弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年7月31日

医療クライシスを超えて

ヨーロッパ

著者   近藤 克則 、 出版   医学書院  

 イギリスと日本の医療制度を比較した興味深い本です。
 イギリスの医療が荒廃し、国会で大問題となった。かつてのイギリスでは医療費を抑制しすぎて、100万人を超える入院待機者が生まれ、手術しても1年半以上も待たされるという医療の荒廃を経験した。医療費水準は低いほどよいのでは決してない。そこで、世界の他の先進国に比べて異常に抑えすぎた医療費が主因であるという認識が広がった。その結果、医療費を5年間で1.5倍にするという医療改革にイギリスは取り組んだ。
 医療費が抑制された1990年代半ばに看護師数やGP研修医は減少していたが、増加に転じた。1999~2004年の5年間に、看護師は33万人から40万人へ7万人も増えた。医師は9万人から11万人へと2万人ふえた。医学部の定員は4千万人から6千万人へと6割アップした。
カナダも、同じように医療費を増やす道を選んだ。日本より医療費の水準が高いにもかかわらず・・・。このように、先進国では、むしろ医療費を増やすかたちで必要な投資をし、質を高めつつ、効率を高めるという医療改革をしている。医療費を抑えている日本は世界の流れに逆行している。
 患者の自己負担を増やすのは、短期的には効果があるようにみえても、意外なことに長期的にみると、公的医療費の削減にはつながらない可能性が高いというのが国際的な経験である。
 自己負担を増やせば、それを払えない人も増える。それを公的に補う結果、公的な医療費は増える。国民皆保険でないアメリカのほうが、医療費が高いこともあって、GDPに占める公的医療費に限っても日本以上に大きい。
 自己負担を増やした結果、公立病院の未収治療費が3年間で1.5倍にも増えた。
 日本の医師は偏在している。そして、医師不足は深刻だ、もっとも医師の多い京都府は(272.9人)であっても、OECD加盟国の平均310人に達していない。平均並みにするには12万人も医師が足りない。
 日本より人口あたり医師数が少ないのは、韓国、メキシコ、トルコの3ヶ国である。
 自己負担増は病院の未収金を増やすだけでなく、患者の受診抑制を招く。
 患者は低所得層に多く、自己負担できる富裕層には患者は少ない。
 日本社会は、子の50年のあいだに平均寿命を10年以上も伸ばすという「長寿」を実現した。今では「健康寿命」も世界一の長さを誇っている。これは介護予防政策が強化される前に起きたこと。つまり、健康医療制度の拡充だけでなく、経済発展や教育水準の向上、他国に比べて少ない失業率、終身雇用制、1980年代まで貧困の減少や年金制度など社会保障の拡充による格差の是正など、多くの社会経済的要因が寄与したと思われる。
「社会保障との一体改革」の名のもとで、いま、社会保障制度の改革がどんどん進められています。そこでは、私たちの団塊世代が諸悪の根源であるかのような議論も出ていて、とんでもないことだと怒りに燃えてしまいます。
この本で、イギリスとの非核で日本はアメリカのような医療保険会社だけがもうかる、いびつな社会になってはいけない、公的医療制度の充実こそ大切だと実感させられました。
(2012年3月刊。2800円+税)

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2012年7月30日

愛犬が教えてくれること

著者   ケヴィン・ビーアン、 出版   早川書房

 犬について、改めてよくよく考えさせてくれる本でした。
 犬の行動は、たとえどんなものであろうとも、常に飼い主の心に訴えかけているのだ。なぜなら、人は、自分では気づいていなくても、潜在的に犬と同じ動物的な意識を心のなかにもっているから。犬と飼い主の心を結びつけるのにもっとも重要なのは、人が動物の中に人間性を読みとることではなく、動物が人間の中にある動物性を読みとることである。
 犬は人の感じることを感じる。これによって犬は自分の立場やこの世界に適応していくためにしなければならないことを「知る」。
犬は、あるもの、あるいはある瞬間をほかと比較してみるという世界観をもっていない。犬の心はエネルギーの回路である。
 犬と人間は、基本的に同じ環状構造をもっている。犬は、人から発散された潜在的エネルギーに非常な興奮を示す。
犬は人が注目しているものに心を奪われる。飼い主が棒を指差し、「取ってこい」と命じると、犬にとって棒は手や足と同様、飼い主の体の一部となる。犬は飼い主が棒に対して発した感情のエネルギーを感じとる。犬からみると、棒は生き物であり、飼い主の体そのものなのだ。
 犬と人の意識は、犬のいる場所で交わる。犬は「心のエネルギー」である。心のエネルギーとは、肉体と神経のエネルギーが交わり、頭と体が結合し、人間が自然とつながる場所である。こうして、犬は人間の内面を映す鏡となる。犬は自分が欲しいと思ったものは、人間も欲しがっていると「感じる」。
 わがままな犬を飼っている家庭では、しばしば子どももわがままである。
犬は、きわめて社会的で協調性に富んだ動物である。だが、狩りの最中は、リーダーを識別するのは容易ではない。
 きちんと育てられ、訓練された犬は飼い主のライフスタイルに適応する術を身につけている。
去勢された雄犬は、されていない雄犬より問題が多い。犬に不妊治療は必要ない。
犬には思い出すことがなく、それでいて、忘れることがない。犬に時間の感覚がないのは、犬が感情に動かされる生き物であり、完全に感情によってのみ動くから。
犬がなにをするにしても、そこに意図はない。犬は、まさに今の瞬間のみを生きており、犬の行動と学び方は、感情が犬の体の中でどう動き、そしてどう発展して特定の感覚を引き起こすのかによって決まる。犬には時間という概念が全くなく、他者がどんなものの見方をするかを想像することもできない。
 感情こそが犬の全意識であり、認識するすべてだ。感情の流れが犬の意識の流れだ。犬は感覚そのものだ。
 犬にとって、一瞬は永遠と同じであり、物事がどうやって、なぜ起こるのかを犬が「考える」ことはない。
犬が生まれつき社会的なのは、個々にもつはずの感情の回路が半分は相手の中にあるからだ。犬はみな、持ちつ持たれつの関係を築いている。
犬とは、どういう生き物なのか?
 犬とは自然界で最も共感力の強い生き物である。犬は心で理解する。犬は感情そのものなのだ。犬は飼い主の姿を映し出している。
 犬は飼い主を心で理解する。犬の行動は、飼い主いや自分のグループの心を写し出す感情の超音波映像のようなものだ。
犬は感情を理解する達人として高度に進化した生き物だ。
犬と飼い主との関係について、これほど深い関係があることを指摘した本を読んだことがありませんでした。犬好きの人には犬という生き物を深く理解するため一読をおすすめします。
(2012年3月刊。1800円+税)

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2012年7月29日

がん放置療法のすすめ

人間

著者  近藤 誠 、 出版   文春新書  

 がんが見つかっても、あわてて治療を始めないこと。放置しておくのも一つの対処法だと著者は力説しています。
 がん放置療法の主人公は患者。監視療法は、医者が患者を監視、支配し管理する。
 がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査しないのがベスト。
 前立腺で、骨転移で痛みがあれば、治療を受けるのが妥当。そして、抗がん剤治療(化学療法)は、寿命を縮めてしまう。高齢者には、抗がん剤は特に危険。
 鎮痛目的で、2種類以上の方法を同時に始めないこと。
CTは放射線検査の中で線量が多く、被曝による発ガンの危険がある。胸部レントゲンによる被曝線量はCTのそれの数百分の一でしかない。
実のところ、健診は受けないのが平和に長生きするコツなのである。
抗がん剤治療は縮命効果が大きい。実は、スキルス胃がんは、手術さえしなければ、人が思っているよりずっと長生きできる。
 ええっ、と思いました。私の親しい弁護士は30代で亡くなってしまいましたが、手術しなければもっと長生きできたのでしょうか・・・。
そもそも胃がんの手術で胃を全摘したり、大きく切除したりするのは、原則として間違いである。
 そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
 がん放置療法の要諦は、少しの期間でいいから様子をみる点にある。その間にがん告知によって奪われたころの余裕を取り戻す。
がんは老化現象なのである。老化現象だから、放置した場合の経過が比較的温和なのである。
 がんについて、改めて考えさせられる本でした。
(2012年4月刊。780円+税)

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2012年7月28日

有罪捏造

司法

著者   海川 直毅 、 出版   勁草書房  

 大阪で2004年(平成16年)に起きた大阪地裁所長に対するオヤジ狩り事件についての本です。その犯人として警察が捕まえた人たちが実は無実だったという衝撃的な話なのです。ええーっ、大阪の警察はいったいどうなってんの・・・と思ってしまいました。警察の思い込み捜査のひどさがここにもあらわれています。
 大阪地裁所長が自宅に帰ろうとして、夜8時半すぎに歩いているところを4人組の若者から襲われ、所持金6万円を奪われたという事件でした。犯人は高校生風の4人組ということだったのに、29歳の、身長184センチ、体重90キロの成人が犯人とされたというのも納得できないところです。ところが、検察官は犯人像にまったくあわないのに起訴してしまうのでした。
 当然のことながら、弁護人は苦労します。被害者が現職の大阪地裁所長だけに、裁判官は被害者の尋問をなかなか採用とはしません。先輩に対する遠慮(保身か・・・?)が先に先立つのです。それでも、なんとか法廷での被害者尋問は実現しました。
そして、決定打は近くの民家に備え付けてあった防犯ビデオでした。その映像に犯人と思われる4人の人物が走り去る様子がうつっていたのです。どう見ても細身の少年風の四人組でした。29歳で巨大の被告人とはマッチしないのです。
 そこで、ビデオ映像を鑑定してもらうことにしました。すると、被告人の身体の特徴とは合致しないことが判明しました。
さらに、事件当夜、共犯とされていた少年と交際していた少女のケータイにメールのやりとりが残っていたのです。結局、これが決め手となりました。そのケータイ・メールは後から作為できるようなものではありませんでした。
 犯行当夜のアリバイが確実に裏付けられたのです。逆にいうと、これほど、明確なアリバイ証拠が出てこないと、被告人が無罪になるのは難しかったのではないかとも思いました。
 それほど、裁判所は警察や検察庁を信頼しているということです。この世は、信じられないことばかりですよね、まったく。
(2012年5月刊。2400円+税)

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2012年7月27日

比例定数削減か民意の反映か

司法

著者   坂本 修 、 出版   新協出版社

 一票を投ずると政治がかなり大きく変わり、自分たちの要求が実現することを国民が本気で思うようになると、院外の運動を発展させる可能性、財界からみると危険性が出てくる。だから、アメリカと財界は民主党の公約実行を許すわけにはいかなかった。
ここでいう民主党の公約というのは、「海外移転、少なくとも県外移転」というものです。
財界は、政権をとった民主党に対してさまざまな圧力をかけ、その公約(マニフェスト)の裏切りを実行させた。
 財界の機関紙とも言われている「日経新聞」は、二大政党離れが、鮮明になったと評価したが、これは真実を言い表している。支配層の考えていた「二大政党制」は、二つの同質の保守政党でなれあい政治をする。悪政による矛盾が深まっても保守二党間の政権交代でとりあえず国民の目はごまかして、政治をすすめる。
 小選挙区制のインチキは、サッカーでゴールの幅がいびつに設定されているようなものだという、著者の例えには目が大きく開かれました。
 サッカーの一方のチームのゴールの幅は2倍、地方のチームは4分の1、ゴールキーパーがいたら、ほとんどゴールできない。こんなサッカー試合だったらバカバカしくて誰も見にいくはずがない。ホント、そのとおりですよね。
いま政権をとっている民主党は2009年8月の選挙の得票率42%なので、204議席しかないはずなのに、現実には308議席。なんと104議席もの水増し議席がある。4割の得票で7割の議席を得た。少数政党である公明党は、得票率11%だから本来なら55議席なのが21議席。同じように得票率7%の共産党は、34議席のはずが9議席。社民党は、得票率4%で21議席のはずが7議席しかない。これって、どう考えてもおかしいと私は思います。でも、新聞、テレビはおかしいとは言いません。それもまたおかしなことです。そして、これって、本当に「少数意見の切り捨て」なのだろうかと著者は問いかけています。
 憲法9条守れ、原発ノー、消費税増税反対そしてTPP参加反対というのは少数意見でしょうか? 私はそうは思いません。ところが、国会では明らかに少数意見になってしまっています。こんな奇妙な「ねじれ」状況は打破する必要がありますよね。
小選挙区制に切り替えたときの選挙制度審議会には、27人のうち12人はマスコミのトップでした。読売、日経、毎日、朝日、NHK、テレビ東京などです。今も、マスコミは消費税増税賛成の一大キャンペーンをやって、同じことを繰り返しています。上から目線でみている限り、貧困の実相は分からないということなんでしょうね。
年間320億円という政党助成金がマスコミの宣伝費に使われていることも明らかにしています。税金のムダづかいの典型です。怒りが湧きあがります。
 2007年の参議院選挙でテレビCMに50億円、電通などの広告代理店に90億円も使われた。比例定数を80削減して「節約」されるのは56億円でしかない。だったら、それを削る前に320億円というムダな政党助成金を全廃すべきでしょう。
政党助成金はイタリアとアメリカにはなく、イギリスはわずか3億円ほど。フランスは98億円、ドイツは174億円。日本の320億円というのは、ずば抜けて大きい。
私は、大勢の国会議員がいること自体をムダだとは考えていません。でも、今は、たしかにあまりに役に立たないような議員が多いとは思います。かといって、下手に議員の数を減らすと、役に立つ議員まで失ってしまう危険があります。現に、私のよく知る弁護士は国会で大活躍していたのに、残念なことに落選してしまいました。役に立つ議員を失うと、劣化した政治の被害を受けると著者は指摘していますが、まったくそのとおりだ実感しています。
 わずか120頁、350円という薄いブックレットです。ぜひ、あなたもお読みください。世の中には考えるべきことがたくさんあることを知ってほしいと切に思います。
(2012年6月刊。350円+税)

