兵衛。そして、歌舞伎役者の尾上梅幸、演出家の千田是也、など・・・。
圧倒される豪華な顔ぶれです。
そして、この家裁調査官研修所には一人も裁判官を配属しなかったというのです。信じられません。単なる教師と生徒の関係になってはいけないという考え方からでした。すごい発想です。
いま、一般民事事件が増えず、横バイか減少しているなかで、家事事件だけは急増しています。これは、私の実感でもあります。
人間関係がドライになったというのか、なんでも金銭的評価が優先するおかしな風潮が蔓延しているのに、私個人としては心が痛みます。だけれど、その反面、弁護士として仕事を真面目にやれば食べていける状況でもあります。家庭裁判所の役割は、これからはこれまで以上に大きくなると思います。
(2018年9月刊。1800円+税)

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2018年11月 7日

刀の明治維新

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  吉川弘文館

刀というと武士の特権として、武士だけが腰に差していたというイメージがあります。
しかし、江戸時代は、百姓も町人も刀を腰に差していたのです。ええっ、そんなバカな・・・。
でも、旅する男たちを描いた絵には、たしかに腰に刀を差しています。百姓も町人も、旅には脇差という短い刀を帯びた。なあんだ、百姓・町人が差していたのは短い刀(脇差)だけだったんじゃないか・・・。そう思うのは早トチリなんです。
たとえば、伊勢神宮への参拝を案内する御師(おんし)は、身分は百姓なのに、腰には大小の二本の刀を差していた。また、旅籠(はたご)を営む百姓が腰に大小二本の刀をさしている絵もあります。
刀を差している(帯刀)者が武士とは限らないのです。江戸時代には、「帯刀」した姿で歩く、武士以外の人間がかなり存在していたのでした。
当時の絵が紹介されていますから、これは疑うわけにはいきません。
江戸時代、刀と脇差の組み合わせを「大小」と呼び、この二本を腰に帯びることを「帯刀」と呼んだ。そして、この「帯刀」の歴史は、実は、それほど古くなかった。それは、戦国時代の末期以降の風俗であった。
中世の合戦は、馬に乗り、弓矢を主体としていた。太刀と腰刀を2本セットとみて特別視し、それを武士の代名詞とする文化は、中世には存在しなかった。
刀と脇差を一緒の帯に差し込む風俗は、戦国時代に、雑兵や下級の武士たちから発生したものと考えられる。
江戸幕府は、刀を差すことはもちろん、刀剣の所持も禁じず、刀・脇差の没収もしなかった。江戸という都市部において、刀は、武士と町人とを外見で決めて区別するための身分標識ともなっていた。
江戸時代の後期になると、幕府は長脇差をよばれるものだけは、強い態度で禁止した。
百姓・町人は、脇差を帯びていた。当初は常に差していたが、やがて吉凶と旅行などの際に限るようになった。したがって、江戸時代の民衆が「丸腰」だったというのは、近現代につくられた「まったくの虚像」である。
神職は帯刀していた。江戸時代は神事の際は帯刀することになっていた。
19世紀になると、御用町人への帯刀許可の増加によって、大小を帯びた町人が、再び江戸を闊歩(かっぽ)する状況が生じた。
刀と武士、そして町人と百姓との関わりが深く分析されています。大変楽しく読み通しました。知らないことって、本当に多いですよね。
(2018年8月刊。1800円+税)

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2018年11月 8日

フォッサマグナ

地球

(霧山昴)
著者 藤岡 換太郎 、 出版  講談社ブルーバックス新書

フォッサマグナって、地理の教科書に載っていましたので、今はどんなものなのか、すべて判明していると思って手にとって読んでみました。すると、驚くべきことに、今も謎に包まれていて、よく分かっていないというのです。
この本を読んで、門外漢の私がしっかり認識できたことは、地球は生きていて、絶えず流動していること、そして日本列島も移動しているということです。
ですから、日本列島のあちこちで大地震が起きるのも自然の摂理なんですよね。そんな日本に原子力発電所(原発)をつくるなんて、土台まちがっています。
九州にしても、いずれ大分の別府と島原あたりを結んだ線で2分されると言われています。まあ、明日おきる話ではありませんので、今を生きる私たちが心配するようなことではありませんが・・・。
それにしても、南海トラフの大地震予想というのは、近いうちに間違いなく起きることなのでしょう。そのとき、原発や新幹線は本当に大丈夫なのでしょうか。また、全国各地、いたるところにタワーマンションをぼこぼこ建てて、見晴らしの良さにうけにいってる住民の皆さんの生活は大丈夫なのでしょうか。私は本当に心配です。
フォッサマグナとは、本州の中央部の火山が南北に並んで、本州を横断している細長い地帯のことを言う。この東西では、地層や岩石などの地質がまったく異なっている。フォッサマグナ地域の東西では、1億年から3億年前の古い岩石が分布しているのに対して、フォッサマグナ地裁の内部は2000万年前以降の珍しい岩石でできている。
フォッサマグナは地下6千メートル以上の溝であることが判明しているが、実は、どれくらい深いのかは、まだ分かっていない。したがって、日本アルプスの3千メートル級の山の頂上との落差は1万メートルもある。
フォッサマグナがなぜ出来たのかは、いろいろな説があるものの、定説はなく、謎に包まれている。その論争の一つは、そもそも日本の本州は、最初から一つの島弧だったのが、二つの島弧が合体したものなのかという未決着の議論につながっている。
今から40年ほど前、ウェゲナーの大陸移動説というものが提唱されたとき、冷笑する学者が多かったように覚えています。あんな重たい大陸が動くはずがないという考えで、これは地球が動くなんて間違いだというのと似た考えです。
ところが、その後、プレートテクトニクス理論なるものが出てきて、地球内部のある高温高熱のマグマが地表へ噴き出してくるので、大陸も海も動いているという学説でした。これが今ではすっかり定着しています。
それにしても、明治の初めにドイツからやってきたナウマン博士がわずか10年ほどの滞日期間中にフォッサマグナを発見し、あわせて日本列島の地質図を完成させたというのは、大変な偉業だと改めて思いました。生きている地球に無事に住んでいるって、つくづくありがたいことなんですね・・・。
(2018年9月刊。1000円+税)

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2018年11月10日

ソウルフード探訪

人間

(霧山昴)
著者  中川明紀 、 出版  平凡社

 東京では、諸外国のソウルフード(魂食)が食べられるんですね。
現在、日本には255万人もの在留外国人がいる。これからもっともっと増えることでしょう。安倍首相のように「美しい国・日本」とか「日本古来の伝統を守れ」なんて言っていると、それはヘイト・スピーチにつながり、嫌韓・嫌中そして排外主義に結びつきます。テニスの大坂なおみさんの活躍は目を見張るものがありましたが、それまで少なくない日本人がハーフだとか言って、日本人だとは認めてこなかったようにも思いますが、いかがでしょうか・・・。でも、日本に住む人は昔から決して単一民族ではなかったのですから、認識を改めるべきなのです。
最新の新聞(2018年9月25日の日経)によると、東京に住む外国人は54万人近くで、この5年間に4割も増えた。一番多い新宿区には4万2千人もの外国人がいる。大久保1丁目の住民の半分は外国人。東京都下で外国人の住民がいないのは、八丈島の隣の青ヶ島村だけ。江戸川区の西葛西あたりにはインド人が4千人近く居住しているし、新宿区の高田馬場あたりにはミャンマー人が2千人をこえる。北区の東十条にはバングラデシュ人が1千人をこえ、横田基地のある福生市にはベトナム人が9百人近く住んでいる。葛飾区にはエチオピア人が70人以上いる。
となると、東京都内にそれぞれのお国自慢の料理があって、何も不思議ではありません。著者は、その一つ一つを食べ歩きます。楽しいソウルフード探訪記です。
それにしても、南米原産の唐辛子が、はるか遠いブータンの人々の料理に欠かせないものだなんて、驚かされます。唐辛子は韓国料理とばかり思っていました。ピラフはフランス語だそうです。そして、そのルーツはトルコ料理のピラウにあるとか。
今、日本には2300人ものヴズベキスタン人がいるそうです。ロシア料理の定番のボルシチは、実はウクライナ料理。ウクライナ語でボルシチは草を意味し、転じて薬草の煮汁を表しているとのこと。
著者が東京で食べた異国のソウルフードは60ヶ国にのぼるそうです。胃腸が相当丈夫でないとやっていけませんね、きっと・・・。
(2018年5月刊。1600円+税)

