弁護士会の読書

2005年9月16日

明智光秀冤罪論

著者:井上慶雪、叢文社
 本能寺の変が起きて信長が死んだのは6月2日の午前4時ころ。明智光秀が京都に入ったのは、その5時間後の午前9時。したがって、光秀は本能寺の変の主役ではない。誰かが、信長をほとんど丸腰状態で京都に呼び出し襲ったのだという説が展開されています。学術的にはナンセンスと評価されているかもしれませんが、この本にもありますようにケネディ暗殺事件では今も大きな謎が解明されていませんし、本当のことをもっと知りたいと思わせる十分の本でした。
 光秀が信長から、このキンカン頭めがー、と言われながら公衆の面前で頭を叩かれた等々の話は、すべて後世の物語でしかなく、史実に反するとされています。
 信長は家康と違って、征夷大将軍への就任を断ってしまいました。正二位右大臣にまですすんだあと、突如として官位を返上しています。ところが、信長はそれまで、右近衛大将(うこんえのたいしょう)だけは兼任していました。これは、武家の棟梁としての地位を確保する意義のあった位なのです。
 信長は、本能寺へ安土城から大名物茶道具を運び入れました。そして、京都に来たのは、最高位の茶道具を入手するためだったというのです。おびき寄せたのは博多の豪商茶人島井宗室でした。この本は、信長暗殺は黒田官兵衛が仕掛けたものであり、実際に本能寺を襲撃したのは蜂須賀ないし細川の軍隊だとしています。ここらあたりまでくると、本当かな・・・、という気もしてくるのですが・・・。
 信長と長男信忠の遺骸が焼け跡に見つからなかったのは有名な話です。ただし、この本が「武功夜話」を根拠としている点は、その偽書説の感化を受けている私には了解できないところではあります・・・。
 歴史的大事件には、疑問点も大いにあるものだと痛感した次第です。

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