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2012年7月26日

ピダハン

アメリカ

著者  ダニエル・L・エヴェレット  、 出版   みすず書房   

 1977年12月、26歳の著者はアマゾンの奥地に住む未開の部族、ピダハンにキリスト教を伝えようとして出かけていったのです。とてつもない奥地にピダハンは住んでいました。
 初めてピダハンに出会ったときに何より印象的だったのは、みんながそれはそれは幸せそうに見えたこと。どの顔も笑みに彩られ、ふくれっつらをしている者や、ふさぎ込んでいる者は一人もいない。
 西洋人の一家がアマゾンの村で暮らすための準備を整えるのは容易ではない。ピダハンの村に行く前には、何百ドルもの薬を用意した。アスピリンやヘビの解毒剤、そしてマラリアの治療薬だ。
 ピダハン語には、多くの言語にみられる要素が欠けている。とりわけ文章のつなげ方が恐ろしく難しい。ピダハン語には比較級がない。色を表す単語もなく、赤だったら、「あれは血みたいだ」といい、緑だったら、「まだ熟していない」という。また、完了した過去を語る言葉もない。ピダハンは、現存するどのような言語にも似ていない。
 ピダハン語には、数も勘定も、名色もない。ピダハンは血縁関係が単純だ。
ピダハン語は、だいたい、非常に単純だ。ピダハンは外国の恩恵や哲学、技術などを取りいれようとはいない。ピダハン語には、心配するというのに対応する言葉がない。今では、ピダハン語を話す人は400人もいない。
 ピダハンが病気になったら、その人物が命を落とす可能性は高い。母親が死んでも、子どもが死んでも、伴侶が死んでも、狩りをし、魚を獲り、食料を集めなければならない。誰も代わってはくれない。ピダハンの生活に、死がのんびりと腰を落ち着ける余地はない。
身内が死にかけているからといって、日課をおろそかにすることは許されない。
ピダハンの家は恐ろしく簡素だ。家はただ、雨や太陽を適度に遮断して眠れる場所であればいい。大人は砂の上に平気で寝るし、照りつける太陽の下で、一日じゅうでも座っていられる。
ピダハンは道具類をほとんど作らない。芸術作品は皆無で、物を加工することもまずない。大型で強力な弓と矢はつくる。加工品を作るにしても長くもたせるようなものは作らない。加工品としてネックレスはある。それは美しいというより、毎日のように見ている悪霊を祓うためのもの。
 ピダハンな、外の世界の知識や習慣が、どんなに役に立つと思っても、易々とはとり入れない。
 ピダハンは狩りや漁をしたら、獲物はすぐに食べきってしまう。自分用に加工してとっておくことはしない。ピダハンは空腹を自分を鍛えるいい方法だと考える。平均的な体格のピダハンは女でも男でも身長150センチから160センチ。体重は45~56キロほど。誰もが痩せて力強いピダハンの人々は、魚やバナナ、森にすむ野生動物、幼虫。ブラジルナッツ、電気ウナギ、カワウソ、ワニ、昆虫、ウナギなど、周囲の環境にあるものを何でも食べる。ただし、爬虫類と両生類は通常、口にしない。
 ジャングルでは熟睡するのは危険だ。だから「寝るなよ。ヘビがいるから」と声をかけあう。ピダハンの家庭には、たいていアルミ鍋とスプーンやナイフなどがあるだけ。
ピダハンは人の性生活をこだわりなく話題にする。結婚していないピダハンは、気持ちのおもむくままに性交する。夫婦であれば、性交するためにただジャングルに入っていけばいい。歌と踊りは、たいてい満月の夜に催され、その間は、結婚していないもの同士はもとより、別の相手と結婚しているもの同士でも、かなり奔放に性交する。いとことの婚姻にも制限がない。
夫婦は、これといった儀式をせずに共同生活を始め、子づくりをする。ピダハンも社会を形成している。しかし、公的な強制力というものは、ピダハン社会には存在しない。
 ピダハンは、どんなことにも笑う。自分の不幸も笑いの種にする。ピダハンは穏やかで平和的な人々だ。
 ピダハンは、一日一日を生き抜く原動力がひとえに自分自身の才覚とたくましさであることを知っている。
 ピダハンの女性は、たいていは自分ひとりで子どもを産む。ピダハンの子育てには、原則として暴力は介在しない。誰に対しても、相手が子どもであれ、大人であれ、ピダハンの社会で暴力は容認されない。
 平均45年は生きるピダハンは、原則として自分が直接に出会える人々で社会を構成している。
ピダハンは、仲間うちでは寛大で平和的だが、自分たちの土地から他者を追い出すとなると、暴力も辞さない。アマゾンでは、身を守り、狩りや食料採取などに互いに協力し合うことが命綱なのである。指導者も法も規則も必要としていない。生き延びる必要、そして追放という仕組みがあれば、社会を律していける。
 30年以上、アマゾンのピダハンの人々と一緒に暮らし、研究してきた元宣教師による観察記です。大変面白く読みました。前に、「ヤノマニ」というアマゾンの人々を観察する本を紹介しましたが、同じようなショックを受けました。
(2012年5月刊。3400円+税)

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2012年7月25日

学校改革の哲学

社会

著者   佐藤 学 、 出版   東京大学出版会

 現在、マスメディアとは無縁なところで、公立学校の革命的変化が進行している。「学びの共同体」づくりを標榜する学校改革に挑戦している学校は、小学校で1500校、中学校で2000校というように、公立学校の1割に達している。
 「学びの共同体」としての学校は、ひとまとまりの「活動システム」によって組織されている。どの授業においても、①男女混合4人グループによる協同的な学びを組織すること、②教えあう関係ではなく、学びあう関係を築くこと、③ジャンプのある学びを組織すること、この三つが求められる。
 教師においては、授業を子どもの学びへの応答関係によって組織し、①「聴く」「つなぐ」「もどす」の三つの活動を貫くこと、②声のテンションを落とし、話す言葉を精選すること、③即興的対応によって創造的な授業を追求することが求められる。
 教室において子ども一人ひとりの学びの権利を実現する責任は、学級や教科の担任教師が一人で負うのではなく、その教室の子どもたち全員、学年ごとの教師集団、そして校長と保護者が共有する。
 「学びの共同体」づくりを推進した学校では、どんなに荒れた学校でも、1年後には教師と生徒のあいだのトラブルや生徒間の暴力は皆無か皆無に近い状態となり、生徒たちが一人残らず積極的に学びに参加する状態へと変わっている。そして、改革を始めて2年後には、不登校の生徒が3割から1割に激減する。さらに、「学びの共同体」づくりを推進した学校のほとんどにおいて2年後には成績の低い生徒の学力が大幅に向上し、3年後には成績上位者の学力も向上して、市内トップもしくはトップクラスの学校へと再生する。
 新自由主義のイデオロギーと政策において、もっとも深刻な問題の一つは、教師の仕事を責任からサービスへと転換したこと。しかし、教師と親との関係は、サービスの提供者とサービスの享受者なのか。そうではないだろう。教育はサービスではなく、子どもに対する大人の責任である。子どもの教育を中心において、教師と親とが責任を共有することなしには、教師と親との間の信頼と連帯は形成しようがない。教育が責任からサービスへと転換することによって、教師の尊厳と教職の専門性は危機を迎えている。教師の仕事は「誰にでもつとまる仕事」と見なされ、教師に対する信頼も尊敬も崩壊しつつある。深刻なのは、教師の尊厳が傷つけられていることである。
 「数値目標による経営と評価」は、評価を受ける組織の目標が単一であり、単純である場合には積極的な効果をもたらすが、評価を受ける組織の目標が多元的で複雑な場合には否定的な効果しかもたらさない。教育委員会が「数値目標による評価」を学校に導入したことから、教師の仕事は「学力向上」や「いじめ」「不登校」の解決、「進学実績の向上」という単純で目に見えるものに限定され、その達成の証明と評価の資料作成に多大な労力を注ぐ状況に陥っている。
 一般に、人々は学校の改革を安易に考えすぎている。学校は頑固で頑迷な組織である。決して容易に改革しうるものではない。学校改革は容易な事業ではないし、学校改革を行うことが決して教育の質を改善し、教師のモラール(士気)を高めるものでもない。むしろ、逆の効果をもたらすことが多いのが現実である。学校改革は、数年の単位で遂行するような安易な事業ではなく、また、部分的な改革によって達成される事業でもないし、一部の人々によって達成される事業でもない。
 学校改革は、少なくとも10年単位で緩やかに遂行される長い革命であり、部分的改革ではなく、全体的構造的改革でなければならない。短期間の急激な改革や部分的局所的な改革は、その副作用や反作用によって否定的効果をもたらす危険のほうが大きい。
 不公平で非民主的な学校を改革するためには、学校の構成員一人ひとりが主人公として対等に参加し交流する組織へと学校内のコミュニケーションの構造それ自体を変革しなければならない。一人残らず子どもの学びの権利を実現することは、校長の責任の中核といってよい。この責任を自覚した校長は、職務の大半を教室の観察と教師の支援と研修の活性化に充てるはずである。
教師の仕事は高度の教養を基礎として成り立つ知性的な仕事であり、豊かな市民的教養と高度の専門的知識と実践的な見識を必要とされる複雑な仕事である。「学びの共同体」における教師は、「教える専門家」であると同時に、「学びの専門家」として再定義されている。
人が人と交わるというのは、実は危険な行為なのである。交わりの基盤には、他者を信頼して身体をさらして預けるという危険な関わりがある。
 日本の学校を特徴づけている教師の集団的自治の様式は、職員会議における協同の討議による意思決定と、一校あたり30以上に分業化された校務分掌と学年会あるいは教科会という小集団の自治単位によって運営されており、諸外国には見られない「日本型システム」を形成している。
「学級王国」においては、教師が「天皇」として君臨し、子どもの自主性と主体性を「集団自治」によってリモート・コントロールすることによって成立していた。「学級崩壊」が「学級王国」の崩壊であるとするならば、その現象は必然的であり、むしろ好ましい現象である。問題は、崩壊が新しい学校と教室の装置の新生を準備していない点にある。
 人称関係を剥奪された「集団」から固有名と顔をそなえた「個人」に立ち戻ること、そして個性と共同性を相互媒介的に追求すること、交わり響きあう学びの身体の流れを活性化して空間と関係のすべてを編み直すことが、この窒息し閉塞した状況を組み替える出発点となるだろう。
 とても格調高い教育論であり、心がふるえるほどの感動を久方ぶりに覚えました。
(2012年3月刊。3000円+税)