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2018年11月11日

「資本論」

社会

(霧山昴)
著者 マルクス 、 出版  講談社

講談社が、まんが学術文庫なるものを創刊したのですね、知りませんでした。
マルクス『資本論』には、少なくとも3度は挑戦しています。学生時代に1度、弁護士になってから1度。それぞれ分からないながらも、なんとか読み通したつもりです。そして、もう1回、時期は忘れましたが、挑戦したように思います。
『資本論』は、部分的には分かるところもありましたが、全体としての経済理論は、ついによく理解できないままでした。大学1年のときには、有名なサムエルソンの『経済学』も読みましたが、こちらも、さっぱり訳が分かりませんでした。要するに、この人は何が言いたいんだろうか・・・、そんな疑問が私をとらえて離しませんでした。経済学って難しいというか、まるでピンと来ませんでした。それより、法理論のほうが、よほど私の性分にもあい、理解できました。
そこでマンガで『資本論』を語ると、どんな展開になるのか・・・。ストーリーがあります。『資本論』の記述の説明マンガではありません。
19世紀イギリスの現実社会のなかでもがく若者たちが、パン屋から起業してスーパーを展開し、土地を所有して地代を稼ぐ地主階級を没落させていくというストーリーです。なかでは労働者階級の悲惨な状況も描かれていて、なかなか読ませ、考えさせる展開になっています。
ははーん、こうやって労働者を搾取する支配階級がつくられていくんだな・・・。マンガですから、当然、視覚的な分かりやすい展開です。
しっかり『資本論』を勉強した気分になるのは、さすがです。
(2018年4月刊。680円+税)

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2018年11月 9日

戦国大名と分国法

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 清水 克行 、 出版  岩波新書

戦国時代の大名が領民支配のために法律(分国法)をつくっていたというのは知っていましたが、この本を読んで、その内容と法律の限界を知ることができました。
限界のほうを先に紹介します。
毛利元就(もとなり)にとって、法度(はっと)を定めてこそ、一人前の戦国大名だという認識があった。しかし、これは、当時の多数派ではなかった。裁判よりも戦争、これが大多数の戦国大名が最終的に選んだ結論だった。
詳細な分国法を定め、領国内に緻密な法制度を整えた大名に限って、早々に滅んでいった。当主の臨機応変なリーダーシップや超越したカリスマ性が求められた時代には、その分国法は、ときとして、政治・軍事判断の足かせともなった。
粗野で、野蛮なもののほうが新時代を切り拓いていった。とはいっても、分国法が成立したということは、それ以前の社会がつくり出した法慣習を成文法の世界に初めて取り込んだという点で、それ以前とは法の歴史を画する一大事件であることを忘れてはいけない。
次に、分国法の内容をみてみましょう。
私が驚いたのは、武田晴信の「甲州法度」のなかに、債務者の自己破産による混乱を整理することを目的として、債権者が債務者の財産を差し押さえるときの手続きまで定められているということです。ちっとも知りませんでした。債務者の自己破産が深刻な問題になっていたようだと書いてあるのには、びっくり仰天です。
「六角氏式目」には、当時、当たり前のように行われていた自力救済を規制すべく、訴訟手続き法を詳細に定めていた。それには、「訴訟銭」として1貫200文を訴状に添えて奉行所に提出することになっていた。勝訴したら、1貫文は戻ってくるが、敗訴したときには1貫文は戻ってこない。200文は、奉行人の手当となる。
日本人は、昔から裁判が大好きだったんですよね。ですから、自力救済ではなく、裁判を利用するように分国法を制定したわけです。
大変面白く、機中で一気読みしました。
(2018年7月刊。820円+税)

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2018年11月12日

蜂と蟻に刺されてみた

生物

(霧山昴)
著者 ジャスティン・O・シュミット 、 出版  白揚社

ハチとアリに刺されると、どれくらい痛いのか、その痛さに等級をつけてみた。自分の身体を提供してのこと。いやはや、とんだ商売ですね、学者って・・・。
等級はレベル1からレベル4までの4段階。セイヨウミツバチに1回刺されたときの痛みの強さをレベル2とし、これを評価の基準とする。ミツバチは世界中にいて、ミツバチに刺された人は多いので、評価の基準にしやすい。
ミツバチに鼻や唇を刺されると、本当に痛い。しかも、唇を刺されると、必ず腫れあがる。
ミツバチの毒液は、昆虫の毒液のなかで最高レベルの殺傷力をもっているうえ、分泌される量も多い。コロニーとしての殺傷能力は非常に高く、全体を集めたら、10人あまりの人間の生命を脅かすのに十分だ。
ゾウを追い払うため、アフリカでは畑の周囲にミツバチの巣をかけておく。ミツバチは、ゾウの弱点である眼と胴の腹側を狙って刺針攻撃をしかける。ゾウはたまらず逃げ出し、もう近づいてはこない。
ミツバチはNASAの実験で1982年と1984年の2回、宇宙を旅行している。無重力の環境下でもミツバチは六角柱の並んだ正常な巣をつくった。無重力空間でも、方向や位置をミツバチが間違えることはなかった。
アマゾン川の流域では、アリに刺されて、その痛みを我慢できるのか成人になる通過儀式となっているところがあるそうです。男の子のほうが強い痛みに耐えなければいけませんが、女の子には少しレベルを落として痛みをガマンすることが求められるといいます。いやはや・・・。
日本にもヒアリが侵入しようとしていますが、北米ではヒアリが相当侵食しているようです。
ヒアリ退治のつもりで空から有毒な殺虫剤を大量にまいたところ、逆効果だったそうです。ヒアリ以外のアリが殺虫剤でやられてしまい、肝心なヒアリは生きのび、かえって競争相手のいなくなった草原に展開していった。
ヒアリを殺すには、10リットルの湯を沸かして、蟻塚の真ん中に熱湯をゆっくり流し込む。これで、幼虫だけでなく、女王までも殺すことができる。
庭仕事をしていると、ときに痛い目にあいます。ダニかなと思っていましたが、この本を読んで、ひょっとしてアリだったかもしれないと思い、はっとしました。
ハチとアリと人間の生活との関わりを考えた、とてもユニークな生物の本です。でも、まねして刺されてみようなんては、ちっとも思いませんでした。
(2018年7月刊。2500円+税)

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2018年11月13日

憲法が生きる市民社会へ

社会

(霧山昴)
著者 内田 樹 ・ 石川 康宏 ・ 冨田 宏治 、 出版  日本機関紙出版センター

いまの日本社会をどう考えたらよいのか、アベ流改憲の恐ろしさの本質はどこにあるのか、深く思い至ることのできるブックレットでした。80頁あまりの薄さで、値段も800円です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
カナダはGDPが日本の3分の1、兵力で日本の4分の1だけど、国際社会から敬意と共感を得ている点は、日本を圧倒している。
まことに、そのとおりです。日本なんて、アメリカの属国だと国際社会ではみられていると思います。日本国内のいたるところにアメリカ軍の基地があり、治外法権みたいな状況で、莫大なお金を貢いでいる残念な現実がそれを裏付けています。
自民党には、今では1800万票しか票が入らない。投票所に足を運ばない人が2000万人もいる。
どうせ選挙に行ってもムダだ、変わらないと考えている人が自民党政権を支えているわけです。
いまの日本の政治が劣化した最大の原因は「語るべきビジョンがない」ことにある。アベ首相たちが語る「戦前回帰」、軍事力信仰、そして「日本はすごい」キャンペーンは、日本の未来に見るべき希望がなくなった人たちが過去の栄光を妄想的につくり出して、それを崇拝するという、苦しまぎれのソリューションだ。つまり、未来に何も期待できないので、妄想的に「美しい過去」を脳のなかで構成して、そこに回帰しようとしている。彼らは、20年後、30年後の日本について語ることが出来ない。
そうなんですよね、戦前の日本は良かっただなんて、とんでもないことです。
いまの天皇が護憲派であることはアベ首相もよく分かっている。なので、天皇の退位宣言以降、天皇に対する激しい嫌がらせをしている。アベ首相が集めた「有識者」会議には、天皇を平然と罵倒する人物もいた。「天皇は黙って祈っていればいいんだ」と彼らは言う。天皇崇敬の念は彼らに感じられない。現実の天皇が何を考え、何を願っているか、なんて彼らは何の興味もない。
でも、私たちは希望を捨てることなく、新しい日本の姿を展望しつつ、一歩一歩たしかに前進していきたいものです。沖縄の県知事選挙、那覇市長選挙の勝利は、それが可能だということを証明しているのですから・・・。
(2018年5月刊。800円+税)

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2018年11月14日

誰のために法は生まれた

司法


(霧山昴)
著者 木庭 顕 、 出版  朝日出版社

ローマ法を専門とする東大名誉教授が桐蔭学園の中学・高校生30人と語りあったゼミ形式の授業の記録です。
午前中に映画をみて、午後から教授の問いかけに生徒たちが答えていくようにして進んでいくのですが、その問答の奥深さには思わずのけぞりそうになります。
まず映画がすごいです。溝口健二監督の『近松物語』は1954年制作です。役者は長谷川一夫と香川京子ですから、まさしく美男美女。この二人は最後のシーンでは市中引き回しのうえ処刑されるわけですが、それに至る過程を丹念に拾って議論していく様子は、心が震えます。私が高校生だったら、とてもついていけなかったでしょう。
最後の市中引きまわしのときの晴れ晴れとした香川京子の笑顔は衝撃的ですが、その解釈が見事なのです。
江戸時代、姦通したら死刑にするというルールがあった。ましてや主人の妻と奉公人の男性の姦通なら、即死罪だったでしょう。そこで、法とはいったい何なのかが問われるのです。
名誉教授は、法は追い詰められた人のためにあると言います。
グルになった集団に抵抗するために法はある。こういう集団を完璧に解体するためにある。こう言われても、私には、よく分かりませんでした。ぴんと来ないのです。
法学部にいくと、第一にものすごい眠気が起きる。次に言いようのない虚(むな)しさが漂う。この点は、私も司法試験の受験勉強をはじめる前は、たしかにそうでした。しかし、目的のための手段だと割り切れば、それなりのものではありました。論理的思考力が身につきましたからね。
次の映画は1948年のイタリア映画『自転車泥棒』です。昔、私も一度だけは観たような気がします。この映画を素材として議論が展開します。それが、すごいんです。
そこでは、泥棒の何がいけないのかも問われます。だって、メシが食えない状況に置かれているのです。そして、男の子と父親の関係も微妙です。自転車を盗まれて仕事ができなくなり、切羽詰まった父親が息子に知られないようにして他人の自転車を泥棒して、見つかってしまう。あやうく群衆にリンチにされそうになったときに息子が出てきて助かるのですが、その意義はどこにあるのか・・・。
さらにギリシア悲劇を素材にしたあと、最高裁の昭和40年判決まで議論の対象となります。名誉教授の博識とすご腕には圧倒されました。といっても、私より年下だというのが、悔しい事実でもあります。
いやはや、とんでもない授業でした。もちろん、そんなハイレベルの授業に脱帽という意味です。もっとも、この授業に参加した生徒たちが法学を勉強してみようと思うようになったのか、私にはやや疑問なしとしませんでしたが・・・。
(2018年8月刊。1850円+税)

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2018年11月15日

財は友なり

社会

(霧山昴)
著者 髙岡 正美 、 出版  浪速社

現代日本では残念なことに労働組合というものの存在がほとんど見えない状況です。過労死・過労自殺そしてブラック企業の横行、さらにはパワハラ・セクハラが止まない職場・・・。いったい、労働基準法・労働組合法はどこにいってしまったんだろうかと心配します。
この本を読むと、労働組合は労働者の生活と権利のために欠かせないものなんだということを改めて教えてくれます。そして、労働者の生活を守るためには、労働組合が会社経営に関与することもあるし、労働組合の幹部が会社の取締役になることだってあるのだと著者は力説するのです。
これは単純な労使協調路線ではありません。資本に労組のダラ幹が抱き込まれ、懐柔されるとは少しばかり違うのです。だって、目の前には工場閉鎖・企業倒産が迫ってくるときの話なのですから・・・。
もちろん、お金をもらえるだけもらって、そんな会社とは見切りをつけてさっさと辞めてしまうほうがいい場合もあるでしょう。でも、他に職を探すのも容易ではありませんし、少しでも会社再建の可能性があるなら、それに賭けてみようという気にもなりますよね。
この本のなかでは、著者が関わったものとして、無責任な旧経営陣を退陣させて、労組が会社を管理し、新しい社長には労組幹部が就任したり、既に引退していた有能な元社長をひっぱってきて社長にすわってもらって見事に企業を再建した例も紹介されています。たいしたものです。
著者のたたかいは、なによりも企業を存続させて労働者の雇用を確保しようとするものだった。そのため、企業を敵視せず、企業再建のためには、労使が一緒になって取り組むことを著者は求めた。これは、使用者言いなりの「労使協調路線」ではなく、労働組合が自ら方針を立て、主体的に経営にかかわり、合意に達しなければ、裁判闘争・労働委員会闘争などの法的手続をとることも辞さない。
著者は、頭の良さに加えて、持って生まれたエネルギーの量と負けん気、手を抜かない自己に厳しい姿勢と努力でこのような力を身につけ、難局にあたってきた。
著者は紙パルプ労連の中央執行委員をつとめ、各地の労働争議に関わってきました。
労働組合のなかには、組合費を基本給の3%にしているところもあるそうです。その高さに驚かされます。3%の組合費を払うだけのメリットがあると一般組合員が受けとめているからこそ続いているのでしょうが、すごいことです。実に素晴らしいです。別のところでは、1人月1万8千円という高い組合費のところもあるとのこと、信じられません。
著者は大阪府地労委の労働者委員となり、4年間に審査事件84件、調査事件50件を担当しました。相手にした企業は91 社。結果は命令交付が25件、和解等で解決したのが23件、訴訟になったのが18件だった。いやはや、大変だったでしょうね。
大商社の伊藤忠を相手にした大阪工作所事件では、残った組合員はわずか18人。ところが、まいたビラは1日4万枚、トータルで100万枚をこえ、2千人からの労働者による抗議行動が御堂筋で展開するという華々しい活動を展開した。その成果として、労組が億単位の解決金に加えて、土地や技術を譲り受け、会社の経営権を握って見事に再建することができた。今も、この会社は存続しているというのです。たまげましたね・・・。
読んでいるうちに、そうか労働組合って、こんなことも出来るのか、やれば出来るんだねと勇気が湧いてきて、心がぽっぽと温まってくる本です。大阪の大川真郎弁護士より贈っていただきました。いい本を紹介していただいてあつく、お礼を申し上げます。
(2018年10月刊。1667円+税)