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2012年7月24日

イワンの戦争

ヨーロッパ

著者   キャサリン・メリデール 、 出版   白水社

 第二次世界大戦におけるソ連の大祖国戦争で倒れた3000万人もの赤軍兵士の実情を丹念に掘り起こした450頁もの労作です。
 ヒトラーを信用して欺されてしまったスターリンの犯罪的責任はきわめて大きいと改めて思いました。それをどうやってソ連の人々がカバー・克服していったのか、さらに、それをスターリンがどうやって利用したのかも紹介されています。ところどころに当時の写真があるのも、本文の記述を理解するのを助けます。
戦争の全期間を通して、ロシア人はソ連軍の多数派だった。ウクライナ人が2番目に多く、他にもアルメニア人やヤクート人まで多彩な人種がいた。多くの人々が、伝統的な区別を捨て、「ソ連人」という新たな呼称で自分を規定した。
 兵士の年齢はまちまちだったが、1919年から25年までの生まれが多かった。40代が何十万人もいて、年配の兵士も少なくなかった。
 しかし、人員の消耗率が高く、戦死や重傷による移送まで、前線にいる期間は平均3週間。後方からの補充も目まぐるしい。小さな集団の仲間が長く一緒にいるのは、まれだった。
 実に苛酷すぎる戦場だったことがよく分かります。
 ソ連は戦争の申し子だ。この国以上に暴虐と面と向かった国はない。最初は帝政ロシアがドイツに立ち向かった戦争だった。ロシアは欧州のどの国よりも多くの兵士を失った。
 十代の若者がみんなあこがれたのは、プロペラ機の搭乗だった。1940年には、訓練を受けて落下傘で降下できるソ連国民は100万人をこえると推定された。しかし、戦争本番では落下傘部隊の出動はほとんどなかった。
 軍隊には政治委員がいた。ポリトルクという政治将校が中隊以下を担当した。このポリトルクは、プロパガンダ担当、従軍神父、神経科医、監督教官、そしてスパイの役割を担っていた。ポリトルクも、プロパガンダの太鼓を叩きすぎると、抵抗を受けた。ポリトルクは、嫌われ者でもあった。規則に関して全権をもっていたからだ。ポリトルクの教育水準は平均より高く、その多くがユダヤ人だった。
トハチェフスキー赤軍参謀総長が逮捕され、裁判にかかったことは、軍のエリートたちを動揺させた。
 トハチェフスキーの逮捕は、国家によるテロ第一弾だった。軍だけでなく、国防機関のすべてを新たな政治統制の下に置くプロセスが始まった。
 1973年から39年までの3年間で3万5千人余の士官が職を追われた。1940年までに5万人近くが赤軍と海軍から追放された。戦前最後の3年間で、全軍管区の90%の指揮官が降格された。上下関係の転倒は、戦争をまさに目前にして、徴兵・訓練・補給・部隊間の連携を大混乱に陥れた。職業軍人は地位を失うまいと争い、士気も荒廃した。
 1940年までに1万1千人が軍に復職した。しかし、粛清は、士官一人ひとりの仕事をさらに難しくした。誰にも、職はおろか生命の保証さえないという事実が既に明らかだった。
 士官候補生や初級士官の自殺率の高さは目を覆うほどだった。その自殺の原因で、最も多いのは、「責任を問われる恐怖」だった。
 軍は肥大し、1941年夏に500万人を超えていたが、士官の数は絶望的に少なかった。少なくとも3万6千人の士官が足りなかった。戦時動員が始まると、不足数は5万5千人にはねあがった。その結果、兵士は男も女も、実戦経験のない若者の指揮下で戦わねばならなかった。そして、幹部の無能は、すぐに露呈した。士官の力量不足は致命的だった。兵士は初級士官を侮辱し、命令に従わなかった。
 ヒトラー・ドイツ軍が侵略を開始して最初の数週間でソ連赤軍は崩れた。これは兵士個人の責任ではなく、官僚的な規則、無理強い、嘘、恐怖と無統制の末路だった。
 1941年、ドイツ軍の砲火でやられた戦車より、故障で使えなかった戦車のほうが多かった。ドイツ軍1両に対して、ソ連は6両の戦車を失った。
 1941年末まで、ドイツ軍にとって赤軍の捕虜の生命なんかどうでもよかった。戦争初期、赤軍兵士は、簡単に降伏した。1942年、ソ連兵はドイツ軍の捕虜となれば残酷な仕打ちか死を覚悟しなければならないことを確信した。それを知ってから、ソ連軍の戦いぶりは激しくなり、敵への増悪は深まった。ドイツ軍は捕虜を虐待し飢えさせ、殺したことで、結果としてソ連軍を助けた。
 ソ連軍の捕虜のなかで、ポリトルクとユダヤ人は見つかり次第、どこでも射殺された。ドイツ軍の虐待行為がなければ、ソ連国民は再び戦いの持ち場につかなかっただろう。
 スターリン主義のもとでは、個人が目立つことを嫌う傾向が強かった。しかし、今や兵士一人ひとりが奮起して命がけで行動しなければならない局面を迎えていた。
 1941年から45年までに、ソ連軍は1100万個の勲章を授与した。アメリカ軍は140万個だった。軍人は立派な仕事をすれば必ず報酬があると理解した。物資面でも優遇された。
 1942年7月、スターリングラードに50万人をこえる将兵が終結した。このうち30万人をこえる人命が失われた。そして、このとき一定の法則があった。誰でも、10日間はなんとかなる。だが、どんなに頑丈でも、8日目か9日目になると、死ぬか、死ななくても負傷は免れなかった。
 兵士を奮い立たせたのは、言葉を超えた感情だった。愛といっても差し支えのないものに裏うちされた、まっすぐな憤怒だった。生きている限り、略奪者を撃破しなければならないことが分かっていた。
 ドイツ兵に比べて、ソ連兵の要求水準は常に低かった。ソ連兵はクリスマスツリーも、お菓子もケーキも夢に見なかった。そのようなものは、もともと知らなかった。
 1943年1月、赤軍は10万人近いドイツ兵捕虜を得ていた。粗末な食事と飢餓がドイツ兵捕虜の死因の3分の2を占めた。
 1943年7月、クルスクで赤軍とドイツ軍との大戦車戦が始まった。兵器の性能の優劣では、ドイツがソ連より上だった。しかし、数量ではソ連に分があった。しかし、勝敗を分けた最大の要因は技術や兵器ではなく、人間だった。我が身をかえりみない、決死的ともいえる勇気が勝つためには不可欠だった。40万人の赤軍戦車兵のうち31万人が死んだ。戦争は初日で決した。
戦争は若い女性には残酷だった。戦争中は、男性より女性のほうが早く年老いた。とくに戦闘に直接従事した女性はそうだった。
赤軍がドイツに入ったとき、兵士が感じたのは怒りだった。これだけ豊かなドイツ人が、なぜ東隣の国を略奪したのか。こんなに満ち足りているのに、どうしてさらに多くを求めたのか、誰にも理解できなかった。ポーランドでも、赤軍兵は相手の豊かさに同じような衝撃を受けた。怒りこそ、兵士たちの力の源だった。ドイツ人がすべての悪の根源だった。
 兵士は戦争で心労を深め、際限なく寄せ来る悲しみにうちひしがれ、疲労、恐怖、不安、極度の緊張にとられていた。彼らをそそのかすのは容易だった。
 ソ連は大暴れをはじめた。街は焼かれ、公人は殺され、レイプはもっとも広く行われた犯罪だった。モスクワの指導部が指令こそ出さなかったものの、兵隊の行為をそそのかした事実は疑いようもない。
 多くのものが夢うつつの状態だった。酒が一つの理由だった。大多数の兵士が意識を麻痺させるために酒に手を出した。情欲は情欲として、大多数の兵士には女性をうとましく、増悪さえする理由があった。戦争が始まってからというもの、家からの手紙は悲しい内容ばかりだった。飢餓やレイプ、死の知らせも届いたが、多くは別れの手紙だった。家族は崩壊し、個々の生活が別々の世界で生まれつつあった。兵士と家族の間の緊張は、戦場にいるものと民間人の亀裂から生まれた。軍隊が男社会であるのも一因だった。女性は疑いのある対象であり、女性嫌いの世界にあっては邪魔者だった。
赤軍は史上例をみない大掛かりな規模で、ありとあらゆる犯罪に手を染めた。赤軍は他のどの国の軍隊よりも苦渋をなめ、損失も大きかった。今や、その代償を求めていた。
 36万人を超える赤軍兵士たちがベルリンを目ざす作戦において死亡した。
 ドイツ、とりわけベルリンでの赤軍兵士のレイプは悪名高いわけですが、その背景事情をはっきり認識できました。もちろん、だからといってこの大々的な蛮行が正当化できるわけではありません。赤軍兵士イワンの実体をよく知ることのできる画期的な大作です。
(2012年5月刊。4400円+税)

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2012年7月23日

声のなんでも小辞典

人間

著者   和田 美代子 、 出版   講談社ブルーバックス新書

 どうして女性の声と男性の声は違っているのか、私は昔から不思議でなりませんでした。もちろん、ドラえもんの声が女性声優によるものだったとは知っていましたが、それにしても何が、どう違うのだろうかと謎でした。
 そして、人に近いチンパンジーやオランウータンは話せないのに、まるで人に似ていないオウムや九官鳥が人のモノマネができるのはなぜなのかも知りたいと思っていました。
 この本は、それらの疑問にこたえてくれる本です。
 チンパンジーののどは、ほぼ一直線になっているのと人と違って声帯が頭に近い位置にあるため咽頭がとても狭くなり、呼吸によって声帯で生じた音が鼻腔に入って鼻から外へ出てしまう。その結果、咽頭や口腔で共鳴させることができず、言語音をつくれない。
九官鳥は鳴器(めいき)という軟骨の突起部があり、ほぼ直角に折れ曲がった気道を、伸縮させたり太くしたり細くしたりして音を出す。
赤ちゃんの泣き声が遠くまでよく響いて聞こえてくるのは、声が大きいからだけではなく、人によく聞こえる周波数になっている、人間の耳の感度のいいところを本能にとらえているからだ。
新生児の声帯の長さは、男の子と女の子とで差がないので、声を聞いただけでは男女いずれか見分けがつかない。変声期を迎える7、8歳のころまで、男女の識別はプロでも不可能である。男子の場合、喉頭の上下、左右、前後といった枠組みが急激に成長して、声帯が入っている甲状軟骨の両翼の板が120度から90度くらいに突き出る。声帯の長さや幅、厚みが増していくにつれ、声が低くなっていく。これに対して、女子は男子に比べて変化が少ないために、声変わりしないかのように感じる。
 そして、年をとると声も中性化し、男女の声の差はなくなる。ええーっ、そうなんですか・・・。それは、まったく気がつきませんでした。今度、よく聞いて比べてみましょう。
 赤ちゃんに話しかけるときの声は、赤ちゃんが反応しやすい高い声が自然に使われている。
 アメリカの成人女性の声は日本人女性の声より低い。アメリカでは女性の甲高い声は幼い、あるいは能力が劣るという考えがあり、それに適応して、アメリカ在住の女性は低い声を学習している。
 男性は、おおむね声の高い女性により女性らしさを感じる。女性は低い男性に惹かれる傾向にある。
 喉仏(のどぼとけ)を形作っている甲状軟骨は焼くとなくなってしまう。そのすぐ近くにある第二頸椎の形があたかも座位の仏像のようにも見えることから、喉仏と呼ばれるようになった。
成人男性では、日常会話の声で毎秒100回、女性なら200回、声帯が振動している。歌をうたっているときは5~600回。ソプラノだと1000回をこえる。声帯は、超高速度臓器なのである。
 腹話術では下唇の代わりに舌を使うのがポイント。数え切れないくらい舌をかみながら、舌を前歯の前に出してしゃべる訓練を5年ほども続けた。これは、いっこく堂の話。
 狂言師の野村萬斎が舞台で演じるときの声がよく通るのは、頭から足先までの骨や筋肉の振動をうまく使ってうみ出した、体全体で引き起こされた空気の振動を私たちが受けとっているから。
音痴も、合理的なトレーニングをすれば、生まれつき強度の難聴や事故などで聴覚の機能が損なわれていない限り、ほとんど治る。
 これを知って、音痴の私も少しばかり安心しました。
(2012年3月刊。2800円+税)