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2018年11月16日

内閣官房長官の裏金

社会

(霧山昴)
著者 上脇 博之 、 出版  日本機関紙出版センター

内閣は月1億円という大金を自由に使えます。領収書は不要だし、会計検査院のチェックもなく、まさしく使途不明金です。権力を握った「うま味」なのでしょう。
たとえば、沖縄県知事選挙で与党側の候補を応援・テコ入れするための「実弾」、野党議員を丸めこんで荒れる国会を演じながら乗り切る。そして、マスコミ幹部との高級料亭での豪華お食事会・・・。そんなことで使われる黒いお金です。
そこに敢然とメスを入れようと著者たちが裁判を提起し、ほんの少しだけ秘密に閉ざされた扉をこじ開けるのに成功したのでした。
月1億円ですから年間12億円。もちろん、私たちの血税です。許せませんよね・・・。
この機密費には三つあるとのこと。政策推進費、調査情報対策費、活動関係。いやはや、どれもこれもあいまいな名称ですね。
日航機のハイジャック事件(1977年)の身代金600万ドル、ペルー日本大使公邸人質事件(1996年)、アフガニスタンの反ソ、ゲリラ組織への武器購入資金数万ドル・・・。
沖縄県知事選挙(1998年)のときに7千万円。そして、退任する日銀総裁、検事総長、会計検査委員長へ百万円単位。政治評論家やメディア幹部への付け届け。
マスコミが「内閣官房報償費」という裏金について報道したがらないのは、自らのトップにもこの黒い大金が渡っているから・・・。何ということでしょうか。
首相が退陣するときは、残ったお金を「山分け」して、金庫を空にするのが「礼儀」だった。ひえー、空前の税金のムダづかいですよね、これって・・・。
このような権力の裏金とは、つまるところ暗黒政治の産物にほかならない。
情報公開訴訟で裏金の一端が明るみに出たわけですが、裁判官の大半は、権力の報復を恐れてか、公開を是とする判決を出そうとしない現実があります。困ったことです。
国政の闇に光をたあてた画期的なブックレットだと思います。
(2018年10月刊。1600円+税)

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2018年11月17日

出島遊女と阿蘭陀通詞

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 片桐 一男 、 出版  勉城出版

江戸時代は厳しい鎖国がとられていたというのが定説でしたが、最近では、案外、日本は世界の情報をさまざまなルートで入手していたとされています(と思います)。
その窓口のひとつが、長崎は出島にあったオランダ商館です。そこに出入りするのは通詞(通訳です)と商売人(商工業者)だけでなく、一群の遊女たちがいました。
オランダ商館にいる異人たちは、その大半が10代か20代の青年たちでしたから、日本人女性との交流も盛んであり、実は商館内に遊女たちが寝泊りしていたようです。
日本最古の仏和辞書も、このオランダ語通詞たちが、オランダ語によるフランス語の辞書を翻訳してつくられたものでした。これは最近のNHKラジオ講座で得た知識です。長崎の歴史・文化博物館に原物が展開されているそうです。ぜひ見てみたいです。
この本によると、オランダ商館の人々が日本語を習得することは禁じられていたとのこと。キリスト教の布教を恐れたことと、密貿易を未然に防止する必要からのようです。ですから日本人通詞たちが活躍するわけです。ところが、出島での宴会風景を描いた絵(有名な川原慶賀の、写真のように精密な再現図)によると、そこに遊女が存在するのですが、必ずしも通詞がそばにいるわけではありません。要するに、出島に出入りする遊女たちは、どうやらオランダ語を聞いて話せていたらしいのです。
そして、遊女たちがオランダ人に宛てた手紙がオランダのハーグにある国立文書館に100通もあることが判明したのです。江戸時代の女性の手紙ですから、私にはほとんど読めませんが、それでも、いわゆるカナクギ流の文字ではなく、流れるような草書体の立派な筆づかいです。
著者は、オランダ語通詞たちが、ルビのようにオランダ語を手紙に書き添えているのに助けられて、その100通あまりの遊女の手紙を解読したのです。本当に学者って、すごいですね。盛大なる拍手を贈ります。意外な事実を知りました。オランダ人とのハーフの子どもたちもそれなりに生まれたことでしょうね。最近よんだ本(泡坂妻夫『夜光亭の一夜』)に、そのような生まれの遊女が登場します。
(2018年4月刊。3600円+税)

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2018年11月18日

悪童(ワルガキ)

人間


(霧山昴)
著者 山田 洋次 、 出版  講談社

「悪童日記」というと、アゴタ・クリストフを思い出します。フランスのベストセラー小説です。フランス語を勉強していて出会いましたが、すさまじい悪口雑言のオンパレードでした。
こちらは、いたってつつましやかなワルガキの話です。我らが寅さんが少年時代を振り返って語ったという趣向です。
先日、法廷のあいまに立会書記官に映画「男はつらいよ」を観ましたかと尋ねたところ、二人とも「ノン」という答えが返ってきました。いえ、テレビでは観たことはあるけれど、映画館で観たことはないということです。
寅さん映画のはじまりは、私がまだ東京にいて大学生のころです。その後、弁護士になってから、お盆と正月には子どもたちと一緒に欠かさず観ていました。全部とは言えませんが、ほとんど映画館で観ました。大笑いしながらも、ほろっとさせるシーンが各所にあって、さすがに落語に詳しい山田監督のつくった映画だといつも感嘆していました。司法試験の受験中にも最大の息抜きとして寅さん映画を新宿まで出かけて観ていました。
寅さんは、実母ではなく、育ての母親を深く愛していました。父親は飲んだくれで、寅さんをちっとも可愛がってはくれません。そんなことから勉強せず、イタズラばかりの日々・・・。それでも妹さくらのことは人一倍気にしていたのです。
戦中・戦後の情景がよく描かれています。山田監督が体験した事実ではありませんので、取材の成果だと思います。満州(中国東北部)で育った山田監督の原体験と共通するところもあったのでしょうか・・・。
来年、再び新作の寅さん映画に出会えるとのこと、胸がワクワクします。今から楽しみです。山田監督の初の小説とのことです。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2018年10月刊。1300円+税)

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2018年11月19日

ハトと日本人

(霧山昴)
著者 大田 眞也 、 出版  弦書房

身近にいるハトを豊富な写真とともに解説してくれる貴重な本です。
ハトと漢字で書くと鳩。九と鳥です。「九」は、手を曲げてぐっと引きしめた姿を描いた象形文字。つまり、ぐっとしぼって集まる鳥。仲間を引き寄せて群れる鳥、ということ。
ところが、漢字のはとはもう一つ、鴿とも書くそうです。合と鳥です。こちらは合わさる鳥。つまり、集まり合う鳥ということ。
ドバトは繁殖力が強く、平均寿命は飼育下で平均9年。15年以上も生きたドバトもいる。
ハトの抱卵は、昼間は雄がし、夜間は雌がする。雄は昼に8時間、雌は夜に16時間。
ハトのヒナに与える鳩乳(ピジョン・ミルク)は、雌だけでなく雄も分泌してヒナに与える。
ええっ、そうなんですか、父親も鳩乳をやるのですね・・・。
このピジョン・ミルクには乳糖やカゼインは含まれていない。黄色いカテージチーズのような粘り気のある濃厚な液体で、水分は65%、タンパク質や脂肪分に富み、ビタミン(A・B・B2)やミネラル(ナトリウム・カルシウム・リン)などが含まれていて、栄養価が高い。
鳩は、主として、果実や花など植物質を食べているが、ときにはミミズやカタツムリ、昆虫の幼虫なども食べる。
ドバトの羽色は一羽ごとにみな違っている。外見でオスとメスを見分けるのは難しい。
私は一度だけハトのラブシーンを見たことがあります。公園のフェンスに2羽のハトが並んでいました。すると、2羽は体をぴったりくっつけ、お互いのくちばしで、それこそ濃厚ラブシーンを展開するのです。前に、フランスの自然観察映画で、カタツムリのラブシーンを見たことがありましたので、すぐにそれを思い出しました。このときには交尾に至るのまでは目撃できませんでした(私が、途中で公園を離れたのです)が、きっと交尾までいったと思います。
日本には300種いるハト科の鳥が12種いるとのこと。身近なハトの生態をしっかり勉強することができました。
(2018年6月刊。1700円+税)

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2018年11月20日

子どもの英語にどう向き合うか

社会

(霧山昴)
著者  鳥飼 玖美子、 出版  NHK出版新書

小学校から英語を学校で教えるだなんて、とんでもないことです。それより国語力を充実させるのが先決でしょう。そして大学入試に聞き取りを取り入れ、TOEICなどを利用するといいますが、これまた、とんでもありません。
英語を話せる能力より、英語を読めて書ける能力こそ、もっと重視すべきだと思います。
私はフランス語を50年以上も勉強していて、いまもってペラペラ話すことが出来ません。よほど語学の才能がないのでしょう。それでも、あきらめずに脳のボケ防止のためにも続けています。フランス語検定試験も30年来、毎年2回うけています。語学力の低下を心配してのことです。毎朝、NHKラジオのフランス語を聞き、CDで聞き取りをしています。残念なことに、日々新たなりで、単語も文法もすぐに忘却の彼方へ飛んでいき、引き戻すのに毎日苦労するばかりです。
著者は、「子ども英語」は大人の英語とはレベルが違うと力説します。子どもが英語を勉強するとき、肝心なことは英語嫌いにならないようにすることだというのです。なるほど、と思いました。
日本の子ども英語を学ばせてみても、それほどの効果は期待できない。早いうちから英語を教えればペラペラになるというのは幻想でしかない。ネイティブに近いと日本人が思う発音で、ちょっと何かをしゃべる程度では、使える英語とは言えない。
内容をともなった、意味のある英語を相手にわかるように話すには、読み書きを通して必要な語彙を学び、論理的な組み立てを習得する必要がある。これは、お子さま英語では間に合わない。
幼児期から成人するまで、十数年間も、親がガミガミ言って英語をやらせることはない。子どもが英語を学ぶとき、親としては、間違った英語を学ばないように注意すること、英語嫌いにならないよう配慮すること、これが大切。
小学校で習った英語だけでは社会人になって使える英語にはならないので、中学・高校で読み書きを土台にしっかり学習する必要がある。「みんなやってるから」などと、周囲の空気に同調して流されないこと。
小学生にとって大切なことは、まずは英語の土台をつくること。そのためには、母語である日本語の学びが不可欠。
英語塾に通っていた子も、海外で過ごした子も、英語を習わないまま中学に入った子も、英語の試験では差が出なかった。
自宅での学習習慣のない子どもは、学年が上がるほど、英語だけでなく、他の教科でもどんどん成績が下がっていく。
子どもが興味をもって英語を勉強しはじめたら、英語力は伸びていく。そのためには、親子のふれあいを大切にし、子どもと楽しい経験を共有すること。
小学校での英語教育が始まった今、多くの大人に読んでほしい本だと思いました。表紙にある著者の笑顔がステキです。
(2018年9月刊。820円+税)

 日曜日、仏検(フランス語検定試験)準1級のペーパーテストを受け、暗い気分で帰宅しました。今回は文章問題が出来ませんでした。よく意味が理解できず、後半の聞き取り試験で挽回できなかったのです。なんとか書けたのは書き取り試験だけでした。明らかにフランス語力が低下していました。がっかりです。ずっと毎朝NHK・CDの書き取りをしていますし、過去20年間の過去問も3回ほど繰り返し復習したのでしたが・・・。準1級は既に5回は合格していますが、今回は自己採点で5割(120点満点の61点)でしたので、2月の口頭試問は受験できそうもありません(6割が合格基準です)。トホホ・・・、涙が出そうになりました。
 夜、寝る前に山田洋次監督が寅さん映画の新作(第50作)をつくる過程の番組を録画していたのをみました。87歳の監督が、亡くなった渥美清を主人公とした映画をつくるだなんて、奇跡のような映画づくりです。いやあ、がんばっているね・・・と、みているうちに元気を取り戻しました。
 朝、起きたとき、そうだ、初心にかえってフランス語を続けよう、そんな気分でした。そんなわけで、これからもフランス語もがんばります。

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2018年11月21日

コモリくん、ニホン語に出会う

社会

(霧山昴)
著者 小森 陽一 、 出版  角川文庫

著者は、小学校低学年のときに、チェコのプラハに移り住み、プラハにあるソ連大使館付属のロシア語学校で学ぶようになりました。その体験にもとづく日本語の面白い話です。
クラスの生徒たちのあいだには、当然のことながら、学校特有の序列が微細なところまでつけられていた。子どもは、そうと気づかず、冷酷であり、差別的であり、政治的であり、権力的でもある。
著者は、学校の論理に順応しながら、ロシア語の能力を上げていき、集団内の序列を一段一段上にあがっていくことに快感を覚えるようになった。
家の近所ではチェコ語、親とは日本語、学校ではロシア語という生活が1年半ほど続くと、頭の中で考える言語はロシア語となった。やはり、学校教育の中で使われる言語がもっとも強い支配力をもつのだろう。この状態が日本に戻ってきてからもしばらく続いたために、当初は耳から聞いた日本語を、いったんロシア語に翻訳して理解していた。ところが、日本に帰って半年くらいたったある日、朝目が覚めてみると、頭の中が日本語になっていて、なんとも不愉快な気持ちになった。
ソウルに住む私の3歳の孫は、保育園では韓国語、父親とも同じで、母親(つまり私の娘)とは日本語で、私の家に来たときにも、もちろん日本語で話します。その切り換えは見事なものです。
小学6年生のとき日本に戻ってきて、学校に通うようになったとき、著者の話す日本語が友だちから大笑いされるという衝撃を受けます。つまり、著者の話す日本語は、文章語としての日本語だったのです。
話しことばとしての日本語は、文章語としての日本語とは、およそ異質なことばだということに毎日毎日気づかされていった。 日本語は、決して言文一致体ではなかった、教科書に記されたウソに身をもって気づかされたのです。
ところが、小学校のときに話して友だちから笑われた文章語が、高校に入って生徒総会という政治的な立場での発言としては通用する、多くの聴衆に向かってなら文章語で語って許されるのです。ええっ、そ、そうでしたっけ・・・。
自己とは、語る行為と語りの場、そして聴き手とのあいだで、瞬時に編成されていく現象だ。こともたちが英語を習いはじめると、文章というものは、「私は・・・」から始めなければならないものだという幻想を抱くようになる。
なるほど、そうなんですよね。私も、かつてはそうでした。主語のない文章を書いてはいけないというのは当然の至上命題でした。ところが、日本語の特質は、まさに主語を省いて書くところにあります。述語などから主語を推量していく、させるのが日本語なのです。
日本語の苦手な子どもが、今や大学で国語(日本語)の教師として学生を教えているのです。すごいですね。比較するというのは、まさしく物事の本質をつかむことなのだということがよく分かる文庫本でもありました。
(2018年6月刊。720円+税)