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2012年7月22日

父さんの手紙は全部おぼえた

ヨーロッパ

著者   タミ・シェム・トヴ 、 出版   岩波書店

 第二次大戦中、オランダでもユダヤ人の迫害がありました。
 いえ、迫害があったというのは正しくありません。戦時中のユダヤ人死亡率はイタリアやフランス、ベルギーでは20%台だったのに、オランダでは、ドイツ、ポーランドに次いで70%と高かったのでした。これは、オランダ政府がナチスの政策を黙認して協力したため、強制収容所に移送されて亡くなった人が多かったという事実を示しています。そう言えば、アンネ・フランクもオランダで隠れていたのでしたよね。もちろん、そんなユダヤ人一家を生命がけで助けたオランダ人もたくさんいたのでした。
 この本のユニークなところは、ユダヤ人の10歳の少女がユダヤ人を秘して隠まわれていた農村地帯にある家に、別のところに隠れ住んでいた父親から絵入りのいくつも手紙が届いていて、その実物が戦後、掘り出されて紹介されているということです。
 絵入りの手紙は、とても素晴らしいものです。残念ながらオランダ語の手紙文の方は読めません(もちろん本文中に日本語訳はあります)。ともかく、手書きで活字体の文字がとても読みやすいのです。愛する10歳の娘に向けてのものだからでしょうね。そして、絵はさらに素晴らしい。医学部教授だった父親には絵心があったのでした。
 そのうえ、なにより素晴らしいのは、戦時中に病死した母親を除いて、家族みんなが無事に戦後になって再会できたことです。
 そんなわけで、この本は今も元気に生きている当時10歳の少女が父親からもらった絵手紙を前にして語ったものなのです。10歳の少女の素直な目から見た社会の矛盾だらけの動きがよく伝わってきます。
父親のユーモアあふれる絵と文章は実に魅力的。本当にそうなんです。この絵手紙に接することのできた日は、一日中、何となくトクした気分でした。
 2010年のドイツ児童文学賞にノミネートされたというのも、なるほどと思いました。この絵手紙の現物はイスラエルのロハメイ・ハゲタオット記念館に展示されているそうです。いちど見てみたいものだと思いました。
(2011年10月刊。2100円+税)

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2012年7月21日

素顔の伊達政宗

日本史(戦国)

著者   佐藤 憲一 、 出版   洋泉社歴史新書y

 戦国武将として名高い伊達政宗が大変筆まめな文化人でもあったことを知り、驚嘆してしまいました。なにしろ残っている手紙だけで1260通だというのです。娘にあてた自筆の手紙だけでも328通といいます。すごく筆まめな人だったんですね。ちなみに、織田信長の自筆の手紙は3通、豊臣秀吉は130通、徳川家康は30通です。
 伊達政宗は18歳のときに家督を相続し、翌年、父は戦死してしまうのでした。
 そして、豊臣秀吉の小田原攻めのときに、遅れて駆け付け、あわやというときを迎えたのです。家臣は主戦論と参陣論に分かれて激論をたたかわした末の参陣でした。案に相違して、秀吉からは手厚くもてなされたことは、有名な場面です。
 このあと、政宗は弟の小次郎(秀雄)を手討ちしたことにして逃したのではないかと推測しています。そのとき、母は山形へ出奔し、28年後に政宗と再会した。なんという劇的な再会でしょうか・・・。
秀吉が亡くなったあと、政宗は家康に味方します。ところが、家康は政宗を警戒していたのでした。
 政宗の必要上の動きが家康の警戒心をあおり、心証を悪くした。
 家康にとって、政宗は見方としては頼りになる存在であっても、敵となった場合の恐ろしさは十分に承知していた。そこで、覚書で100万石するとしていたが、脅威になるので反故にして、ほおかむりした。
 伊達政宗は、広く海外にも目を向けていた。家臣の支倉常長を大使とする遣欧使節を派遣した。自分の家臣を自分の建造した船で欧州まで派遣した大名は政宗のほかにいない。これは、政宗がスペイン王国とローマ教皇に対して、当時酢終え印の植民地であったメキシコとの通商と宣教師派遣を要請するために送り出した本格的な外交使節だった。7年に及ぶ海外での旅を経て元和6年(1620年)に使節は仙台に戻ってきた。ところが、当時すでにキリシタン取り締まりが強化されていた。
 1640年3月、常長の嫡男常頼は、切腹を命ぜられ、改易された。
 政宗は和歌をたしなみ、源氏物語などの古典にも親しんでいた。伝統にかなった書法を身につけ、流麗な仮名文字にも定評がある。
 ただし、酒豪であり、酒癖は悪かったようでもあります。
 政宗の知らなかった素顔をのぞいた気分になりました。
(2012年2月刊。890円+税)
記録的な大雨でした。私の住む町は幸いなんともありませんでしたが、周囲は大変でした。なかなか梅雨が明けないため、セミの鳴き声も心なしか弱々しげです。
 筑後川が氾濫したのは昭和28年のことですから、今から60年もの前のことになります。今回はそれに匹敵するほどの大災害でした。自然の脅威をつくづく感じます。
 原発再稼働反対の声が首相官邸を取り巻いているのは頼もしい限りです。人間の無力さをもっとみんなが自覚すべきではないでしょうか・・・。

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2012年7月20日

閉じこもるインターネット

アメリカ

著者   イーライ・パリサー 、 出版   早川書房

 インターネットで世界が広がったというのは単なる錯覚ではないのか、著者は鋭く問題を投げかけています。
 我々は、ある狭い範囲の刺激に反応しがちだ。セックスや権力、ゴシップ、暴力、有名人、お笑いなどのニュースがあれば、そこから読むことが多い。
 パーソナライズされた世界では刑務所人口が増えているとか、ホームレスが増えているとか、重要だが複雑だったり不快な問題が視野に入ることが減っている。
 アマゾンは、あらゆる機会をとらえて、マーザーからデータを集めようとする。たとえば、ギンドルで本を読むと、どこをハイライトしたのか、どのページを読んだのか、また、通読したのか行ったり来たりしたのかといった情報が、アマゾンのサーバーに送られ、次に購入する本の予測に用いられる。
 グーグルもフェイスブックも、関連性の高いターゲット広告を収益源としている。このように人々の行動が商品となっている。インターネット全体をパーソナライズするプラットフォームを提供する市場で取引され小さな商品に、関連性を追求した結果、インターネットの巨大企業が生まれ、企業は我々のデータを少しでも多く集めようとし、オンライン体験は我々が気づかないうちに関連性にもとづいてパーソナライズされつつある。
 アメリカ人は、とても受動的にテレビ番組を選ぶ。テレビ広告はテレビ局にとって宝の山となる。受け身でテレビを見ているから、広告になっても何となく見つづける。説得においては、受け身が大きな力を発揮するのだ。
 インターネットの草創期には、自分のアイデンティティを明らかにしなくてよいことが、インターネットの大きな魅力だと言われていた。好きな皮をかぶれるから、この媒体はすばらしいとみなが大喜びした。ところが、ウェブの匿名性を排除しようとする企業が数多く出現した。
 今では、顔認識さえできる。被疑者の顔写真をとると、数秒で身元と犯罪歴が確認できる。顔からの検索が可能になると、プライバシーや匿名性について我々が文化的に抱いている幻想の多くが壊れてしまう。顔認識はプライバシーを途切れさせてしまう。うひゃあ、これは怖いです・・・。
最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味をもっていること、自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつある。おもわぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる。世論をある方向に動かしたいと思えば、少しずつそちら向きの情報が増えるようにフィルターを調節してゆけばいい。
 うへーっ、これって本当に怖いことですよね。すごい世の中になってきましたね。とてもインターネット万歳とは言えませんよね。
(2012年2月刊。2000円+税)

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2012年7月19日

新採教師の死が遺したもの

社会

著者   久冨 善之・佐藤 博之 、 出版   高文研

 2004年9月、静岡県で小学校の新任教師となって半年後、24歳の女性教師が自らの命を絶った。9月29日、秋雨の降る早朝、車中で灯油を全身にかぶっての焼身自殺。
本来、教育は子どもたちの人生を左右する。その全人格にかかわるすばらしい仕事。児童教育は知・情・意、とくに心を育てていく大切なもの。教室は人の心の価値基準をつくる大切な場所。にもかかわらず、それに携わっている教師たちが必要以上のストレスを抱え、孤立させられ、追い込まれている。
 それは、子どもや保護者は言いたい放題、同僚の無関心、成果主義に日々追われている上司。さまざまなキャラクターのモンスターが登場する学校というリングに新規採用の教師が一人、セコンドなしに闘う状況と似通っている。
 新採教師の大変さは理解できる。支援してあげるべきだけど、学校にその余力はない。自分が支援しようとすると、今度は自分のほうがつぶれてしまう。
これは女性教師の自殺を知って寄せられた教師の声です。なんという悲しい悲鳴でしょうか・・・。
 教頭は「同じ教室にいて、なんで子どものチャンバラを止められないんだ。おまえは問題ばかりおこしやがって」と怒鳴り、先輩教師は、「おまえの授業が悪いから生徒が暴れる。アルバイトじゃないんだぞ。しっかり働け」と叱りつけた。
 いずれも当の本人たちは争っていますが、このように言われたとしたら、新採教師の心は相当傷つきますよね。たまりませんね。
 現代の教師の苦しさは、まず、対象である子どもの抱える困難であり、子どもとの関係である。子どもは誰しもが素直に真っ直ぐに成長するものではないし、けっして教師の思い通りにならない存在である。それぞれに生育と生活の重さを背負い、発達の困難を抱えて学校に来ている。だから経験を積んでも教師はつねに難しい仕事である。
 学校は、この自死した新採教師に対して、「思い込み激しい。つまらぬプライド強し」として、教師に向いていないと判断していたようです。夏休みに気分転換しようとして企画した外国旅行も、学年主任から「教えてもらっている身だからよくない」と言われて取りやめました。教師って、休みも自由にとれないんですね。
 8月下旬の日記には、「他の先生の協力をあおぐことに疲れた。私の心が傷つき、さらに疲弊してきた。生きているのが、つらい」と書かれていた。
 両親は、娘の死が労災(公務災害)にあたるとして、不支給決定の取り消しを求めて裁判を起こした。そして、2011年12月15日、裁判所は公務災害にあたるという判決を下した。
「学級運営に関する困難な問題に対して、反省と工夫を繰り返し、懸命に対処しようとしていたものであり、結果的には、児童らによる問題行動の内容やその頻度、新規採用教員としての経験の乏しさから事態が改善するに至らなかったという経緯等を踏まえると、クラスの運営については、もはや一人では対処しきれない状況に陥っていたというべきである。そして、このことは学校側においても十分把握することが可能であったし、指導困難に直面するなかで、教師が疲弊し続けていたことは十分察知できたはずである。
 このような事態の深刻性にかんがみれば、少なくとも管理職や指導を行う立場の教員をはじめ、周囲の教員全体においてクラス運営の状況を正確に把握し、問題の深刻度合いに応じて、その原因を根本的に解決するための適切な支援が行われるべきであった」
「新規採用教員の指導能力ないし対応能力を著しく逸脱した過重なものであったことに比して、十分な支援が行われていたとはとうてい認められない」
「そうすると、公務と精神障害の発症及び自殺との間に相当因果関係を肯定することができる」
 このような認定がなされたというのは、日本の教育現場の現実を反映した正当なものであるだけに、悲しいことです。もっとゆとりをもって、相互に暖かく助けあえる教師集団であってほしいものです。そうであってこそ子どもたちは学校で伸びのび育っていくことができます。
 ところでこのクラスには被虐待児がいたようです。虐待されて育った子どもは、周囲そして自分自身、つまりは人間に対する基本的な信頼感がないため、自らの感情をコントロールできず、激しい攻撃傾向があるようです。そのまま大きくなったら、人格異常と呼べる大人になるのでしょうか・・・。
 いやはや、教育の現場の大変さがよく分かりました。
 私の修習同期で親しい仲間である浜松の塩沢忠和弁護士も裁判に関わっています。控訴されたようですので、引き続きがんばってくださいね。
(2012年4月刊。1500円+税)

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2012年7月18日

第一次世界大戦(上)