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2018年11月22日

戦国大名 武田氏の領国支配

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鈴木 将典 、 出版  岩田書院

甲斐の武田氏は、「甲州法度」(はっと)という分国法を制定していました。この本は、この甲州法度のなかでも「借銭法度」を深く掘り下げて論じ、興味深いものがあります。
「甲州法度」57ヶ条のうち、借銭に関する条項は14ヶ条で、もっとも多い。
債権者が債務者の財産を差し押さえするとき、先に作成した文書を優先する。子の債務を親に肩代わりさせることを禁止する。債務者が死亡したときには保証人が弁済の責任を負う。借銭の年期中に担保を売却することを禁止する。借銭の利息が元本の2倍になったら返済を催促できる、困窮のため借銭を返済できないときには、もう10年返済を延長できる。
「借銭法度」は、武田氏が領国内の問題に対処するため、独自に制定した条項であった。「甲州法度」の追加条項でもっとも多数を占める「借銭法度」こそ、このころの武田氏が直面していた最重要課題であった。
天文から永禄年間の武田領国では、戦乱・災害などによって、武田領国内の給人・百姓層が困窮し、飢饉を生きのびるため、あるいは軍役負担や年貢納入等のために借銭を重ねていた状況だった。
訴訟の際に、売買・貸借の証拠書類が重視されたことは「借銭法度」に明記されていた。とくに、債権者が複数存在していたときには、確実な「借状」を所持している者が権利者とされた。他方で、「謀書」(偽文書)であることが判明したときには罰せられることになっていた。
こうやってみると、日本人って、本当に昔から裁判大好きな人々だったとしか思えません。
「借銭法度」が制定された背景には、戦乱や災害で武田領国内の給人・百姓層が困窮し、借銭を重ねていた社会状況があり、そのうえ武田氏の「御蔵」を管理し、その米銭で金融活動を行う「蔵主」の存在があった。彼らは武田氏の経済基盤として位置づけられており、給人・百姓層を中心とする債務者層側の売買・貸借をめぐる相論(訴訟)を武田氏が裁定するとき、その基準として定めたのが「借銭法度」であった。
戦国大名である武田氏は、「借銭法度」をふくむ「甲州法度」を制定することによって、「自力」による紛争解決を規制する一方、自らの権力基盤である給人・百姓層や「蔵主」などの権益を保護することで、大名領国を支配する公権力として、自らの正当性を確立していった。
「甲州法度」のなかに裁判や債権執行のあり方などを定めた「借銭法度」なるものがあることを初めて識りました。戦国大名が領国を支配するときに、武力だけでなく、法令を定めていたこと、裁判の手がかりとしてたことを認識できる本です。
(2015年12月刊。8000円+税)

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2018年11月23日

ねないこは わたし

人間


(霧山昴)
著者 せな けいこ 、 出版  文芸春秋

絵本。私は絵本が大好きです。ごく最近のものだと、『あらしのよるに』ですね。福岡で舞台劇になるといいます。ぜひ、みたいものなんですが・・・。古くは滝平二郎の『八郎』とか、かこさとしの『どろぼう学校』も良かったですね。子どもたちに一生けん命に読んでやりました。繰り返して読みましたので、すっかり暗記できるほどでしたが、それでも子どもたちは「読んで、読んで」とせがむのですよね。心地いい、ひとときでした。
そんな絵本のひとつが、この著者のものです。『ねないこ だれだ』、『いやだ いやだ』、『あーん あん』・・・。素朴な絵に心が惹きつけられました。
「おばけになって 飛んでいけ・・・」と言われたら、子どものなかには、「いいよ、飛んでいくよ」と答える子もいるとのこと。ええっ、おばけって怖くないのかしらん。一人じゃなくて、親と一緒なら、おばけなんか子どもは怖くないんです。
著者は「貼り絵」が得意です。なんだか身近な新聞紙などを無造作にちぎって並べて貼りつけているように見えますが、どうしてどうして、簡単なものではありません。この本を読むと、やはり基本はデッサン力だと痛感します。
『いやだ いやだ』の絵本。子どもはみんな、やがてこの時期に突入します。なんでも『いや』と言って、抵抗し、親を泣かせ、怒らせます。それでも子どもは「いやだ」と言って、したばたするのです。まさしく親の忍耐力が試されています。若い私はガマン力に欠けていましたので、ずいぶんと乱暴に対応してしまい、今では深く反省しています(時おそしなのですが・・・)。
楽しい絵本づくりの本でした。本当にありがとうございました。大変お世話になりました。これからもどうぞお元気に絵本を描いて世の中に送り出してください。孫に読んでやりますので・・・。
(2016年7月刊。1450円+税)

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2018年11月24日

ナポレオン

フランス


(霧山昴)
著者 杉本 淑彦 、 出版  岩波新書

ナポレオンが皇帝になったあと、なぜ次々に周囲の国々へ戦争を仕掛けていったのか、この本を読んで初めて理解できました。
国内体制を固めたナポレオンは、対外戦争にのめりこんでいった。海ではイギリス上陸作戦が計画され、英仏海峡にのぞむブーローニュに一大軍事基地が建設された。陸では、総勢50万人に及ぶ大陸軍の編成が企画された。徴兵制度が整備・拡大され兵員適齢男性の30%が軍務に就いた。
ナポレオンを戦争に駆り立した動機の一つは、軍備増強に起因する財政負担の重荷だった。戦争に勝てば、占領地に巨額の賠償金や税金を課すことができる。戦争への備えが、戦争をもたらした。
ナポレオンがロシアへ侵攻していったのは、ロシアに占領地を得て、賠償金をもぎとることが大きな目的だった。しかし、その目論見ははずれ、冬将軍の下で退却するナポレオン軍をロシア軍が追撃してきた。ついに、ナポレオン軍がロシア領から無事に帰還できたのは、1割の3万人にみたなかった。
ナポレオンのアフリカ遠征は、結果としては失敗、敗退したにもかかわらず、当時の新聞等への報告をうまく操作して、フランス軍が連勝していたかのような幻想をフランス本国に与え続けていた。その意味で、ナポレオンのマスコミ操作術は見事としか言いようがない。
その結果、フランス国民はあたかも救世主かのようにナポレオンを熱狂的に迎え入れた。
ナポレオンがセント・ヘレナ島で死んだのは享年51歳のとき。その死因は、胃がんが現在では最有力。
ナポレオンについて、改めて深く認識することができました。
(2018年2月刊。840円+税)

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2018年11月25日

文字講話、甲骨文・金文編

中国

(霧山昴)
著者 白川 静 、 出版  平凡社

2004年から2005年にかけての著者の講話が文字になっています。
甲骨文というのが写真で説明されていますが、よくぞ、今の漢字にあてはめたものだと驚嘆します。よほど漢字の成りたちを知らなければ解説できないと思いますが、さすが大先達は、軽々と文章を読み解いていきます。
日本の古代王朝では、あまりにも近親婚が多い。天智天皇の皇女4人が天智天皇の弟の天武天皇の妃になっている。兄の娘を弟が4人とも嫁にもらうというのは、明らかに異常な状況だ。
しかし、殷(いん)の皇位継承も似ていて、系統法には、これら二つのクラスに分けられる。要するに、相互に交替しながら継承するという形式をとっている。
第一に、殷王朝は、わが国と非常に親縁の関係にあった。
第二として、殷王朝は子安貝を非常に貴重な宝として用いた。子安貝は、生産力の象徴だった。
入墨の風習があったのは、中国では沿海民族だけだった。
戦争のときには、女シャーマンが前線に3千人ほど、ずらりと並び、呪力のかけあいをする。
目は非常な呪力をもっているので、目の威力で敵を感服させる。
文字は、古代においては、まことに神聖なものだった。
よく分からないなりに、漢字の源流を眺めました。それにしても、シャンポリオンがヒエログリフを解説したほどのものではないのかもしれませんが、大した偉業です。
(2018年2月刊。1300円+税)

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2018年11月26日

トラ学のすすめ

生物


(霧山昴)
著者 関 啓子 、 出版  三冬社

動物園の飼育員がホワイトタイガーにかまれて亡くなるという痛ましい事故が起きました。トラはやっぱり怖いですよね。でも、自然界で、トラが人間を襲うことはありません。人間を警戒して近づかないのです。ただ、お互い不意打ちのように出会ったりしたら不幸な事故は避けられないでしょうね。
ヒョウは人間になつかないが、トラは人間になつく。
動物園で通路に誤ってネコが入っても、トラは何もしない。
アムールトラは、ネコ科で最大の獰猛で優雅な生きもの。体長2メートル、体重250キロ。
アムールトラは、足の裏がやわらかで、音を出さずに歩けるので、獲物になる動物に気づかれずに近づける。川も泳ぎ渡る。
アムールトラの毛色は淡い黄金色で、そこに黒いしまもようが入る。えらく派手で目立ちそうだが、森のなかでは保護色となって見えなくなる。
アムールトラは長距離走は苦手で、瞬時にけりをつけるしかない。
アムールトラが傷ついて、走れなくなると、もう飢え死にするしかない。
メスのトラは、女手ひとつで子どもを3歳まで育てる。
トラの最大の敵はヒグマではなく、人間だ。
アムールトラは、温厚で、おっとりとしていて、うたたねが好きな、怠惰とも思える性格だ。
トラは、孤高の動物であり、強いけれど、孤立無援を生きる生きものだ。
アムールトラは、自然界に500頭、世界中の動物園に500頭、合計して地球上に1000頭しか生きていない。まさしく絶滅危惧種である。
生物多様性は、地球の生命線である。トラは、この生物多様性のバロメーターなのだ。
トラは、餌になる主として中・小の動物、それらの動物たちが食べる木の実やコケ類、それを育む森林などなど、総じて生息地(ロシア極東)の生態系が一定の条件で維持されていないと生きていくことができない。したがって、この生態系の保存は人間にとっても大切なものなのだ。
日本人がトラ好きなのは、トラさん映画をみても分かると指摘され、ああ、そうだったと我が身をふり返りました。読んで楽しいトラ学入門書です。
(2018年6月刊。1800円+税)

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2018年11月27日

運命

韓国


(霧山昴)
著者 文在寅 、 出版  岩波書店

韓国の文在寅大統領の自伝です。その迫力にただただ圧倒されました。
日本にも、これだけの信念と行動力のある人権派弁護士であり革新的政治家であるという人物があらわれることを心から切望します。
北朝鮮の金正恩委員長との会談も素晴らしい成果をあげました。ああ、これで朝鮮半島に本当の平和が定着する、戦争の危機は遠のいた、そう思って胸をなでおろし、熱くなるものを感じました。
文大統領が数万人の平壌市民に語りかけた演説を読んだとき、心を打たれました。北朝鮮の人々のプライドを傷つけることのないように十分に配慮した格調の高い内容でした。本当にすごい人です。
この本は、まだ文在寅が韓国大統領になる前に(2011年6月)出版されました。虚武鉉(ノムヒョン)大統領の不幸な自死事件(2009年5月)からそれほどたっていませんでした。
文在寅は弁護士です。司法研修院の成績は「次席」だったというのです。トップではなくて、2番目だったということなのでしょう。ですから、1982年8月に研修を終わったとき、破格の報酬、車を買い与える、3年たったらアメリカのロースクール留学という好条件で大きな法律事務所から誘われたのです。しかし、それを蹴って、釜山で、ごく普通の弁護士として開業することにしました。
当時の韓国の弁護士は、個人営業が一般的で、複数の弁護士が同じ事務所で協業するのはよくないという固定観念があった。それほどではありませんが、日本も似たようなところがかつてはありました。
盧武鉉弁護士は6年も先輩にあたります。そして、盧武鉉弁護士は「クリーンな弁護士」を目ざしたものの、いざやってみると思っていたほど簡単ではないと告白した。
業界の慣行があったのです。紹介者へ20%ほどのコミッション(紹介料)を支払うというもの。裁判所、検察庁、刑務所の職員、警察官が弁護士に依頼者を紹介すると、20%ほどの紹介料をもらっていた。銀行や企業の法務部も同じように、弁護士に外注してコミッションを懐(ふところ)に入れていた。これは、今では弁護士法で禁止されている。
そして、判事や検事の接待も慣行でやられていた。最後の裁判を担当した弁護士たちが、その日の法廷に出てきた判事たち全員をまとめて接待する慣行もあった。裁判所の周辺には、そのときに利用する高級料亭(「座布団屋」と呼ばれていた)が何軒かあった。
私も30年以上も前に、韓国の弁護士って、裁判官を接待するのが当たり前なんだよと聞いて、びっくりたまげました。
当時の釜山の弁護士は全部で100人、しかも法廷に立つ弁護士は50人以下だった。
文在寅は、はじめから人権弁護士になろうと決めていたのではない。ただ、大学生たちの学生運動が息を吹き返し、労働者が勤労基準法の尊守を要求したり、集団解雇されて飛び込んできたとき、目を背けることなく、彼らの言葉に共感して熱心に弁護した。
すると、他に引き受け手となる弁護士がいないので、いちど依頼を引き受けると、洪水のように押し寄せてきた。
時局事件や民主化運動に関わるなかで、文在寅たちは二つのことに神経をつかった。
一つは、自分たち自身がクリーンであり続けること。紹介料をやめ、財務状況にも徹底的に確認して税務申告した。私生活も、できるだけ謹厳実直であろうと努力した。
盧弁護士は、食事も酒も高級なものを避け、好きなヨットもやめた。文在寅はゴルフをしない。洋酒やワインではなく、焼酎やマッコリを飲む。二次会には行かず、爆弾酒の一気飲みもしない。
二番目に、法廷の内外で刑事訴訟法の規定を捜査機関に対して徹底的に守らせるように努力した。被告人を立たせたまま審理する。被告人に手錠をかけたまま裁判をすすめる。被告人席の両側に刑務官たちが座る。傍聴席には私服の警察官たちが大勢いる。こんな慣行をやめさせた。
1980年に光州民主化抗争があった。さらに、1987年6月の六月抗争は市民の力で軍事独裁政権を倒した偉大な市民民主抗争だった。
盧弁護士が逮捕・起訴されたとき、その弁護団には釜山弁護士会のほとんどの弁護士が駆けつけた。この状況は韓国映画『弁護人』に活写されています。見ていないという人は、DVDを買って(借りて)見て(読んで)ください。
文在寅は、徴兵制のために入隊し、陸軍特殊戦司令部の第1空挺特戦旅団第三大隊に配属された。パラシュート降下、野営訓練などを経験し、上等兵となり、陸軍兵長になった。
そして、司法試験に合格するのです。そして、二次試験の合格発表をデモに参加してつかまった留置場で知らされました。合格者141人のなかにすべりこんだのです。たいしたものです。
司法研修院のときは判事を目ざしていました。ところが、デモ参加の前歴のため、道を閉ざされたのです。
盧武鉉大統領の失敗を文在寅は生かしていると思いますが、アメリカ軍との対応など、なかなか難しい課題があり、進歩勢力があまりに性急な要求をつきつけたことを反省すべきではないかと指摘しています。
たしかに権力を握ったとき、それを維持するため、一定の妥協は必要なのだと思いますが、それが「裏切り」ではないということとの境界線は実際にはとても難しいところだろうと推測します。
いま、読んで最高に元気の出る本の一つとして強く一読をおすすめします。
(2018年10月刊。2700円+税)