ヨーロッパ

著者   ジャン・ジャック・ベッケール 、 出版   岩波新書

 第一次世界大戦、とりわけフランスとドイツとの戦争の実相を両国の学者が共同して描いています。
 1900年の人口はドイツ5600万人、フランス3800万人。いずれも人口数は停滞していた。
植民地征服のかなりの部分は必ずしも明確な経済的理由をもっていなかった。国家の目的は、しばしば国民感情によって直接的な支持を受けていた。単純に経済的次元に限定するのは不十分である。
フランス軍もドイツ軍も、動員のためには準備期間が必要であり、奇襲攻撃など不可能であった。
 ドイツの社会主義者たちは、フランス社会党の指導者との合意の下、1913年3月、軍国主義の反動に対する巨大なポスターを作成した。このポスターは、ドイツ語とフランス語で書かれていた。両国の社会主義政党は、軍国主義の過剰に対しては抗議をするが、祖国防衛には決して反対しないと書かれていた。
 1914年、社会主義者たちに平和への意思を放棄させ、危機に瀕する祖国防衛を受け入れさせたのは、間違いなくロシアこそが主要な侵略者であるという確信だった。
 1914年7月の時点では、フランスのCGT(労働総同盟)や社会民主主義者の幹部たちは戦争の勃発を阻止すべく行動していた。しかし、翌8月1日に、フランス政府が動員令を布告すると、戦争への抵抗は止んだ。フランス世論は、全体としてドイツによる侵略を信じた。自分たちが、何ものによっても正当化されえない侵略の犠牲者であるという確信こそが、動員され出征していく兵士たちの決心を支えていた。彼らにとって、この戦争は脅威にさらされた祖国を守るということだった。
 社会主義者が入閣するうえでの障害はもはや存在しかなかった。社会主義者たちは、緊急事態であるということを理由に、この入閣の誘いを受け入れ、それによって第二インターが禁じていた「ブルジョワ政府」への参画を実行した。
 1914年8月のドイツ人たちは、ほぼ例外なく、攻撃を受けた祖国を防衛することは正当であると考えた。
 1914年9月、軍部がフランス全体を統制下に置いていた。軍部独裁とまでは言えないが、実態はそれに近いものだった。議会のメンバーが前線に出かけて戦況を視察することが不可欠だったが、軍部はこれにきわめて強力に反対した。すべての選挙は、戦争状態の終了後まで延期された。
 軍部の統制下におかれ選挙権も奪われていたフランス市民は、何よりも情報の制約の犠牲者だった。検閲は、政府が反対派を沈黙させるための都合の良い手段となりえた。
開戦後、初めの数ヶ月間はフランスの社会主義者の立場に変化は見られなかった。彼らは神聖なる団結と祖国防衛を支持していた。しかし、戦争が続くなか、動揺する社会主義者たちの数は増える一方だった。
ドイツの司教教書は、開戦を物質的な文化の病的な雰囲気を一掃するものとして歓迎した。ドイツの「戦争文化」は、自らが正当な防衛の立場にあるのだということをドイツが繰り返し主張しなければならなかったという状況にも影響されていた。
フランスの側では、祖国が侵略され、一部占領されているという事実は、極端なまでの暴力的な言説をもたらした。それは、戦争の体験とそこから生まれる強迫観念や幻想を直接反映するものだった。フランス人に対して、ドイツ「文化」の内在的な暴力性を確信させるのに、たいした労力は必要とされなかった。
 一方、ドイツ人は戦場から離れており、自国の地を敵に踏ませていないという誇りから、「敵にあふれた世界」に対して自分たちの文明を守らなければならないのだという信念に固執していた。
 1914年から1918年にかけてのフランス人とドイツ人の日常生活の行動を規定していた要素はいろいろあるが、その最大は犠牲の巨大さである。その実数は国家の秘密事項であり、戦後に判明した。ドイツの死者は203万人、フランスは132万人だった。ロレーヌでは、1914年8月20日から23日までの戦闘で4万人が戦死したが、そのうち2万7千人は8月22日の一日だけの死者である。
 1914年11月末までに、フランス軍は45万4000人を戦死・行方不明・捕虜として失った。それはドイツ軍も同じようなものだった。ドイツ軍は開戦後1年間に66万5千人を戦力として失った。しかし、戦争は死者だけではなく、大量の戦傷者も生み出した。
 フランスでは食糧不足による騒乱や暴動は起きなかった。ドイツは事情が異なり、住民に対する食糧供給は、戦争の長期化とともに最重要の問題となっていた。1917年になると、パリで大規模なデモが行われ、人々を驚かせた。ドイツでは、既に1916年5月にベルリンでデモが開催され、そこでカール・リープクネヒトが逮捕された。1917年5月にベルリンで起こったストライキには20万人の労働者が参加した。
 1917年のロシア改革は、ドイツ国民の士気の回復に大いに貢献した。フランスと同様、ドイツの大衆も士気は低下した。しかし、ドイツ人にとって1917年はフランス人ほど絶望的な年ではなく、むしろ逆に勝利、あるいは平和の到来に対する期待に満ちていたため、士気は全体として依然として維持されていた。最終的にドイツが大戦中に動員した兵力は1300万人に及んだ。
 戦争はまた、機関銃の戦争でもあった。無骨だが頑丈なホッチキス機関銃が使われ、開戦当初の5100台が終戦時には6万台となっていた。1日に600万発の銃弾がつくられ、全体では60億発にもなっていた。5万2000機もの飛行機と9万5000台のエンジンを製造した。1918年には2500台の戦車が実践に投入された。そして、化学産業の申し子である毒ガス兵器もつかわれはじめた。
フランス人は税金を使って戦争をするつもりはなかった。しかし、お金を貸すことは嫌いではなかった。そこで、国債が発行された。戦争終結時にフランスの金保有量はほとんど減っていなかった。それは、個人に対する金の回収運動の成果だった。
戦争の需要はドイツの産業界に莫大な利益をもたらした。さらに、戦時社会の最も顕著な発展の一つが、女性労働の飛躍的な増加だった。
 この本を読んで、最近みたスピルバーグ監督による映画『戦火の馬』を思い出しました。第一次世界大戦も経済事情というより両面のプロパカンダに一般大衆が乗せられ、「祖国防衛」という実体のない叫びの下に、大量の戦死・犠牲者を出していったということを改めて認識しました。いわば、慎太郎・橋下流ポピュリズム政治が結果としてもたらすものを予見させる怖さです。
(2012年3月刊。3200円+税)

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2012年7月17日

脳はすすんでだまされたがる

人間

著者  スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版   角川書店

 この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
 あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
 この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
 目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
 視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
 一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
 脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
 記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
 手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
 手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)

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2012年7月16日

ラーメン・うどん・そば店の教科書

社会

著者   藤井 薫 、 出版   秀和システム

 不況でも繁盛する麺類の店の秘訣が図解されている楽しい本です。
 著者は私と同世代。もともとは飛行機などの設計をしていた人です。それが、讃岐うどんの本場を地元としていたため麺の機械づくりに従事するようになり、そのうちに麺の販売さらには麺類の店を展開し、学校まで開設するに至りました。
 麺ビジネスに一生懸命やれるか、熱い情熱をかけられるか、それがカギだ。
 なるほど、情熱が一番なのですね。
短期間でプロになり、その後もずっと進化し続けて、プロであり続けることが重要だ。プロであり続けることは、日々進化し続ける努力が必要なことを覚悟しなければならない。
 なーるほど、私も若手弁護士に対して、口を酸っぱくしてプロを目ざせ、中途半端な仕事をするなと言い続けています。
 うどんとラーメンとでは、小麦粉に求められる品質が異なる。うどんは、たんぱく質含有量が8~9%の中力粉が適している。ラーメン用の小麦粉に比べると硬さは低く、でんぷんの粘り強い小麦粉が必要だ。国内産で粘り強いもの、オーストラリアのASWという品種の小麦粉がお勧め。北米でとれる小麦粉はうどん用には適さない。
 ラーメン用は、うどん用よりたんぱく質含有量の高い小麦粉を使う。麺線が細いほど、たんぱく質含有率の高い(13~14%)準強力粉か強力粉を使う。11~12%の準強力粉を勧める。ただ、ラーメンも太い麺になるほど、うどんに近い、たんぱく質含有率8~9%の粘り強い小麦粉が必要になる。
 ふむふむ、こんな違いがあるのですね。知りませんでした。
毎年、1日10店が開業し、同じく10店が閉店する。閉店する店の多くは、開業して1年未満の新店である。
 たしかに、私の知る国道沿いのうどん店もオープンして1年あまりで閉店してしまい、ついに私は店に立ち寄る機会がないままでした。
 繁盛している店ほど、食べ物を売っていない。夜に繁盛している店のほとんどは、昼も大変繁盛している。繁盛している店ほど、メニュー数は少ない。
お店にとって、同じようなライフスタイルをもった人たちが同じ店の中にいるほうが、よほど心地よい。
外食の飲食店は、「非日常空間」が演出できることが重要だ。いくらきれいでも、普通の民家のような造りになってしまってはいけない。
手造り感を出すのも一つの方法だ。きれいで整っている店より、下手な大工が作ったような手造り感のある店の方が、味があって評価されやすい。
 夜の営業では、店の外壁の照明が明るいことも重要だ。店の外壁が暗いと、営業していないように見えてしまう。
最近の客は相席を嫌がる人が多いので、ラーメン店ではカウンター9席、うどん・そば店ではカウンター席18席がもっとも効率良い。
カウンター9席しかないラーメン店が厨房内の2人で1時間に5回転、10時間営業で450人の客をさばいている。
 とても実践的な本です。もちろん、麺類の店にはお客として行くだけの私ですが、とても分かりやすく、プロ志向の弁護士である私にも勉強になりました。
(2011年12月刊。1400円+税)

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2012年7月15日

人間・昭和天皇(下)

日本史

著者  髙橋  紘  、 出版   講談社

 下巻は戦中・戦後の昭和天皇の歩みをたどります。
 戦中、国民が疎開するより早く、皇族は安全な地へ疎開しはじめていたことを、この本を読んで初めて知りました。
日米開戦前の1941年(昭和6年)7月ころから皇族の避難先を選定しはじめた。そして、学習院の疎開は1944年、一般人より2ヶ月も早い5月に始まった。
 昭和天皇は、あらゆる意味で孤独だった。陸士(陸軍士官学校)でも海兵(海軍兵学校)でも学んだことはなく、兵営生活も軍艦に乗り組んだこともない。自分のまわりに上司も部下をもつこともなかった。
 両親から早くに離されて大きくなり、心を許して語りあう友もいない。生涯、身のまわりには自分より下の位の人ばかりだ。
 昭和天皇は、終戦時に45歳そして皇后43歳、皇太子は13歳だった。天皇は働き盛りだった。昭和天皇は、酒をたしなまなかった。お酒の練習もしたが、やはり合わなかった。
戦後、アメリカは占領コストを考えて昭和天皇を利用することにした。昭和天皇の命令によって700万余の兵士は武器を捨て、軍隊は解散した。そのおかげで数十万のアメリカ兵が死傷することがなかった。
 1946年の日本占領費用は6億ドルかかったが、1945年に40万人をこえた連合軍兵士が1946年には20万人と減らすことができた。
1946年元旦の人間宣言はアメリカ軍(CIE)が発想し、原文を書いたものだった。昭和天皇の国内巡幸もCIEの作戦だったが、大成功をおさめた。
 戦後、昭和天皇の退位論が出た。裕仁という天皇個人はどうでもよく、皇統を維持して国体を護っていくことが宮廷派の基本的な考えだった。しかし、昭和天皇が退位することは、反共の砦としたいアメリカやマッカーサーの構想をつぶすことになり、戦略的に天皇を守ってきた意味がなくなってしまう。
 中曽根康弘は天皇退位論を唱えた。昭和天皇は戦争責任について、何の表明もせずに生涯を終えた。それで、いつまでも責任が問われ、「永久の禍根」となった。
 昭和天皇の人間としての生々しい実際を知ることのできる本です。
(2012年2月刊。2800円+税)

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2012年7月14日

いま開国の時、ニッポンの教育

社会

著者  尾木 直樹 ・ リヒテルズ直子、 出版  ほんの木

 2008年11月の対談が本になっています。オランダの教育の日本は学ぶところが大きいと感じました。
 日本の教育で一番問題なのは、政治がダイレクトに教育に口を出してくること。まことにそのとおりです。石原慎太郎にはじまり、今では橋下徹。どちらも、大量得票をバックとして偉そうなことを言って教育統制に乗り出しています。
 7・5・3現象といわれるものがある。小学生は7割しか学校の勉強についていけない。中学生は5割、高校生になると3割しか習う内容を理解していない。
 国はビジョンだけで示せばよくて、あとの実践は現場の創意工夫に任せるべきだ。
日本社会の全体が子どもの成長や発達について考えられないばかりか、若者を排除する社会的な虐待をしている。子どもは黙ってついてこい、従えという考え方がある。
 日本社会全体に、大人もふくめて他の人を「肯定」しようという態度が薄い。他者を肯定するつもりがなくて、自己肯定なんてありえない。幸福感が低いうえ、自立心も育てられないので、自分の感情を言葉で表現できない子どもが多い。
 今のヨーロッパの教育は、人間性の総合的な発達、多面的な能力のバランスのとれた発達を重視する方向に動いている。オランダでは、学校は、子どもたちが「学ぶことを学ぶ」ところだと考えられている。
 学力一本で測るのではなく、個の中の多様性をいかに引き出し伸ばすのかが重要。
 日本では学校の役割が、学力だけでラベリングし、格差をより差別化するための「選別工場」の役割を果たしている。
 今の日本では、校長の権限をいかに強化するかという管理強化だけに意識が向いている。命令に素直に従うように長年にわたって徐々に教育委員会が「仕立て上げた人材」である。民主主義を教えるはずの学校が、この自由主義社会において、今や完全に全体主義に陥ってしまっている。
 日本をダメにした、教育を破壊したのは日教組だと、見事に世論を操作してきた。叩くべき敵をつくって、一気に全体主義的な教育支配を貫徹しようとしてきた。
 今や教師は、がんじがらめ。生きのびさえすればと、教師は卑屈になっている。評価される項目ばかりに目が向き、子どもの方に目が向かない。あまりに締めつけているから、優秀な人材が教員になりたがらなくなっている。
 日本の教育をオランダとの比較で考え直してみる格好の材料となる本です。

(2009年5月刊。1600円+税)

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2012年7月13日

FBI秘録

アメリカ

著者   ロナルド・ケスラー 、 出版   原書房

 アメリカのFBIがどんな違法な活動をしているのか、興味があります。
司法公認の極秘侵入であり、住宅やオフィス、自動車、ヨット、飛行機そして大使館などに隠しマイクやビデオカメラを設置し、コンピュータや机の中を覗きまわった。
 極秘侵入の回数は年間400件にものぼる。その80%は、テロ事件や対敵諜報活動にかかわる国家安全保障問題が対象である。残りは、組織犯罪や知的犯罪、政治家の汚職事件などが対象になっている。
 嘱託を含めると1000人もの職員をかかえる作戦技術課には工学研究施設が含まれる。そこではFBI特注の盗聴装置や追跡装置、センサー、そして犯罪者を監視し、行動を記録できる監視カメラなどが作られている。
 FBIの捜査官1万4千人ほどのうち、20%が女性だ。捜査官は4つのグループに分けられる。現場をくまなく調査してコントロールする調査グループ。錠前を破り、金庫や郵便物を開けるメカニックグループ。コンピュータや携帯電話の取り扱いが専門のエレクトロニクスグループ。そして、開封と封印(フラップ・アンド・シール)グループである。このグループは、現場の回復も担当し、捜査官が侵入した痕跡を一切残さないよう気を配る。一回の作戦に100人以上の捜査官が関わることがある。
 極秘侵入では、捜査官の一人は、すべてが元通りになっていることを確認する責任を負う。現場に何ひとつ置き忘れてこないように、作戦中に使用する器具には、すべて番号と目印が付けられ、使用した捜査官を特定できるようになっている。
 隠しマイクや隠しカメラを設置するとき、人間の髪の毛ほど細さの光ファイバーで、音声や画像を送信することがある。そのため、盗聴器解除の専門家にも、電子の放出を検知されることはない。
 FBI長官をながくつとめたフーヴァーは、マフィアに目をつぶった。組織犯罪は、合衆国に対する唯一最大の犯罪的脅威であるという周知の事実をフーヴァーは否定し続けた。フーヴァーは、マフィアの構成員は地方のチンピラに過ぎず、全国犯罪組織には関与していないと主張した。
 きっとフーヴァーとマフィアはくされ縁があったのでしょうね。
 フーヴァーはトールソン副長官と切り離すことのできない仲だった。毎日、昼食をともにし、夕食もほとんど一緒にとった。いずれも独身を通した。これって要するに、二人ともゲイだったということですよね。先日のアメリカ映画も、そのことを強く示唆していました。
 フーヴァーとトールソンは、広い意味で夫婦同然の関係にあった。
 ところが、フーヴァーは、表向きでは、ゲイを口汚くののしっていたようです。それも自分の「弱点」を隠すためだったのでしょうね。
 ウォーターゲート事件について内部告発した「ディープ・スロート」が誰であるか、今では明らかになっています。フーヴァーの下にいたフェルト副長官でした。2005年にフェルト自身がディープ・スロートであることを告白したのです。
 映画『アメリカを売った男』の主人公であるFBI捜査官ロバート・ハンセンは、ロシアのスパイとして21年以上にわたって、ソ連そしてロシアに機密情報を売り渡していた。始まりは1979年のこと。ところで、このハンセンは、教会のオプス・デイという強硬な反共主義を唱える保守的団体に属していた。さらに、ハンセンはワシントンのスリップクラブで働く女性と親密な関係にあり、彼女にベンツや宝石を買い与え、香港に同伴していた。
あらゆる人間を蔑視していたハンセンは、とりわけFBIの女性職員を蔑視していた。ハンセンは、金銭的報酬以上に、FBIへの意識返しや、インテリジェンス・コミュニティーを出し抜くスリルや、支配権を手にした感覚を楽しんだ。ハンセンは2001年7月に保釈なしの終身刑を言い渡され、今もアメリカの刑務所にいる。
 ハンセンの妻は、今もなお妻であり、1980年ころから妻がソ連と取引していたのを知っていた。
 FBI捜査官について当局の承認を得て書かれた本です。その制約はありながら、よく実情が紹介されていると感心しながら読みすすめました。
(2012年3月刊。2200円+税)

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2012年7月12日

ナチ戦争犯罪人を追え

ヨーロッパ

著者   ガイ・ウォルターズ 、 出版   白水社

 ナチの残党の逃亡を助けるオデッサと呼ばれる組織(オデッサファイル)があり、南米に逃亡して大農場で豊かに暮らしているところを、ジーモン・ヴィーゼンタールのようなナチ・ハンターによって追跡されて摘発・逮捕された。これが私の理解でした。ところが、それがほとんど嘘っぱちだったというのです。
 オデッサなる組織はなく、南米でナチの残党が暮らしていたのを摘発したのはジーモン・ヴィーゼンタールではなかったのでした。では、いったい、誰がどうやってナチ残党の逃亡を助け、そして摘発したというのか。その点を徹底解明した500頁もの大作です。スリル小説を読んでいるような迫力さえある本でした。
ジーモン・ヴィーゼンタールはとても長いあいだ世俗の聖人扱いされてきたが、アイヒマン狩りでの自分の役割を捏造したし、それだけでなく、いくつものエピソードをでっちあげた。
 本書で、著者は、ヴィーゼンタールは嘘つき、しかもひどい嘘つきであって、その名声は砂の上に築かれていると断言しています。
ノーベル平和賞の候補者に4回もなり、フランスのレジオン・ドヌール勲章を授けられているヴィーゼンタールは、1100人もの元ナチを捕らえた。なによりアイヒマンの所在を突きとめた「功績」で有名だ。それが、みんな嘘だったなんて・・・?!
 ヴィーゼンタールが具体的に書いているとき、そのほとんどが嘘をついている。うひゃあ、ここまで断言されるとは・・・。こたえますね。
 煙に包まれているナチ逃亡援助機関は、実際には校友会組織に似ている。煙の下に一つの大きな火があったわけではなく、多くの小さな火があったのだ。
 オデッサについてのヴィーゼンタールの情報源は、疑わしい信頼できない男のものでしかない。オデッサは、作家フレデリック・フォーサイスの作った完全なフィックションだった。
 アイヒマンは、ハンブルグ近くで森林管理人として働いていた。そして、かつてアイヒマンが迫害していた者たちが彼を助けた。オーストリアへ逃げ、ジェノヴァに出て、そこで赤十字の旅券を受けとった。
 そして、ヨーゼフ・メンゲレも1949年8月に、南米のブエノスアイレスに到着した。
 アイヒマンも同じブエノスアイレスの近くに住み、ドイツから家族を呼び寄せた。ブエノスアイレスのドイツ風レストランで二人は会ったことがある。しかし、メンゲレは洗練されていて、アイヒマンは中産階級の下と目されていた。
 そして、1960年5月11日、アイヒマンは捕まった。イスラエルから派遣されてきた男たちによって・・・。ヴィーゼンタールは、アイヒマンの居所を突きとめるのに関わってはいない。厚顔無恥に自分の手柄にしたというだけのこと。
 では、誰がアインヒマンの存在を明るみに出したのか・・・?
ここで答えを書くと、アインヒマンの息子が交際していた女性がユダヤ人であって、彼の名前がアインヒマンだということを知って、遠くドイツの検察官に手紙を書いたということです。
 悪いことをしたら、いつかはそれが明るみに出るものだということですね。
(2012年3月刊。3800円+税)

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2012年7月11日

最高裁回想録

司法

著者   藤田 宙靖 、 出版   有斐閣

 学者出身の最高裁判事は、何を見、何を聞き、何を考えたか、と本のオビに書かれています。著者の最高裁判事としての在任期間は2002年(H14)9月から2010年(H22)4月までです。
 最高裁判事に学者からなるのは、要するに、一本釣りのようです。ある日突然、最高裁の人事局長から電話があったのでした。弁護士の場合には、弁護士会の推薦手続が必要です。最高裁判事になるのは65歳ころが多いように思います。
最高裁判事の宿舎は塀の上に有刺鉄線と警報機を巡らせ、庭の各所を照らす照明器具に囲まれた物々しい要塞。専用車で、この宿舎と最高裁のあいだを送り迎えされる。これはほとんど「囚われ人」の日常生活である。最高裁判事は朝8時半に宿舎に専用車の迎えが来て、9時過ぎに最高裁に到着する。昼は昼食が裁判官室に運ばれてくる。途中3時にお金をのみ、あとは5時まで記録よみ。自宅に5時半には帰着する。トイレは裁判官室内に専用のものがあり、外に出る必要はない。そこで、一日に500歩しか歩かない日もある。そこで、著者は毎朝4時半すぎに起床して45分間ほど周辺を歩いた。
 最高裁の裁判官会議は、原則として毎週水曜日の朝10時半から開かれる。裁判官会議に出席して何よりも驚いたのは、その時間の短いこと。毎回せいぜい30分から1時間。なかには、会誌の定刻前に終わったこともあった。
これって、まさしく最高裁が事務総局によって牛耳られていることを意味しています。そして、著者は、それでよしと合理化しています。いちいち検討するのは時間的にも能力的にもできるわけがないというのです。まあ、実際はそうなんでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか、疑問です。
2週間に1回、15人の裁判官のみで昼食をとるということもある。同じ小法廷の裁判官同士のあいだでも、審議の際を覗けば、日常的に顔を合わせることはほとんどない。
 最高裁の内部構造ははなはだ複雑を極めていて裁判官室から小法廷にたどり着くのも容易ではない。
最高裁に係属する事件の95%、つまりほとんどは、持ち回り審議案件で占めている。残り5%が重要案件として、評議室における審議の対象となる。
 最高裁に来る事件は毎年6000件。これに特別抗告などの雑件をふくめると9000件にもなる。小法廷への配点は機械的になされる。
 最高裁では、判決を言い渡しするとき、主文のみということであった。しかし、これは刑事規則の明文に反するという指摘もあり、判決理由の要旨も読みあげるようになった。理由を読みあげなかったのは、法廷の適正な秩序の維持という目的によるものであった。
 裁判官と調査官の共同作業によって裁判したというのが実感。
 最高裁判事を7年半つとめて、つくづく思うことは、裁判、とりわけ最高裁の判決というのは、しょせん常識の産物だということ。学者は分からないことは分からないと言ってはいけないが、裁判官は、本当には分からなくても、ともかく決めなければならず、判断を先送りすることができない。
最高裁の多数意見というのは、その性質上、常に、ある程度の妥協の産物であることを避けられない。今日、最高裁は、むしろ最高裁の意向を意識するあまりに下級審の裁判官が萎縮してしまうことのないよう意を払っている。
 ある年齢以降、「出世」を逃げていくものと、地家裁や支部を転々とするもののグループに分かれていき、後者から前者へ移行するのは困難だという現象もたしかにあるような気がする。これは組織体のなかでの協調性と、リーダーシップの有無についての所属庁における評価いかんではないかと思われる。器用な人間はトクをするし、不器用な人間はやはり損をする。しかし、これは、裁判所に限らず、組織一般に見られる現象である。
最高裁判事の日常生活や評議の様子がちらりとうかがえる本でした。
(2012年4月刊。3800円+税)

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2012年7月10日

みんな悩んで、教師になる!