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2018年11月28日

「検証。自衛隊、南スーダンPKO」

社会

(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版  岩波書店

福岡県弁護士会は去る11月半ばに著者を招いて天神で講演会を開催しました。
著者の話は自らの現地取材を踏まえていますし、防衛省・自衛隊トップから直接話を聞いていますので、大変詳しく、かつ説得力があります。上から目線の話ではなく、実感がこもった平易な語り口に、ときに軽いジョークも入って、耳にすっと入ってきます。といっても、その話は実はとても怖いことだらけなのです。
著者は2012年にアフリカの南スーダンとジブチに現地取材しています。
ジブチには自衛隊の拠点基地があり、拡張されています。初めは、アデン湾に出没する海賊対処が任務でした。ところが、実は海賊が出なくなって久しいのです。でも、自衛隊は撤退しない。それどころか基地を拡張している。なぜか・・・。
いま、アフリカ大陸にアメリカ軍は存在しない。ソマリアでの大失敗にこりてアメリカ軍はアフリカに派兵できない。そこを狙って、中国がアフリカに続々と入りこんでいる。一帯一路の政策で、人もカネもアフリカにつぎ込んでいる。中国はアフリカに対して、貿易・投資・ODAの三本柱で貢献し、援助額の9割を占めている。アフリカ全体で100万人の中国人がいるという。日本は、そんな中国に対して、アメリカの先兵としてアフリカで活動することが期待されている。だから、ジブチから日本の自衛隊は撤退することができない。
2016年10月、稲田朋美防衛大臣が南スーダンを視察した。実は、このとき、現地の南スーダンに稲田大臣がいたのは正味7時間のみ。現地で武力衝突が起きた地域を見事に回避して行動した。そして、稲田大臣は日本に帰国して、現地の情勢は比較的落ち着いていると発表した。ところが、国連の専門家たちは、3ヶ月の調査結果、スーダンの治安悪化は著しいと判断した。
なぜ、こんなにまでして自衛隊のスーダン派遣に安倍政権がこだわるのか・・・。
それは、安保法制下の実績づくりだった。なにがなんでも安保法制を有名無実の法としないため、安倍政権は現地の情勢などおかまいなしに自衛隊を南スーダンに派遣したのだった。
だから、日報を「戦闘」から「衝突」に書き換えるのに、防衛省のトップには抵抗がなかった。
自衛隊員の士気をあげるため、安倍首相は憲法に自衛隊を明記したいと言います。大規模災害のときに重機を駆使する自衛隊員の姿を見て拍手している国民が多いと思います。もちろん、私もその一人です。でもでも、自衛隊員がアフリカや中近東で戦争に巻き込まれ、殺し、殺されるのを見たい人は誰もいないと思います。
著者は自衛隊を憲法に明記したら、日本は完全な軍事優先国家になり、人権も自由も尊重されなくなると訴えています。まったく同感です。
タイムリーな本です。ぜひとも多くの人に読んでほしいものです。
(2018年8月刊。1900円+税)

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2018年11月29日

弁護士の情報戦略

司法

(霧山昴)
著者 髙井 伸夫 、 出版  民事法研究会

弁護士にとっての情報戦略とは、「新説」を創造し、発表し続けること。そのためには、新説をつくった弁護士に対して法律事務所は評価を高くしなければいけない。
イノベーションは、法律事務所の生命線と言ってよいもの。
リーダーに求められる強い精神力の中身は、判断力、実行力、人間的掌握力に集約される。
弁護士に要求されるリーダーシップとは、反対派や相手方の弱点を明確に見抜き、拡大させ、えぐり出し、白目の下にさらすこと。
現代社会においては、称賛による励まし、勇気づけがもっとも大切なこと。そうやってリーダーシップの基盤となる自立心・連帯心・向上心を正しく伸ばしていく。
早めの準備が迅速な判断に通じる。拙速は巧遅に勝る。迅速で歯切れよい判断力は、非常に重要な能力である。
依頼者に決して偽証させない。そして、裁判官の共感・信頼を得るように最大限努める。
弁護士は依頼者のために尽くす。そして、弁護士として依頼者のために尽くすべく、業務に誠心誠意取り組んでいる。このことを依頼者に納得してもらう必要がある。
AIは考えぬくことができない。だから、弁護士の仕事をAIが完全に行うことはできない。
考えぬいた末に得られる知性を身につけることは、人間にとってきわめて重要なことである。
前例や過去の裁判例にばかり気をとられて、新しい概念を生み出すチャレンジもせず、一種の思考停止に陥ってしまい、考え抜く努力を怠る者は真っ先にAIやロボットにとって代わられるだろう。
新説を生み出す読み方は、視野を広げよう、深めよう、というたたかいでもある。それには、まさしく不屈の魂が必要なのだ。
著者の本はかなり読んでいます。その多くをこのコーナーで紹介しました。いつも大変勉強になっています。
(2018年10月刊。1700円+税)

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2018年11月30日

島原の乱

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 神田 千里 、 出版  講談社学術文庫

九州で見るべき古戦場跡と言えば、原城と田原(たばる)坂ですよね。ちょっと違いますが名護屋城も欠かせません。もちろん私はいずれも行ったことがあります。行っていないのは龍造寺隆信が討ち取られた沖田畷(おきたなわて)という島原半島の古戦場です。今、どうなっているのでしょうか。きちんと保存・表示されているのでしょうか。ご存知の方はお教えください。
さて、島原の乱です。この本にも参考文献として紹介されている吉村豊雄の三部作はその詳細な記述に驚嘆しました。小説としては飯嶋和一の『出雲前夜』が読ませますよね。市川森一の『幻日』にもぐいぐい惹かれてしまいました。
この本は、2005年に中公新書から刊行されたものを、その後の批判を受けて「あとがき」で反論も加えたものです。
原城の戦いで、幕府側の鎮圧軍は総勢12万人。その1割の1万2千人の死傷者を出した。これに対して籠城軍3万7千人は山田右衛門作を除いて皆殺しになったとされています。ところが、著者は捕虜も籠城軍には逃亡した者もいるという説を肯定しています。最終決戦の前までに1万人が城から抜け出したとも書いています。
籠城していた3万人もの人々が本当に皆殺しになったのかどうか、知りたいところです。また、山田右衛門作は天草四郎の側に支えていた重臣の一人なわけです。幕府軍と通報していたことがバレて裏切り者として処刑されようとしたところ、一人だけ助かったというのですが、その救出の過程も具体的に知りたいところです。激戦が続いているなか、重臣の一人だけが助かるなんて、嘘みたいな話ではありませんか・・・。
著者は、一揆の目的はキリシタン信仰の容認であり、飢饉も重税も、こうした要求を先鋭化されるきっかけに過ぎなかったと考えています。
一揆の参加者はキリシタンといっても、いったんはキリシタンを棄教し、再びキリシタンに復帰した人々が大半です。つまり、「転びキリシタン」が主体なのです。ところが、同じ「転びキリシタン」であっても、天草の一部の地域の人々は一揆に加わらなかったというのです。それは、当時の日本に存在したキリシタンが一枚岩ではなかったことを反映していると言います。
キリスト教宣教師内部での派閥争いが、島原の乱に対するキリシタンの帰趨に影響を与えたと考えられる。
一揆の指導部は有馬家旧臣たち、合戦に習熟した武士身分の牢人たちだった。
当時は、藩の軍隊といっても、少数の武士に多数の「百姓」が従うという構成をとっていた。このような藩の軍勢と対峙するキリシタン一揆側も、天草四郎を大将とし、これを擁立した少数の牢人たちを中村として村の百姓たちを大量に動員したものであった。つまり、身分的な構成内容は同様のものだった。
秋月の郷土資料館に秋月藩の原城合戦絵巻があります。これは一見の価値があるものです。そこには「百姓」の軍隊というイメージは描かれていないように思いましたが、私が見落してしまったのでしょうか・・・。
文庫本ですが、島原の乱に関する本格的な研究書で、大変知的刺激を受けました。
(2018年8月刊。1090円+税)

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