社会

著者   佐藤 博・山崎 隆夫 、 出版   かもがわ出版

 教育という仕事の喜びややりがいを奪うものが、今日の社会と学校にあふれ、教師たちを追いつめているのではないか。教師を生きることの困難は、若い教師たちだけの問題ではない。
 公立学校教師の病気休職者は、2009年度に8500人、その6割の5400人が精神性疾患による休職。この神経疾患による休職者は、1993年ころから2.5倍へと急増している。そして病気休職者全体の増加分のほとんどが、「精神性疾患による」休職者となっている。
ベテラン教師であっても生きづらい日々を重ねながら命を削るようにして毎日を送っている。私のよく知る同世代の教師も定年前に退職してしまいました。教師には喜びもあるけれど、無用かつ大変なストレスがかかっているのです。
 初任者研修が、助けあうものではなくなっている。お互いに足をひっぱりあい、批判しあうものになっている。自分の学級がいかにうまくいっているのかアピールする人がいて、自分が指導主事や教育委員会にいかに目立つことができるかを誇示する場になっている。
 管理職や指導教官による「不当な圧力」ともいえる「指導」があり、「対応のしかた」がある。これが新任教師を苦しめ、教師という仕事から夢を奪い、教師を続けることをためらわせている。そして、保護者からの「クレーム」の問題もある。
もっとも強く若い教師を苦しめているのは、失敗や試行錯誤を含めた一人ひとりの教師の、瑞々(みずみず)しい個性的な実践を暖かく見つめる視点がないこと、それらが支えられていないこと。あるいは、不十分ではあっても、さまざまな困難に打ち勝ちながら、子どもと友に成長していく教師への「しなやか」で「ゆるやか」で「人間的な」まなざしが、教育の現場や社会に欠けていること。
人間的完成を呼び覚まし励ましてくれるような会話の流れる関係や言葉が、職員室の中心にあったら、どれだけ若い教師を大きく励ましてくれることだろうか。
教師と子どもを競争で追い立て、支配し、学校を人間が育ち生きる場にしていない今日の状況を変えることがいま切実に求められている。
 いま、国家が全力をあげて教師を蔑んでいる。国が蔑んでいるものを国民が信用するはずがない。だから、うまくいくものもうまくいかない。そして、それをどんどん責め立てて追いつめていく。だから、誰がやってもうまくいかないようなシステムにされてしまっている。この構造そのものが、教師の直面する困難の基本にある。教師はいま、上・下・横・内から責め立てられている、上は教育委員会、校長、副校、主幹。下は肝心の子ども自身からの反抗で、なかなか言うことを聞いてもらえず、さまざまな問題行動が起こり、秩序が乱れて収まらない。そのため、今度は横から、つまり保護者から、いろいろな批判や苦情を言われる。信頼されない。連絡ノートにびっしり要求を書いてくる。「先生、辞めたら」とまで言われる。ついには職員室の内側まで競争にさらされ、同僚からも指導力を問われたり、非難されたり、陰口を言われたりする。
 教師を大いに励まし、横の連携を強めてもらってこそ、子どもたちは安心して教師と一緒に生活できるし、学びあいができます。今の日本の教育は、本当に心配な状況にありますよね。
(2012年3月刊。1500円+税)

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2012年7月 9日

ウイルスと地球生命

生物

著者   山内 一也 、 出版   岩波新書

 2000年、ウイルスが人間の胎児を守っていることが明らかにされた。それまで、病気の原因とだけ見られていたウイルスが、実は、人間の存続に重要な役割を果たしていることが示された。ええっ、ウイルスって役に立つものだったんですか・・・。
 ヒトゲノムの9%は人内在性レトロウイルス、34%がレトロトランスポゾン、3%がVNAトランスポゾンだということが判明した(2003年)。
トランスポゾンとは、生物の間を自由に移動できる、いわば「動く遺伝子」であり、その大部分を占めるレトロトランスポゾンは数千万年前に感染したレトロウイルスの祖先の断片とみなされている。われわれ人類のもっている遺伝子情報の半分はウイルスに関連したものになる。ということは、ウイルスは、単に病気に原因というだけの存在ではありえないということを示している。
 ウイルスは30億年前には存在している。これに対して最古の猿人は700万年前、ホモ・サピエンスが出現したのは20万年前にすぎない。
人類(女性)は、妊娠すると、それまで眠っていた人内在性レトロウイルスが活性化されて大量に増えてくる。そして、この内在性レトロウイルスのエンベロープ・たんぱく質が胎盤を形成するのに重要な役割を果たしていることが実証された。
ウイルスは、細胞外では単なる物質と言える。しかし、細胞の中では、自主性をもった生物として振る舞う存在である。そして、無生物との間には、常識的なはっきりした線を引くのは難しい。
生物とウイルスとの大きな違いは、細胞の有無と増殖様式。ウイルスには細胞は存在しない。生物は、二分裂で増殖する。しかし、ウイルスは部品組み立て方式である。
 エイズの原因であるウイルス(HIV)には、二つのタイプがある。そして、全世界に広がったのは1型のHIVであり、20世紀のはじめに西アフリカでチンパンジーのウイルスにひとりの人間が感染して、それが人間のあいだに広がった。2型のHIVは、アフリカ産サルであるスーティマンガベイのウイルスに人間が20世紀半ばに感染したもの。これは西アフリカの中だけで広がっている。
 子孫を残すために共生するウイルスが貢献している側面は、哺乳類よりはるか以前に地球上に出現した昆虫に既に見られる。
 海に存在するウイルスを推算すると、少なくとも海水1ミリリットル中に、深海で100万個、沿岸だと1億個のウイルスが存在する。海洋全体では、10の31乗個のウイルスが存在する。ウイルスは、海洋の至るところで、さまざまなプランクトンに感染することで、地球規模の炭素循環に多大な影響を与えている。
 深海底から採取した堆積物に、1平方メートルあたり28兆個のウイルスが存在していた。また、ウイルスの活動は、地表の温度上昇を防ぐ雲の性瀬にも影響を及ぼしている。ウイルスは、硫化物の循環を介して地球の気候変動にも関係している可能性がある。
 人間の腸内には100兆個もの最近がすみついているが、ウイルスはそれを上まわる数で共生している。それが腸内細菌とどのような相互作用をしているのか、まだ未知の領域である。
ウイルスって、人間にとって有害なだけの存在かと思っていました。実は違っているんですね。ほんとうに、世の中って、知らないことだらけですよね。
(2012年3月刊。2800円+税)
 土曜日に、先日うけたフランス語検定試験(1級)の結果通知のハガキが届きました。61点でした。初めて5割を超えることができました。信じられない成績です。もちろん合格基準点は82点ですから、あと20点以上も上回らなければいけません。それにしても、続けていると少しずつ良くなるのが、うれしいものです。
 フランス語の授業のとき、原発はすぐなくすべきだと言ったら、みんなが電力不足が心配だからと反論してきました。そんなのウソだ、政府と電力会社にだまされてはいけないと言い返せず、悔しい思いをしました。まだまだです。

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2012年7月 8日

花晒し

日本史(江戸)

著者   北 重人 、 出版   文芸春秋

 私と同世代の作家です。惜しくも3年前に亡くなっています。なかなか、じっくり読ませる時代小説です。いずれも短篇なのですが、話はずっと続いていきます。
 女がひとり、深川で生きていくにはね、暗くなっちゃあいけないんだ。気持ちが落ち込んでいても、明るく振る舞うんだよ。暗い気分で、暗い素振りじゃあ、ますます沈んでしまう。自分もそうだけど、周りのみんなの気が沈み、人が離れっちまう。辛いときこそ、明るく振る舞うんだ。そうすれば、人がよくしてくれる。いいかい。覚えておくんだ。けどね、明るいだけじゃ駄目だ。気張って意気地も見せないとね。大事なのは、明るさと意気地さ。そうすれば、あんたなら大丈夫だ。しっかりと生きていける。
なーるほどですね。いい言葉ですね。
 娘をたぶらかしてなぶりものにする悪徳武士(サムライ)に小気味よく復讐する話があります。胸のつかえがおります。そして、芝居がかった噂によって近所の稲荷に参詣人をたくさん集めて景気を盛り上げる話があります。
 実際、江戸の人々は神社やお寺に物見高く大勢参集していたようです。娯楽の少ないとき、人々の好奇心を満たす対象だったのでしょうね。
 そして、人が集まるところには店が立ち並ぶのです。稲荷鮨がどんどん売れるのでした。しっとりとした江戸情緒をたっぷり味わえる時代小説です。
(2012年4月刊。1500円+税)

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2012年7月 7日

朝の霧

日本史(戦国)

著者   山本 一力 、 出版   文芸春秋

 いつも、うまい時代小説を書く著者が、いつもの江戸時代ではなく、少しさかのぼって戦国時代を舞台として書きました。
 四国は長宗我部元親が覇者になろうとしていたころを舞台とした時代小説です。
 戦国時代は武田信玄のように、実父を早々に追放して若くして実権を握った武将がいました。兄弟間の殺し合いはありふれていました。おとなしく従っているように見せかけて、実は敵に内通しているという武将はいくらでもいたのです。そこには信義よりも力の世界があったのです。
 長宗我部元親と競争していた武将・波川玄蕃は長宗我部の配下に入って、めきめきと頭角をあらわします。あまりに活躍し目立つと主のほうは面白くありません。いつ自らの地位が脅かされないとも限らないからです。下剋上の世の中なので、従であっても力あるものが上に立つ主(あるじ)を打倒する心配が常にありました。
 とうとう長宗我部は、この波川玄蕃を切り捨てることを決意します。実妹の夫であっても、自らの地位の安泰の方が大切ですから・・・。
 いつものことながら、しっぽり読ませてくれる本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)

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2012年7月 6日

核兵器と日米関係

社会

著者   黒崎 輝 、 出版   有志舎

 日本の「非核」政策なるものの実質を追及した本です。主として1960年から1976年までの日米関係が対象となっています。
 非核三原則が「国是」として広く国民から支持され、日本の核武装を論じることは長くタブー視されてきた。ところが、このところそのタブーも過去のものとなった感がある。核武装すべきだと公言する国会議員が出てきたのです。そして、マスコミがそのままたれ流しします。
 北朝鮮の核兵器とミサイルの脅威に対抗するためには、日本も核兵器を持つべきだという声もかまびすしい。しかし、日本が核武装するかどうかを決めるとき、アメリカの意向は無視できないという認識が広く存在する。
 日本政府が「非核三原則」を掲げる一方、日米安全保障条約を日本の安全保障・防衛政策基軸と位置づけ、核の脅威に対してはアメリカが提供する核抑止力、いわゆる「核の傘」に日本の安全を依存してきたという厳然たる事実(認識?)がある。
 日本は1970年2月にNPTに署名し、1976年6月に同条約を批准した。これによって、日本は非核兵器政策を一方的に宣言するだけでなく、核兵器を製造・保有しない義務を国際社会に対して負うことになった。中国は1964年10月に最初の原爆実験を成功させた。これは日本の宇宙開発関係者にとって大きな衝撃だった。
1961年10月の国連総会において日本は西側諸国として唯一、核兵器使用禁止決議に賛成した。これは唯一の事例である。この決議は核兵器の使用は、国連憲章に反し、人類に対する犯罪であると宣言している。
1966年2月、日本政府は統一見解を発表した。
 「現在の国際情勢のもとにおいて米国の持っている核報復力が全面戦争の発生を抑止する極めて大きい要素をなしている。日本も、このような一般的な意味における核のカサの下にあることを否定することはできない」
 米国の核抑止力への依存政策は、日米安保条約により日本の安全を確保するという政府見解によって覆い隠され続けてきた。
 佐藤栄作首相が非核三原則を表明したのは1967年末のこと。
佐藤栄作首相は、当初、国会で非核の三原則を表明するつもりはなかった。当初の演説原稿には、「持ち込みも許さない」という言葉は入っていなかった。ところが、非核三原則の表明は、予想以上に大反響を呼び、やがて事態は佐藤の思いもよらない展開となった。
 1971年に起きた二度のニクソン・ショックは、日本の指導者たちを驚かし、米国に対して不信感を増強する原因となった。日本政府内では、米国離れの自立志向まで芽生えていた。
日本政府の「非核三原則」なるものが、いかに内実のないインチキのものであったかが明らかにされています。ところが、日本国民がそれを圧倒的に支持している以上、そこから日本政府は大きくはずれることも出来なかったのです。世の中の弁証法的帰結ということでしょうか。
250頁に歴史の内実がぎっしり詰まっていて、理解するのは容易ではありませんでした。
(2006年3月刊。4800円+税)

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2012年7月 5日

弁護士道の実践

司法

著者   鈴木 繁次 、 出版   民事法研究会

 昔なつかしい大恩ある先輩弁護士の本です。新聞広告で知って、すぐに注文しました。この本の印税は、全額、東日本大震災の義援金として寄付しますと書かれているのを読んで、さすがと思い、昔のまま変わりない先輩の存在を改めて認識しました。
 私が著者にお世話になったのは、弁護士になりたてで、横浜(川崎)にいたころのことです。私はまだ20歳台でしたから、まさに生意気ざかりの年頃でした。裁判官出身で、キリスト教徒の著者は、血気盛んな私たちとともに公害問題の現地調査の出かけ、また、公害裁判に取り組まれたのでした。
 この本にも、横浜弁護士会の公害対策委員会の活動が紹介されています。京浜工業地帯である川崎の大気汚染公害に取り組んだのでした。このころ、横浜弁護士会は全国の公害委員会の活動をリードしていたと書かれていますが、本当にそのとおりであり、私も末席を汚していたのでした。福岡に戻ってきたとき、ひどい落差があるのを実感しました。
 著者が働き盛りのときの一日のスケジュールは次のようなものでした。
 朝9時までに事務所に出勤する。夕方5時ころまでは来客、電話の応対、弁護士会の委員会に出席する。それまでは落ち着いて書類がきはできない。5時以降に書類作成に入り、6時から7時に軽い外食をして、9時から10時まで事務所で書類がきと調べものをして帰宅する。その後、自宅で夜食をとる。だから、どうしても栄養過多になって、太ってしまった。
 うへーっ、夕食と夜食と2回も食べるなんて、それはいけませんね。私は夜8時までは食べずに我慢しています。それでも太ってしまうのですが・・・・(現在の体重66キロ)。
 著者が私と決定的に違うのは、8つもの「学会」に加入していることです。実は、私もそのうちの2つには加入しているので、残る6つが違います。日本私法学会、日本民事訴訟法学会、日本交通法学会、日本土地法学会、日本マンション学会、日本賠償学会です。すごいですね。著者が、いかに勉強熱心なのかがよく分かります。
 さらに私との違いできわめつけは、司法試験委員、それも民法の委員になったということです。私なんか、恐れおおくて、とてもこの委員にはなれません。毎年、5~600通の答案を採点しておられたようで、頭が下がります。
 優良答案が5%、不良答案が10%、あとは内容のあまり変わらない紙一重のものばかり。大変ですよね、公平に採点するって・・・・。
 著者は、昔から毎年合格者を100人ずつ増やしていたらよかったんだという意見です。
これには私もまったく大賛成です。今のように一気に2000人に増やしてしまったから、ひずみが生まれたのです。ですから、逆に合格者を減らせという動きに著者は懐疑的ですし、私も同じ気持ちです。
 裁判官から弁護士になり、法科大学院の教授にもなった著者は、弁護士会の会長にだけはなりそこなったそうです。これもケンカしたくない著者の温和な人柄によるものでした。ますますのご健勝を心より祈念します。
(2012年5月刊。952円+税)

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2012年7月 4日

子どもの危機をどう見るか

社会

著者   尾木 直樹 、 出版   岩波新書

 2000年8月が初版ですので、10年以上たっていますが、ここに書かれている内容は今もそのまま通用するのではないでしょうか。
 学級崩壊現象が1997年以来、一気に全国の小学校に広がりを見せ、現在もなお、教師たちを疲弊させている。
 全国の7~8%の学級で、学級崩壊現象が発生している。引き金となる子どもが主因ではなく、同調圧力(ビア・プレッシャー)を受けて、同じ行動に走るその他の子どもたちの行動こそが問題なのである。学級崩壊の発生プロセスには、
  ①引き金っ子の存在、 ②他の子どもの同調圧力の強さ、 ③崩壊期間の長さという三つの要素がある。
 子どもたちは、反抗したり、無視したり、みんなで担任をいじめることによって、自己の存在を確認している。
 学級崩壊は小学校に限定したほうがよい。それは、その最大の本質が、一人担任制による「学級王国」体制の揺らぎにあるということだから。
 学級崩壊とは、小学校での学級カプセルという名の密室での教育実践が限界に達している現象。
学級崩壊とは、個々の意志を尊重する就学前教育の基本方針と、相変わらず硬直したままの一斉主義的傾向を重視する小学校との間の断絶に原因の一つがある。要するに、小学校低学年における今日の学級崩壊は、幼児教育から小学校の集団的生活化へのソフトランディングが上手にできず、つまづかせている現象である。精神主義的な服従に強い、日常的に圧力を加えているのが、今日の学校の姿だ。
外界の価値観が大きく変化している時代だけに、ここから生じる生徒たちへの内圧が異常に高まったとしても、不思議ではない。暴力行為やパニックを子どもたちが引き起こしたり不登校に陥るのも理解できる。
産業社会への「人材育成」装置としての学校の役割は終わったと考えたほうがよい。工場で労働者がベルトコンベアーの前に5分前に集合し、自分を押し殺して一致「団結」し、整然と作業に従事できる人材を養成するために、学校があるのではない。
いじめによる被害者は、40人学級として、小学校では一学級につき2人、中学校では1人は必ずいじめで苦しんでいる子どもがいるということになる。
 いじめられた子の半数の親しか、わが子のいじめの被害とその苦悩を知らなかった。いじめっ子といじめられっ子が交叉したり、逆転するケースも珍しくない。
いじめの克服に必要なことは、クラスの友人の動向にある。いじめ問題の解決のカギは大多数の傍観者が握っている。いじめられている子どもたちの願いは、この傍観者たちが機敏に動いてくれることにある。
いま(1999年)、不登校の子どもは、小・中あわせて13万人近い。1980年代に不登校の子どもが増えたのは、明らかに学校の抑圧度が強まったことに関係している。
学校は、暴力と管理で生徒を押さえ込んだ。学校での管理が強化されていくなかで、生徒は思春期に抱く葛藤を教師にぶつけたり、友達同士が慰めあう場面がつくりにくくなり、学校自分にとって居心地が悪く、安心できない場所となっていった。
今日の管理主義は、かつての強面(こわおもて)の管理方法とは様相を異にして、比喩的に言えば、優しくほほえみながら進行し、強化されている。
日本でいま急速に進んでいるのは、「子ども期」の喪失状況。これまでの「子ども期」が成り立たなくなったまま、かといって新たな関係性の模索もなされていないという、子どもにとって厳しい状況がある。
 思春期の中・高生は、発達段階の特徴として自立を求めるからこそ、親や大人のコントロールから脱しようと欲する。ただ、そうすればするほど、反対に一人になる不安感は増大していく。皮肉にも、誰かに依存したいという心理が大きくふくらむ。だから、友だちと同じものを持ったり、身につけて安心する。このような友だちへの同調圧力というものがある。
「子ども期」とは、独立した人格の主体である子どもが、本来の主催者になるために、最善の利益を受け、権利行使をする発達保障と解すべきである。
とてもいい本だと思いました。
(2011年9月刊。800円+税)

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2012年7月 3日

原発震災

社会

著者  石橋 克彦  、 出版   七つ森書館

 昨年12月16日に野田首相が福島第一原発について「冷温停止状態になった」として「事故収束宣言」をしました。
 これで、マスコミの流れがまったく沈静化してしまいました。いまでは、メルトダウンの脅威は過ぎ去ったかのような扱いになっています。果たして、そうでしょうか?
 著者は、まったく早計だと断言しています。私もそう思います。炉心が溶融してメルトダウンしたまま、応急的な循還注水でしのいでいるのにすぎません。福島第一原発が、いつまた重大なトラブルや大規模の放射能放出を起こさないか、今もって予断を許さないのです。
とりわけ四号炉は心配ですよね。地震で建屋が倒壊して使用済み核燃料が露出してしまったら、東京をふくむ東日本全体が深刻な放射能汚染に見舞われてしまいます。一刻も早く手を打ってほしいと思います。細野原発相が4号炉の現地視察をしましたが、コンクリートの支えだけで、本当に大丈夫なのでしょうか?
そして、著者は「除染」の効果についても次のように疑問を投げかけています。
 除染事業が政府と自治体によって大々的に進められているが、基本的には、線量の高いところ、再汚染によって効果が疑わしいところは、避難したほうがいい。原発は安全だと国民をだまし続け、今では放射能汚染は除染すれば大丈夫だと偽って、多くの国民の「生」をズタズタにしている。
政府と御用学者は、かつて、日本は米英なんかに絶対に負けないと国民を汚染し、敗色濃厚になったらバケツリレーやら竹槍戦術でも勝てると欺いていたときと何ら変わらない。「ただの発電所」であるべき原子力発電所という施設が、一旦人間の制御から外れると、いかに凶暴に人間を蹂躙するものであるか、白日のものにさらした。
 原発の危機は、一般に短い周期の揺れに弱い。そういう性質をもつ強い揺れが、想定した倍以上の130秒くらい、とくに激しい部分も想定の倍以上の60秒間、原発を襲った。長時間の強い揺れは、くり返し荷重として構造物に厳しく作用し、疲労破壊を引き起こした。
地震研究者として、日本のような地震列島における原発は、技術と経営の両面からみて、実用的などんな対策を施しても、誰一人として安全を保証することなどできないと考えている。
 福島第一原発事故の大きな教訓の一つは、「起こる可能性のあることは、すぐにも起こる」と思うべきだということ。そもそも、大津波は災害を想定しなければならない場所で原発を運転するなどとは、暴風雪が予想されている冬山にツアー登山するようなもので、正気の沙汰ではない。
 これって、けだし名言というべきではないでしょうか。
 日本中のどの原発も、想定外の大地震に襲われる可能性がある。その場合には、多くの機器・配管系が同時に損傷する恐れが強く、多重の安全装置がすべて故障する状況が考えられる。
 原発が地震で大事故を起こす恐れは30年以上も前から指摘されていた。著者は1997年に「原発震災」という概念を提唱した。それは、地震によって、原発の大事故と大量の放射能放出が生じて、通常の震災と放射能災害が複合・増幅しあう人類未体験の破局的災害である。
 日本が多くの原発を建設した1960年代から30年間は、幸か不幸か日本列島の地震活動静穏期であり、地震の洗礼を受けることなく、原発が増殖した。ところが、1995年の阪神・淡路大震災のころから全国的に大地震活動期に入った。大地震の発生を普遍的法則によって一律に予知するのは、当分のあいだ不可能である。
 高名な地震学者による警世の書です。ぜひ手に取ってお読みください。
(2012年2月刊。2800円+税)

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2012年7月 2日

ソウルダスト

人間

著者  ニコラス・ハンフリー  、 出版   紀伊國屋書店

 人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
 彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
 まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
 意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
 人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
 恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
 それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
 第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
 第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
 目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
 100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
 「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
 子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
 私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
 この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)

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2012年7月 1日

楽園のカンヴァス

ヨーロッパ

著者  原田 ハマ  、 出版   新潮社

 著者には大変申し訳ありませんが、まったく期待せずに読みはじめた本でした。私の娘がキュレーターを目ざしているので、親として少しは知識を得ようと思って、いわば義務の心から読みはじめたのです。
 ところがところが、なんとなんと、とてつもなく面白いのです。あとで、表紙の赤いオビに山本周五郎賞受賞作と大書されていることに気がつき、なるほどなるほど合点がいきました。江戸情緒こそ本書にはありませんが、パリのセーヌ川(らしき)の情緒はたっぷりなのです。 
推理小説では決してありませんが、その仕立てだと思いますので、粗筋も紹介しないでおきます。博物館や美術館にいるキュレーターの仕事の大変さが、ひしひしと伝わってくる本ではあります。
画家を知るためには、その作品を見ること。何十時間も、何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいない。
キュレーター、研究者、評論家、誰もコレクターの足もとには及ばない。
待って。コレクター以上にもっと名画に向き合い続ける人間がいる。誰か? 
美術館の監視員(セキュリティ・スタッフ)だ。監視員の仕事は、あくまでも鑑賞者が静かな環境で正しく鑑賞するかどうかを見守ることにある。監視員は、鑑賞者のために存在するのではなく、あくまで作品と展示環境を守るために存在している。
この本は、アンリ・ルソーの『夢』そして『夢を見た』という絵画がテーマになっています。どちらかが真作ではなく、偽作だという疑いがかかっています。それを7日間のうちに見抜かなければいけないし、それに勝てばたちまち億万長者になるというのです。
1908年、第一次世界大戦が始まる(1914年)前のフランス・パリを舞台とする描写があります。アンリ・ルソーはピカソとも親交があったようです。そして、『夢』が描かれる経緯が紹介されます。
果たして、この絵は本物なのか、偽作なのか。偽作だとしても誰が描いたのか・・・・。謎はますます深まっていくのでした。
なかなかに味わい深い絵画ミステリー小説でした。
一つの絵の解説本としても面白く読めます。巻末に参考文献も紹介されていますが、これをちょっと読んだくらいで書ける本ではないと思いました。底が深いのです。一読をおすすめします。
(2012年5月刊。1600円+税)

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